やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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とうとうやってきました2021GW。
相変わらずの自粛期間ですが、お家時間のお供にでもしてお楽しみいただけたら幸いです。


第56話 あざとい少女は電気羊の夢を見ない

「本当に、今日でオシマイなんですか?」

「ああ、おっさんとも受験が終わるまでって約束だったしな」

 

 いよいよ入試を明日へと控えた前日の夜。

 事務的にそう言って帰ろうとするセンパイを、家族総出で見送っていた。

 当たり前のように感じていた日常が終わり、明日からセンパイが家に来ることはなくなる。

 『受験が終わるまで』

 確かに、お祖父ちゃんもそんな事を言っていたような気もする。

 でも、それが今日だとは思っていなかった。少なくとも結果がわかるまで、後数度センパイと会う機会はある、そう思っていたのに、唐突に訪れた終わりの時。

 その事が信じられなくて、不安で、まるで幼子のように私はついセンパイのコートの裾を掴んでしまった。縋ってしまったのだ。

 

「お祖父ちゃんの事は気にしなくてもいいのよ? なんなら来年までだって……」

「いえ、ソレだと俺の学力的にも心配ですし。ココでちゃんとしておかないとズルズル行きそうなんで……」

 

 ママもなんとか引き留めようとしているが、センパイには届かない。

 全く、こんな時に限って頼りにならないから困りものである。

 なんとか、なんとかセンパイを引き止めないと!

 

「で、でもほら自己採点とかまだありますし! 受かるかどうかだって……!」

「それこそ俺いらないだろ……“自己”採点なんだから自分でやりなさい? 受からなかった時は……俺に出来ることはもうないだろ……。だからコレ離してくれる?」

 

 だが、センパイはそう言って私の言葉をあっさりと受け流し、掴んでいた裾を指差してくる。

 

「まぁ、結果が分かったら教えてくれ……」

「むぅー……」

 

 私が不満の意をこめながらセンパイの裾から指を離すと、センパイはまるでまだ何かついていないか確認でもするように、同じ部分を摘んだ。

 全く失礼してしまう。

 でも、その仕草で、もう何を言ってもセンパイの意思は覆らないのだという事は分かった。

 センパイってお祖父ちゃんと似て結構面倒くさいからなぁ……。

 もしこれ以上センパイに家庭教師を続けてもらうのであれば、お祖父ちゃんの手助けが必要だろう。はぁ……。

 まぁ……『家庭教師と生徒』じゃなくなったからといって、センパイとの関係が切れるわけじゃないし、ここは諦めるしかないか……。

 私達にはまだ『許嫁』という関係で結ばれているし、来月からは正式に『先輩後輩』の関係になれるはず……頑張らないと……!

 

「まあ、その明日……な。とりあえず明日寝坊しないように。今日はもう勉強しようとか思わなくていいからそのまま寝とけ」

「まだ九時前じゃないですか、流石に眠れませんよ」

 

 何だか含みのあるセンパイの言葉に、少しだけ違和感を覚えながらも『私は今不機嫌です』というアピールをしながら、僅かな抵抗を試みる。

 なるほど今日が最後という割にやけに早く帰ろうとするのはそういう意味もあったのかもしれない。

 でも、それならそれで、せめて眠るまでの相手ぐらいはして貰わないと割りに合わないという物というものですよ?

 よし、今日は寝るまでセンパイとLIKEで……。

 

「羊でも数えていたらいいじゃないか」

 

 だけど、そのセンパイの無駄な気遣いをなんとか次に繋げようとしていたら、思わぬ所から横槍が入った。パパだ。

 全く本当に余計なことを……。

 

「あんなの効果ないよ、数えすぎて眠れなくなるし、ね? センパイ? そんなのより……」

「ん? いや、あれは十匹単位で区切るんだぞ?」

「へ?」

 

 だけど、私が言葉を続けるより早くセンパイが言葉を続ける。

 

「あれはゆっくり十匹まで数えたら、一匹目に戻して何度も繰り返し数えていくんだ、そうするとそのうち脳が思考放棄してどうでも良いこと考え始めて気がついたら寝てる。単純に数を増やしていくと『こんなに数えてるのに眠れない』って余計眠れなくなったりするからな」

「それ……羊である必要なくないですか?」

「まあ、元々日本産の方法ではないからなぁ……」

 

