やはり一色いろはが俺の許嫁なのはまちがっている。   作:白大河

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いつも感想、評価、お気に入り、メッセージ、誤字脱字報告他沢山のリアクションありがとうございます。

えー……っと、ちょっとトラブルが置きましたが今週も無事土曜日に投稿できました(錯乱)
土曜日、うん。土曜日です。


第82話 上手に焼けました

「それではここからの話はオフレコということでいいかしら?」

 

 センパイ達が部室から出て行き、扉が閉まった事を確認すると、雪乃先輩は一呼吸置いてからそう切り出した。

 元々三人だけしか居なかった時も持て余していた部室だが、隣りにいたセンパイがいなくなっただけでやけに広く感じ、急に心細くなる。

 でも、ここで逃げる訳にはいかない、私は改めて自分に気合を入れ雪乃先輩と結衣先輩に対峙した。

 

「オフレコ?」

「……ここで聞いた話は口外しないように、という意味よ」

「い、意味ぐらい知ってるよ! なんでヒッキー達がいなくなってからなんだろうって思っただけ!」

「彼ら……いえ、彼がいると話が進まなそうだったから」

 

 結衣先輩とのやり取りを終えた雪乃先輩がちらりと私の方へ視線を向けてくる。

 恐らく、先程センパイに文字通り“口止め”された一件の事を言っているのだろう。

 正直に言うと、さっきのセンパイの行動には私も少し怒っていた。

 私としては、まさかこんなに身近にライバルがいると思ってもいなかったので、もはや周知してもらった方が有り難いまである。

 それなのにセンパイときたら、あんないきなり襲いかかってくるような真似して……。

 こういう時ぐらい、融通を利かせてくれてもいいのに。

 まぁ、それはそれとしてセンパイに肩を抱かれた瞬間、ドキっとしてしまったのは内緒だ。本当に心臓に悪いからああいうのは二人きりのときにして欲しい。

 センパイ、結構力強いんだなぁ……。

 

「さて、それでは一色さん」

「は、はい!」

 

 そうして話題とは関係ない方向に飛んでしまった私の思考を引き戻すように、雪乃先輩がコホンと咳払いをしてから私の名を呼んだ。

 おっと、いけないいけない。しっかりしなきゃ。

 勝負はここからだしね。

 とはいえ、雪乃先輩の言いたいコトは分かっている。

 センパイを追い出したこのタイミングなら、先程私が言えなかった言葉の確認をするつもりなのだろう。

 まあ、センパイには悪いけれど、私にとって“許嫁”を公言することは最早それほどハードルの高いことではなくなっている。

 もしかしたら後で怒られてしまうかもしれないけれど、それはそれ。

 もう一度関係性を聞かれたら私としては正直に答えるまでだ。

 その方が牽制にもなる……。

 

「これは答えたくなければ答えなくても良いのだけれど、一色さんは彼──比企谷君に好意を寄せているという認識で間違いないのかしら?」

 

 しかし、そうして答えの準備をしていた私の予想を裏切り、雪乃先輩の口から出てきたのはそんな言葉だった。

 もしかして、私のコトをからかっているのだろうか? とも思ったのだが、どうにもそういう雰囲気ではなさそうだ。というか、雪乃先輩がそういう風に誰かを茶化すとも思えなかった。

 雪乃先輩の真意はわからないけれど、真面目に聞いているということは間違いないらしい。

 だから私は姿勢を正し、その瞳をまっすぐに見つめ返して素直にこう答える。

 

「はい、そうです。私はセンパイのことが好きです。何かいけませんか?」

「わわっ……普通に言っちゃうんだ……!」

 

 その答えに反応したのは雪乃先輩ではなく結衣先輩だった。結衣先輩は何故か赤くなった自分の両頬を押さえ恥ずかしそうに座ったままキャーキャーと高い悲鳴を上げると、興奮したようにその身を震わせていた。まさか、素直に答えるとは思っていなかったのだろうか?

