“九鬼紋白来襲、ケットシー最大の危機!?”
見開きのまま放置されていた新聞紙が滲み、これでもかと大きな文字を使った見出しが浮かび上がった。その見出しのすぐ下に移る写真は、幼い少女が一人の剣士の左腕を切り落としている無残なもの。おおよそ公共的に販売されているはずの新聞紙では載せられない、ないしは規制がかかってもおかしくのない記事だ。
だが、規制がかかってもおかしくないのは“現実離れした拷問”離れした一枚の写真のみならず、それに続く細かな文章にも当てはまる。
何人が死亡した、どうやって死亡した。何人が負傷した、どうやって負傷した。
新聞記事とは到底呼べない、事務的死傷者記録。そんな惨たらしい戦争記録は、真っ白な空間にポツンと置かれている整頓と言う言葉が忘れられた机の上に広げられていた。
それに目を通し、溝水のような濁りに濁った珈琲を啜り、甘い煙で脳を
しかし、正確には“これ以上”やれることがないといったところだ。妙な安堵感は男の肩の力の抜け具合から察することができる。
「やれやれ、という奴だな」
その真っ白な空間に、突如肉声が響き渡った。
その声の主は男が鎮座する机の前から堂々と、車椅子をぎいこら鳴らして接近してきた。ぎいこら鳴らしてとは表現したものの、男は突如現れた上にそれを自らの手で動かしていない。何か得体の知れない方法で足跡を刻んでいく。
男の吸い殻一つ落ちていない、乙女の柔肌のように美しかった純白の通路に轍を引いていく。実に無粋であり、実に堂に入ったものだ。到底純粋とはかけ離れた笑顔を張り付けた下半身のないその体躯がそれを助長する。
化け物と、見た者は罵り逃げる。
そんな常軌を逸した男に空間を穢されたことに対して表情を変えることはなかったが、眼鏡の男は声の主が現れたということで顔を顰めて眉間に皺を寄せた。決して車椅子の男に視線はやらないが、敵意だけは剥き出しにしている。
嫌悪感を剥き出しに、声の主に圧をかける。
「見境のない男だな、お前は」
その圧に屈することなく、車椅子はあわや机に衝突してしまうといった限界のところで静止する。車椅子と机の距離は十センチも存在しない。もしこの車椅子の男に足が存在していたのならば、勢いよく蹴り上げることで書類の山と共に眼鏡の男はひっくり返るだろう。
掻き起こし、衝き動かす。
人の心にただ触れるだけでなく、触れた様になぞり相手の出方を窺う嫌らしい行為をやってのける車椅子の男。失礼無礼は彼の十八番とも言える。
「私の大事な器まで呼び寄せるとは」
どういうつもりなのか、車椅子の男はそう問い質しているようだ。
机に座する眼鏡の男を挑発するような視線を下から向ける。ドロドロとした沼の底に沈んだ得体のしれない沈殿物を集積させたようなその眼球は、沼の底にあるという前提から来る汚らわしさがありながら、謎だらけの正体を確かめたがる人間の本能的好奇心を併発させる。
麻薬のような、甘くも恐ろしい奇妙な双眸を男に向けている。
「私だけでは飽き足らなかったかな?