 へぇ……と思わず関心してしまった。でも違う、そうじゃない。

 別に私は羊を数えて眠りたいわけじゃないのだ。

 どうせ眠れないならセンパイと……。

 

「まあ最近は他にもアルファベットを延々考える奴とか、遅めのメトロノームをずっと聞いてるとか色々あるから、眠れなそうなら試してみたらいいんじゃない?」

 

 どうしよう、凄くどうでも良いのにセンパイのウンチクが止まらない。困った、このままじゃ今夜「センパーイ、眠れないからちょっとお話しませんか?」という真夜中のお喋り作戦がおじゃんになってしまう。

 ママもママで「八幡君は何でも知ってるのねぇ」とか言っちゃってるし……。

 早くこの話を切り上げないと!

 

「……何でもは知らないわよ、知ってることだけ」

「え?」

「あ、いえ何でも無いです……」

 

 そんな私の気も知らず、センパイが少しバツが悪そうにコホンと咳払いをして、視線を泳がせると、一瞬だけ会話が途切れた。

 何かのネタだったのかもしれない。センパイが何だかちょっとだけ恥ずかしそうな顔をしている、でもそんなところも好き。

 

「……あ、あー……そうだ、えっと……一色、最後に一個相談があるんだけどいいか……?」

 

 すると、センパイはその沈黙に耐えられなかったのか、話題を変えようと妙なことを言い出した。

 あ、折角のチャンスだったのに、話しそびれちゃった。

 はぁ……まあいいか、最悪後で直接LIKE送れば……。

 センパイからの相談なんて珍しいしね。一体なんだろう?

 

「相談? なんですか?」

 

 私は少しだけ前のめり気味に、センパイの顔を覗き込むようにして、次の言葉を待つ。

 でも、センパイは中々口を開かない。何だろう? 何か恥ずかしい相談事なんだろうか?

 あまりにもセンパイが言いづらそうにしているので、私はもしかして……と少しだけ期待をしてしまった。

 

「……あの食器って、貰って帰ってもいい?」

「食器……?」

 

 でも、センパイの口からでてきたのはそんな言葉。

 食器? 一瞬センパイが何を言っているのか分からず、頭の中に沢山の食器を思い浮かべたが、特に思い当たるものがない。

 一体どの食器のことだろうか?

 

「ほら、去年の夏にくれただろ、俺用の茶碗とか……」

「駄目! ダメダメダメ! ぜーったいダメです!」

「そうよ! 駄目! ママも許しません!」

「ええぇ……」

 

 センパイが全てのセリフを言い終わるより前に、私とママはセンパイのお願いを拒否した。

 危ない危ない。っていうかこの人、もうウチに来ないつもりでいる?

 なんで!?

  

「いや、でもほら置いておいても邪魔じゃないですか? せっかくですし一応俺も初バイトの記念に……」

「それなら大丈夫、大事にしまっておくから。また八幡君が来る時までね。というより、バイトの事なんて抜きにして、いつでも来てくれていいのよ? ね? いろはちゃん」

 

 モゴモゴと言い訳をするセンパイに、ママが畳み掛けるように反論する。

 うん、こう言う時は本当に頼もしいと思う。

 ママ様々だ。

 

「そうですよセンパイ。とりあえずご飯だけ食べに来るっていうのだって有りだと思います! そうじゃなくても私に会いに来てくれても……」

「いや、流石にそれは申し訳ないというか……」

 

 ママに便乗して本音と建前を交えながらそう言うと、センパイが少しだけたじろいだ。

 乗り気では無さそうだけど、ここはもうちょっと押し切ればなんとかなりそう。

 なんとしても、センパイがウチに来る口実は残して貰わないと!

 

「遠慮なんてしないの。ねぇ、あなたもそう思うでしょ?」

「ああ、そうだね。また君のギターも聞きたいし。別にバイトじゃなくても、うちはいつでも大歓迎だよ」

 

 最後にパパがダメ押し。

 その言葉でセンパイは諦めたように、でも少しだけ残念そうに肩を落とした。

 なんだかちょっと可哀想な気もするけど、でも仕方ない。

 これもセンパイの為なんですよ?

