ナティシア ー平凡幼女はハードモードな世界を生きるー 作:かげはし
動いているものすべてがモンスターに見える。
実際に、そう思って行動しているのかもしれない。
私はただ、兄さんを救いたいだけ。
兄さんの為にこの命がなくなってもいい。
それなのに――――――――――。
ただその光景を呆然と見ることしかできなかった。
ルクレスさんが俺の前へ出て、ただ何かに警戒している。
ルナだけじゃない。周りの草木の影から、人間たちがゆっくりと来ているのが見える。まるでゾンビのように、ふらついた様子で歩いてくるのが見えるんだ。
だが、レオンはそれに気づいていないようだ。というよりも、ただルナの事しか見ていない。妹をずっと心配していたから、突然現れたというのに様子がおかしいことに焦って近づいていく。
「ルナ! お前どうしたんだ!? その目何をやったんだ!」
「あっ、ちょっと待っ―――――」
「駄目だよアルメリア」
ルクレスさんが俺の腕を引っ張った。
俺を見て、首を横に振るう。
ルナの肩を掴んで何度も揺さぶっているレオンに嫌な予感がした。だが何かがあったとしてももう俺達では彼は救えない。救おうとして前へ進めば、俺たちは殺されると分かったから。
「ルナ!!」
「あはっ」
「ぐっ――――ッ!?」
それは突然だった。
真っ黒で異様な目を見開いたルナが歪に笑う。人間らしいような笑みじゃない。表情筋を最大限まで使って笑ったというのに、目は冷めていた。モンスターが人間らしく笑おうとして失敗したような笑顔。
夜に見たら不気味過ぎて悲鳴を上げてしまいそうな、無感情の笑み。
それに驚いたレオンが一歩後ろへ引こうとする。だがルナが兄の腕を握って自らの方向に引っ張り、そのまま片手の拳を握りしめて勢いよくレオンの腹を殴って気絶させた。
痛みで意識が飛び、身体の力を抜いて倒れるレオンをルナは大事そうに抱きしめた。
先ほどの人間らしくない表情とは違って、兄を抱きしめる様子はまるで幼い子供が宝物を握りしめるように見えたんだ。
「何だお前ら。―――――――ぐぉっ!?」
「ひぃぃっ! おいこいつら噛みついてくる!?」
「待って止めて。こっちに来ないで!!」
草木をかき分けてやってきた人間たちがふらっと村人たちへ襲いかかる。
人間を肉だと思い込んで、そのカチカチと鳴らしている歯で噛み千切ろうとする。
見た目は普通の人間だ。服装だって村人たちと似たようなものを着ている。肌も変に青白いわけでもなく、攻撃だって鈍くてすぐ逃げ切れるものばかりだ。
だが、その瞳は人間のものとは思えなかった。
理性がなかった頃のマリーと同じ、真っ黒の瞳。獣のように襲いかかり、人間の肉に噛みついて食いちぎろうとする。
あっという間に悲鳴と混沌が飛び交うゾンビ映画を見ているような光景が広がっていった。
頭や心臓を重点的に攻撃すれば人間と同じくあっけなく死んでしまうみたいだけれど、それは混乱している村人たちが抵抗した末に分かったこと。
村人たちは人間に似たこの生き物たちに混乱し、ただ逃げようと必死に足掻いているようだ。
それと同時に、ルナたちの様子など気にもかけずにただ動いている生き物へ向かって襲いかかる。
動いていない俺たちへ向かって来る奴らもいるけれど、避けながら近くの壁に行けば、奴らは俺達よりもさらに大騒ぎしている方へ向かって行くのが見えた。
「仲間を呼んだ方が良いな。……いや、もう呼んでいるか」
「ル、ルクレスさん。これってマリーと同じ……」
「似ているが違うよ。彼女よりもずっと知性がなく、魔術も使えない獣だね。人間の姿をしたモンスターと思った方がいい」
「じゃ、じゃあどうすれば……」
「それは―――――――っと」
「ふぇ!?」
ルクレスさんが俺を横に押して彼自身もその反対側へ身体をひねって避ける。
その瞬間、背中越しにあったはずの家の壁が一気に崩壊した。
いや違う。俺達を狙ったルナの拳が壁にぶつかって大破したんだ。
衝撃で壁の欠片が俺の頬をかすって飛び散っていく。一筋の血が頬から流れ落ち、その攻撃の威力に恐れ慄く。
よく見れば気を失ったレオンが地面に横たわっているのが見えた。ただ他の人間に似た獣たちに攻撃されないようにするためなのか、ルナが着ていたジャケットをレオンの身体の上からかぶせていたが。
「に、人間……の攻撃じゃねえよこれ……」
「ハハッ。こうして見ると本当に僕たちとは真逆の生き物だね」
「それ言ってる場合ですか!?」
確かにそうだとは思う。
人間の姿に似た獣と、モンスターの姿に似た人間と。いやでもルナは明らかに人間だったから、何かされてここにいるんだろうけれど。
というかマジで急過ぎて何が何だかよく分かんねえぞ!!
