『しかし、この試合に一番気合いの入っていたあかりさんがなんと絶不調』
『この試合、果たしてどうなってしまうのか!?』
試合の熱気に包まれるグラウンドから離れた場所に、麗牙たちの様子を伺う影があった。弦巻家の警備範囲よりも更に遠方に位置する場所に陣取っていたため、誰もその影を発見することは敵わなかった。
「キングの隣の女がそうみてぇだなァ」
「更にはビショップに青空の会の戦士。それらが側に付いているなら間違いないだろう」
試合を見守る麗牙とアゲハ、そして健吾。彼らにとっては既に顔の知れている存在が出てきたことで、その中に一人いる覚えのない顔に彼ら刺客の視線は集中していた。とは言え、この数日間のうちにも彼らは麗牙及びTETRA-FANG周辺の情報も収集し、その少女の名も既に知れ渡ってた。
「白金燐子……一応の目処は付けていたがその通りだったな」
「アレが次期クイーンねぇ……私の方がいい女じゃない」
「ハッ! なんだお前、クイーンになりたいってのかァ?」
「だとしても、あんな腑抜けたキングの伴侶なんてお断りよ」
心の奥底に秘めた野望を否定することなく、刺客の中の唯一の女性は鋭い目つきで麗牙と燐子の姿を捉えていた。しかし野望を持つのは彼女だけではない。自身にとっての理想の王を擁立し、その王に仕えること。或いは単にキングやその周囲の者と死合いし討ち取ること。そんな望みを持つ者たちが手を組んで、今は反乱を起こそうとしていたのだ。
「だがあまりにもあからさますぎる。わざわざ的を教えるような真似をするとは」
「業を煮やしたんじゃないの? で、誘き寄せようって魂胆でしょ?」
これまでずっと動きを制限していたキングが、今度は打って変わって自分たちの標的となる少女と共に外に出てきたのだ。普通に考えるならばアレがキングの婚約者であり時期クイーンという結論に行き着くだろう。事前の調査の件もあり、刺客たちも燐子こそが狙う標的だと信じざるを得なくなっていた。しかし、まるで他者に見せつけるように二人が寄り添うような行動を取るため、リーダー格の男──ムースはそれが見え透いた演技にも感じていたのだ。
しかしこれも愛を知らぬ異形ゆえの弊害でもあった。麗牙が燐子を囮にしているのは間違いないが、二人の仲睦まじさまではわざとではないと彼らが知ることはないのだから……。
「しかしあれもブラフという可能性もある。他にも候補はいるからな」
「おっ、だったら今からそっちから殺っていくかァ?」
「やめなよ。どうせ他の奴らが見張ってるんだからさ。一人でルークとは出会いたくないよ私は」
「ああ。だから目下のところ、標的は白金燐子だ」
燐子以外にもキングと親しみ深い女性は他にいる。確かにクイーン候補となる者を全員殺していけば早いが、簡単にそうさせてくれないのがキングの配下たちだ。そのため今は無駄な力を使わず、現状最も可能性の高い一人を確実に仕留められるよう機を伺っていた。
「あくまで今のところはな……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
四回裏
表にまた一点を返されて二対一で勝ち越されてしまったが、この回は三番からのクリーンナップの攻撃だ。打撃力の高いメンバーが揃うこの回でなんとか追いつきたいところだったが……。
「アウト!」
「あー、いい当りやったけどなぁ……」
三番の打ち返した打球は大きく伸びていったが、残念ながら追いついたセンターによって捕られ、センターフライで終わってしまった。しかし一番の薫ちゃんや今の三番の通り、確実に相手ピッチャーの球には慣れてきている。二人ともタイミングを合わせて大きく飛ばしたのが何よりの証拠だ。あかりちゃんもゴロとは言えバットに当てて前に飛ばせるようになったのだから、勝負はまだまだこれからだと俺は思っている。何より、次は四番キャプテンのはぐみちゃんだ。
