ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『燐子の前に突如現れたレジェンドルガ』

『しかし、なんとソイツは燐子さんを拐おうとするどころかその命を奪いにきたのです!』

『果たしてその目的とは一体……?』


第137話 花か木か

 晴れ渡る青空の下、緑が生茂る丘の上。眼下に広がる自然が溢れる景色を一人の少年と一人の女性が眺めていた。

 

『今日の講義はここまでです。どうですか麗牙様? 偶には外に出て自然と触れるのも悪くはないでしょう?』

 

『……そうかも……知れないですけど』

 

 古き追憶の世界の中で、幼き日の麗牙は完全にら納得していないという顔を浮かべて一応の同意をしていた。いくら信用している先生とはいえ、外に出る自分をやや強引に外に連れ出して屋外授業を始めることに関しては手放しで許すことはできなかった。だからこそ、言葉を濁らせることが当時の彼にとってのささやかな抵抗であった。

 

『私の話した内容、聞いていましたか?』

 

『はい……全部記憶しています……忘れそうになったらまた部屋で勉強します』

 

『う、う〜ん……麗牙様、自然の偉大さ尊さは部屋の中にいるだけでは完全には理解できません。偶には外に出て、今日みたいに触れ合うことも重要なことですよ。本だけでは分からない事細かな体験は、それだけで大事な財産になりますから』

 

『先生は……自然が好きなんですね』

 

『はいっ。この目に映る景色を作り出すあらゆるものが……空に大地、草木や花に空飛ぶ鳥、もちろん人もですけど、そういう世界を構成する自然が好きなんです』

 

 新子の授業をいくつも受けてきた麗牙であったが、今日のように嬉しそうに語る彼女を見ることは多くはない。そのいずれもが生物や地学などの自然に関係する学問であり、それらを語る時、先生はいつも楽しそうであることを麗牙は思い出していた。

 

『じゃあ……この中で先生が一番好きなものって何ですか……?』

 

 色取り取りに彩られた景色を眺めながら、麗牙は新子に尋ねていた。自分にとってはまだありふれた景色でしかないこの風景にもきっと彼女の好きなものはあるのだろう。ふとそんな確信を持った麗牙は、何気なしに新子に目を向けていた。

 

『そうですね……私は……桜かな……』

 

『桜……』

 

 眼下一面に広がる桜の木々を視界に収めながら、新子は愛おしそうに呟いていた。並々ならぬ想いが彼女の中にあるのか、その名を告げる時の彼女の横顔は慈しみが込められた綺麗なものであった。心の底からの笑顔と心の音に感化され、そして彼女の静かに物思いにふける横顔に見惚れ、麗牙はそれ以上は何も言えなくなっていた。

 

『……では戻りましょうか麗牙様』

 

『ぁ……はい……』

 

 彼女の幼き追憶の中で麗牙に笑いかける新子は、この星に生きる命を愛する心優しい人であった。現在の紅麗牙の人格を形成する上での要になった存在と言っても過言ではなく、その優しさに触れて彼は生命の尊さを知っていくことになるのである。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「桜……」

 

 昼休みの校舎から眺める景色では、桜の花びらが止まることなく舞い散っていく。先生との思い出を振り返っていたからだろうか、その舞い落ちる様を見て感傷的になってしまってた。

 

「紅」

 

「ぁ、先生」

 

 ぼぅっと桜が舞い散る様子を眺めているだけの世界に声がかけられ、ようやく桜の呪縛から逃れることができた僕はその声の主へと振り返る。僕を呼んだ渋く低い声の正体は、担任の籐郷先生のものであった。僕よりも長身でがっしりした身体を持つ如何にも体育会系の見た目をしているが、専門は生物である。そして以前にも言ったがファンガイアでもある。

 

「桜を見て黄昏ているとは珍しいな」

 

「あ、いえ……もう随分花びらが無くなったなって」

 

「今年は全国的に温かくて早咲きだったからな。もって今週いっぱいかもしれん」

 

「儚いですね……」

 

