やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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いつも感想、評価、お気に入り、メッセージ、ここすき、誤字報告、ありがとうございます

今回少し時間が空いてしまいましたが
先週は番外編も上げたので実質いつも通りということで……。


第72話 クッキー

 その週の月曜はとても春らしい晴れの日で、特にコレと言った変哲もない、いつも通りの朝から始まった。

 いつも通りベッドから起き上がり、いつも通りの朝食を食べ、いつも通り家を出る。

 恐らくこの先一週間も、特に変化の無いいつも通りの日常が繰り返されるのだろうという予感さえ感じさせるような。そんなまさに普通オブ普通の朝の通学路で、俺は一人自転車を走らせる。

 

 そういえば、あの日もこんな天気の良い日だったな。

 春らしい暖かな風を感じながら、周囲を見回すと、そこは奇しくも俺が、事故にあったあの場所だった。

 別に誰か死んだわけでもないので、花が添えられているなんていうコトもないし、言われなければ事故があったなんて事すら分からない何の変哲もない道路。

 こうしている今も交通量こそ多くはないが、何台かの車が特に変わった様子もなく通り過ぎていく。

 だがあの日、この反対側の歩道から小型犬が飛び出してきたのだ。

 そして俺はその犬を助けるために道路に飛び出した……。

 思い出すだけでも肝が冷える光景だ。

 そういえば、あの犬は無事だったんだっけか?

 確か小町が『飼い主が礼に来た』とか言ってたのは覚えているんだが、直接は会ってないんだよな……。

 まあ無事ならそれでいいんだけど。

 もう一年も経つのだし今後は飛び出したりしないようにちゃんと躾けをしておいてくれればと思う。

 流石にもう一度同じことをやれと言われても出来る気がしないからな……。

 

 しかし、俺の日常が崩れたのもコレが原因なので恨み言の一つぐらいは言わせてもらいたいという思いはあった。

 あの事故がなければ俺はおっさんと出会うことも一色と出会うこともなかったのだからな。

 あれからもう一年、いや、まだ一年か。

 どうにもあの一家は距離感がおかしいので、なんだかもう随分昔からの付き合いのような錯覚を起こしてしまう。

 

 これからあと何年俺はあの一家と関わりを持ち続けていくのだろうか?

 一年か、二年か、それとももっと短いのか?

 だが、ココ数日はなんとなく、もうすぐこの関係にもようやく変化が訪れるのではないか? という予感がしていた。

 というのも、先週珍しく……というか、一色が高校に入って初めて『今日は用事があるので先に帰っていて下さい』という連絡が来たのだ。

 

 こうやって言葉にすると頭の悪い勘違い野郎みたいですごく嫌なのだが……。

 

 現状、俺のバイトは平日のみの週三日。うち一日は事情があってバイト代が発生しないレクリエーションのようなものなのだが……まぁ、それは今は置いておこう。

 先週、一色が部活を始めたといった日の昼休み、一色から『バイトが無い日は一緒に帰りましょう』という申し出を受けたと思ったのだが。早々にその約束が反故にされたのだ。

 いや、別にその事自体に思うところはない、ないったらない。

 そういう日もあるだろう。

 しかし、よくよく話を聞いてみると『部活で忙しくなったので、しばらく一緒には帰れない』と言われた。

 

 どうやらアイツにも友達ができたらしい。

 まあ、うん……良いことなんじゃないの? 知らんけど。

 俺、もう一年以上この学校に通ってるけど友達できたことないからさ。

 一色さんは総武通って一ヶ月ぐらいでしたっけ?

 あれ? おかしいな? 目から汗が。

 そっかぁ……いつかこういう時が来るとは思っていたけど、意外と早かったなぁ。

 

 総武高に近づくに連れ「おはよう」「おはよー」と声を掛け合いながら合流していく女子生徒の姿が今日はやけに眩しく見える。

 べ、別に寂しくなんてないんだからね!

