麦茶の入った紙コップに、桜の花びらが浮いている。
私はその紙コップを持ったまま桜を見上げ、三人の会話を聞いていた。
花見を始めてからどれ程経ったか分からないが、太陽を見ると昼前である事は分かる。
「あ、皆が居る」
話していた千穂が声を上げる。
「本当ね、あいつらも花見に来てたんだ」
美琴も千穂が見ていた方へ目を向けて言う。
「友人か?」
「友人っていうよりはただのクラスメイトね。仲が悪い訳じゃないけど、遊んだ事は無いわ」
私の問いに美琴が答えた。
「こっちに来るから多分見つかると思う、大丈夫?」
千穂が私に聞いてくる。
「何がだ?」
「あまり大勢で集まったり、絡まれるのは好きじゃ無さそうだから……平気かなって思って」
私の心配をしているのか。
「構わない。ただ、場合によってはヨツバが躾ける事になるかもな」
そう言うと千穂と美琴は苦笑いした。
「ん?あれ……篠崎と倉森じゃない?」
「え?ほんとだ」
「一緒に居る二人めっちゃ可愛くない!?」
「マジ!?……うお!?なんだあの二人!すげぇ!」
そんな声が聞こえ、こちらに男女混合の集団がやって来た。
「二人もお花見に来てたんだ」
彼らの中にいる女性が声をかけてくる。
「この子達は誰!?」
「紹介してよ!」
いきなり騒がしくなったな。
「紹介するから静かにしてよもう……」
千穂と美琴は彼らに私達を紹介し始める。
「こちらの子がクレリア・アーティアちゃん、それでこちらの女性がヨツバさんよ」
「あまりちょっかいを出さない様に!ヨツバさんにぶっ飛ばされるわよ?」
そう紹介すると、彼らは何故か盛り上がり質問攻めが始まった。
「はいっ!質問です!クレリアちゃん何歳?」
「14だ」
設定上な。
「名前が日本人じゃないけど、どこの国の人?」
「名前はこうだが海外生まれの日本人だ」
「何処の学校に通ってるの?」
「自宅で勉強しているから学校へは行っていない」
私が答える度に歓声を上げる彼ら。
「好きな人はいる?」
「男女間の恋愛という意味であればいない。家族的な意味ならばヨツバ、友人としてならこの二人だな」
私のその答えに、千穂と美琴は驚いたような表情を見せたが、すぐに微笑んだ。
ヨツバも満面の笑みを浮かべている、間違いなく私の言葉が聞こえているな。
そのヨツバにも質問は飛んでいる。
「年齢はおいくつですか!?」
「二十三だよ」
「その赤い髪は地毛ですか?」
「そうだ」
「身長高いですね!何センチですか!?」
「あー……確か百七十五辺りだったと思う」
「……胸大きいですね、何かやってます?」
「特に何もしてない」
「お仕事は何を?」
「お嬢様の侍女だ」
ヨツバのその答えに彼らは興味を示したようだ。
「そのお嬢様は誰ですか?」
「ここにいるだろ、クレリアお嬢様だ」
その言葉を聞くと今度は私がその事を聞かれる。
「クレリアちゃんって何者なの?」
「さあ、何者だろうな?」
隠す気は無いが、今あったばかりの者に自分から話す気にはならない。
次々と質問が続く中、千穂と美琴が割り込んでくる。
「はい!もう質問は終わり!」
「これ以上は駄目だよ、どっか行きな」
「何だよ!?いいじゃねーか!」
「そうだよ、一緒に花見しようよ」
「良いねそれ、お邪魔していい?」
「駄目だよ!」
「帰れ!」
二人と彼らが言い合いを始めた。
「お嬢様、どういたしますか?」
ヨツバが聞いてくる。
餌でも与えようか。
「お前達」
私がそう言うと、彼らは私を見る。
「実は料理が余っていてな。全員が座るだけの場所が無いから立ったままになってしまうが……食べて行くか?」
その言葉に彼らは喜んで賛成した。
「良かったの?」
