ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『帰ってきた健吾の師匠――名護啓介。圧倒的な力でレジェンドルガ共はあれよという間に蹴散らしてしまったぜ』

『そんな彼を見て更に強くならねばと健吾さん。名護さんに更なる特訓を懇願しますが……?』


第141話 動かない天秤

 ♬〜

 

 翌日、ライブ本番を迎えた昼過ぎのキャッスルドラン内では僕たちTETRA-FANGの最終調整が行われていた。夕方に開始される僕たちの番まではまだ余裕があるため、今のうちに合わせておきたいと“彼”が頼み込んできたのだ。

 

「〜っ。悪りぃ、さっきのとこミスったわ」

 

 そう言って笑いながら詫びてくるのは、昨日傷を負ったはずの健吾さんだった。今日の明け方、突然僕たちに対して練習しようと持ちかけてきて今に至る。

 しかし致命傷ではないとは言え、その傷は一日二日で塞ぎ切るような小さなものではない。間違いなくあとしばらくは痛みを伴って然るべきはずなのに、彼は今も呆気からんとしていつものようにギターを握っている。本人曰く「気合で治した」とのことだがそんなはずはない。一応はこの城の魔法の薔薇で傷を癒しながらの状態にしているが、それでもまだ痛みは伴っているはずだ。

 彼が練習することに当然僕は反対した。そんな状態でまともなパフォーマンスなんてできないし、健吾さんの傷が開いて悪化すれば今後どうなるかは予測できない。そもそも今日のライブだって健吾さん抜きで行うつもりだったのだ。しかし結局は健吾さんの熱意に負けて、こうして共に練習するに至っている。しかし……。

 

「いつもなら何もないところですよ」

 

 最初こそ何もなかったが、練習が長引くにつれて彼のミスが増えていた。難しいところならいざ知らず、普段なら間違いようのない比較的簡単なパートまで細かいミスが目立っていた。明らかにいつもと違う様子の彼を見せつけられて、流石に目が余るようになっていた。

 

「だ、大丈夫やって。少し痺れただけで、そろそろ身体も慣れてきたところやし」

 

「大丈夫? 何度目だと思ってるんですか? さっきから何もないところで何度も何度も……」

 

「ぅ……ごめんて、でもそんなキツ言わんでも……」

 

 無理を言って練習をさせてくれと言ってこの様ならば苛立ちも生まれてくる。あたりのキツい言葉だと自分でも自覚しているが、このままでは悪戯に彼の身体の負担になるため、僕は彼に休んで欲しかったのだ。

 

 しかし、彼の音楽の不調の原因は彼の身体の傷にないことは分かっていた。これまでも身体に傷を負いながらの演奏は何度もこなしていたが、ここまでの酷いパフォーマンスは無かった。だから彼の音楽が不調だとすればそれは……。

 

「そんなに傷が……いや、名護さんの言葉が気になっているんですか?」

 

「……それは……」

 

 健吾さんは痛みで身体が動かないのではなく、単に音楽に集中できていなかったのだ。その原因を突き付けられて罰が悪くなる健吾さんを見て、その予想が確信に変わっていた。

 

 それは昨日のこと。健吾さんが名護さんに再び特訓をしてもらうように頼んだ時のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『修行の前に君に質問……いや、問題を出そう』

 

『問題?』

 

 鍛錬をつけてくれと頼む健吾さんに対して名護さんが返したのは承諾でも拒否でもなく、一つの問いかけだった。それは今後の健吾さんの戦いを、そして生き方を問う重要なものであった。

 

 

『自分の音楽人生と誰かの命。君はどちらに天秤を傾ける』

 

 

 どちらかを選ぶ必要が問われた時、彼はどちらを優先するのか。そんなよくあるような二択の問題だった。

 

『音楽か誰かの命って、そんなの決まってます。その覚悟だって俺は──』

 

 そして健吾さんもその答えは既に出していたようで、特に考える素振りを見せずに答えようとする。音楽に真剣な健吾さんでも、目の前の命を見捨てるような真似は絶対にできない。もしその時が来た場合、健吾さんはその命を助けようとするだろう。僕も、そして健吾さん自身もそう思っていた。そこに迷いはなく、相応の覚悟を僕らは抱いていた。しかし……。

