ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『キャッスルドランの中を案内されるリサは多くの世界の真実を知る。しかしそんな中で、麗牙はリサのことが気になっていて……って本気かぁ麗牙!?』


第12話 淡く灯る不熟の燐

 これは、わたしがまだ幼い頃の記憶。

 

 まだ小学生に上がる直前だったかな。わたしは幼少の時からピアノが大好きで、この時にはすでにピアノの練習を始めていた頃だった。ピアノが好きなのは今でも変わらないのだけど、でも一時期だけ、わたしはピアノを練習していても中々上達が感じられず、嫌になっていた時があった。いくらやっても同じところで躓いてしまう、何度教えられても間違えてしまう、そんな日々……いいえ、今思えばあの時は目指していたものが高みにありすぎて、なんでも自分の思い通りに演奏できない事に嫌になったんだと思う。年相応に子どもみたいな癇癪だったなと今では微笑ましくも思う。

 だけど当時は本当に嫌気がさしていて、家にいると嫌でもピアノが目に入る、自分の部屋にいても嫌でもスコアが目に入る。だから家には居たくなくて、一人図書館で目的もなく歩き回っていた日が増えてきていた。何故図書館と言われると、ここは静かだし、読書も好きだし、何より物言わない本に囲まれているという状況が妙に心が落ち着くように感じられてわたしは好きだったから。

 

 そんなある日のことだった。

 

「きゃっ?」

 

「わっ?」

 

 本棚に挟まれた列から出た直後、自分の出てきた列に入ろうとした誰かとぶつかってしまい、わたしは尻餅をついてしまう。一方ぶつかってきた相手はわたしと同じ歳くらいの男の子で、こちらもわたしと同じで尻餅をついてしまっていた。

 

「あの……えっと、その……ぅぅ」

 

 ごめんなさい、とすぐさま言えなかったのは持ち前の気の弱さの所為……なんて言っていられる状況ではない。例えどんな時であっても自分が悪いのならば謝らなければいけない。そう頭では理解していても、どうしても内気な自分はその言葉を出すだけでも勇気が要ってしまった。

 

「ぁ……あの……えと……」

 

 だけど面白い偶然もあった。目の前の少年、わたしと同じように何かを言葉にしようとして、だけどなかなか出ないという感じで口元をパクパクと動かしていた。側から見れば互いに謝りたいのに勇気が出せずに謝れない、もどかしい状況に見えたことだろう。

 

「……」ペコッ

 

「……うん」

 

 精々できたのが少しだけ首を下げて会釈するだけ。それだけでもわたしにとっては精一杯だったし、同じように返してくれた少年もいっぱいいっぱいのように感じられた。

 結局その日はそれだけのことだったけど、後日わたしは再び彼を見ることになった。

 

「(ぁ……昨日の……)」

 

 昨日と同じ図書館に行けばまた彼に会ってしまう。それがどうにも恥ずかしくて、わたしは昨日とは違い市民センターの小さな自習室に行こうとした。ここなら図書館ほどではないけれど本はそれなりにあるし、同じく静かで嫌なことも忘れられると思っていた。

 だけど、まるで話を合わせたかのように昨日の少年はわたしと同じ施設に上がり込んでいた。そして少年もわたしに気付いたのか、どこか気まずそうな顔をして、でもわたしと同じように固まってしまっていた。

 互いが互いに蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっている……中身はどっちも蛙なのにね。そんな膠着した状況を先に打破したのは少年だった。じわじわと足を動かし始めた彼は、わたしから逃げるようにして部屋から退出し、そして市民センターから出ていってしまった。

 わたし、気を遣わせちゃったのかな……。そう思ったのも束の間、わたしは彼が座っていた席にあるものを見つけてしまう。

 それは青色の帽子で、サイズ的にどう見てもあの少年の忘れ物としか思えないものだった。

 

「ど、どうしよう……」

 

 わたしは迷った。もっと心の強い子だったら迷わずこれを持って追いかけるんだろうけれど……。わたしはいつもの臆病風が吹いてしまい、見て見ぬ振りをしようとしていた。

 だけどそこで、彼の忘れ物に関してあることに気づいてしまった。

 

「……このマーク……もしかして」

 

 そのキャップに描かれていたデザインにわたしは目を惹かれた。だってそれは、わたしも知っているとあるグループのロゴマークだったからだ。英語は分からなかったけれど、青空のように真っ青な文字で『BLUE SKY』と書かれたロゴは何度も目にして覚えていた。

