『しかしどうやら気になる様子の女の子がいるようで……?』
人間は日曜日の午後は平和にのんびり過ごす人が多いらしいが、残念ながら僕がそうであったことはあまり多くはない。日曜日ということもあり、キングである僕の仕事量は平日のそれを優に上回る。人間と違って体力はあるからちょっとやそっとじゃ体調を崩すことがないのが救いだが、日曜日に色々と楽しんでいる同級生たちの話を聞くと羨ましくなったりしているのが本音だ。その分の楽しみを普段から分散させて音楽に費やしているからこそ、その時の時間を全力で楽しむことにしているのだが……。
閑話休題。とりあえず何が言いたいかというと、せっかくの日曜日なのだから僕も愛音のモデル撮影の見学に行きたかったということだ。イヴさんの話では保護者ということで僕も行くことができたかも知れないらしいが、生憎仕事に追われている僕は今日一日城を出ることなくこうしてデスクワークを続けているのである。予定では今頃は愛音とイヴさんの撮影も終わりを迎え、そろそろ向こうを経つ時間になるだろう。結局は妹の頑張る姿をこの目に収めることができなくて残念に思っているが、帰ってきたらとりあえず労いの言葉でも投げかけてやろう。思いっきり飛びつかれる可能性もあるが、その時はその時だ。妹の甘えをきっと僕は無碍には出来ないだろうから。
「麗牙、今いい?」
「アゲハ? うん、どうしたの?」
「さっき次狼が報告した、愛音が倒した事務所の社長の件だけど」
「何か分かったの?」
そんな中、僕の部屋にアゲハが上がり込んできた。愛音と共に人間を襲っていた無法者のファンガイアを撃破した次狼が僕らに報告し、アゲハはその事後処理として件のファンガイアの情報をまとめ上げてくれていたのだ。そもそも向こうでそんなことになっていると知ったからこそ、余計に僕も行けば良かったという気持ちにさせられていたのだが。ともかく、何かを掴んだらしきアゲハの第一報を聞くべく、僕は手を止めて彼女の顔を見つめていた。
「この社長だけど、ちょっと経歴が謎なのよ」
「謎って、過去が分からないってこと?」
「いいえ。この人、事務所の社長になる前はもっと大きな会社の重鎮をしてたみたいなのよ。今よりもずっといい待遇と給料もらってね」
「それがどうしてわざわざこの小さなモデル事務所の社長に就くことになったのか、それが分からないってこと?」
「そうよ。だってまるでメリットが無いもの。人を襲おうと思うなら、前の職場の方がよっぽど多くの人間を簡単に襲えるし……」
それはそれで問題だが、確かにそうなるとアゲハの言うとおり謎である。前の職場に居続ける方が彼にとってもメリットが多く、居心地も良かったのかも知れない。それが損得勘定抜きでどうして今の事務所に移ったのか。モデルや事務所を育てる熱意に目覚めたとはとても考えられない。報告を聞く限りは、彼は人間を餌としか見ない典型的なファンガイア至上主義の思考の持ち主だ。自分からこの事務所に行ったりはしないだろう。だとすれば、誰かによって来なければいけなくなった。誰かに招聘されたと言うことだろうか……!?
