川神十夜は夢を見た。夢を見ている間に、自分が夢の中にいると自覚してしまった。こういうものを明晰夢と呼ぶのだったかと一瞬思案したが、十夜は今見ている光景に意識を集中させることにする。
十夜よりも幼い少年が、血を吐き、体を歪ませ、悶絶して泣き叫んでいた。
実に無様で、あまりにも凄惨で、十夜の心の奥の黒い部分を握りしめる。何とも言い難い間隔が十夜の胸を締め付ける。いや、締め付けるという言葉もあまり正しくはない。十夜が感じたまま表現するなら、ずぶり、と心臓が黒い沼に沈み溶けていくような、不快感。
バキバキというか、ボコボコというか、グチャグチャというか、とにもかくにも惨烈なオノマトペが似合うような光景。生きているのが不思議なくらいには叩きのめされた幼い少年を見て、十夜は絶望や恐怖に押しつぶされそうになる。
――――なんて弱かったんだろうな、俺。
◇ ◆ ◇
「――――また、この夢か」
十夜はゆっくりと瞼を開き、歎息を吐いた。横たわっていた体を起こし、背中を丸めて少しだけ気持ちを整えようとした。気分の切り替えに加えて、夢の影響なのか、身体のどこかに悪いところはないかと確認していると、誰かからの視線を感じた。
十夜が顔を視線の来る方へ向けると、そこには紫色の弓を体に預け、弓に付いている弦の端にある輪を弄り何かを調整していた灰色の髪の少年がいた。
輪を弄っているとは言え、その手元は見ていない。もう何千何万と繰り返してきた作業化の様に、手元を見ずに最適な形を作り出しているようだった。
その行為に興味を持った十夜は、少年に話しかけずに視線を逸らしてしまう。
視線を逸らしたことがばれないように周囲を見渡す。辺りは薄暗いが、周囲に立てかけてある松明が足下や壁を照らしてくれているので、この空間の広さと形状は把握できた。
二人がいる空間は洞窟である。それも奥行きの全くない、秘密基地とするにはもってこいの小さな洞穴。一つしかない入口の向きのせいか、陽光は入ってこない暗闇の空洞。
ようやく自分がいる空間が洞窟だと理解したところで、十夜は少年に目を向けようとするが、なかなかじっと少年を見つめることができない。そわそわしているその様はどこか女々しい。
「やっと起きたか」
視線を逸らし続けていることを対して咎めようともせず、少年は自身の作業を続けていた。その気遣いは十夜にとって嬉しいものではあったが、沈黙は沈黙で十夜を居たたまれない気持ちにさせてしまう。
少年の作業の音と松明の弾ける音がたまにはするものの、それ以外の音は何もしないはずの空間は十夜の耳を突き刺し、胸を何度も圧迫しては介抱する。生殺しにも近いようだったが、十夜からその状況を脱局しようとは考えない。
十夜は気楽に話せる相手がいない場合、手元に暇つぶしができたり没頭できるものさえあれば問題はなかったのだが、何も手助けになるものがない上に見たことのない場所にいるときている。
――――話しかけてくれ。
手元に本や携帯電話、ゲームがない時点で十夜に残された手段は受けの姿勢を取ることのみ。その受けの姿勢すら万全とも言えない不手際の悪さは、人付き合いが苦手であることの一番の証拠とも言えた。
「お前」
「はひっ……?」
「……体の具合はどうだ?」
十夜の不完全な受けの姿勢から弾きだされたあまりにもみっともない返事すら、少年はほんの少し呆れ顔を見せる程度で済ませてくれた。それが十夜にとってはさらに居たたまれなくする行為でもあり、十夜は初対面の相手に恥を晒したことに顔を赤くして苦悶する。
「だ、大丈夫……? だと、思います……」
「まあ不安なのも無理はないな。それだけでかい痣作ってんだしな」
「えっ……」
十夜は言われてようやく自分が一撃の拳で盛大に吐き散らしたことを思い出し、自分の上半身が白いシャツ一枚になっていることに気が付いた。白いシャツをめくると、そこには自分の拳よりも大きな青あざが浮かび上がっており、それを見た十夜の血の気が一気に引いた。
「うわぁ……。痛そう……」
「いや、お前の体のことだからな」
「そ、そうですね……」
「上の制服は洗って外に干してある。ゲロ塗れだったからな」
「あ、ありがとう、ございます……」
自分の腹にできた真っ青な痣に顔をひきつらせている十夜に、少年は何度も言葉をかけてやるが、一向に会話らしいものが続かず少年は溜め息を吐いた。その溜め息で十夜がビクッ、と一瞬だけ震えたのを見てまた一つ溜め息。