 

 あいつに友達ができたからって俺に何かあるわけじゃないし……。

 

 そう思いながら、俺は駐輪場に自転車を止め、鞄を肩に引っ掛け校舎へと入っていく。

 そう、一色に友達が出来たからってなんだというのだ。

 

 そうして俺は駐輪場のいつものスペースに自分の自転車を止め、カゴから鞄を肩に引っ掛け校舎へと向かった。

 結局のところ、これもいつもの光景だ。

 もともと俺はずっとボッチだった、一年前……いや、それよりも前からずっと。

 だから、特別なことなんてない。

 俺はいつも通り下駄箱の蓋を開け、上靴を取り出そうと手をのばす。

 だが、その瞬間いつもと違うコトが起こった。

 普段なら絶対に感じることのない上靴とは違う“何か”が俺の指先に触れたのだ。

 

「なんだ?」

 

 思わず口に出してしまったものの、なんとなく予想はついていた。

 何者かの手によるイタズラ。

 実際、下駄箱にイタズラをされるというのは過去何度か経験している。

 上靴を隠されたり、画鋲を入れられたり、最悪なパターンでは墨汁まみれにされたりもしたもんだ。

 だから今回もきっとその手のイタズラだろう。

 

 問題は誰が何のためにこんな事を? ということだろうか。

 正直こういう事をしそうな奴に心当たりがない。

 というか、まさか高校生にもなってこんなイタズラをするやつが要るとは驚きだ。

 俺に恨みを持っていそうな奴っているんだろうか……?

 まぁ、兎に角一度中をしっかり確認しなければ。

 どういったタイプのイタズラかで、犯人像も絞り込めるかもしれないしな……。

 そんな事を考えながら、俺は恐る恐る下駄箱の中を覗き見る。

 

 しかし、そこにはイタズラの形跡のようなものは一切なかった。画鋲も、墨汁の影もなし。上靴が隠されているわけでもない。

 あったのは上靴の踵部分に貼られた一枚の折り紙で折ったかのような小さく白い封筒。

 どうやら指先に触れたのは、この封筒だったらしい。

 俺はその封筒を開き、中を見てみる。

 一瞬カミソリでも入っているのでは? とも警戒していたのだが。

 なんてことはない、中には小さな紙が入っているだけ。

 そしてその紙には少し頭の悪そうな丸っこい文字で一言。

 

『放課後、特別棟の屋上で待ってます』

 

 そう書かれていたのだった。

 ふむ……なるほど、こういうタイプのイタズラか。

 

 考え方に寄っては画鋲なんかよりよっぽどタチが悪いモノだ。

 というのも、これはつまりあれだ。

 『モテナイ系男子にラブレター紛いの呼び出しをして、意気揚々と現場に向かった男子を笑い者にするというタイプのドッキリ』。

 去年までの俺なら『もしかしたらワンチャン』と期待に胸を膨らませていたかもしれない。

 そしてカラスが鳴く頃まで一人呆然と待ちぼうけを食らわされ、その様子を撮った動画をアップされてしまうのだろう。

 ヒェッ。なんて恐ろしいドッキリだ。人権も何もあったものではない。

 

 まぁ、行くわけないんだけどな……。

 恐らくは愉快犯の仕業なのだろうが、ドッキリにしても流石に舐めすぎではないだろうか?

 そもそもこの学校の屋上は立入禁止なのだ。

 というか、昨今の大抵の学校の屋上は立入禁止である。

 事故や、それこそ飛び降りなんてことがあったら学校側の責任にもなるからな。

 

 そんな立入禁止のはずの屋上に来いとはまた頭の悪い首謀者がいたものだ。

 いや、だからこそ、何も考えずのこのこと屋上に行こうとした非モテ男子を影であざ笑うにはうってつけという事なのかもしれない。

 だが、お生憎様、比企谷八幡はこんな幼稚なイタズラに引っかかるほど愚かではないのである。

  

 俺はその封筒をグシャリと握りつぶしポケットにしまうと、上靴に履き替えそのまま教室へと向かったのだった。

 

***

 

 その日の昼食は久しぶりにベストプレイスで一人で食べることになった。

 というのもつい先程一色から。

 

【すみません、センパイ。今日のお昼は奉仕部の作戦会議があるのでご一緒できそうにありません。代わりに私の写真送っておきますね】

 

 というメッセージが入ったからだ。

 友達が出来たので俺のことはもう用済みということなのだろう。

 現在、スマホの画面にはそのメッセージと供に送られてきた口元に指を置き、ウィンクをする斜め上からのアングルの一色いろは自撮り写真が映し出されている。

 これはこれでSRぐらいの価値はあるだろうが、一体これが何の代わりになるというのだろう?

