ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『Pastel*Palettesの少女たちの前に現れたファンガイア。しかしそこに間一髪、麗牙たちが現れた』

『今の麗牙さんなら負ける気がしません! さあ今回も盛り上がっていきましょう!』

挿入歌:Supernova


第103話 黄金に舞う吸血王

 対峙する二人の異形は互いに睨み合い、辺りは緊迫した空気に包まれる。互いに不用意に動くこともなく、ただ風の吹く音だけがその空間を支配していた。

 

「……っ」

 

 その静寂の中で緊張が高まった彩の脚が半歩下がり、地面と靴が擦れて小さな音が鳴った瞬間、二人の異形は地を蹴って駆け出した。

 

「っ、ふっ!」

 

「ゥオオオオッ!」

 

 蝙蝠のように腕を広げた独特の姿勢で走るキバと、その見た目の通り凄まじい勢いで突進するウォートホッグ。ウォートホッグの進んだ跡では激しく地面が砕け、彼の後ろには荒野を走る車の如く土煙が舞い上がっていた。明らかに勢いの違う両者が激突する場合、当然威力の低い方が轢き殺されることになる。この場合、明らかに威力の低いのはキバの方であった。そしてキバが圧倒的な勢力を保つ巨体と衝突しようとした時だった。

 

「フッ!」

 

「グォ?」

 

 異形の目の前で地を蹴り、更にキバはウォートホッグの頭部を掴むと体操の跳馬の如く異形の真上で回転してその突進を躱したのだ。しかし本当の跳馬のようにウォートホッグの頭から飛び跳ねることはなく、彼はその頭を掴んだまま異形の背後を取り、そのその無防備な頭に鋭い蹴りを喰らわした。

 

「ハァァッ!」

 

「ッグゥゥッ!?」

 

 予想だにしない一撃を浴び、ウォートホッグはその体制を崩して地面へ身体を打ち付けて転がっていく。その前に手を離して地に着地したキバは、すぐさま追い討ちをかけるべく異形へと駆け出した。

 

「ハァァァァッ!」

 

「ッチ、フンォァァ!」

 

 立ち上がろうとするウォートホッグに拳を打ち出すキバだが、殊の外立ち直りの早かったウォートホッグも即座に対応してキバに殴りかかる。互いの拳は両者の中間地点でぶつかり合い、敵の繰り出す拳の威力にキバは僅かに怯んでしまう。その隙を逃すまいとウォートホッグは更なる拳を浴びせようと殴りかかるが、キバもこれを掴んで防ぎ、両者は両腕を防がれた状態で睨み合っていた。

 

「フッ!」

 

「ゥグァ!」

 

 互いに拮抗する状況が続いていたが、先にウォートホッグが動き出した。両腕が使えないならば下半身全てを使えばいい。そう言わんばかりに、彼はキバに掴まれたまま自慢の脚力をもって再び突進を繰り出したのだ。

 

「ゥオオオオオオッ!!」

 

「くっ、ぐゥゥゥゥッ!」

 

 押さえ込もうとするもウォートホッグの力は並のファンガイアのそれではなく、キバはなす術なく地面に足を擦らせながら押し返されていた。キングの命を狙うだけあり、ウォートホッグの実力はキバが出会ってきたファンガイアの中でも上位に食い入るほどであった。それは単なる力だけならばあのルークに匹敵するのではないか、仮面の中で歯を食いしばりながら麗牙はそう感じていた。

 

「ォォオオオオオオッ!!」

 

「ゥわあぁぁぁッ!?」

 

 そしてウォートホッグが勢いよく上体を起こし上げると、キバの身体は浮き上がりそのまま異形の背後へと投げ飛ばされてしまった。大きく飛ばされて地面に激突しかけるが何とか着地を決め、キバはすぐさまウォートホッグへと振り返る。しかしここまでの戦闘でハッキリしたように、今のキバの持ち前の力だけでウォートホッグに立ち向かうのは困難であると誰もが感じ取っていた。

 

「だ、大丈夫なの? 健吾くん」

 

「……俺が行ってたら危なかったかもな」

 

「そんなっ。じゃあ紅さんは──」

 

「でもアイツなら大丈夫や。ここからが本領発揮やからな」

 

「──え?」

 

 ウォートホッグへと振り返ったキバの手には、黄金に輝くフエッスルが握られていた。そして、その名を呼ぶと共にフエッスルをキバットに加えさせた。

 

「タツロット」

 

 ♬〜〜

 

 キバットによって辺りに神秘的な笛の音が響き渡り、その直後、黄金に光る小さな竜が空から飛来してきたのだ。その場に似合わぬハイテンションな掛け声と共に戦場へと躍り出たそれを、彩と千聖は怪訝そうな面持ちで見つめていた。

