「麗牙、一人で行けるのね?」
身支度を整えて人前に出られるほど身なりを整えていた麗牙に、友希那は声をかけていた。だがそれは心配の言葉ではなく、これから彼がすることに対するあくまで確認の言葉であった。
「はい。本当はまだ怖いですけど……今は逃げるわけにはいきません。僕は……燐子さんとの約束を果たさないと」
自身の心に巣食う暗闇の中から見つけ出した微かな光を伝手に、麗牙は震えそうになる脚を抑えて一人で立ち上がっていた。
全ては燐子に再び会うために。
そして、忘れていた約束を彼女に伝えるために……。
「信じています、紅さん。あなたが白金さんとまた向き合って話せることを」
「はい……じゃあ、行ってきます」
二人へと踵を返し、麗牙は迷うことなくその足を前へ踏み出した。向かう先は既に決まっていた。きっと彼女はあそこにいるのだと麗牙は感じていたからだ。
そして彼女も自分が来ることを分かっているはずだと、この時の彼は既に確信していた。
後は……自分の勇気次第であった。
「……」
彼が歩みを続けること幾数分、あの場所──二人が二度別れる場となった小さな公園の真ん中に、少女の後ろ姿が見えた。その首に巻かれているのは、いつの日か自分が彼女にプレゼントしたあの白色のマフラー。そして麗牙の首に巻かれているのもまた、彼女から贈られた紅色のマフラーであった。
あまりに小さな影に見えた少女の姿は、今にもその傍に立つ木々の影の中に消えていってしまいそうだと彼には感じられた。
このまま自分が何もしなければ、彼女はあの闇の中に永遠に取り残されてしまうのだと、少女の──燐子の後ろ姿を見て予感させられていた。
──それはできない。もう自分は彼女から逃げるわけにはいかない。
拒絶された恐怖は身体から拭えないものの、麗牙はようやく思い出した光を胸に、燐子の背中へと近付いていった。
「……燐子、さん……」
「っ……ら、麗牙……さん……」
麗牙は恐る恐る燐子の名を呼び、燐子もまた怯えるように呟き、震えながら麗牙へと振り返っていた。
「……」
「……」
互いに目が合うも、そこから視線も脚も動かせず、金縛りに遭ったかのように二人はしばらく見つめ合ったままの状態から動けなかった。
実際に会うのは二日ぶりだが、彼らの間ではそれが随分と久方ぶりのようにも思えていたのだ。
いや、実際にそうなのかもしれない。幼い日より分たれた二人は今、およそ十年の時を経て再会を果たそうとしているのだから。
二人が出会えば必ずと言っていいほど起きる沈黙も、今の彼らにとってはただただ辛く感じるだけの時間となっていた。
「ぁ……ぅ……」
燐子の口が僅かに動くも、それは音となってはくれなかった。麗牙には言いたいことが山ほどあるにも関わらず、いざ目の前にすると怖気付いてなかなか想いを声にすることができなかったのだ。
「……っ……り……燐子さんっ!」
「は、はいっ!?」
しかし、その前に麗牙が叫んだ。少し声が裏返り、緊張しているのが燐子の目から見ても明らかであったが、彼女自身も麗牙の突然の叫びに驚いて若干飛び跳ねてしまっていた。しかし叫んでしまった以上後戻りはできず、麗牙は意を決して燐子へ言葉を告げていた。
「き、今日は……僕から、話させてもらいますっ」
「は、い……?」
何故わざわざそのようなことから断りを入れてくるのかと燐子は一瞬疑問に思うも、最近の彼との会話では自分から話すことも多かったことを思い出す。先に話されてしまうことに燐子は内心ほっとするも、同時に自分から切り出せなかったことに対するモヤモヤを抱きながら麗牙の言葉に耳を傾けていた。
「ぼ、僕は……どうしても燐子さんに聞きたいことがあるんです」
「聞きたい、こと……」
緊張からか口周りの筋肉が硬直し、思うように流暢に話せず麗牙は慙愧の念を抱く。それでもなお彼は燐子に対し、諦めることなく言葉を紡いでいった。
ようやく思い出した、大切なものを伝えるために……。
「燐子さん、覚えていますか……昔にした、僕との約束」
「っ!?」
約束……その言葉に燐子は大きく反応し、息を飲んで麗牙の顔を見つめていた。
何故なら燐子も、麗牙にそれを伝えたくてここに来たのだから。
彼女が麗牙と交わした、幼くも大切な約束を……。
「僕は、僕の音をみんなに届けたい……そして、みんなの音を聴いてみたいと……今でもそう願っています。でも、僕がそう思ったのは……」
麗牙は自身の願いを振り返り、その根源に至っていた。
自分が誰かの音楽を聴きたいと願った理由が、彼女との約束が発端となっていることを思い出したのだ。
麗牙はその内容を告げようとして……。
「……聴いてくれる?」
「え?」
しかしその時、麗牙の言葉が続く前に燐子の口から言葉が発せられていた。
呆気に取られる麗牙に対して、燐子は最初から分かっていたかのように、その日の約束を麗牙に伝えていた。
「わたしのピアノ……聴いてくれる……って……わたし……君に約束したよ……」
「ぁ……」
消えそうになりながら告げる燐子の言葉を前に、今度は逆に麗牙から言葉が消えていた。
彼女も覚えてくれていたのだと、驚きと嬉しさが混在して何も言えなくなっていた。
それは燐子も同じであった。
そう、二人の脳裏には今もあの日の約束が温かく鳴り響いていたのだ。
──あの……約束……してくれる……?