 しかし、質問をした当の雪乃先輩は「そう」と、事務的に答えるだけで特に気にした様子もなく私を見てくる。

 

「何もいけなくはないわ、あくまで確認よ。では、それを踏まえた上で聞かせて欲しいのだけれど。アナタはここから一体どうしたいのかしら?」

「どうしたい……?」

 

 そう言われた瞬間、私は思わずキョトンとクビを傾げた。

 質問の意図が分からなかったからだ、一体雪乃先輩は私に何を聞いているのだろう?

 そりゃ……センパイの事が好きなんだから、その後どうしたいかと言われたら正式にちゃんとお付き合いをして、デートして……それからそれから……。 

 

「ええ、要するに今回の件はアナタの醜い嫉妬が原因なのでしょう? 正直馬鹿らしくてこれ以上関わりたくもないのだけれど……。一応私一度受けた依頼は投げ出さないことにしているのよ。そのためにも、アナタが今どうしたら納得するのか。そこを明確にさせてほしいの」

 

 そうして妄想を膨らませていると、そんな私の頭の中を見透かしたかのようにため息を吐きながら雪乃先輩がそう続けた。

 ご丁寧にいつもの頭が痛いですというポーズも忘れていない。

 危ない危ない、余計なこと言うところだった……。

 “醜い嫉妬”とはまた酷い言い草だが、もし見当違いな回答をしていたらそれこそ馬鹿にされていただろう。

 だから私はそんな内心を悟られないように、雪乃先輩に言われた言葉の意味を考え始めた。さて、私は一体どうしたいのだろう?

 

「形だけでも由比ヶ浜さんが謝罪すればそれで満足するのかしら?」

「別に……今更謝って貰ったって……」

 

 うん、幼稚園児じゃあるまいし、謝ったからハイ終わり。という訳にはいかないだろう。多分、それじゃ私の気持ちが収まらない。

 私自身それは分かっている。

 

「なら、由比ヶ浜さんに比企谷くんへの接近禁止でも求めるつもり?」

「それは、まぁ……でも、そこまでは……」

 

 接近禁止については考えていなかったと嘘になる。

 「センパイにもう近づかないで下さい!」と言えたらどんなに楽だろう?

 でも多分それは現実的ではない、そもそも今日までセンパイと結衣先輩の関係を知らなかった上に、私と違って二人は同じ学年の同じクラス。

 影でコソコソされるのはソレこそ危険な気がするし、センパイの心象もよくなさそうだ。

 重い女だなんて思われたら嫌われて本末転倒、ということにもなりかねない……。

 

「では、どうして欲しいの? これだけ騒いで、一通り由比ヶ浜さんに不満をぶつけたからもう満足? 彼に出ていって貰ったのは貴女の名誉を守るためという意味もあるのよ、その辺りをハッキリさせて貰えないかしら?」

「私……私は……」

「状況的に考えれば貴方の一方的な勘違いというコトは明白……それでも由比ヶ浜さんを責めるのであれば当然それなりの言い分があるのでしょう?」

 

 そう言われ、私は今度こそ真剣に自分がどうしたいのか考え始めた。

 正直に言えば、結衣先輩が悪くないというのは、もう自分でも分かっている。

 元々、クッキーの作り方を教えるにしたって、完全にやりすぎだったのだ。

 別にママから教わった特製レシピまで教える必要はなかったし、なんならあの日以降も雪乃先輩の家まで押しかけて特訓する必要すらなかった。

 一般的なクッキーの作り方を教えて、必要ならメモでも渡して。後は自分で頑張って貰えばそれで終わった話。

 仮にもしそうなっていたら、贈り先がセンパイだったとしても『へぇ、そんな偶然もあるんですね』程度で済んだかもしれない。

 でも、あの頃の私はセンパイ以外に頼れる人の居ないこの総武での初めての部活動というのもあって、誰かに頼られるのが嬉しくてつい勝手に盛り上がって必要以上に応援をしてしまった……。

 その過去は今更変えられないし、こうして騒ぎになってしまったという事実は無くならない。

 

 結衣先輩から見れば、先日まで背中を押してくれていた後輩が、突然背中から切りかかってきたような心境で、さぞ困惑もしていることだろう。

 そう、結局コレは私の完全な八つ当たり。

 センパイも、結衣先輩も悪くなくて。悪いのは私だけ。

 雪乃先輩の言うように、こんな醜態が私のしたい“恋愛”なのかと、言われれば顔を伏せるしかない状況だ。

 とはいえ、それを頭では理解していても私の気持ちが収まらないのも事実。

 なら、私の落とし所は……?