 

『ビュンビューン! テンションフォルテッシモ! それじゃあ行きますよー!』

 

「ドラ、ゴン……?」

 

 知性高きドラン族、ゴルディ・ワイバーンのタツロット。太古にファンガイアによって改造された彼がキバに降り立つ時、その鎧は真の輝きを解き放つのである。

 

 タツロットが飛翔し、キバの両肩に繋がれた鎖を破壊する。巨大な翼が展開されると共に無数の黄金の蝙蝠が解き放たれ、金色の竜はキバの左腕に装着された。

 

『変身!』

 

 タツロットの宣告と共に放たれた蝙蝠はキバに集結し、その鎧を黄金に染めていく。

 

 鎖は解き放たれ、紅は黄金へ。

 

 真紅のマントを靡かせ、そして今……彼の音は進化を極めた。

 

 

「フッ」

 

 

 その場に顕現せしは黄金。

 

 

 麗しき燦たる牙。

 

 

 全ての頂点に立つ金色の皇帝。

 

 

 それこそが黄金のキバ。

 

 

 仮面ライダーキバ エンペラーフォーム

 

 

 夜の支配者に受け継がれた、希望に煌く金色の光である。

 

「変わった……?」

 

「きれい……」

 

 現れたるその黄金の勇姿に、二人の少女の口から感嘆の息が漏れていた。そこに立つだけで圧倒的な存在感を放つ黄金の鎧は、宛らステージの中央に立ちスポットライトを浴び続けるスターのように二人は錯覚していたのだ。彼の前では全てが霞む。あの黄金の前では、何もかもが有象無象へと成り果てる。それほどの威光と威圧を、二人は感じていた。

 

「ゥオオオオオオッ!!」

 

 キングが本気を出したことを察したウォートホッグはしかし逃げることはなく、今までよりも更に勢いのある突進を繰り出した。迫る異形によって黄金が轢き殺されると思われたその時、彼はその場から避けることはせず、なんと片手を突き出して異形を抑えようとしたのである。

 

「ハァッ!」

 

「ングッオオオオオォォ──!?」

 

 衝突による衝撃が広がり、戦闘を見守っていた三人にもその振動が伝わり身体が僅かに揺れる。しかし、その激しい衝突の中心にいたキバの身体には傷一つ付くことはなく、彼は腕一本で異形の突進を完全に封じ込めていたのだ。

 

「嘘……抑え込んだ?」

 

 キバに頭を抑え込まれた異形は再び走り出そうとするも、その脚をいくら動かしてもキバを押し返すことは出来なかった。そしてキバは抑え込んだウォートホッグの身体に、何十にも及ぶ蹴りの応酬を繰り出し始めた。

 

「ハァ! フンッ、タァ、ハッ!」

 

「ゥゴ!? ガッ! ィギッ!? ガハッ!?」

 

 一撃で並のファンガイアの身体を粉々に打ち砕く黄金の脚が何度も何度もウォートホッグの身体を叩く。マントを靡かせ、華麗に流れるように蹴りを入れていく様は荒々しいものであるにも関わらず、非常に洗練された舞いを見ているかのようにも千聖たちには感じていた。黄金が織りなす独断場に、彼女たちは見惚れてしまっていたのだ。

 

「フンッ、セイッ、ハァッ!」

 

「ゴホ、ガッ、ギィ、ゥガッ!?」

 

 黄金が舞う度に異形の身体は崩れ落ちていく。逃げようにも激しい蹴りの嵐からは逃れられず、その渦の中でひたすら身体が崩壊していく。一方的な蹂躙が展開されており、もはやウォートホッグになす術は残されていなかった。

 

「ハァァァッ!」

 

「ゴォォァッ!?」

 

 キバが大きく回し蹴りを繰り出すことで吹き飛ばされたウォートホッグは蹴りの連打から解放されるが、もはや身体はボロボロで立つこともやっとであった。残された体力を使い意地でも立ち上がるウォートホッグを見据えながら、キバはゆっくりと左腕を胸の前に上げていく。そして装着されたタツロットの角を掴んでその首を一回引っ張り、彼の背中に埋め込まれたインペリアルスロットが回転を始めた。

 

Wake (ウエイク) Up(アップ) Fever(フィーバー)!』

 

 スロットが止まり、タツロットの背中にキバの紋章が現れると共に彼の力強い宣告がこだました。

 

 胸の前に突き出しクロスさせた両腕を真上からゆっくりと広げ、身体全体の重心を下げていくキバ。その黄金の身体は紅色のオーラに包まれ、宛ら彼の身体を熱い炎が燃え包んでいるかのようであった。