──今度のコンクール……わたしの音楽……聴いてくれる?
──うん……約束するよ……。
──僕、絶対に聴きにいく……君の音楽を……。
「覚えてるよ……思い出した……忘れちゃいけないのに……わたし……」
「僕も……忘れちゃいけないのに……今まで忘れていた。でもっ──」
鮮明に思い出した過去の約束。互いに忘れていたにも関わらず、それは互いの今を作り上げた何よりも大切な約束であった。
「──忘れていたのに僕の心は覚えていた。だって僕っ、ずっと……ずっと君の……燐子さんの音楽を聴きたかったから……っ」
大好きな少女の音楽を……その想いを聴きたかった。
辛い思い出に押し潰された約束を頭では忘れていても、麗牙の心はその約束を手放すことはできず、彼はずっとその音楽を聴くことを求めていた。その想いの強さが、彼に人の音楽を聴く願いへと昇華させたのだから。
「わたしも……ピアノをやめられなかったのは……聴いてほしかったから……君に……麗牙さんに……わたしのピアノ……想いを乗せた音楽を……」
大好きな少年に音楽を……音に乗せた自分の想いを聴いてほしかった。コンクールで失敗し打ち拉がれてもピアノをやめられなかったのは、心の奥に仕舞い込んだ約束がそうさせてくれなかったから。
「わ、わたし……ずっと……ずっと聴いてほしかった……なのに……」
「僕も聴きたかった……だから燐子さん──」
互いに過去の約束を省みて想いにふけり、燐子は叶わなかったそれに憂いていた。しかし麗牙の言いたいことはそれだけではなかった。
これを伝えたくて、彼は燐子の前に立ったのだから……。
「──今こそ、僕に約束を果たさせてください」
「え……?」
燐子の目が見開かれ、麗牙の紅い瞳に釘付けになっていた。
あの時の約束を……自身の音楽を聴くという約束を、今果たそうと言うのだ。
「遅すぎるかもしれません……今更かもしれません……それでも、僕は聴きたいんです。燐子さんの奏でる音楽と、その想いを……」
「らい、が……さん……」
麗牙の強い想いをその身に感じ、燐子は思わず声が震えてしまっていた。あの日に果たせなかった自分との約束を、まだ諦めていなかった彼がとても眩しくて、そして心から嬉しく感じていたのだから。
「ぼ、僕は……人間じゃ、ない……怪物かもしれないけど……そ、それでも僕は……燐子さんの音楽が……っ」
しかし、自分が怪物だと燐子に伝えようとして麗牙の身体が震え出していた。
言葉も詰まり、それ以上を口から出せなくなる。
自分のことを告げ、また拒絶されることを恐れてその場から動けなくなり、地面へ顔を俯かせてしまっていた。
しかし……。
「わたしも……」
「っ」
震える麗牙の手に、そっと温かな感触が訪れていた。
自分を包み込む温かで心地良い感覚の先へと麗牙が目をやると、そこには彼の目を見つめ返す燐子がいた。麗牙の震える手を取り、その小さな両手で包んでいたのだ。
「燐子さん……」
「わたしも……聴いてほしい……わたしの音楽を……他の誰でもない、あなたに届けたい……」
人間や怪物などではなく、麗牙に聴いてほしいのだと、燐子は真っ直ぐな瞳を麗牙に向けていた。約束を果たしたかったのは麗牙一人ではない。燐子もまた、同じ約束を胸に彼の前に立っていたのだから。
「わたしも……約束を果たしたい……わたしの大切な友達に……わたしの気持ちを伝えたい……」
「っ……燐子さん……」
こんな人でなしの自分をまだ友達と呼んでくれる燐子に、麗牙の紅い瞳が揺れる。
しかしまだ泣く時ではないと、麗牙は歯を食いしばって感情が溢れるのを堪えていた。
