やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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第67話 そして俺は進級し、一色いろはは……

 四月、新学期、始業式を迎え、俺はとうとう二年へと進級した。

 昇降口前に張り出された掲示板から自分の名前の書いたクラスを見つけると、ワイワイと楽しげに話す生徒たちを横目に、一人教室へ向かう。 

 ああ、そうか進級し教室も変わるということは、今年からは毎朝登る階段も一つ増えるのか。億劫だ、これで遅刻の頻度も増えることだろう。

 しかも三年になるとまた一つ増えるというのだから、嫌になる。

 もしかしたらこれが大人の階段というやつなのかもしれない、俺はまだシンデレラさ。

 

 そうして、いつもよりも少し長い距離を歩き教室へと向かうと、そこは既に軽いパーティー会場と化していた。

 グループ分けも済んでいるのか、ほとんどの生徒が3~6人ほどのグループに分かれワイワイと楽しげな声を響かせている。

 おかしい、今日がクラス替え初日な筈なのに、もう俺の居場所がない。

 もしかして春休み中にグループ分けイベントでもあった?

 もー……そういうのあるなら俺も誘ってよ、行かないけど。

 

 しかし、こんな状況にも慣れたものだ。

 俺は一度チラリと黒板を見て「出席番号順に座ること」と書かれたプリントを確認し、席へと向かうと、そのままA.Tフィールドを展開した。

 Absolute Terror Field。通称心の壁。

 早い話が読書である。

 こうして、一人黙々と本を読んでいれば、安易に話しかけてくる人間はいなくなるし、俺が声をかけて欲しそうにしているわけでもないと分かるだろう。

 昨今は電子書籍が主流でもあるのもあってか、こうやって紙の本を読んでいるとそれだけで頭の良さそうな印象を植え付けられるという点でも優れたアイテムである。

 去年は机で寝た振りをしていたら戸部に突破されたが、流石に今年は乗り切れるだろう。

 ちなみに本の中身は例によってラノベだが、書店のカバーをしたままなので、外から何を読んでいるかも分からないはずだ。材木座でもなければ……だけどな。

 

 そういえば、材木座は同じクラスではないのだろうか?

 別に同じクラスになりたいとかそういうわけでは全然、全く、これっぽちもないのだが。

 場合によっては今年からは体育のペアを新たに考えなければいけない。その事だけが気がかりではあった。

 今年の体育でペアの授業がなければよいのだが……もしもの保険という意味でも最低でも隣のクラスあたりに居てくれれば助かるなぁ……と、柄にもなくそんな事を願いながら、ページを捲る。

 その瞬間、ふと後頭部の辺りに視線を感じた気がした。

 ん?

 

 噂をすれば……というやつだろうか?

 もしかして本当に材木座と同じクラスになってしまったか……?

 

 だが、読んでいたページに指を挟み、何気なく視線がした方角を振り返る、そこに材木座の姿はない。

 むしろそこには材木座の天敵ともいえる四人の陽キャっぽい男女の姿があった。

 椅子に座り、ネイルをチェックしながら退屈そうに話しているリーダー格っぽい長い金髪の縦ロール、その取り巻きらしいメガネで黒髪の地味系女子、完全に後ろ姿だがピンクがかった茶髪のお団子頭女子。そして……葉山隼人だ。

 

 マジか……葉山も同じクラスなのか……。

 いや、待て、まだそうと決まった訳じゃない、隣のクラスだが偶然知り合いを見つけたのでこっちのクラスに遊びに来ているという可能性だってある。

 勝手に結論付けて決めつけるのはよくないからな、うん。

 もし葉山と同じクラスだとしたら一色との兼ね合いもあるので色々面倒くさいことになりそうだ、どうか遊びに来てるだけでありますように。

 

 だが、そんな事を考えながら葉山達のグループを見ていると、やがて葉山と目があってしまった。

 やばい、気付かれた。

 葉山は女子グループとの会話を一度中断させ、俺の方へと歩み寄ってくる。

 俺は慌てて、前に向き直り本を開いた。

 

