ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『花撫の過去を知った麗牙たち』

『しかしどうやら彼女にはまだ明かされていない過去があるようですよ?』

『彼女の胸中に秘められた想いとは一体……?』


第138話 桜の花のように

 外灯によって照らされた桜が花びらを散らしていく夜の公園。その中心で一人待ち人を求める少女がいた。そんな彼女の期待に応えるように、もう一つの影が夜の公園へと入り込んでいく。

 

「ダメじゃない白金さん。女の子がこんな夜に一人で待ち合わせなんかしちゃ」

 

 公園で待つ少女──燐子の元を訪れ、彼女に注意の言葉を投げ掛けたのは新子であった。燐子によって呼び出された新子は何も話そうとしない燐子にいつもの笑みを浮かべてゆっくりと近付いていく。そして普段の教師と生徒としての距離まで近付くと、笑顔は崩さないままに新子は燐子に尋ねていた。

 

「それで、何か言いたいことあるんだよね? 言ってみて。聞いてあげるから」

 

 あと二、三歩で手が届く距離から人懐っこい態度で更に燐子との距離を縮める新子。その目や口元からは何の裏も感じられず、心から燐子のことを想っているように誰もが見えるだろう。

 

 そして、そんな新子の優しい言葉に対してようやく燐子は答えたのだ。

 

 

「どうして……わたしのことを狙うんですか……」

 

 

 予想外の燐子の問いかけに新子は一瞬固まり、反応が遅れかけていた。

 

「ん? えっと、どういうことかな?」

 

「言葉の通りです……どうしてわたしを……殺そうとしたんですか……」

 

「殺すって、何を言ってるの白金さん? 誰かと間違えて──」

 

「分かるんです……学校でわたしを睨んだ時の目が……あの時の怪物と同じだったから……」

 

「か、怪物って……私ファンガイアの力は──」

 

「それに先生……今日は偶に胸を抑えてましたよね……それは昨日の傷がまだ残ってるから……ですよね」

 

「……」

 

 新子はすぐさま言葉を繰り出して燐子との会話を続けようとするも、燐子の確信を睨んだ眼差しが自分を逃してくれず、遂に黙り込むしかなくなってしまう。その反応が答えと見るや燐子の瞼は更に下がり、俯いた前髪でその表情も見えなくなる。嫌に静かになった新子の顔を見ることなく、燐子はその場に俯いて立ち尽くしていた。

 

「……だとしたら何? 他にも私に言いたいことあるんじゃないかな?」

 

 そして声色からいつもの嬉々とした感情が消えた新子は、俯く燐子に向けて冷たく投げ掛けた。もちろん燐子には新子に対して問いかけたいことが山ほどある。しかし今この状況で必要な言葉を慎重に選択し、そして燐子は口にしようとした。

 

「あなたは何がしたいんですか……」

 

「……」

 

「わたしは……先生のお子さんとは関係な──」

 

 しかしその燐子の言葉は最後まで続かなかった。

 

 燐子の目の前にいたのは新子という女性ではない。

 

 五体を醜く肥大化させた異形の姿──レジェンドルガ。

 

 そしてその大樹のような腕を燐子に向けて振り下ろしていたのだ。

 

 人間の身体など簡単に肉片に変えてしまう破壊的な暴力は何の前触れもなく燐子に襲いかかり、その小さな身体を押し潰してしまった。

 

 

「ッ!?」

 

 

 しかし異形が燐子を潰したと認識した直後、自身の触れたものが人間の身体でないことに気が付く。

 自分がすり潰しているのは肉片ではなく薔薇の花。先ほどまで燐子だったものは一瞬にして無数の薔薇の花びらへと変化していたのだ。

 

「これは……」

 

「僕の魔術です」

 

「っ……麗牙……様」

 

 燐子の姿を探そうとした異形の耳にかつて聞き慣れた声がした。振り返ってその姿を確認し、変わらない呼び方で麗牙を呼ぶと異形は再び女性の姿へ……麗牙たちがよく知る新子の姿へと戻る。同時に麗牙の側にいる本物の燐子の姿も捉え、ようやく自分が嵌められたことを悟った新子は諦めたように息を吐いて肩を竦めていた。

