ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

136 / 168
『燐子たちに迫る刺客を見事打ち倒した愛音たち』

『しかし! そのうちの一人によってなんと友希那さんが!?』

『意識を失った友希那。一体どうなってしまうのか!?』


第133話 薔薇の音に誘われた者

「……ぅぅ」

 

 目蓋を開けた瞬間、屋内照明の光が視界一面に広がり、それが眩しくて再び瞳を閉じてしまう。しかし直後に聞こえた声によって私はそれに応えざるを得なくなった。

 

「友希那さんっ!」

 

「っ……麗、牙……?」

 

 次に視界に映ったのは眩しい光ではなく、今にも泣きそうな顔をして私を見下ろしてくる麗牙の顔であった。色白の綺麗な顔を歪ませてまで酷くくしゃくしゃになった顔を整えようともせず、彼は私の寝ている枕元で顔を伏せて心から安堵したような息を吐いていた。

 

「ぁ……はぁ……よかった……本当によかった……!」

 

「私は……っ!」

 

 そもそも私はいつどうして意識を失ったのか。それを思い出そうとした時、私は反射的に身体を起こして首元に手を置いていた。私が気を失う直前に見たのは、私の名を叫んで駆けつけてくる麗牙の姿であり、そして感じたのは首元に襲いかかる鋭い痛みであった。それ以降の記憶はないが、恐らくその痛みが原因で私の意識は深い闇の中にいたのだろうと、何故か異様に冴える頭で推測していた。

 

「あれ……何も感じないわ」

 

 あの時に感じた痛みは確かに記憶には刻まれている。深く鋭く、肉や骨だけでなく魂までも突き刺すような重く冷たい記憶は間違いなく残っていた。にも関わらず今の私の首元に痛みは存在しないし、触っても傷痕のようなものは一切感じられなかったのだ。何度も首に手を当てては離すという動作を繰り返し、私は麗牙に疑問の目を向ける。

 

「やれるだけのことはやりましたから……」

 

 泣きそうな表情を崩さないまま麗牙は静かに明かし、それで何となくは察することができた。私のために彼がいろいろと施してくれたのだろうと。ファンガイアの魔術やら何やらで、そうでなければ恐らく出血までしていたあの傷と痛みを完全に消すなんて不可能だろうから。

 

「? ……ちょっと待って麗牙」

 

 しかし、その時になってようやく気付くことがあった私は直ちに麗牙に問い質そうとした。どうしても無視してはいけないと思われる今の自分の現状についてだ。

 

「ねぇ……何、この服……?」

 

 今来ている服だが、今日自分が着ていたものとは違う服に変わっていたのだ。スカートこそ自分のもので間違いないが、気を失っている間に私のブラウスは見覚えのないぶかぶかの大きな青いシャツに変わっていたのだ。

 まさかとは思うが、恐る恐る麗牙に尋ねる。

 

「友希那さんの服、血が付いてたから今洗剤に浸けていて──」

 

「脱がしたの?」

 

「──ぇ……え?」

 

「脱がしたのよね?」

 

「ぁ、えっと……傷も見たかったですし……」

 

 否定しないということは私の予想は的中したようだ。これも今気が付いたことだが、ここは麗牙の家であった。ここに連れてきてすぐに私のブラウスを脱がし、そして今は彼のシャツを私が着ているということなのだろう。しかし問題は服が変わったことではない。服を着替えさせる過程で当然触れることになる問題があるはずなのだから。

 

「見たのは本当に傷だけ?」

 

 何をとは直接彼には言わない。ブラウスを脱がすということは当然私の下着も見ることになる。それを無視できるはずもなく、私は目を背けようとする彼に迫って問い詰めていた。

 

「えっ、いや、見えたっていうか……」

 

「……見たのね」

 

「で、でもっ、やましいことなんか何もしてませんからっ。そんな余裕全然無かったですからっ」

 

「燐子と違って貧相だったでしょ」

 

「はい……ぁ、いやっ……」

 

「……本当正直ね。嫌いじゃないけど」

 