「やぁ、比企谷。今年は同じクラスだな、よろしく」

 

 だが、時既に遅し。

 葉山は俺の机の前まで来ると、ラノベの上にその長身からくる大きな影を落とした。

 くそっ……やっぱ同じクラスなのかよ……。

 よりにも寄って葉山と同じクラスとは、もはや呪われているとしか思えない。

 心のなかに「これからこいつと一年顔を合わせなきゃいけないのか」という絶望が生まれてくる。

 もし、神がいるのだとしたら、きっと相当意地の悪い顔をしているのだろう。

 きっとニヤニヤとした笑みで人に近づき、気がつくと懐に入り込んで悪さをするロマンスグレーの映えるムキムキマッチョマンに違いない。……ってあれ? これおっさんじゃね? おっさんは神だった?

 

「……あんまり、歓迎って感じじゃなさそうだな」

 

 俺が返事をせず脳内のおっさん神に詰め寄られていると、やがて葉山が少しだけ困ったように笑い、肩をすくめた。

 そして同時に、周囲から「えー、誰あれ?」「何? 葉山くんの知り合い?」という奇異の目が向けられているのが分かる。

 まずいな……。

 葉山というのは校内でも有名な超絶イケメンである。そんな男が俺のような陰キャに話しかけているのだ、当然注目を集めるというもの。

 早々に切り上げてもらわなければ……。

 

「あ、イや……別にソういうんじゃないンだけどな……まぁ、なんだ、よろしク」

 

 俺は今の状況のまずさに気が付き、慌てて持っていた本を仕舞うふりをしながら、ところどころイントネーションを狂わせ、モゴモゴと言い訳がましく頭を下げた。くそっ。

 これではまるで映画にでてくる三下小物だ。いや、まぁ小物ではあるんだけどさ……。

 

「ああ、よろしく。そういえば戸部も同じクラスらしい。まだ来てないみたいだけど……比企谷とはニ年連続だな。ソレに……」

 

 しかし、そんな卑屈な俺の自己嫌悪など知らぬ葉山はそういって言葉を続けていく。

 マジか……戸部も同じクラスなのか。でもまぁ……そっちはどうでもいいや。

 それより……。

 

「ソレに?」

 

 葉山がそこで言葉を止めた事に疑問を覚え、葉山を見上げると。

 葉山は俺の後方へと視線を向けているのが分かった。

 後ろに誰か居るのかと、改めて俺もその視線の先を追うが、そこにいたのは先程の三人組の女子の姿。

 金髪縦ロール、お団子茶髪、黒髪メガネ。

 先程も四人で話していたようなので、恐らく葉山の友人なのだろう。

 

「……いや、なんでもない。そういえば、明日入学式だろ? ……一色さんは元気?」

 

 だが、葉山はソレ以上言葉を続けず、一度だけ小さく笑うと、露骨に話題を逸した。

 一体なんだったのだろう?

 葉山にとっては、あの三人と同じクラスになれたということに何か意味があるのだろうか?

 葉山ハーレムとか?

 誰が第一夫人……いや、第一夫人はきっと金髪縦ロールだな。第二夫人はどちらだろう。

 まあ……どうでもいいけど。

 それで、なんだっけ? そうそう一色だ一色。一色かぁ……元気なんだろうか……うーん……?

 

「あー……多分?」

「多分?」

 

 実のところ、あのおっさんとの話し合いの日以降あまり会えていないのだ。少し前までと違って、連絡こそちゃんと来るものの。一昨日などは小町と出かけた帰りに家の前まで来ていたらしいのだが、俺と顔を合わせる前に『会いたいのは山々だけど……今はまだ無理』と言って帰ってしまったらしい。まぁ恐らくまた良からぬ事を企んでいるのだろうとは思うが……。はぁ……面倒事じゃありませんように……。

 

「まあ、うん元気なんじゃねーの……?」

「隼人ー、まだー?」

 