 そう考えた時、私は一番大事な事をまだ聞けていない事に気がついた。

 

「……結衣先輩の気持ちが知りたいです」

 

 そう、結衣先輩の気持ちをまだちゃんと聞いていない。

 そんなのはあまりにも不公平だしズルいじゃないか。

 私の気持ちはもう既に雪乃先輩も結衣先輩も知っている。なら、結衣先輩は?

 まずはソコのところをハッキリさせて貰おう。

 もしそれで結衣先輩がセンパイのコト何とも思って無くて、完全に私の空回りだというのなら、もう土下座でもなんでもしてやろうじゃないか。

 でも、私にはどうしても結衣先輩にその気がないとは思えなかった。

 

「へぁ!? わ、私!?」

 

 覚悟の決まった私が結衣先輩を睨みつけると、結衣先輩は突然の要求に混乱したのか、その視線を私と雪乃先輩の間で何度も往復させる。

 だが、私はそんな結衣先輩から目を逸らさずそのまま言葉を続けた。

 

「はい、結衣先輩はセンパイの事どう思ってるんですか?」

「……えええ……ゆ、ゆきのーん!」

「一色さんが比企谷君に好意を寄せている事は知ってしまったわけだし……それがフェアなのかもしれないわね……」

 

 慌てた結衣先輩が雪乃先輩に助けを求めるが、雪乃先輩はそんな結衣先輩を軽く受け流した。

 どうやら、雪乃先輩も今回ばかりは私の味方をしてくれるようだ──。

 

「……もし彼に対する余計な感情がないのであればハッキリ言ってあげなさい? 貴女だっていつまでもこんな面倒事に巻き込まれたくはないでしょう?」

 

 ──前言撤回、やっぱり雪乃先輩は味方じゃないかも……。

 私はほんの一瞬だけジトリと雪乃先輩の方へと睨みをきかせる。

 だが、雪乃先輩はそんな私の視線など気にした様子もなく、私を一瞥すると、結衣先輩の答えにも然程興味がなさそうにゆっくりと目を閉じるだけでソレ以上の反応をを示さなくなってしまった。

 まさか眠ったわけではないだろうが恐らく、もうコレ以上自分から何か言うつもりはないという意思表示なのだろう。

 その様子を見た結衣先輩は暫く「あー」とか「うー」とか言いながら数秒百面相をしたあと、ようやく決心がついたのか一呼吸置いてからゆっくりと口を開いた。

 

「……ヒ、ヒッキーのことは……その……ほら、前にも言ったけど私にとってはサブレを助けてくれた恩人だし、折角同じクラスになれたんだから仲良くなれたらなぁ……みたいな?」

 

 それは、いつか聞いたのと変わらない内容。

 でも、私にはそれがどうしても信じられなかった。

 そもそも、事故があったのは去年なのに、なんで一年経ってから今更お礼なんてしたの?

 

 結衣先輩が一年前のコトだから事故の事を忘れていた、という薄情な人間なのであれば、ワザワザ手作りには拘らないだろう。

 本当にお礼がしたいなら一年前に済ませておけば良いはずだ。

 仮に同じクラスになった事がきっかけだったとしても、仲良くなるだけなら入学式に話しかけるほうが余程スマートだろう。

 なのにセンパイ相手にはソレをしなかった。いや、出来なかった上で一年越しにその願いを叶えたということは、この人はきっと一年間センパイの事を考え、目で追っていたのだと思う。

 

 今日は一目その姿を見れるだろうか? 今日は目が合うだろうか? 今日は話しかけるタイミングがあるだろうか? いっそ向こうから気づいてくれないだろうか?

 それはまるでベタな少女漫画のヒロインのように、毎日センパイの事を考えてはヤキモキしていたのかもしれない。

 その気持ちを自覚しているにしろ、していないにしろ溜まりに溜まった想いは、やがて作り慣れない手作りクッキーという形に昇華することになる。

 そこには決してどうでもいい人間に対するお礼だけでは済まない何かがあるはずだ。

 では、その気持ちの正体は?

