ナティシア ー平凡幼女はハードモードな世界を生きるー 作:かげはし
人が包丁を手に持って、それを人に向けて襲いたいと思う気持ちはあるか?
包丁で、凶暴な獣相手に戦えると本気で思えるか?
グレンが言いたいことはそれだけだ。
大半の戦えない仲間たちでさえ、そう思っていたのだから。
戦えと言われても、実際にやることはできないと思う。
っというか、ぶっちゃけるなら絶対に無理だというのが俺たちの仲間の中で大半の意見だろうと思う。
だって、あの時の実験施設での奮闘は全て無我夢中だったんだ。
何をしていたのかさえ分からずただ必死に生き残るために動いていたことぐらいしか覚えていない。
逃げていた人もいるし、家族を奪われたという人たちは復讐に身を宿し怒りのままに暴れたとしか思えない。
あの時の例外と言えば、ルクレスに近しい者だけだった。
自分たちのように衝動のままに動いてはいない。本能に従って生き残ろうとはしていない。
ただ冷静に、そして理性的に―――――こちらがぞっとするような目で戦ってきていた。
戦い方を知っていた。ただの平民が。自分たちと同じ村人だった彼らが、人の殺し方を知っていた。
短い期間の間だろうとも、あの実験の惨たらしさを彼らは知っている。
自分たちはちゃんと、覚えている。
でもだからと言って戦う覚悟はまだ持っていなかった。
人を殺す覚悟もなく、憎しみで行動しようとも何の関係もないどこにでもいるゴブリン相手に戦いを挑むことなどできなかった。
生きるか死ぬかの戦いに、自ら入っていくことなんてできない。
モンスターになっても、戦いたくはない。
「んー……無理だナぁ」
「がぅ?」
「いヤだっテよぉー。俺たチが戦えるト思うカ? ってか、モンスター相手に戦いたイって思ウか?」
「がうっぅー」
「俺たちハモうモンスターだっテ? んナコと当然知ってルよ!」
「がぅー」
ウィスプという小さな炎の子供であるモンスターになったグレンでさえ、ゴブリンの巣に向かって戦うという言葉に頷ける自信はなかった。
だからこの元実験施設の子供部屋でのんびりとしていた。
モンスターになったからと言っても、心は人間のまま。
火になっていてもそれは変わらない。水が怖くなっただけの人間の子供のままだ。
動こうとしないグレンたちを見て、ルクレスは何を思ったのだろうか。
グレンはあの時の彼の言葉を思い出す。戦えないと叫んだ彼らを見た優しくて慈悲のある目を思い出す。
「大丈夫だよ。僕たちはもう人間じゃない。それより強いモンスターに生まれ変わったのだからね」
ルクレスはにこやかに笑っていた。でも、有言実行する力はあった。
ルクレスと同じ村にいたモンスターの元人間たちは恐怖という感情がないようにただ平然とゴブリンの巣へ向かって行った。
もちろんそこで手に入れた物資の数々を見る限り、やはりルクレスさんとその村の人たちは別次元だ。
ぶっちゃけて言うなら普通じゃない。恐怖なんてないように思えるぐらい、あっけなく戦ってあっけなく殺していくのだから。
悪い言い方をするならば、長期の実験台にされていたからモンスターとしての使い方を理解できているのかもしれない。
グレンはただ思う。
自分はまだ、力の使い方を分からない。
ふとした瞬間に何かを焦がしてしまう。水に少し当たっただけで身体が抉れたような痛みを感じてしまう。
子供の時の方が―――――まだ自由に生きやすかったように思えた。
「がぅー」
「なァ、お前もそウ思うダろ?」
「がぅぅ」
小熊のモンスターになって言葉が喋れなくとも何が言いたいのかは伝わる。
こいつの力が通常のモンスターの倍。人間で言うなら鍛え上げられた兵士より数倍もの力を発揮すると言われている怪力。
でも中身はただの子供だ。俺より年下で心優しい小さな女の子だ。
ぶっちゃけて言うならアルメリアの方がこの子より強かで精神的にも強く何があろうとも生き残れると思っている。
俺のような意見が大半。
モンスターとして生きる覚悟がまだない者がほとんど。
今はこの生きている奇跡の時間を十分実感しているだけで精いっぱい。
それがいけなかったのだろうか。
戦えずにいる元人間のモンスターたちへ向かって声をかけたモンスターがいた。
「地下の大ホールに集合してくれ。やりたいことがあるんだ」
それは当然、ルクレスの声だった。
―――――そうして後にアルメリアが青ざめた顔で「鬼指揮官かよ……」と呟く程度には酷い状況に陥ることになる。
だがその一件が原因で、未だに疑心暗鬼に陥る仲間たちがルクレスを少しでも信じることが出来るきっかけとなった事件に繋がるのは当然であったのだろう。