ナティシア ー平凡幼女はハードモードな世界を生きるー 作:かげはし
数々の実験による痛みと疲労感に苦しめられながらも、身体が無意識に生き残ろうとして回復するために深い眠りへと誘おうとしてくることが多かった。
いつもなら痛みですぐに起きてしまうせいか、たまに夢を見た。
木漏れ日が広がる木々の間。
花の香りと薬草の臭いが混ざった、小さいころから慣れ親しんだもの。
もう二度と見れないかもしれない故郷の―――――――その目の前に、奴はいた。
『楽になりたいか?』
重低音の声は酷く優しげに問いかける。
黒曜石の鱗が太陽の光を浴びて煌めき、こちらを見つめる眼差しは燃えてしまいそうなほどの熱を感じた。
『貴様だけが、私の繋がりだ。貴様が私の問いかけに頷けば、私は貴様を楽にしてやることができる』
「……俺を見殺しにしたくせに」
『まだ生きてるだろう。だから聞いてるんだ』
――――――――楽になりたいか?
その言葉の意味がどういうものなのか分かっていた。それが俺の、アルメリア・ナティシアとしての生の終わりを意味していたとしても、
だが頷けなかった。希望なんて持ちたくなかった。
絶望は現実だけで十分。夢を見るが、希望を見るつもりはなかった。
ただそれだけだ。
優しく起こされて目を開ける。
疲労感はあったが、痛みは少し和らいだ。
「さて、調子はどうだい? 少しは良くなった?」
「まあ、ちょっとだけ」
「なら話をしてもいいかな」
「……うん。でもその前に言いたいことがあって」
「うん?」
首を傾けられて思わず視線を逸らす。
ぼんやりとした夢に出てきたドラゴンについて、思い出したことがあった。だから彼に話した方が良いかもしれないと思ったんだ。部屋の中にいる皆にも聞いてほしかった。
これは、モンスターになってしまった皆にとって重要な話だと思うから。
「実はさ――――――――」
「なるほど。ドラゴンの宝玉とやらが誰かに盗まれたらしく、怪我を負っていたところを助けて。そして話し相手になっていた時に魔方陣が発動し、皆が変異したと……」
「う、うん……それっぽい話をドラゴンから聞いたんだ」
「なるほどそれはとても重要な話だ。僕たちに話してくれてありがとうアルメリア! 希望へまた一歩進んだ気がするよ!」
「そ、そうかな……」
「ああそうだとも。そのドラゴンに話を聞けば僕たちの変異について詳しい事情が分かる。解決策も見つかるかもしれない」
ルクレスさんの言葉に部屋の中にいた何人かのモンスターたちが小さく喜びの声を上げた。
それに手を上げてルクレスが静かにするように合図し、また俺をじっと見つめる。
「だから君は人間なんだね。少し勘違いをしていたよ」
「え?」
「君だけが普通の人間だった。有り得ないほどに普通過ぎる人間だったんだ。だから研究員が成功体と言っているのも何か理由があったんじゃないかと勘繰っていたんだけれど……ちゃんとした成功体ではなく、偶然魔方陣の外にいて巻き込まれた被害者だったと……」
その声は、俺に対しての驚きと感嘆の色が混ざっていた。たぶん普通の幼女がここまで発狂せずに生きてこられたことに驚いているというところだろう。
まあ前世の分の記憶があるし、あの時は何かもう全てに諦めきってたし。
といっても、ルクレスさんの視線には普通に巻き込まれ人体実験だから同情の色の方が大きいみたいだが。
彼は小さくため息をついて、独り言のように通常よりも低い声で言う。
「……ドラゴンにはいろいろと話を聞かなきゃいけないな。本当に」
「ルクレスさん?」
「ああいや……とにかく計画の話だったね。じゃあ話をしよう。時間も限られてるし、奴らがいつ来るか分からないから簡単に」
「はい……」
ルクレスが初めて背中ではなく真正面から俺を見つめて言う。
「この施設にはいくつかの魔術制限を込めた呪いの核があるんだ」
「呪いの核?」
「ああ。モンスターたちの動きを封じるものだったり、本来の力を半分以下に抑えるものだったり……つまり、今の僕たちにとって致命的な呪いがこの施設中に張り巡らされてるんだよ」
「……そっか。だから皆逃げることができないんだ」
巨体のモンスターならば、檻程度だったら逃げ出せそうな気がしたけれど、誰もが鎖付きの首輪や腕輪を付けて大人しくしているのはそのせいなんだろう。
「俺がやることは、その核をどうにかすることですか?」
「半分当たってるよ」
「半分……」
「僕が集めた情報で分かる範囲は、魔術による縛りで身体を思う以上に動かせないということ。そしてその魔術核が複数の人間で成り立っているということなんだ」
「複数の……人間?」