 まあ、とりあえず保存保存……。

 

 そうして一色とのLIKEを数ラリーこなしながら俺は一人、メロンパンを齧っていく。

 だが、実質一色と会話をしていると言っても差し支えない状況なのに、なんだか妙に物足りなく感じるのは何故だろう?

 この胸に広がる寂寥感は一体なんだ?

 まるで何か大事な何かがなくなってしまったかの……まるであるべきものが無くなってしまったかのようなこの感じ。

 ああ、そうか……分かった。

 この寂寥感はきっと……

 

 メロンパンの上のクッキー部分が失くなってしまっているせいだ。

 いや、だって袋が異様に固くて、力任せに引っ張ったら勢い余ってそのまま床にべチャリと落ちてしまったんだもの。

 洗うわけにもいかないし、捨てるのももったいない。

 仕方がないので地面に接地してしまった部分を削ぎ落として食べているのだが……。

 残ったのは上半分のクッキー生地を失ったメロンパンの下半分のみ。

 一体これのどこにメロン要素があるというのだろう? これではタダのパンだ。

 ああ、何か塗るものが欲しい、ジャム……いや、ピーナッツバターが欲しい。やっぱ千葉っていったら落花生だよね。

 

【そういえば、センパイって屋上行ったことありますか?】

 

 そんな事を考えながらもっさりとしたメロンパンもどきを食べていると。

 再び一色からメッセージが入った。

 屋上?

 なんだ? もしかしてコイツ朝の封筒のコト何か知ってるのか?

 そう思い、俺はポケットからグシャグシャになった封筒を取り出す。

 朝、上靴に張り付いていたあの封筒だ。

 さっさと捨ててしまっても良かったのだが、なんとなくタイミングを逃し、ずっとポケットに入ったままになっていたその封筒を、片手で軽く広げ、中の紙を取り出す。

 そこには変わらない『放課後、特別棟の屋上で待ってます』という文字。

 

 しかし、それが一色の字ではないのは一目瞭然だった。

 というのも、俺は一応一色の家庭教師やってたからな、一色の文字だったらそれなりに判別はつくのである。

 

【屋上は立入禁止だ】

 

 だから、このタイミングで一色が屋上の話題を出すのもきっと何かの偶然だろう。

 そう思い、俺は冷静にメッセージを返していく。

 

【それが、中央階段からの屋上の鍵壊れてて入れるんですよ! 明日のお昼にでもどうですか?】

 

 なん……だと……?

 それは俺の知らない衝撃情報だ。

 ということは、やはりこの封筒の差出人は一色か?

 いや、それなら『明日の昼にでも』というのは不自然だ。

 

 というより何故俺が知らない総武高のヒミツを一色が知っているのだろう?

 あの子本当に一年生なの?

 俺より先に友達が出来たことといい、屋上のコトと言い、もしかして俺よりこの学校通ってたりしない?

 まあとりあえず返信はしておこう。

 先手を打たれると厄介だからな。

 

【面倒くさい】

 

 一度ぐらい行ってみるのは有りかなとは思うが、昼休みにわざわざ屋上まで登るのは面倒だ。

 購買を経由するとなると一階から上り直さないといけない。

 貴重な昼休みに無駄な体力を使う意味もないだろう。

 それより問題なのは、この封筒だ。

 もういっそ一色に直接聞いてみるか?

