ナティシア ー平凡幼女はハードモードな世界を生きるー 作:かげはし
鐘の音が聞こえていたはずなのに、いつの間にか施設の中は静寂で満たされていた。
薄暗い廊下の先を必死に走り、体力がなくても立ち止まりはせずに歩き、時には転びながらも進んでいた。だからだろうか、鐘の音が届かないほどの奥へ行くと、そこはまるで鍾乳洞のように周りの壁や天井が真白の石で覆われ、神秘的な場所へもぐりこんでいった。
「はぁ……はぁ……」
今日はずっと何も食べていないからお腹が痛い。先ほど必死に走っていたから、足が痛い。裸足で歩いてきたから血がにじみ出ている。
だがその先―――――廊下の奥にはホールのようなとても大きな部屋があった。
いや、これは部屋とは呼べないだろう。
天井に穴が開き、太陽の光が部屋の真ん中に差し込んでいる。それ以外の天井には尖った石の柱がぶら下がっており、人工的に作られた壁や地面などはなく、自然の鍾乳洞がそのままにされてあるように見えた。
その至る所に前世で見たことのない煌びやかな宝石の類が埋め込まれていて、太陽の光を反射してキラキラと様々な宝石の色に合わせて七色に光っている。
その奥に、人工的に作られたカプセルのようなものがあった。
カプセルには地面や壁に沿うように、まるで血液のような太いホースが自然とできた鍾乳洞の上を沿って、廊下の先へ伸びている。
だがそこから先は消えてなくなっていた。まるで切断されたように急に途切れている。ホースの先はまだ制作途中なのかと疑ったが、俺がそのホースを触ろうとしても触れないことに気づいて違うんだと理解した。
グレンの炎に似ている。温かさはあるが、ホースの感触はない。空気を掴んだように俺の手から通り過ぎ、その先の壁にぶつかるだけ。
どういう原理なんだろうかと思ったが、それよりも先にやるべきことをしなければならないと我に返る。
「ふぅ……」
息はもう乱れていない。まっすぐとカプセルの方へ歩いて進む。
カプセルは周囲が鍾乳洞の石と同じく真白のコンクリートみたいな物質で出来ていたが、その前の一面だけは透明なガラスで包まれていた。
カプセルの中を覗き込んで、研究員が言っていた言葉を思い出す。
「……彼女って言ってたけど、こういうことか」
カプセルの中で、呼吸器のような透明な何かを口につけられて眠っている女性がいた。
十代後半から二十代前半といった若さの見た目をしていたかもしれないが、白髪、痩せこけた頬が彼女の年齢をより上に感じさせた。
これを潰せばいいのか。カプセルの外に彼女を出せばいいのか……?
「くそっ、重い……」
体力が少ない俺に頑丈なカプセルのガラス部分を壊すのは無理だ。地面に落ちていた石で叩いても全然割れる気配はないし、ぎゃくにこっちの体力が奪われる。
ホースは無理だし、接続部分に石をぶつけようとしても無理。
「おい起きろ! 眠ってるんじゃねえ!」
眠っている女性の顔部分へ向けて何度も叩いて大きく怒鳴る。だがそれに目覚める気配もなし。
あとちょっとだと言うのに……くそっ。
「ようやく見つけたぞ! 貴様の仕業か!!」
瞬間、男の怒声が背後から聞こえてきて反射的にそちらへ振り返ろうとする。
でもまずい。振り返った先で見覚えのない立派な服を着たおっさんが俺に拳を振り上げて―――――。
「っ―――――ごふっ!?」
「この、クソガキが。実験体であろうと許せる行為じゃないぞ。この施設にどのくらい金を消費したと思っているんだ!」
「ぐっ……う……」
右頬をぶん殴られ、そのまま横倒しに倒れた俺に近づき、首を絞めてくる。
苛立ちと殺気が俺にぶつかる。やばい、息ができな……。
「わざわざ使えないメリア大森林の近くの領地を買い取ったんだぞ。査察を続けていて良かった。貴様のせいで大損害になるところだったんだ!!」
「うぐッ……がはっ。ひゅ……」
「ふんっ! このまま死ねると思うなよ。お前は最後まで最大限有効活用し、私のために死ねばいい」
首から手を離されたため、乱れた息を整えようとして咽る。何度も咳をしている俺にたいして、おっさんは俺の髪を引っ張った。ブチブチと痛みと共に数本の赤毛が抜け落ちていくのを感じる。