「……気付いた?」
「いや待って。この人って社長になる前まで他の場所にいたんだよね? 前の社長が辞任してから今の社長として
最初の報告では、愛音は彼が一連の失踪事件の犯人だとして倒したとされていた。しかし、この事件は彼が事務所の社長に就任する前から起きていたのだ。それが意味するところに気付き、僕は神経を研ぎ澄ませてアゲハをじっと見つめていた。
「じゃあその前の被害者は……」
「恐らくだけど、この社長じゃない。ファンガイアが犯人なら、別の誰かが……」
「っ……(愛音……)」
それが正しければ、あの事務所に蠢く闇はまだ消えてはいないということになる。愛音たちがいる撮影現場にその元凶がいないことを、今はこの動けない場所から祈るしかなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
人気の無い地下駐車場の一角で、とある話し声が小さく響いていた。その声の主は先ほど撮影部屋を抜けていった百香のマネージャーである紘子であり、彼女は携帯の通話相手である事務所の人間に向けて若干苛立った声で話していた。
「ええ、はい……分かっています。はい。ですから──」
自分より上の立場が相手のためかあからさまに怒声を放つことはなかったが、その声色に含まれる焦燥や苛立ちは隠すことが出来ていなかった。腕を組みながら足先で何度も地を叩くなどの貧乏揺すりが目立ち、その苛立ち具合が傍目から見てもよく分かるようであった。
「はい、承知しました──帰った後で──はい、また──」
ようやく電話から解放された紘子は、通話を切った途端にくたびれたように重く息を吐く。何故自分がこんなに疲れなければならないのかと、何度も思いながら溜め息を繰り返していた。
「はぁ……アイツ、そのままいなくなってしまえばいいのに」
いつの間にか姿を消した社長のことを忌々しげに呟くも、しかし内心では少しだけ清々しい思いが彼女の中にあった。彼は彼女にとっては悩みの種である男であったのだが、それがどういうわけか消えたのだ。このまま一生現れてくれなければ、もう余計なトラブルは生まれなくて済む。それはしばらく自分の周りで起きていた様々な混乱の中で唯一のいい知らせであった。これから事務所に帰って今日の報告などを纏めるという長い作業が待っているのだが、邪魔者が消えたという自分にとっての嬉しい知らせがあるだけで気が楽になる思いではあった。
「そろそろ行かないとね……」
待たせている少女のことを思い出し、紘子は一歩階段に向けて歩き出そうとする。しかし、そんな彼女の目の前にとある影が走り込んできた。
「はぁ、はぁ……紘子さんっ」
「……はぁ……待ってなさいと言ったでしょう……って──」
階段を駆け下りて走ってきたのは、彼女を求めてずっと探し回っていた百香であった。自分の言いつけを守らずに追いかけてきた彼女に対して苛立ちが無いわけではないが、元々弱気な子だと分かっていただけにある程度は予測出来ていた事態であった。しかし紘子を見つけた百香は目を輝かせて、まるで犬のように飛び掛かってくることまでは予測が付かず、百香を支えきれなかった紘子は後ろから倒れ込むことになった。
「──っ、ちょっと! 何なのよ急に!」
「良かったぁ……ねぇ、もう帰りましょうっ。私もうここに居たくないよっ。紘子さんはいないし変な子には話しかけられるし……早く帰りたいよ!」
「あ、貴女は……っ」
ずっと自分の背中に腕を回したまま離れようとしない少女に対して、紘子の苛立ちはどんどん大きくなっていく。確かに彼女をこの世界に入れたのは自分だが、こんな無様な姿を見たくてモデルにしたわけではない。たとえ一人であっても輝ける、星のような人材を欲したはずなのだ。ここまでの腑抜けに育てたつもりは毛頭ない。そんな思い通りにいかなかったという苛立ちも、目の前の少女に知られることなくどんどん募らせていく。
「い、いいから退きなさいっ。じゃないと──」