美味そうに料理を食べている彼らを見ていると、美琴が声をかけて来た。
「構わない。実際に多く作り過ぎていた上に、貰い物まであって食べきれなかっただろう?」
私が全て食べるのは明らかにおかしいからな。
正体を明かした後ならばいいと思うが、今の所はやめておく。
「まあそうだけど……」
彼らの中に私達に対して何かしようという者はいないようだしな。
男子の一部は千穂と美琴が気になっているようだが、残りは全て私とヨツバに気が向いている。
女子は私達に対する羨望や嫉妬があるが、それだけだ。
「学校で絶対に色々聞かれるよー……」
「はぁ……面倒ね……」
二人はそう言って嫌そうな顔をした。
彼らに一緒に写真を取りたいと言われたので集合写真を一枚だけ許した。
それから、彼らは去って行った。
余っていた料理は全て無くなり、夕方になる前に花見を終えて帰った。
七月に入り、日本では夏休みまで一か月を切った。
そんな中、私はスペインに来ている。
ここに来たのは気まぐれだが、どうやらこれからサン・フェルミン祭という祭りが開催されるらしいので見てみる事にした。
泊っているホテルで白いワンピースに着替え、麦わら帽子を被って出かける。
聞いた話では、牛に人が追いかけられるのだという。
どんな物か近くで見てみようと思い、牛達が走る道のカーブの手前で直進してくる牛を見る事にした。
中には入れないので壁に掴まって見る事になるが、特に問題は無い。
エンシエロが始まり、奥から逃げる人を蹴散らしながら牛がやって来る。
この祭りが行われているのは様々な理由があるのだろう。
だが、脆い種族でありながら自ら危機に陥りに行く彼らを見ていると、「無謀」という言葉が浮かぶ。
人間は死にたくないと考える者が多いと記憶しているが、中にはこういった者達もいるという事だな。
そう思っている間に、牛達が近づいて来た。
私はその牛達を見ていたのだが、一瞬、先頭の牛と目が合った。
すると突然その牛が急停止し、後ろから来ていた牛達が衝突して多くの牛が転倒した。
周囲の人間達の驚く声が聞こえる。
起き上がり再び走り出す他の牛達の中で、私と目が合った牛だけは起き上がった後も私を見ている。
やがて後ずさりをすると、コースを逆走していった。
周囲の人間達はその様子を見て騒めいている。
時々、今の牛の様に私に対して極端な反応をする生物がいる。
大抵の場合は私が離れるまで動きを止める、逃げる、服従するの三通りだが、時々攻撃して来る事もある。
私はそれからしばらく祭りを見た後ホテルに戻り、チェックアウトした。
今は人として行動している訳では無いので、周囲に気が付かれないように処理をしてから転移で移動した。
周囲には広大な草原が広がっている。
現在私がいるこの場所は、アフリカのサバンナと呼ばれている地域だ。
私は時々、こうして気まぐれに人類が少ない地域を見て回っている。
このサバンナは多くの生物達が生存競争を繰り広げている地域で、アマゾンの熱帯雨林と同じくあまり人類の手が入っていない地域と言える。
アマゾンもそうだが、この地域も人類は積極的に開発しようとしていない様だ。
魔法人類は全ての土地を開発し多くの生物を滅ぼしていたが、人類はこういった環境を残そうとしている。
他の生物を滅ぼす事自体は、何も問題はないと思う。
しかし、それによって起こる影響を理解せず、解決出来ないまま行えば、致命的な状況に追い込まれる可能性があるという事は魔法人類が証明した。
人類は今の地球の環境を壊さないように注意はしている様だ、このままならばまだまだ繁栄するかもしれない。
そして、この辺りは最初の人類が生まれた可能性のある地域の一つであるらしい。
