ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『怪物に変わり果てた恩師。麗牙さんはキングとして、そして愛する燐子さんを守るため、彼女を討ち果たします』

『悲しく遣る瀬ない結末だがそこで立ち止まるわけにはいかねぇ。そうだろ、麗牙』


第139話 招来、再臨

「次狼、本当にこの部屋は何なの? この間からずっと呻いたまま止まないんだけど」

 

 キャッスルドランの開かずの部屋からは、先日から呻き声が絶えず響いていた。麗牙の感情に呼応するように唸り続ける部屋の中の声。麗牙のいないところでこれまでも何度か似たような事象を見てきていたアゲハだったが、やはり疑問を拭いきれず次狼に問いかけていた。

 

「今は言えん。オトヤとの約束だ」

 

「またそれ……いい加減いつ話してくれるの?」

 

「時が来ればだ」

 

 しかしこれまでの質問の答えと同じく、次狼は頑なにその部屋の正体を口にしない。それを明かす時も曖昧にはぐらかされ、アゲハは不快感を隠さず次狼を睨みつけていた。いくら先代キングからのお達しとは言え、それは現キングの麗牙にすら明かせないものなのか。そこまでの重要なものならばなおさら自分たちチェックメイトフォーの連携が必要になるはずなのに、次狼は誰にもこの部屋の謎を話そうとはしない。今も震える扉に目をやり、アゲハはここにはいない主君を思い小さく溢していた。

 

「これ以上麗牙に悩みの種を背負わせたくないのに……」

 

 今ごろ麗牙は新子の暮らしていた家に着いているころだ。生前の彼女の足取りからレジェンドルガの動きが掴めるかもしれないと彼は言っていたが、それは名目にしか過ぎない。どのようにして新子があのような怪物に変貌したのか、それを知りたかったのだ。麗牙にとって良き恩師であった新子という人物がどのような思いで過ごしてきたのか、どれ程の苦しみを味わって生きてきたのか、麗牙はどうしても知りたいと願っていた。

 傷心の彼を思うと側にいたいアゲハであったが、今は彼と気持ちを同じくする燐子が共にいる。今日のところは彼女に麗牙を任せようと、気を取り直して自らの仕事に向かおうとしていた。

 

「さてと……っ!? え、何?」

 

「『時の扉』の方だ。行くぞ」

 

 突然城全体が大きく揺れ、アゲハの足は立ち止まっていた。開かずの部屋の声に反応するように起きた振動……それは次狼の言葉の通り、キャッスルドランの時の扉付近が震源地であった。二人はすぐさま鍵で硬く閉ざされた時の扉の前に辿り着き、そこで起きている現象に目を細めていた。

 

「これ、何? 何かが来ようとしてる?」

 

「そうだな……っ、来るぞ」

 

 次狼が告げた瞬間、鍵がかけられていたはずの扉は勢いよく開き、扉の向こうの眩しい光から一つの人影が姿を現れていた。まるで向こうから飛ばされたように勢いよくアゲハたちの前に現れたそれは、何とか床に足を立てて着地するとゆっくりと起き上がる。

 

「え、嘘でしょ……」

 

「お前は……」

 

 現れた予想外の人物に、アゲハと次狼は驚きを隠せず目を見開いてその人を見つめていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 麗牙が自分の恩師を手にかけてから最初の週末が訪れていた。麗牙は今頃燐子ちゃんと共に彼女の家に上がっているだろう。本当は俺も付いて行きたかったところだが、あの二人が行くのであればそこに入る隙はない。昔に関わっただけの俺でさえこんなに悲しい気持ちになるのだ。直接先生と対峙してその想いを聞いた二人はきっと身が裂けるほどの辛い思いをしたに違いない。

 

「でもせめて……ライブは来てほしかったなぁ……」

 

 いつもとは違う喫茶店でカップの中身を掻き混ぜながら小さく呟く。人間を滅ぼしたいと思うその気持ちを止められるか分からないが、それでもせめてその前に一度俺たちTETRA-FANGのライブを見てほしかった。音に乗せて俺たちの気持ちを彼女に伝えたかった。

 都合が良過ぎるかもしれないが、もしかするとそれで何かが変わったのかも知れないと思うと、少しやりきれない思いになってしまう。彼女のためにもっと何かできたのではないか。麗牙を悲しませないために俺にもやれることがあったのではないかと。そんな風に自分のことも責め始めていた。

 

「健吾くん?」

 

「……おう、千聖ちゃん。花音ちゃんも、おはよう」

 

 そんな時、小さなベルの音と共に店内に現れたのは千聖ちゃんと花音ちゃんであった。多分二人でカフェ巡りをしているのところだったのだろう。俺の顔を見た二人はこちらへ近付くと、どこか観察するように俺の顔をまじまじと見つめて来たのだ。

 

「おはよう健吾くん。でも、なんだか元気なさそうだけど……大丈夫?」

 

「……大丈夫、ちょっと疲れてるだけや。それより、そこの席空いてるからどうや? 一人で暇してたんや」

 

 花音ちゃんに問われるも、彼女たちを心配させまいといつもの調子を取り戻して二人を自分のテーブルへと誘おうとする。しかしアカンな俺も。可愛い女の子の前で時化た面してるなんてな。