 それはそれでなんだか少し面倒な事になりそうな予感もするが……。

 

【えー! たまには屋上で食べるお昼ご飯っていうのもいいものですよ?】

【まぁ……考えとく】

【あ、センパイって今日バイトですよね?】

 

 だがタイミング悪く、そこで屋上の話題は途切れてしまった。

 残念ながらフリック入力の速度は一色のほうが数倍上なのである。

 俺は仕方なく入力途中だったメッセージを消し、簡潔に一色の質問に答える。 

 

【ああ、だから今日は先帰るぞ】

【り】

 

 り? ってなんだ……。

 ああ、了解か。

 打つのが面倒になったんだな。

 まあ俺も一々文字打って封筒のこと説明するのも面倒だし、明日話せばいいか……。

 

 でもそうか……屋上……行けるのか……。

 

***

 

**

 

*

 

 そんな風に一人ぼっちの昼休みを終え、さらに午後の授業を終えた放課後、俺は少しだけソワソワとしながら、そそくさと教室を出て人目につかないよう早足で目的地──特別棟の屋上へと向かっていた。

 

 いや、イタズラだとは思うよ? 思うけどほら……一応ね?

 折角一色から屋上に行けるって教えてもらったわけだし?

 もともと今日はバイトがあるので、そんなに時間も掛けていられない、本当にちらっと確認に行くだけだから。

 ほんのちょっと、ちょっとだけだからと、一体誰に言い訳をしているのかすら分からず、俺はすれ違う生徒たちから隠れるように目的地を目指した。

 

「中央階段の屋上の入り口……ここか」

 

 教えられたとおり、中央階段からの屋上への扉の前に来ると、そこには分かりやすく『立入禁止』の張り紙が貼られていた。

 やはり一色の話しはガセネタだったのだろうか?

 だが……。

 俺はすぅっと一度深呼吸をしてから、そのドアノブに触れてみる。

 回った……本当に開いている……。

 どうやら、一色の話はガセネタではなかったらしい。

 

 周囲に人影もない、リザードもリザードンもいない。

 イタズラではないのか?

 いや、まだそうと決めるのは早いか。

 

 俺は少しだけ緊張しながらキィッと音のなる少し重い扉を押し開き、初めて屋上へと足を踏み入れた。

 思っていたよりも広い。

 これが屋上から見える景色というやつか。

 なるほど、コレはなかなか壮観だ。

 思わず『人がゴミのようだ』と笑いたくなる。

 

「ヒ、ヒッキー!」

 

 だがそうしてム○カごっこをしようと思った瞬間、突然意味のわからない声が聞こえ、俺は思わずその声がした方へと振り返った。

 逆光でよく見えないがシルエットからするに女生徒のようだ。

 っていうか、ヒッキーってなんだ?

 

「あの……急に、呼び出しちゃってゴメンね」

 

 徐々に目が慣れ、少女の顔がはっきりと見えて来ると、その少女に少しだけ見覚えがあることに気がついた。

 派手なピンクがかった茶髪とお団子頭、間違いない。葉山の取り巻き連中のうちの一人だ。

 名前は……あれ? 俺こいつの名前知らないな。

 金髪縦ロールの腰巾着みたいなモブっぽい子だ。

 名前は知らない、多分エンディングでも『女生徒C』とかで表記されて売れてない新人声優さんが声当ててそうな感じの子。

 まぁ、俺の場合クラスで名前知ってる奴の方が少ないんだけどな。

 葉山と……葉山と……葉山? ああ、あと川なんとかさんぐらいだ。

 しかし、こいつが俺を呼び出した犯人か?

 ということは……葉山も近くにいる?

 

「私の事……多分覚えてないよね? あの時私まだ髪染めてなかったし……ってヒッキー? どしたの?」

 

 俺がキョロキョロと首を動かし誰か隠れていないか確認していると、その女生徒Cが不思議そうに首を傾げてくる。

 だが周囲を警戒されても女生徒Cの方には特に焦った様子は見られない。

 誰かが隠れて様子を見ているとか、録画しているとかいうタイプのドッキリではないのか?