「……っ!」
「っ、フェアか!」
サードの頭上を超えて飛んでいった打球はそのままワンバウンドしてフェアゾーンへ転がっていく。レフトが必死にボールを追って走っていくが、それでも遠すぎた。そして流石は俊足のはぐみちゃん、レフトが追いつく頃には彼女は既に三塁まで到達していたのだ。スカイスターズ、この回スリーベースヒットで一気に同点のチャンスが巡ってきた。
続いて五番は美咲ちゃん。先ほど薫ちゃんと何やら相談していたが、彼女からアドバイスでも貰ったのだろうか。今のバッターボックスに立つ彼女の様子は緊張しているが、しかしどこかリラックスしているようにも、そしてこの場面を楽しんでいるようにも感じられた。
「……っ!」
「っよぉーし!」
美咲ちゃんのバットはしっかりとボールを捉え、そのままセンター前へと一気に運んでいった。美咲ちゃんはそのまま一塁に止まりシングルヒットとなるが、その間にはぐみちゃんは悠々とホームに帰ってきて一点を追加し、これで再び二対二の同点に追いついた。これまでパッとした活躍がなかった美咲ちゃんだが、この大事な一面でタイムリーヒットが生まれたからか、自然とその顔には笑顔が灯っていた。
「奥沢さん……すごく楽しそうですね……」
「うん。僕もなんだかちょっとやりたくなってきます」
美咲ちゃんの心から楽しんでいるのが分かる笑顔に、俺たちの心にも楽しい思いが湧き上がってくる。ハロハピの掲げる目標に違わぬ笑顔の連鎖反応を、あの中で比較的常識人……もとい俺と同じ空気を感じる彼女も起こしたのだと思うと、彼女も紛れのないハロハピの一人なのだと痛感していた。
「……ん?」
しかし味方のベンチも盛り上がりを見せる中でただ一人、あかりちゃんだけは笑顔を浮かべることなく試合を見つめていた。ソフトが楽しくない……とは思えないが、少し気落ちしているのは目に見えて明らかだった。だが考えてもみれば、初心者だったハロハピや愛音が結果を残せているのに対し、未だこれといった活躍のないことに負い目を感じていても仕方はない。このピッチャーから打つためにこれまで努力してきたのに、その成果が未だ出ていないのは堪えるのであろう。
「大丈夫かな、あかりちゃん……」
その後は六番も続けて塁に出た。しかし続くこころちゃんの打った打球が真ん中を抜けるかと思われたが、ふざけたバウンドをする打球が運悪くボールに向かって走っていたショートの方に転換してそのグラブに綺麗に収まり、そのまま二塁を踏んで一塁に送球、ダブルプレーで終わってしまったのだった。
続く五回表。しかしここで相手チームに更に一点返されて三体二。尚もツーアウトランナー三塁のピンチを迎えていた。
「っ!」
「レフト!」
痛烈な当たりがレフトへと持っていかれ、サードランナーは当然ホームに向かって走っていく。ここで二点差はかなりキツいと、誰もが追加点を信じて疑わなかった、その時であった。
「させる……かっ」
前進守備をしていたのが功を奏したのだろう。自身の前に向かう球をワンバウンドで捕り、そして練習初日に見せたあの肩を再び披露したのだ。もちろん狙いはただ一つ、ホームに立つ花音ちゃんに向けてだ。
「かのちゃん先輩! 捕って!」
「ふ、ふえぇ!?」
「(いや無茶な!?)」
直線状に伸びていく豪速球が花音ちゃんに迫る。外野から襲いかかるレーザービームに慄く花音ちゃんには流石に同情する。しかし愛音投げた球は寸分狂わず花音ちゃんの胸元に構えたミットに吸い込まれ、花音ちゃんはそれを落とすことなくそのままミットでランナーをタッチしたのだ。
「っ!?」
「アウト! チェンジ!」
「か、花音ちゃん何とか捕ったな……ってかあいつマジでなんでもありやな……」