「お前、今自分がどういう状況にいるか分かってるか?」
なので、関係のない話から遠回りして探り合いの態度を取ろうと企むことは諦め、直球で少年に質問を投げかけることにした。
「えっと……。死んじゃったんですか、俺?」
「…………」
「そ、それとも、ここは死ぬ間際の、境界線、みたいな……? 天使みたいなのがいましたし……」
「良い読みだ。俺もそう感じていた。やはり“特異点”同士、感覚に似通ったものがあるな?」
死んでしまった可能性が否定されなかった、それよりも。
死と生の境界線、さながら黄泉平坂のような世界を肯定された、それよりも。
特異点“同士”と言われたことに十夜は疑問を抱かざるを得なかった。
「と、特異点……?」
「そうだ。お前も特異点だろう?」
「いやいや、そんなの初耳で――――」
「無自覚、か。機関に気づかれていないのが幸いだな」
「聞けよ話を!」
思わず出てしまった大きな声に最も驚いたのは。その大きな声を発した十夜自身だった。人見知りが激しい彼が、何故かこの少年に対してほんの少しだけ心を開き始めている。その速度は十夜が信じられないと感じる程。何故自分は心を許し始めたのかと十夜は悩んだ。
その疑問を解消すべく、一つの仮定に基づき質問を投げかけることにする。
「無理もない。まだ兆候がないんだからな」
「あ、あのー……」
「どうした」
「貴方にとって、平和とは」
「フッ……。世の中が語る平和ってのは、偽りで固められた幻想に過ぎない」
この時点で十夜の仮定は認められ、一つの確証を得ることに成功した。
――――昔の大和見てるみたいで、話しやすいんだな……。
「さて、一つ聞かせろ。お前がここに来る直前の暦は何年の何月だ」
特異点がどうのこうのと言う話は少年の中一段落したのか、少年は十夜に質問を投げかけた。
「に、二〇〇九年、七月」
「そうか。その時期の川神学園生で俺を知らないのなら、俺とは別の平行世界からやってきたということになるな」
一体どんな自意識過剰な生徒なんだろう、そう思った十夜の考えは間違っていない。そう言い張っていいのは、彼の姉である武神や、九鬼の御曹司たる二年生にしか許されていない。
しかしそれは、十夜の世界での物差しでの言い分であり、少年の世界では通用しない。
「俺の名は那須与一。武士道プランにより現世に転生させられた特異点だ」
「えっと、那須与一って、源平の……扇打ち抜いた伝説の、弓兵?」
いきなりのカミングアウトに信じられないのか、十夜は苦笑いを浮かべていた。しかし、その苦笑いこそが、与一の求めていた反応と合致している。
「ああ。今から八百年くらいは昔のことだな。そいつはオリジナルで、俺はクローンだ」
「く、クローン?」
クローンという言葉に聞き覚えがないわけではなかったが、十夜がクローンとして知っているのは、蛙だの牛だのといったクローンの実験動物であったり、ゲームや漫画の中で出てくる未来的化学がなせるような存在だけ。
目の前の人間がいきなりクローン人間だと言われてしまうと、十夜の培ってきた常識が一瞬にして壊されるのも無理はなかった。
「クローン人間に違和感を覚えるくらいだ。武士道プランについても知らないようだな。これではっきりした」
混乱と動揺に脳内を掻き乱され困惑していた十夜を余所に、与一もまた一つの確証を得ることに成功した。
「お前と俺は別の世界の人間だ。これはたった今証明が完了した」
「…………さっきから、平行世界がどうのって、なんなんですか……?」
「アメリカの有名な小説に“真世界アンバー”というものがある。知っているか?」
「い、いや……」
「一つの本筋とされる世界であるアンバーが存在していて、そこから投影した影と言う無数の多元世界が存在するという定義がもとになっている小説だ。他にも多元世界を題材にした作品は多いが、俺はこれがこの世の真実に最も近いと信じている。アンバーで起きた出来事は影に影響するが、影で起きた出来事は直接アンバーには影響しない。そしてアンバーに近ければ近い程影はアンバーと近い未来を辿り、遠ければ遠い程かけ離れた未来を辿るとされている」
「……そ、その言い方だと、何か一つは正しい世界がある、ってことじゃ……」