 

「また無茶してないでしょうね?」

 

「心配あらへんて。ちょっとやそっとのことでへこたれる俺とちゃうわ。何より明日は俺らのライブやしな。一々弱ってる暇なんてないわ」

 

「だといいのだけど……そうね、確か明日はTETRA-FANGのライブだったわね。ええ、楽しみにしているわ」

 

「私たちも見に行くからね。あ、そう言えば……」

 

 二人には既に明日のライブのことも話してあるしチケットも渡してある。千聖ちゃんの時間だけが懸念事項であったが、どうやらそれも杞憂に終わったようだ。そんな中、花音ちゃんは何かを思い出したように口を開けていた。

 

「どうしたん花音ちゃん?」

 

「えっと、この間ね、学校の先生がそのチケット持ってるの見たんだ。だけど、その先生昨日も学校来なくって……」

 

「それって新子先生のこと?」

 

「うん。とても好きな先生だから、すごく心配で……」

 

「っ……」

 

 二人の口から彼女の名前が出てきて思わず息を飲んでしまう。二人は彼女の正体もその根幹に抱く闇も知らない。ただ優しい先生が学校に来なくなったと思い心配しているだけだ。しかしその真相を知っているだけに俺は後ろめたい気持ちになってしまう。もし何事もなければ、花音ちゃんたちも先生も一緒に明日のライブを楽しんでくれていたのだろうから。

 

「健吾くん? 本当に大丈夫?」

 

「え? あ、いや、問題ないって。俺もちょっとその人のこと心配になっただけや。花音ちゃんが言うんや、きっといい先生なんやろな」

 

「うん。とっても優しくて、いろいろ助けてくれて、なんでも相談に乗ってくれるの。だよね千聖ちゃん」

 

「ええ。他の子たちからもライブに来てって誘われてるところも見たわ」

 

「そうか。俺のうるさい担任と違うて羨ましいわホンマ。あはは……」

 

「……」

 

 ヤベェ、乾いた笑いしか出てこねぇ……。どうやら自分で思っている以上に彼女の件が尾を引いているようで、二人が先生のことを悪気なしに良く言うだけで暗い気持ちになってしまう。

 しかし彼女のことは二人には言わない方がいいと考えていた。二人にとっての彼女はいつまでも優しい先生のまま……俺が好きだったかなちゃん先生のままでいてほしかったからだ。

 

 しかし、そんな風に一人抱え込んでいるのを彼女たちが見逃すはずがなかった。

 

「ねぇ、私この後も千聖ちゃんと一緒に回るんだけど、健吾くんも一緒にどうかな?」

 

「え?」

 

 花音ちゃんからの予想だにしない誘いに目を丸くする。確かにありがたいお誘いだが、女子二人の空間の中にこんな野郎を加えるのはいろいろと台無しになるのではないか? そもそも千聖ちゃんは俺が共に行くことに問題はないのか? そう思って千聖ちゃんの方へと視線を向けると、彼女はため息混じりに呆れた顔を浮かべて俺に告げた。

 

「はぁ……そんな顔のあなたを放っておけないでしょ。全く……」

 

「千聖ちゃん……?」

 

「何があったのかは聞かないけど、その……健吾くんのそんな顔、見たくないもの……」

 

 そっぽ向きながら小さく呟く彼女を見て、俺の顔には思わず小さな笑みが浮かんでいた。素直ではないが優しい彼女の性格が微笑ましく、そして嬉しくて、それだけで先までの憂鬱な気分が晴れていきそうな気分であった。

 そこまで言ってくれるのなら、今日くらいは彼女たちの好意に甘えてみるのもいいかも知れない。

 

 

 

 

 その後、千聖ちゃんたちの注文した紅茶が運ばれてきた。香り漂う優雅なひと時を共に過ごした後、早速彼女たちの街巡りに付いていくことになるのだが……。

 

「千聖ちゃん、健吾くん。私、行ってみたいところがあるんだ。案内するから、一緒に来てくれるかな?」

 

「え? ええ……」

 

「おお……(案内? 花音ちゃんが……?)」

 

 店から出るなり突然そんなことを言い出した花音ちゃんに、当然俺たちは困惑してしまう。花音ちゃんと言えば歩けば迷う超高校級の方向音痴だと認識しているが、そんな彼女が案内すると言うことが信じられず、千聖ちゃんと共に首を傾げていた。余程迷わない自信があるということなのだろうか?