 余裕がないと言いながらばっちり見ている麗牙にはため息しか出なかった。本来なら女性として怒るところなのかも知れないが、私のために必死になっていただけに怒るに怒れない。だから今回の件は不問にしようと考えていた(燐子と比べられた件についてはまた別の問題だけど)。それに……。

 

「(悪い気はしないわね……)」

 

 彼に下着を見られたことについては意外にも嫌悪感はなかった。それどころか……こう言うと誤解されるかも知れないが、どこか高揚感みたいなものがあった。今も胸の奥が熱くなるのは恥ずかしさからだと思っていた。しかし私には、他に別の言い知れぬ感情があるような気がしてならなかったのだ。

 恥ずかしいのに嫌だとは思えない……そんな訳の分からない感情に意識を向け、思慮に浸っていた時であった。

 

「でも──」

 

「っ!?」

 

 私の手に突如訪れた心地の良い温もりに意識を向けると、麗牙が私の手を優しく両手で包み込んでいたのだ。突然のことで反応できず、しかも彼の体温が伝わってきて気が動転しそうになっていた。何故彼に触れられただけでこうと胸が高鳴るのか分からず、またそれを心地よく感じている自分のことも分からなくなってくる。表には出さないが言葉も出せないくらいに気が動転している中で、しかし麗牙の優しい声が聞こえてきた。

 

「友希那さん……本当によかった……」

 

「麗牙……」

 

「ごめんなさい……痛い思いをさせて……本当にごめんなさい……」

 

 麗牙は私の手を顔に寄せ、吐き出すように安堵も謝罪の言葉を何度も口にする。私の手を包む彼の手が震えているのが分かり、これほどまで彼に心配をかけてしまったのだと痛感させられていた。それと同時に、私のためにそこまで本気で想ってくれていたのだと思うととても嬉しくなってしまう。今の私が彼にとってそれほど大事な存在なのだと感じ、満ち足りたような気分にもなっていた。彼に認められているという実感があるだけで、今は他のことがどうでも良くなってしまいそうな心地であった。

 

「そんな顔しないで。私は何ともなかった、だから今日はそれでいいじゃない」

 

「友希那さん……」

 

「またあなたが助けてくれた。それだけで嬉しいわ」

 

 悪いことをして怒られた子どものような顔をする麗牙がどこか可愛く思えたからか、慰めの言葉も年下をあやめるような言い草になってしまう。彼の幼さが残る顔つきのせいもあるのだろうが、リサが以前「世話してあげたい」と言っていた意味が今は少し分かる気がしていた。

 

「……それにしても……あなたの家も久しぶりね」

 

「あはは、確かにそうですね」

 

 彼のためにも話題を変え、周りの景色へと視線を移す。一階のリビング、麗牙のベッドの上に私は眠っていたようだ。今更ながら彼のベッドに寝ているという事実だけで胸が詰まるような感覚に陥るが、それを無視するように他の景色へと目をやる。何度となく訪れては彼と共に音楽を作っていた家屋の様子を……。

 

「もうこんな時間なのね」

 

 時計を見るとまだ九時は過ぎていないことは分かったが、それでも十分家族に心配をかけている時間であることには違いなかった。今から連絡して帰ることだけでも伝えないといけないはずであった。

 

「……ねぇ、麗牙」

 

 しかしそう思い至ろうとしたところで、ふと私の心に悪魔が舞い降りてきた。

 

「もし今、私が何かわがままを言ったら……聞いてくれるかしら?」

 

「はい。僕に叶えられることなら何でも」

 

「何でもね」

 

「はい」

 

 私に対して罪悪感を抱いている麗牙ならそう言うだろうという確信があった。

 

 私もどうかしているとは思うが、こんな機会はもう訪れないだろう。

 

 恐らく彼はもう私一人を家に呼ぶことはしないだろう。

 

 しかし彼とまた音楽を……誰にも邪魔されず音楽を共に作るとしたら今しかないと、そんな思いから咄嗟に出た言葉であった。

 

 

「まだ少し……辛いみたい。外に出るのも今は……」

 

 

 身体はすこぶる調子がいいのに都合のいい嘘をつく。

 

 それでも麗牙は私の嘘を見抜くことはない。

 

 私のことを正直者だと彼は信じてくれているから。

 