 

「フッ」

 

 キバは敵を見据え、地を蹴って跳躍する。上空からウォートホッグに向けて伸ばされたキバの両脚からは、ナイフの如く鋭い二枚の紅の翼が顕現していた。紅の牙にも見えるその翼を突き出したまま、キバは赤い流星となってウォートホッグの身体へ降り注いだ。

 

 

「ハァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

「ゥグォォァァァアアア゛ッ!?」

 

 

 ──エンペラームーンブレイク。激突と共に紅の刃が一瞬のうちに敵を斬り刻む、エンペラーフォームの必殺の一撃がウォートホッグに襲い掛かった。

 

「ハッ!」

 

 最後に敵を蹴って宙返りし、華麗に着地を決めるキバ。ものの一瞬でズタズタに引き裂かれたウォートホッグの身体は既に活動を止め、ひび割れる音をたてながら色鮮やかなガラス細工と化して固まっていく。

 

 そして赤いキバの紋章を浮かび上がると共に、ウォートホッグの身体は粉々に砕け散ってしまったのである。

 

「……」

 

 辺りに煌びやかなステンドグラスのかけらが舞い散り、その中央に悠然と佇む黄金の鎧。圧倒的な強さと美しさを兼ね備えたその姿を目の当たりにし、一人の少女の口から思わずため息が漏れていた。

 

「すごい……」

 

 何よりも一際眩しく輝き、他者を圧倒する実力を披露する。そんな彼の姿に、彩は一種の神々しさすら感じていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「お疲れさん」

 

 変身を解除して健吾さんたちの元へと歩み寄り、彼から労いの言葉を投げかけられた僕は笑顔で返す。僕と彼にとってはこれも慣れた日常の一つであるが、その後ろにいる二人にとってはその限りではない。千聖さんは何度目かになると思うが、彩さんに至っては突然非日常へと投げ込まれたこともあり、僕は心配になってすぐに二人へ声をかけていた。

 

「二人とも、大丈夫ですか?」

 

「はい……あの、紅さん……ですよね?」

 

「はい。久しぶりです、彩さん」

 

 彩さんとは数ヶ月前にとある番組の企画の中で関わったきりではあるが、慣れないリポートにも一所懸命に励む姿がとても好印象で、すぐにその顔を見て思い出すことができた。彩さんもどうやら僕のことを覚えてはいてくれているようだが、先の戦闘のためか少し気が引けているような様子であった。自分が以前に出会った紅麗牙と同一人物なのかと、半信半疑になってしまっているのだろう。言いたい言葉も上手く口に出せず、その口は彩さんの意思を伝えないまま音もなく動くだけであった。

 

「あ、あの……その──」

 

「紅さん……あなたがキバ、だったんですね」

 

「はい。千聖さんも、今まで黙っていてすみませんでした」

 

「そうね。でも、自分でも意外と驚いていないわ。健吾くんのせいかしら」

 

「えっ、俺? なんかしたっけ?」

 

「まあ、僕らの関係性を知っていれば自ずと分かりますよね」

 

「ええ」

 

 多少の驚きこそあれど動揺はしない千聖さん。僕が健吾さんの親友だということを知っていれば、これまでの健吾さんの態度にも上手く説明がつくからだろう。彼がキバに対して信頼を寄せているのなら、それが僕に繋がってもおかしくはない。今、千聖さんの中では点と点が繋がってスッキリしているのかもしれない。

 

「あ、あのっ!」

 

「彩さん?」

 

 そんな中、大声を上げて自身を主張する彩さんに皆の視線が注がれる。彼女は真剣な目を僕に向け、緊張した面持ちで僕に訊ねてきた。

 

「さ、さっきの怪物って何なんですか? それに紅さんも……今の綺麗な金色の……」

 

 それはそうなるだろうと、内心で諦めの息を漏らす。こんなにハッキリと目の前でキバとファンガイアの激突を見せてしまったのだ。何も思わないはずがない。仕方がないけれど、ここは彼女にも全てを話すしかない。

 

「今のは──」

 

 そう思って僕が口を開こうとした時だった。

 

 

 

 

「麗牙さん!」

 

 

 

 

「──ぇ……燐子さん?」

 

 僕の名を呼ぶ愛おしい声に意識を阻害され、その声に向けて体ごと振り返る。そこには聞き違えるはずのない声の主が……燐子さんがこちらに向かって駆けつけていたのだ。

 

「愛音もおんな」

 