 

「こっちだよ」

 

 それからは花音ちゃんが先導して道を進むことになっていった。彼女の宣告通り迷うことなく俺たちは先に進んでいくが、やはりどこかおかしいと感じてしまう。いくら自信があるからとは言え、誰の手助けもなしに彼女がここまで迷わずに歩めるのだろうか。怪訝そうに花音ちゃんの背中を見つめる千聖ちゃんも俺と同じ気持ちであろう。

 そんな違和感を抱くと共に、俺はこれまでの花音ちゃんの言動にも疑いの目を向くようになっていた。よく考えてみれば、先の花音ちゃんの発言もおかしい箇所があったのだ。

 

 ──『学校の先生がそのチケット持ってるの見たんだ』

 

 よく先生の手に握られた紙切れ一枚を見て俺たちのライブのチケットだと判別できたものだ。似たようなチケットで時間帯が違うだけのものという可能性もあると言うのに。普通なら先生に話しかけてからそのチケットを確認してようやく俺たちのライブだと分かるはずだし、何ならそこまで仲がいいのなら直接先生に話しかけているはずだ。花音ちゃんがその確認もなしに断言するとは思えない。

 つまり、先生が俺と知り合いであることも花音ちゃんは知っていてもおかしくないはずなのだ。なのにそれらしき様子を一切見せないことが今になって気になっていた。

 

「なぁ花音ちゃん、ちょっといいか?」

 

「? どうしたの?」

 

 何かがおかしい。そんな小さな違和感を無視できなくなっていた俺は花音ちゃんに問いかけていた。

 

「さっき言ったチケットのこと、先生と話ってしたんか?」

 

「どういうこと?」

 

「似たようなチケットやったらいくらでもあるから、本当に同じチケットかどうか先生に確認したんかなってこと。花音ちゃん、チケット見ただけと違って先生と話したんちゃう?」

 

「……」

 

「健吾くん? なんでそんなことを?」

 

 だとすれば、花音ちゃんは俺と先生の間柄を知っているかもしれない。俺が無理して知らないふりして二人を気遣っていることにも花音ちゃんは気付いているかもしれない。いきなり変なことを問い質す俺への千聖ちゃんの疑問にも答えず、俺は花音ちゃんと真っ直ぐ向き合っていた。

 

「あとはさっきからの道筋や。地元民でも迷いかねやんこんなとこようスイスイと前に進めるわ。まるで人が変わったようやで花音ちゃん」

 

 溜め込んでいた疑念を吐き出し、俺は花音ちゃんを問い詰める。一体彼女はどうしたというのか、怪しさよりも心配さが優っていた。

 

 そしてゆっくりと俺に近付いてくる花音ちゃん。俺の目の前で口を開くと彼女は……。

 

「それはね──」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 先生が消えて最初の週末、僕は燐子さんと共に彼女の住処を訪ねていた。正確には彼女がかつて親子で暮らしていた家だ。彼女が花女に赴任中に住んでいたマンションの部屋は既に何も手掛かりがないことが分かっている。しかし先生は親子の思い出が残るこの家を売りに出すことなく、最近も何度となく足を運んでいることを知った僕は、ここにこそ先生の心を知る手掛かりがあると踏んだのだ。

 

「麗牙さん……本当に大丈夫ですか……?」

 

「大丈夫ですよ。誰も怪しむ人なんていませんから」

 

 僕と共に付いていきたいと言った燐子さんが心配そうに僕に問いかける。警察でもないのに本人の許可なく勝手に家の中に入ることを懸念しているのだろうか。

 しかし既にこの世にいない彼女の戸籍については、ファンガイアの王としての権限があればどうにでもなる。青空の会の協力もあり、先生は表向きは一身上の都合による退職扱いになる予定だ。今僕たちが先生の家に入ったところで、目くじらを立てられることはないのだ。

 

「そうじゃないです……その、わたし……麗牙さんが心配で……」

 

 だが燐子さんは社会上の通念ではなく、純粋に僕の心を心配してくれていた。この家に入ることで辛いものを見てしまうかもしれない。先日先生の命を奪ったばかりの僕に更なる辛い思いをしてほしくないのだと、燐子さんは僕の手を握りながら寄り添ってくれた。

 

「……本当は少し怖いです。でも、ここで立ち止まるわけにはいかないから」

 

「そう、だよね……でも……わたしも一緒にいるよ」

 

「ありがとう……燐子さん」

 

 先生を手にかけたあの日も、燐子さんは悲しみに暮れる僕を静かに受け止めてくれた。自分だって泣いていたはずなのに、彼女は僕の抱く想いを全てその身体で受け止め、共に泣いてくれたのだ。そして今日も、彼女は僕から離れることなく手を握ってくれる。怖がる僕を支えてくれる。それがとても心強くて、一寸先に待ち構える恐怖も乗り越えられる気がしていた。

 

「じゃあ、行こう」

 

 そして意を決した僕たちは調達した鍵を使って扉を解錠し、先生の家へと足を踏み入れていった。

 

「っ……これは……」

 

 そこで目にしたものは、予想を上回る光景であった。

 

「これ……は……」

 

 壁一面に貼り付けられた事件当時の新聞。そして、拡大された卒業アルバムと思しき学生や教師たちの写真。その全てに刃物で刺した跡や切り刻んだ跡、更には刺さったままのナイフも残されており、彼女の心に救う憎悪の深さが浮き彫りになるようだった。

 

「先生はここまで……」

 

「バツが付いている写真って……もしかして……」

 

 燐子さんの言う通り、一部の写真には彼女が書いたであろう大きな赤いバツ印が付けられていた。まさかと思いその数を数えると二十四枚……ちょうど先生が言った殺した数と一致していたのだ。つまりこの壁に貼られている生徒は彼女の殺害対象であり、印が刻まれた者は既に彼女によって殺された人たちなのだろう。