 しかし、そうして俺が適当な返事をすると、横から見知らぬ女子の声が割り込んできた。

 視線を動かせば、そこには先程の金髪縦ロールが葉山の横に立ち、不機嫌そうに髪をくるくると弄びながら、品定めをするように俺を見おろしてくる。

 え? 何? 怖い。

 きっと野生の虎に睨まれたらこんな感じなんだろうな、と思うほどにその時の俺は恐怖を感じてしまっていた。

 

「ああ、悪い優美子。そうだな……それじゃそろそろ行くよ。比企谷また後で」

「あ、ああ。また……」

 

 そんな彼女を見て、葉山は一度困ったように笑うとやがて、大きく一度頷くと、そう言って俺に手を振ると、優美子と呼ばれた金髪縦ロールを引き連れ、元いたグループの元へと戻っていった。

 何が「また」なのかはよく分からなかったが。

 とりあえず命の危険は去ったようだ。ほっ……。

 なんなのこのクラス、野生の虎がいるとか聞いてないんですけど?

 誰かSNSで「虎逃げてますよ」とか呟いてないのだろうか。やはり俺も危険回避のためにSNSやったほうがいいかもな。

 そんな事を考えながら、意味もなく去っていく葉山の背中をボーッと見つめていると、葉山ハーレムはそのまま教室を出て廊下へと出ていこうとしているのが見えた。

 何か用事があったのだろうか?

 そういえばそろそろ行く……とか行っていたな。まあ……俺には関係ないか。

 しかし、そうして俺が視線を前に戻そうとした時、ふと葉山ハーレムの一人、ピンクがかった茶髪のお団子頭の女子と目があってしまった。

 その女子は俺と目があった事に気がつくと、驚いたように目を大きく見開き、ワタワタと分かりやすく動揺して俺から視線をそらして、葉山達の後を追う。

 なんだ……? 俺、何か驚かせるようなことをしただろうか?

 だが、本当に一瞬のことだったので、俺はさほど気にすることもなく、まあいいか。と再び本を開こうと正面へと向き直る。

 すると、俺の机の前にまた別の人影が立っているのが見えた。 

 はぁ……今日は客の多い日だ……。

 

「おはよ」

「お、おう」

 

 新たな客の正体は川崎だった。

 川崎……でいいんだよね? あれ? 川神だっけか?

 ちょっと怖いから名前を呼ぶのは辞めておこう。

 もしかして……彼女も同じクラスなのだろうか?

 ちょっと今年のメンバー濃すぎません?

 この学校で俺が名前を知ってる数少ない連中勢揃いじゃん。

 葉山、川崎、戸部。

 マジで材木座も同じクラスとかありそうで怖いんですけど……?

 

 だが、そんな事を考えているウチに川崎はすぅっと小さく息を吸って、俺の肩を掴んだ。

 突然の事に驚き、俺は思わず先程のお団子頭のように、目を丸くする、

 へ?

 

「あのさ……ちょっと……話あるんだけどいいかな?」

「え? 何……?」

 

 カツアゲかしら? 怖い。

 俺あんまお金持ってな……あ、まずいな、今日割と持ってるわ。

 おっさんから最後の給料貰って財布に突っ込んでそのまんまなんだった。

 ちょっと今日取られるのは洒落にならないかもしれん。俺の一ヶ月分の労働がパァになる。

 どうしよう、財布持ってきてないって言ったら信じてくれるかしら?

 いやよく考えろ、ここは人目もある。誰かが証人になってくれれば返してもらうことは容易……あれ? 俺の証人になってくれる人……いるのか?

 まさかこいつ……そこまで考えて……?!