 健吾さんの言う通り、よく見ればすぐ後ろに愛音も付いてきており、二人揃って僕らの後を付いてきたのだとすぐに推測がついた。しかし燐子さんが来ることは予想だにできず、最悪戦闘の真っ只中に巻き込む可能性もあっただけに、僕は焦りを隠そうともせず彼女に迫ってしまった。

 

「どうして来たんですかっ。危険かもしれないって言ったのに」

 

「はぁ、はぁ……ご、ごめんなさい……分かってはいたけど……それでも心配で……」

 

「そんな……僕が何のために来ないでって言ったと──」

 

「本当にごめんなさいっ……でも……麗牙さんのこと……目を離したくなくて……そばにいたくて……」

 

「──っ、それは……」

 

 そんなことを言うのはズルいと思う。僕だって燐子さんのことは目を離したくないと思っているし、ずっとそばに置いておきたいとも思っている。僕のそばは危険が多く、故に彼女を泣く泣く戦場から遠ざけていると言うのに、こんなことを言われてはその意思も揺らいでしまう。心を鬼にしてまで彼女を追い返せないのは僕の弱いところなのだろうか。惚れた弱みというものの厄介さに、今は情けなくたじろぐことしかできなかった。

 

「まーた始まったわ……」

 

「あの……燐子ちゃんは一体……?」

 

 何がまたですか、とは口に出さず無言で健吾さんを睨みつける。別にいいじゃないですか恋人同士で色々入り込んだ話をしても。そんな主張を込めた眼差しを健吾さんに向けるも、彼には通じず話を続けようとする。

 しかし、千聖さんの質問に答えたのは健吾さんではなかった。

 

「シーイズ……ガールフレンド……」

 

「「──」」

 

 千聖さんの疑念に何故か舌足らずな英語で答えた愛音だったが、その告げられた内容が衝撃的だったのか、千聖さんと彩さんは声を上げることも叶わないまま驚愕の表情を浮かべて固まっていた。気持ちは分かる。僕だって未だに信じられないくらいなのだから。あの燐子さんと僕が恋人になれるなんて、まだ夢の中にいるのではないかと自分でも思ってしまうほどだ。

 

「夢じゃ……ないです……」

 

「あれ、声に出てました?」

 

「はい……ばっちり。でも……わたしだってまだ夢じゃないかって……たまに思ったりしていますから……」

 

 今の現状が信じられないのは互いに同じだったようだ。彼女もそう思ってくれているのが嬉しくて、今にも宙に舞い上がりそうな気分になる。顔中の筋肉が緩んで情けない顔を晒しているかも知れないが、それを抑えるには僕の中の幸福度が強すぎた。何なら、今世界中で一番幸せな生き物が僕ではないのかと本気で思っているくらいだ。

 

「ねぇ健吾……そろそろ蹴ってもいい?」

 

「抑えろ愛音。恋路を邪魔したら俺らが馬に蹴られるで」

 

 突然の妹の反抗期にも特に口を出せないくらいには惚気てしまっていると自覚している。周りに健吾さんたちや彩さんたちがいるにも関わらず、僕の目には自分の恋人しか見えていなかった。

 

 

「アヤさーん! チサトさーん!」

 

 

 しかしその時、聞き覚えのある甲高い声が辺りに響き、流石の僕も意識を外に切り替えて声のする方へと目をやった。そこにはイヴさんを始めとして、残りのパスパレメンバーの三人がこちらに駆けつけてくる光景があった。

 

「──はっ。イヴちゃん? みんな!」

 

 呆然としていた彩さんと千聖さんも、心配そうに駆けつけるイヴさんたちの顔を見て我に返っていた。

 

「ハァ、ハァ……っ、みなさん! ご無事でしたか!?」

 

「ええ、大丈夫よ。彼らが来てくれたから」

 

 千聖さんの説明で皆の視線が僕たちに注がれる。日菜さんとイヴさんは健吾さんと面識があるから分かるだろうけれど、僕も久しぶりに会った大和さんに関しては、何が何だか理解できずずっと首を傾げている状態であった。

 

「あの、大和さん? 久しぶりですね」

 

「は、はい。お久しぶりです麗牙さん。そ、それよりもさっきの怪物は──」

 

「ライガ? ケンゴくん? どっちかがやっつけたの?」

 

「まあ、そうですね。はい」

 

「──や、やっつけた……?」

 

 彼女たちの反応を見る限り、パスパレ全員がさっきのファンガイアを目撃して逃げたということなのだろう。僕と健吾さんの両方が変身できると唯一知っている日菜さんに訊ねられ、一応は倒したことを伝えるも、やはりその言葉の意味が理解できていない大和さんの頭に更なる疑問符が浮かび上がっていた。