 

「麗牙さん……これ……」

 

 燐子さんが指差してノートには、なんとその生徒たちが成長したであろう姿の写真が貼られていた。何処からか盗撮した写真は、やはりと言うかナイフで滅茶苦茶に切り刻まれており、殆どの人は顔すら判別できなかった。

 

「これは……先生のノート……?」

 

 酷く荒れた部屋の中の数少ない整った空間には、ポツンと机と椅子が置かれていた。その上に開かれたままのノートを手に取り、僕は先生が書いたその内容に目を通していた。

 

「……」

 

「麗牙さん……ノートにはなんて……」

 

「この部屋の惨状と同じです……あまり見ていいものじゃないです」

 

 それは彼女の綴った日記であったが、そこには夫を、そして娘を奪った人間たちへの恨み辛みの言葉がビッシリと書き連ねられていた。「地獄に落とす」「殺す」そんな言葉がまだマシに感じるほどの、目も背けたくなるような彼女の殺意がその日記に込められていた。

 いつ誰を殺す。あそこで待ち構えればいい。五体を切り刻んでやろう。つい関係ない人を殺したが人間はいずれ殺すから関係ない。そんな感情に乗せられた激しい筆跡で書かれたノートに暗い思いが過るが、止めることなくページをめくっていく。

 

 そして、その中で今後の足取りになる重要な手記を見つけたのだ。

 

 

 ──今日、とても素晴らしいことが私の身に起きた。

 

 ──()は非力で無力な私に力を与えてくれた……人間を滅ぼすための力を。

 

 ──もはや私の理想は夢や幻ではない。今や全ての人間を殺せる力がこの手の中にあるのだから。

 

 

「彼って……」

 

「多分、先生の言っていた骸骨のレジェンドルガのことかと」

 

 それは、ファンガイアの力を失った先生の身体にレジェンドルガの力が宿った時のことであった。人間に絶望して失意の底にい続けた先生の元に、ある日突然レジェンドルガが現れたのだ。

 骸骨のレジェンドルガ……恐らくこれまでのレジェンドルガが従えていた骸骨兵を生み出している根源だと僕は踏んでいる。既に多くのレジェンドルガと接触していると見られるこのレジェンドルガについて他に何か分かることはないか、何故人間を恨む先生に接触したのか……手掛かりはないかと読み進めていったが、中々レジェンドルガに関する内容のことは見つけられなかった。

 

「っ、これって……」

 

 そしてノートが終わろうとしていた最後の方の頁に、僕や燐子さんのことが書かれているのを見つけたのだ。

 

 

 ──今日は久しぶりに麗牙様の顔を見ることができた。当時と変わらず可愛らしくて綺麗で、お花のような麗しさは健在で嬉しかった。

 

 ──でも彼はもうダメ。人間なんかを愛してしまっている。昔に自分がどれだけ人間に傷つけられたのかもう忘れたと言うの? 信じられない。人間は悪意もなしに誰かを傷付ける残酷な獣。ファンガイアは人間に近付いてはいけない……彼ができないなら私がやらなければ……。

 

 ──白金さん……白金燐子を殺す。明日確実に殺す。この世から存在を抹消する。この手で肉片にしてから痕跡も残さず灰に還す。麗牙様の……ファンガイアの前から人間を排除する。

 

 ──それでも彼が人間を諦めないのならば……私は麗牙様を殺す。

 

 

「……っ」

 

「燐子さんっ」

 

 筆跡から感じる自分への激しい殺意に当てられたのか、燐子さんは僅かに立ちくらみを起こしていた。倒れないよう彼女の肩を持って支えるけど、燐子さんは自力で足に力を入れて何とか堪えようとしていたのだ。儚げにも力強さを見せる彼女には何度も驚かされるが、燐子さんは支えようとした僕に礼を告げた。

 

「ありがとうございます……でもわたしの方が助けられてしまって……ちょっと恥ずかしいです」

 

「いえ、燐子さんは十分強いですよ……燐子さん?」

 

「……わたし……先生のこの気持ちに上手く反論できません……だって……わたしが昔……麗牙さんを傷付けたのは本当だから……」

 

 人間は悪意もなく誰かを傷付ける存在だと、その証拠の一人として過去の自分を日記の中でも記述された燐子さんは、先生に言い返す言葉が見つからなかった。故に人間はそう言うものなのかもしれないと、自信がなくなりかけてしまっていたのだ。

 しかし僕はそんな燐子さんの手を握って強く訴える。

 

「僕は何度だって言い返しますよ。人間はそんな人ばかりじゃないって。たとえ傷付けても、それを償おうとしてくれる人間も沢山いる。先生は最後まで知らなかったけど、燐子さん自身がそうじゃないですかっ」

 

「麗牙さん……」

 

「燐子さんが今でも僕に負い目を感じてくれているのは知っています。何とかして償いたいって思っているのも全部。僕の目の前にいるたった一人の人間がそんな優しい人なら、僕はすべての人間が恐ろしいなんて絶対に言えません。燐子さんたちがいるから、僕は人間に絶望したりしません」