声を聞いていてようやく思い出す。こいつあれだ。今日アレイなんちゃら候ってやつだ。まだこいつ帰ってなかったのか……。
よく見ると背後に二人ほど男たちが警戒しながら周りを見ているぐらいだし。こいつらは護衛の連中になるのか……。
「おい、このガキを連れていけ! それ以外は全て処分だ!」
「アレイルクス候。施設ごとでしょうか」
「言っただろう! 全て処分しろとな!! 研究員も残っている魔術師もいらん! 扉を全て封鎖し、中に油と火の魔術を放て! 全て燃やして証拠を消せ!!」
「「ハッ!」」
「ハッ……はは…」
「何がおかしい!?」
おっさんが俺を睨みつけながら頬を強く叩いてくる。それでようやく気付く。
ああ、俺笑ってるのか。勝手に口角が上がってた。
おっさんの言葉を聞いてざまあみろって思ったんだから、仕方ないよな。
俺を何度も何度も殺しかけた連中が、このおっさんにとっては俺たちと同じ道具にすぎなかったんだなって思ったら、いろんな意味で奇妙な気分になった。
嘲笑でもあったし、憎しみもあったし、この目の前にいるおっさんが元凶なんだと思うと、ぶち殺したくなる。殺したいのに先程のダメージで死にかけている自分が憎たらしい。
目の前にいるのに、護衛の男一人に両手を掴まれて引っ張られる俺の身体の弱さに苛立ちが込み上げる。きっと暴れても意味はないんだろうな。
「クソが……」
ズルズルと身体を引きずられ、カプセルから離されてどこかへ連れて行こうとする。
もう一人の男がおっさんの近くで手のひらを地面に押し当て、何かを呟く。その瞬間現れたのは五芒星の光の魔法。
淡く緑色に光るそれに向かって俺を連れていこうとしている。抵抗するが男はそれを苦に思わず無視して引っ張る。むしろ抱き起されてそのまま荷物のように肩に捕まれて歩かれる。くそが。くそが……!!
「オォォッ!!!」
「なっ!? ぐぉッ――――――」
突然、何かの咆哮と衝撃が俺の身体を襲う。
いや違う、俺を捕まえていた男を襲って、その衝撃で俺の身体が吹っ飛んだ……のかっ!?
身体が宙を舞う。鍾乳洞の天井部分。尖った石が俺の肩をかすめて血が数的落ちていき、そのまま落下していく。ああやばい。やばいやばいやばいっ。
何に吹っ飛ばされたのか分からないが、このまま地面に激突したら死ぬ……!
「がぅー!」
「……は?」
衝撃が来ることを予想して目を閉じていたというのに、来たのは柔らかな感触とふわっとした優しいもの。そしてどこかで聞いたことのある獣の声が俺の頭上で響く。
目を開けてみると、そこには実験で会った小熊がいた。いや、それだけじゃない。周囲を見るとかなり様々なモンスターたちがいる。
男を吹っ飛ばしたと思えるオーガ――――――母さんがいる。
「かあさ……」
「むリしナイ」
「うぃ……」
「がうー」
母さんとはいえ、
モンスターたちは男達を囲って睨みつけている。ぶっ飛ばされた男は動かないが、まだ生きているようだし……。
小熊が俺を地面に座らせる。そんな俺を見て、男たちは困惑する。
「な、なんっ……何故モンスターが……っ、検体0! 貴様の仕業か!! やはり貴様がこいつらを操って大虐殺を起こしたんだな!!」
何の話なのか分からないが、とにかく誤解されているのは伝わった。
もう喋る気力もないからこのまま見ているけれど、母さんがちょっとキレかけてるからあいつらが母さんによって死なないことを祈ろう。母さんが人を殺すのは見たくないし。
「ガァァッ!!」
「オオォ!」
「は、ははははっ! 無駄だ、モンスターの攻撃なんぞ我々に通じるわけないだろう!」
男たちはまだ抵抗を続けていた。
攻撃防御の魔法でも使ったのか、何体かのモンスターがぶん殴りにかかるが、透明で五芒星の光が刻まれた防御壁が発生してそれに阻まれているのが見える。
「アレイルクス候、このままでは……今は逃げることを優先した方が良いです」
「何を言うか! このまま逃げるわけには―――――」
「おっと、逃がさないよ」
一瞬何かが透明な防御壁の中へ通り過ぎた。
「なっ!? 防御壁を突破するだと……ぐっあぁ!?」