 

「その力が何なのか分かっているんですか?」

 

「……一応あなたの元先生よ。レジェンドルガのことくらい当然知っています」

 

 冷静に問い質そうとする麗牙に、新子は悪びれる素振りも見せず素直に答えた。魔族にとって……地球の生命にとって忌むべき存在の力を纏うことを意に介さない様子で、新子は麗牙の前に堂々と立っていた。

 

「どうやってレジェンドルガの力を……」

 

「ふふ……まだそんなに先生の授業が聞きたいんですか? 麗牙様」

 

「はい、どうかこの無知な僕にご教授ください。親愛なる新子花撫先生」

 

「……少し見ないうちに嫌な子に育ちましたね」

 

 大人の余裕を見せようとした新子であったが、全く狼狽える様子を見せない麗牙につまらなさそうに口を尖らせる。それからしばらく麗牙と睨み合うも、やがて観念したように新子はため息をついて語り始めていた。

 

「はぁ……ふと目の前に現れたんですよ。望むなら力をくれると言う骸骨がね」

 

「骸骨のレジェンドルガ……(何故先生の前に……いや今はそれよりも……)あなたはそれに飛び付いたんですか?」

 

「それはそうですよ。私の悲願を達成させるためにも、喉から手が出るほど力が欲しかったのですから」

 

「悲願……復讐がですか?」

 

「ええ……」

 

 新子の前に現れたレジェンドルガの存在も気になる麗牙であったが、今はそれよりも新子自身の動機に意識を割くべきだと、確信を持ってその言葉を口にする。否定することなく頷いた新子は、しかしすぐさまため息をついて麗牙に苦言を呈していた。

 

「それにしても呆れました……白金さんを使ってまで私を嵌めるなんて」

 

「これは燐子さんの希望です。どうしてもあなたの真意を直接聞きたいと願った彼女の意思です」

 

「へぇ……そう」

 

「先生……」

 

 学校で見せる人をたらしこむような優しい笑みではなく、どこか大人の色気を感じさせる妖艶な笑みを新子は麗牙たちに見せていた。初めてみる新子のその笑顔に触れることなく、そして麗牙はここに至った理由を語り始めたのだった。

 

「今日まで知りませんでした。先生に、人間との間に生まれた子どもがいたこと」

 

「そうですね……ずっと秘密にしていたから……ちょうど麗牙様と近い歳の子でした」

 

 もはや隠す必要の無くなった新子は包み隠さず麗牙の言葉にも反応して答えていた。ライトアップされた夜桜を見上げながら、思い出すように目を細めて我が子を思い返す新子。そう、もはや思い返すことでしか彼女は自分の子どもと会うことはできないのだから。

 

 先代のキングによって力を失った新子は、その後残された一人娘を女手一つで養っていかなければならなかった。王室に使える以前より教員免許を取得していた彼女にとって、教壇こそが自身の力を最も発揮できる場である故に、そのまま教師として採用されるのは自然なことであった。

 

 しかし、彼女の知らないところで悲劇は既に始まっていた。

 

「教師どころか母親も失格ですね……娘のいじめに何もできなかったなんて」

 

 ふとしたことで始まった娘への差別。最初に彼女に目をつけたのは粗暴が目立つ女子グループであったが、それが火種となり、やがて事態は学級をも巻き込んだ地獄へと変貌していった。

 

 当初は単なる精神的な嫌がらせでしかなかったが、それでも満足できなくなった者たちによって次第に身体への危害へと変貌していった。ここでの問題は、彼女の精神がなまじ強かったことにある。いじめを耐え凌いでいた娘は、母親を心配させまいと家ではいじめの素振りを全く見せることなく、笑顔を振りまいて過ごしていたのだ。

 しかしその強さを学校では誰も相手にすることはない。そして誰にも漏らさないことは、恰好の獲物にしかならない。

 そしてどんどんエスカレートしていくいじめに身体の方が耐えきれず、やがて限界を迎えた彼女の身体はある日、プツリと糸が切れたように動かなくなってしまったのだ。

 

「全部知ったのは、何もかもが終わった後でした。遅すぎたんです……」

 