右手を挙げ、煽る。
任せるだけで傍観しかしていないくせにと、立場を穢す。
「どうせなら、
左手を突出し、煽る。
敵対する者を引き合いに出し、優劣を明らかにする。
「…………」
しかし、その煽動的で作興的な視線と言葉に、眼鏡の男の表情は一切変わらない。視線すら上げず、皺だらけの表情の皺をピクリとも動かさず、新しく浮かび上がった生地にじっくりと目を通しているようだ。
文字通り、眼中にないと言ったところだろう。
からかい甲斐がない、車椅子の男はそう言わんばかりに肩を竦めて息を大きく吐き出した。
「無口な男だ。大体の意図を汲んでいるのかは知らないが、相槌一つ打たないと言うのは幾分か失礼というものじゃあないか?」
役人なら役人らしくしたらどうだ、と車椅子の男が叱責するが、未だに車椅子の男に大して顔を上げようとしない眼鏡の男。
「なら、独り言を言わせてもらおうか」
相手にされないことを既に予期していたのか、車椅子の男は無理やりにでも自分の言葉を聞かせてやろうと独演を開始する。
馬耳東風に聞き流して見せろと挑発を止めないようだ。
「
これ以上ないくらいに歪んだ表情が浮かび上がった。今まで貼り付けていた不気味な表情がまだ可愛かったと思わせる程に、奇奇怪怪な相貌を顕にした。
「
車椅子の男が何かを掬い上げるように右手を再び伸ばした。そこには何も乗っていない。それこそが車椅子の男の暗示。
この手に何も乗らなかったからこそ、車椅子の男は不機嫌そうに笑っている。
「まったく、何故私にはその機会が訪れなかったものか」
グッ、と何も乗らなかった右手を拳とする。自ら機会が訪れなかったことを体現して見せる。何も手に入れられなかった屈辱に身を焦がし、それでも車椅子の男は顔を歪めて笑う。笑顔を崩さないのはこの男の生き様から来るものか。
すると、新聞の中央に手を添え、眼鏡の男がようやく顔を上げ、
「貴様が“何度もやり直している”からだ」
開口一番、車椅子の男を責め立てた。車椅子の男の有り様を真っ向から否定し、世界のルールにそぐわなかったのだと言い放った。そこが気に入らないのだろうか、眼鏡の男のその言葉にはどこか怒気が孕んでいるようだった。
責め立てられ、雪辱を味わい、それでも車椅子の男は笑顔を崩さない。それどころか、その笑いは歓喜に打ち震えてさらに歪む。無意識か意識か、奇をてらう。
「待ちくたびれた。ようやく口を開いたな」
これで役人らしくなった、と歓喜する。役人気取りと揶揄していたことなど既に記憶の彼方に追い払ったのか、掌を素早く返して役人振りを称賛する。
決してそれが褒め言葉とは限らないが。
「では、ご教授願おうか? 上流階級気取りの小僧」
ガツン! と車椅子を机に衝突させる。
机がひっくり返らなかったのは警告の意味合いか、それとも男の圧が勝ったのか。
「あの憐れな女が目を付けるのは、“やり直しを願う者”に限る」
ドサッ、と音を立てて手記帳が車椅子の男の目の前に置かれた。それは、眼鏡の男が何度も何度も誰かの名を刻み、関所に立つ警備員のように境界を越えた人間を記録したもの。
車椅子の男はそれを無言で手に取り開く。そこに刻まれているのは“通された”者の名前と、その者自身に関する備考のようなもの。
その中には、車椅子の男の眉を顰める名前もあった。
通したところで大した戦力にならないような子供、性根の腐った基より廃棄物寄りの罪人、人間とすら呼べないような学習段階の何か。
車椅子の男は呆れたように手記帳を閉じ、眼鏡の男の前に投げ返した。
「この私や彼が、こんな奴らと同系列に見られているとなると、分かってはいたことだが実に不愉快だ。特に――――」
人間でない者がいることが遺憾だ、と車椅子の男は眼鏡の男を嘲笑する。曇った眼鏡で品定めをしている鑑定人だと嘲笑う。
しかし、眼鏡の男はそれを否定しない。
「貴様のいう彼が向かった世界も、別世界の貴様の上官が呼ばれた世界も、
色眼鏡と言う意味なら曇っている、と自分の眼鏡を二回トントン、と叩き、眼鏡の男は口に加えていた煙草をグリグリと灰皿に押し潰す。そして即座に煙草の入った箱を振って飛び出した一本を加えて火をつける。その手際の良さは中毒者のそれだ。
眼鏡の男の呼気と共に排出された煙が彼らの視界を遮る。それでも、互いが互いを視界から外さない。