 

 そして──

 

 

 

 

「だから……このまま泊まってもいいかしら?」

 

 

 

 

 後にも先にも、二度と使うことのないであろう言葉を口に出していた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 ザザーッ、と浴室の方で湯船からお湯が溢れ出る音が響いてきていた。無論リビングにいる僕が風呂に入れるわけがない。今この紅家の湯船に浸かっているのは、今日この家に泊まることが決まった友希那さんであった。

 

「(いやいやいやでも待ってこれバレたらどうなるの僕? 愛音には軽蔑されるだろうしアゲハには殺されかねない。何より燐子さんに知られたら見限られるかも……っ)」

 

 それほど不安なら断ればいいと誰もが思うだろうが、実際このまま彼女を帰すのも不安要素が多すぎるのだ。

 まず既に時計は夜の九時を過ぎている。そんな時間に女子高生がまだ家に帰っていない時点で怪しまれるのが筋だ。こんな状態の友希那さんを一人で家に帰すのも論外だし、自ずと僕も付いて行かなくてはなくなる。そして彼女の家族に「怪物に襲われました」や「怪我を負いました」なんて説明できるだろうか。無理だ。だから先ずその時点で僕らは嘘を付かなくてはならなくなる。

 それをクリアしたとしても、こんな時間まで盛りの付いた男女が二人で何をしていたのかと聞かれてしまえばそれまでだ。何が悪いかと言うと恋人同士でないのが尚悪い。交際もしていない男女が夜遊びなんて正直洒落にならないし、もし僕が娘の親なら相手を殴り飛ばすかもしれない。

 だったらいっそのこと、友希那さんには友達の家に泊まる体を成してもらって、家族を説得して明日の朝に帰る方が問題を起こさずに済むと思ったのだ。

 

 そして何よりの問題が彼女の容態だった。彼女の身体の治りが異様に早かったのも僕の術やキャッスルドランの薔薇の花弁が効力を生じたことも理由の一つだが、それに加えてもう一つある。

 友希那さんが倒れた時、あまりにも気が動転していたために僕は彼女の傷口に吸命牙を突き立て、僕自身のライフエナジーを彼女に注入(・・・・・・・・・・・・・・・・・)していたのだ。今考えても本当に馬鹿なことをやったと思うがもはや取り消せない事実だ。そもそも彼女が僅かでもライフエナジーを吸われたかどうかすらも分からないのに……まあ、おかげで彼女の意識は僕が想定したよりも早く目覚めたのも事実だ。

 しかしファンガイアの僕のライフエナジーを人間である友希那さんに与えるなんて前代未聞のことをしでかしたために、彼女の身体に何も起こらないとは限らない。故に彼女から片時も目が離せないというのが彼女を泊まらせた最大の理由だ

 

 なんて長々と言い訳を連ねたけれど、結局は彼女のわがままを承諾したのは僕だ。それも独断で。今回のことは仲間内の誰にも知らせていないのだ。

 アゲハや大ちゃんたちには最後の一人を倒したことだけしか伝えているため、彼女たちは友希那さんの身に起きたことは知らない。誰にも連絡も報告も相談もなし、正に組織の人間としての最低を地で行っているといっても過言ではないだろう。

 そんな風に自分を卑下し続けないと、燐子さんの悲しむ顔が浮かんで仕方ないのだ。

 

「(とりあえず友希那さんを待つか)」

 

 いつまでも一人で悶々としていても仕方がないため、今は友希那さんが風呂から上がるのを待つしかなかった。下着に関しては洗濯と同時に乾燥機を起動させているから、彼女の風呂上りと同時に再度身に付けられるようにはなっているはずだ。ついでに血の落ちたブラウスも同時に洗濯しているから、明日は今日の格好のまま家に帰れるだろう。

 寝巻きに関しては彼女には悪いが大きめのシャツとジャージで我慢してもらおう。ちょうど健吾さんの師匠がくれた特異な数字の書かれたTシャツがあるし。

 

「(でも……)」

 

 ──『あなたの父の曲作りは続けるのよね? 私は……まだ必要かしら?』

 

 ──『もう長いことあなたの家で曲を作っていないって』

 

