春田のお悩み相談室   作:けんろん

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Vector編

『お悩み相談受け付けます!』

 

 と書かれた札が目に飛び込んで来た。

 

 元よりそのつもりでやってきた戦術人形Vectorは、ちらりとその札を確認した後、さして気にする様子もなくコーヒーの香り漂う『カフェ』へ足を踏み入れた。

 

 

 グリフィン基地内にあり、同所属の戦術人形スプリングフィールドが切り盛りするカフェには何度も足を運んでいた。静かで落ち着いた雰囲気が好きだったし、彼女が淹れるコーヒーは格別だったからだ。

 元々はあまり食事や娯楽、ましてや嗜好品の味などに興味はなかったし、少なくともただの商品である自分には必要のないものだと思っていた。でもせっかく味覚があるのだから、と指揮官に勧められるがままに飲んだ彼女のコーヒーは、"味わう"ということを教えてくれるかのように深く、優しかった。

 それ以来、気が向いた時ではあるが足繁く通っている。

 そのため、カフェでお悩み相談ができるという噂は知っていたし、店主であるスプリングフィールドが事実、指揮官からの要請でお悩み相談を受け付けているというのも知っていた。

 それでも彼女に相談してみよう、と考え出したのはつい最近のことだった。

 

 ふと、気付いたのだ。カフェに行くのに「今日はあの人いるのかな」なんて思考が頭をよぎるようになったことに。

 

 カフェにはたまに指揮官がいる。仕事の合間に休憩という名のサボりをおこなっているのだ。

 時々副官を務める身としては厄介な事この上ないが、普段指揮官とあまり話す機会のない人形との貴重なコミュニケーションの場となっていることが多いらしい上に、毎度仕事はわりときっちり終わらせるため、あまり咎める気にもなれなかった。

 

 カフェに行くのに指揮官は関係ない。

 あたしはコーヒーを飲みに行っているだけ。ゆっくりとした雰囲気を堪能するために行っているだけ。

 

 そう思っても、カフェに行こうとすると考えるようになってしまった、指揮官の存在。

 それが不思議でならなかった。

 

 しかし、悩みというのはそこではない。

 いやこれもだいぶ気になるところではあるのだが、もっと深刻な問題を抱えている。

 下手をすれば任務に支障が出るほどに。戦術人形としての価値を失いかねないほどに。

 そんな個人的な問題に、無関係のスプリングフィールドを巻き込むのは気が引けたが、自分だけではどうしようもないところまで来てしまっていた。

 

 本当は答えなんて出ている。それでも、彼女ならこの答えを否定してくれるのではないか。そんな一抹の望みがあった。

 だから、『お悩み相談室』なんて看板を掲げている彼女に協力してもらうことにした。

 

 カランカラン、という心地よいドアベルの音を聞きながらカフェに入る。

「いらっしゃいませ」

 と明るく穏やかに迎えてくれるのは、店主であるスプリングフィールド。

 

 指定席というほどではないが、カウンターの一番手前の席に座ることが多い。入り口からすぐの席というのは、意外と人目に付かないものだから。

 

 今回も例に漏れずその席に座る。

 空いていそうな時間を狙って来たのが幸いしたのか、あまり客はいなかった。

 数名の客は奥の方のテーブル席で談笑しているため、こちらで会話しても聞こえないだろう。

 

 入ってすぐ、"彼"の姿を探してしまったことにモヤモヤしながら、カウンター越しに注文を取りに来た店主が口を開く前に尋ねた。

 

「悩み相談を受け付けてるって聞いたんだけど」

 

 確認を行う。

 悩み相談をやっているかではなく、あたしなんかの相談役になってくれるのか、というニュアンスで。

 すると店主は変わらず微笑みを向けながら答えた。

 

「ええ、もちろんです」

 その言葉にほっとしたのもつかの間、店主はこう続けた。

 

「ただし、一つだけ条件がありますわ」

 