『愛音、本当に普段キャッスルドランから出ないの?」
「そ、そのはずなんだけど……」
花音ちゃんが無事だったのは喜ぶべきところだが、しかし愛音の破茶滅茶な運動能力には驚きを通り越してむしろ脱力してしまう。本当にインドアなのかあの子は? 実は裏で筋トレでもしているのではないのか? ここに来てまた一つ愛音という人物のことが分からなくなってきた五回の表であった。
そんな活躍を見せた花音ちゃんと愛音だったが、直後の打席では成績は振るわず、花音ちゃんは三振。愛音も超超特大のキャッチャーフライ(二十秒ほど落ちてこないものだから皆諦めて危うく次のプレーに移りかけたほどのフライ)に打ちとられてツーアウト。
「っ!!」
しかし打順が先頭に戻り、薫ちゃんはシングルヒットで一塁に出塁。意外にもこれが本日初ヒットだ。
そして次は再びあかりちゃんに出番が回ってきた。頼むで……今度こそいいところ見せてくれよ……。
「っ! ……ぅ」
「ストライク! バッターアウト! チェンジ!」
しかしあかりちゃんのスイングは先ほどよりも小さく、自信が無いようにも見えた。そんな彼女のバットにボールが掠ることなく、そしてあえなくランナー残塁で五回裏の攻撃が終了したのだった。
『ちょ、ちょっとどうするのよっ。あかりちゃん全然打ててないじゃない』
「あの子、完全にこの空気に飲まれてるもんね」
「それどころかもう半分諦めてるであかりちゃん……」
アゲハの言う通り、あかりちゃんだけが試合のプレッシャーに押し負けていた。今まで打てたことのない相手というのもあるのだろうが、ここまで自分だけまともに打てていないことが続き、自分は打てないかもと弱気になってしまっているのだろう。周りからの期待にも押し潰されかけているのだろう。そしてその目からは闘志が消えかけ、諦めの色が滲み出てしまっていた。
「……ちょっと……似てるかも……」
「燐子さん?」
その時、ふと燐子ちゃんの溢した言葉に皆の視線が集まる。
「できないって……無理だって自分で決めつけて言い訳していた……昔の自分に……」
今でこそ新しい自分に出会うことを恐れない強い少女であるが、それよりも昔……恐らくRoseliaに出会う前の彼女はそうではなかったのだろう。過去の失敗がどうしてもついて回り、それを振り切ることが出来ずに逃げ続けていた。新しいことに向かい合うことに諦めかけていた。それが昔の燐子ちゃんだった。
Roseliaと出会い、そして麗牙と再び巡り合い、自分を変えるきっかけを掴んだからこそ今の燐子ちゃんがある。しかしその昔の彼女と、今のあかりちゃんは少し似ていると言う。今の燐子ちゃんが心から心配そうにあかりちゃんを見つめているのも、昔の自分を空目して助けたいと強く思っているから故なのだろう。
「ちょっと、話しにいきませんか?」
だからこそ、麗牙がそう提案するのはすぐに予測できた。燐子ちゃんが苦しそうな顔をしているのをコイツが見逃すはずないし、それを取り除くためならなんだってするだろうから。それに恐らく、燐子ちゃんがいなくとも麗牙は動いただろう。
「いいんですか……?」
「うん。僕もあかりちゃんのこと心配だし」
「あ、じゃあ俺も──」
「何言ってんのよ、部外者の男を二人もあの中に行かせられるわけないでしょ。アンタも私とここで留守番よ」
「──って、やっぱそうやわな……」
単なるお節介だが、俺と麗牙もあかりちゃんをこのまま放っておきたくはなかったのだ。もしかすると俺たちは必要なくて彼女たちだけで何とか解決できるかもしれないが、首を突っ込みたくなるのは戦士の性というものだろう。しかしアゲハに止められてここは麗牙と燐子ちゃんに任せることにする。
「この空気で残るの私も嫌だけど……はぁ……いってらっしゃい」