 

 悪意無く誰かを傷付けてもそこで終わらないのが人間だ。いつかは自分のしたことに気付いて罪悪感が芽生える人がいる。償いたいと思う人がいる。変わりたいと思う人がいる。そんな人を知っているからこそ、僕は先生みたいになったりはしない。

 

「人間はただの獣じゃない。たとえ間違いを犯しても、そこから変われる存在です。人はみんな変身できる。僕はそう信じています」

 

「ありがとう麗牙さん……麗牙さんがそう言うのなら……わたしも信じます……」

 

 燐子さんだけじゃない。僕の聞く限り、Roselia自体も当初から変化したのだと分かる。友希那さんや紗夜さんの音楽を続ける意味が変わったように。

 そもそも人の心の音楽が一辺倒なものであるはずがない。音楽のように人の心も絶えず変化し続けるものなのだ。あの人は教師でありながら、人間の成長を信じることができなかった。そして自身も変わる事ができなかったのだ。

 

「先生も、あの人みたいに変われていたら……」

 

「あの人……?」

 

 彼女とは境遇は違うが、同じように他種属への価値観を固めてしまったとある一人の男を思い、つい言葉に出てしまう。

 

「健吾さんの師匠のことです。先生と境遇は違うけれど、ファンガイアを殲滅することが世界の平和だと信じていた人間だったそうです」

 

 僕の知る健吾さんの師匠は、今は人間とファンガイアの共存のために戦っているが昔はそうではなかったそうなのだ。昔の彼はファンガイアを敵だと信じて疑わず、それが世界平和のためと信じて討伐対象と見なしていた。しかし戦いの中の出会いと経験が彼の価値観を大きく変えたのだ。人として大きく成長した彼は今では仲間と共に真の意味での平和のために奮闘を続けている……らしい。

 

「まあ彼から直接聞いただけで、この目で見たわけじゃないんですけどね」

 

「でも綾野さんの師匠……先生は……変われた人……なんですね」

 

「うん……僕じゃ足元にも及ばないほどに強い人です」

 

 身体だけじゃない。彼の精神も並みの人間の比では無いほどの強靭なものだと今にしても強く思う。僕の先生は残念な結末になってしまったが、あの人は決して同じ道に転がることはないと確信している。本当に健吾さんはいい師に巡り会えたと思う。

 もしも彼がもっと僕たちの側にいてくれたのなら、これまでの悲劇も起こらずに済んだのでは? そう思ってしまうほどの頼りがいのある人物であった。

 

「その人は……今はどこに……?」

 

「今はこの世界のどこにもいません」

 

「えっ……そ、それって……」

 

 引きつるような声を上げる燐子さんを見て、何かを勘違いさせてしまったと慌てて訂正しようとする。これではまるで彼が死んだと言ったようなものじゃないか。そもそも健吾さんの師匠が死ぬなんて考えられない。黄金のキバを持ち出さなければまともに勝負にならない人がどうやったら死ぬのか僕が知りたいところだ。

 

「あ、いや、生きてますからっ。でも何て説明したらいいのかな……住んでる世界が違うというか、自分の世界に帰ったって言うか……ここにいないのは確かで……」

 

並行世界(パラレルワールド)……ということですか?」

 

「……難しい言葉を知ってますね」

 

「いえ……ゲームや漫画ではよくある言葉なので……でもまさか本当に……」

 

 そう、彼はこの世界に生きる人ではない。

 

 何の偶然かは知らないが、キャッスルドランの「時の扉」を超えてこの世界に現れてしまったのだ。

 

 異世界からやってきた戦士。それが健吾さんの師匠であった。

 

「異世界って……本当にあるんですか?」

 

「そうじゃなければ説明つかないこと、僕は結構経験しましたから」

 

 彼との出会いがあるからこそ、その後に現れたあの通りすがりのこともすんなりと受け入れられたのだが……その話はまだ彼女には早いだろう。アレはやはり今思い返しても滅茶苦茶が過ぎる。話が無駄にややこしくなるだけだ。

 

「彼の話はここまでにしましょう。とりあえず他に何か手掛かりがないか──」

 

 話が脱線してしまったが、ここに来た目的を思い出して先生の日記を最後まで読み進めようとする。先生自身のこと、そして他のレジェンドルガのことを追い求めて僕らはここにいるのだから。

 

「燐子さんっ……これ……」

 

「っ……」

 

 そして日記の最後に書かれている内容に僕たちは息を飲んでいた。

 

 

 ──綾野くん……まだ麗牙様の友達をやっていたなんて。人間がファンガイアに近づいてはいけない。彼もすぐに殺さなくては。

 

 ──計画を変えることになった。綾野健吾は青空の会の戦士イクサ。私の代わりに彼らが始末するそうだ。そのための情報として松原さんを……TETRA-FANGのチケットを持っている私に話しかけてきた彼女を利用するよう伝えた。

 

 ──実行は仲間が集まる週末らしい。

 

 ──今、白金さんに呼び出された。予定とは違うが場合によっては今日、白金燐子を殺すことになるだろう。

 

 