 予想していなかった返答に言葉が詰まる。

 まさか彼女から交換条件を持ち出されるとは思わなかった。いや確かにタダで悩みを聞いてもらおうというのも虫がよすぎる話ではある。

 しかし、正直彼女が何を要求してくるのか皆目見当もつかない。金銭的なものであるなら問題ないが、おそらく彼女はそういうタイプではない。

 たまに他愛のない話をする程度の仲ではあるが、そのくらいはわかる。きっとにっこりと笑ってえげつないことを要求してくる、そんなタイプだろう。

 

 そう身構えていると、店主はにっこりと笑い、それでいて少しからかうように告げた。

 

「うふふっ、そう身構えないでください。何もメイドさんのお洋服を着て、ここでしばらく接客をしてください、なんて言いませんから」

 まるで要求したことがあるかのような口ぶりに不安を覚えつつも、その先を促す。

 

「…条件って?」

 すると店主は人差し指をたて、口づけをするように自身の顔の前へ持ってきた。

 

「ここはあくまでカフェですので、コーヒーを1杯。ご注文いただけますか、お客様?」

 

 こういう抜け目のないことをするから、彼女は一目置かれているのだろう。

 その愛らしくも意地の悪い微笑みに、つい気を張ってしまったのが馬鹿らしくなって、ふふ、と笑い合った。

 

 

 

「お待たせいたしました、こちらブレンドコーヒーになります」

 カチャ、というカップとソーサーの触れ合う音と共に出されたコーヒーは、スプリングフィールド特製のブレンドコーヒー。

 様々な種類のコーヒー豆を混ぜたもので、このカフェの一番人気。

 豊かでほんのり甘い芳香が嗅覚を刺激する。この香りを認識しただけで口の中に唾液が分泌され、このコーヒーが好きなのだと実感する。

 ほのかに湯気が立つカップに口を付けた。少し熱い液体が、舌に触れ喉を通る。ふぅ、とつい息を漏らしながら、ゆっくりカップを置いた。

 

「それで、お悩みというのは?」

 

 スプリングフィールドは使用した道具を片付けながら聞いてきた。

 そうだった、悩み相談に来ていたのだった。

 

「……」

「……」

 

 沈黙が流れる。

 いざ話をするとなると、どこから話してよいかわからない。何せ誰かに相談するという行為自体初めてで、そんな日は来ないと思っていたから。

 

 なかなか言い出せずにいると、スプリングフィールドは

「一つ一つ、ゆっくりで構いませんよ」

 と気を遣ってくれた。

 

「…最近胸のあたりが苦しくなることが多くて」

 意を決して話始める。

 

「あら…」

 スプリングフィールドは片付ける手を止め、こちらの目を見てしっかりと聞いてくれていた。

 

「たまにむせ返るくらい感情モジュールが暴走して、体温調節機構がうまく機能しない」

 言葉にするたび、自身の不良品としての自覚が芽生えるようで、つい目を伏せた。

 

「だけど原因がわからない。何度自己修復プログラムを組んでも、異常が見つからない。壊れちゃったのかな」

 不安に押し負け、顔まで伏せた。目の前のカップからはもう湯気は出ていなかった。

 

「…うーん、そうですねぇ」

 スプリングフィールドはその形のいい顎に手を当て、何か思考を巡らせている。

 

「例えばそれは、どんな時ですか?」

 

「どんな時?」

 

「ええ、射撃の時とか、朝起きた時とか」

 

 どんな時にそうなるか、と言われて思い返してみる。

 射撃の時…はそんなことは起きない。訓練の結果はむしろ向上している。もしその時にそうなるならば自分のような人形はとっくの昔に解雇だろう。

 朝起きた時…いや、起動時にそのような現象は起きない。

 ならば…?

 

「事務仕事の時…」

 

「事務…ですか?」

 

「うん、副官で事務仕事をするときにたまに……副官?」

 自身の中で整理しながらつぶやく。

 

「そう、副官の時によく起こる」

 そうだ、副官の時はよくエラーが起こる。普段よりもずっと。

 

「そうですか…それは1日中ずっとですか?」

 

「いや、ずっとじゃないよ」

 

「特にいつ頃起こるかわかりますか?」

 

「ええっと…」

 また、思い返す。いつだろう、副官当日、朝起きてすぐは何ともない。それから準備して、司令室に向かって…。

 