アゲハも行けるならば行きたいだろうが刺客の件もあり、引き続き俺と周囲の警戒に力を注ぐことになった。あかりちゃんと接触することで彼女にまで危険が及ぶ可能性もあるが、ここまですれば敵も燐子が本命だと流石に察するだろう。麗牙も既に視線を感じているようだし、あのバカップルぶりを見せつけていれば今更他の子に危険が及ぶことはないだろう。だが一応は念のためにだ。
「あれ? あかりちゃん……?」
その後の六回表ははぐみちゃんの球に勢いが宿り、無失点で抑えてスカイスターズの攻撃を迎え、それと同時に麗牙たちもベンチの近くまで歩き出そうとした。だがその時、あかりちゃんは未だ重い表情が晴れず、バットを手に持つとゆっくりベンチから離れていくのが俺たちからも見えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はぁ……」
ベンチからバットを持って抜けてきたあかりは、しかしそのままバットを振ることもなくただ立ち尽くしていた。試合を見るでもなく、次の打席に備えるでもなく、試合から目を背けて一人沈み込んでいた。
今もマウンドに立つピッチャーから打つために幾度も練習を重ねてきたのに、一向に結果が出ない。初心者であったハロハピや愛音でさえ成果を出しているのに、自分だけが何もできていないことが惨めに思えて仕方がなかった。何故打てないのか分からず、しかし諦めるためにもそういうものだと決めつけようとしていた。
「素振りしないの?」
「っ、だ、誰?」
重い空気に包まれて一人沈んでいた彼女の世界に突如として声がかけられた。この場にはいなかった男の人の声につられて顔を上げると、綺麗な顔をした一組の男女が自分に近付いてきていることに気が付いた。知らない人に話しかけられて思わず警戒するが、しかし男性の持つ髪の色や纏う空気が、あかりにはどこかで見たことのある気がしていたのだ。
「ごめんね、驚かせて。あかりちゃんだよね。えっと初めまして……愛音の兄です」
「え、愛音さんの……じゃああなたが、麗牙さん?」
「知ってるの?」
「うん。愛音さんから結構話を聞かされてたから。すごくカッコいいお兄さんがいるって」
「そ、そうなんだ……(何を話したのかすごく気になるけど……)」
愛音の兄であることを明かすと、あかりの纏う空気から警戒が解かれていくのが麗牙には感じられた。
愛音は麗牙にはあまり話すことは無かったが、あかりはキバに変身して異形と戦う愛音の姿に随分と入れ込んでいた。それこそヒーローに憧れる子どもそのままであるように、あかりはこの一週間愛音とは何度も会話を交わしていたのだ。
あかりからの愛音への会話はヒーローに対する純粋な質問がほとんどを占めていたが、逆に愛音から話すことのほとんどは自身の兄についてのことであった。自分の兄は強くてカッコいい、音楽の才能に満ち溢れた天才、自分の憧れなど、聞いているあかりが恥ずかしくなるほどの賛美の言葉を並べていた。
そのためか初対面であるはずの麗牙に対してもあかりは怖気付くことなく、それどころか馴染み深いものにすら感じていたのだ。
「お姉さんは……?」
「初めまして……白金燐子です……わたしも麗牙さんも……ハロハピと同じでバンドをやってるんです」
「バンド……麗牙さんたちも……」
自分にとってのヒーローであるハロハピと同じ音楽を奏でる人たちだと知り、あかりの目に僅かに興味の色が灯る。彼らもハロハピのように、誰かのヒーローになる人なのかもと思ったからだ。しかしすぐに目の光は小さくなり、元の暗い表情へと戻ってしまっていた。そんな彼女の様子を見た燐子は、あかりと目を合わせると優しく問い掛けていた。
「あかりちゃん……もしかして無理だって思ってる? あのピッチャーから……打てっこないって」