 

「紅さん、すごかったよ……金色でピカピカ光ってた」

 

「ええっ!? 何それあたしも見たいなー!」

 

「そんな面白いものでもないんだけど……あと近いです日菜さん」

 

 彩さんがもたらした情報は日菜さんからしてみれば非常に興味深いものであったらしく、普段よりも更に目の輝きを増して僕に迫っていた。相変わらず人懐っこい態度で微笑ましくなるが、そんな状況を面白く感じていない人が一人、僕のことをじっと睨み付けていた。

 

「……麗牙さん」

 

「そ、そんな目で見なくても大丈夫ですから……」

 

 僕の顔まであと十数センチに迫った日菜さんを無理矢理退かすようなこともできず、燐子さんは不安そうな目で僕を見ることしかできなかった。彼女の代わりに僕が日菜さんの肩を持ち、なんとか彼女を引き離すことに成功する。ブーブー拗ねる日菜さんには悪いけれど、燐子さんの機嫌の方が僕にとっては何倍も大事なのだ。

 

「とりあえずどうでしょうか。これだけいますし、一旦どこかでゆっくり座って話したほうがいいですよね」

 

「ええ、私も賛成よ。本当は私たち、マル・ダムールに向かうところだったんだけど……」

 

「ちょうどええやん。あそこのマスターもキバやファンガイアのこと分かっとるし、場所くらい取ってくれるやろ」

 

「そうだったのね。だから以前もあそこで話を……」

 

 こうして僕たち九人は、カフェ・マル・ダムールへと向かうことになった。向かう途中で彩さんの何かを言いたげな視線と、それに気付いた燐子さんの心配そうな視線が僕に突き刺さるが、その二つの視線にまとめて上手く応えられる自身がなかったため、目的地までは僕も無難な会話しかできなかった。幸い距離が近かったため、程なくして僕らはマル・ダムールの戸を開いていた。

 

「あら、いらっしゃい。麗牙くんに健吾くん。後ろ、お友達?」

 

「よっすマスター。ちょっと大所帯やけど構へんか?」

 

 そうして健吾さんが僕の代わりに事情を話してくれた。関わりを持った人たちがファンガイアに襲われて、今一度整理をする場が欲しいと。分かってはいたがマスターはすぐに事情を理解して空いている席を寄せ、この大所帯が向かい合って話せる場を設けてくれた。マスターの心遣いに感謝しながら、僕は向かい合った彼女たちに対して真剣に考えを巡らせていた。

 

「(さて、何から話そうか……)」

 

 ここからは彼女たちに、改めてファンガイアのことやキバのことについての説明を始めていた。

 

 場合によっては魔族全体の話もしなければならないだろう。既にパスパレの内二人はレジェンドルガにも襲われているのだから。

 

 知ってしまった以上、彼女たちも簡単にはいつもの日常には戻れないかもしれない。

 

 そんな真剣な話をする時間になっていたはずだったのだが……。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「悪いな麗牙。これだけはどうにも我慢できなくてな」

 

 主君に対して心の中で短く謝罪をしながら、俺はある目的に向けてひたすら歩いていた。麗牙からは「安静にしていて」と言われているが、それでも男にはやらねばならない時がある。

 

 ──これだけは誰にも譲れない。

 

 そういうものが誰の胸にもあるが、俺にとってはこれ(・・)がその一つだ。

 

 

 カフェ・マル・ダムールのマスターの一杯。これだけは誰が何と言おうと口にしなければ、俺の気が済まなかったのだ。

 

 

 痛む身体を庇いながら、何とかマル・ダムールの扉の前に辿り着く。ああ……ここからでも分かる。マスターの煎れるあの嗜好の珈琲の香りが、この獣の鼻を擽って放そうとしない。俺たちウルフェンの一族は鼻が効くが、ここの珈琲に出会った時ほど自分のこの能力に感謝したことはない。マスターの珈琲はそれ程の逸品なのだから。

 

「邪魔するぞ、マスター」

 

 実のところ無視できない匂いを店内から感じていたが、それがどうしたと言わんばかりに俺は入店を果たす。誰が居ようとも、俺は俺の魂が求めるままに動く。後で主君に怒られようと、今はただ本能に従ってその一杯を味わい尽くすのみであるのだから。

 

「ん……?」

 

 しかし、入店と同時に店の奥から聞こえて来る溌剌とした声に、俺の思考は一瞬停止してしまうのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アイネさん! モデルやりませんか!?」

 

 

 ……いや待て一体何がどうしてそうなった?




愛音、モデルデビュー……?

次回に続く。
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