古城の中は複雑に入り組んでいる訳ではないが、
奥に進めば進むほど
常に服を着崩してろくに着替えもしないクリスティアーネ・フリードリヒや、靴を履かずに裸足で過ごす南浦梓がいる時点で衛生面もへったくれもないように思われる。しかし、
悪い病気にでもかかって小さな体に異常が出たら大変だ、と奥の部屋に拠点を構えることを
そんな規則を堂々と打ち破る様に、灯はずんずん奥へと歩いて行った。通路の隅に張られた蜘蛛の巣と蜘蛛の巣が絡み合ってしまうほど混沌とし、足を踏む度に埃が紙風船のように舞い上がる。見るからに清潔とは言えない空間だ。気管が弱いものならその場でアミダながらにむせ返ってしまいそうなほどだ。
そんな汚らしい通路の突き当りを道なりに順じて右に曲がると、一つの部屋の周りだけ妙に小奇麗だった。ドアを何度も開閉したように埃が捌けられており、扉もほんの少しだけ補修されていた。
そんな扉を躊躇なく開け放つ。
「国吉灯、帰りましたよーっと」
「ノックしてから入れ、無礼な奴だな相変わらず」
部屋の中には椅子にもたれ掛っている一人の少年と、寝具の上で横になっている人物がいた。寝具に一度目を移した後、少年に向けて灯は声をかける。
「なんでここにいんだよ高坂」
その言い分に、まるで蓑虫の様に全身を布のベルトで縛られた少年、高坂虎綱がモゾリと動く。
「僕の異能、忘れたとは言わせないぞ」
虎綱が灯を死んだ魚のような目で睨み付けると、虎綱の身体から一本のベルトが伸びて灯の首を二回叩く。それを灯は笑って掴み取り、西部劇に出てくるカウボーイが先端に輪っかが付いたロープを回す様に、虎綱の綱を弄って遊び始めた。
「……これどこまで伸びるんだよ」
「僕の命が尽きるまで」
「死んでるじゃん、お前」
「目だけ見てものを言うなよ」
いいい加減放せ、と帯がぶるんぶるんと反抗を初める。笑いながら灯がそれを手放すと、帯が灯の頬をベシッ、と叩いてから虎綱の元に戻った。
「……何だよ崩王ちゃん。そんなに具合悪いのか?」
灯が寝具に目を向ける。そこでは普段通りに顔を布で覆い隠し、できるだけ虎綱からも灯からも目を逸らす様に壁に目を向けて横になっている崩王。灯の声にも一切反応せず、まるで彫像のように固まって動かない。
「元から
しゅるしゅる、音を立てて寝具から複数のベルトが顔を覗かせる。両手の指では足りない本数のベルトが虎綱の身体に戻っていった。
「丁度調整が終わったところだったんだ。もう動いてもいいですよ崩王様」
「おーい、崩王ちゃーん、元気か?」
灯が再び声をかけると、先程まで無機質なまでに不動を貫いていた崩王がゆっくりと体を起こし、寝具に腰掛けるような体勢になって灯に向き返った。顔を包んでいた布を取り払って狐面を素早く取り付け、肌が見えなくなるように全身を布で覆い隠す。
「――――帰ったか」
「調子はどうよ」
「高坂の異能で、楽にはなっている。感謝するぞ」
「勿体無いお言葉です」
深々と頭を垂れる虎綱。
「時に国吉。九鬼紋白の回収、大儀であった」
「…………ああ」
崩王の言葉に何とも言えない、不機嫌そうな表情を浮かべて曖昧な返事をする灯。それを見てか、崩王は高坂に命を下す。
「……高坂、少し外してくれ」
「……分かりました。何かあればお呼びください」
そう言われて徐に立ち上がり、
「いいか国吉、無茶はさせるなよ? いくら僕でも限界があるからな」
と念を押してふらふらと退出した。その幽霊のような背後に飽き飽きしたような声をかける。
「分かってるよ。何年目だと思ってんだ」
二人きりになり、しばしの沈黙が灯と崩王を包む。虎綱が完全に部屋から離れ切ったであろう頃合いを見計らってか、灯が口を開いた。
「――――
「皆まで言わなくていいよ、灯」
手で制した崩王の声が途端に和らいだ。先程までの奇妙な威圧とも言える迫力はどこに行ったのやら、借りてきた猫の様に大人しくなっていた。
「今生きてる
「そうか……。まいったね」
気心の知れた友人の様に会話を交わす二人。他の
「向こうも苦しんでたぜ。恐らくだが、お前と同じ理由だ」
「……そうか」