 

 そんな風に、なんとかカツアゲを回避出来ないかと思考を巡らせていると。

 教室の扉から、平塚先生が入ってくるのが見えた。助かった。

 

「悪い、やっぱ後で……」

 

 どうやら川崎もそれに気がついたようで、そう言って俺の肩から手を離すと、スタスタと俺の元を去っていった。

 ふぅ……どうやら危機は脱したらしい。

 でも、また「後で」か。葉山といい川崎といい問題が解決したわけではなさそうだ。

 新学期始まって早々に不穏な空気を漂わせるの辞めて欲しい。

 全く……。今年はそうでなくても一色の事で頭を悩ませる事になりそうだというのに……。

 どうか、ややこしい事になりませんように。

 

 そうして、俺は柄にもなくそんな願いを抱きながら「ほらー、そろそろ始業式始まるぞー、並べー」という平塚先生の声に従い、始業式へと向かったのだった。

 

*

 

**

 

***

 

 始業式の翌日の朝。

 俺は学校に行くべきかどうか悩んでいた。

 

 今日は入学式だ。

 一応在校生も全員出席という事にはなっているが、基本座っているだけの賑やかし要員である。状況に応じて立って、座って、拍手をして、また立って、あくびして、歌って、座って。拍手して、あくびして。の繰り返しである。正直行く意義を見出せない。

 

「お兄ちゃんまだ出ないの? そろそろ時間だよ?」

「あー……んー……」

 

 なんとなく制服には着替えてしまったが、やはり面倒くさい。

 そろそろ家をでないといけない時間なのだが、このままサボってしまいたいという衝動に抗えず、俺はソファーにぐでっと体を預けていた。

 

「ほーらー、今日からいろはさんも来るんでしょ? シャキっとしないと!」

 

 そう、入学式ということは当然新入生が入ってくる。

 つまり、一色も今日から登校という事になるのだ。

 保護者同伴の可能性が高いので、もみじさんや弘法さんもくるのだろう。

 もしかするとおっさんも来るかもしれない。

 そう考えると……行くべきなのか非常に悩むところだ……。

 やはりサボるのが正解ではないだろうか?

 掴まったら面倒くさいことになるのは目に見えてるしなぁ……。

 

「ほらほら。小町も出るからどうせなら一緒に行こうよ。ほら……立って……!」

「あー……」

 

 小町が俺の体を起こそうと、両手を引張ってくる。

 だが、その非力な力では当然俺は持ち上がらない。

 それでもカブは抜けません状態で「んんんー!」と顔を真赤にする小町が少々可愛くもあり、そのまま見ていたかったが。

 諦める様子を見せなかったので、俺は仕方なく「はぁ」とため息を一つ吐いてから立ち上がった。

 

「わわ! 急に立たないでよ!」

「お前が立てっていったんだろ……」

 

 俺が立ち上がると、勢いで小町が後ろに倒れそうになったので俺はソレを支えるように腕に力を込める。

 しかし、小町はそれがお気に召さなかったらしく、不機嫌モードに以降してプリプリと頬を膨らませている、可愛い。

 

「もう! とにかく、ほら! 行くよ! お兄ちゃんのせいで五分も遅れたんだから! 今日はお兄ちゃんの自転車で送ってもらうからね!」

「へいへい……」

 

 俺のせいというか、始めからその予定だったのではないかと思うが。まあいいか。

 どうせ今日は入学式だけで終わりなのだ出席日数だけ稼ぎに行くとしよう……。

 そうして、俺と小町は共に玄関で靴を履き、誰も残っていない家に向かって「いってきまーす」とひと声かけて玄関のノブを捻る。

 

 すると、そこには入学式に相応しい気持ちの良い春の青空が広がっていた。

 

「センパイ、おはようございます♪」

 

 そして、何故か一色が居た。

 

 え? なんで? ここにいんの?

 今日入学式だろ?

 一色の家から総武に行くのに、ウチを経由するとか明らかに遠回りなんだが……?