魔法人類が絶滅した後に生まれた生物が、人類に至るまでを見て来た私だが、正確にどこの誰が最初の人類なのかは分からない。
私の基準では私が最初に人類だと感じた者が最初の人類という事になるのだが、どこに居たのかは覚えていない。
そんな事を考えながら、私は草原を歩く。
この地域は生物も多いが土地も広い。その為どこにでも生物がいる訳では無く、探さなければ生物に出会う事は少ない。
もし探すのなら水辺だろうか。
イシリスから地球になった後、水無しで活動出来る生物と出会った事は無い。
そんな生物は存在しない、と言う事は出来ないが、少なくとも私が出会った生物は全て水が必要だった。
だからまずは水辺に向かう事にする。
水辺ならば何も生物がいなかったとしても、水を求めて何かがやって来るはずだ。
私は近くの水辺の位置を調べると、歩いて向かった。
到着した水辺にはシマウマと鹿……?いや、あれは違うか。
名前が分からないが、数種類の生物達が群れで水を飲んでいる。
恐らく草食なのだろう、お互いに気にはしているようだが危険は感じていない様だ。
私は水辺に歩いて近づいて行く、すぐ隣にまで来ても皆は逃げる事無く水を飲んでいた。
そのままシマウマを撫でてみる。
どうやらここにいる生物達は私に対して過剰に反応しない様だ。
撫でるのを止め、そのまましばらく群れを観察していたが、やがて彼らは水辺を離れて行った。
私はそれを見送り、他の生物が現れるのを待つ事にした。
次に水辺に来たのは親子連れのサイだった。
だが、子供がいるせいか私を警戒しているようだ。
刺激しない様に私はその場から動かなかったのだが、親のサイは角をこちらに向けて突進して来た。
向かって来る親サイが怪我をしない様に、優しく突進の勢いを抑え込み私の目の前で停止させて、声をかける。
「お前の子に手を出す気は無いぞ」
その間、親サイは私に近づけず暴れていたが、やがて諦めたのか我が子の元へ引き返していった。
サイの親子が水を飲んでいるのを離れて見ていると、ゾウの群れが来ているのを見つけた。
以前、ゾウに似た姿をした生物がいた事をうっすらと覚えているのだが、今では人類からマンモスと名付けられていたな。
凍り付いた姿を見て、見覚えがあったので間違いないだろう。
私はサイの親子から離れ、ゾウの群れへと向かう。
彼らは私に気がついているようだ。
ゾウ達は近づく私を見る事無く食事をしているが、私の動きを気にしている事は感じる。
だが、逃げる気は無いらしい。
もう少しで触れるほどの距離に来た時、群れのゾウ達が突然食事をやめて鼻を伸ばし、私の匂いを嗅ぐような仕草をし始めた。
「変な匂いでもするか?周りの者にはよく良い香りがすると言われるのだが……」
そう言いながら動かずにゾウ達に嗅がれていると、突然嗅ぐのをやめて再び食事を始めた。
警戒心が消えた。
敵意が無いと分かったのか?
私は目に付いたゾウの背中に飛び乗るが、それでも気にする事無く食事をしている。
「人間も、お前達のように判断出来れば無駄に死ぬ事も無いだろうな」
私はゾウの背中を撫でながら言う。
人間や生物の一部は、私が何もする気が無くても手を出してくるからな。
更に、人間の場合は私の外見に引き寄せられた上に甘く見る者が非常に多い。
そして死ぬ事になる。
以前も何処の国だったか忘れたが、店に入ったら強盗の真っ最中だった。
わざわざ「私に構わず好きにしてくれ」と言ったにもかかわらず、私にショットガンを向けて来たからな。
結局、その強盗はショットガンの暴発で死んだ。
銃口を私に向けなければ暴発などしなかったかも知れない。
奴は運が悪かった。
その後、私はしばらくの間ゾウの背に揺られながら読書を楽しんだ。