 

『君は本当にその答えに納得しているのか?』

 

『──っ』

 

『え?』

 

 そんな名護さんの言葉に健吾さんは言葉が詰まってしまっていた。それは僕にとっても意外な言葉であり、名護さんでなく目を見開いている健吾さんの方へと視線をやる。納得していない? それは僕も初めて聞く健吾さんの心境だった。そして名護さんは、その答えに行き着いた理由を話し始めた。

 

『……さっき、この世界の青空の会に君の戦闘データを見させてもらった』

 

『何か悪いところでも?』

 

『いや、君は俺の教え通りの戦いをしている。汚れのない、正に戦士に相応しい清廉潔白な戦い方。とても優秀な戦いだ。何も間違ってはいない。だが……君は以前に俺が教えたことをそのまま忠実に再現しすぎている』

 

『ど、どういうことですか?』

 

 健吾さんの同じ気持ちを僕も抱いていた。教え通りの戦い方をできているのなら、何故そこに名護さんがすっきりしない表情を浮かべるのか僕も分からない。名護さんの教えがあって健吾さんが強くなったことは僕も知っているし、今だって健吾さんは力をつけてきている。その上で名護さんが健吾さんの戦い方に違和感を抱いたのなら、それは一体何なのか……。

 

『綾野くん。君は俺の教えたまま……綺麗なまま戦いに勝とうとしている。身体……特に指に一切被弾しないように、無傷のまま戦闘を終えようとしている。そこが気になった』

 

『それの何がアカンのですかっ。攻撃やったら食らわんようにするのがええんと違うんやないすかっ?』

 

 予想外の指摘に健吾さんは熱が上がり、少し噛みつくように名護さんに問いかけていた。確かに無傷のままで敵を倒せるならそれに越したことはないだろう。被弾すればその分自身の命の終わりが近付いてくるのだから当然だ。

 しかし、僕はその時の名護さんが何を言いたいのか分かってしまった。それは名護さんと健吾さんの戦い方を見比べればすぐに分かることだった。

 

『君の戦いからは何をしてでも勝利するという泥臭さ……勝利への貪欲さがあまり感じられない』

 

『勝利への貪欲さ……何を言ってるんですか師匠?』

 

『俺は必要があればイクサの防御力を利用した捨て身の戦法も使っている。それが正しいとは限らないが、勝利のためにはどうしてもそれが必要な場面が出てくる。イクサを開発した青空の会を信じているからこそできることだ。だが君は、どんなギリギリの状況でもその選択を取っていない。それは君が無意識に自分の身体を労っている証拠だ』

 

『なっ……!?』

 

 名護さんと健吾さんの大きな違い。それは肉を切らせる戦法を使うかどうかだった。名護さんは先の戦闘のように敢えて敵の攻撃を食らうことで活路を見出だすことが多い。避けることができない銃弾の嵐の中を敢えてその身で突破することもある。しかし健吾さんの戦いの中でそのような様子は見られない。基本的に避けるか、攻撃を叩き落とすくらいだ。健吾さんが攻撃を喰らうときは、彼の予期せぬ時ばかりであった。

 流石の名護さんも捨て身の戦法を健吾さんにまでは教えていなかったのだろう。故に彼は言ったのだ。自分の教えた通り忠実に戦っていると。

 

『ちょっと待ってくださいっ! あなたは健吾くんにそんな無茶をしろと言うんですか!?』

 

 当然、捨て身の戦法を勧めるような名護さんの言い草に千聖さんは反発していた。彼女はこれまで何度も健吾さんが戦いの中で傷つく姿を見てきている。そんな中で更に危険な戦いを強いることを千聖さんは許せなかったのだ。

 

『無茶をしろと言っているわけではない。ただ綾野くんの戦い方を見るに、彼の中にはまだ折り合いが付いてないように思えたまでだ』

 

『折り合い?』

 