なんでこうなったんだよ!?
「落ち着いてアルメリア。計画通りに」
「計画だなんて……アレは、ただ交流と警戒だけのために作ったものだったのに!」
「いいから落ち着きなさい。あの人間たちは全員マリーだと思って行動していくんだ。……いや待てよ。確かにこの襲撃は急過ぎる。だが、僕たちの事情を知っている奴らがやるならば……ああそうか」
「ひひっ」
「ルクレスさん!!?」
何を考えていたのだろうか。計画についてか? それともこの襲撃がどうして起きたのかについてなのだろうか。
どっちにしろ遅かった。ルナの拳がルクレスさんの頭に直撃して、何かを掴む動作をしてもう片手で一気にルクレスさんの頭の上から振り下ろす。
頭から地面へ向かって振り下ろされた衝撃でなのか、ルクレスさんの身体が吹っ飛んでいた。
殴り潰されたように見えた。
潰されたのに血はなかった。でも、身体全てがぺしゃんこになったんだ。いや、身体じゃなくて糸だけど、中身はどうなった?
衝撃で爆発したように地面がへこんで、ルナがにっこりと笑う。それに、背筋が凍りつく。
「ル、ルクレスさん……?」
でもルクレスさんは直接的な攻撃は得意でないモンスターに変異した人間だ。
レッドキラーは他よりも弱いモンスターだってランルークさんから聞いた。だから、物理特化のルナのスピードに勝てないのは確かだ。
でもルクレスさんは帝国の有名な戦士なんだろう。ならルナに負けるはずがない。モンスターになったとしても……ルクレスさんが、負けるわけない。
「ヒヒっ。アハは。死ンだぁ。やァっと、殺せたぁぁハはッ!」
片言だが妙な音がルナの口から嘲笑の含まれたものと一緒に飛び出してくる。
それに知性のような何かはある。
だというのに、何も抵抗なく殺した。
ルクレスさんだけじゃない。自らの兄も殴った。
こいつはもう、人間じゃない。
喋る知性はあるのに、ただ本能で活動する獣と同じだ。
ルクレスさんは……。
「ッ……お前、お前が、ルクレスさんに……ルクレス、さんを……!!」
「ヒヒっ」
不意に、俺の目の前に黒が現れる。
違う。
ルナの目しか見えないほど、彼女が俺の間近にいたんだ。
ただ嗤って俺の頭を潰すために手を伸ばそうとして来ている。
不意で身体が動かなくて――――――――――。
「そこマデだ。小娘」
俺を殺そうとしたルナが吹っ飛ばされるのが見えた。
庇うような形で現れた大岩――――――違う、グローリーさんに呆然と顔を見上げた。
ゴーレムだから何を考えているのか表情は分かりにくかったが、それでもただ自信満々のドヤ顔で俺に向かって笑いかけているのは分かった。
「無事なよウだなアルメリア」
「う、うん……」
「ハハハっ!! この俺様が来たから二はモう安心ダ! 俺様が全部終わらせテヤる!!」
「ま、待った! ルクレスさんが……」
「あの男なラ心配イるマい。だが殺されたナラバそれマでだ。……おいトカゲ!」
「だからトカゲと言うノを止めロトあレほど――――――」
「ランルークさん!!」
ゴーレムの巨大な身体で見えなかったが、どうやらこの村近くのダンジョンにいたはずの皆が来てくれたみたいだ。
グレンもいるが、他の村人たちを救うために行動しているようだ。
リザードマンのランルークが、吹き飛ばされて木にぶつかったルナを冷めた目で見つめる。
普通の人間ならば背中の骨が折れて重傷になっているほどの衝撃だっただろう。
だというのに、ルナの身体はピンピンしていた。それだけじゃない。ゆらりと動いて、その真っ黒な瞳で俺達をそれぞれ見つめ、観察してくる。
それがかつてのマリーのようだと分かったのだろう。以前にも対峙したことのある似たような生き物に、ランルークは苛立ち混じりに地面に尻尾を何度も叩きつけた。
「アルメリア、ルクレスはどうシた?」
「…………」
何も言えず、ただ首を横に振ってルクレスさんがいた地面がへこんだ場所を見つめる。