約束もそうだが、それ以前にどうしても確認したいことがあったから……。
麗牙はもう片方と手を燐子の手に添え、彼女の瞳を見つめた。
「僕はまだ……貴女の友達ですか……?」
「わたしこそ……まだ友達でいてくれますか……?」
そして、麗牙は燐子にその言葉を伝えた。
麗牙の問いかけに燐子も同じ問いかけで返していた。
そう、二人の心はずっと同じだったのだ。
約束を忘れ、どれほど傷付き、心が離れていても。
二人はずっと、あの頃の続きでいたいと願っていた。
「っ……はい……っぐ……も、ちろんです……っ」
「よかった……っ……わた、し……まだ……麗牙さんの……友達で……ひっ……ぅぅ……」
二人の目から遂に涙が零れ落ちていたがその色はとても綺麗で、二人の泣き顔も幸せの色に満ちていた。互いに手を取り合い、互いを抱き寄せ合うようにして、二人は涙を流し合っていた。
「ごめんなさい……わたし……本当に……っ、ごめん、なさい……っ」
「はい……もう、十分に……伝わりますから……っ」
拒絶してごめんなさい、傷付けてごめんなさい、逃げてごめんなさい、と。そんな燐子の後悔と謝罪が雨のように麗牙に降りかかる。しかし燐子の心が十分に泣いていることが伝わっていた麗牙には、それ以上の謝罪は要らなかった。彼はもう十分過ぎるほどの償いを得ていたのだから。自分がかつて遠ざけられた大切な人と、再び繋がりあえたという奇跡を起こしてもらったのだから……。
「燐子さん……」
「っ……麗牙さん……今更ですけど……わたしもまだ……言いたかったことがあるんです……昔の麗牙さんに……ずっと言いたかったこと……」
涙も止まりきらないまま、燐子は心の内に留めていたある一言を伝えようとしていた。
彼女にとって、まだ再会は終わっていない。
彼に会って、謝罪と共に伝えたかった一言。
あの日、伝えることができなかった言葉を伝えるまでは。
そして……。
「わたしの名前は……白金燐子です。やっと……っ……あ、あなたに……言えました……」
あの日置き去りにした忘れ物。それをようやく取り戻すことができた彼女の顔からは、全ての憂いが消えていた。麗牙も、もはや泣くことを忘れてただただ笑顔であった。
長い時を経て、ようやく少年少女は再会を果たすことができたのだから。
燐子の目の前には満面の笑みの、あの日の少年が。
麗牙の目の前には涙と共に光る、あの日の少女の笑みが。
彼らにとって、今はその他に何も要らなかった。
♪〜〜♪〜〜
幸せそうに泣き、そして笑う二人の間で温かな旋律が奏でられていた。
ようやく巡り合えた大切な人を想い合う心の音楽が。
もう二度と離すものかと、互いを強く想う愛の音楽が。
何よりも強い想いの込められた温かなメロディーが、彼らの間を包み込んでいた。
その温かな音楽は、竜の城の硬く閉ざされた部屋の中まで優しく響いていた。
二人の奏でる優しく温かな愛の調べが、そこに眠る存在の心にも届いていたのだ。
「……ぅ……ん……」
そして温かなメロディーに包まれた金色の仔竜の、その閉じられた目蓋が静かに開いていた……。
次回、ボーカルでヴァイオリニストな彼は
「消えろ……醜き王よ」
再び迫るレイに立ち向かうキバ。
「こんなにも熱くなる気持ちは初めてなんです!」
キバは──麗牙は叫ぶ。
自身の想いを。自身の音楽を。
「僕は白金燐子を──」
彼女もまた自分の心の音楽に従う。
「わたしはこの人を──」
そして、二人の温かな音楽が響き合う時──
──黄金の鎧が覚醒する……!
『
―第100話 黄金:Supernova―
Wake Up! 運命の鎖を解き放て!