「…司令室にいる時よく起こる」

 司令室。副官の時はほとんどそこで1日中仕事をする。

 訓練や食事などで抜けることもあるが、その司令室にいるときに起こりやすい、気がする。

 

「司令室、ですか。うふふっ」

 何か思い当たる節があるのか、目の前の店主は最初に見た含みのある微笑みをした。

 

「…何かわかったの?」

 

「いいえ。まだわかりませんから、もう少し症状について聞いても?」

 

「いいけど…」

 経験豊富な彼女でもいまだ見当がつかないほど、事態は深刻なのだろうか。

 そんな不安をよそに、スプリングフィールドは軽やかに聞いてきた。

 

「司令室で起こる、とおっしゃいましたよね。それは例えば、何かを見た時とかでしょうか?」

 

「何か……」

 司令室で見るものと言えば、そんなに多くはない。

 大きめの机、座り心地のいい椅子、報告書等の書類、訪ねてくる人形、指揮官…指揮官。

 

「…」

 なんとなく、彼女が言わんとすることが理解できた。

 今までのつっかえが消し去られたように、一気に思考が加速する。

 

 そう、指揮官だ。指揮官を見た時、それは起こる。

 司令室でその日初めて彼の顔を認識した時、今日もよろしくと微笑みかけられた時、コーヒーを飲んで一息つく顔を見た時、名前を呼んでくれる時、寝顔を見た時、彼に触れられた時…。

 数え上げればキリがないが、間違いなくその時だ。全て記録としてしっかり保存してある。

 

 スプリングフィールドはあたしの思考が結論を導き出すのを静かに見守っている。

 決して急かしてはいないが、そっと背中を押してくれるような、そんな瞳。

 

「指揮官を見ていると」

 

「…はい」

 

「…時々胸のあたりを締め付けられるような痛みが生じて」

 

「ええ」

 

「でも嫌な痛みじゃない…なぜか心地よくて…ずっと感じていたくて」

 

「ふふっ」

 

「触れたいなって、隣に居られたらいいなって、そう…思う」

 なぜこんなにもするすると言葉が出てくるか不思議だったが、素直に思ったことを言った。

 少なくともそう思ったことは、事実として自身に記録されている。

 言葉として口に出すと、実感として湧いてきた。

 

「…Vectorはその気持ち(エラー)の正体に、本当はもう気付いているのではないですか?」

 

 スプリングフィールドの指摘に、思わず息を呑む。

 この気持ちの正体?そんなもの…

 

「スプリングフィールドさんは、知ってるの?」

 

「はい、知っていますよ。とてもよく、知っています」

 即答。

 彼女は近くを見ているようで、遠くを見つめていた。

 まるで誰かを思い描くような。

 

 一口飲んでそのままだったコーヒーを飲もうと、カップに手を伸ばす。一通りの会話でやけにのどが渇いた。そんなに話してはいないはずだが。

 少しぬるくなったそれは、一口目ほどすんなりとは喉を通らなかった。穏やかな苦みが舌に残る。

 

 待っていても彼女はそれ以上何も言ってこない。

 カップをソーサーの上に戻し、取っ手をいじりながら会話を再開した。

 

「もし仮に、知っていたとしても、それは人形(あたしたち)が抱くべき感情じゃない」

 それは、もしかしたら彼女すらも否定してしまう言葉。

 なんとなくは気付いた。この気持ちが何なのか。

 それでも、否定せずにはいられなかった。

 

「本当にそう思っているのですか?」

 スプリングフィールドは、戦闘時には敵のすべてを見通すその眼で、こちらを見ていた。

 

「…少なくともあたしはただの商品で、戦いのための道具に過ぎなくて、嫌われ者の人形で。こんなものは無駄なモジュールが出す、厄介なエラーにしか過ぎないよ」

 彼女の眼を見て話すことはできなかった。

 なんとなくカップを傾け、コーヒーが水面に映し出す自分の顔を見た。

 ひどく辛そうで、泣きそうな顔。

 なんでこんな顔してるのか、余計な疑問が増えてしまった。

 

「少なくとも私は、そうは思いません」

 毅然とした態度ではっきりと否定された。怒らせてしまっただろうか。それなら申し訳ない。相談しておいて相手を怒らせるなど、自分はやはりどうしようもなく厄介な人形らしい。

