ナティシア ー平凡幼女はハードモードな世界を生きるー 作:かげはし
平均的な身長をした女性が、赤く血に濡れた白髪を振り乱し、まるでゾンビのようにふらふらと身体を揺らしながら近づいてくる。
その表情に正気はない。理性の欠片さえもなく、口から涎を垂らし、眼球も結膜もすべてが真っ黒に染まっているため、どこに視線を向けているのかさえ分からない。
あの耳鳴りがするほどの咆哮は一度きりだった。それ以外はずっと奇妙なうめき声を出しているだけ。それが女性を『人間』として見ることができなくなっている要因だった。
確実に言えることは彼女は絶対に味方ではないということぐらいか。
母さんたちがモンスターに変異して異形になっているというのに、人間らしい見た目をしている女性の方が恐ろしく感じる。
それを俺以外も思っているのだろう。母さんが俺の前へ出て、小熊たちが近づいてきた。守ろうとしてくれているのだろうか。
「ガゥゥ」
「ルクれス、ドうスルんだ?」
「いや、これは逃げた方が良いな……」
気難しい表情でルクレスが言う言葉に反対する言葉は出ない。
ぶっちゃけ檻の外へ出て自由にしているのはルクレスさんのおかげだと思うから、彼がリーダーとなって指示を出してそれに従ってやっているのだろう。ルクレスさんや母さんたち以外も喋れるモンスターがいることには驚くが、今はそういう状況じゃない。
すべて終わってから話をすればいい。
「ここは魔法制御の核がある場所。居ても気持ち悪くなるだけだ。……廊下の外へ出よう」
女性の身体はふらふらと動きながらも前へ進んで歩く。だがそれだけだ。
ゾンビのようにゆっくりとスローペースで歩いているため、俺達が追い付かれる気配はない。
だからか、ルクレスさんは警戒はしているが攻撃を仕掛けようなどと考えていなかった。
とにかく逃げようと母さんが俺を抱き上げようとして、皆が廊下へ目指そうとした瞬間。
「オォァァァァァァァッ―――――――!!!!」
「ぐっ!?」
くっそ耳が痛いッ!
それに吐き気で気持ち悪い!
なんだよ今の叫び声は!?
周りを振り返ると全員が頭部分を――――――頭がないモンスターは、ただ身体を丸めて震えさせていた。全員が立ち上がることさえできずに地面に膝をついているのが見えたのだ。
大きめの咆哮をダイレクトに聞いたせいで頭痛がする。
鼓膜は破れてないと思うけど、何かただ叫び声を聞いたというより攻撃されたと言っていいような気持ち悪さがあった。
おそらくあの声に秘密があるのだろう。もともとはモンスター用の防御魔法として利用していた核の女性だ。人間である俺以上のダメージを周囲にいる母さんたちが負ったように見えた。
周囲の壁や地面に埋め込まれている宝石のような石が不気味に黒く光り輝いている。あのカプセルと繋がっていた不思議なホースでさえ、周囲の石と共鳴しているように赤黒く染まっていった。
何か魔法でも発動しているということなんだろうか。吐き気はするし気持ち悪いし立っていられないぐらい辛い。
でも何故か、思考だけははっきりと回る。冷静に周りが見れる。
ってか……あれ、ルクレスさんの姿がない?