「っ……どうして?」
皆にもひた隠しにしていた胸中を明かされ、あかりの目が見開かれる。どうして遠くから見守っていただけの彼女に自分の気持ちが筒抜けなのか分からず、あかりは燐子の言葉を待つばかりであった。
「わたしも……その気持ちは分かるから……」
「気持ち……」
「ちょっと前まで……わたし、ある音楽から逃げていたんだ。自分にはあの音楽を聴くことができない……無理だって……自分で決めつけてた……」
燐子の話から、麗牙はそれがブルースカイのことであるとすぐに気が付いた。あの時の燐子も今のあかりと同じ、目の前の大事なことに向き合うことを諦めようとしていた。しかし燐子の苦難はそればかりではない。Roseliaに出会う以前の彼女もまた、自分の殻から抜け出せず音楽への想いを燻らせていたのだから。
「その前にも……自分に新しいことは難しいって……怖くてできないって……言い訳して諦めてた」
「でも今は違う。今の燐子さんは新しいことにも恐れないし逃げない。諦めようとはしない」
「……どうして?」
「……助けてもらったから……麗牙さんにも……周りのみんなにも……だから強くなれた……あかりちゃんも……誰かから勇気をもらってるんだよね……強くなれるきっかけを持っているんだよね……」
「う、うん……」
自分一人では決して変えられなかったことを強調し、燐子はあかりに伝える。あかりもかつて、ハロハピによって勇気を与えられ、笑顔を思い出すことができた。新しい目標を見つけることもできた。そんな強さを手に入れられたきっかけを確かにあかりは持っていたことに今一度気付かされていた。
「それにこれは……あかりちゃん一人だけの戦いじゃないよ……みんなの戦いだと思うの」
「っ」
「だから……怖かったらもっとみんなの声も聞いてみて……みんなの声がきっと……またあかりちゃんの力になるはずだから……」
「みんなの声……」
ピッチャーとバッターの一対一の真剣勝負の中で、あかりには他者を自分の世界に入れる余裕がなかった。緊張と、そして過度な期待が怖くて無意識に耳を塞ごうとしていたのだ。
だからこそ燐子は自分がそうであったように、あかりは今再び周りの声に耳を澄ますべきであることを伝えたかった。自分だけの世界で諦めないで、周りの声と共に立ち向かっていってほしかったからだ。
「でも、最後はあかりちゃんの力だよ……だから──」
しかし、それは彼女に皆の期待に応えさせようとしているわけではない。周りの声はあくまできっかけであり、本当の勝負は彼女自身の力であることを燐子は伝えようとする。
「おや、どうやらクライマックスは既に始まっていたようだね」
「──あ、瀬田さん……」
「あと私も……」
「愛音さんっ?」
しかし燐子が言葉を続けようとしたその時、あかりが心配になって探しにきた薫と愛音が彼らの輪に入ってきた。
「確かに一度バッターボックスに入ればそこは自分と相手だけの舞台に変わる。でもね、これが本当の舞台だったら、それを見てくれている人のことも偶には思い出してほしいと私は思うんだ。私のような役者は、観客を楽しませるために役を演じるんだからね」
「薫、それただの役者の持論……でも言わんとすることは分かる……つまりあかりは一人じゃないってこと……は燐子が言ったなこれ……」
燐子のようにあかりに言葉を授けようとした二人であったが、大事なことを燐子に先に言われていたために苦笑を浮かべていた。しかし薫たちの顔を見たあかりの表情は、みるみると輝きが戻っていくように麗牙には感じられたのだ。あかりにとってはハロハピ、そして愛音は自分を助けてくれたヒーローである。そんな彼女たちの存在は何よりもあかりを勇気付けるものであったのだ。