「そう。その人間たちを探してきてほしい。奴らの魔術を潰すためにも、どのような魔術を使っているのか情報を集めて、僕たちに話してくれ。そしてその間に他のモンスターへ変異した犠牲者に理性がないふりをするように呼びかけてくれるかい?」
「……わかりました」
「よしよし。良い子だ」
にっこりと頷いたルクレスさんに違和感を覚える。
真正面で話し合っているせいだろうか、何か変な感じが……。
「ん? どうしたんだい僕の口をじっと見つめて」
「あ、えと……その、口の動きと声が合っていないような気が……それにルクレスさんの雰囲気が凄く大人の男性って感じがして……」
どう見ても15歳の少年には思えないほど落ち着きがある男性に見える。
これが異世界の男子……いやでも、俺がいた村にも同じ年の少年がいたけれど、違和感なんてなかったんだけどなぁ……。
そう思っていると、ルクレスさんが額に手を当てて苦い顔をする。というより、照れてる?
「ルクレスさん?」
「いや。そうだな……アルメリア。僕の年齢については気にしないでくれると助かるよ」
「ふぇ?」
「傷ついている幼女相手に連中と同じ年齢の男性が話しかけるより歳が近い方が良いと思ったんだけど、やっぱり慣れないことはするもんじゃないね」
言い訳のような口調で話すルクレスに目を見開く。
真正面に向いていた顔を隠すように背を向けて、ただ首を何度も横に振っていたからだ。
助けを求めるように周りのモンスターたちの方を見たが、何故か彼らは全員視線を逸らして何も言わずにいた。
……いや、目がないモンスターもいたし、言葉も話せないだろうから、『おそらく』という言葉が必要になるんだけれど。
俺は戸惑いながらもルクレスに向かって口を開いた。
「ええっと……つまり、その外見年齢と実際の歳は全然違うと」
「まあそうだ。魔術核は己の姿を変える部分についてはあまり適応してないみたいだから若い頃を選んだんだけど……」
「そ、そうなんですね……で、でもありがとうルクレスさん。ちょっとだけ話しやすかったのは事実ですから」
「そっか。それなら良かった。でも敬語は止めてくれ」
「アッハイ」
俺に気を遣って姿を変えてくれたことに首を横に振って苦笑する。
年齢について話をするのは止めよう。精神年齢が違うのは俺も同じことだし。
「えっと、とにかく俺がやるべきことは……ひとつ、魔術核となっている人間についての情報収集。ふたつ、他の部屋にいる被害者たちに理性がないふりをしてもらうよう話すこと。みっつ、皆との中継地点となること」
「うんうん。それであってるよ。ああでももう一つ追加だ」
「へ?」
「アルメリア、君にはあの連中に優れているのだと分からせてもらいたいんだ」
「えっとつまり……みんなを、モンスターを操ってるっていうことですか?」
「いいや、それ以上だ。君が成功体として優れていると偽ってもらう。当然それがバレたら君は速攻で殺処分が下されるだろうが……それをやりながら、この施設の核をぶち壊すための情報集めと中継役を担ってもらうんだ。やれるかい?」
「……どのみちそれしか方法がないんだ。ならやる」
もう覚悟は決まった。そう頷いてみれば、ルクレスが笑った。
「幼いというのに大した度胸だ。足手まといなのは僕の方だな、すまない」
「いやそんな。ルクレスさんがいなかったら何もできないままだったから!」
「……ありがとうアルメリア。君は本当に優しくて素晴らしい子だ」
「こ、こちらこそ……それよりも」
「ああ、やるべき時が来たら僕たちに任せてくれ」
何度も頷けば首輪に繋がった鎖がジャラジャラと音を立てていく。ルクレスが背を向けながらも小さく笑った。
「オォァ!!」
不意に部屋の中にいる一匹……いや、モンスターとなってしまった人間の一人が警告音のような甲高い叫び声を上げる。
それに全員が首を上げて扉を注視した。その瞬間、様々なモンスターたちが動き出す。
男が俺を連れてきたときのように、檻に身体をぶつけていく者。うめき声をあげて威嚇している者。モンスターのふりをして、部屋中に騒がしい音を奏でていく。
一斉に始まった行動に、俺はただ驚いてルクレスから目を離し周りを見渡してしまった。ポカンと開いた口に埃が入りそうになり慌てて閉じて、何が起きたんだと戸惑う。
「これは……」
「おっと。誰か来たみたいだ……じゃあ任せたよアルメリア」
「え、あっ―――――」
じゃらり、というような鎖の音がルクレスの檻の中から聞こえた。
思わず檻の中を見て、息が止まりそうになる。
「あ、れ?」
ルクレスさんの姿がなくなっていた。鎖と首輪が檻の中で宙ぶらりんにぶら下がっていて、そこに人の気配がないことに驚愕する。
姿を変えられるって言ったのは、形状が変わる……スライムみたいな存在ってことか……?
