日が沈んでいく。ほんの少し小高い丘から見下ろせる地平線に飲まれていく光源は、段々と見る者の心を冷静にさせていくようだが、そこに座っている少年の心は冷めることを知らなかった。
ほっそりと開けられた目蓋から覗く瞳の奥にはごうごうと燃える炎が見える。真っ黒で、情熱的とは世辞でも言えない冷たい炎が。
彼の背後ではいくらか騒がしい声が聞こえてくる。騒がしいとは言っても、それは悲鳴や絶叫の類ではなく、どちらかと言えば活気だっている方が近しいかもしれない。ああしようこうしよう、といった提案する声が多ければ多い程、その声たちが前向きな姿勢であると彼に認識させる。
そこに入ろうとはしなかった。今少年の頭の中は、処理しようにもしきれない、ぶつけ所も吐き出しどころも分からない感情が彼の脳漿を潰して削って渦巻いているから。
先程、その感情に任せて禿頭の男を跳ね返したばかりだった。必死に宥めてくれた彼には悪いとは思いながらも、ほんの少し溜まっていたストレスに近いものも吐き出せたのだろう、あの時より幾分か落ち着いたのだと少年は感じている。
「ふぅ……」
もっと冷静になろうと息を吐き出してみる。それでも、彼の中で蠢くものは一切の減退を見せない。ただただかれのなかで巣食っている。
どうしようもできないこの感情の塊は、数時間前の会談の中で生まれた。
戦争に巻き込まれただけでなく、少年の大切な人が道具にされて目も当てられなくなっているということから来る怒りが、どうしようもなく彼を炙って痛めつけたのだ。その際に生じたものが化膿し、膨れ上がって蝕んでいた。
どうにかしなきゃいけない。しかし、どうしたらいいか分からない。何に対してどう感じればいいのか、何を止めれば何が解決するのか、混乱を極めた彼は考えることを既に放棄している。
ただただ、黒い炎を宿したまま、彼は動かない。
「十夜くん、でよかったかしら」
そこに新たな来訪者が来る。数時間に渡って大きな動きをしなかった少年、川神十夜がその声に体を翻した。
「……千李、さん、でしたっけ」
十夜は来訪者に問いかける。彼にとってはどこか見たことのあるような風貌でありながらも、全くと言っていいほど未知な存在である女、川神千李は肯定の意思を示す様に笑ってみせる。
「呼び捨てでもさん付けでも、貴方の呼びやすい呼び方でいいわ。ただでさえ厄介な状況なんだからね」
そうやって苦笑して見せる千李から視線を外し、十夜は彼女の周囲や背後に誰もいないことを確かめる。
「…………ハゲ……井上、先輩は」
「彼はユイちゃんに頼まれて治療分野で頑張ってるとこ。ロリコンだけど出来る奴らしいしね」
「そう、ですか……」
自分から追い返したはずなのに、来ないと分かった途端十夜の顔が僅かに陰りを見せる。それを見た千李は小さく溜め息を吐き、そのまま地面に腰を下ろした。近すぎず遠すぎない、数メートル離れた位置で二人は座ったまま向かい合う。
そのまましばしの沈黙が流れたが、それを千李が断ち切った。
「…………川神ってことは、ワン子とは家族だったのよね?」
十夜は無言で頷く。
「そっか……。ねぇ、私たち血が繋がってるらしいわよ? どう思う?」
「……信じられると思います?」
おどけて言ってみせた千李に逆に問いかける十夜。もっともね、と千李も同意した。
「まったくもって信じられないのが本音。生き別れならまだしも異世界よ? 困ったことに受け入れ難いわ。未来人の方がまだ信じられるってね」
「……はは」
乾き切った笑いで相槌を打つ。
「――――でも、あのワン子を見ちゃうとね」
「っ……!」
「川神流がどんなものだったかも分からなくなりそうだったけど、異世界の存在ってのは何となく知らしめられた感じがする」
