私が風香の配信へ顔を出すようになってから約一か月が過ぎ、2037年の8月に入った。
最近の私の生活は日中に家族や友人と過ごし、夜は風香の部屋に向かう、という物になっている。
この一か月で彼女のチャンネルは登録者数が少しづつ増え続け、五千人程であった登録者数は一万五千人程にまで増えた。
登録者が増えた理由だが「メイドの凪とお嬢様のやり取りが何となく心地いい」という事らしい。
時々一緒にゲームをプレイしたり雑談をする事もあるが、基本的に話しているのは風香で、私は時々振られる話に答えながら見ている事が多い。
一度、風香にバーチャルニュウチューバーとして上を狙うのかを聞いた所、登録者数を意図的に稼ぐ様な事はしないと答えた。
更に彼女は「配信はあくまでも趣味ですし、私はこのお屋敷のメイドです。本業に影響が無ければ色々とするのも良いと思いますが、もしも影響が出た場合は引退します」と言った。
私の「そうか」という言葉に、彼女は「はい」と答えて微笑んでいたな。
そして現在、いつもの様に夜の配信が始まろうとしている。
「こんばんは!完璧メイドの天津 凪です!」
:こんばんわー
:こんなぎー
:以前、お嬢様に完璧を否定されてましたよね?
「今回プレイするのはフリーのホラーゲーム『迷子』です」
:おお、結構怖い奴だ
:なぎちゃんはこれ駄目だろ
:前のでも叫んでたしな
:お嬢様の恐怖耐性が高い事が分かった回だったな
:お嬢はホントに無反応だったね、感情が死んでる……?
:お嬢様が話してる途中で驚く所があったのに、なぎちゃんの悲鳴しか聞こえなかったからな……
:その上、お嬢様はなぎちゃんが悲鳴を上げてる時も普通に話し続けてたという……
:高性能お嬢様に恐怖など無いという事か……
視聴者がこういった反応をするのは、以前配信したホラーゲームの回が影響している。
質問配信を終えた翌日にホラーゲームの配信をしたのだが、私が反応する事は無かった。
その結果、風香だけがひたすら叫んで終わる、という配信になったのだ。
最初、視聴者達は「声を上げない様に気を付けているのでは?」と考えていた様だが、私が話している途中で驚くポイントに差し掛かった事で、私が本当に無反応である事が視聴者に伝わった。
「これならばお嬢様も驚いてくれる事でしょう」
:無理なんじゃないかなぁ……
:前回のホラー回で学ばなかったのか、メイドよ
:自分がホラー苦手なのに無茶してんねぇ!(歓喜)
:またお嬢様がプレイする事になりそう
「色々と言われていますが……やってきますよ!」
その後ある程度耐えた風香だったが、結局恐怖でプレイ出来なくなり、私がプレイしてある程度進めた所で配信を終える事になった。
ある日、私は千穂の家にやって来たのだが、葉子と健太の様子がおかしい。
どうやら喧嘩をしている様だ。
二人は私の正面で距離を置いて座っている。
基本的には仲良くやっている様だが、こうして時々喧嘩する所は幼い頃から変わっていない。
「今回は何があったんだ?」
私がそう聞くと、健太が口を開いた。
「あー……俺がノックしないで葉子の部屋に入っちまって……」
「そんな事か」
「そんな事じゃないよ!今まで何回も注意してるのになおらないんだから!」
私の言葉に声を荒らげる葉子。
なるほどな。
「反省はしてるよ……最近気を付けてるんだけどどうしても忘れる時があってさ……」
「それでもなおらない所を見ると根が深そうだな」
「小さい頃からずっと気にせずに葉子の部屋に入ってたから……それに今は恋人だし……」
健太はばつが悪そうな表情を浮かべながら言う。
「それでもノックをするのはマナーなの。将来、社会に出た時もいきなり部屋に入って行くつもりなの?」
葉子はそう言って溜息を吐いた。
