風香は僅かな時間で配信の準備を整え、ソングラッシュを起動させた。
「覇王は『伝統』タブにあると思います」
彼女の言う通り伝統タブを選び、曲を切り替えていくと覇王があった。
……私の知っている覇王だな。
選択前に流れる曲を聞いた時点で分かった。
少しアレンジされているような気もするが、聞き覚えがある。
「お嬢様、プレイされないのですか?」
すぐに選ばない私に風香が声をかけて来る。
「始めよう」
彼女の言葉に答え、私はプレイを始めた。
私は初見で全難易度をフルコンボ、オールパーフェクトでクリアした。
:すげぇー!
:ん……?これってもしかして全国で初めてこの曲をフルコンボ、オールパーフェクトでクリアしたんじゃね?
:今までフルコンボだけは出来てもフルコンボでオールパーフェクトは居なかったよな!?
:お嬢が世界初のフルコンオールパーフェクト達成者じゃん!
コメントには称賛と驚きが流れている。
それを目にしながら、私は曲の事を考えていた。
何故作曲者の名前が残されていないのかは分からない。
自ら望んだのか……それとも何かがあったのか。
会いに行った事は覚えているが、名前と顔は覚えていない相手の事を僅かな時間だけ考えた私は、すぐに興味を失いコメントへと目を向ける。
「このままお嬢様がプレイすると全ての曲の一位が私のアカウントになってしまいますね……」
彼女は少し困った様に言う。
「凪に問題が起きるようなら新しくアカウントを作るが……どうする?」
その様子を見た私は彼女に尋ねた。
すると、彼女は少し考えてから言う。
「いえ……今のままなら特に問題はありません。しかし、お嬢様が個人的に配信を続けるのでしたら配信専用のアカウントは必要になると思います」
その答えを聞いて私は考える。
今の所、こうして配信をする事は悪く無いと感じている。
感じているが……個人的に続けるかと問われれば何とも言えない。
しばらくはこのままで良いか。
「そういう事ならば今の所は作る気は無い。ただ、凪が必要だと感じた時は言って欲しい」
その時は大人しく作ろう。
「かしこまりました」
:あの……お嬢?世界初の記録は……
:全く触れてなくて草生える
:このお嬢……強い……!
:俺らとお嬢様の温度差が酷いw
:マジで凄い記録なんだけど……
:世界初の記録より一人のメイドへの迷惑を優先するとはお嬢様の鏡だな!
:ゲームはゲームでしかないけど、メイドはリアルでこれからもお嬢様を支える大切な存在だし、比べ物にならんだろ
「お前もやるか?」
私は彼女に聞く。
「では私もプレイさせて頂きます」
その後、交互にゲームをプレイし、配信終了時間を迎えた。
娘達、友人達と過ごし、配信にも顔を出す日々を過ごしていたある日。
「ん?……メールですか」
いつもの様に配信の準備をしている風香から呟きが聞こえた。
準備を一時中断しメールを見ていた風香だが、席を離れ私の所にやって来た。
「お嬢様、ブイライブから私とお嬢様に所属の打診が来ています」
「ブイライブ……以前風香からバーチャルニュウチューバーの歴史を聞いた際に名前だけは出ていた覚えがあるな」
「もう少し詳しくお話しますと……ブイライブは日本の大手ブイチューバー事務所で、アバターにアクターの性格や外見の一部を反映させる事があるそうです」
私の言葉を聞いた風香が説明してくれる。
「お前はどうする?」
「私はお断りします」
風香は考える事無く即答した。
「そうか」
「お嬢様はどういたしますか?」
「私はやってみようと思う」
「かしこまりました。では私は辞退、お嬢様は受けるという旨を返信しておきます」
始めから嫌では無かったし、風香との配信も悪くは無かった。
誘いが来たのなら乗ってみよう。
私がアイドルであった事がバレるかも知れないが、恐らく大事にはならないだろう。
風香との配信が終了した後、私は月の談話室に移動してバーチャルニュウチューバーについて考えていた。
私はニュウチューブの動画を見ていた時、バーチャルニュウチューバーと視聴者の関係はアイドルとファンの関係に近いと考えていたのだが……風香の配信に参加した事でその考えを改める事になった。
アイドルとファンの関係、その事自体は恐らく間違っていないと思うのだが、雰囲気が違う様な気がする。
画面越しでは向けられている感情は分からないので断言は出来ないが、自宅で友人がプレイしているゲームを会話しながら見ている様な、そんな雰囲気に近い。
……少し違うか?