 しかし名護さんが言いたいことは捨て身の選択をしろということではなく、それによって見えてくる健吾さんの心の内であった。

 

『綾野くん、さっきの問題をもう一度聞く。君は自分の音楽人生と誰かの命、その時が来ればどちらを捨てる?』

 

 そして名護さんは再び健吾さんに問いかける。戦う以上決して避けることのできない選択。その答えは先も健吾さんが言った通りで変わりはないのだろう。しかし名護さんはその答えだけでは満足してくれなかった。

 

『いざとなったら俺は誰かの命を守る。そもそも、俺の音楽と人の命なんて天秤にかけられるようなもんと──』

 

『そこだ、君は攻撃を食らわないことでその前提を外そうとしている……最初から自分の音楽人生を天秤にかけないつもりでいる』

 

『っ……』

 

 名護さんの指摘通り、そもそもの前提として健吾さんはその二択で考えようとはしていなかった。最初から自分の音楽を安全圏に置いた上で誰かを助けることに全力を尽くしていたのだ。それが名護さんの指摘する、健吾さんの傷を負わない戦い方の問題点だった。

 

『だがそれは解決にはならない。戦士として戦う以上、君は自分の音楽を必ず天秤にかけなければいけない。その問題に逃げずに立ち向かわなくてはいけない。音楽が消えるかもしれない賭けに出ること……その覚悟を経て、それに君自身が納得ができなければそれ以上は強くなれない。俺が特訓しても無駄だ』

 

『っ、そんな……』

 

 健吾さんがこれ以上強くなるために、彼は自分の音楽を窮地に追いやらなければならない。人間が人間のまま強くなるにはその覚悟が必要なのだと名護さんは語っていた。そんな彼に対して健吾さんはその場で答えを出せず、そして今日まで悩んだまま自分の音楽を引き出せずにいたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……師匠の言う通りや。俺はいざとなったら自分の音楽を諦める覚悟でいたけど、実際は最初からそのつもりがなかっただけやった。本当の意味でそれを迫られたことなんて今までなかったしな」

 

 名護さんに指摘されてようやく気付いた自分の心の隙。それは自身の甘さを突きつけられるようなものであり、健吾さんは自嘲気味に自身の想いを溢していた。

 

「なぁ麗牙。アゲハと愛音も、お前らはどうなんや。絶対に失われたらアカンもんか、自分の譲れんもんか、どっちを取るんや?」

 

 自身で答えを出せない健吾さんは僕たちに助けを求めていた。僕たちが彼と同じ立場になった時、果たしてどのような選択を取るのか。その答えを彼は欲しがっていた。

 

「私はその時が来たら、きっとどちらかをキッパリ諦めると思う。迷ってる暇なんてないから」

 

 アゲハは迷わずにそう答えた。真面目で即断を迫られることの多い彼女だからきっとそう答えるだろうという予想はしていたが、ここまで即答されるとは思わず僕も健吾さんも苦笑していた。

 

「私は……分からない……その時になってみないと……あ、兄さんの音楽か自分だったら兄さんを取るけど」

 

「そこ即決しないでほしいな……第一、愛音にそんな選択させないから」

 

「うぃ……」

 

 可愛らしく親指を立ててサムズアップを向ける愛音に苦笑しつつ、自分と同じように結論の出ていない彼女を見て安心する健吾さん。彼は最後に僕の方を見て静かに尋ねてきた。

 

「……麗牙はどうなんや?」

 

「どうですかね……僕これまでずっと迷ったり悩んだりしてきたし、これからも迷わないなんて断言できません。その時になってみないと、何て答えるかは分からないかも」

 

「せやろな、そこは何か変な信頼感さえあるわ」

 

 不名誉な信頼を受けて互いに苦笑してしまうが、そこで彼はこんな問いかけを繰り出してきた。

 

「なぁ麗牙、自分の音楽とキングとしての責務。この二つやったらお前はどっちを選ぶんや?」

 

「難しい二択ですね。少し前の僕だったらきっと迷って何もできなかったかも」

 