 などと柄にもなく瀬田さんみたいなことを口にしつつ、改めて散りゆく花びらへと想いを馳せる。切なく散りゆく姿に情緒が沸き立てられるが、新子先生はそんな姿を見て桜を好きと言ったのだろうか。綺麗で可愛らしい桜が、ゆっくりと散っていき、既にその輝きの終わりが見えている。そんな桜の美しさと儚さの狭間に、僕は僅かに死の恐怖のようなものが感じられたのだ。

 

「散ったら終わりなのに」

 

「終わりじゃない」

 

「え?」

 

「生きていれば来年また会うことができる。毎年晴れ舞台になると輝こうとする。それが桜の……花咲せる木の良いところだ」

 

 籐郷先生の話す内容に少し驚き、思わず彼の顔を見上げていた。少なくとも僕が考えていたもの……いや、教えられていたものとは違うものだったからだ。

 

「……僕の知っている人とは違うことを言いますね」

 

「ほう、その人は何て言うんだ?」

 

「来年に咲くのは違う子だって。一度だけ生きて死んでいく。そこが命の尊いところだって、昔の先生が……」

 

 命は一度きり。その中でどれだけ自分を輝かせることができるかが大事なのだと、そんな教えを僕の記憶の中の彼女は語っていた。だからこそ一つしかない命を守ることに僕は必死になっていたのだ。

 

「間違ってはいないかもな。学術的な意味じゃなく世相の捉えの違いというところか」

 

 二人の考え方の違いはすぐに分かった。新子先生は花の一つ一つを命だと考えて、儚く尊いものだと感じている。籐郷先生は木そのものを命と見て、力強いものだと感じている。学術的なことで考えればどちらが正しいのかはすぐに分かることだが、籐郷先生の言う通り物事の捉え方に直結しているのだろう。

 

「それに、その考え方自体は俺も好きだ。良い先生だと思う」

 

「ありがとうございます。でも僕は籐郷先生の考え方、とても希望があって好きです」

 

「ふ、嬉しいよ」

 

 新子先生の考えを否定しない籐郷先生を嬉しく思うと同時に、彼の考え方が好きであることも伝える。命は尊いだけでなく力強くもある。桜の花は死んでいるのではなく、何年何十年も生き続ける木が見せる一面なのだと思うと楽しくなっていた。

 

「形を失うことは死じゃない。そこに生きる意志が……魂が残る限り生命は生き続ける。俺はそう思いたい」

 

 変わらず散り続ける桜に向け、先生はそう静かに語っていた。その言葉が印象的で、僕は心の中で彼の言った言葉を復唱していた。

 

「(形を失うことは死じゃない……)」

 

 ファンガイアの死生観を省みた時、どちらかといえば新子先生の考え方の方がしっくりくるのかもしれない。ファンガイアの儚い散り様と共に一生を終えていく様子は確かに花の終わりにも似ている。だからこそ籐郷先生の考え方はある意味でファンガイア離れしていると思うし、しかし希望に満ちていてとても好意的に感じていた。

 

「ありがとうございます先生。なんだか少し胸が軽くなった気がします」

 

「それは結構。だが、きっと苦労するだろうな、将来のクイーンは」

 

「……」

 

「どうした?」

 

「いや、先生がそういうこと言うの珍しいなと……」

 

 真面目な性格の先生であり、人の諸事情に対して突っ込んで来ないのが彼の良いところでもある。そんな先生が僕の将来の相手について言及することが意外でつい言葉が詰まってしまったのだ。

 

「一応、俺たちの新しい女王様ってわけだ。そりゃあ気にならないはずがない。下手すれば死活問題だし」

 

「し、死活問題って、燐子さんはそんなこと──」

 

「ほぅ、名前は初めて聞いたな」

 

「──あー……」

 

「ははっ、いや悪いな紅。珍しくお前と植物の話できて嬉しかったからついな」

 

 珍しいのはこちらの方だ。籐郷先生の笑い声なんて滅多に聞いたことがないのに、それをこんなことで出されるとは思わなかった。それに人間社会に溶け込んでいるが彼も一介のファンガイア。次期クイーンである燐子さんのことも少なからず気になってもおかしくはないだろう。