「お願い離れないで紘子さん……私紘子さんがいないと不安で不安で仕方ないのっ。だからずっと私の──」
「──っ! いい加減にしなさいっ!」
そして遂に我慢の限界を超えた紘子は、怒りのまま叫ぶと共に百香を突き飛ばしたのである。度を超えて自分に固執し続ける百香にはうんざりしていた紘子は、連日のストレスも重なり本来支えるべき相手を突き放すような言動を取っていた。尻餅をつかされた百香は何が起きたのか理解出来ず、揺れる瞳を辛うじて紘子に向けることしかできなかった。
「え……?」
「どうして貴女はいつもそうなの!? 私がいなきゃ何もできないっ、何かあっても無くても私を呼んで……私、もう自分のことも出来やしないじゃない!」
「ひ、紘子……さん?」
紘子は立ち上がり、これまで百香に対して溜め込んでいた鬱憤を全て吐き散らかしていた。百香は突然の紘子の豹変が信じられず、ただただ衝撃と悲しみの色を孕んだ瞳を滲ませて、震えた声で彼女の名を呼んでいた。
「私にも私の時間があるのよ! 貴女一人に構っていられるほど暇じゃないの!」
ミシ──
その時、ガラスの軋むような音が辺りに響き渡った。
ミシミシ──
ガラスが軋み、ひび割れていくような不快な音が広がっていく。
その音の出所となる者の肌はみるみる内に変化し、目が痛くなるようなステンドグラス状の模様に変化していく。
それこそ人知を超えた現象。
人ならざる者の証。
その者が異形であることの証明であった。
そして、それは──
「どうして……
どうしてそんなこと言うの……紘子さん……」
──百香のことであった。
「ひっ!?」
百香の顔と瞳に浮かび上がる奇怪な現象を目にして紘子の悲鳴が小さく響く。しかしそれは未だ前兆に過ぎなかった。次の瞬間、百香の身体は原型すら留めない恐ろしい怪物へと姿を変えたのだから。
「ひっ、きゃぁぁああああっ!!」
全体的に刺々しいフォルムで、口先の尖り具合や頭部から伸びる背鰭のようなものから鮫を思わせる容姿の怪物──シャークファンガイアが顕現していた。この世のものとは思えない怪物を前にした紘子は腰を抜かし、立ち上がらない脚を何度もばたつかせて後退しようとしていた。
「ば、化け物ォォ!」
「どうして? ねぇどうしてなの紘子さん? 私、紘子さんのために何でもやったよ?」
恐怖の表情を浮かべて絶叫し、シャークに鞄を投げつけて拒絶する紘子。しかし異形は紘子へ近付くと、そのステンドグラス状の体表に百香の顔を浮かび上がらせて必死の形相で語りかけていた。
「紘子さんに拾ってもらって本当に嬉しかっただから私は紘子さんの期待に応えようした私が紘子さんに見つけてもらったから私が誰よりも紘子さんのことを想っている想わなければいけない紘子さんに私だけを見てもらわないと私は生きていけないだから他の邪魔な子たちも消した紘子さんは私だけを見たらいいからそのために新しい社長にちょっと痛い目見てもらってここに来てもらってようやく二人きりになれたと思ったのにどうしてあんな子を今日の仕事に選んだの信じられないだから消すしかなかった紘子さんを取り戻すために社長さんに消してもらったのになのに馬鹿だよねあの人我慢できなくて余分に一人食べたんだよ本当節操のない人って嫌だよねその分私は違うよ私が生涯愛してるのは紘子さんただ一人だけだよだから紘子さんも私を愛するの私のことだけを見て私だけを愛すればいいのにっ!! どうしてそんなことを言うの……?」
「ぁ……」
訳が分からなかった。目の前の存在が怪物だとか以前に、その思考が理解出来ず紘子は恐怖に囚われていた。しかし狂っている、と言葉に出す余裕もなかった。彼女は今、この場から離れることしか考えていなかったのだから。
「今日楽しみにしていたんだよ? 紘子さんに構って欲しくてずっと怖がりな少女でいようとしたんだよ? 紘子さんの言うことも頑張って聞こうとしたよ? ずっと私だけを見てほしかったんだよ? なのに──」