 思えばこれまでも僕は何度となく悩ましい選択を強いられてきた。リサさんと紗夜さんの間で悩んだこともまだ記憶に深く刻まれているし、人間を愛したファンガイアの凶行に対する判決、燐子さんの時に至っては人間との関わりを断つことさえ考えてしまっていた。しかしそれらを乗り越えた今、僕は健吾さんのその問いに答えることができた。

 

「ほぉん、今ならどうするんや?」

 

「その二つだったら……同じ天秤にかけることはできないかな。僕にとってはどっちも同じだし」

 

「はぁ?」

 

 そして僕は簡単にそう告げた。敢えて誤解を招く言い方にしたが、アゲハはその意図を察してくれたようでため息混じりに笑ってくれた。しかしそれが自身の望んだ答えでなかった健吾さんからは少し噛みつくような言葉が飛んできた。

 

「いやいや、それやったら答えになってないし、そもそも天秤にかけてないんやったら今の俺と一緒やんか。お前にこんなこと言いたくないけど、先生のこと殺したくなかったのにそうしたんも、それよりもキングの責務が重かったからと違うんかっ」

 

「天秤にかけなかったから倒したんです。あの時点で先生の命は……僕の中で天秤の上にありませんでした」

 

「っ……麗牙お前……」

 

 先生の日記を読んで確証を得られたが、僕が対峙した時点で既に彼女を改心させることは不可能だと僕の中で確信してしまったのだ。もはや壊れた心のまま殺戮を繰り返す彼女を野放しにはできない。ファンガイアでなくレジェンドルガであるため、その力を奪って無力化することもできない。捕らえたままにするにもリスクが大きすぎる。だから僕はあの時、彼女を倒す決断を下した。そこに悲しみ苦しみなどの葛藤はあれど、迷いはなかったのだ。

 

「まあ偉そうなこと言っても、またどこかで何かで迷うんだと思います」

 

「まあそれはそうやろな。見てたら分かるわ。それよりどっちも同じってどういうことや? 自分の音楽とキングとしての責務が同じって」

 

「人はみんな心に音楽を奏でている……僕が生き続ける限り、僕の音楽は途切れることはないんです。僕は僕の音楽を失うわけにはいかない。キングとして生き続けることもキングの責務だから」

 

 他人からすればとんちみたいな答えに思えるかも知れないが、僕自身が本気でそう思っているのだからそれ以外に言いようがない。僕の音楽は僕の命そのもの。それを保たせることもキングの責務なら、それら同じものを天秤に乗せることは不可能だと僕はそう言ったのだ。

 しかしそれを理解した健吾さんはより一層機嫌を悪くし、苛立ったような声を上げて更なる問いかけを投げかけてきた。

 

「あーそうやな、お前はそうや。俺の質問が悪かったわ。じゃあ聞くけど、燐子ちゃんの命か自分の命かやったらどっちを取んねやっ」

 

「ちょっ、健吾っ」

 

 より具体的な例を挙げて回答を迫る健吾さん。そんな彼の音楽は嫌に攻撃的で、僕も少しムキになって冷たく答えてしまう。納得を得たいのは分かるが、そのために先生だけでなく燐子さんまで出してきて問いかけようとする彼の姿勢には少し腹が立ってきていたのだ。

 

「さっきと同じです。同じ天秤にかけることはできないって」

 

「お前またそれかっ。今度はクイーンを守るのもキングの責務とか言うんとちゃうわな?」

 

 実に健吾さんらしくない。いつもの彼なら僕の言葉くらいすぐに理解してくれるはずなのに。僕が燐子さんを守るのはキングだとかクイーンだとか関係ない……もっと簡単なことなのに。

 

 何で分からないんだ……健吾さんならそんなこと分かって当然なのに……僕の言葉よりも名護さんに言われたことがそんなに響いているのか?

