ナティシア ー平凡幼女はハードモードな世界を生きるー 作:かげはし
鐘の音は、水を通して浜辺から深海へ通り響き渡る。
警戒の音。誰かがこの深海へ不許可で入ってきたという合図。
浜辺の方はどうなったんだ。
誰が、どこから侵入して来た?
カイリは走る。己の鼓動が激しく打つのを構わずに、ただがむしゃらに走り続ける。
「くそっ……」
カイリに聞こえてくる音は、いつもとは異なる嫌なもの。
日常で聞こえてきていた子供たちの声。男どもの豪快な笑い声。そして女性たちの軽やかな会話は何もない。
この日のために鍛え上げてきた三叉槍を手に、町の中心地を駆けていく。
「警戒態勢だべ! 武器持って前へ出んぞ!」
「女子供ば家ん中か奥へ逃げろ! 戦える男どもは前へ出んぞ!」
「第三の鐘が鳴ったら避難だで! いーがっ! 絶対に家から外へ出んじゃないぞ!」
男どもの声が聞こえてくる。
何処からか悲鳴も、何かが飛ばされていく嫌な音も不協和音のように響いてくる。
とっさに屋根の上に飛び乗って、カイリは目を閉じて騒ぎの中心地を知ろうと努力した。
カイリは耳が良い。
ざわめく音を全て聞き通してどこに何が起きているのかを察知する能力に長けていた。
だからすぐさま理解できた。
血に濡れたような悲鳴は深海町の中央から鳴り響いているということに。
中央から、国家の連中が侵入してきているということに。
屋根の上から見えた国家の残虐な行いに、カイリは目を細め唇を噛んだ。
己がいる場所からはかなり遠いが、銀の鎧を身にまとった国家の兵士が武器を持っていない男の胸に剣を突き立てたのが見えたからだ。
たった今殺された男をカイリは知っている。気の良い男で、魚たちに優しくてみんなのムードメーカーだった友人の一人だ。
それだけではない。
ただ残虐しに来たわけじゃないことを、カイリは己の目でもって理解し始めた。
怒りが歯を鋭く尖らせた。熱くたぎる衝動が、殺意でもって喉元まで込み上げさせてきた。
「あいつら……ふざけやがって……!!!」
あいつらは戦争をしに来たわけじゃない。
これは侵略。ただこちらに負けを認めさせるわけではなく、この国の全てを奪いつくし刈り取るつもりなんだろうと、理解できてしまったからだ。
家に火をつける。
中にいた女子供が外へ逃げ出し、国家の連中に捕まっていく。
殺すつもりはないらしい。
―――――じゃあ、何のために捕まえてんだ?
「あいつらぁっ!!」
握りしめた拳から血が滴り落ちていく。
ギリギリと歯ぎしりをして、怒りを募らせる。
許せない。許してはならない。
あいつらは外道だ! アレは人間の行いじゃない!!
最初からもっと奥へ避難していたら良かった。
彼らは残虐な化け物だ!
鐘の音が鳴った時点で、弱い者は全員奥へ連れて行くようにすればよかったんだ!
怒号や罵声が響き渡る。
この状況だとだともう浜辺の方は全滅してしまっているかもしれない。
龍神様は、あの方は一体何をしているんだろうか……?
ふと、カイリは見えた。見えてしまった。
「っ!」
剣を持った男の冷めたような吐息。
誰かが死んでいく音。肉を切り裂かれて地面へ崩れ落ちていく嫌なもの。
その先にいる、あの忌々しい国家の犬。
己が浜辺から深海へ無理やり逃がされた際に見つけた、血を纏った男を――――。
「ふざけんじゃねえぞ、勇者ごときがぁぁぁっっ!!!!」
屋根の瓦を数枚壊す勢いで走りだす。
目指す先は戦いの中央。
憎しみの衝動のままに、仲間を殺しつくそうとするあの残虐な殺人鬼に向けて、その首元へ噛みつかんとばかりに。
「邪魔だぁ!!」
走る足が、邪魔だ!
この距離が邪魔だ。早く行くために動く空気が邪魔だ!
水に乗った方が早い。
流れはそちらのほうが早い!
「はっ!」
道の間に流れている川に向かって飛び込んだ。
水はカイリにとっての手足も同じだ。
息継ぎなんてする必要もないぐらい、勢いよく泳ぎ中央へ。
勇者の背後へと、飛び出す。
「カイリ!?」
「あん馬鹿がっ!!」
仲間たちの声なんて、もう耳に届かない。
カイリが目指すべき場所は、憎しみの先にある場所は勇者なのだから。
「殺してやるっっ!!!!」
勇者の振り下ろされた剣は仲間へと振り下ろされていた。
無防備な背中。反射的にこちらを横目で見ているのは分かったが、人間の条件反射ごときでは避けきることはできないだろう。
その首元へ鋭く尖る牙を落とす。
噛みついて、その首を取らんばかりに深く―――――。
「あっ?」
カイリは気づいた。
己の噛みついた首なんてないということに。
いつの間にか噛みつこうとしていた首はなく、目の前にあるのは伸ばされた奴の手であるということに気づいた。
「ぐっ……」
喉を掴まれそのまま持ち上げられる。
何か能力でも使っているのか、奴の握力は通常の人よりも強く、カイリの身体が持ち上がってしまうほどだった。
「ぜってぇ……殺してやる……!」
鋭く睨みつけた先、冷めた勇者の瞳が笑みを形作る。
「ああ、良い狂気だ。お前は狂人だな」
「っ!?」
勇者の言葉に何かが込められていたのだろうか。
カイリの身体が急に冷めていくのを感じた。まるで熱い風呂から海底の海の底へ移動したように、殺意を込めていた熱い感情が消えていく。
息が出来ない。
身体が動かない。
何も出来る気力さえない。
どくんと、何かが心臓に釘を打つような衝撃がカイリの魂の奥底で響く。
【■■――――――ッ!】
何かが刻まれていくのを感じる。
勇者の言葉がカイリの魂を蝕もうとする。
「そこまでにしなさい」
不意に、カイリの身体が自由になった。
喉を押さえていた勇者が離れ、その傍に立っていたのは……。
「りゅ、龍神様……?」
懐かしくも久しぶりに見た、龍神様のお姿。
麗しいその姿は、カイリにとっては子供の頃以来だった。
数十年もたっているのに何故その姿は変わらないんだろうかという疑問はわき起こらない。
ただあるのは、守らねばならない王が前線に立っているということ。
勇者の前に、龍神様が対峙しているということ。
「眠りなさい、我が愛しい子供たち。大丈夫、安心しておやすみ……」
(あっ……)
動かなければならないのに。守らねばならないお人がそこにいるのに。
カイリの身体は動かない。周囲の人たちでさえ、バタバタと倒れていくのが見える。
混濁した意識の中で聞こえてきたのは、そこまでだった。