「そうだ。俺はそう信じている。それはお前の世界か俺の世界かもしれないし、そうでないかもしれない。そう考えることは何も罪じゃない。何時か別の世界線に渡り、機関から完全に逃れ隠居をしようと画策している。俺は特異点だ。不可能を可能にしてやる」
――――姉貴とガクトは音楽だったが、アメリカかぶれも懐かしいなぁ……。
「なる、ほど」
「混乱するのも無理はない。しかし、賽は既に投げられた。一度身を投じてしまった以上、俺たちは特異点として生きるしかないんだ。だが安心しろ。世界線の問題か、機関の目が存在していない。特異点のための世界のようだ……。ほんの僅かの
――――懐かしいけど、
敢えて口には出さなかったが、十夜は目の前のクローン人間が中二病という厄介な病気にかかっていることを理解し、放っておくことにした。
こういう病気は放置して自然に治るのを待つに限る、十夜は幼馴染たちの経験を活かし、与一をそっとしておくことにした。
「おいおい、他にも川神学園生いたのかよ」
ジャリ、と洞窟の入り口から誰かが入ってきた音と共に、その足音の主が十夜を見て呆れたように声を上げた。
その足音の主の姿が松明に照らされる。与一や十夜が所属している川神学園の制服、松明の明かりを反射し一つの光源となっているスキンヘッド、大きめのメッセンジャーバッグ。如何にも現代風の格好に奇抜な頭。
その人物に見覚えのある十夜は、思わず立ち上がり大きな声を上げる。
「は、ハゲ先輩!?」
「おい井上。言われてるぞ」
「おいおい、初対面の相手には「はじめまして」っていう挨拶が大事って小学校で習わなかったか? この社会の常套句ですよ? 開口一番に何いきなり人の頭馬鹿にしてくれちゃってんの?」
十夜の言葉は確かに無礼で済まされない程度には失礼な言葉。初対面相手では尚更だ。現れた人物が学生服を着ていながら坊主の様に照り輝く頭を持っていれば、そちらに意識と視線が集中してしまうのは仕方のないことではあるのだが。
問題は、スキンヘッドの少年が十夜のことを知らないということだ。
「は、ハゲ先輩? 俺ですよ、川神十夜ですよ?」
「知らん」
少年の容赦のない一言に、十夜は膝から崩れ落ちてひどく落ち込んだ。四つん這いになってブルブルと震えだしてしまう。
――――こ、これが、別の世界線ってことなのか……?
知己の中であった人間が、一方的な関係になってしまうこの世界に、十夜は恐怖を覚えざるを得なかった。
「おい井上。どうやらこいつの世界線ではずいぶん慕われていたらしいな。俺と二人きりの時には見せなかった笑顔を振りまいていたぞ」
「そうは言われてもだな、川神姓の男子生徒なんていなかったしな」
「ハゲ先輩のヘッドが照らされて光明が見えたと思ったのに……」
「俺はどの世界でもこんな扱いなのか」
十夜の暴言を割と真面目に受け止めてしまったスキンヘッドの少年は少し沈んでしまった。それをきっかけに三人の間に沈黙が流れてしまう。与一ですら作業の手を止めてしまうほど気まずい空気になってしまった。
それを打破しようと動いたのは、つい先ほど見ず知らずの少年に容姿を虚仮にされた人物。
「ま、まあ知らないもんはしょうがないけどよ。まずはお互いを知ることから始めようぜ。お前らは俺のこと知ってるみたいだし気楽に接してくれていいけどよ。俺がどうしたらいいか解らないからな」
「ハゲ先輩に協調性がある、だと……?」
「驚いたな。幼女に走り真っ先に輪を乱しそうな奴が」
「あのね、これでも補佐役は慣れたもんなの。人を立てるのは割と得意よ、俺」
「じゃあ自己紹介だな。クローン、那須与一だ。この中では真っ先にこの世界に迷い込んだ特異点だろう」
「知っているだろうが、俺は井上準。お前らは普段通り接してくれ。すこしばかりぎこちないかもしれんが、努力する」
「か、川神十夜。川神百代の実弟で、一年です。姉みたいな強さを求められると困りますが、雑用なら、何でも出来ます」
あとがきしょーとすとーりー 暴君川神十夜
……パカラッパカラッパカラッ!
与一「な、なんだこの地鳴りは!?」
準「見ろ! 馬がこっちに向かってきてるぞ!」
パカラッパカラッパカラッ!
与一「おい、誰も乗ってないじゃないか」
準「見ろ!」
十夜「」ズルズル…
与一「鐙に靴が引っかかったまま落馬してるぞ」
準「死んでるんじゃないのか」
十夜「」ズルズル……ガツッ
与一「あ、岩に頭が当たった」
準「確実に死んだな」
十夜「」ズルズル……
完