というより、先程までルクレスさんがいた場所に一匹の黒い蜘蛛がいる。絹のような太い糸が周囲に散らばって空気に溶けて消えていく。それと同時に、女性が黒い蜘蛛めがけて動く。
「アァァッッ」
「グッ……ルクれスっ!」
「ガァァッ!!」
頭を抑えながらも黒い蜘蛛に向かって『ルクレス』と焦ったような声で叫ぶリザードマン。
そして二足歩行の狼のような姿をした獣……実験の時に知ったコボルトと呼ばれた人ほどの大きさのモンスターが大きく口を開けて牙を剥き出しにし、女性に襲いかかる。
「ォォァァァァァァァッ!!!!」
「ギャッ!?」
だが、コボルトに向かってまたも咆哮をした女性が、攻撃の勢いを消して吹き飛ばす。宙に浮いた彼をそのままに―――――女性が手を伸ばしてコボルトの腕を掴んだ。
「ぐ、ぅ……い、いかん……奴に攻撃を許すな! 僕の前で殺しを許すな!!」
リザードマンによって手の平の上に乗せられた黒い蜘蛛からルクレスさんの声が発せられる。
彼がルクレスさんなんだと知る一方で、血の臭いが周囲に発生した。
「ガァァァッ!!?」
女性に捕まれたコボルトの腕を捻り、ねじ切って切断しやがった。それに唖然として――――だが、これ以上は見るなと母さんが俺の目を覆ってきたせいで声しか聞こえなくなる。
「駄目だっ!」
「待テ、ルくれス。そノマま行っタラ殺さレルぞ!」
「何を言うか! 僕がこの計画を立てた責任者だ。僕が行かないでどうする!?」
「大ジョブ、俺達が行ク」
「がうー!」
「グォォ!」
「っ……分かった。なら僕の指示に従って動いてくれ。君たちのことを侮っていたよ。絶対に死なないように!」
『―――――――ッ!!』
グレンの言葉をきっかけに、モンスターたちの咆哮が聞こえる。
俺の傍にいて離れない母さん以外の誰もが女性に向かって―――――――いいや、あのコボルトを助けるために向かって行く気配を感じる。目は母さんの手で覆われていて見えないけれど、音だけでも分かる。
怖くはないのか。あんなモンスターよりも恐ろしい化け物を見て、怖いとは思わないのか。いや、憎たらしいという思いはあるから、その殺意に身を任せて襲っているのか。
やがて、ゆっくりと母さんの大きな手が俺の目から離れていく。
拳を握った母さんが、戦いを見て我慢できなくなったように女性だけを睨みつけている。
「母さん……」
「待っテなサぃ」
そう言って、母さんも女性の方へ走っていった。
オーガとしての力のままに。走った瞬間地面が抉れるほどのスピードでもってあの女の元へ近づく。
片腕を捻り潰され、切断されたコボルトの方ではルクレスさんと一緒にいたリザードマンがいる。そしてルクレスさんがその肩に乗って、攻撃して来ようとする女性に糸を飛ばしたりみんなの指示を飛ばしたりとしていた。
だが、両手足に絡まった糸はすぐに引きちぎられて女性が自由になるし、攻撃してきたモンスターに対して口を開いて獣のように噛みつこうとしたり、コボルトの二の舞にさせようとしたりと凶暴だった。
火の玉のグレンならばその身体を燃やすことが出来るんじゃないかと思ったが、あの女性はウィスプとしての身体を掴むことが出来た。いや違う、いろんなモンスターに対して攻撃することが出来ているようだと分かった。なんせグレンの身体を掴もうとした時に周りの壁に埋め込まれた宝石が赤く不気味に光ったのだから。
腕を咄嗟に捕まれたグレンが火の温度を上げて女性の手の平を燃やしたが、すぐに彼女は回復した。それどころかまた掴んでコボルトのように捻ろうとしてきた。
そこをオーガの母さんが攻撃を仕掛けてなんとか体勢を整える。
女性は退かない。そして俺達を逃がそうとはしない。理性がないように見えるのに、そんな意思がちらつく。
「他の仲間たちに増援を頼むか……いや、この化け物以外にも何かいるかもしれない。他の問題が発生する事態に備えるなら、僕たちだけで倒すしかない……!」
決意を抱いたルクレスさんが格好良く見えた。黒い蜘蛛がまるで軍師のように皆に指示を出して先程のコボルト以上の怪我を負わせないように必死に抵抗する。
それに合わせて皆が攻撃する。何度も何度も攻撃しては避けられて、そして攻撃されそうになってまた避けての繰り返し。俺の目では見えないようなスピードで行う時もあった。獣の唸り声が部屋中に響いた。コボルトの血の臭いが鼻をツンとさせた。
だが、何故か全員の戦う姿が全て違和感があったように見えた。
なんというか、慣れてないように見えるというのか。ぎこちない動きが目立っているというのか?