 

「……じゃぁ、またそのうち何かあったら……」

「はい、いつでもお待ちしてます!」

 

 よし、勝った。

 良かった、とりあえずこれでセンパイを呼ぶ口実は出来る。

 

「それじゃぁ、今日は帰る……帰ります」

「はい、気をつけてね」

「またね」

 

 そう言って玄関の扉が開くと、冷たい空気が家の中へと流れ込んできた。

 暗い外廊下を一人歩くセンパイの背中を追いかけて、私はスリッパを履いて一歩だけ玄関の外へ出る。

 

「センパイ!」

「ん?」

「今日まで……家庭教師ありがとうございました!」

「……おう」

 

 こちらに顔を向けず、背中を向けたまま、手を挙げるセンパイ。

 なんだか、そっけない。その背中は本当にこのまま二度とウチに来なくなってしまいそうな気さえしてしまう……。

 だから、正直に言えば、このままセンパイの前に回って「駅まで送っていきます」って言って駅まで一緒に他愛もない話をしながら歩きたかった。

 そうして、せめて最後の余韻に浸りたいと思った。

 でも、我慢した。

 だって……それをしたら、本当に今日が最後だって認めるみたいだったから。

 ……明日、合格さえすれば、チャンスはこれからいくらでもやってくるから。

 ここで我慢をするのは、今日で終わりになんかさせないという、私なりの覚悟でもある。

 だから、絶対また来てくださいね! センパイ!

 

*

 

 そうしてセンパイが帰った後、私はお風呂に入ってから少しだけ机に向かった。

 別に、勉強をしようと思っていたわけじゃない。

 今日はセンパイの言いつけ通り、早めに寝る予定だった。

 でも、勉強をするつもりはなくても、なんとなくいつもの習慣で椅子に座ってしまい、気がつけば手持ち無沙汰のまま部屋を見回していた。

 ベッド、クッション、ローテーブル、壁に掛けられたセーラー服にカレンダー。目に入るのはいつも通りの自分の部屋の風景。

 でも、センパイがいないと随分広く感じる。

 

「一年かぁ……あっという間だったなぁ……」

 

 この一年、本当に色々な事があった。

 センパイと出会って、許嫁だと紹介されたのが去年の五月。

 それからすぐに部活の問題が出て、受験に専念しようと思っていたのに出鼻をくじかれて凹んだなぁ。

 成績もガクッと下がったっけ。

 でも、センパイが解決してくれたんだよね。

 今思い出しても、あのサイゼで一体どうやって新部長を説得したのか良く分からない。

 いつかちゃんと教えてくれる日は来るのだろうか?

 

 それから、お米ちゃんと出会って、夏休みに入る頃にはお米ちゃんと一緒に買い物にも行って、センパイの誕生日会の準備をした。

 私が料理の手伝いをしようとしたら「いろはさんはしっかり勉強してて下さい!」ってメチャクチャ怒られたのは今でも忘れない。

 思えばあの頃からもう随分遠慮がなくなってきていたように思う。

 あの子ともこれから長い付き合いになりそうだし、本当舐められないようにしないと……。

 

 でも、そうやってお米ちゃんと色々準備したのに、当日、センパイ遅刻してきたんだよね。

 全く、何やってたんですか?

 正直、来てくれないんじゃないかって思ってヒヤヒヤしてたんですよ?

 だけどその後、うちに来たセンパイの驚いた顔をみてやっぱり企画してよかったなぁって思った。

 プレゼントも喜んでくれた……と思う。

 今日だって持って帰ろうとしてたし?

 捻デレさんだから、絶対素直には認めないんだろうけど、結構気に入ってくれてるんだよね。

 ふふっ、アレにして良かった。

 来月からは週一で家庭教師じゃなくて食事会を開くとかしてもいいかもしれない。

 私の花嫁修業も兼ねて。 

 

 そうそう、夏といえばお祭りにも行ったっけ。

 そういえば、部活の子達とはアレ以来話をしていない。

 学校に行けば当然、サッカー部が校庭で練習しているのを見かけるけど、私自身も全くと言っていいほど意識していなかった。

 受験モードになっていた、っていうのもあるけれど、元々私自身友達が多い方でもなかったし、結局仕事上の付き合いみたいなモノだったのかもしれない。

 あ、センパイも私の事そう思ってたらどうしよう……?

 私の事を忘れて他の女の所になんて行かれたら平静を保てる自信がない。

 とにかくもっとアピールして行かないと……。

 

 アピールといえば、夏祭りで人生初めて他人の告白シーンなんてモノを見ちゃったんだよね。

 私にはまだそんな勇気ないけど……まさかあの後階段から落ちてセンパイと会うなんて思っていなかった。

 でも、あそこに居てくれたのがセンパイで本当に良かったと思う。

 またセンパイにオンブ……して貰いたいなぁ。

 今同じ状況になったらもっと素直に甘えられると思う。

 お願いしたら……してくれないかな?