 僕も随分彼女を待たせていたものだと、彼女の言葉から改めて思い返していた。

 

 あれはそもそも僕のお願いから始まったのだ。あの時は今とは逆で、僕が友希那さんによって気を失い、そこから目覚めた後に彼女にお願いをした。僕が望んで始めたことのはずなのに、いつの間にか友希那さんまで夢中になって曲の意見を出していたことを思い出して思わず笑みが溢れてしまう。

 僕がこうしたいと言えば友希那さんは別の視点から新たな音楽を追求してくる。逆もまた然りだ。音楽性や音楽に求めるものの違いなどではなく、僕らが似ているからこそのぶつかり合いだったのだろう。

 

 それに……。

 

 ──『あなたの音楽の才能は私が認める』

 

 ──『あなたの音楽の才能は自身の出生や特異性なんかに塗り潰されるものじゃない』

 

 ──『あなたの音楽には皆を惹きつける力があるわ』

 

 思えば僕の音楽に対してあそこまでいろいろ言ってくれる人なんて今までいなかった。健吾さんや、それに父さんにだってそこまで褒められた記憶はない。友希那さんの心に流れる音楽がその証拠であるように、嘘偽りのない僕の音楽への称賛はとても心地が良かった。僕の音楽の才能を心から褒めてくれる彼女の言葉に僕は何度もいい気分にさせられてきたものだ。

 

「明日、一緒に父さんの曲作りやろうかな……」

 

 だからであろう、そんな言葉がふと口に出ていたのは。せっかく泊まるのなら、明日の朝から一緒に曲作りをするのも楽しいかもしれない。

 彼女と共に時間は何かと気分がいい。僕の存在、才能を認めてくれる人との作業ほど楽しいものはない。彼女を待っている間のこの時間は、それを改めて感じるために有意義な時間となっていた。

 

「その言葉に二言はないわね?」

 

「っ」

 

 穏やかに思考に浸かっている最中、突然後ろから友希那さんの言葉に驚いて勢いよく振り向く。そこには風呂から上がり火照った顔を見せる友希那さんがそこにいた。僕の用意したシャツやジャージを着てラフな服装になっており、髪も既にドライヤーで乾かし終えているようだ。

 

「もう上がっていたんですね」

 

「ええ。あんな大きな湯船とは思わなかったけど。乳白色で、おまけに薔薇の花弁なんてお風呂初めてよ」

 

「ふふ、我が家自慢の風呂ですから」

 

 友希那さんに向けて胸を張って言い張る。何せあの風呂場は僕のお気に入りであり、この家にずっと居たい理由のベスト三には入っているほどの名所(?)なのだから。薔薇の香りによってリラックスできるからか、不思議と嫌な思いも晴れていく最高の癒しの空間だ。

 

「それよりも麗牙。今の発言、まさか撤回したりしないわよね?」

 

 だが友希那さんにとって今は風呂よりも音楽が大事なようで、あっさりと僕の自慢もスルーされてしまう。そしてさっきの発言──明日彼女と共に作曲を行う件に関してだが、もはや聞かれた以上は撤回はできない。それに彼女とまた作曲したいという気持ちも嘘ではないのだから、今更その気持ちに蓋をすることもできなかった。

 

「はい。随分待たせてしまいましたけど、またお願いします」

 

「そう……それなら行きましょう」

 

「え……えっ? 今からですかっ?」

 

 先ほどの独り言で僕は「明日」と言ったのに、友希那さんは表情を崩すことなくさも当然と言わんばかりに僕を二階の作業部屋に上げようとしてきたのだ。まさか今からするものだと思われている? いやそうだとしても人間がこんな夜から活動的になるものか? 突然の誘いに面を食らいながらも、一応は介抱されている身の彼女を宥めようとする。

 

「もう夜ですよ?」

 

「何故か元気が出てきたのよ。動かないと気が済まないような感じね。あの風呂のせいかしら」

 

「さ、さぁ……(ごめんなさい僕のライフエナジーのせいかも)」

 