女性はそれとは違って、ゆらゆらと動いて両手を使って攻撃しようとして避けられた先で足をもつれて転び、モンスターに攻撃されそうになって口で噛みつこうとしてくるのろい行動しかできないように見えた。
ゾンビっぽい動きだから女性に違和感はない。だがモンスターの方に違和感がある。それはなぜなのかようやく分かった。
以前グレンが本能で炎の温度を変えていたことがあった。それ以外にも氷の力やぶよぶよのスライムの身体を鉄のように固くさせたような実験もあった。
みんな本能でどうやるのか分かっていた。
あの時は一つの指示に従っているだけだから違和感はなかったんだ。
だが多彩な動きが入って変になる。本能と理性が衝突しているように見える。
モンスターに人間らしい動きが目立って仕方がないんだ。そのせいで動きにぎこちなさが出て攻撃じゃなくなっているように見えるんだ。
人型のモンスターはあまりそうじゃないみたいだけれど……。
ううん……何で俺そう思っちゃうんだろう。というか、ぎこちないって何がだよ。
だが呆然と座り込みながらも何もできずについ見てしまう。考えてしまう。
モンスターって確かもっと恐ろしいって思うよな。圧倒的な攻撃力があるもんだよな。
あのドラゴンのように、
その瞬間、だった。
「アァァァァァァァァ――――――――ッッ!!!!」
「ぐっ……!?」
先程よりも大きな咆哮を女性があげる。
それと同時に赤黒いホースが一気に四散し、埋め込まれた宝石がパリンと割れていくのが見えた。
とっさに耳を抑え、両目を閉じて痛みを堪えた。
鼓膜は破れてない。でも頭痛がする。耳鳴りがして音が遠く聞こえてくる。
咆哮が収まったようで、ゆっくりと目を開けて――――――絶句した。
「……え?」
皆が血を吐いて倒れている。
グレンなんか丸い火の玉となって、その命の灯火を小さくさせて地面に落ちていた。
小熊を守るように倒れている小さいケット・シー3匹がいる。リザードマンがコボルトの上に覆いかぶさるように身体を震えさせて尻尾をくるんと丸めている様子が見える。
ルクレスさんが8本の足をピクピクと動かして、身体を痙攣させているのが分かる。
そんなにも酷い攻撃だったか。
モンスターたちが血を吐いて苦しんで倒れるほどに、凄いものだったのか。
「なんで……どうして……」
母さんが、あの女性の目の前で膝を地面につけて血を吐いて苦しみもがいていた。
女性がニヤリと笑う。嗤っている。
両手が伸びて向かうのは母さんの方で―――――――。
「止めろ! おい、狙うなら俺を狙えよ! 母さんを狙うんじゃねえ!!」
「アァァッ」
奇妙な声と共に俺の方へ一瞬向いてきた。
だが女性は興味ないと言うようにオーガへ向かう。母さんの首に両手で掴もうとする。
それを止めたいと必死に立ち上がって近づこうとする。頭の中で無理だと冷静に思う気持ちはあった。でも感情はそれでは駄目だと諦めきれずにいた。
「止めろぉ!!」
殺すな。殺すんじゃない。
俺の家族を殺すな! 俺の前で殺すな!!
転んでも頑張って起き上がり、母さんの元へ近づこうと必死に走る。足から血が垂れて来ても気にせず。頭痛で激しく視界が明滅しても気にせず。
はやくはやくはやくはやくっ!!!
だが、女性の手は止まらない。
母さんの首を掴んで、そのまま力強く押そうとする。母さんが、苦しそうなうめき声を上げる。
駄目だこのままじゃ助からない。母さんが死んだらその後どうなる。
このままだと全員が死んでしまう。あの女性のせいで、皆が死ぬ。
母さんが、目の前で殺される。
俺は無力だ。それは分かってる。
必死に走ってる頭の中で冷静に言っても無駄だと分かってる。
でも嫌だ。このまま終わるのは嫌だ。身内が死ぬのは嫌だ。仲間が死ぬのは嫌だ。
「だれかっ――――――――」
だれか、たすけて。
『良いだろう。喜べ小娘、これでようやく契約成立だぞ』
刹那―――――――意識がかき消えた。