 当時中学生だった娘の学校での様子を、高校の教師である彼女が把握するのは困難であった。当時からおかしな箇所には気付いていたが、娘一人を養うことに精一杯であった当時の彼女には娘の些細な変化に深く入り込んで調べることはできなかった。娘も母親に余計な心配をさせまいと頑なに気を遣っていたことも原因であった。結果、最愛の娘の命の危険に気付けないまま、二人は永遠の別れを迎えてしまうことになるのだった。

 

「でも、一つ分からないことがあります。どうして死ぬ寸前になっても、彼女は何も言わなかったんですか? 警察にでも話せばすぐに──」

 

「これはまだ知らないでしょう……あの子、ずっと先生に脅されていたんですよ」

 

「っ」

 

「ふふ、やっと驚きましたね……すごいですよあの人間。このことを話したら私の正体を周りに言いふらしてやるって……そんな脅しであの子を黙らせて、そして身体まで穢して……」

 

「そんな……」

 

 娘の担任はファンガイアの存在を知る者であった。そして不幸にも、新子の正体が人間でないことも知っていたのだ。

 実は新子の娘は一度、担任に助けを求めようとした時があった。しかし母親がファンガイアである事実を盾にして、母親を守りたければ口外するなと脅すと、何もできなくなった少女の白い身体を貪り散らかしたのだ。それは一回二回どころではない。教師の気の向くまま、本能のまま、少女は痛みに泣き叫びながら幾月も渡っても幼い身体の中に欲望を吐き出され続けてきた。それこそ彼女の生気が失われていった一番の要因であった。

 

「本人を脅して聞いたんだから本当です。もちろん跡形もなく消し飛ばしましたけど」

 

「何人……」

 

「ん?」

 

「今まで何人……殺してきたんですか……」

 

 新子の娘の想像を絶する地獄に言葉が出なくなるが、それでも麗牙は問い掛けていた。目の前の人が……かつて自然や人が好きと語っていた優しい女性がどこまで変貌してしまったのか。これ以上の彼女の辛い過去よりも、今はそれを知ることに麗牙は集中したかったのだ。

 

「二十四人。ああ、あの子と全く関係ない人合わせると三十人。もちろん全部覚えています。でもまだ……まだ全然足りないっ」

 

 しかし新子はあっさりと、数字まで的確に言い返した。新子のマメさを知る麗牙と燐子は、その数字が適当に口から出たものでないことを理解してしまった。

 レジェンドルガの力を手にした彼女は、兼ねてよりの悲願であった復讐という行為に手を染めてしまった。しかし手にかけた人数もさることながら、自分の娘と無関係な人間まで殺しているという事実に二人は戦慄していた。

 

「復讐ならまだ分かります……でもどうして無関係の人まで──」

 

「私、もう限界なんです。人間という種族が」

 

「──え?」

 

 それは娘の死で人間に対して完全に失望した、諦めた人の声であった。

 

「人間は麗牙様がそこまでする価値のある生き物ではありません。アレは獣です。それも無自覚で人を殺してしまう、何物よりも恐ろしい獣……」

 

 その瞳は既に濁りきり、何の光も映り込まない鈍色の眼差しが麗牙たちへと突き刺さる。その淡々と語る声はやがて炎を纏い、次第に荒々しいものへと変化していった。

 

「自分と違うものを恐れてるのに一人で何もできず、数を頼って袋叩きにする。その上で殺す気がないのに命を奪ってしまえるなんて狂ってるとしか思えない! そしていつも最後には『殺す気はなかった』と、誰も彼も同じことばかり言う!! 何なんですかあのふざけた生き物は!?」

 

 夫を奪われた時も、そして娘を奪われた時も口々に「殺意はなかった」と人間に言われ続けてきた。それが保身からの嘘ではなく本心から出た言葉であることを知り、新子は衝撃を受けた。そして一度ならず二度も、自分の理解を超えた何かによって大切なものを奪われた新子は理解したのだ。人間とはそういう残酷な生き物なのだと……。

 

「だから私は明確に殺意を持って人間を殺します。殺す目的も覚悟もちゃんとある。あんな獣共よりよほどマシですよね」

 