 改めて女生徒Cの方を見ても、特に疚しい事を考えているという様子もなかった。

 俺の思い過ごしか……?

 

「あ、いや、他に誰かいないかなと思ってな……」

「え? 多分居ないと思うけど……? もしかしてヒッキー他にも誰かと約束してた?」

「いや、そういうんじゃないんだけどな……」

 

 その言葉と、先程の「呼び出しちゃってゴメン」という言葉から考えるにコイツの単独犯なのだろう。

 少なくとも録画役の人員が潜んでいるという事はなさそうだ。

 では、一体何故呼び出されたのだろう?

 俺、コイツに何かしただろうか?

 全く心当たりがない。

 まさか……告白……?

 いや、それこそ無いだろう。

 落ち着け、比企谷八幡。ろくに話したことのない女子がポンポン告白してくる程現実は甘くないのだ。

 中学の頃と同じ轍を踏むんじゃない。

 

 となると……もしかして教室で葉山と何回か話したから何か勘違いされたとかだろうか?

 葉山と仲良さそうに見えたから、もしそうなら間を取り持ってくれとかそういうタイプの頼み事。

 だとしたら心底面倒くさい。全力でお断りしなければ。

 

「……ッキー? ねぇヒッキーってば!!」

「お、おう?」

 

 どうやら少し考えすぎていたようで、ふと顔を上げると、女生徒Cは一歩二歩と距離を縮め俺の顔を覗き込んでいた。

 どうやら先程から出てくる謎の単語『ヒッキー』というのは俺のことらしい。

 比企谷、だからヒッキーなんだろうが……。

 なんつーか安直でありつつも小馬鹿にされているようにも聞こえる絶妙なラインだ。

 『ヒキコモリ』的なニュアンスも含まれてそうでちょっと抵抗感が有る。

 

 そんな俺の抗議の視線などにも気付く様子もなく、女生徒Cは次に何かを決心したかのように深呼吸を始めると、ペコっと頭を下げ、後ろ手に持っていた何かを俺の方へと差し出してきた。

 

「入学式の日、うちのサブレを助けてくれてありがとう! 今更だけどこれ感謝の印というか、お礼参りというか……その……受け取って下さい!」

 

 そう言う少女の手には顔の大きさほどの少し大きなラッピングバッグ。

 入学式の日……? サブレ? 感謝の印?

 その言葉のどれもが自分の中で上手く繋がらない。

 受け取った方がいいんだろうか?

 でも本当に受け取って大丈夫? 殴られない?

 

「えっと……」

 

 どうしたものか分からず、俺がその謎のラッピングバッグを見つめていると、女生徒Cがこちらをジッと不安げな瞳で見つめてくる。 

 いや、本当にどうしたものか……。

 俺にはコレを受け取る理由がない。

 知らない人から物を貰っちゃいけませんって母ちゃんにも言われてるしなぁ……。

 

「が、頑張って作ったんだよ!」

 

 いつまで経っても受け取ろうとしない俺と受け取らせたい女生徒Cの攻防は続く。

 よくよく見てみれば彼女の指には無数の絆創膏も貼られていた一、二、三……って全部の指についてるじゃないか。

 一体何を作ったというのだ。

 ん? そういえばさっきサブレがどうとか言ってたな……。

 

「サブレって……クッキーみたいなやつ?」

「あ、うん。そう、あ、ううん。そうじゃないんだけどコレはクッキー。最初はね、その、すごく失敗しちゃったんだけど、友達にいっぱい教えてもらって、頑張って作ったからちゃんと食べられる……と思う!」

「なんで最後ちょっと自信なくしちゃってるんだよ……」

 

 なんだか少しだけ話が噛み合っていない気がしたが、女生徒Cはココに来て初めて笑顔を覗かせた。

 ふむ……つまり中身は手作りクッキーか。

 クッキーで全指を損傷したのか。

 逆に凄いな。

 

「い、いいから! ほら!」

 