 

「(あの子も……ひょっとしたら……)っ」

 

 わたしはこのグループを知っているし、それなりに詳しい。だけどそれを話せる相手はピアノの先生やお母さんくらいしかなく、同じ歳の子どもには通じないものだった。でももし、あの少年がこのグループを知っているのだとした……もしかするとだけど……。

 

「(友達に……なれるのかな……)」

 

 そんな期待を寄せていたわたしは、忘れられた青いキャップを手に取ると急いで少年の後を追い始めた。

 

「はぁっ……はぁ、っ……ま……って……ねぇ……あ……ぁ、あの!」

 

「ぇ……?」

 

 思っていたほど少年は離れておらず、すぐに追いつくことができた。だけどまともに話したことのない人を呼び止めることにはとても勇気が必要で、何度も失敗しては想いが届かなかった。最後にようやく何とか絞り出せた声で、彼は立ち止まってくれた。多分この叫びを出すのに今までで一番勇気がいったかも知れないと自分でも思うほどだ。

 

「あ、あの……こ、これっ……」

 

「ぁ……僕、の……ぁ、ああ、あのっ、あ、ありがとう……ご、ございます……」

 

 初めてちゃんと聴いた少年の声。わたしに負けず劣らずの怯えの混じる声色には妙にシンパシーを感じていたりもした。だけど、それ以上にわたしは彼に気になっていたことがあったから、渡そうとするキャップのロゴを指差して彼に訊ねてみた。

 

「あの……これ……好き、なの……?」

 

「え……?」

 

「っ……ブルースカイ……あなたも好き?」

 

 ブルースカイ……正確には『グレートブルースカイ』と呼ばれるそれは、音楽を嗜んでいる人なら一度は聞いたことはあってもおかしくない名前だった。様々な分野から集まった音楽家たちによる、富も名声も何も要らない、ただ素晴らしい音楽を奏でることだけのために集まったグループ。その都度演奏する人たちは変わっていくけど、それが披露される度にわたしは心が舞い上がるような晴れやかな気分になっていた。わたしがピアノを始めるきっかけにもなった憧れのピアニストも参加したことがあり、その時の演奏は今でもわたしの目標になっている。そのくらいにわたしは彼らのグループに心惹かれていた。

 そんなブルースカイのロゴが入ったキャップを持っているということはきっと彼も……それを期待してわたしは臆病な気持ちを振り切って少年に聞いていた。

 

「……僕は好き……え、もしかして……君も?」

 

「っ、うんっ……わたしも好きなんだ……ブルースカイ……えへへっ」

 

 嬉しかった。初めて同世代で仲間が見つかった喜びは、この先も忘れることは無いだろう。

 その日、わたし達はブルースカイの話で持ちきりだった。どの曲が好きか、誰が好きか。あの店でブルースカイの曲が流れているとか、次の曲では誰が演奏するか、なんて柄にもなくずっと声を出して喋っていた。それこそ時間を忘れるほどに。あまりに楽しい時間だったからか、気づけば辺りは綺麗なオレンジ色に染まり始めていた。おまけに家に帰ることを知らせるチャイムも鳴り始め、少年との別れが迫っていることが分かってしまった。

 不思議だと思う。さっきまでは関わるのを避けていた彼に、今は別れたくないと思うようになるなんて。今までこんなにたくさん一人の人と話したのは、親やピアノの先生以外だと初めてのことだったからかもしれないけど。

 

「また、明日」

 

「っ、うん……また、明日」

 

 だけど、彼がまた明日って約束してくれた。だから明日もきっと彼に会える。それがすごく楽しみで、嫌になっていた夕方のピアノの練習も以前よりは苦痛に思わなくなっていた。

 

 そして明くる日の午後……。

 

「あ……こんにちは……」

 

「こ、こんにちは……」

 

 わたしはまた彼と会うことができた。昨日話し合ったばかりなのに互いにまだ緊張が抜け切っていなくて、吃った挨拶になってしまう。だけどそれがわたしにはまた心地良くもあった。同じような気持ちの子が、同じような趣味を持って、偶然出会って、また会うことが出来て。そんな単純なことでも喜んでしまうほど今までのわたしの世界は狭かったのかも知れない。でもこれからはどんどん広がっていくんだ、とわたしは彼との出会いに希望を感じていたに違いない。

 