「もしまた勇気が出ないなら、私たちがまた思い出させてあげるさ。どうだいあかり? あの時の勇気、もう忘れてしまったかい?」
「……ううん。忘れてないよ。今でも覚えてるから」
あかりがかつて薫たちによって与えられた勇気、思い出した笑顔、それらは決して忘れることのないあかりの財産であった。故にそう簡単には記憶から消えたりはしない。薫の問いかけに対して、あかりは目に輝きを灯しながら静かに力強く答えたのだった。
「あの時のみんなは私にとってヒーローだったから」
「よっしゃ……んじゃ今度はあかりがヒーローになろう」
「え、私が……ヒーローに?」
突然の愛音の提案に思考が追いつかなくなり、あかりは小さく首を傾げる。今この場で自分がヒーローになれるということの意味が分からず、愛音と同じように頷いている薫へと目を向けて尋ねようとしていた。
「私たちがあかりまで打順を回す。そして君が決める。なら、この試合のヒーローは君だよ」
「最後に勝てば……今までの負けはチャラ……一丁やったろぅぜ」
「で、できるかな……」
「大丈夫さあかり。言うじゃないか、『閉じ込められている火が一番よく燃える』って。今こそ君の力を見せる時だよ」
愛音の言葉には一理あるが、ことはそう簡単ではない。まず自分まで打順が回ってこなければ何も始まらず、回ってきたところで必ずしも打てるという保証はないのだから。
またも不安に駆られ始めるあかりであったが、その時燐子がある一言を告げた。
「もし周りからの期待が重いなら……あかりちゃん……正射必中です」
それは燐子が麗牙と出会った頃と同時期に、かつて紗夜から教えられたある心構えの話であった。
「正射必中?」
「弓道の教えだけど……正しく射られた矢は必ず的に
あかりが打つために必死で練習を重ねてきたことを聞いている燐子は、あかりの練習は間違いでないことを信じていた。今のあかりは練習のような力を見せていない、本当の力を出せていないだけだと感じていたのだ。バットをボールを当てる当てないの問題ではなく、ここに至るまでの自分の行いをあかり自身に信じてほしいと燐子は願っていた。
「私の努力……間違いのない努力……」
自分の努力を思い返して一人考え込むあかり。しかし、それから時間を置かずして審判の攻守交代の掛け声が麗牙たちにも聞こえてきた。
「チェンジだって……行こ……二人とも」
「ああ、とりあえずこの回をしっかり守ろう」
「うん……あの、ありがとうみんな。燐子さんも……」
「うん……頑張って……」
この回が始まる前よりは幾分か瞳に生気の宿ったあかりを見て、麗牙と燐子はほっと胸を撫で下ろしていた。しかしここから先は自分たちにできることはない。あとはただ見守るだけだと二人は健吾たちの元へと帰っていった。
「僕結局何もしなかったなぁ……」
「そんなことないです……麗牙さんが傍にいるだけで……それがわたしの力になりますから……」
話したのはほとんど燐子たちばかりで、あかりのために何もできなかったことに麗牙は軽く項垂れていた。そんな彼を燐子は役立たずとは言わない。麗牙が傍にいるからこそできることがある。それこそ、今日まで関わり合うことのない初対面の女の子に自分の信念を告げることもできたのだから。
「あ、それとさっきの……正射必中の話。初めて聞いたけど、なんだか僕も勇気が出てきたかもしれません」
「それならわたしも嬉しいです……。前に氷川さんから教えてもらったんです……今でもわたしの心に残り続ける大切な教えで……あの教えがあったから、あのコンクールに出る決意も持てたんです……」
「そうなんだ……正射必中、僕も覚えておきます」