それでようやく俺が何を見たのか分かったのだろう。
ただ衝撃で叩いていたはずの尻尾の動きが止まった。
「……っ……いや……いヤ、すべテ終わっテカら話そウ。まズは己ノ命と勝利の為に」
「ハハハハハッ! あアそうダトも! 敵がいたナら勝利は掴むべシ! 俺様の強さの糧にナってモらうぞ小娘!!」
「おイ待てグローリー!! 事態は深刻なのダカら冷静に――――――」
「冷静でも戦うノみよ!!」
巨大な拳を握りしめルナの頭の上から振り下ろそうとする。
だがそれに、ルナはただ見つめて嗤って。
「……あはっ」
それだけに留まらず、グローリーさんの拳を押しのけるように、前へ出た。
「ぬぅっ!?」
「ひひははぁぁははっ! ころす!」
ルナに押されたせいか、グローリーさんの体勢が崩れる。それよりさらに前にルナが動き、ゴーレムの巨大な身体を殴り飛ばした。
そう。文字通り殴って、その巨体を近くにあった壁が崩壊しただけの家に飛ばしたんだ。
ゴーレムの身体が家を押し潰しながら飛ばされ地面へ倒れる。
それに俺は鳥肌が立つ。ランルークさんは爬虫類のような目を見開く。
有り得ない光景だった。意味が分からない状況だった。
まるでアクション映画のように、小さな女性のルナがゴーレムを殴り飛ばしただなんて。
「フハハハハッ! やりおるナ小娘っ……ぬぅ……」
家の瓦礫を蹴りながら来たグローリーさんは楽しそうに笑ってはいたが、その身体は少々ヒビだらけで辛そうに見えた。
「おイ、大丈夫カそレは」
「正直かナりキたな。以前殴られた時の拳とは思えン」
「ぐ、グローリーさん……それってつまり……」
ゴーレムに物理攻撃は効かない。だから物理攻撃特化のルナの弱点のはずだった。
だがその攻撃が当たるということはすなわち……。
「あの小娘が魔術の力を込めて殴っタトいウことダロうな。ハハハハハッ!! コりゃ楽シい。楽しくなっテキたぞ!!」
「お前ノ楽しいは俺達にトっテ楽しくないな。この戦闘狂が……」
「ハハハハハハっ!!!」
笑いながらもまた攻撃へ移ろうとするグローリーさん。
でもルナの攻撃はスピードが速く、疾風怒濤のような反撃が流れ出る。
グローリーさんの巨体がひび割れていく。もうこのまま死んでも構わないというかのように、ただ攻撃をして勝とうとする。それに呆れつつも焦っているランルークさんと、偶然見たグレンが駆けてフォローに急ぐ。
「……これは、駄目だ」
マリーの時のような嫌な予感がする。
マリーは魔術防御特化でああなっていた。
攻撃の力は違えど、ルナも何かあったらどうする?
魔術を込めた拳が使えるというのなら、何か……。
「このままじゃ、駄目だ」
考えないと。
ルクレスさんは言っていた。自分がいなくなったらその時は俺が考えるべきだって。
だから、考えないと。
■
何が起きたのか分かってなかった。
ただ生きている人間たちを襲う、人間に似た生き物たちがいるという光景のみ。
おじさんもおばさんも殺された。
俺は足を食われそうになったけれど、友達が助けてくれて皆と逃げることができた。メリア大森林に住んでいる村なら当然あるだろう、モンスターが襲撃した時に備えた頑丈な家の中へ閉じこもる。
皆その中へ避難していた。
だが逃げ遅れた人はたくさんいた。
「まま。ままぁ……どこなの……」
「お前さん息子がどこに居るのか見てねえか!?」
「ねえ私の姉を知らない!? お姉ちゃんが私に先に行けって言って、それで後で合流しようって言ってたから……ねえ、来てないの!?」
「ふぇぇぇぇえええっ!!」
子供の泣き声。誰かを呼ぶ悲しそうな声。
焦ったように叩かれる扉を押さえつける男たちの怒声。
ここにいない人たちは皆、あの人間に似たモンスターに食い殺されちまったんだろう。
俺達はどうなる? このまま非難した家に居ても、永遠にいるわけにはいかないぞ。でも今外に出ることは出来ないから、どうしようもない。ああ、俺達が何したってんだよ神様……!!