 それからもわたし達は何度も会った。その度に何かを語り合って……なんて事はなく、わたし達はただ互いのすることを静かに見守っているだけだった。ある時はわたしの読書の様子を彼が静かに見ていたり、ある時は彼がノートに何かを書いている様子をわたしが見ていたり。そんな見ているだけで相手にあまり関わろうとしない不思議な関係だった。

 

「……」

 

「……」

 

 静かで、全然積極的でなくても、わたしはそんな関係が好きだった。深く踏み込まないで互いに何かを疑問に思いながらも恥ずかしくて口に出せず、だけどそれを超えてずっと隣同士に座っていられるこの関係が、わたしは大好きだった。わたしは本を読んだり絵を描いたり、たまに公園で歌ったりする彼の姿を見ているのが好きだった。そして彼も、景色を眺めるだけのわたしや、流れてくる音楽に耳を澄ませるだけのわたし、大好きな読書をしているだけのわたしを見てくれたりしていた。

 

 それが純粋に楽しく、そして嬉しかった。こんなわたしをずっと見てくれて。そして知ってくれて。そのためか、わたしはもっともっと彼のことが知りたくなってしまった。もっと自分を知ってほしいとも思ってしまった。

 

 そう、わたしはきっと、彼のことが好きになっていたんだ。

 

 まだ幼い身ではあったけど、わたしの心に響くこの甘い音はきっと、初めての恋の音だった。

 

「(明日も……会いたいな……今度こそ……わたしの名前を……)」

 

 だけどわたしも彼も、互いに内気すぎた。それこそ相手に自分の名前を言う勇気も、訊ねる勇気も出せないほどに。いつか聞こう、今度聞こうと思っても中々行動に移れず、その上時間が経つほどそれは難しくなり、より勇気が必要になってくる。そして時間だけが過ぎていき、結局わたし達はその日(・・・)を迎えるまで互いの名前を知る事なく過ごしてきてしまった。

 

 

 

 

 そして、運命の日がやってきた……。

 

「こんにちは……」

 

「うん……こんにちは」

 

 いつものように静かな挨拶で会ったわたし達は、今日は珍しく二人で公園に来ていた。今までずっと室内だったのも、わたしも彼もインドア派な人だったからで、だからこそ今日は何か特別なことが起こりそうだった。

 

「(今日なら……彼に言えるかな……わたしの名前)」

 

 いつもと違うシチュエーションなら言い出せるのではないか。在り来たりな理論だけど、わたしが言えるとしたらチャンスはいつもと違う今日しかないのかも知れないと思っていた。いつも通り過ぎて当然のように過ごしている時間の中で、わたしは今更自分の名前を言える自信はない。でもこうして外だったら、わたしは初めて会うようにして名前を伝えられるかも知れない。そして彼の名も聞くことができるかも知れない。そんな淡い期待を今日という日に寄せていた。

 

「人……誰もいないね……」

 

「う、うん……」

 

 公園のベンチにわたし達は腰をかけた。午後だというのに公園には他に人は見当たらず、わたしと彼の貸切状態だった。

 わたしはとにかく自分の名前を彼に伝えることを考えていたんだけど、果たしてこれはチャンスなのか、それとも逆にやり辛いのか、わたしには判断がつかなかった。言おうか言うまいか、そんなことを考えていて、だけど彼もまた一言も言葉を発さない中で時間だけが過ぎていく。

 

 その時だった──

 

「うぅ、ぐ……」

 

 突然公園に、苦しそうな声を上げてよれよれに歩く男の人がやってきた。私たちは揃って気になり、ベンチから立ち上がってその男の人に少しだけ近づいてみた。服はぼろぼろで身もボサボサで、でも肌だけは綺麗に色白なその人は、やがて公園の地面に倒れこんだと思えばこちらの方へと顔を向けた。

 

「ぁぁ……ごめんよ……」

 

 そう言う男の人の言葉の意味が理解できず、でも困ってそうな感じだったのでどうしようかと少年の方に助け舟を出してもらおうとした時だった……。

 

 

 

「もう、我慢……できない……食べさせ……ッ、食わせろォォォォォォォォァァアアアアアッ!!」

 

 

 

「ひっ!?」

 

 突然、男の人の顔に綺麗な模様が浮かんだと思った瞬間、その姿が変わった。

 

 さっきまで人間の姿形をしていたそれは、今は全身ガラス張りのように光った怪物に変身していた。

 

 全身を真っ青に染めた馬のような顔を持った怪物。

 

 今までの常識を覆すような、絵本でも見たことのない恐ろしい怪物と出会ってしまい、わたしは恐怖で動けなくなってしまった。

 

「ぁ……ぁぁ……」

 

 何度動かそうとしてもダメだった。足がすくんで動けないわたしに、怪物はどんどん迫ってくる。

 

 ──怪物に襲われたらどうなっちゃうの? 怖いことになっちゃうの?