 

 そんな胸中を知ってか知らずか、彼女は声を荒げることなく続けた。

 

「私たちに感情があるのは、きっと意味のあることだと思っています」

 

「意味…?」

 

「ええ。Vectorがエラーだと言い切るそれも、きっと意味のあるエラーです。だって本当に感情が必要ないと思っているのなら、あなたはここまで悩んでいないはずですわ」

 

 そう言われ何かがストンと腑に落ちた。

 思わず顔を上げると、そこには想像していたよりも優しい笑顔の彼女が佇んでいる。

 

「あなたは感情を持つべきではないと思い悩むほど、感情を大切に思っているではありませんか。それだけ自分に向き合って、受け止めようとしているではありませんか。こうして悩み相談に来てくれたのが、その証左に他ならないと、私は思いますよ」

 彼女の言葉は、その全てがあたしの考えを打ち壊すものだった。

 

「確かに人形(わたしたち)は、ある時はただの道具なのかもしれません、でもまたある時は、豊かな感情を持ち、人と一緒に生きていけるような、そんな存在でもあるんです。私たちは作られた存在。だからこそ無駄なものなんて積まれていない。きっとあなたの持つその気持ちも、無駄なものではないのでしょう」

すんなり受け止められるものではない。

そうではないが、感じていた胸のつかえがとれたのも事実だった。

 

「そう、かな」

 

「ええきっと。それに感情が無くなってしまったら、こうしてコーヒーを飲みにいらっしゃることもなくなるでしょう?御贔屓(ごひいき)にしてくださるお客様が減ってしまうのは、悲しいことですし、困ってしまいますわ」

 そう言って朗らかに笑う店主。

 『自分が困る』と他人事にせず、また無理強いしないところが彼女らしい。

 

 そっか。

 この気持ちは、無駄じゃないのか。

 でもだとしたら、それはそれで困る。

 

 この気持ちが間違っていないことはわかった。

 この気持ちの正体も、なんとなくだがわかっている。

 問題は───。

 

 そこまで考えて、居ても立っても居られなくなり、席を立った。

 コーヒーがまだ残っていたため、一気に飲み干す。すっかり冷めてしまっていたが、今度はもう閊つかえることなく喉を潤す。

 

「指揮官なら、今日この時間は資料室だと思いますよ?」

 

「え」

 

 最後の一口を吹き出しそうになる。なぜ彼女はこうもこちらが考えていることがわかるのか。ひょっとしたら特殊な演算でもおこなっているのかもしれない。

 

「うふふっ、答え合わせは、あの人とやるのが一番ですわ♪」

 なぜか上機嫌な彼女は、鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で食器を拭き始めた。

 

「…ありがとう」

 それだけ言ってカフェを飛び出す。

 

 お代を置くのを忘れてしまった。

 どうせ近いうちに行くことになるだろうから、その時に払おう。

 これから得る、その答えと共に。

 

 

 

 

 

 グリフィン基地司令部第三資料室。

 そこに指揮官の姿があった。

 本当に居たことへの驚きと共に、今日の副官でもないのに指揮官の行動を予測できた彼女に、少しモヤモヤした。

 このモヤモヤも、あたしの悩みも、溢れんばかりのエラーも、きっと全部指揮官のせいだ。

 だから、彼に全てをぶつけてしまおう。この胸の中にあるもの全て。

 

「お?Vectorか。どうしたんだこんなところまで」

 

 指揮官はちらりとこちらを見ると、呑気な声であたしの名を呼ぶ。そんなことすら記録してしまうくらい、もうどうしようもないところまで来ているのだと改めて思った。

 彼は壁際で立ったまま資料を読み込んでいた。近くの机にはかなりの量の資料が散らばっている。司令室まで持ち帰るのが面倒だったのか。

 きっとこの資料も、あたしたちが無駄に消耗しないための余分な作業なのだろう。そう思うと余計に体がうずいた。

 

 そして資料室に入った勢いそのままに、扉を乱暴に締め、鍵をかけた。

 

「え、なあVec───」

 