ルクレスがモンスターに変異していたのは分かったけれど、実際その正体は何なんだろう。
「うるさいぞモンスター共。静かにしろ! ……よし、検体0! 実験の時間だぞ!!」
「あっ……」
いや、今はやるべきことをするのが大切か。研究員が一人とローブの男が一人、部屋の中へ入ってくるのが見える。
檻を開けて俺の首輪を乱暴に外し、腕を掴まれてそのまま引っ張りだされた。
途端にモンスターたちの咆哮が大きくなったような気がしたけれど……まあ、気のせいだよな。
「さて、今回もお前の活躍に期待してるぞ検体0」
「…………」
ニヤニヤと笑っている研究員。そして後ろを歩きながらも俺を監視するローブの男。いつもなら実験と称した拷問による痛みでぼんやりとしか覚えていない光景だ。ほとんど一人の男が俺を連れ出すことが多いが、モンスター関連だから監視が増えたのか……。
何にしても、頑張らないと。
■
実験施設にいつものように放り込まれた。
その先にいたのは、魔術で出来た光の槍に足を突き刺されて動けない状態の子供のモンスター……というか。
「がうー!」
「……くま?」
俺とはまた違った、女の子のような可愛い声で鳴いた生き物。
茶色の毛皮と額に王冠のような模様が特徴の、前世の動物園で何度か見たことのある可愛らしい小熊。
俺より身体は大きいが、ぬいぐるみみたいなまん丸い身体と可愛い顔が俺を見て必死に威嚇している。
モンスターに理性があるというのだから、こいつも同じはずだ。
操れるようにしろというのが実験目的ならば、まずは落ち着かせないと……。
「さあ検体0! 今回の目的はグレートリトルベアを操り、その背に乗ることだ。簡単だと思えるかもしれないが、人間を主食にし子供でありながらも凶暴性を潜めた凶悪なモンスターだ。どう対処するのか我々に見せてもらおう!」
「魔術師よ、足枷を外せ!」
いつものごとく上から聞こえてくる偉そうな声に舌打ちをしながらも『魔術師』という言葉に耳を傾けて……。
魔術師が槍の魔法を消したのだろう。
小熊の足枷が消えた瞬間、その巨体がロケットのように俺に向かって突進してきた。
「がおー!」
「ふぁ!?」
先程まで足に光の槍が突き刺さっていたからか、ふらついて俺より数センチ逸れて壁にぶつかった。
壁に一瞬網目状の光が見えて、小熊を壁から弾かせる。
「がぅー!」
壁に攻撃されたとでも思ったのか、両手をあげて必死に威嚇している様子は可愛らしい。
檻の外にいたならば、いつまでも見ていたいと思える可愛らしさだが……。
「言葉が通じない……じゃない、こいつの中身ってまさか子供か?」
幼い言動。モンスターの名称に『リトル』が付く小熊。
本能のままに動き、襲いかかる様子。
まさか、人間だった頃のこの小熊って俺より年下になる……のか!?