奴等の背後から複数の黒くて小さい何かが護衛の男の一人に襲いかかる。
先程までモンスターたちに効いていて攻撃が出来なかった透明な壁から入り込み、男の背中に張りついていく。
それを間近で見たおっさんが、尻餅をついて後退した。髪を振り乱し、冷や汗をかいて口を開いて叫ぶ。
「ひぃっ!? お、おい何をやっている! 貴様は私の護衛だろうが!!」
「あ……がっ……」
小さくて黒い複数の物体が男の背中から身体全体を覆いつくしていく。
助けを求めるような声は聞こえるが、すぐに呻き声となってなくなる。
「な、何故だ。防御壁はモンスターの攻撃に効くはずだろう。何故効かない! 何故だ!!」
「そりゃあ、僕たちモンスターが攻撃しているわけじゃないからね。防御壁なんて頭で考えればすぐに意味がなくなるものだよ」
そう、小さく嘲笑うように言ったのは廊下の先にいたルクレスさんだった。
「モンスターでもない小さな蟻達に身体中を貪り食われる気分はどうだい? 蜘蛛に噛まれて毒を入れられる気分はどうだい?」
ルクレスさんの言葉でようやく気が付く。
男の身体を覆い隠した黒い物体は全て虫だった。ほとんどが蟻だったが、その中に数匹だけ蜘蛛が混じっているのが見える。殺し合いなんかしていない。ただ共闘して、一人の人間を襲っている。
ルクレスさんがそう指示を出したのか? そんな凄いことが出来る人なのか?
母さんたちはみんな何の反応も示さない。むしろそれが当然と言うように思っているらしい。
だが、絶句したのは俺だけじゃなかった。
「なっ……」
「ああ、お前には用があるから殺さないよ。僕たちはお前に対して、本当にいろんな意味で借りがあるからね」
ルクレスさんの後ろにいたらしいトカゲっぽい人……リザードマンか。そのモンスターがずしずしと気絶しているもう一人の男に近づいて、その首を噛み千切った。
あっけなく殺していくルクレスさん達に思うことはあったが、そのまま見ていることだけで十分だった。
「ハッ……ははっ……お、お前たちの思う通りに行かせるものか!!!」
おっさんが駆けていく。その足を母さんがぶん殴ってひっかけて派手に転ばしてやるが、おっさんは止まらない。折れたような足を引きずって、カプセルの方へと向かって行く。
最後の足掻きだろうか。
男を捕まえて、それで終わりにしようとルクレスさん達が近づいた。
「畜生! どいつもこいつも役に立たんゴミが! これで死ぬくらいなら―――――これで最後だ!」
何をやったんだろうか。
おっさんがカプセルの側面に手を当てた。その瞬間、カプセル全体が光り輝きはじめる。
「あっ……いかん! 皆、あの男をカプセルから引きはがしてくれ!」
「ガァァッ!!」
「りょうカい!」
ルクレスさんが何かに気づいたらしい。慌てた様子で男に駆け寄ろうとする。それに続いてモンスターたちも慌てて近づこうとする。
それを、呆然と眺めていた。体力もなくなって身体が動かせないから、見つめていた。
カプセルだけじゃない。七色に光り輝いていた宝石が次々と光を失っていく。
部屋全体が鼓動のように小さく振動する。
カプセルの内側から、ガラスが割られて細い手が出てきて息を呑んだ。
おっさんはただ嘲笑っていた。これですべてが勝てると思い込んでいたんだ。
「はっはははははっ!! ああそうだ。それでいい! さあ殺せ。皆殺しにして――――――ェッがっぁ」
そうして、カプセルの近くにいたおっさんの頭を掴んで内部へと引っ張られているのが見えた。頭を潰され、身体の骨が折れてもなお、まるでブラックホールのように無理やり中へ引っ張られている。
ぐちゃぐちゃと嫌な音を立てて、カプセルの中身が真っ赤な液体へ染まっていく。
やがて音はなくなり、カプセルのガラスすべてが吹っ飛ばされた。
ゆっくりと起き上がったのは、もともとは白のワンピースだった服を真っ赤に染めた女性。身体全体におっさんの残骸を浴びた、真っ黒の眼球をした狂ったような化け物がそこにいた。
「アァァァァァァァッッッ―――――――!!!!!」
甲高い悲鳴のような咆哮を上げた女性に耳鳴りがした。
俺だけじゃない。モンスターの全員が、奴を敵だと認識したのだ。