「もうやめて……!」

 

「やめないよ白金さん。私はやめない。絶対に止まらない。人間はこの自然に存在してはいけないの。滅ぼさなければならない。じゃないといつか、世界が無自覚なまま人間に殺されてしまう……」

 

 根絶が目的でないにも関わらず、人間には数多の種族を滅ぼしてきた実績がある。兼ねてより知っていた知識に自身の体験が合わさったことで、彼女は人間という種族の危険さを痛感するようになった。

 復讐のため、そして自分の愛する自然を残すため、彼女の頭は人間を滅ぼすことしか考えられなくなってしまったのだ。

 

「白金さん。あなたを狙ったのは、あなたが麗牙様や他のファンガイアに近付き過ぎていたから。人間は他の種族と交わってはダメ。あなたたち人間は危険なの」

 

「先生……」

 

 そう告げる新子の瞳に一切の迷いは無かった。本気で人間がこの世界にとって危険な存在だと信じ、根絶することを彼女は願っていた。もはや彼女の言う通り、その狂気が止まることはない。狂ってしまった歯車は、誰かが壊すまで止まることはないのだ。

 

「あなたが愛したのも人間じゃないんですか」

 

「私はもう……人間を愛することはできない……だから……人間を愛するあなたとは分かり合えない!」

 

 かつて添い遂げた旦那のことを麗牙は告げるも、その言葉が新子の心に響くことはなかった。身体を変化させて異形の姿に……スキュラレジェンドルガへと変身した新子は、散りゆく桜の中をゆっくり歩いて麗牙に近付いていく。

 

「さぁ麗牙様……私を殺しますか? あなたに盾突いた私に殺意を向けられますか?」

 

「……」

 

 新子の……怪物の問いに麗牙は応えない。ゆっくり迫ってくる悍しい怪物の様子を見つめたまま、麗牙はただ無言で立ち尽くすだけであった。

 

「私は殺しますよ。人間とは違って、しっかり殺す気で殺してあげます。人間を滅ぼすのに、あなたが一番邪魔ですから!」

 

「麗牙さん!」

 

「……」

 

 あと数歩まで迫っても一向に行動に移さない麗牙に燐子の叫び声がこだまする。

 それでも無言を貫く麗牙に向けて怪物はその腕を振りかぶった。

 

 そして──

 

 

 

 

「ッ!」

 

「っ!? ……ふふ、やはりあなたは人間とは違いますね」

 

 怪物の振るった手は麗牙を吹き飛ばすことなく、彼が変身したサガの持つジャコーダーロッドによって受け止められていた。ようやく現れた王の鎧とそこから読み取れた王の殺意に、怪物は満足気にニタリと笑みを浮かべる。ここには殺意もなく命を奪う獣はいない。スキュラは麗牙が本気で殺しにくることに安堵すらしていたのだ。

 

「ハァァァ!」

 

「っ! フンッ!」

 

 しかしスキュラの殺意もまた本物である。刃によって腕を弾かれるも、すぐさま身体から生えた犬の頭部から火球を吐き出してサガを炎に包み込もうとしていた。しかし吐き出された火球をサガは得物で難なく弾き、更にすぐさま懐に入り込んで複数の犬の顔を一閃した。

 

「ッグ……ハァァッ!」

 

「っ、ゥグゥゥ!?」

 

 一瞬だけ苦悶の声を上げて怯んだスキュラだがすぐに地面から跳躍し、下半身から生える複数の脚でサガを叩き潰さんと急降下してきた。間一髪その直撃を避けるも、スキュラの地面との激しい衝突によって衝撃波が発生し、サガは桜の花びらと共に吹き飛ばされてしまう。

 

「……ッ!? ハァァァァァァ!」

 

 しかし衝撃と同時に桜を照らしていた街頭が消え、辺りの景色が一瞬で暗闇に包まれた。そのためサガと燐子の影を見失ってしまったスキュラは、犬の頭部から火球を無造作に打ち出して視界を確保しようとし始めたのだ。

 

「ッグッ!?」

 