 

 夏休みの終わりには万引き犯に間違えられて散々な目にもあったけど、それもまたセンパイが助けてくれた。

 まさに白馬の王子様って感じ。

 いや、私もさすがに王子様に夢見るような年じゃないし、センパイがそんな柄じゃないのは分かっているけれど、私にとってセンパイはソレ以上の存在だと自覚したのは確かにあの日だった。

 そういえばあの時初めてセンパイが私の許嫁だってバラしちゃったんだよね。

 今考えても恥ずかしい、アレ以来麻子ちゃんとも会っていないけれど、あの時の事、どう思っているんだろう? このままお互い一生会わずに居られるなら、案外ソレはソレで幸せなことなのかもしれない。

 

 それから、お祖父ちゃんに総武行きを伝えて……反対されて。

 でも、諦めきれなかったから最初は学校見学のつもりで行った文化祭。

 そこでの二度目の許嫁宣言。

 まさか自分でもあんな大胆な行動にでるとは思わなかったけど、でもあれは仕方なかったと思う。

 ああ、でも合格したら一応口止めはしておいてもらわないと……。

 確か名前は葉山……。葉山先輩。

 爽やか系イケメン系の人。

 あ、それと、少し太めの眼鏡の……なんだっけ? なんとか将軍とか言ってた人。

 イモ……ザイ……モザイク先輩……? 

 あっちの方はセンパイのお友達っぽいからちゃんと押さえておきたいんだけど……。

 まずった。名前が思い出せないのは致命的だ。

 入学したらまず、あの人の情報を集めよう……。

 

 えっとその後は……。

 そうそう、帰りにお祖父ちゃんの家に行って総武行きを条件付きで許可して貰ったんだった。

 まあ……その条件は達成できなかったんだけど。

 落ち込んでいたら、クリスマスにセンパイがまたまた全部解決してくれた。

 あの時は本当に、熱のせいで都合の良い夢を見たんじゃないかとさえ思った。

 

 もう、センパイはどれだけ私の心に入り込んでくれば気が済むのだろう?

 全然興味ありません。みたいな顔をしながら『助けてやる』なんて事も一言も言わず。

 私が困っている時に突然現れて、目の前の問題を全部取っ払って、見返りも求めず、また私のことを見ていてくれるのだ。

 こんなの、好きにならない方がおかしい。

 

 だから、私も気持ちを押さえきれなくて、つい……キス……をした。しちゃった。ほっぺだけど……。

 一歩前進は出来たと思う。

 心臓がドキドキしすぎたせいか、また熱が上がっちゃって年末年始にセンパイと会えなくなっちゃったのが凄く寂しかった……。

 きっとセンパイも意識……してくれたよね?

 バレンタインにもチョコレート渡したし?

意識しない方がおかしいと思う。

 

 学校でサッカー部の子達にあげた人気取り用チョコではなく、義理じゃない正真正銘私の人生で初めて贈った本命チョコだ。

 受験の追い込み時期で、気がつくのが遅れて本命にしては安物すぎたという後悔はあるけれど、高ければ良いというものでもない……よね?

 でも一つ心配事はある……。

 

「センパイ……誤解してないといいけど……」

 

 完全に安物のコンビニチョコレートを贈ってしまったのだ。

 だって、仕方がなかった、本当にいつもだったら前もって準備できてたはずなのに。今年は受験勉強で忙しかった、というのと、毎日センパイが来てくれることで舞い上がっていたせいか、その日がバレンタインだって気がついたのがセンパイが来る直前の事だったんだもん……。

 それでも、あのパッケージを見た時は「これだ!」って思ったんだけどなぁ……。

 

 手前の引き出しを開ければ、そこにはこの間買ったチョコレートの残り……というか失敗作が入っている。

 失敗、といってもチョコレートは市販品なので、あくまでメッセージ部分の失敗作。

 本当はもっと伝えたい言葉は一杯あった。

 でも、今の私にはあの一文を書くのが精一杯で。ソレ以外は全部ボツにして、こうやって引き出しに眠らせて、おやつ代わりにしている。

 だからセンパイに渡した一個は、安物ではあるけれど、『絶対センパイと同じ学校に行きます』という意思表明も込めた、私の精一杯の本命チョコレート……だったのに……。

 そうやって私なりに勇気を出したチョコレートは特にセンパイの方からリアクションを引き出せないまま、不発に終わってしまった。 

 

「やっぱり安物すぎたのかなぁ……」

 

 義理だと思われてしまっただろうか?