 いつまで経っても受け取らない俺にとうとう痺れを切らしたのか、女生徒Cは俺にラッピングバッグを押し付けるようにして渡すと、そのまま距離をとった。

 どうやら、返品不可というコトらしい。

 

「まぁ、くれるって言うなら……サンキュ」

 

 これが何のお礼なのかは結局分からず終いだが、ここまで言われては受け取らざるを得まい。

 きっと俺は何処かでお礼参りをされるようなことをしたのだろう。

 『へへへ……よくも俺をコケにしてくれたな、これはアノ時のお礼だぜ』みたいな意味じゃないといいんだけど。

 

「……」

「……」

 

 しかし、そこで俺達の会話は途切れてしまった。

 正直気まずい。

 もう帰っていいのだろうか?

 だが、どうにも「もう用事終わったから帰っていいですよ」という感じではないし、チラチラとこちらを見ながら、何かを待っているようにも見える。

 何か言いたいことがあるならハッキリして欲しい。

 いや、それを言うなら俺もか……。

 このままこうしていても埒が明かない。

 そう思った俺は意を決して口を開く事にした。

 

「あー……えっと、すまん。誰かと勘違いしてたりしないか?」

「勘違い?」

「いや、ほら俺に似てる誰かと間違えているとか……」

 

 俺に似ている人間というのが、この学校にどれほど要るのか皆目検討がつかないが……。

 正直それが一番可能性としては高いと思ったのは事実だ。

 そもそも俺がこの女生徒Cを見かけたのは二年になってからだし。

 それ以前に接点があったとも思えない、少なくともこんな派手な髪色をした奴と話したコトがあれば忘れないだろう。

 あれ? でもさっき染めたとか何とか言ってたような……?

 

「間違ってないよ、サブレを助けてくれたヒッキーでしょ? 去年お家にも行ったし」

 

 家にも来た?

 え? やだ何この子、ストーカーなの? 怖い!

 っていやいや、待て待て、そうじゃないだろう。

 よく考えろ『サブレを助けた』ってどういうコトだ?

 サブレと言えば鳩サブレ。千葉のお菓子千葉サブレは落花生入り。だが俺はそんなモノを助けた覚えはない。

 『私、先日助けていただいたサブレです』とかどんな恩返しだよ。

 何なの? 人の姿に化けたサブレが身を削ってタルト生地でも作ってくれるの? 怖いし食べにくいわ。

 俺が助けたといえば……ああ、なるほど。

 

「つまりなんだ? そのサブレっていうのがアノ時の犬の名前とか?」

「うん! ってそれも分かってなかったんだ!?」

「いや、今までの説明で全部理解しろっていうほうがおかしいだろ。俺、お前の名前も知らないんだぞ」

「は……はぁ!?」

 

 寧ろこれだけの情報で全てを理解した俺を褒めてほしいぐらいなのだが、女生徒Cはこれまでに無いほどの驚きと怒りの表情を浮かべ、信じられないとでも言いたげに俺に詰め寄ってきた。

 

「私ヒッキーと同じクラスだよ!? クラスメイトの名前も覚えてないの!? しんっじらんない!」

「い、いや、まぁクラスメイトって言われても、俺ほぼ接点ないし……話したこともないだろ」

「……そっか、言われてみればヒッキーって教室でいつも一人だもんね」

 

 俺がそう言うと、女生徒Cは顎に指を当てて、そういえばと納得の表情を浮かべ、哀れみの目で俺を見て来る。

 どうやら俺は、傍から見てもボッチだったようだ。

 失敬な。

 クラスでもたまに話してるだろ、平塚先生とかエアー友達のトモちゃんとか……。

 

「そ、それじゃあ……丁度いい機会だし、その……改めまして」

 

 そんな事を考えていると、女生徒Cはコホンと軽く咳払いをし、神妙な面持ちで俺に向き直り

 

「由比ヶ浜結衣です」

 

 そう自己紹介をして、軽く笑った。

 少しだけビッチっぽいなとも思ったのは内緒だ。

 しかし、相手が名乗った以上、こちらも名乗らなければ失礼というもの。

 俺は由比ヶ浜と名乗る少女に合わせ、少しだけ姿勢を正して自己紹介をする。

 