 炎が闇を照らし出そうと燃え盛るが、突如闇の中から赤い閃光が鞭となってスキュラに襲い掛かってきた。鞭を振り払ってその方角へ向けて火球を放つも手応えは感じられず、ただ野に炎が舞うだけであった。更に外したと意識すると同時に更なる閃光が闇の中から襲い掛かり、スキュラの身体を容赦なく斬り刻み続ける。

 

「ガッ!? ゥグゥゥ!? ……ア゙ア゙ッ!」

 

 闇の中で翻弄されされるがままにサガの攻撃を食らい続けるスキュラは、一時的にでもその攻撃から逃れようと地を蹴って大きく飛び上がった。当然空中に向けてサガの攻撃は放たれるが、狙い通りとばかりにスキュラはそれを難なく弾いていた。四方から攻撃が襲い掛かる地上とは違い、跳び上がっている怪物に放たれる赤い閃光は空から見ればその攻撃の位置が簡単に見定めることができたのだ。故にその攻撃を振り払いつつ地上を火球で攻撃し、怪物は再び地面へと急降下していく。

 

「フンッ!」

 

 相手を押し潰そうとする怪物の攻撃も、すぐに暗闇の中に姿を消したサガには直撃しなかった。しかしその時発生した衝撃波は草木を激しく揺らし、そして闇の中で息を潜めていた少女の体勢を崩してしまったのだ。

 

「きゃ!?」

 

「! フッ!」

 

 燐子の声を聞き漏らさなかったスキュラは地を蹴ると彼女の声の方へと飛び掛かった。尻もちをついていた燐子もすぐさま立ち上がろうと手に力を入れようとするが、その行動が許されないまま目の前にスキュラが降り立った。

 

「っ……先生……」

 

 燃え盛る炎によって薄らと怪物の姿を把握できた燐子は、震えながらも怪物をその名で呼ぶ。目の前の存在を怪物と思いたくない燐子は、最後まで新子を先生と呼ぶことを止められなかった。悲しく狂う一人の女性を想い、燐子はただ悲しげに告げる。

 

「死んで……人間ッ!」

 

 しかし燐子の想いは届かない。一度壊れた心は二度と元には戻らない。怪物は目の前の滅ぼすべき存在に向けて、ただその殺意を向けるだけであった。

 

「……っ!?」

 

「(え……?)」

 

 しかしその瞬間、怪物の動きが一瞬だけ止まった。

 

 燐子と怪物の間をはらりと舞い落ちていく一枚の桜の花びら。

 

 それを目にした時、怪物は息を飲んで明らかな動揺を見せていたのだ。

 

「さ……」

 

「先生……?」

 

「っ……ぅア゙ア゙ア゙ァァ!!」

 

 しかし僅かに現れた微かな動揺を無理矢理振り払い、怪物は今度こそ燐子の息の根を止めようとその腕を振るい、少女の命を刈り取ろうとした。

 

「──ゥグンア゙ア゙ッ!?」

 

「!?」

 

 燐子に再び異形の手が伸びたその時、闇を走る赤い閃光がスキュラの喉を貫いた。

 

 背後から首を貫いた閃光はしなやかにうねりを上げ、鞭のようにスキュラの首を締め上げ始めたのだ。

 

「ァガ──ア゙──ア゙ア゙──」

 

 声帯を破壊され、声にならない雄叫びを上げてそれでも燐子を殺そうと異形はもがく。しかし閃光によって闇の中へ引き摺られ、スキュラは手足をバタつかせながらどんどん燐子から引き離されていった。

 

「ゥガ──ァア゙ア゙……!」

 

 桜の木の幹に当たったところで牽引は止まるが、苦痛から解放されることはなかった。桜の木に貼り付けられる形で身の自由を奪われ、次第に全身の力が失われていく異形。そしてその木の裏にはジャコーダーを握るサガの姿があった。怪物の姿を見ることなく、桜の木を挟んでサガは怪物と背中合わせの状態で裁きの一撃を仕掛けていた。

 

「ァ……ァア゙……」

 

 桜の花びらが散りゆく中、スキュラの手の動きが鈍く、そして小さくなる。呻き声も小さくなり、周りの景色が遠のいていく。

 

「……ぁ……」

 