 

 まだ幼いわたしにはその後に起きうる具体的な内容なんて分からなかったけど、それでも本能的に感じる恐怖というものは理解できていた。だからこそ、その後に待ち受ける展開が嫌で、怖くて、でも何もできなくて泣くことしか出来なかったんだと思う。

 

「や、やめて!」

 

 だけどわたしと違って動くことのできた少年は、わたしを庇うようにして怪物の前に立ち塞がった。小さい身体を、自分の二倍以上もある怪物を前に晒すのにはどんなに勇気の要ったことだろうか。

 

「邪魔だっ!」

 

「ぅわっ!?」

 

「あぁっ!!」

 

 しかし怪物は無情にもその大樹のような腕で少年をなぎ払ってしまった。激しく飛んでいき、大きな音を出して木にぶつかって倒れる少年を目にして、わたしは遂に心が折れそうになった。怪物を前に既に壊れかけていた心も、まだ彼がいるから何とか耐えられた。だけど彼が怪物によって……わたしのせいで危ない目にあって……わたしはもう涙の止め方さえ忘れてしまっていた。

 

「ぐるるルルルゥ……」

 

 いつしかわたしの正面まで迫った怪物の周囲には、二本の大きな牙が出現していた。その切っ先はもちろんわたしに向けられていて、今からアレをわたしに突き刺すのだと説明せずとも理解してしまった。生命の危機に陥った生き物特有の本能なのかも知れないけど、この状況で知ったとしても遅過ぎた。後はアレがわたしに迫れば……わたしは……どうなってしまうのか……。

 

 まさに牙が飛びかかろうした、次の瞬間だった──

 

「やめろォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 さっき飛ばされた少年の声が聞こえた。わたしと怪物は同時に声のする方へと視線を向け、そして見てしまった。

 

 

 

 

「オ゛オ゛オオォォォォァァァァァ!!」

 

 

 

 

 彼もまた、紅色に染まる怪物へと姿を変えるその瞬間を。

 

「ひっ!?」

 

 全身が血のように真っ赤に染まったコートに包まれたような姿。

 

 鋭い爪や牙が恐ろしく光り、悪魔のような翼が背中や頭からも生えている悍ましい姿。

 

 ともすれば今わたしに襲いかかろうとしていた青い怪物なんかよりもよっぽど恐ろしい見た目をした怪物に、あの少年は姿を変えたのだった。

 

「ゥグアァオ!!」

 

「ガハッ!?」

 

 少年だった紅い怪物はその鋭い爪を迷うことなく青い怪物に突き立て、その巨体を吹き飛ばす。青い怪物が起き上がろうとする前に紅い怪物はその上に飛びかかり、そして──

 

「ガア゛ア゛ァァァァ!!」

 

 ──振り落とした右腕によって一撃で青い怪物の身体を粉々に砕いてしまった。

 

 パラパラ、とガラスのように散った青い怪物。いとも簡単に消えてしまい、どこにいったのか、さっきまで本当にそこに存在していたのか一瞬分からなくなってしまう。でもやはりあの青い怪物はもう、いなくなってしまったのだろうか……?

 

 だけど紅い怪物は未だ健在で、振り返ってわたしの方へと近づこうとした。

 

「ひっ……」

 

 ──怖い。

 

 もはやそれしか感情はなかった。突然現れた怪物に襲われた恐怖もあるけれど、今まで隣にいた少年も怪物だったこと、そして荒々しい振る舞いで敵を倒してしまったこと。その全てがわたしの中から恐怖以外の感情を消し去ってしまっていた。

 紅い怪物の怒りを表すような恐ろしい表情が近づこうとしている。あの鋭い爪も、威圧感も、まとめてわたしに迫ろうとする。そんな時になって、わたしはさっきまで出ることのなかった叫び声を上げてしまった。

 

 さっきの怪物じゃなくて、よりによってあの少年に向かって……。

 

 

 

 

「ぃ……いや……来ないでっ! あっち行って!!」

 

 

 

 

「っ!?」

 

 瞬間、怪物の動きが止まり、その姿が変貌して──いや、戻っていった。

 