 それを確認したくて、私は結衣先輩に問いかける。

 

「本当にそれだけですか?」

「それだけ……かは良く分からないけど……ほら、私こう見えて空気読める方だし? もし二人が付き合ってるなら『いろはちゃんから奪ってやろう』とか。そういう事は考えてないっていうか……そもそもあの時は、まさかいろはちゃんがヒッキーの事知ってるとは思ってもいなかったっていうか……知ってたらむしろ応援してたのにー! ……みたいな……?」

「なら、今からでも応援してくれるんですか?」

 

 その答えで満足しておけば良いものを、私はさらに踏み込んだ。

 鬼が出るか蛇が出るか?

 どちらにしても自分にとって良い結果になるわけじゃないと知りながらも、私は自分の口から出てくる言葉を抑えることが出来ず、どんどんと結衣先輩を追い詰めていく。

 

「……そ、れは……」

 

 そして、ついに結衣先輩が言葉をつまらせた。

 それは女子の間では割りとありがちな『私と○○君のコト応援してくれるよね?』という牽制の一言。

 思い返せば私も昔よくやられたっけ。あの頃は『いちいちうざいなぁ……』とか思っていたけれど、まさか自分でやることになるとは思っていなかった。

 

「恋愛感情はないんですよね? お礼を言いたかっただけなんですよね?」

 

 今ならあの時のあの子の気持ちがよく分かる。こういう根回しは役に立つ立たないじゃない、自分の心の安寧の為につい口をついて出て来てしまうものなのだ。

 だから、結衣先輩がこのまま「応援するよ」と言ってくれるならそれはそれで有り難いのだけれど……。

 

「……正直……自分でもまだよく分からない……。けど、多分……もう、応援は出来ないと思う」

 

 結衣先輩の口から出てきたのはそんな曖昧な答えだった。

 煮え切らない態度に私は苛立ち、思わず立ち上がってしまう。

 雪乃先輩は相変わらず何も言ってこない。

 だから、私を止める人はいなくて、一歩前へと踏み出した。

 

「なんでですか!?」

「……だって……」

 

 結衣先輩のもとへと一歩、また一歩と近づいていく。

 別に殴ってやろうとか思っているわけじゃないし、近づいた後どうしようとかも何も考えてはいなかった。

 自分が割りと最低な事をしているという自覚もあった。

 でも、今更自分の行動を止めることも出来ず、気分は最早鼠を追い詰める猫のソレに近い状態。

 だけど、それがイケなかったのかもしれない。

 

「だって、いろはちゃん言ったよね……?」

 

 私が結衣先輩の眼の前までたどり着くと、結衣先輩はそう言った後スゥっと大きく息を吸いこんだ。

 それはまるで何かを覚悟したような息遣いで、一瞬で結衣先輩のまとっている空気が変わっていく。

 そして次の瞬間。

 

「諦めなくていいのは、女の子の特権だって」

 

 結衣先輩は私の目をまっすぐに見つめ、そう言い放った。

 その目には先程までとは違い、とても強い意志のようなモノが籠められている。

 それは私も思わず一歩引いてしまいそうになるほどだった。

 でも引くわけにはいかなかった。引いてたまるかと思った。だから引かなかった。

 だけど、次に言うべき言葉が見つからない。

 私は結衣先輩の目を見つめたまま、なんとか頭を回転させる。

 なんとか、なんとか反論しなければ。

 でも出来なかった、出来るわけがなかった。

 だって、それは私自身の言葉だったから。

 いつか自分がそうなるかもしれないというほんの少しの怯えを孕んだ、私自身の思いだったから。

 だから私は、どうしようもなくなって、つい結衣先輩から目を逸らしてしまった。

 

「……あなたの負けね」

 

 すると、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように雪乃先輩がその瞳を開け、少し遠くを見るような表情でそんな言葉を呟いた。

 そこで私もようやく言葉を発する。

 

「べ、別に負けて……!」

「私ね、これでも貴女の事を少し買っていたのよ。初めての依頼で由比ヶ浜さんを応援していた時の貴女はとても生き生きとしていた。それは私には理解が出来ない部分でもあったけれど、真剣に他人の事を考えられる貴女が少し羨ましいとさえ思ったわ」