 だが、そんな疑問を持ちながらポカン顔で見つめる俺と小町を見て。一色はイタズラが成功した子供のような笑みを浮かべていた。 

 

「えへへっびっくりしました? サプライズ大成功です♪」

「え、いや、サプライズって……なんでお前ここにいんの? 今日入学式だろ?」

 

 得意げに語る一色に、俺がなんとか疑問を口にすると、小町も無言でコクコクと首を縦に振っていた。

 どうやら小町もこちら側らしい、良かった。

 また小町に仕組まれてたのかと思ったわ。お兄ちゃん危うく妹疑っちゃう所だったよ。ごめんね。お詫びに今度ふれあい動物園連れて行ってあげるからね。二人で行こうね。

 

「そんなの、センパイに一番に見て貰いたかったからに決まってるじゃないですか」

 

 心の中で一色は連れて行かないぞ。という思いを込めていたのだが。

 なんだかイジらしい事を言われて、俺は思わず何も言うことが出来なくなってしまった。

 くそっ……。なんだこれ。ちょっと可愛いと思ってしまったじゃないか。

 

 だが、そんな俺の心境など知る由もなく、一色は今度は「ほら、どうですか?」とその場でスカートの裾を軽くつまみながらクルリと回転する。

 そう、よく見れば……いや、よく見なくとも一色は総武の制服に身を包んでいるのだ。

 新品の制服に身を包み、白いブラウスからは僅かに光を反射させている。当然鞄も新品だし、もしかしたらローファーや靴下までも下ろし立てなのかもしれない。ピカピカの一年生というのは恐らくこういう事をいうのだろう。

 しかし、一色の変化はそれだけではなかった、ここ数ヶ月の一色は長い前髪をピンで押さえて、半分ほど額を見せる髪型をしていたが、今は目にかからない程度に流され、肩甲骨まであった後ろ髪も、肩の辺りで切りそろえられていた。

 

「どうですか? 受験中は切りに行くタイミングなかったから、思い切って高校生っぽくしようと頑張ってみたんですけど……似合いますか?」

 

 突然のファッションショーに、俺と小町があっけに取られていると。今度はくるくると髪を弄りながら伏し目がちに俺を見上げてくる。なんか、こういうの久しぶりだな。

 うん、あざとい。

 

「あざとい」

「お兄ちゃん!」

 

 俺がそう言うと、小町ドスッと俺の脇腹にエルボーをかましてくるので、僅かに腰をかがめてしまう。恐るべしジャイアント小町……。

 

「凄い似合ってますよ、いろはさん! ね? お兄ちゃん?」

「あ……ああ……いいんじゃないの……?」

 

 俺はなんとか自転車を倒さないように支えにしながら、そう絞り出すと、一色は「えへへ、良かった」とモジモジと身を捩らせる。

 その姿には先程までのあざとさはない。本当に喜んでいるだけに見えて、思わず俺も目を奪われる。

 やばい……本気でちょっと可愛いと思ってしまった……。中学までの俺だったらウッカリ告白して振られていたところだろう。ふぅ高二で良かったぜ。

 

 だが、そうして俺が一色を見つめ、一色が照れたように身を捩らせていると、やがて小町が呆れたように口を開いた。

 

「あのー……いろはさん? 小町の事見えてます……よね?」

「み、見えてるよ、ほらお米にはコレ。進級祝ってことで」

 

 突然小町がそう言って一色に詰め寄ると、一色は慌てて持っていたカバンをゴソゴソといじり始め、やがて手の平ほど小さな紙袋を取り出し、小町に渡した。

 

「わぁ、ありがとうございます! 開けていいですか?」

 

 小町はそう言うと、一色の「どうぞ」という返事も待たず紙袋を開け始める。

 ちょっと小町ちゃん? お行儀が悪いわよ?

 すみませんね、うちの子が……。

 そんな事を思いながら、ようやく俺が立ち上がると、小町がその紙袋の中から更に小さな袋に入ったものを取り出し「わぁ」っと声を上げた。

 

「付けてあげる、ちょっとこっち来て」

 

 何を貰ったのだろう? と俺が小町の手の中を覗くより早く、一色がそう言って小町と俺の間に割って入り、何やら小町の顔のあたりを弄り始めた。

 何か取り付けるタイプのものらしい。一体なんだろう?

 小町の換装用パーツだろうか?