 日記はそこで途切れていた。この後に僕が彼女を倒したから、このノートの持ち主は永遠にここに書き足すことも内容を見返すこともない。

 

 しかし今はそれどころではなかった。先生の書いた内容が真実なら、彼女の言う「彼ら」──何者かがイクサである健吾さんを襲撃することになっている。それも週末と言うことは今日だ。

 

「あ、綾野さん……しかも松原さんまで……っ」

 

「っ、健吾さん……出ないっ」

 

 彼に迫る危機に焦りすぐさま健吾さんに電話をかけるも、彼が通話に出ることはなかった。マズい、これはかなりマズい。健吾さんだけならばいざ知らず、松原さんまで巻き込まれているとなると彼にとって不利な戦いを強いられるかもしれない。以前に人質を取られた時のように僕が駆けつけることができればいいが、連絡が付かなければどこに行けばいいのかも分からない。

 

 しかし、更に悪いことは続く。

 

 

 ♬〜♬〜♬〜

 

 

 ちょうど健吾さんの危機を伝えるかのようにブラッディ・ローズの音が僕の耳に響いてきたのだ。予想通り僕らの街で起きていることまでは分かるが、しかし今いるこの場所からはあまりにも距離があり過ぎた。どれだけ急いでもすぐに健吾さんの援護に駆けつけることは不可能だった。

 

 親友の危機にすぐに動き出さねばと足に力を加えようとしたその時であった。

 

 ♬〜

 

「っ、今度は何っ……どうしたのアゲハっ──」

 

 突然電話がかかって来たため、外に向けて歩きながら通話に出る。端末の画面に映る名前から相手がアゲハだと分かったが、募る焦りからか電話の向こうにいる彼女に苛立ちを込めた言葉を投げてしまっていた。

 

「──え……?」

 

 しかし、彼女の告げた予想外の情報につい足が止待ってしまうのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「──っ!?」

 

 花音が健吾に小さく笑いかけた直後、健吾の腹部に鋭い痛みが襲い掛かっていた。同時に地面にぽたぽたと落ちていく赤い滴。それは健吾に突き立てられたナイフを伝い、それを握りしめる花音の手にも流れていた。

 

「ぁ……か、のん……?」

 

 目の前で起きている現実が信じられず、千聖は震えた声でその名を呼ぶことしかできなかった。あの大人しい少女が凶器を握っていることにも、それが健吾の腹に突き刺さっていることにも、健吾の身体から赤い血が流れ落ちていることも、何もかもが飲み込めないまま千聖は目の前が真っ暗になってしまいそうになっていた。

 

「ぃゃ……違うなぁ……っ、誰や……お前ぇ……!」

 

 しかし健吾は花音の手を握ると彼女の目に訴える。正確には、花音の中にいる何者かに向けて健吾は叫んでいた。

 

「……もっと深く刺すつもりだったのに……この子意外と耐えるねぇ。ふんっ!」

 

「ぅぐッ!?」

 

「健吾くん!!」

 

 花音の身体を使う何者かは健吾の身体から思い切りナイフを引き抜き、襲いかかる激痛に耐え切れず健吾は地面へと倒れ込んでしまう。しかしそれと同時に、花音の口から語られた言葉をヒントにこの事態を引き起こした存在の正体を見抜いていた。

 

「っ、まさか……ゴースト族……!」

 

 実体を持たず人間や他種族に取り憑くことで現象を引き起こす、十三魔族の内の一つ。それが花音の身に起きた変化の謎であった。予想外の相手からの襲撃に歯を食いしばり睨みつける健吾であったが、敵が憑依したままの花音は尚も楽しげに微笑んだまま告げたのだった。

 

「当たり……でもそれだけじゃないよ?」

 

「え……な!?」

 

 花音の背後から現れる二つの影。それは紛れもなく人知を超えた異形──レジェンドルガであった。ウルフェン族に似ている頭部が三首で構成されたケルベロスレジェンドルガ。鷹のような頭部と翼に獅子の脚を持つグリフォンレジェンドルガ。更なる驚異の襲来に健吾の額からは汗が滝のようになだれ落ちていた。

 

「そして私も……」

 

 更にもう一人、気配もなく二体の異形の背後から近付いてくる一つの影があった。生きている気配を感じさせない青銅造りの人形のようなそれが花音に近付いた直後、彼女に取り憑いていた何かが飛び出した。そして立ち尽くす人形に乗り移ると、人形は途端に生気を帯びたように動き始めたのだ。

 

「っ……花音!」

 

 ゴーストが抜けた途端に花音の身体から力が抜け、そのまま地面に倒れ臥す。しかし今は痛みに苦しむ健吾から離れられない千聖はすぐに花音の元へと駆け寄ることはできなかった。

 

「私も今はレジェンドルガ……タロースってことでよろしく」

 

 そして神話の中に登場する自動人形の名を冠するレジェンドルガは、実に楽しそうに健吾たちに語りかける。目の前の存在はもはやゴースト族ではなく、レジェンドルガとして生まれ変わった新たな驚異──タロースレジェンドルガであった。

 三体のレジェンドルガに狙われた健吾は、腹部の痛みを堪えながらも立ち上がるしかなかった。

 

