ナティシア ー平凡幼女はハードモードな世界を生きるー 作:かげはし
―――――それはまだ、目覚めではない。
それは、彼女の力ではない。
正直言って、あの女と対峙したのは失敗だった。
モンスターの攻撃を妨害する魔術核となった女。
人柱として犠牲になった、僕たちと同じ被害者だった人間。
ここまでうまくいっていたから侮ったんだろう。
周囲に展開された防御魔法によって攻撃をしても想定より半分以下のダメージしか与えられない。思いっきり腕を振り下ろして即死級の攻撃をしても、人間から見れば一般男性にぶん殴られる程度の威力。それでも何度も続けていればいつかは死ぬ。
それはきちんと調べ、知っていた。
だから魔術核の穴でもある僕たちからの攻撃ではなく別のモノで攻撃すれば人間を即死させられると理解し行動した。
だからここまで来れた。魔術師にだけ注意していれば良いだけの簡単なものだった。
だが、あの女はそうはいかない。
モンスターではない蜘蛛たちによる毒攻撃を行っても倒れず、天井にぶら下がっている尖った石を壊して女の頭上に落としても、何も効いていない。
人間の見た目をしているというのに、奴はまるでモンスターだ。いや、モンスター以上の化け物だ。
おそらくあのアレイルクス候の血肉を取り込み、その命を犠牲にしてようやく稼働する最終武器。でもあの国家でそんな人間兵器を使ったモンスター殲滅など聞いたことはない。そのせいで誤った行動をした。
もっと強いモンスターならば助かったかもしれない。僕がもっともっと強かったら……。
そう嘆いていても、もう遅いことは分かっていた。
僕たちは全員、世界にとって下位モンスターとして扱われている力の弱い存在ばかりに変異した。
そんな半端なモンスターが女の化け物に敵うわけない。
身体中が激痛で起き上がることすら出来ない。
あの咆哮が、僕たちモンスターの力を奪い、内側からダメージを負わせてきた。
これは明らかに魔法だ。それも中位魔法のもの。若い頃に帝国でよく見ていた、人間の方の魔術師に比べるまでもなく圧倒的な力を持つ者の力。戦争なら戦力に組まれるレベルだぞ。
気絶しないように必死に耐える。だが、刻一刻と死の足音が聞こえてくる。
死にかける身体を叱咤し、通常では見えないほど細い糸に毒を染み込ませ、それらを周りで包んで丸めて最低限の防御を取り繕う。
それでも死ぬかもしれないという最悪の考えは消えなかった。あの女の攻撃を受けて、全滅しかかっている状況。
―――――――それだというのに。
「そこまでにしておけ、成り損ない」
聞こえてきたのは、アルメリアの声。
首を締めつけられ、死にかけていたオーガに向かって、「母さん!」と叫びながら転んで身体をふらつかせながらも必死に駆け寄ろうとしていたアルメリアが、凛とした声であの女の手を掴んだ。
さっきまで遠い位置にいたというのに、いつの間に移動して来たんだ? 一瞬であの距離を走って女の腕を掴んだのか?
明らかに異常だった。
アルメリアの雰囲気が先程と一変していたのだ。
他の皆はまだ気絶していたり必死にダメージに耐えていたりと死にかけているが、僕だけは分かった。
血のように鮮やかな赤毛の色が少々濃くなっている。まるで炎を浴びたようなオレンジが混じったものへ変化している。
瞳でさえも紅色から、月夜のような漆黒の色へ変わっていた。
まるで僕たちが味わった変異のように細かな点で変わっている。身長などは全然変わらず、異形へと変化しているわけではないというのに、人間のようには見えなかった。
まるであの化け物の女と同じように、本能で人間ではないと分かってしまったんだ。
彼女は変異に巻き込まれなかった被害者なんじゃないのか。
アルメリアが知らないうちに、彼女の中で変異が起きていたのか?
「ァァッ――――――」
「しー。喧しいだけの叫び声など聞く価値もない。静かにしていろ」
「ッ!?」
明らかに先程と同じ咆哮をしようとして口を開いた女に、その小さな手で唇を塞いだ。
それに女はうろたえ、攻撃できなかったと理解したのか後ろへ一歩下がってみせた。
それにただ挑発的に笑みを浮かべ、自らの上唇を小さく舐めるアルメリア。
瞬間、チリっとした熱気を感じた。
「燃やせ」
アルメリアが小さく呟いた瞬間、化け物の女の身体が一気に燃えた。火達磨となった女が苦しみ咆哮とは違う叫び声を上げる。
油などを浴びたわけではない。魔術を使ったようには見えない。
炎の魔術を使うのならば、赤色の光を放つ五芒星が一瞬でも浮かび上がるはずだ。だがそれが何もなかった。
それとも僕の目には見えないほどの速さで発動させた?
「アァァァァッ―――――――!!!」
「喧しい。貴様のような塵はよく燃えるが煩わしいな」
小さくパチンと指を鳴らすと、突風とも思える風が吹く。今まで天井と廊下などから風が吹くようなことはなかったというのに、アルメリアの行動で一気に周囲の空気が変わる。彼女が周囲全体を意のままに操っているように見える。
焦げ付いて炭になりかけていた女の身体が切り刻まれていくのは、その風のせいなのか?
