川神千李がハーピーの村を救ったと同時に壊し尽くした頃。そこから遥か南の国、コウガ第三帝国が滅亡した。
コウガ第三帝国はこの世界の南半分の商業に関わっていた商業大国。特に流通や貿易に関しては支配権を握っていたと言える。食物衣類と言った生活必需品から、鎧や剣と言った戦争道具も彼らの商品として扱われていた。南半分に住んでいる住民にとって、ありがたい存在でもあり目の上のたんこぶでもあった。
南の商業連合はコウガ第三帝国を本拠地としており、その内の九割が傘下に納まっていた。企業規模から保有人員まで異なった雑多な組合が集まり、一つの大きな国となっている。中枢にいる極少数の首脳陣と、ばらばらになりかねない組織の集まり、それがコウガ第三帝国という大国の正体である。
五十年以上昔のこと、一人の人間が何の取り柄もなかった村を数年で莫大な富をもたらす国へ変貌させた。その手腕たるや、実に手慣れたものだったという。まるで“未来予知”ができていると思わせる程、先見の明に長けていたとされている。
その男、“悪七兵衛”と名乗った。
男は他国から利益を必要以上に得ようとしない村人の態度に納得がいかず、全力をもって交易の最重要な点は何たるかを叩きこんだ。必要な分だけ殺し採取し蓄えを持とうとしない、昨今のインディアンの間違った理想図のようなお人好し文化生活を男は忌み嫌っていた。
苛立ちを覚えつつも、男は他国との通貨の実質価値の差がこの貧困を招いていると指摘し、悪銭の廃棄から着手していった。
そして、如何にこの村が経済交易港として優秀かを伝え、利益を上げやすい手段を教えて村全体を唆した。まったく交易の知識がなかったこの村の人間に、バビロニアや古代ギリシャの古代交易から始まり、イスラーム黄金時代の一つの特産物の
男の指示に基づき、自身の村でしか取れない特産物の値を上げたり、港を使った交易を増やしていったりと、初歩的なことから始めた時点で、この村は国として生まれ変わり始めていた。交易港として非常に優秀なこの国の地価を上げ、参入を希望する他の商業連合からも資金を搾取する体制も整った。
数年後、村の規模が数十倍にまで達した。しかし、男の目はどんな未来を見たのか、突如男は姿を消してしまった。
彼が残したものはあまりにも大きかった。決して平等とは言えないコウガ第三帝国の利益運用は、コウガ第三帝国の存続に必要不可欠なものとなっており、残された者たちは彼の遺産を頼りに交易を繰り返していく。
しかし、彼らは男ほど交易の才覚がなかった。故に、分裂の危機に瀕しながらギリギリを保つ危うい爆弾のような国となってしまっているのだ。
話はその貿易大国であったコウガ第三帝国が滅びる一時間前に遡る。
◇ ◆ ◇
コウガ第三帝国、南西のドラグ区、警備兵駐屯所。ドラグ区の治安維持や郊外の監視を務める警備兵たちが屯している。その駐屯場は上流階級の送迎など考えていない無機質なもので、何も知らない者が見れば監獄かと錯覚させられることだろう。
その駐屯所前に、ものものしい雰囲気を放つ無作法な有り様を見て、呆れたように溜め息を吐いた和服の男がいた。
男の服はこの世界において異彩を放っている。ギュッ強く絞めるのは腰の帯だけで、それは念入りに何重にも縛られている。それでいて、袖口や裾口は必要以上に大きく空いており、見ただけでは緩すぎる服装に見える。しかし、この服には身と気を引き締めてくれる効果がある。
まったくこの手の服がないという訳ではないが、それは遺産として管理されている。
和服の男は大きく空いた左の袖に右手を入れ、真っ黒な扇を取り出した。これもまた、この世界では異質なものと扱われる。
男は扇子をパッと開き、口許に当てて声を発する。