 

 「一体何の話をしているんですか!」と抵抗しようとするが、雪乃先輩は、そんな私の言葉を遮るようにポツリポツリと言葉を続けていく。

 

「でも、あの時の言葉は全部嘘だったのかしら? こんな風に駄々をこねるコトが貴女にとって何より大事な“恋愛”の作法なの? そうだとしたら私“例の勝負”でも貴女に負ける気がしないのだけれど……」

 

 その言葉を最後に、雪乃先輩がほぅっと息を吐いた瞬間。

 私の中の何かに火が着いた。

 そうだ、私は一体何に怯えていたのだろう。

 そもそも私は知っていたのだ、この学校でセンパイに会いたがっている人がいる事を。

 その事を葉山先輩に教えられ、最悪の事態を阻止するためにこの学校に来たのだということを。

 例えセンパイが他の人を好きでも諦めない。この思いだけは他の誰にも負けないとそう思っていたはずだったのに。

 一体イツから私はこんなに臆病になってしまっただろう?

 

 大丈夫、センパイは結衣先輩のことを友達だと言っていた。

 なら、この程度のコトで動揺なんてする必要はない。

 結衣先輩が今更何をしたところで、私とセンパイの間にはもう一年にもなる絆があるのだ。

 一年も足踏みをしていた人に私の想いが負けるはずがない!

 

 そう思えた瞬間、私の中の苛立ちがすっと消え、代わりにセンパイへの思いが湧き上がってきた。

 確かに、結衣先輩はセンパイに取って友達は友達でも『初めての友達』という警戒すべき相手かもしれない。

 でも私にもあの日ハッキリ言ってくれたではないか

 『お前は友達じゃなくて……俺の……許嫁だろ……』って。

 

 なら、私はその言葉をただ信じればいいんだ。

 そう思った私は自分の制服の胸の部分をギュッと握りしめると、先程の結衣先輩と同じように大きく深呼吸をしてから結衣先輩を睨み返した。

 

「分かりました結衣先輩。それはつまり……宣戦布告ってことですね?」

「そ、そこまで大袈裟なものじゃないけど……」

 

 その言葉で私がもう引かないと分かったのか、結衣先輩の纏っていた空気は一瞬で霧散し、再び逃げるように視線を逸らした。

 そこには先程私を威圧した結衣先輩はもういない。

 頼りなく笑う、争いが苦手ないつもの結衣先輩がいるだけだった。

 そんな結衣先輩を見て、私の顔に少しだけ笑みが戻る。

 嘲笑ではない、安堵の笑みだ。

 

「……一応確認しておきますけど、私に隠れて告白したりしたわけじゃないんですよね?」

「し、してない! してないよ!? するわけないじゃん!」

 

 ふむ、そういうことなら条件は一緒かな。

 いや、むしろ許嫁である私のほうが圧倒的優位。

 冷静に考えればなんで私はあんなに取り乱したんだろう? と思うぐらいの差はあるはずだ。

 私はこの人に負けたりしない。負けられない、負けるはずがないんだ。

 改めてそう気合を入れ、結衣先輩へと笑いかける。

 

「そう言うことなら、この勝負受けて立ちます」

 

 そう言う私の突然の変化に戸惑ったのか、結衣先輩は少し首を傾げながら「お、お手柔らかにお願いします?」と私に頭を下げてくる。

 その仕草が妙に面白くて──少なくとも先輩が後輩にするような態度ではなくて思わず吹き出してしまった。

 

「なんですかソレ」

 

 そんな私を見て、結衣先輩も漸く「えへへ」と笑みを零す。

 あーあ……これで結衣先輩の中にセンパイへの思いがあるのは間違いないことが確定してしちゃったかぁ……。

 いや、むしろ自分で焚き付けたまである。

 でも……中途半端に怯えるぐらいだったら逆にその方が有り難いというものだ。

 ずっとモヤモヤしたまま将来裏切られるより、最初から敵だって分かっていたほうがやりやすいもんね。

 