「ぐ、ぐぅ……!」

 

「だ、ダメよっ。そんな酷い怪我で戦ったら……!」

 

「何もせんでも、このままやと殺られるっ。やったら最後まで足掻くしかないやろ……ふぅっ」

 

 

R・E・A・D・Y(レディ)

 

 

 千聖の静止もこの状況では意味をなさず、健吾は食いしばりつつイクサナックルを己の掌に当てる。そして千聖に小さく言葉を伝えると、戦いのための変化の言葉を叫んだ。

 

「千聖ちゃん。すぐに花音ちゃん連れて逃げるんや。頼むで……っ……変身!」

 

 

F・I・S・T(フィスト) O・N(オン)

 

R・I・S・I・N・G(ライジング)

 

 

「ォオオオオオオオッ!!」

 

「健吾くん!!」

 

 ライジングイクサへと変身した健吾は襲いかかる痛みを忘れ去るように叫び、イクサカリバーを手に異形へと駆けていく。そしてタロースと交わる瞬間、相手から繰り出される爪の斬撃に切り結ぶように己の剣を振るいかかった。

 

「フンッ!」

 

「ハァァァ!(よし行ける……戦える!)」

 

 敵に加えた攻撃の手応えから、健吾はまだ自分が戦えると確信して内心で鼓舞する。本来ならば最初の不意打ちで死んでいてもおかしくはなかったが、操られていた花音が必死に止めていたこともあり、初撃を急所から逸らされていたのだ。故に十全ではないが、何も為せずにやられることはないと確信した健吾──イクサは更なる追撃に移行しようとした。しかし……。

 

「ジェァア!!」

 

「っぐァァ!?」

 

 タロースの背後から現れたケルベロスの拳がイクサの無防備な腹に突き刺さる。傷を抉られるような激痛に悶えるイクサは後退してその動きを止めてしまうが、その隙を異形たちが見逃すはずがなかった。

 

「フンンンッ!」

 

「がぁア゙ア゙ァッ!?」

 

 空から飛びかかってきたグリフォンの爪がイクサの堅牢な装甲を引き裂き、火花を飛び散らせながらイクサは吹き飛ばされていく。それを逃さまいと異形たちはイクサを追い、いつしか人気の無い広場へと……より数の差が顕著に出る戦場へと移ってしまう。

 

「ぅ、グぅ……ゥラァァァ!」

 

「フンッ! ゥガァァァッ!」

 

「っ、がハッ!?」

 

 無防備に迫るケルベロスに向けてイクサライザーの弾丸を発射するが、左右二つの首から放たれる火球によって呆気なく相殺され、残る真ん中の顔から放たれた火球をまともにくらいイクサ更に吹き飛ばされていく。何とか踏ん張ろうと脚に力を込めようとするも、彼が立ち直ることを許さないグリフォンの空からの追撃をモロに浴びてしまう。

 

「ぅぐァァ!?」

 

「健吾くん!!」

 

「っ……ォオラァ!」

 

 千聖の悲痛な叫びが薄れかけたイクサの意識をつなぎ留め、足元をふらつかせながらもイクサは敵に向けて弾丸を放った。しかしその攻撃が異形に襲い掛かることはなく、また避けることもなく奇怪な身体の横を通り過ぎてしまったのだ。

 

「もう狙いも定かじゃないんだ……脆いね」

 

「く、そ……ッ」

 

 手負いの身であるイクサの動きは鈍く、当然ながら本来の力は出し切れてはいなかった。しかしいつもの実力が出せていたところで、強力な三体のレジェンドルガの前では彼の命は無いにも等しかった。それほどの強者を揃えて彼らは確実にイクサを始末しにきたのだ。そんな中で彼の負った傷は余りにも致命的であり、もはや生存は絶望的に思われた。

 

「まだ、や……!」

 

 それでもイクサは諦めることなくライザーフエッスルをベルトに装填する。ナックルを押し込んでイクサの極意を発動させ、エネルギーが充填していくイクサライザーの銃口を異形たちに向けていた。

 

「ハァァァァァッ!!」

 

 そして声を上げ、ファイナルライジングブラストを放った。眩く光を放つ巨大なエネルギーの渦は真っ直ぐレジェンドルガへと向かっていく。まともに食らえば最後、いかなる猛者であろうと塵芥に還る強烈な破壊の波が異形に襲い掛かろうとしていた。

 

「フンンンンンンンッ!!」

 

「っな!?」

 

 しかし直後、イクサの口から驚愕の声が漏れる。ケルベロスの三つの頭部から、まるでビームのように太い煉獄の炎が放たれたのだ。三本の光線はケルベロスの前で一つに交わり、巨大な一筋の光線となってイクサの攻撃と激突した。

 

「きゃ!?」

 

「っ、フンンングゥゥゥッ!」

 

 ぶつかり合う二つのエネルギー。激しい衝撃が巻き起こり、力のない人間は立っていることすらできなくなる。両者の力はほぼ拮抗し、力と力の押し合いが続いていた。

 

「っぐ……ぅぐッ!?」

 