 近接ボクサー型小町から、遠距離ガンナー型小町に変わるのかもしれない。

 やはりガンナータイプの方が色々使い勝手がいいよな。

 等と考えながら、俺は二人の作業を待つ。

 なんか……顔の辺りをいじっているせいか、イチャついてるようにしか見えないな……。

 これが百合という奴なのかもしれない、いろこまてぇてぇ。てぇてぇ代スパチャしなくちゃ(使命感)

「はい、出来た」

「わぁ、ありがとうございます。どうどう? お兄ちゃん、似合う?」

「お? おう?」

 

 やがて、取り付け作業が終わったのか、小町がそう言って。俺に顔を近づけてくる。

 先程のやり取りからすると、小町の顔に何かが付いている……はずなのだが……。

 あれ? なんか変わってるか?

 

「どう?」

「あ……あー……うーん……い、いいんじゃない?」

「……お兄ちゃん? もしかして分かってない?」

「え? センパイ分からないんですか!?」

 

 まずい、ここで分からないといったら明らかに顰蹙を買う流れだ。

 落ち着け比企谷八幡、小町の顔なら毎日見ている、何か変化があればスグに気付けるだろう。

 焦るな、大丈夫、お前なら分かるはずだ!

 俺はそう言い聞かせ、今度はじっくりと小町の顔をチェックした。

 

「……お兄ちゃん……?」

「わ、分かった! うん!? あれだろ? ほら……つけま……? が盛れてる……?」

「つけまって……もう! 全然分かってないじゃん!」

 

 どうやら大外れらしい。

 小町は「もう!」と可愛らしく怒りながら、自分の顔の左こめかみのあたりを指差して来る。

 そして、納得した。

 

「そんなんじゃなくてコレ! ヘアピン! 付けて貰ったの!!」

 

 そう言われてよく見てみると、これまでX型にヘアピンを交差させて付けていたのが、今はさらに一本付け足され、XI型になっていた。

 しかも、よく見たら三本とも小さな桜の花びらがついたヘアピンに変わっているのが分かる。

 どうやら小町10から小町11へバージョンアップしたらしい。

 サイゼの間違い探しかよ……。

 

 っていうかヘアピンってそんな何個も付ける意味あんの? 付けたことないからよく分からん……。

 

「はぁ……もうお兄ちゃん。本当そういう所だよ? すみません、こんな兄で」

「はは、でもその方がセンパイらしいかも。あんまり女の子慣れされても困るしね」

 

 いや、正直その間違い探し分かるやつ女子でも多くないんじゃないか? と思ったのだが。

 口にしたら二人から総攻撃を食らいそうだったので、俺はその言葉を飲み込み、甘んじて受け止める事にした。

 

「でも、本当にありがとうございます。小町の方は何も用意してなくてすみません……折角の入学式なのに。今度改めてお礼しますね!」

「いいよいいよ、私のはついでみたいなものだし……、それにお礼なら……」

 

 「ついで?」と思わず首を傾げると、一瞬一色が楽しげに笑うのが見えた。

 なんだろう、ちょっと怖い。

 

「あっれー? お米ちゃん、もうコンナ時間だよ? 急がないと遅刻しちゃうんじゃなーい?」

 

 だが、俺がそう思った次の瞬間、一色は口元に手を当てて大げさにそう言うと、スマホの時計を見せてきた。急げ、という事なのだろう。

 おかしいな、まだそんな危ない時間ではないと思うのだが……。

 

「え? いえ、小町は中学なので近いから全然余裕なんですよ。むしろお兄ちゃんの方が……」

「うんうん、大丈夫、センパイは私がちゃーんと学校まで送っておくから。気にしないで? ほらほら、いってらっしゃーい、気をつけてねー」

「え? いや小町も途中まで一緒に……」

「気をつけてねー」

 

 しかし、一色は小町の言葉を聞いているのか聞いていないのか……いや、聞こえない振りをする事に決めているらしく。

 表情を崩さず、機械のように手を振っている。

 なんだかちょっと怖い。

 

「……」

「気をつけてねー」

 

 声のトーンも、笑顔も変わっては居ないが、その振り幅は少しづつ大きくなっていく。

 どうやら、さっさと行け。という事らしい。

 一瞬小町と視線を交わすが、俺もどうしたら良いか分からずに小町を見つめ返すと。

 小町はやがて意を決したように、口を開いた。

 