「いや……嫌ァ!!」
ようやく動き出した足が地を蹴り、紘子は立ち上がってシャークに背を向けて駆け出した。一番近い出口は異形の背中側にあるため、他の地上に繋がる出口を探すために走り出した……生きるために走り出そうとした。
「悪い脚……私と紘子さんを引き離そうだなんて……だったら私があなたと紘子さんを引き離しちゃうから」
しかしその時シャークの禍々しい腕が光り輝き、彼女が腕を振るった刹那、鋭い刃のようなエネルギーが発射された。
そしてそのエネルギーの刃は、寸分狂わず逃げる紘子の両足首を切断したのだった。
「ッギ!? ぃぎゃあ゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァッ!?」
鮮血が飛び散る中で紘子の絶叫がこだまする。足を切断され、想像を絶する激痛の中再びコンクリートの地面に倒れ込んだ彼女は、一瞬何が起きたのか理解出来ずに痛みの矛先へと目をやる。そこで彼女は初めて自分の身体の一部が切り離されたことを認知して、痛みと恐怖からもはやまともに思考することは敵わなくなっていた。
「あア゛っ!? イァア゛ァァァァァァァァァァッ!」
「ふふ……捕まえた」
血で濡らしたコンクリートの上で痛みに悶える紘子を眼下に収めながら、異形はゆっくりと彼女の元へと迫る。そして紘子の首を掴むも軽く持ち上げ、自分と同じ目線に合わさせると再び彼女に語りかけた。
「ア゛ッ、い、ヤァ……だずげ……」
「紘子さんの身体と口は悪いね。でも魂は違うよね。紘子さんの魂は私と一つになりたがっている。そうだよね」
「イャッ……や゛め゛……ぅぐァ……」
否、もはや異形は目の前の人間と会話をしていなかった。彼女の中に、自分にとって都合の悪いものは最初から存在しないのだから。彼女の見ている世界では自分を拒絶する存在はここにはおらず、目の前にいるのは自分のことを好いてくれる最愛の女性なのだから。故に、紘子が何を言おうがもはや異形が止まることはなかった。
「ずっと一緒……私たち、ずっと一緒だよ……」
「ゃ……やめ……ぅっ──」
そして召喚された二本の吸命牙が紘子の両肩を貫き、彼女の色は失われていく。
紘子の色が全て失われた時、彼女の身体であったものは異形の手からするりと抜け落ち、地面に落ちた瞬間粉々に砕け散ってしまった。
「ああ……紘子さんが私の中にいる……もうずっと離さない……私たち死ぬまでずっと一緒だよね……」
愛する人の命を奪ったはずの異形は、しかし心からの幸福感を得ていた。
自分の愛する人は死んでいない。
これから自分と一つになって生きていくのだから。
死が二人を分かつ時まで、ずっと……。
「ああ……紘子さん……ああ……ここにも……」
己の中の紘子のライフエナジーに幸福を得ていた異形は、次に自分が切り落とした紘子の両足を拾い上げ、なんと頬ずりを始めたのだ。
「紘子さんが私を見つけてくれた足……ごめんね……痛かったよね……でもこれからはゆっくり愛してあげるからね……」
自分の顔に血がべっとり付くのもお構いなしに、怪物は紘子の身体の一部を愛撫し続けた。血と骨の醜悪な匂いも、愛する人のものと思えばこそ愛おしく感じていたのだ。もはや邪魔をするものはいない。ここには自分と愛する者しかい存在しない。全身に愛する紘子の心身を浴びながら、異形は正に絶頂の最中にいた。
しかし……。
「……嘘、信じらんない……私と紘子さんの時間に水を差すなんて……!」
何かに気付いた異形は腕に光の刃を作り出し、背後に向けて放ったのだ。鉄を切り裂きコンクリートを砕き、轟音と共に圧倒的な暴力が襲いかかったが、しかしその刃が目撃者の身体を切断することはなかった。正確には、今の惨劇の結末を目の当たりにした少女の頬をほんの僅かに切ったのみであった。
「ぁ……ぁぁ……」
言葉すら出てこない少女──イヴは、声にならない声を震わせて怪物をただただ見つめることしか出来なかった。