「すまねェ。これ以上護ってやれなくて」
すると突然、灯が両膝に掌を乗せて頭を下げた。
「この身体に生まれた定めみたいな物さ。お前のせいじゃない」
決して表情を見せようとしないが、柔らかい声色は布の奥で笑みを浮かべていると想像できる。それを思い浮かべたであろう灯は、ギリッ、と奥歯をかみしめる。
「……終わらせる。今回で」
「お前らしくないな、そんな真剣な表情」
「……そうだな、自分でもそう思うよほんと」
呆れた様に声を漏らした灯はゆっくりと立ち上がる。
「さて、そろそろ出るわ」
「ああ」
「あずにゃんとちびっ子が増えてっから、宜しくな」
◇ ◆ ◇
「やあ高坂」
不可侵の境界線を挟み、虎綱は対峙する。
「…………何でここにいるんだよ、港」
極めて訝しげに、港三千尋を見定めようとする。それを飄々とかわす様に能面のような笑みを浮かべていた。
「いや、僕も崩王様の容態が気になってさ。城主様の状況を知るのもまた家臣の務めじゃないか」
「……お前にできることは何もないよ。異能だって、他人を圧迫させるだけの攻撃的なものじゃないか」
「縛るしか能のないような異能のお前がそれを言うんだ?」
一歩、虎綱が退く。まるで一歩踏み出してきたような気配に虎綱は足を下げてしまった。
「
追い打ちと言わんばかりに、三千尋はそれを口にする。
「――――なんだって?」
「君の「本当の異能」だそうじゃないか。亡者の異能にぴったりだ」
「誰から聞いた。僕の異能の名は国吉と崩王様以外知らないはずだぞ」
殺気にも近い威圧、それを放つと同時に一歩前に大きく踏み出す虎綱。しかし、まるでその行動を知っていたかのように虎綱の足もとを見据え、僅かに微笑む三千尋。
「いやあ、実に素晴らしい能力だと思うよ。自分を縛りつけて喜ぶだけの被虐能力だとばかり思っていたことを謝るよ」
そう言って両肩をふっと持ち上げ、片眉を吊り上げてみせた。
「なんだそれは。馬鹿にしているつもりか」
「まさか。それなら堂々と言いに来ないでどこか陰で吐き捨てているよ。ちょっとだけ、確認と相談があってさ」
それを聞き入れなければ通さないぞと、ギリリ、と唸るグローブが威嚇する。
「…………言ってみてよ」
「君が死んだら崩王様はすぐ死んでしまう、なんてことにはならないよな?」
最もな意見だったのと同時に、そこまで知っていることに驚きを隠しきれなかったのだろう。目を見開きながらもその質問に対して反射的に疑問が飛び出した。
「国吉から聞いたのか?」
「それは後で答えてやるからさ、実際のところどうなの?」
「死にはしない、けど――――」
「タイミングによっては死んでしまうんだろう?」
ぞわり、と虎綱の背筋に怪奇が這いずる。全てを見透かされているような恐怖が虎綱を支配し始めた。
「かっ……確認する必要あったのか……? 答えまで知ってるじゃないか……」
「確認する必要があったんだよ。これは仮定だからね。これを確信に返るための根拠というか、答えあわせをしたかった」
「…………」
相手の出方を窺うように、自然と腰を落としてしまう虎綱。同じ
その体勢を見て、やれやれと溜め息をつき、
「――――“
高坂虎綱を無様に沈ませた。
「ぐふっ……!?」
膝を無理やり尽かされ、それでも襲い来る重圧に咄嗟の対応ができずに手もついてしまう。加えて、それはただの重圧ではない。頭の中を快楽で満たし溢れさせ、行き過ぎた麻薬が体内から虎綱を蝕んでいく魅惑の障害。
「手加減してあるから僕の話も問題なく聞けるはずだ」
虎綱を見下しながら三千尋は話を続ける。
「確認をもう一つ、それは崩王様以外にも適応できるのか?」
「っ……だ、だとしても、お前に施す義理は……! ぐ、うっ……!」
拒絶の意思を示そうとする度に虎綱の頭が大きく重く揺れる。協会に取り付けられているような大きな鐘がゴーンゴーン、と音を響かせて揺れるイメージが彼の瞼の裏にふと見えた。
「仮の話だし、何も僕だけにという訳じゃなくてね」
「ど、どういう……!?」
話を聞き入れようとすると、ほんの少しだが彼を襲う鈍痛や重圧が収まる。三千尋の言い様に誘導されている虎綱だが、術中に嵌ってしまったことを悔やみながら敢えて誘いに乗った。