「生き物には全て運命というものが備わっている。死の運命がな。貴様はそれに選ばれた。喜べ小動物、貴様はようやく楽になる」
粉々に切り刻まれた女はもう生きていないだろう。
ただの焦げ付いた残骸を踏み潰しながら嘲笑うその姿は、ただただ異様だった。
「だが、これで終わりにはさせないがな」
ああ。僕なんかが対処できるような存在じゃない。
あんな高等魔術以上の力を―――――――周囲の空気を変えてしまうような力を持った相手に敵うなど経験上有り得ない。
もう死んでしまった化け物の女以上の力だ。
おそらく覚醒した……といえるのだろう。変異による成功体。あの研究員共が言っていた言葉は、全くもってその通りだったんだと思えた。嘘じゃなかったんだ。
その力を僕たちに向けずに奴らを復讐するために動くのならば、それはどれだけ素晴らしいモノなのかと思えた。蹂躙し、連中に復讐をして――――――そして元の生活へ戻れるための力。
それを彼女は備えている。
それほどまでの力をアルメリアは示した。
僕たちが必死になって戦っていたというのに、彼女はあっという間に倒した。瞬殺ともいえる光景だった。
「さて、起きている奴もいるようだが……まあいい。
黄緑色の淡い光が部屋全体に包み込む。
それに僕はギョッとした。
有り得ない。ありえない魔法だ。なんだこれは……!?
通常の回復魔法は傷の血を止めて怪我を塞ぐだけのもの。
軽く治すだけなので痛みは残るし、小さな怪我しか治せない。内臓などの重傷部分を治す回復魔法なんて一般的にありはしない。ポーションだってそうだ。
そんな大魔法は、100年に一度いるかいないかの天才的な魔術師しか使うことができない。それも魔方陣を発動させるために数時間もの時をかけながら。
それだというのに、アルメリアは何をやったんだ。
僕たちの怪我が一気に回復していく。女の攻撃によって腕が引き千切られ死にかけていた仲間でさえ回復する。―――――千切れた腕がまるで傷口から生えていくように回復しているのだ。
モンスターの僕たちだけじゃない。殺したはずの人間でさえも回復していた。生き返っていた。
あのアレイルクス候の肉片の残骸が一気に形を変えて、カプセルに顔を突っ込み気絶している人の姿へ戻っていった。回復したんだ。
そしてアルメリアが踏みつけていたあの化け物の女でさえも生き返っていた。頭を踏みつけられてはいたが、何故か白髪ではなく金髪の見目が可愛らしい少女へ―――――10代前半ぐらいの若さへ戻って穏やかに眠っていた。
息をしている。死んだというのに生きている!
こんなのただの回復魔法なんかじゃない。
これは蘇生魔法。だがそんな時間超越魔法より酷く難易度が高いものなどあり得ない。
ありはしないはず……だというのに、アルメリアはそれを成し遂げた。
彼女は神か何かか……!?
「人間は縛っておくか。それ以外は放置して……おい、そこの」
鋭い瞳が、僕を捕えた。
「お前だ。ルクレスと言ったな?」
「っ!?」
アルメリアが呆然としていた僕に向かって話しかけてきた。
いつもとは違う偉そうな表情と口調で―――――――でも何処かそれが本来の彼女の姿のように見えたまま、僕に言う。
「……お前、あの人間どもを縛っておけ」
それは命令。
お願いなんかじゃなく、絶対に成し遂げろと言う上からの指示。
それに従う意味はまったくない……ないのだけれど……。
「了解……しました……」
「うむ、それでいい」
満足げに笑ったアルメリアに屈服した。
これでいい。これでいいんだと心が満たされる。
年齢なんて関係ない。僕の今までの経験なんて意味がない。彼女の言葉こそすべてだ。
彼女は覚醒した。強く気高い生き物になった。
それなら僕は従った方が良い。怪我を直し命をも復活させる。
そんな神のような幼女に従わない道理なんて存在しない。
「私は少しの間寝る。後は任せたぞルクレス」
「はい。分かりました」
蜘蛛の姿で分かりにくいかもしれないが、敬意を込めて頭を下げる。
なんとなくだったが、若い頃――――――帝国にて戦士として働いていた頃の輝かしい過去を思い出した。
英雄と名高き男が伝説を作り上げた人に従って生きてきたあの頃のような気分にさせた。
僕の目がおかしかったんだろう。
彼女は異端だ。だがそれは良い意味でのものだった。
アルメリアはいつか英雄になれるかもしれない。
その下で僕が僕らしく動けるのなら、いつかきっと果たしてくれるのかもしれない。
僕たちが願った復讐を。
あの頃の平和を、取り戻せるのかもしれない。
(いいや、取り戻して見せるさ)
幼い子供につき従っても構わない。
プライドなんていらない。子供に頭を下げてでも、やり遂げなくてはならない悲願があるのだから。
僕はもう、人間じゃないのだから。
僕は帝国を捨てた。
あの頃の栄光を全て捨てて平穏な生活を望んだ。
だから僕は生きなくてはならない。
家族の分まで。失った大切な人たちの分まで。
それに彼らを扇動し人を殺した罪は、僕自身が背負い晴らしていかなくてはならない。
それが僕の生きる意味になるのだから。