上手い例えが見つからないが、何となくその様な雰囲気を感じた。
「お母様、いつデビューするの?」
色々と考えていると、カミラがやって来た。
カミラには既にバーチャルニュウチューバーとしてデビューするかも知れないと話してある。
「現時点ではデビューするかも知れない、という所だな」
「そうなの?」
「ああ、私と向こうの意見が合わなければこの話は消える事になる筈だ」
「確実に採用されると思うわよ?顔合わせでは認識阻害を使わないのよね?」
「これから世話になるかも知れないからな、偽らずに向かうつもりだ」
「人類最高とまで言われた元アイドルが来たら拒まないと思うけど……」
彼女はそう言って頬杖をついた。
「私が元アイドルである事に気がつくと思うか?」
そう言うと、カミラは呆れたような表情を浮かべた。
「間違い無く気が付くわ」
「そうか」
「そうよ」
そう答えた後、カミラは近くに居た侍女に飲み物を頼んでいる。
「しかし、元アイドルという事が確実に採用される根拠になるのか?」
「なるわよ。あれだけの人気があった訳だし」
「私は関係者以外に自分から公開する気は無いぞ?」
アイドルをしていた事を知られなければ関係者の注目など浴びないだろうし、そもそもバレた所で大した話題にはならないだろう。
「それ以外にも、現在の人類社会特有の理由があるのよね」
「何だ?」
私はカミラに問う。
「ブイライブは月下グループの融資を受けているから」
「……なるほどな」
私の事を知っているのなら、私が月下グループの令嬢だという事も知っているだろう。
「その辺りの関係で、ブイライブはお母様相手に強く出られないと思うわ」
「そういった事を利用する気は無い」
場合によっては手段を選ばないが、今回はそんな事をするつもりは無い。
「向こうはそうは行かないのよ、今ならお母様も何となく分かるでしょう?」
「そうだな」
融資を受けている事もだが、月下グループとブイライブでは会社の規模が違い過ぎる。
月下がその気になればブイライブは簡単に潰されてしまうだろう。
「私が提示する条件を飲まない場合、契約する気は無いが……念の為、話が無くなったとしてもブイライブに影響が無い事は強調しておこう」
「んー……お母様がそういった口約束でも反故にしない事を知っていればそれなりに安心すると思うけれど、向こうはそんな事まで知らないだろうし……気休めにしかならないと思うわよ?」
少し考えたカミラは、私にそう言葉を返した。
ブイライブとの交渉時に認識阻害を使用しないのは私の気分的な問題が最も大きいが、それだけが理由ではない。
素性を隠す事が多いバーチャルニュウチューバーの事務所であれば、個人情報の扱い方を心得ていると思ったからだ。
「どうなるかは行ってみれば分かるな」
「まあ、どうなってもお母様なら楽しむんでしょうね」
そう言って微笑むカミラ。
「お前達もああいった動画を見ているのか?」
ふと、思った事を聞いてみた。
「私達も時間がある時にお母様の配信は見てたわよ」
カミラも見ていた様だ。
そして交渉当日。
相手はアイドルのクレリアを知っていたのだが、私が認識阻害を解除し本人だと気が付いた途端、驚喜した。
その声を聞きつけてやって来た社員がまた私に気がつき……という事をしばらく繰り返し、かなり社員が増えた所で話が進んだ。
誰かが連絡しているのか、更に増える社員達に囲まれたまま話を聞いた所、この会社に在籍している社員は私がアイドルとして活動していた時期に10代後半から30代前半だった者が多いらしい。
更に、その殆どがアイドルクレリアの大ファンだという。
その結果、交渉は交渉と言えない様な状況に変化して行った。
私は「ブイライブ側は配信内容に関して提案はしても強制はしない」という条件を付けたのだが「クレリアさんに強制などあり得ません」と即座に回答された。
それ所か、「自由に活動して下さい!」、「もう会えないと思っていたクレリアさんが所属するなんて夢みたいです!」、「サイン下さい!」などと騒がれ、イベントの様な状態になっていたな。
最終的に社長が現れた事で騒ぎは収まり話はまとまったのだが、ブイライブの社長も私の大ファンだった様で「貴女ならバーチャルニュウチューバーとしても間違い無く成功するでしょう」と言われた後に「機会があれば私や社員達と写真撮影をして頂きたい」と頼まれた。
家に帰り、ブイライブとの交渉で起きた事を娘達に話すと「お母さんの人気は凄い」と言っていたが、あの会社に特別ファンが多かっただけだと思う。
少し騒がれたが私の要求は全面的に受け入れられ、歓迎された。
こうして私は正式にブイライブに所属するバーチャルニュウチューバーとなった。