 

 ……いや、先生でこれなのだから、もう全てのファンガイアがそういう意識だという認識でいた方がいいのかもしれない。彼の言う通り燐子さんとの関係は、僕たち二人だけの問題で終わることでは無いのだから……。

 

「じゃあな紅。彼女とは仲良くな」

 

「は、はい……」

 

 予想外にペースを乱されてしまったが、その当人である先生は颯爽と階段へと消えていってしまった。昼休みの終わりまでまだ時間はあるが、健吾さんがいない以上一人で歩いていても退屈なだけだ。

 そして踵を返して教室に戻ろうとした時だった。

 

「お待たせ麗牙」

 

 ちょうど職員室に呼び出されていた健吾さんが戻ってきた。先生が消えた階段から現れ、入れ替わる形で僕の隣といういつもの立ち位置を彼は陣取っていた。

 

「さっき妙に機嫌よさそうな籐郷とすれ違うてえらいビックリしたで。なんかあった?」

 

「いえ、別に。あ、それよりも健吾さん。昨日調べて分かったこと、今話していいですか?」

 

「かなちゃん先生のことやろ。ああ、頼む」

 

 昨晩キャッスルドランで先生の過去を調べ、そして明らかになった事実。既に燐子さんとは共有したそれを僕は健吾さんにも話し始めたのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「あ、さようなら先生ー」

 

「うん、お疲れ。また明日ね」

 

 放課後、帰宅していく生徒たちに明るく声をかける新子先生。周りの生徒たちもみんな先生に声をかけてから帰っていく辺り、彼女の慕われ具合がよく分かる。既に多くの生徒が心を開いているし、先生も生徒に対して真摯に向き合っている……そう思わされて仕方がない。

 

 だからこそ、朝に麗牙さんが教えてくれたことが信じられなかった。

 

 

 ──あの人が……人を殺したことがあるなんて……。

 

 

 それは彼女がキャッスルドランを去る直前にまで遡る。

 

 彼女には城で麗牙さんを教育するという仕事以外にもう一つ、生き甲斐が存在していた。それは愛する人……愛する人間。そう、彼女は人間の男性と結婚していたのだ。異種属でありながら十年近く共に生きてきた彼らの間には混じり気のない真実の愛があった。少なくとも、麗牙さんのお父さんが残した記録にはそう記されていた。

 王室の教育係という誇りある仕事に就き、家では愛すべき夫がいる、そんな幸せな人生を送っていた先生に、ある日悲劇が訪れた。

 

 彼女の旦那さんが亡くなったのだ。

 

 死因は脳卒中……突き詰めて言えば過労死であった。

 

 人の良い旦那さんは元より困っている人を放っておけない性格であった。しかしそこに付け込もうとする人は彼の勤務する社内外にいた。急を要しない仕事を彼に押し付ける者や、勤務時間外でも彼に取り付く者。元々人数の少ない部署のために彼が対応することがほとんどであり、彼の身体は彼自身が自覚しないまま限界を迎えていた。

 極め付けとして役員や上司によるパワハラもあったけど、優しくてまだ己の限界を認知していなかった彼は、先生にもそのことを打ち明けることもなく、そのまま帰らぬ人となってしまった……。

 

 事の真相を知った先生は激情に駆られ、そして旦那さんに最も精神的な苦痛を与えていた会社の役員を一人、手にかけてしまった。

 

 ファンガイアの吸命牙で吸われた者は死体も残らない。人間一人が消えた事件で彼女が警察に捕まることは無かったが、その罪を許しておかなかったのが先代のキングであった。自分の定めた法を犯して人間を殺しただけではなく、自分の息子の教育係を務めておきながらそのような凶行に走ったことを、麗牙さんのお父さんは許せなかったのだろう。

 そして先生は罰としてファンガイアの力を全て奪われ、城から追い出されてしまった。それが麗牙さんが昨日知った事の顛末であった。

 

「先生またねー!」

 

「うんっ、またね」

 