 しかし友希那さんは寝るどころか元気が有り余っている様子で、いつもの強い眼差しを浮かべて僕を見据えていた。多分僕のせいだ。ファンガイアのライフエナジーを人間に移したことで友希那さんの身体は一時的に夜型になっているのかもしれない。軽はずみなお医者さんごっこで無闇に行動した自分を内心で責めていた。

 時計では既に夜の十時を過ぎている。気持ちはともかく身体の方が何ともないとは限らず、友希那さんの体調が心配だった僕はそのまま彼女を寝かせようとする。

 

「今日はもう寝てください。明日の朝から──」

 

「このまま寝るなんて、そんなつまらないことがある? それとも、やっぱり私のわがままは聞けない?」

 

「ゆ、友希那さん……?」

 

 やはり何か変だ。僕のライフエナジーのせいで元気が有り余るだけならいいが、それで友希那さんがこんならしくないことを言うだろうか?

 

「あなたは父の曲を完成させたくないの?」

 

「それはもちろんそうだけど、でも友希那さん今は──」

 

「私は完成させたい。聴きたい。知りたいの。私たちの作り上げた音楽がどのように世界に響き渡るのか。あなたの才能がどこまで昇り詰めていくのか」

 

「え、ちょ、友希那さん……?」

 

 声色は静かだがどこか興奮気味に僕に迫る友希那さんは、机に手を付けて僕に寄りかかり、次第に顔を近づけてくる。風呂上がりで全身が火照っているためか顔はピンクに染まり、ほのかに薔薇の香りが漂ってくる。

 

「前にも言ったわよ。私はあなたの才能を認めていると。そんなあなたと二人きりで音楽に没頭できる機会はもう無いと思ってる。分かるかしら?」

 

「えぇと……」

 

 友希那さんとの距離は更に縮まり、彼女が話すたびにその息が僕の肌に触れるまで迫ってきていた。鼻と鼻の間が拳一つ分ほどもなくなり、くしゃみでもしようものならそのままキスしてしまいそうな距離で友希那さんは語り続ける。本当にいつもの友希那さんらしくない、追い詰められたような辛い音楽を奏でながら……。

 

「私のわがままよ……お願い麗牙……」

 

「……」

 

 寂しそうに告げる友希那さんの揺れる瞳に、僕の視線は自然と吸い込まれていた。

 

「(友希那さんのこんな目、初めて見る……)」

 

 今まで僕が見てきた友希那さんは、何事にも決して揺らぐことなく、自分の意思を貫き通す強かな人であった。決して人に弱みを見せようとせず、常に自分にも厳しくしてきた強い信念を持つ少女。それが僕が彼女に抱いていた印象だ。

 しかし今僕の目の前にいるのは、そんな強さを感じさせない一人の少女の姿だった。まるで欲しいものが目の前にあるのに買ってもらえない幼い少女のような頼りない瞳を浮かべて僕にせがむ友希那さん。彼女の言葉をそのまま鵜呑みにするなら、その原因は僕の音楽の才能とやらにあるのだろうが……。

 

「友希那さんはどうしてそこまで僕の音に?」

 

「……それは──」

 

 僕の音楽の才は友希那さんをそこまで弱々しくしてしまうようなものなのだろうか。ただ単に僕の音楽が好ましいだけではないのは何となく感じていた。ならばその先にある彼女の本当の想いとは何なのか? それを知りたくて僕は彼女に尋ねていた。

 

 

 ♬〜

 

 

「──っ?」

 

 しかしその時、玄関のチャイムの鳴る音が屋敷内に静かに鳴り響いた。予想だにしない音に驚いた僕たちは肩を跳ね上げ、すぐさま近付きつつあった互いの距離を離していた。

 

「だ、誰だろう?」

 

 しかしこんな夜にこの家に訪れる人なんて限られている。愛音かアゲハ、或いは次郎か大ちゃんだとは思うが、この状況で来られるのは少しマズい。友希那さんが泊まっている様子なんて見られたら勘違いされて軽蔑されるのがオチだ。

 

「とりあえず出てきます。友希那さん、一応隠れていてください」

 

 身内ならばもちろん彼女の姿を見せるわけにはいかないし、万が一敵ならばなおのこと知られるわけにはいかない。何が起こるか分からないため、友希那さんには隠れていてもらうように指示する。