 

 それが悔しくて、そしてやるせなくて、僕は何も考えず感じたままの苛立ちを言葉にして健吾さんに投げつけていた。

 

「じゃあ健吾さんにピッタリの答えを上げますよ。たとえ同じ天秤にかけたとしても僕はどっちも捨てません。僕にはそれだけの想いも力もありますからっ。健吾さんと違って」

 

「兄さん……っ?」

 

「な──そんなこと言うかよ……あぁそうかよ……」

 

「っ、健吾!?」

 

 途端に力が抜けたように肩を落とし、静かに扉に向けて健吾さんは歩いていく。明らかに熱気の消えた音楽を奏でる親友は扉に手を当てると、覇気のない言葉で僕らに告げていた。

 

「……ちょっと頭冷やしてくるわ。やっぱこんなんでギターら弾けへんて」

 

 そして彼は部屋から立ち去っていき、残された僕らの間には何とも言えない沈黙が漂い始めた。

 

「ちょっと麗牙。今のは言い過ぎたんじゃない?」

 

「うん……私もビックリ……健吾にあんなこと言うなんて」

 

「……自分でも驚いてるよ。あんな状態の健吾さんに腹を立てるなんて……まさか彼と喧嘩するなんて」

 

「え……喧嘩……まではいってないと思う……」

 

 そうだろうか? 互いに苛立ちをぶつけ合ってしまったわけだが、それは愛音的には喧嘩とは言えないのだろうか? とは言え嫌な気持ちのまま別れてしまったことには違いなく、彼がいなくなったことで冷静さを取り戻した僕は途端に彼に対して罪悪感を抱き始めていた。

 

「でもやっぱり言い過ぎちゃったかな。ちゃんと言葉の意味を伝えた方が──」

 

「大丈夫だよ麗牙。健吾はちゃんと自分で考えてるよ。だから今だって自分から身を引いたんだし」

 

「──そ、そう、か……」

 

 少しカッとなっていた僕よりもアゲハは健吾さんのことをよく見てくれていた。僕との会話がヒートアップする前に自分から引いてくれたのだとようやく気が付き、余計に申し訳ない気持ちが膨らんでいく。らしくない姿を見せていたが、悩める親友に対してもう少し親身に接するべきだったと今更ながら後悔してしまっていた。

 

「でも、どの道あんな状態の健吾……ステージに上げられない……そうでしょ?」

 

 愛音の言う通り、身体に傷を負い、更には迷いの生じたブレた音を奏でる彼をステージに上げるのはあまり気が進まない。それを告げればどの道彼とは喧嘩してしまっていただろう。

 

「私は待つよ。なんだかんだ言ってアイツは戻ってくる。麗牙も愛音も、そう信じたいんじゃないの?」

 

「……しゃーなし……」

 

「……そうだね」

 

 しかしアゲハの言う通り、健吾さんを信じたいと言う気持ちもまだ僕の中に残っているのだ。

 健吾さんが万全な状態で戻ってくるのを信じるのか、信じないのか。僕は今また二つの選択を迫られているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「……あー、取り込み中のところ悪いが──」

 

「次狼?」

 

 今は健吾さんが答えを固めることを信じて待つ、その選択を取ろうとしたところで、部屋を訪れてきた次狼から声がかけられた。

 

「──お前に手紙だ」

 

「手紙?」

 

 手に持つ手紙を僕に見せる次狼。しかし僕に手紙とはどう言うことなのか? ドランの居座るこのビルを住所にしたことは今まで無かったはずだ。愛音やアゲハなら分かるが、何故僕宛てでこの城に届くことがあるのか。次狼がこうしてわざわざ届けにきた辺り、魔族関連でないのは分かる。とすれば本当に選択肢が見当たらず、僕は疑心を抱きながら次狼から手渡された手紙を見やった。

 

「え……」

 

 そしてそこに書かれた送り主の名を見て、驚きのあまり一瞬息が止まってしまった。

 

 

「……美羽(みう)さん……?」

 

 

 幼い頃の記憶の中にいるあのヴァイオリニストを思い出す。一児の母でありながら崩れることのない美貌を持つ天才ヴァイオリニスト。どこか苦手意識を持つ彼女に対して複雑な想いを抱きながらも手紙の内容を一読し、しかし急を要するものでないことを知ると僕は再びマイクを手に取り、ライブまでの調整を進めていくのであった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「あ、あの……っ」