「い……」

「い?」

「いろはさんの色ボケビッチー!」

「誰が色ボケビッチだ!」

 

 捨て台詞のようにそう言い放った小町が「うわーん」と泣き真似をしながら走り去って行き。その場には俺と一色が取り残される。

 全く……。

 ついさっきまでの百合百合しぃ流れはなんだったのか……。いろこまてぇてぇなんてなかったんや……。

 

「……あんまりうちの妹イジメないでくれる?」

「あはは、すみません、今日からセンパイと同じ学校だと思うとちょっとテンションあがっちゃってて、後でちゃんと謝っておきます」

 

 てへっと舌を出してそう言う一色の顔には反省の色は全く見えない。

 全くこいつは何がしたいんだか……。

 まぁ……俺も去年は入学式にテンション上がって一時間も早く学校に向かった身だからな……気持ちは分からなくもない……。

 

「それじゃセンパイ、行きましょ」

 

 仕方がないか、と小さく息を吐く俺に、一色は相変わらずのテンションのままそう言うと、さも当然のように俺の自転車の荷台に座り、サドルをポンポンと叩きはじめた。

 

「え? 乗るの? また怒られない?」

 

 正直一色との二人乗りもう完全にトラウマなのが……。

 しかも今日は入学式だろ? 去年みたいな事になりそうで怖い。

 

「途中までですよ途中まで。怒られそうだったらちゃんと降りますから。ほらほら、本当に遅刻しちゃいます。入学式から遅刻とか洒落にならないんですよー。ママ達も待ってるはずなんで急いで下さい」

 

 だが、一色はそんな事はお構いなしという風にそう言ってまたあざとく両手を前に出し、手首をくっつけるような、オネダリポーズをしてくる。

 だったら態々ウチに来ないでまっすぐ学校に向かったら良かったんじゃないの? と思うのは俺だけだろうか?

 例年入学式では新入生は在校生より遅れて登校するはずだから、ウチに来なければ十分余裕はあるはずだ……。

 だが……今ここでソレを言っても意味がないか……。

 むしろ本当に一色を遅刻させてしまうほうが問題な気がする。

 俺は再び「仕方ない」と心を決め、そのまま自転車に跨ると、一色が俺の腰に手を回してくる。

 アノ時に比べれば時間的余裕があるせいか、一色の腕の細さや、体温が背中に感じられ、自然と心臓の動きも速くなる。

 落ち着け、比企谷八幡。こうして一色と二人乗りをするのも二度目だ……慣れろ……慣れろ……。

 そしてこいつとの二人乗りは、これが最後でありますように。

 そんな事を願いながら、俺はゆっくりとペダルを漕ぎ始める。

 

「ところでセンパイ? 私達四月からも許嫁なんですよね?」

 

 だが、一色はそんな俺の願いを阻止するように背中越しにそんな言葉をかけてきた。

 思わず一瞬ハンドルが揺れるが、なんとか立て直し、俺は少しだけスピードを上げる。

 

「あー……まぁ……そうなんじゃねーの?」

 

 イツまでなのかは分からないが、少なくとも、こいつがその立ち位置の俺を必要だと言ってい

るうちはその役目はまっとうするつもりだ。

 お誂え向きに、葉山と同じクラスになったしな……。

 

「なら、未だに一色呼びっておかしくないですか?」

「……おかしくないだろ、そもそもお前が言い出した事だし……」

 

 あの日、一族全員「一色」なのに、「一色」呼びを希望したのは他でもない一色本人だ。

 正直に言えば、最初の頃は他の一色姓の前で「一色」と呼ぶのにも抵抗もあった。

 それでも、一年も続けていれば嫌でも慣れるというもの。

 むしろ今更変える方が難しいまである。

 

「いや、ほらだってあの時はあの時で……今とは違うわけですし……」

 

 だが、そんな俺の言葉を遮るように、一色が俺の腰に回した手に力をこめてきた。

 その体温と息遣いを感じ、思わず一瞬心臓が跳ねる。

 

「名前で……呼んで欲しいなーって……」

 

 コツンと背中に額が当たる感触。

 一体、今一色はどんな表情をしているのだろう?

 イタズラっぽくニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているのだろうか?

 特に何も考えていないのだろうか?

 それとも……。

 

「駄目……ですか?」

「駄目っていうか……」

 

 しかし、いくら考えても答えは出ない。

 俺の背中に目はないのだ。

 一色の言葉の真意も分からない。

 ただ分かることは……。今、俺の心臓がどんどんと速くなっているという事実だけ。

 

「センパイ……」

「……」

 

 甘えたようにそう呟く一色の声が聞こえ、一瞬俺の体が震える。

 まずい……。駄目だ、流されるな。比企谷八幡!

 

「い……」

「い?」

 

 駄目だ! 戻れ! 引き返せなくなるぞ!

 考え直せ!

 

「いいから急ぐぞ! しっかり掴まってろよ!」

「わわ、ちょっ、センパイ!?」

 

 すんでの所で、思いとどまり、ドキドキと早鐘のように打つ心臓の鼓動がバレないように、俺はスピードを上げた。

 もう警察に見つかるとか、そんな事は頭になかった。

 サドルから僅かに腰を上げ、一色に裾を引っ張られながら立ち漕ぎでペダルを回す。

 うぉぉぉぉ! とにかく今はこの場をごまかさなければ。

 もっと速く、速くペダルを回して、心臓がどんなに速く動いていても不自然じゃないほどに!

 

「もー……センパイの意地悪ぅ……」

 

 やがて俺の息がハァハァと切れ始めると、背中からそんな一色の声が聞こえてくる。

 まだ諦めてはいないようだが……少なくとも催促はなくなったらしい。助かった。

 これで誤摩化せただろう。

 危なかった、危うく引き返せなくなるところだった。

 

「でも、そんなところも──です」

「あ!? ハァ……何!? ハァ……何か言った!?」

 

 俺が少しだけ大きな声でそう聞くと一色は「なんでもありませーん!!」と俺の背中越しに声を張り上げる。

 

 全く、初日からこれでは体が持たない。

 やはり、許嫁の継続なんてするべきじゃなかったと、早くも後悔の念が俺を襲い始める。

 一刻も早く葉山に引き渡すべきかもしれない。

 

「今日からまたよろしくお願いしますねー! セーンパイ♪」

 

 しかし、そんな俺の心境などお構いなしに、一色はひと目も気にせず、大きな声を上げた。

 同時に、周囲を歩いていたスーツ姿の男女やら、子連れの主婦やらが俺達の方へと視線を向ける。

 一気に注目を集めてしまったようだが……ふと、脳裏に疑問が浮かんだ。

 一体周囲の人間には、俺と一色がどういう関係のように見えているのだろう?

 単なる知人? 兄妹? 先輩後輩? 友人? それとも……恋人?

 そのどれもが違うと説明したところで、この中の何人が理解してくれるのだろう?

 そもそも、今どきこんな関係性が存在すると想像することすら難しいかもしれない。

 だが、どういうわけか事実なのだ。

 一年前の今日、入学式に向かっていた俺が、今日の俺達を見たら一体どう思うのだろうな?

  

 ああ、……やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。




これにて【第二章 いろは受験編】を含めた【やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている 第一部】の終了となります
読者の皆様長い間お付き合い頂きありがとうございました
途中で投げ出しそうになりましたがなんとかココまでこれました
コレも一重に皆様の応援のお陰です
本当にありがとうございました

多分今日の活動報告は色々募る思いを書きあげていると思うので
お時間がある方は覗いて頂けると幸いです

それと、第二部に関しては少し時間をおいてから投稿予定なので
少なくとも今月中の投稿は無いものと思って下さい
こちらの詳しい事も今日の活動報告にて

それでは、また第二部でお会いしましょうー!

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よろしくお願いいたします。

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