 そして僕は息をついて気を入れると、玄関に立ち外で待つ人物の顔を扉の覗き穴から確認しようとした。

 

「(……誰だ?)」

 

 しかし僕の予想に反し、扉の前にいるのは僕の知らない男の人であった。

 髪は黒くて細身で背が高く、全身黒のコーデに包まれた姿が様になっており、一瞬モデルの人かと思ったほどだ。一見二十代かと思えるほど若々しく見えるその人であるが、よく見ると目の下のしわや顎に生える細かい髭があったりと実際の年齢はもっと上であることが窺える。少なくとも僕らより歳上であるのは確実であろう。

 

「(でも……なんか、いい音楽だ)」

 

 この正体不明の男性が何の目的でこの屋敷を訪れたのかは不明だ。しかし男性からは敵意は一切感じられず、また彼の心から聴こえる心地良い音楽に僕の心からも警戒の念が薄れていこうとしていた。

 

「あの、どちら様でしょうか?」

 

 そして意を決して戸を開け、隔てるものがなくなった僕と男性は向かい合っていた。直に目にするとやはり立ち姿はカッコよく見えるし、彼の奏でる心の音楽もより鮮明に聴こえてくる。どこかで聴いたことのあるような心地の良い音楽に心奪われそうになった時、男性は僕に話しかけてきた。

 

「こんな夜遅くにすまない。俺を呼ぶ薔薇の音がどうしても止んでくれなくてな」

 

「え?」

 

 話し出したかと思うと、まるで知り合いに話すかのように僕にそう告げる男性。僕にこんな知り合いはいたかと一瞬疑問に思うが、それに続く彼の言葉で思考が一瞬止まってしまった。薔薇の音……僕がそう形容できるのはブラッディ・ローズの奏でる調べのことだ。しかしアレが聴こえる人は限られている。僕と、僕の両親と愛音、そして例外として友希那さんだけだ。だからこの男性がブラッディ・ローズの音が聴こえたとは考えられなかった。もし本当に聴こえていたならば、彼はあの名器のことを知っているということになるのだから。

 謎に包まれた男がここにきた目的に耳を傾けようとして、しかしその直後に起こる出来事に僕は驚愕で叫び声を上げてしまうことになった。

 

「多分、ここにいると思うから呼んでくれないか」

 

「呼ぶって、一体何のことですか?」

 

「……ゆ──」

 

 

「お父さんっ?」

 

 

「友希那さ──ぇ、お、おと……え? ……ぇええっ!?」

 

 お父さん!? え、この人が友希那さんの父親!?

 

 あ、ヤバい。よりによって父親って、この状況から考え得る限りの最悪の人物じゃないかこれ!?

 よく考えもみてほしい。大事な一人娘が夜泊まっていくという連絡がきて、その相手が男だった場合父親はどういう反応をする? 普通怒るよね? 相手の家に乗り込んでもおかしくないよね? そして殴っていくよね? そんなシナリオが頭の中で組み上がって戦慄している僕を他所に、友希那さんは玄関にやってきて父親と対面していた。

 

「そんな気はしていたが、まさか本当にな」

 

「どうして? ここだって話してないのに……」

 

「彼にも言ったが、薔薇の音に誘われたんだ」

 

「それって、ブラッディ・ローズ……?」

 

「……」

 

 友希那さんの質問に対して彼は肯定も否定もしなかった。その無言が全てを物語っているようにも思えなくはないが、おかげでますます彼についての謎が深まっていくばかりであった。何故友希那さんの父親がその名を知っているのか。何故友希那さんと同じくブラッディ・ローズの音が聴こえて、この屋敷にまで辿り着くことができたのか。しかし状況が状況だけに、僕の方から質問することは非常に憚られていた。

 

「……」

 

「(すごく見られてる……)」

 

 沈黙で彼女の問いに答えた後、湊さんは僕を観察するようにじっと見つめていた。当然物申したいことでもあるのだろう。事情はどうあれ、僕が友希那さんを囲ったように見えることに変わりはないのだから。何かトラブルに発展しそうだと身構えていた時、彼は静かな口調で告げていた。