 

 それは昨日のことだった。私は健吾くんの病室から出て行った名護さんを追いかけると、そのまま歩き去ろうとする彼を呼び止めていた。彼が健吾くんにあんな風に問いかけをしたことの真意が知りたくて仕方がなかったのだ。

 

「どうかしたのか? 松原さん」

 

「えっと、その……どうして健吾くんにあんなことを……?」

 

「私も聞いていいですか?」

 

「千聖ちゃん?」

 

 名護さんに対して疑問を抱いたのは千聖ちゃんも同じだったようで、私たちの後を追ってくると名護さんの顔を問いかけるようにじっと見つめていた。そして名護さんはそれに対して黙することなく、私たちの目を真っ直ぐ見て質問に答えてくれた。

 

「綾野くんの心の中にはまだ迷いがある。それに決着を付けなければ、いずれ彼はより大きな傷を負うことになる。つまりそういうことだ」

 

「大きな傷?」

 

「音楽の永遠の喪失……と言っておこうか。彼にはその覚悟がまだ根付いていない。そして覚悟を持たないうちにその時が訪れれば、彼は深い絶望に陥ることになる」

 

「だから今のうちに健吾くんに押し付けるんですか? 音楽を失う覚悟を? あんなに一途に音楽が大好きでっ、楽しそうに音楽のことばかり語っている健吾くんに!?」

 

 千聖ちゃんは健吾くんに音楽を失う覚悟を背負わせることに対して感情的になって拒否感を顕にしていた。名護さんの言葉の意味も理解できるけど、私も千聖ちゃんと同じように健吾くんにそんな残酷な覚悟を背負わせたいとは思えなかった。

 

「彼は戦士だ。それが苦難の道のりと分かっていながら自らその道を歩むと決めた立派な男だ。しかし戦士である以上、何かを賭けずして戦うことはできない。賭けるものの無い者は戦士になり得ない」

 

「だからって……っ、何で健吾くんがそんな……」

 

「千聖ちゃん……」

 

 彼女は私よりも、健吾くんがどれ程音楽が好きかを分かっているのだろう。それだけに健吾くんが戦わなければいけないことに納得できなかったんだ。

 

「……悪いが、それは俺の口からは言えない。彼に直接聞いてくれ」

 

 何故健吾くんは戦士として戦うことを選んだのか。きっとそこに彼の大事なものが隠れているのだと何となく察するけど、そんな千聖ちゃんの疑問には名護さんは答えてくれなかった。そこから先は健吾くんの口から語られるべきものだと、私も名護さんの言葉に納得するしかなかった。

 

「あの、名護さん。もう一ついいですか?」

 

 健吾くんのことは今はこれ以上分からない。しかし私にはもう一つ彼に聞きたいこと……というよりアドバイスのようなものが欲しかったのだ。

 

「ああ、聞こう」

 

「ありがとうございます。あの、もし──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「健吾くん、大丈夫かな……」

 

 昨日のことで健吾くんが悩んでいないかと少し心配になりながらも、今は彼を信じて待つしかなかった。しかしそんな中、愛音ちゃんからメッセージが届いて健吾くんがバンドの練習に参加したこと、迷いの中で出て行ってしまったことを知り、居ても立ってもいられずあのお城に向かって歩いていた。今頃は千聖ちゃんも仕事が終わっていれば同じように向かっているはずだ。

 いくら私が方向音痴でも、空を見上げれば目に入る高いビルがゴールなのだからいつかは着くはずだと、何度目かになる行き止まりに当たりながらもゴールへは着実に近付いていた。私が力になれるかまだ分からないけれど、健吾くんを放っておけなくて、助けたくて、とにかく今は歩き続けることを考えていた。

 

 しかしその時だった……。

 

 

「やぁ、昨日ぶり」

 

「え──」

 

 

 背後から聞き覚えのある声が聞こえた直後、私の意識は身体から引き離され……いや、私の身体が私の意識から離れていったのだった。

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