「それは無いって!葉子の部屋だから気が緩むというか……」
「まあ、少しずついきなり開けない様になってきているから……もう少しかしらね」
そう言って半目で見る葉子に、気まずそうな表情をする健太。
「ノックか……私はその辺りの事で友人に叱られた経験があるからな、健太も出来るだけ早くその癖はなおした方が良いと思う」
「えっ?姉貴もそんな事があったのか?」
健太は意外だと言いたそうな表情を浮かべている。
「現在は出来るだけ突然行く事は控えるようにしている」
「……出来るだけなの?」
葉子が少し呆れたような声を出す。
「急いでいる時はそのような手順は踏まないからな」
「姉貴、叱られた時は何があったんだ?」
私にそう尋ねる健太。
「気になるなら話しても良いが……」
「気になる」
すぐにそう答えた彼に、私は何があったのかを話す事にした。
「では話そう。以前の私は思いついたように友人や知り合いの所へ転移していたが、ある日転移すると友人二人が交尾をしていてな」
「うぇっ!?」
「お姉ちゃん!?」
目に見えて動揺する二人。
「特に急ぐ用事では無かったからな。固まっている二人に『終わるまで待つ』と声をかけ、同じ部屋の椅子に座り本を読み始めたのだが……二人は交尾を止めて私を叱り出した」
「お姉ちゃん……それは当然だよ」
顔を赤くした葉子が言う。
「俺も流石にそれは駄目だと思う……」
健太も顔を少し赤くしながら言った。
「私はその時の友人の言葉を聞き入れ、今でも気にするようにしている。健太も気を付けないと似た様な事になるかも知れない」
私の言葉を聞いた二人はお互いに顔を見合わせた後、横目でこちらを窺うように見た。
「……昔のお姉ちゃんって結構アレだよね?」
「今でも所々怪しいけどな……」
小さな声で話しているが、私には聞こえている。
二人が私の耳が良い事も知っている筈だが、言わずにはいられなかったのだろう。
現在の私は人類の常識をそれなりに知っているが、その常識に従うかは私の気分次第だ。
二人の言葉を聞き流しながら、私は用意された牛乳に口を付けた。
現在、私は風香の部屋に居る。
今日は配信をしないらしいが、次にプレイするゲームを一緒に決めたいらしい。
向き合って椅子に座り、私がテーブルに用意されていた紅茶を一口飲むと、風香が話し出した。
「お嬢様は何かやってみたいゲームなどはありますか?」
「大半は風香がプレイするのだから、お前が好きな物を選ぶと良い」
「そうですか」
すると風香が考え始める。
「お嬢様でも楽しめる物が良いのですが……何か良い物は……」
そう呟き、しばらく考えていた彼女は私を見て口を開いた。
「お嬢様は以前アイドルとして活動していましたし……音楽はお好きですよね?」
「様々な曲や歌を聞くのは嫌いでは無い。人間の様に感動したり涙を流したりする事は無いが、聞いていて好ましいと感じる物は確かに存在する」
「そうですか……でしたら音楽系のゲームはどうでしょうか?」
風香は私の「人間の様に」という言葉に少し引っかかった様だが、この屋敷に居るメイドは致命的な疑問を持たない。
外部の者の中にも私の言いまわしに反応する者が時々いるが「癖が強い話し方をする子」という考えに落ち着く様で、問題になった事は無い。
「それは演奏をするという事か?」
「いえ、演奏という程では無いですが……今まで音楽系のゲームをプレイされた事はありますか?」
「無いな。どういった物だ?」
「説明をするより、一度触れた方が早いと思います。可能であれば、お嬢様の完全初見プレイとして配信するのも良いかと……如何でしょうか?」
私の質問に、軽く微笑みながら話す風香。
「ではそうしよう。音楽系のゲームの中から何をやるかは任せる」
「かしこまりました」
私がそう言うと、風香は返事をして一礼した。