「……あれ」
そういえば、クロスケは何処だ?
いや、あいつなら飛べるから逃げられてるよな。
大丈夫だ。俺達もクロスケと同じく助かる。逃げることだって出来るはず……。このまま……。
「なあ皆。戦ってあいつらをどうにかしないと、俺達このまま……」
つい呟いてしまった俺の言葉に皆が静まり返った。
怯えたような顔で、あるいは怒りに満ちた表情で俺を睨みつける。
「な、何言ってんだよ! 戦えるわけねえだろあんな化け物相手に!!」
「そうよ。逃げても追いかけてくるでしょうし……わ、私足が弱くて……だから走れないの!」
「それよりもこれからどうするか考えねえと……っ!!!!?」
不意に、扉から大きな音が聞こえた。
大きな鉄を叩いているような、不気味な音。それに合わせて扉が少しずつひび割れていった。
木片が片っ端から壊されるような音が聞こえる。
避難した仲間たちが恐怖で歯をカタカタ鳴らす音が聞こえる。
「ひぃっ!?」
扉に小さな穴が開いて、そこから真っ黒な瞳が俺達を覗き見た。
ニヤッと笑った人間に似たモンスターが、一気に扉をぶち壊し俺達へ襲いかかる。
よく見れば奴らの手には農場にあったはずの道具を握りしめていた。
つまり武器を手に取って攻撃したってことかよ!?
ああっ、逃げなきゃ!!
逃げないと殺される。逃げないと、死ぬ!
横にいたはずの女性が首元から食い殺されたのが見えた。
建物から外へ逃げ出した人たちを確実に追って、殺そうとするのが見えた。
血に濡れた足を引きずって外に出て見れば、そこにいたのはたくさんの人間の姿をした、ただの人食いモンスターの群れだった。
「……ああ、終わりだ」
死にたくない。死ぬのは怖い。
いやだいやだ。
おれはしにたくない。
手を伸ばされる。
俺に向かって、歯をがちっと鳴らす音が聞こえる。恐怖ではなく食欲のような音が、涎が垂れる音が聞こえる。
誰か助けて。
おれはまだ、死にたくないんだ!!
近づいた顔に咄嗟に目を瞑って痛みに耐える覚悟を決める。
死にたくない。だから精一杯抵抗しなきゃ……。
「ピャァー!」
「……ふぇ?」
数秒経っても痛みは来ない。
それどころか可愛い鳴き声が聞こえた。
ちょっと待ってくれ。もしかして……。
「クロスケ? ってうぉっ!?」
「ピャー!」
「グォォォォォォッ!!!!!」
真っ黒のブラックバットを背に乗せた、ウルフのような大きなモンスターが俺を見つめる。
その背後から襲いかかってきたあの人間のような見た目をしたモンスターを巨大な爪で切り裂いていくのが見えた。でも俺を攻撃しようとしてこない。
それだけじゃない。
他のウルフのモンスターたちが村の中に一斉にやってきて、集団で人食いモンスターを攻撃しているのが見えたんだ。
村人には攻撃せず、ただそいつらだけを退治するために現れたように見えて……。
呆然としていたら、真ん丸でふわふわの蝙蝠が俺の肩に乗ってきた。そいつは当然、俺が可愛がっていたクロスケで……。
「まさか、クロスケが連れてきたのか?」
「ピャァ」
その一鳴きだけで、俺達は助かったんだって分かったんだ。
ああ神様。クロスケは俺達を救うために来てくれた守護モンスターなんですね……。
だからもう大丈夫だ。
そう思うとただ込み上げてくるのは怒りのみ。
これは恨みだ。俺達の身内を殺しまわった人間に似たモンスターたちに対する憎悪。
奴等を切り刻んでくれる狼のようなモンスターたちがいる。俺達を襲わず、味方となって協力してくれる。
無意識ながらに拳を握りしめた。
このまま終わらせたくはないと、気持ちが荒ぶる。
「ピャ」
そんな俺の感情を読み取ったように、クロスケが俺の頬にすり寄ってくれた。
「……ハッ。それはありがたいな。なあ皆! この狼たちは味方だ!! クロスケが連れてきてくれた味方のモンスターだ!! 敵はあの人間の見た目をしているモンスターだけ!! 協力して倒すぞお前ら!!」
それは反撃の合図。
モンスターと人間が協力して戦うだなんて前代未聞の――――――その光景を知る者達にとってはきっと、歴史に名を残す一ページの光景だった。