 しかしああやって朗らかに笑う姿を見ていると、そんな過去が本当に存在するのかという気持ちにさせられてしまう。何かの間違いではないのか、本当に彼女が殺したのか。そんな風に彼女の無実を願っている自分がいた。

 

「あ、白金さんもお疲れ。このあと生徒会?」

 

「はい……先生は?」

 

「この後ちょっと職員会議。その前にみんなと挨拶をね」

 

 気持ちのいい笑顔を向けてくる先生のせいでわたしもつい頬を綻ばせてしまう。特に何かをされたわけではないが、彼女の人たらしな部分はもはや天賦の才とも思わせられる。こんな人が人の命を奪うだなんて……誰かに殺意を抱くなんてやはりどうしても考えられなかった。

 

「あの……先生……これを……」

 

 しかしたとえ過去に何があったとしても、今わたしの前にいる先生はみんなから好かれる素晴らしい人であることには違いない。そう信じていたから、そう信じたかったから、わたしは麗牙さんから託されたチケットを先生に手渡していた。

 

「これって……チケット?」

 

「はい……TETRA-FANGの……麗牙さんたちのバンドも出てるんです……」

 

「バンド……あの子が……」

 

 麗牙さんがバンドをしていることを今初めて知った先生は僅かに驚いたように目を開き、渡されたチケットをまじまじと見つめていた。しばらく物思いにふけるようにチケットを見ていた先生だけど、ふと何かを思いついたように顔を上げてわたしに尋ねてきた。

 

「ふーん……多分綾野くんの仕業ね。あの子をバンドに誘ったのは」

 

「はい……そう言っていました……」

 

「ふふっ、だと思った。ってことは彼もいるんだ……」

 

 綾野さんのこともよく知っているようで、麗牙さんをバンドの道に引き込んだのが彼であることもすぐさま見抜いていた。本当に幼い頃の彼らをよく見て知っているのだと思うと同時に、思い出としてしっかり記憶している様は正に教師の鑑だと感じてしまう。

 更に言うなら先生は、新学期が始まってからまだ二週間と経過していないにも関わらず、既に自分と関わった全ての生徒の顔と名前も覚えている。誰がどのバンドに属していて、バンド内の担当のこともしっかり覚えてくれている。だからこの学校にいるガールズバンドの子たちは、みんな先生に対してすぐ心を開いていた。さっきも戸山(とやま)さんと北沢さんに挟まれて懐かれているのが見えたし、多分もう学校の誰に先生の過去を言っても信じてはくれないだろう。

 

「全く、綾野くんも仕方ない子ね……でも、二人はまだ友達のままなんだ」

 

「親友ですから……」

 

「そうね、親友……そして白金さんは麗牙様の恋人……あの子は本当に人間のことを大事に思っているのね……」

 

 部活動に励んだり下校しようとする生徒たちを眺めながら、物思いに更けるような言い草で先生は呟いた。わたしから顔を背けていたために先生の表情は見えなかったが、その語り口調から麗牙さんに思い馳せているのだと想像していた。人間とファンガイアの共存を発展させようと頑張っている彼のことを、きっと先生は誇りに思っているのだろう。

 そんな先生につられるようにわたしも校内の様子を一望する。必死に汗を流して走っている生徒や、また会う時を楽しみに別れを告げて校門で別れていく生徒。様々な人間模様が垣間見えるのが学校であり、そんな生徒たちを見守り教え導くのが先生だ。その立場にいるからこそ、やはり新子先生も人間のことを大事に思っているのだと感じるのだ。

 

「あれ……先生……?」

 

 そして再び先生を視界に入れようとした時、そこに先生の姿はなかった。つい先ほどまでそこにいたはずの先生が消え、わたしは辺りを見渡そうとして振り返る。

 

「ぁ……」

 

 背後に振り返った時、先生の姿があった。

 

 景色ではなく、真っ直ぐわたしを見つめている先生。

 

 しかし、そこに見えた表情はわたしの知る優しいものではなく、何の感情も読み取れない虚無の顔であった。

 

 そして、無の表情のまま手をわたしへと伸ばしていたのだ。

 