 もはや意識が保てなくなった時、彼女の眼前に再び桜の花びらが舞い落ちていた。自分に寄り添うように舞い降りる花びらに、怪物の目は薄く見開かれる。

 

「……さ、くら……」

 

 その口から微かな愛しい呼び声が漏れたその瞬間、怪物の身体はステンドグラスのように色鮮やかな塊に変化する。

 

 そして最後に一際大きな輝きを見せて、怪物の身体は盛大に砕け散ったのだった。

 

「……」

 

 色取り取りの破片が夜空から舞い落ちていく。儚く風になびいて散っていく様は、宛ら桜の花のようにも見えたことだろう。

 

 桜の花びらと寄り添うように地面へと落ちていく怪物の破片を涙ながらに見つめていた燐子は、すぐに自分の大切な人の元へと駆けつけていく。

 

 桜の木の下で、怪物を斃したままの体勢で跪く麗牙の元へ……。

 

「麗牙さん……」

 

「……っ……」

 

 燐子の声に麗牙は応えられなかった。深く俯いているため燐子から麗牙の表情は見えなかったが、肩や息が震えている様子から彼の心の内は痛いほど燐子に伝わっていた。

 

「はぁ、ぁあぁ……はぁぁ……」

 

 幼い頃から愛しくも思っていた恩師をこの手で葬らなければならなかったことを、麗牙は一人で抱え込もうとしていた。息を整えてこの悲しみを抑え込もうと、耐えようとして己を追い込んでいた。

 

「はぁぁ……はぁっ……っ……」

 

「もういいです、麗牙さん……抑え込まないで……」

 

 しかし必死に息を整えようとする麗牙の肩に、燐子は優しく手を乗せる。彼を包むような燐子の優しい声もまた震えていたが、それでもかける言葉を失うことはなく、静かに麗牙に伝えようとする。

 

「っ……ぅ……ぐ……」

 

「うん……わたしも……同じ気持ちだから……」

 

 そして震える麗牙を抱き寄せ、涙に耐える彼の顔を自分の元に押し付けていた。零れる彼の涙は自分が受け止める。一人で泣くなら、自分が共に泣いてあげる。今自分にできることはそれしかないと、愛する人が悲しみで壊れないように、燐子の身体は自然と動いていた。

 

「隠さないで……わたしも……い、一緒に泣きます……から……っ」

 

「っ……っぐ……ぅ……ぅぅっ……」

 

 やがて燐子の胸の中で麗牙の嗚咽がこもっていた。変わり果てた恩師の姿に、最後まで分かり合えることなく手を下さなければならなかった現実。思い出の中の優しい先生とは二度と会えることはないのだと、麗牙は心の底から溢れ出る悲しみを燐子の胸の中で静かに叫ぶだけであった。

 

 そして燐子もまた麗牙と共に涙を流していた。素晴らしいと感じていた先生。自分が一度好きになってしまった先生。そんな彼女の秘められた過去と怒りを知り、そして狂ったまま迎えた最期を思うと涙が止まらなかった。

 

「(でもあの時先生は……)」

 

 しかし燐子は知っている。

 

 新子は二度、燐子に魔の手を伸ばそうとして止まったのを。

 

 舞い落ちてくる桜の花びら。

 

 まるで彼女を止めるように降りてくる優しい桜。

 

 その桜の花びらを見た時、彼女は明らかに何かを感じて止まったのだ。

 

「(きっと、あの子も先生に止まって欲しかったんだよね……)」

 

 形が消えてもなお母親に寄り添おうとしていたのかもしれない。そうであってほしいと、燐子は震える麗牙を優しく抱きしめながら、二人の安らかな眠りを祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、キャッスルドランの開かずの部屋の前。

 

 燭台の続く長い廊下を、獣の如く激しい叫びが走っていた。

 

「──ッォォォォ──ォオオオオッ──!」

 

 開かずの部屋からこだまする、傷ついた獣のような重苦しい雄叫び。

 

 それはまるで麗牙の慟哭に呼応するような痛ましいものであった。

 

「……麗牙……」

 

 そして主君の悲しみを感じ取った次狼の小さな呟きが、呻き声に揺れる城の中へと消えていった……。

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