「シン。交渉はどうだ」
『こちら北のペガス区、シン。駄目です。ここの連中、楽観視しすぎてる』
するとどうだろうか、扇子が男の声を聞いて返答したではないか。どうやら、男は扇子を通じて誰かとコンタクトをとっているようだ。その原理はこの世界でも別の世界でも皆目検討がつかない。
「最悪の状況を考えて、彼女の手を借りてくれ」
『
「そうだ。私も二人の
それを最後に男は扇子をパチンと閉じ、重々しい扉をグッと押し開ける。大して重くはなっていない人間用の出入り口とは言え、この場の雰囲気に染まった扉は実際よりも重い物体であると錯覚させられてしまう。
男が中に入ると、人の出入りを管理している兵士が一瞬眉を顰めて疑惑の視線を送った。しかし、兵士は男の服に刺繍されている
『
『もてなしは不要だ。例の
『はっ!』
男は扇子に向かって話していた時とは違う言語を使っていた。二つの言語を扱えるのならバイリンガルと言うのだろうが、この状況では若干不適切に思える。扱っている言語どころか、存在している世界が違うのだから。
兵士は男に着いてくるように伝え、先導して建物の奥深くへ進んでいく。奥深くと言うか、実際には螺旋階段を使って垂直降下していく。
一分ほど階段を下って男が見たのは、二重三重にと鎖で封がされていた鉄格子だった。鉄格子は煉瓦造りの壁に嵌められており、昔からある遺跡のようなものだと判断した。どこか彼の和服と同じ日本製の臭いがする。
地下に潜ったこともあり、男の体をひんやりとした冷気が掠めた。この冷気は熱を吸収する作りでできている空間が産んだものなのか、遺跡のような印象を与えるこの空間に残った怨念のようなものが与える超常現象的なものなのか、男の興味は尽きない。
大きな鉄格子の鍵を開け中に入ると、おおよそ客を迎え入れるような場所ではない汚い個室ばかりの空間に出る。その個室もまた鉄格子で閉じられている。
男の知識と照らし合わせると、この空間には“独房”という名称が当てはまる。
その独房の一つから、豪快な笑い声が響いてくる。
「おっ、なかなかいける口で……。ささもう一献!」
「いやぁかたじけなか! この歳で独り身じゃと飲み仲間は
「正しく、生き残った者は辛いもんで。家内や親族が多い分、ワシは幸せなんだと痛感しとるよ」
「子宝を授かって正解じゃぞ? 儂も近所の学生共と将棋を指したり茶をしばいたりと、心が洗われ温められる。若い連中と長生きはするものじゃと我が身で実感しておってのう」
「そうは言うものの、やはり実の孫は可愛いながらも手を焼かされちまう。あれはどうだのこれはどうだの捲し立てるように剣術を教えろとすがってきよる」
「嬉しい悲鳴という奴じゃ。諦めて教えてしまえばよか。」
「結局教えちまった。甘やかしてるつもりはないんだがよ」
「かっかっか! 未熟さも不貞さも、何でもかんでも愚痴るとよか! 爺同士、喧しく文句と批判で肴を盛り付けようぞ!」
老人二人による豪快な笑い声と他人の目を気にしないような会話は、男が独房の目の前に立っても止むことがない。その独房だけ他の独房と違って暖かいイメージが植えつけられる。他の独房の色が黒や青といった寒色で染まっているとすると、この独房だけは橙や赤といった暖色で包まれていた。
独房から溢れてくるのは何も温かみだけではない。男の鼻腔を貫く強烈な臭いは独房に蔓延し、通気性だけは抜群のために簡単にその臭いは漏れてくる。
老人二人の紅潮した頬と、タガが外れたような大笑い。この臭いが酔っ払いの血の中にある酒の成分が呼吸器官に漏れた、俗にいう酒臭い吐息だと分かるのに十秒とかからなかった。
『彼らに酒を与えたのか?』