 突然のことで反応ができず、動くことができないわたしに先生の腕が迫っていた。これまで感じなかった言い知れぬ悪寒が走る。まるで昨日感じたような、心が凍りつく感覚を今再び抱いていた。

 

 だけどわたしは動けない。逃げられない。先生が何を考えていても、キバーラさんが何をしようとも、その行動から逃れることはもはや不可能だと本能が悟っていた。

 

 そして、先生の手がわたしに届こうとした時だった。

 

 

 

 

「……きゃっ?」

 

 

 

 

 突然、一陣の風が吹いた。

 

 桜の花びらと共にわたしたちの元に舞い込んだ春風はわたしの髪を靡かせ、思わず腕で顔を覆ってしまう。

 

 やがて風が止み、目の前の様子を確認しようと静かに瞼を開けると、そこにはわたしに手を伸ばしたまま立ち尽くした先生の姿があった。わたしに伸ばしたその腕の先に付いた桜の花びらを、先生は呆気に取られたような顔で見つめていた。

 

「さくら……」

 

「え……?」

 

 そして何かに驚いたように呟く先生の声と、ようやく驚くという感情を見せた顔にわたしも訳がわからず言葉が詰まってしまう。今彼女はわたしに何をしようとしたのか。どうしてその手が止まったのか。分からないことだらけで混乱するばかりのわたしに、先に先生が声をかけてきた。

 

「ぁ……髪に花びらが付いてて……でも今ので取れたから、もう大丈夫。じゃあ私行くね」

 

「え……あ、はい……」

 

 そう言って私に伸ばした手を引っ込め、先生は踵を返して私の前から立ち去って行ってしまった。しかしわたしは未だ先の奇妙な感覚から解放されず、思わず固唾を飲み込んでいた。

 

「……」

 

 今のは一体何だったのか。先生のあの怖い目と、わたしに伸ばした手の意味……。わたしの髪に花びらが付いていたのを取ろうとしたと、しかしそれが嘘だと言うことは何となく分かってしまった。

 そして今の先生の呟き……わたしには単に桜の花のことを呟いたようには思えなかった。そこにはあまりにも感情が込められ過ぎていたから。慈しむような、切ないような、我が子に語りかけるような愛を感じる言葉。優しい先生と言えど、そこまでの重い気持ちの込められた言葉をわたしはこれまで聞いたことがなかったのだから。

 

「(先生……あなたは……)」

 

 彼女の過去にはまだ大事に何かが隠されている。今はそれを確信するまでにしか至らなかった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「かなちゃん先生が……そう……か……」

 

 僕が調べた上で判明した先生の過去についてを健吾さんに話し終えた時、予想通り健吾さんは重苦しい表情を浮かべて言葉が詰まっていた。だが初めて知った時は僕だって同じだった。まさかあの優しい先生が人を手にかけていたなんて夢にも思わず、何かの間違いではないかと資料を端から端まで何度も読み返したくらいだ。しかしいくら読んでも事実は変わらず、今の健吾さんと同じように狼狽えてしまっていた。

 

「余程許せやんかったんやろな。あの人がそんな復讐するなんて」

 

「でも……先生の気持ち、僕も分からなくもありません」

 

「なんやて?」

 

 先生が犯した罪は軽くはない。人間との共存を目指す今のファンガイア族にとって、彼女の行為は反逆にも等しい。しかしそれはそれとして、僕は先生がそんな凶行に走った気持ちが理解できてしまっていた。

 

「種族を超えて人間と結ばれて……きっと深い愛があったはずなんです。先生にとって旦那さんは掛け替えのない存在だったんです。今の僕にとっての燐子さんみたいに……。もし……もし燐子さんが誰かのせいで死んだら……僕も同じことをしてしまうかもしれなくて……っ」

 

 もし燐子さんがどこかの人間の手によって死んでしまったら? 考えるだけでも身体が震えそうになる。恐怖よりも怒りが己を支配しそうになる。もしその時が訪れた場合、果たして僕は自分を制することができるだろうか。その犯人を細胞レベルまで消すどころか、同じ遺伝子を持つ一族を皆殺しにするまで止まらないかもしれない。