「ひ、比企谷八幡です」

「それは知ってる……」

 

 あ、そうですか。

 まあ、家にまで来たんだもんな……。

 ココまで来て名前も知らないという方が不自然か。

 しかし、一方的に知られているというのはなんとなく居心地が悪い。

 やはりストーカーの線は残しておいたほう良いだろうか……。

 

「そ、それでねヒッキー、お互い自己紹介もしたしいい機会だから……よかったら……私と……」

 

 そんな事を考えていると由比ヶ浜がモジモジとバンソーコーだらけの指を弄びながら、チラチラとこちらを見て来ていることに気がついた。

 なんだ? 本当にまだ何かあるのか?

 

「私と……つ……と、友達になってくれないかな!!」

「……友達?」

「そ、そう、うん、まずは! まずは友達ってことで!」

 

 友達……?

 英語で言うところのフレンド。

 スペイン語で言うところのアミーゴ。

 ロシア語で言うところのドルークに?

 俺とこの由比ヶ浜がなる? ということか?

 つまりあれか?

 ……とうとう俺に友達が出来る……のか?

 俺、友達なんて出来たことないから今まで知らなかったが……。

 そうか、友達ってこうやって作るのか。そうだよな、やはり関係性の提示というのは大事だよな。

 

「……駄目?」

 

 俺が返事をしないままでいると、由比ヶ浜が不安げにこちらを見てくる。

 だが、俺はこの問にどう答えていいものか悩んでいた。

 というのも、正直なことを言うと、俺はこの申し出は断るべきだと思っているからだ。

 俺は別にコイツに特別恩を着せようと思って助けたわけじゃないし。

 仮にそうだとしても、その見返りが『友達』というのは少々代償としてはでかすぎるんじゃないかと思ている。

 

 そもそも既に礼は貰っているのだ。去年と今日の二回も。

 だから、このままだとなんというか……そう、バランスが悪い。

 どう考えても等価交換の法則に反しているし、施しを受けるのは俺の主義にも反する。

 やはり、断るべきだろう……。

 

「……」

 

 だが、その思いは上手く言葉になってくれなかった。

 断るのは簡単なはずだ。

 今更友達が欲しいなんて思ってもいない。

 これまでだってずっとそうだった……そう思っていた。

 

 でも……こんな風に面と向かって「友達になってほしい」なんて言われたのは初めてじゃないのか?

 俺にもそろそろ、そんな相手が居てもいいんじゃないだろうか? そんな考えが一瞬頭をよぎってしまったのだ。

 それは、その時の俺にとっては抗いがたい誘惑でもあった。

 

 タイミングが良いことに、あの一色にも友達が出来たらしい。

 これから先、今日のように俺より友達を優先する日も増えるのだろう。

 なら、アイツと対等になるためにも……。

 

「……ヒッキー?」

「……いや、まあ……別にそれは……構わないけど……」

 

 俺は……次の瞬間にはその誘惑に屈してしまっていた。

 な、なに、友達なんてそんな大層なもんじゃないさ。

 少なくとも、突然“許嫁”が出来ることに比べればよく有る一般的な事なのだろう。

 だから、何も問題はない。

 そう自分を納得させながら、緊張していることがバレないよう平静を装い、改めて由比ヶ浜と対峙する。

 

「本当!? やった」

「お、おう」

 

 そんな俺とは裏腹に、由比ヶ浜は嬉しそうにその場で軽く跳ね。満面の笑みを浮かべていた。

 とりあえず、これで俺と由比ヶ浜の友達契約は成立したらしい。

 これで、俺と由比ヶ浜は友達……なのか?

 なんだろう、もっとこう友達になると特別な何かが起こるのかと思ったが……意外とあっさりしてるものだな……。

 

「じゃあ、じゃあ今度一緒に遊ぼうね」

 

 俺たちがしたのはただの口約束で、何かが変わったわけでもない。

 それでも、由比ヶ浜は尚も興奮気味に俺に詰め寄ってくる。

 一体何に興奮しているのか? 初めての友達として、これから俺はコイツとどう接して何をしたらいいのか? 正直何一つ分からない……あれ? もしかして俺早まった?