『はっ! 彼らが
『…………何をしでかすか分からない彼らを宥めたのはいい判断だ。礼を言わせてもらおう、ありがとう』
『いえ! これが任務ですので!』
男の言葉に兵士は僅かに頬を緩ませたが、すぐに表情を引き締め敬礼する。
兵士に鉄格子を開けさせ、鉄格子の中へ男は徐に侵入する。すると、着流しを着た男が自身の持つ二本の長い袋の内一本を手に取り、封を開けて中に入っていた刀を取り出して威嚇する。
「ああ? 誰ぞお主!」
「ちーと暖まってきたところでな。折角のいい気分を壊されちゃあ堪ったもんじゃねぇ」
遅れて、というか一人の反応に任せていたもう一人の老人も苛立ちを我慢できなかったのか、脇に差していた刀に手をかけて殺気を放っていた。
その殺気に外で待機していた兵士たちが思わず剣を抜き構えたが、それを男が手で制する。この先に入ってくるなと無言の圧をかけた。
「日本出身の異世界人とお見受けします」
「「!」」
「刀を収めてくれると助かります。話だけでもさせていただきたい」
男はそう言って両手を上げた。敵意はないとその目と行動で示す。膝をついて額を床に擦りつけろと言われても応じるような潔さを二人に与えた。
老人二人はその姿を見た後で顔を見合わせ、大きく息を吐いて見せていた刃をしまった。
「お主、日本語が通じるようじゃのう。いやはや助かったわい」
「全くだ。ここの連中は何言ってるか分からねぇ。何大陸の何人だよ、彫り深すぎだろ」
「ははは、よく分かります。私も意思疎通が完全に測れるようになるまで数年を要しました」
「立ったままの話もなんじゃ、まぁ座れ」
三人で酒樽を囲む様に座り、老人二人も刀を床に置いて戦う気がないことを示す。完全な話し合いの場を設けるという意思表示だ。
話の分かる人物でよかったと男は安堵して、話し合いを開始する。
「差支えがないようでしたら、お名前を伺いたい」
「大道寺銑治郎。とっくに隠居したしがない爺じゃよ」
「立花虎蔵。銑治郎殿と大して変わらん」
「なるほど。もう一つお聞きしたい。あなた方の世界の暦は何年でしたか?」
「儂は二〇〇九年じゃが……」
「ワシは二〇〇二年。銑治郎殿が七年後の人間だと申すからな、これが夢の中の話だと思ってたがどうも違うらしい。こんな現実味溢れる細かな夢があってたまるかっての」
――――なるほど、よく混乱せずにここに留まってくれたものだ。
――――やはり、酒を二人に与えたあの兵士には感謝してもしきれないな。
「申し訳ないが、もう少し質問に付き合っていただきたい。これが終わればそちらの疑問に全て答えましょう。全てに応えられる自信はありませんが、知っていることは全てお答えいたしま――――」
「待たんか」
食い気味に男の発言を止めた銑治郎。一体何事かと男も虎蔵も銑治郎に顔を向ける。
「疑問とか質問とかの解決よりもな? 名乗りぐらいせんか戯け。年長者にだけ名乗らせるとは無礼千万であるぞ?」
「銑治郎殿は本当に年功序列に拘るな」
「キッチリしておきたい性分でのう」
「失礼しました。私の名は――――」
男が申し訳なさそうに自分の名前を名乗ろうとした瞬間、男は言葉を紡ぐのをやめた。いや、やめさせられたと言った方が正しいのかもしれない。それほど突発的に男の言葉は止まってしまったのだ。
それだけではない。銑治郎も虎蔵も、男が言葉を止めた瞬間に立ち上がり刀を取って臨戦態勢に突入した。周囲に敵はおらず、殺意も敵意も何も感じない。
何か、嫌な予感がするのだ。
男は焦燥感に駆られて扇子を取り出し広げ、先程のように交信を取ろうと図る。その手は若干震えており、汗も扇子の要に滲み出していた。
「シン、シン! 聞こえるか!?」
『――――様!