 また名を呼ばれる前に彼に近寄る。

 少し勢い余って近づきすぎたかもしれないが、どうせそのつもりだった。

 指揮官は驚いたのか体を仰け反るも、後ろは壁でそれ以上逃げられない。

 

 彼の息遣いを、匂いを間近で感じられる。戸惑いながらも視線を合わせてくれる。

 それだけで、何かが満たされる気がした。でもまだ、その答えには足りない。

 

「な、なあVector。どうしたんだ、急に…ちょっと近いぞ」

 なんて言うもんだからつい。

「来たのがあたしで失望した?」

 なんて返してしまう。

 我ながらめんどくさい奴だと思う。でもこれは初期設定のままなのだ。簡単に変えることはできない。

 

「いやそんなことはないよ」

 しれっとした態度で返す指揮官。否定はせず肯定もしない。

 そんな無難な態度にますます腹が立ってきた。

 

 さらにぐいっと首元まで顔を近付ける。腕を首の後ろに回して、逃がさない。

 

「ねえ、指揮官。あたし今、すごいことになってるよ」

 彼の耳元で囁く。首を掴まれた猫みたいに大人しくなっている指揮官が、恐る恐る口を開いた。

 

「それって…?」

 

「体が熱くて、胸のあたりが苦しくて、エラーが処理しきれない。感情が抑えられなくて吐きそう」

 

「…吐くなよ?」

 わざと茶化してみせる指揮官。でも今日はその手には乗らない。

 彼はどうなのだろうか。あたしがこんなにも乱れているのに、彼が平静なのはなんだか癪に障る。

 隙間ができないくらい、体を指揮官に押し当てる。彼の鼓動が全身で感じられるのが、たまらなく嬉しいと感じた。

 その鼓動は、1分間に100は超える速さで鳴り響いていた。

 

「あたしでもドキドキしてくれるの?」

 

「…君だからそうなるんだ」

 照れ隠しからかそっぽを向く指揮官。そんな態度も愛おしいと感じた。

 

 指揮官の顔を正面に捉える。視界のほとんどが彼で埋め尽くされる。

 ほんの少し進めば触れてしまう距離のまま、彼に確認を取る。

 

「…あたしじゃ嫌?」

 

「…その聞き方はずるいだろ」

 

 ずるくなんてない。あたしからすれば、ここまでしているのに触れてくれない方がずるい。

 

「嫌ならすぐにやめる」

 

「…嫌じゃないけど」

 

「けど?」

 

「あー、上司と部下が──」

 

「そういうのいいから。どのくらい嫌じゃない?」

 

「いや…どのくらいって」

 

「抱いてもいいくらい?」

 

「直球過ぎない?」

 

「初めてだけど大丈夫、うまくやってみせる」

 

「そういう問題じゃ…」

 いまだやんわり拒否する彼の唇を奪った。

 少しがさついていて、硬くて、離したくない唇。

 

 少しして、指揮官の腕があたしの後ろに回される。

 抱きしめ返してくれた。キスを受け入れてくれた。

 そう認識した瞬間体の隅々までじんわりと熱が広がるのを感じた。

 

 ああ、やっぱり。この気持ちは───。

 でもそれ以上はまたあとで。

 だってどうせなら彼に教えてもらいたい、この気持ちの正体。

 

 名残惜しくも、このままでは呼吸がうまくできないため離れる。

 指揮官の瞳に自分の姿が映っているのが見えた。

 なんだか彼のものになれた気がして、また感情があふれ出す。

 

「Vector…これ以上は、もう我慢できそうにない」

 先ほどまでの飄々とした表情は、余裕のないかわいい顔になっていた。

 

「いいよ、我慢しなくて。…たくさんいじめたから、たまにはいじめられてもいいかな」

 

 背中に回された腕の力が強まる。

 そしてがっつくようなキスをした。

 少しでも多く彼を感じたいと、無意識のうちに舌を出す。それを包み込むように、彼は舌を絡ませてくれた。

 長く、深く、甘いキス。

 

 

 

 今だけは、この気持ちを受け入れてあげてもいいかな。

 

 

 いつか消えてしまうかもしれないこのエラーを楽しむのも、悪くない。

 

 

 なんとなく、そんな気がするから。

 

 

 

 


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