隣で小さく笑う少女の一大決心を固めた大きな教えを、麗牙は心に深く刻み込んでいた。正しい行動をしていれば正しい結果に繋がる。それは王として一族を、果ては世界をより良くしたいと願う麗牙にとっては励みになる言葉であった。自分の行動が正しいのかは自信は無いが、もし正しいのなら自分の望む世界は自ずと訪れる。そんな自信を得たような気がしていたのだ。
「あかりちゃんもきっと、そんな勇気をまたもらったんだ」
守備位置に向かって勢いよく走るあかりの背中を見つめ、麗牙は信じていた。今の彼女から流れる音楽は決して弱くはない。その瞳からは、倒れそうになっても足掻いて諦めようとしない強い光が放ち始めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「プレイ!」
試合は七回裏の最終回。表をはぐみちゃんの好投によって無失点に抑えたが、迎えたスカイスターズ七番のこころちゃんから始まった攻撃も、この回に来てまで相手ピッチャーの見事なピッチングによって呆気なく倒れてしまった。ツーアウトの後がない中、最後のバッターは愛音だった。
「愛音ー! 絶対に繋げよーっ!」
「健吾めっちゃ熱中してるじゃん」
「悪いかよ。このまま終わるのは俺も納得いかへんねん」
このままでは納得がいかないのは僕たちも、そしてあかりちゃんも同じだ。彼女は今日、まだ何も成果を残せていない。今日の勝負のための練習で、先ほどやっと自分の中の勇気を思い出したというのに、ここで終われば彼女の次の一歩がまた遠ざかってしまう。
「ストライク!」
だから打ってくれ愛音……そんな僕の祈りが通じたのか、追い込まれたその時、愛音のバットが遂に火を吹いた。
「っ!」
「ぉいったー!」
大きな当たりは左中間に放たれ、外野は必死でボールの後を追う。その間に愛音は一塁を蹴り、外野がボールに追い付く頃には既に二塁に到達していた。完璧なツーベースヒットで一打同点のランナーが出た。そして打順も四巡目になり、この大チャンスの場面で出てくるのは先ほどシングルヒットを打った瀬田さんだ。ここで彼女が打って愛音がホームに帰れば同点、そしてあかりちゃんに逆転の一手がかかる最高の場面が巡ってくる。あかりちゃんが次の打席に立てるかどうかはこの瀬田さんのバッティングにかかっていた。
「でも、敬遠ってこともあるで……」
「敬遠……?」
「わざと歩かせて次のバッター……つまりあかりちゃんで打ち取りにくるって作戦もあるってことや」
健吾さんの言う通り、今打てている彼女をフォアボールで歩かせて次のあかりちゃんで確実にアウトを取りにくることもあり得る。作戦としてはありだが、しかしあかりちゃんに再び挑戦してほしい僕たちとしてはそちらの方がありがたい。瀬田さんには悪いが、歩かせてくれるのなら歩かせてほしいくらいだ。
しかしそもそも、これは大会ではなく練習試合である。自分の、そして相手の現状の実力を知るための練習でもある。つまり……。
「ストライク!」
「っ、勝負に来たで」
ここで逃げの一手を取る選択はせず、真っ向勝負を挑んできた。ツーアウトということと、更に二打席目に見せた特大ファウルや三打席目のヒットで警戒されているのか、内野外野ともに深めの守備に付いている。何としてもここで瀬田さんを打ち取るつもりであろう。しかし同時に瀬田さんも何とかしてあかりちゃんに繋げようとしているはずだ。何せ先ほど、彼女は約束をしているのだから。
そして……。
「っ!」
何と瀬田さんはバットをスイングすることなく、硬く目の前でバット固め、ボールに当てて転がしたのだ。
「ば、バント!?」
『嘘でしょ!?』