あの薄汚い研究員の連中がアルメリアを連れて部屋へ出て行く。それをひっそりと観察し、また誰も監視していないことを見たうえで皆が静かに身体を休めた。
僕もまた同じく床に身体を寝そべって、彼女が来るまでの間に準備する。情報を収集するべく、あの子たちに協力を求めないといけないから。
「……さて」
彼女の言葉を信じるか否か。
ドラゴンの宝玉とやらを使ったせいで僕たちがこうなったかもしれないと言った。それが真実だとしたら、僕たちの敵は人間以外もあり得ることになるだろう。
宝玉を盗まれて使用されて、それでこうなったとしたら……。それはドラゴンの管理不足が原因だ。だから復讐の対象として遠慮なく選んでやりたい。
だがドラゴンを倒すのに骨が折れそうな気がするな。足が何本あっても足りない。
モンスターに変異した中にドラゴンより強い奴はいないものか……。
「ルク……」
「ん? どうしたんだい?」
近くのスライムの身体をした元人間の女性が、薄水色の身体を丸く団子状に整えながらも話しかけてきたので思考を止める。
声は透き通ったもの。洞窟の中で叫んだ声が反射しているような不可思議なものだった。
「良いノ? アの子まだ幼イけど」
「ああ。良いんだよ」
「危険なンじゃなイの?」
「それはあの子次第。アルメリアはしっかりした子だから大丈夫だよ。それにこれは必要なことなんだ」
「ルクレスおじサん……」
スライムに顔はないけれど、何となく非難の視線を向けられているような気がして苦笑する。
でももう止めるつもりはない。
「これは、チャンスなんだよ。僕たちがここにきて何年になる? 殺処分の脅威から震えて、実験と観察を繰り返しやらされて発狂し犠牲になった仲間は何人になる? 皆覚えているだろう! あの頃の絶望と怒りと悲しみを!!」
「…………」
皆が顔を俯かせる。変異を遂げても喋れる者から、喋ることが難しい者まで全員が死にたいと思った過去を思い出して身体を震えさせる。
それはあの腐った連中に対する恐怖でもあり、怒りでもあり。そして絶望だった。
「僕にはね、生まれたばかりの孫娘がいた。今ならちょうど……そうだね、アルメリアと同じ年齢の孫娘がいたんだ。立派に育った息子と、息子が連れてきた綺麗なお嫁さんと四人で暮らしていた。老後の人生を楽しんでいたんだよ」
「……えエ、知ってルわ」
「ああそうだねアリスちゃん。君には世話になったことがあった。だから僕はもう嫌なんだ。孫娘と同じ年齢のアルメリアでさえも実験対象となって苦しめられている事実に」
「…………」
「奴は何年経っても変わらない。それどころか過激になってきているんだ」
だからこれは必要なことだ。
アルメリアを囮に使うのは、必要なことなんだ。
心の中で懺悔しよう。
あの幼い少女が犠牲になったとしても、僕は前へ進み続ける。
彼女が研究員たちの視線を集めてくれれば、彼女が失敗して殺されることがなければ。
「失敗すれば僕たちは全員死ぬ以上の思いをするだろう。連中の良いように扱われて、そして殺される。皮を剥ぎ取られ、血を抜かれ、拷問され……異種交配の名目で強制的に犯され、全てを奪われる。ここに居たら時間の問題だよ。また永遠と同じ苦しみを味わうんだ」
「…………」
「僕たちが発狂しないのは、変異でモンスターになったおかげだよ。でもこれがずっと続くのは耐えられない」
「……うン。私も耐えラれナい」
「なら僕の指示に従ってくれ。アルメリアを騙して悪いと思っているかもしれないけれど、うまくいけば全てが終わる。自由になれる」
アルメリアはまだ子供だ。だから大人の指示に従って行動してくれる。
彼女の通常の人間より図太い精神力には評価する部分があるが、それだけだ。
連中が誤魔化されてくれるなら良い。でも全員とはいかないだろう。それに新しく変異したものが施設に入れられ続ければ、いつか僕たちに理性があることがバレる。
だから今の内なんだ。
「皆覚悟を決めてくれ。たとえアルメリアを犠牲にしたとしても自由になるために進む覚悟を」
僕の言葉を肯定する声は聞こえなかったが、逆に否定の声も上がらなかった。
異様な静けさが部屋中に包み込まれる。
―――――――それが皆の答えだった。