 それだけの危険性を己の中に見てしまい、自分が恐ろしくなる。想像もできないほどの怒りに襲われた時、僕は一匹の獣になってしまうのだという考えが頭から消えてくれなかった。

 

「アホ抜かすな。お前は絶対そんなことせぇへん。万が一お前がそんなことになっても、俺が命懸けで止めたるわ」

 

「健吾さん……」

 

 しかし健吾さんは真面目な顔で僕の言葉を否定してくれた。たとえ自分が獣になってしまっても自分が止めると強く断言する彼が救いに思えて、表情が柔らかくなっていくのが自分でも感じられた。

 

「かなちゃん先生は止めてくれる人がおらんかったけど、お前には俺がいる。愛音にアゲハ……TETRA-FANGだけやない、Roseliaもおる。だから麗牙は麗牙のままや。お前はお前の理想を真っ直ぐ見とったらええんや」

 

 僕の理想……それはファンガイアと人間が共に生きる世界。互いが互いの存在を認めて共に歩んでいける世界。それは父さんの理想であり、同時に今の僕の夢でもある。

 たとえ身近な人がどんなに変わっても、僕にそれを見失って欲しくない。そんな健吾さんの気持ちが強く伝わってきて、少し泣きそうになってしまった。先生の件で動揺しているのは健吾さんも同じなのに、彼は本当に強いなとつくづく思わされる。

 

「ありがとう健吾さん。そう言われると僕も変わらないままでいられそうです」

 

 僕は僕の理想を見失わない。その決意を今一度固め、僕は先生の過去と向かい合うことにしたのだ。

 とは言え、先生の様子を見る限りは随分落ち着いているようにも見えていた。父さんからの罰を受けてから大分時間も経ち、元の優しい彼女が戻ってきているのだと、そう思っていた。

 

「でも今の新子先生を見る限り、もうそんなことは二度と……ん?」

 

 その時、僕らに近付く気配に気付き、迫る影へと視線をやる。そこにいたのは、先ほど僕と別れた籐郷先生だった。

 

「どうした……げっ、籐郷……」

 

「あからさまに嫌そうな顔をするな綾野。それと『先生』だ馬鹿者。折角いいことを言ったと思えばこれだ」

 

「って聞いとったんかい!」

 

「別件で用ができて戻ってきたら聞こえただけだ。まあ、知ってる名前が聞こえたから気になったんだが」

 

「知ってるって、新子先生をですか?」

 

 予想外の繋がりに衝撃を覚え、僕は少しだけ先生に詰め寄っていた。新子先生のことで籐郷先生が知っていることを聞きたくて、彼に話を催促していた。

 

「直接会ったわけじゃないがニュースと風の噂で知ってな。でも今の話を聞いて少し合点がいった。まあ、あれだけ辛いことを経験している人だ。むしろ狂わない方がおかしい」

 

「ニュース……?」

 

 男性一人が過労死でニュースになったとして、それで新子先生のことまで分かるものだろうか? 僕が幼い頃の話で、被害者本人でもない彼女の顔と名前を未だ覚えているものだろうか? 彼の言う内容に少し違和感を覚え始めたその時、先生の更なる言葉でその違和感の正体が明らかになった。

 

「あの子のことも、同じ学校なら助けてやれたのに」

 

「……? あの子?」

 

「それに同じ学校って? その時って学校の先生と違ったやろ?」

 

「ん?」

 

 ようやく僕らと先生の間で何かが噛み合っていないことに気付いた。いくら籐郷先生がファンガイアだとは言え、会ったことのない新子先生を「あの子」呼ばわりするとは思えない。それに彼女は当時僕の教育担当であったから学校の先生ではなく、故に同じ学校にいること自体が有り得ない。

 

 そしてその食い違いの真相に真っ先に気付いた籐郷先生は、僕たちに告げたのだった。

 

 

「そのことも含めての話だと思ったが……もしかして知らないのか? その新子って先生の子どものこと」

 

 

 予期せぬ事実が明らかになり、同時に僕は彼女の中に巣食う何かを知ることになるのであった。

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