健吾さんとキバーラの驚愕の声が轟くが、しかしこれには流石の相手チームも驚くだろう。ツーアウトでランナーが二塁にいるのに、長打力のある打者がバントを仕掛けてくるなど誰も想像できないはずだからだ。しかも全員が後方守備に転じていたことが功を奏したのか、内野がボールに追い付に送球の体勢に入る前に瀬田さんは一塁を踏み、愛音は三塁に進塁していた。完璧なセーフティバントが決まり、これでツーアウトランナー一、三塁。本当の意味で一打逆転のチャンスがスカイスターズに巡ってきた。その一手は次のバッター……あかりちゃんに委ねられていた。
「瀬田さん、もしかして最初からあかりちゃんに決めさせるつもりで?」
「どういうことですか……?」
「この試合、決めるなら自分じゃなくてあかりちゃんだって瀬田さんは考えてるのかも。それで打つんじゃなくてバントを仕掛けたのかもって」
「それって、見せ場を譲ったってこと?」
真相はどうだか分からないが、結果として今の場面はあかりちゃんの一手で全てが決める局面と言っても違いはないだろう。四死球でない限りは、安打が出ようが出まいがそこで雌雄が決する。
ここまでヒット無しのあかりちゃんに対して逃げの姿勢はあり得ないだろう。マウンドの上からあかりちゃんを一瞥し、ピッチャーは最後の一人を打ち取るべく渾身の球を投げた。
「っ!」
「ファウル!」
「あ、当たった……」
初回ほどの勢いはないが、それでもまだ十分に球速を保ったそれを、あかりちゃんはバットに当てた。バックネットに勢いよく激突する打球にベンチからは歓声が上がり、僕も思わず息を飲んでしまう。ボールをしっかり打てたかどうかはバットから鳴り響く音からも判断できるが、今日一番のまともな音が鳴ったことについ心臓が高鳴ってしまったのだ。
『あかりちゃん……すごい集中力ね』
「周りの声聞こえてないみたいやけど大丈夫なんか?」
「はい……きっと大丈夫です……」
今の彼女には周りの景色は入っていない。同時に相手ピッチャーの凄さも、今は意識の外にあるはずだ。だからまた孤軍奮闘しているのではという健吾さんの心配も分からないではない。
しかし今のあかりちゃんはただ自分のしてきたこと、自分の出せる力を信じて極限の集中状態にある。それこそが燐子さんの告げた正射必中の教えであり、それを感じたのか燐子さんは強い眼差しであかりちゃんの戦いを見つめ続けていた。
「ファウル!」
「っ、追い込まれた」
「でもタイミングは合ってるよっ」
続けて投げられた二球目も先ほどとでバットには当てるが同じ後ろのバックネットに激突し、あかりちゃんはツーストライクで追い込まれてしまう。しかし僅かに芯から逸れてはいるが、タイミングは確かにボールに合っている。そして、一球ならず二球続けてそうなったことも決して偶然ではない。
「ファウル!」
「っ、またや」
再び強い打撃音と共に後ろに逸れていく打球。前までの打席が嘘のように球に当たるようになったあかりちゃんのバッティングだが、それは決してまぐれなどではない。今までとは明らかに違う彼女の大きなスイングがその証拠であった。
「あかりちゃん、急に当たるようになった?」
「いえ……あかりちゃんは……今までずっとああして……努力してきたんです……」
「うん。あれが彼女の続けてきた素振り。正しく歩んできた道の跡……」
今まであかりちゃんは目の前の強敵に萎縮してバットの振りが小さくなっていた。つまりは本来のバッティングができなくなっていた……彼女本来の実力を発揮できていなかったのだ。それが払拭された今、僕たちの目の前で展開されているのはこれまであかりちゃんが続けてきた、間違いのない努力。彼女だけの正しいバッティングであった。
「あれが、あかりちゃん本来のバッティングなんだ」
そしてその努力の先にある答えは、僕の隣にいる
正射必中──正しい行動をしている者には自ずと結果が付いてくると。
そして……。
「……っ!!」
彼女のバットから大きな金属音と、そしてスカイスターズのベンチから大きな歓声が同時に青空の下で轟いた。