「……私はそれに当てはまらないと?」
自分の胸に両手を当てて問い質す。車椅子をガツンガツンと机にぶつけながら、返答を急かすその姿は若干の苛立ちが籠っているのだろう。一体どうやって車椅子を動かしているのか、傍から見ただけでは何が起こっているのか分からない。
その姿を見て、眼鏡の男は大きく溜め息を吐いた。見下すような視線を送った。
「自分で“やり直した”者はEASYのお眼鏡には叶わん」
ドンッ、と先程差し出したばかりの手記帳を男の目の前に再び叩きつけた。この中に書いてあることで察しろと訴えかける。
「願望を自ら叶え、自らの欲を満たそうとする貴様に、あの女の救済は差し出されない」
「……それならば、どうしようもないものか」
車椅子の男は両手を挙げた。初めて眼鏡の男の言い分をすんなりと受け入れた様に超然とした態度を取る。
図星、とはこのことだろう。開き直りもいいところだが。
「なれば、あの崩王だ」
と、話の矛先を途端に変える。開き直りではない、聞き流しだったようだ。
「疑問を投げかけよう。あれは
トントン、と男が叩きつけてきた手記帳を指先で小突く。ここに書いてあることだけでは理解できない事例があると、積もり上がった懐疑心を提示した。
まるで崩王という存在の本質を見て来たかのような物言い。車椅子の男は歪んだ笑いを取り戻し、手記帳に突き立てていた指を眼鏡の男の眉間に向けて伸ばす。
その指先を深い瞳で睨み付けながら、眼鏡の男は手掛かりを漏らす。
「…………あれは元々、
「……なんだと?」
眼鏡の男の端的な発言に、車椅子の男は目を丸くする。初めて車椅子の男の顔から笑顔が消えたのだ。全く予期していなかった言葉をぶつけられ、車椅子の男の対応が崩れてしまう。
「分からんか、直に触れた貴様でさえも」
眼鏡の男はそこに畳み掛ける。
手記帳を再び手に取った男は、その手記帳のある項目を開いて車椅子の男に突き出した。そこに書かれている歴戦の傭兵たちの名前。眼鏡の男が持つペンで書かれているようで、その本人が書いたような奇妙なその欄に、車椅子の男は目を見開いた。
そこに記されている名前は確かに――――。
「あの不安定さと不完全さ、そして何より肉体と精神の齟齬が生じていることに」
――――あれは、最早
「――――ははあ。そんなことがあり得るものか」
眼鏡の男のその物言いで、車椅子の男はようやく得心が言ったようだ。彼の顔に笑顔が戻る。歪み捻じれ、黒く染まった純悪の微笑。
ただし、その微笑はただ理解しただけではない。
「しかし、齟齬と言うならもう一人――――いや、分かったぞ。そうか、そういうことだな。あくまで廃棄物を決めるのはEASYということか!」
――――
「――――失せよ」
「彼らのっ――――」
ガチャリ、と音を立てて開け放たれた扉の向こうに見えるは、パイプが絡み合った空気の濁った工場地帯。そこに吸い込まれていくように、車椅子がフワリと浮き上がって男ごと吸い込んでしまう。
完全にその姿が扉の向こうに投げ出された瞬間、バタン! と大きな音を立てて扉は綴じられた。
「――――やれやれ、手荒い」
そのはずなのに、車椅子の男は眼鏡の男の背後に存在していた。
「…………」
その姿を見ることなく、眼鏡の男は珈琲を啜った。既に車椅子の男に対する興味も意識も失われ、存在しないように扱っている。
「さて、あの
車椅子が廊下の奥の奥、暗く塗りたくられた空間に向かい進み始めた――――。
あとがきしょーとすとーりー 共同企画控室
盟主「将軍!!」
将軍「おや、これはこれは盟主様。ようやくのご到着で」
盟主「あ、はい。つい先日招待状が届きまして」
将軍「それは重畳。これで野次が力強くなると言うもの」
盟主「そうですね、気合を入れて応援を、ではなくてですね!!」
将軍「何かご不満でも?」
盟主「聞いていませんよ!! 何故貴方が出演しているのです!!」
将軍「紫の喋るシーンがもう少し見たいとスカイウィンドさんからのご要望がありましてね。急遽差し込まれることとなったのですよ」
盟主「私でもよかったじゃないですかぁ!!」
将軍「まあまあ落ち着いて」
盟主「私の方がもっと霧夜王貴のことを――――」
エリカ(紫×王貴、紫×英雄……悩ましいわね)
完