途切れ途切れの言葉しか扇子からは伝わってこない。電波が悪い携帯電話の砂嵐のような不快な音がするようだと男は眉間に皺を寄せ、交信を取ろうと努力する。
しかし、その交信がうまく取れない理由を考え始めた男がハッとしたように顔を上げ、扇子を閉じて兵士に向かって叫んだ。
『崩王の手が迫っている!! ただちにコウガ全土に通達を――――』
その言葉が最後まで紡がれることはなく、南西ドラグ区の駐屯所は崩壊した。
◇ ◆ ◇
コウガ第三帝国からはるか西にある山林部、通称“黒き森”。
そこにはコウガ第三帝国らが邪魔だと押しやり見下してきたゴブリンたちの住処だった。決してその森には黒い色の木々もなく、黒を連想させるものなどせいぜい洞窟しかない程度には綺麗な場所だった。
しかし、十数年前にそこにゴブリンが強制的に収容されたことで、その森すらも醜く扱われるようになった。ゴブリンの醜悪さは空気感染し、命ある者全てを汚していくと言わんばかりの処置だった。
ゴブリンたちは耐え忍んだ。自分たちが人間から何故こうも邪険に扱われるか分かっていなかったが、きっといつかは分かりあえる。そう信じてきた。姿は醜くくとも、心はそこいらの人間よりもはるかに清らかだった。
――――人間に見放されたと、家畜を見るような目で見られていると、自覚せよ。
しかし、顔に狐の面をつけた人物が現れたことで彼らの考えは一変する。その人物は黒と白のラインが交差するような柄の布を体全体に纏っており、顔も姿も何も分からない。しかし、この正体不明の人物がもたらしたものはすべて真実で、ゴブリンたちを揺さぶった。
狐面の人物はゴブリンの奥底に溜まっていた黒い感情、憎悪を引きずりあげ体中に浸透させ、醜い感情と醜い身体という完全一致の兵士を作り上げた。
――――
――――
――――我らは下衆で無礼な連中を、下衆で無礼なやり方でやり返さねばならない。
――――参集せよ。
――――
黒く染まり切った彼らは決意した。
黒き森からずるずると這い出てくる、黒い兵隊の波。兵士は自身の顔を布で隠し全身を覆い、彼らの王を敬うかのような服装で現れる。
その黒い波を先導するのは、黒い馬に乗っている一人の金髪の少女。
少女は川神学園の制服を盛大に着崩し、下着を黒と赤が基調の下着を露出させている。決して大きいとは言えない胸ではあるが、興奮しない男はそうそういないであろう。
「我ら南の崩王軍の初陣だ! 気を引き締めろ豚共ォ!!」
少女の罵倒に咆哮が爆発の様に発生する。彼ら兵士は自身が醜いと自覚し、開き直って人間を殺そうとする者たち。歪んだ士気向上が、これ以上ないくらいに効果を発揮している。
その少女の遥か上空、少女が乗っている馬よりも大きな飛龍の上、川神学園の制服の上から、両肩に星のマークが入った縦縞のジャケットを羽織り、黒いキャップをやんちゃな少年の様に唾を反対にして被る少女がいた。キャップのサイズ調節の際に使うアジャスターから、二本の髪の束がピョンと飛び出ているのが妙に愛らしい。
「開幕戦の開始を告げる大役、果たさせてもらいます」
少女は背に納めて抱えたいた金属製の棍棒を手に取った。その形状は半分が持つ場所の二倍程度膨らみ、残りは持ち手と接続部となっている。
これを少女の世界では、バット、と呼ぶ。
「星たちの怒りよ、降り注ぎなさい」
少女がバットで天を穿いた瞬間、コウガ第三帝国の上空に明かりが灯る。
その正体は、降り注ぐ隕石の壁だった。
あとがきしょーとすとーりー 邪気眼千李様
千李「我が同胞に邂逅し、魂が打ち震えるわ!(ようやく理解してくれる人に会えたわ!)」
与一「特異点は惹かれあう。この出会いも必然なんだ……」
千李「今宵の
与一「井上、川神。御手透きか?」
準「乳首は捻りあげるもの。決して弾いたり舐めたりして満足してはいかんのですよ(足立区の言葉で暇してるの意)」
十夜「清らかな風を身に浴びて、私は“
与一「羽をばむしり候へ」
千李「白金の鴉よ、煉獄の劫火に身を委ねるがいい……(この白鳥も遠火で焼くからねー)」
準「一昨日幼女の脇に小一時間挟んだバンドエイドで鼻を塞いで失禁した(足立区の言葉でうまそうな匂いの意)」
十夜「……祈りを捧げましょう。悠久の時が流れる“天上の
完