 あの感じだと、ホワイトデーも期待できないかもしれない。

 一応、誤解しないで下さいとは言ったんだけどなぁ。

 はぁ……でも今更言っても仕方がない、来年は絶対手作りにしよう。

 そう心に誓い、私はそっとチョコレートの入った引き出しを閉じた。

 

「いろはちゃん? まだ起きてるの? 八幡君にも言われたでしょ、今日は早く寝なさい?」

「はーい」

 

 そんな事をしていると、不意に扉が開き、ママがそんな事を言ってきた。

 時計の針は二十二時前を指している。

 いつもよりは早いけど、でも、やっぱり明日は本番だし、もう寝よう。

 

*

 

 そうして私は一度キッチンへ出て、牛乳を一杯飲んでから歯を磨き、今度こそとベッドに横になった。

 でも、自分が思っている以上に緊張しているのか、それとも単に時間が早すぎるのか、中々眠気はやってこない。

 明日は本番だっていうのに……。

 仕方がないので私は気分転換に少しスマホをいじっては、LIKEを開き、センパイとのメッセージ履歴を見返していた。

 このまま、通話ボタン押しちゃおうかな……?

 いや、それは最後の手段にしておこう。今からだと逆に長話しちゃいそうだし……。せめてもう一時間ぐらいしてから……。

 そうだ。とりあえずアラームをセットしておこうかな? 明日は少し早めにセットして……うん、これでよし。

 明日は本番、寝坊するわけにはいかないからね。

 うーん……でも本当に眠れない。どうしよう?

 とりあえず、センパイに言われたとおり少し羊でも数えてみようかな?

 

 羊が一匹……羊が二匹……羊が三匹……。

 

 しかし、何度かセンパイに言われた方法を試してみたけれど、眠気はやってこない。

 

 羊を数える合間に、どうしても『明日は本番』という言葉がちらついてしまうのだ。

 明日は本番、泣いても笑っても一発勝負。

 受かればセンパイと楽しい高校生活。でも、もし落ちたら……?

 そんな不安が数える羊とともに私を襲ってくる。

 

 明日は一体どんな問題が出るのだろう?

 やっぱりもう少し勉強しておこうかな。

 いや、駄目だ、今日はもう寝るって決めたんだ、夜更ししたら明日に響く。 

 

 早く寝なきゃ、早く寝なきゃ。

 でも、考えれば考えるほど眠気はやってこない。

 まずい、このまま眠れなかったらどうしよう?

 徹夜?

 一晩ぐらいなら大丈夫だろうか? 寝ないで試験に行って、そのまま帰ってきてから寝る。

 うん、多分大丈夫。

 徹夜なんてしたことないけど、一晩ぐらいだったらきっとなんとかなる……よね?

 

 でも、試験の途中で眠くなったらどうしよう……?

 白紙のまま提出……なんてことに……。

 

 やっぱり早く寝なきゃ!

 そうだ、何か楽しいことを考えよう。

 明日の入試を終えて、その後の事を考えればいいんだ。

 

 例えば……そう、明日は試験が終わったらセンパイの家にでも行ってみようかな?

 確かセンパイは、自転車通学をしてるって言ってたからそんなに遠くはないはず。

 お米ちゃんに連絡して、迎えに来てもらうのも良いかもしれない。センパイの家……車で一度連れて行ってもらったきりで直接行った事はないんだよね。そろそろちゃんと場所を覚えておかないと。

 その為にも、明日はお米ちゃんに出動願おう。予定があるかどうかは関係ない、一応私の方が一年先輩だし? 少しぐらい受験生で先輩たる私を敬ってくれてもバチは当たらないだろう。

 

 そうしてセンパイの家までの道を覚えたら、来月からセンパイと一緒に学校に通う。

 入学式の日にセンパイの家の前で待っていたら。センパイ驚くかな?