そこに厄介な爆弾が飛び込んだ。口角を挙げながら目を見開く、奇妙な表情のまま十夜は硬直してしまう。
「同じ川神でも、十夜くんは……あんまり武と関わってない感じがする」
そのせいだろうか、普段ならば逃げ出したくなるような言葉に反応が遅れてしまう。幾分か戦闘に対する勘を取り戻しているにしても、取り除き切れない心的障害による圧迫感はまだ染み着いたままだ。
ただでさえこんがらがっている脳内が遂にオーバーヒートする。パタリ、と人形の様に倒れこんでしまう十夜に焦りを覚えた千李だったが、十夜が先に口を開いた。
「……わ、わか、分かるもん、ですか……?」
実に拙い言葉ではあったが、千李はとりあえず安心して立ち上がりかけた身体を元に戻す。
「……まあ、伊達に武神の姉やってないってことにしておいて。それに、例え異世界の人間でも川神。身内の気配がすれば尚更分かっちゃうの。それに、一方的にやられちゃってたからね」
「……色々ありまして」
ハーピーの村での事件のことを言っているのだろう。十夜は不甲斐なくなったのか自嘲的な薄ら笑いを浮かべる。
「……そっか」
「…………聞かないんですか?」
「なんとなくだけど、聞かれ過ぎてうんざりしてると思ってね。これ以上は流石に気が引けるわ。デリケートな問題だろうし、出会ったばかりの人間に話せる内容とは思えない。あの家なら尚のことかな」
私にも言いにくいことだってあるしね、と笑った。
「…………」
それに対して十夜はほんの少し表情を変えた。安心というよりは珍しいものを見たような驚きに近い。
「意外だった?」
「…………すいません。少し」
出会ってほんの数分の異国人にも尋ねられた質問と似ていたが、深く追求しようとしない千李の態度には十夜も一種の不安に近いものを覚えてしまう。体つきのことも何も言われない、何故武との関わりを立ったのかも聞こうとしない。背中に触られた感覚があるのに、背後を振り向けば誰もいないような奇妙な感覚だった。
鋭すぎる感覚が、十夜の境界線を見定めているのかもしれない。あまりの強かさに、十夜の脳内で何かが音を立てて這いずる。
「お節介すぎるとは思って、少し自重するわ。異世界の弟とは言え、あんまりお姉ちゃんぶるのも違うと思って」
「……その方が、助かります、はい」
ひとまず、追及されないことに安堵しておくことにした。
「……でも、これだけは聞いてほしいし、聞かせて欲しい」
そうやって安心した隙に、狼の牙のような鋭利なものが十夜の懐にまで。
「川神十夜くん。君は自分の尊厳を、自分の思い出を取り返すため、あのワン子に立ち向かう覚悟はある?」
立ち向かう覚悟。
武というものにブランクがあると見極められた上で問われる以上、あの怪物のような少女に立ち向かう覚悟には死が伴うという意が込められていることは明白だった。
唐突に叩きつけられた疑問。いや、これは尋問や詰問に近いものだ。追い詰め追い込み、逃げられないような状況にまで十夜を追いやるような類のもの。
既に、十夜を狙う武骨な顎が鎌首をもたげて開き始めていた。
「私たちは結局、あのワン子を逃がしちゃったわ。十夜くんはワン子に、私はワン子を抑えられたけど、結局釈迦堂さんにも惨めな負け方をして、色々と失ってる」
笑っているような表情ではあるが、千李の瞳にもまた炎が燃え盛っていた。しかし、十夜の瞳にある黒い炎とは違う。真っ赤に燃え盛り、鋼鉄すらも溶かさん勢いで白熱を帯びた高温の炎。太陽の表面爆発のような火炎、フレア。
情熱的など既に通り越した、怒り一色。全ての要因全てを怒りと言う感情に集約しきることに成功した色の炎だ。
「堅苦しくいうならそうね、自尊心が傷付けられて大切な物は奪われた。私が今からすべきことはそれの修復と奪還」
「……修復、奪還……」