「お前が、生き延びるためじゃ……!」
「馬鹿を言うなよ。ただでさえ手早く済ませたいのに、僕一人のためにここまで手心加えた優しい手段はとらない」
手加減をしていると、面倒なやり方を取っていると暗に言い張った。
「……誰が、こんな脅しに……!」
「脅し? おいおい勘弁してよ」
余裕の笑みを浮かべていた三千尋だったが、僅かに目を細めて虎綱を冷たい視線で射抜く。
「…………手早く済ませたいって言っただろ。時間をかけて甚振って、お前の根気が折れるまで続けるほど余裕があるはずないだろ。戦争間近だということを忘れるな」
そう言って三千尋は窓の外に視線をやった。そこからは霊峰の麓に作られた、かつて人間が暮らしていた廃村が見下ろすことができる。とは言っても、生物がいないという訳ではない。
崩王たちが集った人ならざる亜人たちが人間の様に営みを行い暮らしている。果実を屋台で販売しているゴブリンを中肉中背の髭男に置き換えたり、子供と手をつないで歩く
しかし、三千尋の視線はそちらを見ていない。
その市場となっているかつての廃村と古城を挟んだ霊峰の中腹、そこには霊峰を覆う黒き森がさらに黒くなっているように思えるほど、黒き兵士たちが密集していた。さらにはその傍らに竜専用の駐屯場とも言える空間があった。
兵士たちは既に臨戦態勢を整えようとしていた。あの市場が機能しなくなったその時、完全に
「じゃあ、なんなんだ……」
虎綱は三千尋の意図が未だに読めなかった。
しかし、三千尋は楽しんでいるように思える節が多々見られる。国吉灯もそれに追随する部分があり、崩王に至っては苦痛を糧に産み落とされたようにも思われた。狂い壊れていることは確かだが、狂い方のベクトルが奇妙だと虎綱は判断していた。
虎綱は
そんな彼よりも
「これは恐喝でもなんでもない、交渉だ。それもお前にとってはかなりの蜜だからね」
狂人は笑って提案する。
「一切消耗していない武神と戦いたいだろ?」
その一言で、彼の考えなどどうでもよく思えてしまう程度に彼も壊れているのだが。
絵本のような住人達が暮らす世界でありながら絵本では語られることのないような世界の奇譚。
主人公が活躍するには悪役を屠らなければならない、そういった見てはならない現実を如実に示すために作られたような世界で抗争は絶えなかった。
人間は亜人を忌み嫌い、亜人はその恨みを重ねて不発弾となり森に籠る。
奴隷のように扱われるものもいれば観賞用と称され見せしめにされる亜人たちを救済するべく、廃棄物の頂点である崩王が手を差し伸べる。
それもただの救済ではない。破壊や滅亡に委ねた人間への復讐、世界への叛逆。世界を滅ぼすために彼らは強引に利用され統一される。
そうはさせじと呼び寄せられる漂流物。
季節風のような自由さで舞い来る彼らは世界を耕し根を張り、世界を作りかえる。
混沌を呼び覚ます、一種の世界破壊を無意識に渇望する。当たり前という便利を追求し、彼らの常識を当てはめて世界を壊す。
紫という役人もEASYという子役も、目指す者は違えど世界の崩壊、改編を望む。
負の感情に塗りつぶされ廃棄されるは異能。
生にしがみつく亡骸、隠し切れない傲岸不遜、灰被りの野生、自由気ままな出来損ない。
訳も分からず漂流するは常人である筈の異常。
諦観を手にした落伍、気の触れた朝駆、居丈高な傍若無人、壊れかけた狂気。
彼らは自らの意思で相対することとなる。因果があろうがなかろうが、因縁があろうとなかろうと、彼らは衝突する運命にある。
しかし、先導がいるのもまた真理。
廃棄物に崩王という支持者がいるように、漂流物には行燈機構が必要なのだ。
行燈機構の長、燈火。
彼は配下を世界各地に分散させて漂流物の集合を画策するも、疲れからか不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。
後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡に言い渡された示談の条件とは……。