 それに……モテすぎるのはそれはそれで問題だけれど、自分の好きな人の魅力を他の人も分かってくれているというのは嬉しいという思いも実は少しだけあった。

 自分だけがその人の魅力に気づいていれば良いと思いながらも、センパイの良さを分かって欲しいとも思ってしまう。この辺りは本当に複雑な乙女心なのだ。

 

「それじゃぁ、お互い歩み寄れたようだし、そろそろ彼を入れてあげましょうか。きっと待ちくたびれているわ」

「あ、うん。じゃあ私呼んでくるね!」

 

 いつの間にか私達の側までやってきていた雪乃先輩がそう言うと、結衣先輩が我先にと廊下へと向かう。 

 こうして、私と結衣先輩は先輩後輩、部活仲間を経て、恋敵へと変わっていったのだった。

 

***

 

「で、どうなったの?」

「争いがなくなったわけではないけれど、一先ずお互い納得の行く形には落ち着いた……と言う所かしら?」

「それは……良かった……のか?」

 

 結衣先輩に呼ばれ、センパイは腰を低くして元いた席へと戻ってくると、そう言って不思議そうに私達を見つめて来た。

 まあ、センパイとしては何がなんだか分からない状況だろうが、とりあえず一段落は着いたと言っていいだろう。

 安心して下さい、許嫁の事は言ってませんよ。

 まあ、私の気持ちは知られてしまったので似たようなものではあるけれど……だからこそ、さっきの話はセンパイには聞かせられないし……さて、どう説明したものだろう?

 そう考え、縋るように雪乃先輩の方へと視線を移すと、雪乃先輩はそんな私の意図を組んでくれたのか、一度だけコクリと頷いてセンパイの方へと向き直る。 

 ふと視線を動かせば、センパイは何故かその右の手のひらを不自然に開いた状態で上を向けたまま座っていた。待っている間に怪我でもしたのだろうか? 後で聞いてみよう。

 

「説明ぐらいはしてもらえるの?」

「どうかしら? 私としては彼女たちのプライベートに関わる問題だから貴方に伝えるべきではないと考えているのだけれど……」

「プライベート……?」

「ええ、そもそも今回の話し合いに比企谷君は必要なかったのよ。全く無関係とは言えないのだけれど、問題の本質が一色さんにあったというのは貴方も理解しているでしょう?」

 

 雪乃先輩にそう言われ、センパイはちらりと私と視線を交わす。

 でも、当然私の方からは何も言えないので、私は黙ってその視線を受け止めるしか無い。

 とはいえ、変なことを言われたり、勘ぐられたりしないかと内心はバクバクだ。

 今更とは思うけれど、こんな形でお互いの気持ちの確認なんてしたくないからね。シチュエーションは大事。

 

「……まぁ、時期が来れば貴方も知ることにはなるでしょう、少なくとも今私の口からソレを言うべきではないと思っているわ。だから、貴方はあまり詮索しないでくれると嬉しいのだけれど」

「はぁ……まぁ、聞くなって言うなら別に無理に知ろうとは思わんが……」

 

 その言葉で納得したのか、センパイは私から視線を外すと、こめかみをポリポリと掻きながら視線を彷徨わせる。

 良かった、どうやら詮索はされなくて済みそうだ。

 こういうところは流石雪乃先輩である。

 

「えっと……とりあえず二人は仲直りした……っていう解釈でいいの?」

「そう理解しておいて問題ないと思うわ」

「んじゃその……俺と二人の関係も今まで通り……?」

「はい、それは勿論です!」

「う、うん。勿論! 何も変わらないよ」

 

 「俺との関係」と言う言葉に思わず私が答え、結衣先輩もそれに続くと、今度はセンパイの方が安堵の表情を浮かべた。

 あれ? もしかしてセンパイ、私との関係が解消されないか心配してたってこと? そんなわけないじゃないですかー。

 そう思って、思わず笑みがこぼれたのだが、その瞬間センパイがちらりと結衣先輩へと視線を送っているのに気づいてしまった。

 ──違う、恐らくセンパイは結衣先輩との友達関係が解消されたんじゃないかと心配したのだ。

 

 むー……やはり、センパイに取って“初めて”の友達というのは特別なのだろうか……?