「どうすればいいかなんて、正しい答えは分からない。なにせユイちゃんですら知らないんだからね。でも、私の世界のワン子を穢し尽くした連中には、然るべき報いを与える必要がある。そのためには、あのワン子を叩きのめすことも入っている」
「……!」
川神一子を叩き潰す。その明確過ぎる手段に逡巡する十夜には、まだ異世界のワン子も自分の知るワン子と同じところがあると思っているのだろう。思い起こすは先程の戦いの最中の一子の言動。
言葉遣いは、とてもではないが同一人物とはいい難い。気が触れたような言葉尻に、命を塵屑のように見ている発言は、心優しいと親しまれた少女のものではない。
しかし、長刀を扱う所作、歩き方といった本当に細々としたところだけを切りだせば、あれは確かに川神一子なのだ。狂い切っていない、そう言ってしまえる。まだ何とかできるかもしれない、方法があるかもしれない。十夜の脳裏に、そんな甘言がするりと過る程度には。
しかし、彼の目の前で座る姉によく似た女は、叩き潰すと明言した。その可能性全てを、一緒くたにしてに殺すようなこと。それが救いだと、自らに言い聞かせて。
――――そんな決意、俺にはできない。
強かさというよりは、意志の強さ。それに僅かな敬意のようなものを覚えた十夜。
「……正直、私はまだ決意できていない」
しかし、それは自分の思い違いだったと知る。
「釈迦堂さんが抱えている私の過去と、ワン子に奪われた私の歴史。そして、私の可愛い大切な娘を救い出す。全てを解決するには、
弱弱しそうに逆説の言葉を発した。ここから先の言葉に自信がないような、そんなか弱さが滲み出している。
「私にはまだ……いや、この言い方は少し違うか。私には「もう」人を簡単に殺すことはできない。人生を、そんな風に奪えない」
人生を奪う。
十夜からすれば、自分とは程遠い言葉だったのだろう。一体何があってそんな言葉が出てきたのか、到底想像もつかなかった。
自分が、奪われた側の人間であるとも知らず。
「私には立ち向かう覚悟がないの。例え殺す事が
たはは、と苦笑する千李の拳は音を立てて握られている。今にも血が滲みそうだと、十夜の背筋に僅かに悪寒が走る。
「いつか殺すという覚悟は決めなくていいと思う。でも、今決めなきゃならないことがひとつあると思うの」
「……今、決めなきゃいけないこと」
「殺すかどうかじゃなく、いつか殺されること。ワン子に立ち向かうか、逃げるか。私も貴方も、決めなきゃいけない」
日が沈みきって、二人の会話が終わった。
あとがきしょーとすとーりー 共同企画没案
「
黒いニット帽をかぶった
「あれが、ワン子が言ってた……!!」
一方、敵対するのは
――――
怪我を追って帰ってきた、大事な家族でもあり思い人でもある少女の顔を思い出す。
何とも言えない表情だった。悲壮とも取れただろう。後悔にも苛まれていたかもしれない。憤怒で顔の色を変える直前だったか。
何にしろ、彼女に涙を流させたのはあの
なればこそ、その始末をつけるのは
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
その決意を胸に、跳んだ。思い切り、正面からぶつかる様に。
――――ワン子はあれに掴まれるなと言った。なら、先手必勝であれを封じる!!
拳を振りかざす
しかし、
――――よし、後は力比べっ――――
ボキリ、軽快な音が
「ぎぃっ――――!?」
何が起こったか分からなかった。掴んでいるはずの右手にしか炎はなく、何をされた訳でもないのに勝手に彼の肋骨がひしゃげたのだ。困惑と激痛で、
「犬に聞いてたんだろーが、当てが外れたな
拘束が弱まったことを確認し、
「俺の
蹲っている
「俺に近づいた時点でお前は「感染」したんだよ。俺の異能、
「灰だ」