 しかしその拮抗はイクサライザーを握るイクサ自身の変調によって崩れ去った。腹部に損傷を受けた状態では迫りくる膨大なエネルギーを支えることに身体の方が持たなかったのだ。いくらイクサシステムの擁護があろうとそれを支える健吾の身体自体が既に限界を迎えていた。

 

「っ、ぅおアアアアアァ!?」

 

 よってイクサは武器を握ったまま踏ん張ることができなくなり、そのまま己の放つ砲撃によって吹き飛ばされてしまったのだ。ケルベロスの放つ攻撃を食らうことはなかったが、先の激突で傷口が開き、イクサもはや立っていられるのもやっとのことであった。

 

「ハァァァァァ!!」

 

「っ!? ガァァァッ!?」

 

「ああっ!?」

 

 そんな吹き飛ばされたイクサを待ち構えていたグリフォンは畳み掛けるように追い討ちをかける。空からの急降下と共に繰り出される鋭い蹴りはイクサの胸を真っ直ぐ突き刺さり、そして限界を迎えたイクサの鎧は光と共に消えてしまった。

 

「ぅ……ぁ……がはッ……!」

 

 強制的に変身が解除され、そこにはうつ伏せて傷だらけになった健吾が現れていた。腹部の出血も変身前より増えており、更に口からは血反吐を吐き出す有様であった。ほとんど死に体にも見えるがそれでもまだ息がある健吾に対して、とどめを刺さんと異形たちは彼へと歩み寄る。

 

「ェほッ……カハッ……ハァ……ぅぁ……」

 

「イクサ……同胞の仇。ここで消えてもらう」

 

「やめて!! お願いだからもうやめて!!」

 

 意識が朦朧とする花音に肩を貸しながら、その様子を見ていることしかできなかった千聖は叫んでいた。己が無力であることは承知であったが、今は自分に何ができるかなどは二の次だった。とにかく今何か動かなければ健吾が死んでしまう。まともに身体を動かすこともできずに息も絶え絶えに倒れ臥す健吾を見て、千聖は必死の思いで声を上げていた。

 

「……」

 

 しかし異形たちは千聖の言葉に反応する素振りすら見せず、淡々と健吾の元まで近付いていく。そんな中タロースだけは千聖に振り返るとその手に剣を召喚し、地面に切っ先を当てて地を裂きながら歩んできた。

 

「それは無理だよ。そのためにここにきたんだから。あー、あと君たちの先生には感謝しなきゃね。正直こんなに楽にいけるとは思わなかったし」

 

「え……」

 

 タロースの言葉の意味を当然千聖は理解できていない。先生とは誰のことを言っているのかなど、新子の事情を知らない彼女からしてみれば何が何だか分からないのが正しいのだから。

 

「でも邪魔はさせないよ。君はそこで彼が終わる瞬間をじっくり見てるといいさ」

 

「っ……(お願い……! 誰か助けて……誰か……神様……健吾くんを助けて!!)」

 

 タロースによって剣先を突きつけられて動くこともできなくなった千聖は、もはや祈ることしかできなかった。この先自分たちがどうなるかは検討が付かないが、少なくとも健吾の死が確実なものになってしまうと心が訴えていた。しかし彼女には何もできない。異形の口から炎が見え、健吾を焼き払おうとしても止める術はない。無力な彼女は神に縋ることしかできなかった。

 

「散れ。イクサ」

 

「ぐ……ぅぅ……!」

 

「健吾くんっ!!」

 

 そして異形の最後の一撃が健吾に襲い掛かろうとした……

 

 

 

 

 

 ……その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「混沌蔓延る魑魅魍魎の魔境──」

 

 

 

 

 その場にいる全ての者に向けて声が響いていた。

 

 

 

 

「む……誰だ」

 

 

 

 

 新たに歩み寄る気配に異形たちは一斉に動きを止め、その声の持ち主へと振り向く。

 

 

 

 

 そこには一人の男がいた。

 

 

 

 

「──哀傷の神は戦士を招来せん」

 

 

 

 

 そこにいることが自然であるかのように、男は悠然と存在していた。

 

 

 

 

 凛とした佇まい、歩くだけのその姿でさえ様になる様子は、ある種の威厳すら兼ね備えていた。

 

 

 

 

 異様な雰囲気を放ち近付いてくる男の姿に、異形たちは思わず手を止めたままその存在から目が離せなくなっていた。

 

 

 

 

 その男の全てを見透すかのような真っ直ぐな瞳には、正義の炎が燃えていた。

 

 

 

 

「ぁ……(まさか……っ)」

 

 

 男の声、言葉、そして顔に見覚えのある健吾の口から微かに声が漏れる。

 

 

 何故ならそれはもう会えないと思っていた人だから。

 

 

 かつてその強さ、人間性に惚れ、強く憧れた人だから。

 

 

 自分の知る限りの最高の人間であったから……。

 

 

「貴様……何者だ」

 

 

 そして、異形の問いかけに男は答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……名護(なご) 啓介(けいすけ)。異世界に再臨」

 

 

 

 

「師匠ぉぉッ!」

 

 

 名護啓介──それは異世界より来訪した健吾の師匠……そして異世界の戦士の名であった。




次回、名護イクサ爆現!
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