 私だってセンパイにとっては初めての許嫁なはずなんだけどなぁ……。

 許嫁より友達のほうが大事なんですか?

 しかし、それをここで問い詰めることは出来ず、私の中に沈めたはずの嫉妬の感情がまたフツフツと浮かび上がり、結衣先輩への悪戯心が芽生えていく。

 

「まあ、これからの部活の事もありますし。何より結衣先輩は先輩ですからねー……後輩の私からどうこうして下さいなんてとても言えないんです……」

「そ、その言い方だとまるで私が何か言ったみたいじゃない!?」

「あれー? そうですかー? そんなつもりは全然なかったんですけどー?」

 

 私がニヤニヤと笑みを浮かべながら結衣先輩を煽ると、結衣先輩は慌てて「違うからね! 私何も言ってないから」と弁明を始めた。

 なんだろう、先輩だと分かってはいるのに妙に虐めたくなってしまうのは相手がライバルだからか、それとも単に結衣先輩の持っている性質なのか……。

 

「ところでセンパイ。センパイは結衣先輩のクッキー食べたんですよね?」

「ん……あ、ああ。まあ食った……かな」

「どうでした? 私のとどっちが美味しかったですか?」

「い、いろはちゃん!? そ、そういうのはちょっと……」

 

 だからというわけではないけれど、私は続けてそんな事を聞いてみた。

 とはいえ、これは悪戯心ではなく、一応結衣先輩にクッキー作りを教えた先生として、結果が気になっていたというのが正直なところ。

 実際、それぐらい聞く権利はあると思っている。

 

「いいじゃないですか、もう今さら隠す必要もないですし。ねぇセンパイ、結衣先輩のクッキーどうでした? あれ、私が作り方教えてあげたんですよ?」

「どうって言われてもな……」

 

 そう言うと、センパイは顎に手をおいて何かを考えるように視線を動かした。

 恐らくクッキーの味を思い出してるんだろう。

 その様子を結衣先輩も固唾を呑んで見守っている。

 するとセンパイは小さく「ああ、そういうことか」と呟いてから私の方を見た。

 

「まあ、その……美味かったんじゃない? ちょっと焦げてたけど」

「……そ、そっか。美味しかったんだ、良かった……へへ」

 

 その答えに、結衣先輩は何故か満足そうに頬を緩ませる。 

 だが、私にはそのセンパイの感想がどうしても納得できなかった。

 だから、再び立ち上がり、結衣先輩の方へと詰め寄っていく。

 

「焦げ……? 結衣先輩! あんなに『毎回焦がすんだから焼き加減には十分気をつけて、オーブンから離れないでください』って何度も言いましたよね!」

 

 そう、結衣先輩は何故かクッキー作りを教える段階から毎回焦がしていたのだ。それは完全な炭と言っても差し支えないほどの真っ黒さ。

 しかし、勘違いしないで欲しいのはそもそもクッキーは作るのがそれほど難しくない部類のお菓子だということだ。

 少なくとも材料の配分さえ間違えなければ大きな失敗はしない。

 焼き加減だって、最悪オーブンの前で見ていればどうとでもなるのだ。

 なのに、結衣先輩は軽量もアバウトなら焼き時間に関してもアバウト。

 私や雪乃先輩がいる時はコチラで調整すれば問題なかったが。

 本番、家で作るときにも最悪火事にもなりかねないので 私はそこだけは口を酸っぱく言って、三人で作った最後のクッキーはそれなりのものが出来ていたはずだった。

 なのに焦がした!?

 全く本当にこの人は……。

 

「だ、だってー、家のオーブン、ゆきのんの家のと違って分かりにくかったんだもん……」

「普通、他人の家のオーブンの方が慣れて無くて使いにくいと思うのだけれど……」

「ち、ちがくて、ほら、うちの古い奴だったから……焦げ防止みたいなの着いてなかったし」

 

 ギャーギャーと言い訳をする結衣先輩と、ソレに呆れる雪乃先輩。

 でも、その様子はなんだか、少しいつもの部室の雰囲気が戻ってきたみたいで少しだけ安心もしていた。

 実のところ、センパイとココへ来た時はもうこの部には居られないだろうなと思ったからだ。

 自分が原因とは言え、今はコレを壊さなくて良かったと内心ホッとした。

 

「つか、やっぱあれ一色のクッキーだったんだな」

 

 そうして、静かに二人の成り行きを見守っていると、突然センパイが何食わぬ顔でそんな事を言ってきた。

 え? やっぱり? 