 

「……娘が世話をかけた。帰ろう、友希那。母さんも心配している」

 

「え?」

 

 予想に反して全く敵意を感じさせない湊さんの声色に調子を崩されてしまう。一人娘を泊めようとした不届き者を殴りにきたわけではない? 僕の考えすぎ? などと呆気に取られていたが、その時彼の言葉を受けて迷いの音を奏でている友希那さんに気付いた。

 

「今帰るのは、その……」

 

 久しぶりに共に曲を作ることができると意気込んでいたからか、それが止められることに抵抗しようとしていた。本当に今日は彼女の珍しい姿ばかりを目にするものだと感慨に浸るも、こうなっては僕も彼女を引き留める理由がなくなってしまったのも確かだ。だから彼女には悪いがここはお引き取り願おう。彼女の中のライフエナジーも恐らくもう大丈夫だろうから。

 

「その方がいいと思います友希那さん。作曲なら、またできますから」

 

「……その言葉信じるわ」

 

 流石にそれ以上駄々をこねるということはなく、すぐに観念した友希那さんは荷物を纏めにリビングへと戻っていった。

 

「……」

 

「……」

 

 そして僕と湊さんは玄関で二人きりになってしまう。正直僕としては非常に気まずい。彼女に危害を加えるようなことは一切していないが、彼女の身に起きたことを考えると親である彼に対して申し訳なさが生まれてくる。その経緯を話していいのかも分からず、一人気まずさを感じながらしかし何かを話しなければと思考を働かせようとする。

 

 しかしその時、湊さんは僕に向けて話しかけてきた。

 

 

「一瞬オトヤに見えたが、どちらかというとマヤに似ているな」

 

 

「え……」

 

 開かれた彼の口から、予想だにしない人物の名前が飛び出してきた。

 

 オトヤとは間違いなく僕の父さんの名前だ。世界的に名の知れたヴァイオリニストだから、どこの誰が知っていてもおかしくはない。

 

 しかしマヤ……母さんの名前が出てくることは完全に想定外だった。

 

「(母さんを知っている? しかも僕が二人の子どもだということも?)」

 

 驚愕から目は見開いたまま、しかし思考はどんどん闇の中へと入り込んでいく。人間である彼がどこでそのことを知ったのか気になり、もう一度今の発言を聞き直そうとした。

 

「あの、今──」

 

「麗牙、この服だけど借りていってもいいかしら?」

 

「──っ、あ、はい。いいですよ」

 

「ありがとう。また返すわ」

 

 しかし戻ってきた友希那さんによって言葉が遮られ、質問を投げ掛けることができなかった。あんなシャツでいいならいくらでも(本当に何枚も置いていったから健吾さんの師匠(あの人))貸しても問題ないが、今は湊さんの言葉の意味が気になってそれどころではないのだ。

 

「行こうか、友希那」

 

「ええ……麗牙?」

 

「ぁ……いや、何も」

 

 再び問いかけようとしたが、既に彼らは帰る素振りを見せていた。夜も遅く、それを無理に引き止めて僕のわがままを聞いてもらうのも気が引けるため、ここはぐっと好奇心を堪えて身を引くことにした。

 

「今日はありがとう麗牙……また、ね」

 

「はい。また」

 

 靴を履き、玄関戸から外へ出ていく友希那さんたちを僕は追えない。扉が閉まる直前に彼女からのお礼を受け取り、そのまま扉が閉まって二人の姿は完全に見えなくなってしまった。

 

「……」

 

 玄関が静かになっても、僕はしばらくの間その場から動くことなくじっと立ち尽くしていた。無言で思慮に浸り、ある一つのことだけを考えていた。

 

「何者なんだ……あの人」

 

 友希那さんのことが心配でないと言えば嘘になる。しかし今は彼女以上に僕の心を騒ぎ立てる存在がいた。

 突然僕の目の前に現れた、父さんと母さんを知る男。薔薇の音が聴こえる人。友希那さんの父親。

 僕の知らない繋がりが意外なところにあることを知りつつも、今はその先を知ることはできない。そんな歯痒い思いに包まれながら、夜は静かに更けていくのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。