 そこにいたのはわたしの知る少年の姿。

 

 怪物じゃない時の少年の──

 

「っ……ぁ……」

 

 ──いや違う。それはわたしが見たことのない顔だった。

 

 口を震わせて、息を荒げて、目を赤くして、泣きそうになっている顔。

 

 今まで見たことのないほど悲しそうで、酷く傷付いた顔を浮かべた少年が──わたしが見たくなかった初恋の少年がそこにいた。

 

「ぁ」

 

 その瞬間、わたしは自分が取り返しのつかないことをしてしまったと気付いた。

 

 だけど、それはあまりにも遅過ぎた。

 

 

「ぼ……ぼく、は……っ……ぅ……ぁ、ご、ごめ……なさっ……っ」

 

 

 少年は酷く狼狽え、吃った小さな声で謝り、そしてわたしの前から逃げ出してしまった。

 

 わたしが少年に声をかけるには時間も、勇気も、資格も、何もかもが足りなかった。

 

「……ぁ」

 

 わたしはその場から一切動くことが出来なかった。同時に恐怖以外の感情が戻ったきたことで、わたしは今自分がやってしまったことを理解してしまう。

 彼は怪物だった。それは間違いないけど、でもわたしを助けようとしてくれた。わたしを守ろうと青い怪物に向かっていってくれた……優しい彼のままだったのに……。わたしは彼の恐ろしい姿にばかり気を取られて、そして……。

 

 ──『来ないでっ! あっち行って!!』

 

 ──『っ……ぁ……』

 

 彼を酷く傷付けてしまった。

 

 あんなに好きだった彼を。

 あんなに優しかった彼を。

 わたしを守ろうとした彼を。

 

 わたしは自分の言葉で傷付けてしまった。

 

 謝れるなら今すぐにでも会って謝りたい。そう何度も思ったけれど、結局あの日を境に、わたしがあの少年と会えることは二度となかった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「う……うぁ……ん……」

 

 窓の隙間から覗き込む暖かな日差しに起こされて、わたしは覚醒する。またあの日の夢を見ていたようで、目尻には薄っすらと涙が残っていた。

 

「(あの子……今も元気……なのかな)」

 

 幼き日に自分が傷付けてしまった少年を、わたしは片時も忘れたことはない。若さゆえの過ちだとしても、あんなに酷いことをわたしはどうして看過できるだろうか。そんな過去の罪業に、今日もわたしは苦しめられる。叶わないことだとしても、わたしは今でもあの子に会って謝りたいと願っていたから。

 

「……はぁ……」

 

 あの日以来、わたしは元々の内向的な性格が更に悪化してしまった。あの時、彼に酷いことを言って傷付けたことがトラウマになり、今でも誰かに強い言葉を投げかけることが怖くなってしまっている。自分の意見を言う以上に、誰かを傷付けるのが怖かったから。これも彼を傷付けたことの罰だと言うのなら、まだ気が楽になれるんだけど。

 

「(会いたいなぁ……あの子に……)」

 

 幼き日の初恋の相手。怪物だったけど、やっぱりわたしには大切な人だったと今でも強く思っている。会いたいし話したいし、そして謝りたい。

 それでもわたしは彼に会うことはできない。全ては自分の責任のため。

 臆病だった自分の責任……。

 

「(あの子の名前も……わたし……知らないままだったなぁ……)」

 

 知っていればまた会うこともできたかもしれない。だけど臆病で自分の名前も、相手の名前も知らないままの自分にそれが叶うことなんてあり得なかった。あの日以来会うことのなかった彼……もう引越ししちゃったんだろうな、と心の中では半分諦めてもいた。

 

 今後もきっと、彼と会うことは出来ない。それは事実だと思う。

 

 だから、わたしは今日も後悔を胸に生きていく。

 あの日、自分の名前を言えなかったこと。

 あの日、彼を拒絶してしまったこと。

 あの日、彼に謝ることが出来なかったこと。

 わたしは一生、その十字架を背負わなければいけない。

 

「(でも……)」

 

 だけど、もし……もしもまた彼に会うことが出来たなら……

 

 

 

 

 

 その時こそは絶対に言おう……

 

 

 

 

 

 

 ──ごめんなさい、と。

 

 

 

 

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──わたしの名前は、白金燐子です、と。




今回の回想に登場したファンガイア
・ホースファンガイア
真名『流浪の理髪師に引き裂かれる、希望と絶望の境界』

・バットファンガイア
真名『?』
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