 

「『やっぱり』って、気づいてたんですか?」

「確証はなかったんだけどな、なんか食った瞬間はちみつの風味がしたし、なんとなく食べてる時に一色の顔が思い浮かんだって言うか……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、この部屋にいる全員に聞こえてしまったんじゃないだろうか? と思うほどに私の心臓が大きくトクンと高鳴った。

 そっか……センパイ、ちゃんと分かってくれてたんだ……。

 もしそれが本当なら、結衣先輩にあのレシピを教えた甲斐はあったのだろう。

 むしろ、結衣先輩には申し訳なかったというべきなのかもしれない。

 

「お前の作るクッキー……結構気に入ってたっていうか……その、好きだったからな、印象に残ってた、のかも?」

「っ!! もう……センパイっ……!」

 

 ああ、もうズルい……。この人は本当にズルいなぁ……。

 そんな事を言われてしまったらもう、私には何も言えないじゃないか。

 女の子の手作りのクッキーを他の女の子のこと考えながら食べるなんて、本当はすごく失礼なコトなんですからね?

 

「な、なんだよ……」

「ふふ、なんでもありませーん」

 

 それを最初から知っていれば、私が今日こんなに怒ることもなかったのに!

 我ながら単純過ぎるとは思うけれど、その時にはもう私の中には嫉妬という感情どころか、結衣先輩に対する対抗心さえ一ミリも残っては居なかった。

 やっぱり今日のことは全部私の空回りでしかなかったということなのかもしれない。

 あー、結衣先輩に悪いことしちゃったなー。土下座したほうがいいですか?

 でも、それはそれでなんだかマウント取ってるっぽいよね。

 

「……ゆきのーん、私もう勝ち目無い気がするんだけど……」

「知らないわよ……私に振らないでくれる?」

 

 やがて、そんな私達の会話に気が付いた結衣先輩と雪乃先輩が茶化すようにそう言った。

 だが、私にしてみれば最早微塵も気にもならない。

 だって……センパイ、ちゃんとアレが私のクッキーだって分かってくれてたんだって。

 私のクッキーが好きなんだって。

 ああ、駄目だ口元が緩むのを止められない。

 えへ、えへへ。

 そっかー、センパイ私のクッキー好きなんだぁ。

 今日帰ったらまた作って持っていってあげようかなー。

 

「あー……っと……解決したなら俺もう帰っていいか? 今日ちょっと寄りたい所あるんだ」

 

 そんな私を見てセンパイも呆れたのか、そう言って席を立った。

 気がつけばもう、日もだいぶ傾いている。

 問題も解決したし、今日の部活はこの辺りで解散だろう。そう思い、私も慌てて先輩の後を追う。 

 

「あ、待ってくださいセンパイそれなら私も行きまーす!」

「待ちなさい。比企谷君はともかく。一色さん、あなた何か忘れていない?」

「へ?」

 

 ……ん……? 私何か忘れてる……?

 雪乃先輩にそう呼び止められ、私はぐるりと視線を巡らせる。

 そこにいるのは今にも部室を出ていこうとしているセンパイ、そしてそんなセンパイを見送ろうと立ち上がる結衣先輩。椅子に座っている雪乃先輩と……。

 

「ふむ、それではいよいよ今日のメインディッシュ。吾輩の超大作への感想会に移らせてもらおうか」

 

 あ……。

 そういえば中二先輩、まだ居たんだった。

 

 

 

 

 

 ……完全に忘れてた。




というわけで解決編後編いかがだったでしょうか?

土曜日投稿予定だったのですが
直前にとんでもミスをやらかしてる事に気付きまして、ちょっとだけ遅刻した結果急遽土曜日投稿になりました。
申し訳ありません。
次回からはまた土曜日投稿に戻る予定ですので何卒よろしくお願いいたします。
(ここに誤字はありません)

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よろしくお願いいたします。

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