 なんなら、そのまま毎日迎えに行っても良いかもしれない。

 中学では男子に色目使ってるとか言われて、やっかみから散々な目にあってきたけど、特定の相手がいると分かれば、変な目で見られることもないだろうし、同性の友達も出来るかもしれない。

 なんとなくセンパイの周りに女の人の影がちらちらと見え隠れしているのが気になるけど……毎日仲良く通学している所を見せつければ、高校生活で私とセンパイの邪魔をする人もいなくなるだろう。そうすれば絵に描いた様な学園青春ライフの始まりだ。

 どうしよう、高校生活に楽しみしかない。

 

 きっと世界広しと言えども、許嫁持ちの女子高生なんて私ぐらいなものだろう。

 それだけで勝ち組まである。

 

 ただ心配事もある、家庭教師と生徒という関係が終わってしまった今、私達の間にあるのはその許嫁という関係性だけなんだけど……。

 でも、それはあくまで名目上で下手すると来月にはこっちの関係性も終わってしまうかもしれない。

 

 去年お祖父ちゃんが『とりあえず一年』って言ってたから、絶対一年で終わりっていう事じゃないとは思うんだけど……。

 そもそも許嫁なんだから結婚しないと意味がないんだし?

 その辺りちゃんと考えていてくれるのかな?

 

 まぁきちんと彼氏彼女の関係になるのが一番確実なんだろうけど……。

 でもやっぱり告白はするよりされる方がいいなぁ……。

 放課後好きな人に呼び出されて……そういうシチュエーションにはやはり憧れてしまう。

 とはいえ、さすがにこのタイミングでセンパイが私に告白してくれる、なんて楽観視をするほど私も馬鹿じゃない。

 

 お祖父ちゃんだって考えていないだろう。

 だから、お祖父ちゃんがどう出るのか、どうするつもりなのかはとりあえず保留で。

 私達の関係についても追々かなぁ……。

 私が合格さえしちゃえば焦る必要もないもんね。

 

 同じ学校に通えれば私達の関係が進展するには十分な時間も確保できる。

 大丈夫、センパイが彼氏で、私が彼女。

 それはきっとそんなに遠くない未来の話だ。

 私達は許嫁で将来を誓った仲。当然遊びじゃない。本気の関係。

 

 ああ、センパイが彼氏……センパイが彼氏かぁ。しかも同じ総武の先輩。

 明日頑張ればそれが現実になるんだ……。

 駄目だぁ、頬が緩むぅ。

 

 毎日手をつないで登校して、お昼休みに一緒にご飯を食べて……あ、私がお弁当を作るのもいいかもしれない。放課後は制服デート。お休みの日も当然デート。

 でも、最初のデートでデスティニーランドはNG。

 別れるカップルが多いって言うしね。

 

 それから……それから……。

 もうお互い高校生だし……そういう事だって……当然……しちゃうわけで……。

 センパイ……優しくしてくれるかな……?

 って何考えてんの私!

 ああ、駄目だ。顔が熱い。

 

 まずい、変な想像したせいでまた目が冴えてきちゃった。これは……本格的に眠れない奴かもしれない。

 少しでも寝ないと……!

 もう……それもこれも全部センパイのせいですからね……。

 

 スマホを手に取り、ホーム画面に設定しているセンパイの寝顔写真を見ながら、そう文句を言う。

 全く、こっちは眠れなくて困っているっていうのに、気持ちよさそうな顔して寝ちゃって……。可愛いなぁ。

 二十二時にはベッドに入ったはずなのに、もうすぐ日付が変わろうとしている。 

 これではセンパイに、寝る前のお休みトークをお願いする事も出来ない。

 下手したら怒られるまである。

 まあ、センパイにだったら怒られてもいいんだけど……。

 本格的に眠れなくなる可能性もあったので、私は諦めてスマホをスタンドに戻し。また布団を被り直した。

 

 でも、頭の中からセンパイが離れてくれない。

 いや、離れられても困るんだけど……。

 んー……明日は本番なのに……センパイのせいで眠れなくなっちゃったじゃないですかぁ……。

 助けてくださいよー……センパーイ……ッ。

 

*

 

 そうして、何度も何度もセンパイの事を考え、最早思い浮かべたセンパイの姿が妄想なのか、はたまた夢なのか分からなくなった頃、知らず識らず眠りについていた私が次に意識を取り戻したのは、スマホのアラームが何度か鳴ってからの事だった。

 

「……うーん……あと……五分……」




※羊の数え方は諸説あり、効果にも個人差があります。

というわけでいよいよ受験本番となります。

合否が関わるこの辺りの話を受験シーズン真っ只中に投稿する事にならなくて本当に良かったなぁと今はホッとしていたりもします。

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