 

「あ、あぁ、バイトない日だったらな……」

「あ、ヒッキーバイトしてるんだ?」

「ああ……ってやばい、もう行かないと」

 

 しかし、そんな誘いの言葉を軽く受け流しながら、時計を確認するとかなり良い時間になっていることに気がついた。

 チラッと屋上の様子を確認するだけだったのに、思った以上に時間を取られてしまったようだ。

 さすがにそろそろ出ないとヤバイ。

 

「ご、ごめんね! ヒッキーの予定も確認せずに来てもらっちゃって」

「ああいや……まあ、俺が勝手に来ただけだから。んじゃ悪い俺行くわ」

 

 まさか、この場で『あの封筒はイタズラだと思っていた』なんて言えるはずもなく、俺は逃げるように屋上の扉を開き、校舎へと戻ろうとする。

 その様子を見て、由比ヶ浜はまるで自分のことのように焦り、俺の背中を押してくれた。

 

「うん、じゃあ、バイト頑張って! その……明日からよろしくね、友達として」

「おう、友達として……な」

 

 拝啓小町ちゃんへ。

 今日、お兄ちゃんに人生初の友達ができました。

 ……え? マジで?

 

 

 

*

 

 

 

 それから、俺はバイトへ向かうため屋上を後にする。

 どうせだし由比ヶ浜も昇降口まで一緒に来るかと思ったが、由比ヶ浜は由比ヶ浜でこの後寄る場所があるらしく、屋上で別れた。

 

 何か部活でもやっているのだろうか?

 まあ、それは良いか。俺には関係のない話だ。

 しかし、まさかアノ時の飼い主が同じ学校の、しかも同じクラスの奴だとは思わなかった。

 しかも今はそいつと友達……。

 事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。

 

 そんな事を考えながら、俺は渡されたラッピングバッグを改めて見る。

 正直嵩張るので鞄にしまうのが一番ベストな気がするのだが。

 中身がクッキーということなので割れてしまう可能性が高い。

 少し行儀は悪いが、小腹も空いているしバイト行く前に食べてみるか。

 

 そう考え、俺は歩きながらそのラッピングを解いていく。

 中から出てきたのは顔よりは少し小さいぐらいのサイズの歪な形のクッキー。

 一体コレは何の形を現しているのか。

 ハートに見えないこともないが、真ん中に盛大にヒビが入っているので違うと思いたいところだ。

 

 匂いは……問題ないな。

 クッキーにしては少し茶色い気もするが、チョコレートクッキーという可能性もまだ残されている。

 でもなぁ……あのバンソーコーの数から考えるにそこまでクッキー作りが得意だとは思えなかったんだよなぁ……。

 とはいえ、折角の手作り、その気持を無下にするわけにもいかない。

 ええい、ままよ!

 

「は……?」

 

 そうして口に入れたクッキーは多少の焦げ臭さこそあったが、見た目ほどインパクトのある味はしなかった。

 砂糖と塩を間違えている、なんていうベタな間違いも起こしていないし、卵の殻が入っているとか、隠し味という名の異物が入っている訳でもない。

 それは確かに手作りクッキーそのもの。

 だが、俺が思わず声を出してしまうほど驚いたのは……そのクッキーが一色の家で食べた、あの蜂蜜入りのクッキーと同じ味がしたからだった。




やっとここ書けたー!
正直これがやりたかったから一年生編で八幡にクッキー食わせました。
クッキー繋がりで展開予測されるかなぁとハラハラしてたのは内緒。

さて、ようやくガハマさんが八幡と接触し、三人がここからどうなるのかという所ですが。
来週は古戦場が控えているので更新はどう考えても無理です。申し訳ありません。
とりあえず騎空士の皆様はまた一週間古戦場頑張りましょう。

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