『健吾さんは自分を犠牲にしてでも花音さんを助けようとします』
『しかしその時、花音の意識が目覚めて……』
それは昨日の病院内でのこと。健吾の部屋を出た名護を追いかけた花音は名護に質問を投げかけていた。何故健吾にあのようなことを告げたのか。そしてその答えを名護から受け取った花音は、更なる質問を投げかけていた。
「あの、もしまたさっきみたいに操られてしまったら……私はどうしたらいいんですか? 私はあの時、どうすればよかったんですかっ?」
「花音……」
それは質問というよりは助言を求める言葉であった。もし再び今回と同じように自分が操られ、誰かを傷つけそうになった時、自分に何ができるのか。もう誰も傷付けたくないと、未だに健吾を指した感触の残る手を包み込みながら花音は縋るように名護に問いかけていた。
「……難しい質問だな。それこそ操られた経験のあるものでなければ返せる答えではないだろう」
「そう……ですよね……」
「しかし幸いにも、俺はその答えを持っている。想いの強さで打ち勝つんだ」
「え?」
よく考えれば身体を操られる経験などそうあることではない。駄目かと落ち込みかけて花音が顔を俯かせたその時、その答えを名護が話してくれたことで彼女は驚き、希望の色を浮かべた顔をばっと上げて彼の目を見つめていた。
「君のように憑依されたことはないが、洗脳されたことがあった。俺の世界のファンガイアのキングにクーデターを仕掛けた奴らがいてな」
「世界? キングって紅さんのことじゃなくてですか?」
「そこの話は後にしよう。ともかく俺はその戦いの中で敵によって洗脳され、味方に襲いかかったことがあった。今思い返しても情けない話だ」
名護が異世界の人間だと花音たちにはまだ伝えていないため、余計な混乱を招くと見込んだ名護は、細かい事情を後回しにして要点だけを伝えることにした。それは名護自身にとって恥ずべきことではあったが、過去から逃げるだけでは成長しないことを彼は知っている。故に彼は花音に伝えようとしていたのだ。自分の身体が自分のものでなくなった時、己は何を想うべきなのかを。
「だが俺は敵の呪縛を振り切った。そして俺たちは見事、悪の野望を粉砕したんだ」
「どうやって……」
「あまりこう言うのは性に合わないが……愛の力、というやつかもしれないな。俺の場合は」
「あ、愛の力?」
名護の全くの予想外の言葉を前に、花音も千聖も口を半開きにして名護を見つめていた。この真面目そうな男性からそんな言葉が飛び出すとは思わず呆気な取られるが、しかしそれが何故彼の助けになったのかに興味を惹かれ二人は耳を傾けるのだった。
「今の俺には愛する人がいる。彼女の諦めない声が俺を再び目覚めさせたんだ。人が人を想う時、何ものにも負けない力が魂から湧き起こる。それに昔、ある人にも言われた。『試しに女に惚れてみろ。お前はもっと強くなる』と。悔しいが、今思えばその通りだと言わざるを得ないな」
「名護さんはその……恋をして強くなったんですか?」
「変わるきっかけになったことには違いないが、最初は分からなかった。だがそれを自覚したから、俺は限界を超えて強くなれたのだと思う」
強くなれたという名護の言葉に花音は感銘を受けるが、それをそのまま自分に当てはめることが出来るのかと、不安そうに顔を伏せる。自分は彼と違って恋を知らない。つまりは自分は強くはなれず、健吾を助けることもできない。結局は何も変わらない弱いままの小娘なのだと感じ、小さくため息をついていた。
しかし、そんな彼女の気持ちを察した名護は補足の言葉を付け足す。
「別に恋をしろと言うわけじゃない。強く純真な想いは人を強くする。俺の場合はそれがたまたま恋だっただけだ。誰かを助けたい、守りたい、力になりたい……その想いが君の力になる」
「誰かを助けたい……」
「義務や使命だけで人は強くならない。心から人を守りたい……その想いが人を強くするんだ。彼を傷付けたくないとあの時本気で思ったから、君の握ったナイフも彼の急所から外れた。あの時の気持ちを忘れないことだ」
「っ……はい!」
「もう……させない……絶対にっ、健吾くんを傷付けさせない……っ!」
「か、花音ちゃん……」
心の底に意識を押し込まれ、闇の中に囚われていた花音の魂。しかしその中で名護の言葉を思い出し、そして健吾を助けたいという強い想いを抱き、彼女は心の牢獄を破壊し遂にその身体を半分取り戻したのだ。未だ健吾に迫ろうとする右手を、花音の意識を宿る左手は全力で食い止めている。そしてそれを邪魔するかのように、そして主導権を再び取り戻さんと、花音の中の悪鬼はその口を使い叫んでいた。
「ッ、ぐゥ……じ、邪魔するなァ! たかが人間が私をォ……!」
しかし異形──タロースが言葉を取り戻しても身体はそうはいかない。依然として花音の意識の宿った手は健吾に伸びる手を離そうとしない。それどころか、伸ばしている手からも力が抜けていくのをタロースは感じ、より口調が荒くなっていた。
「ふざけるなァ! 素直に私のッ……なァッ…………違う……」
タロースの言葉はすぐさま花音の言葉によって掻き消される。誰も傷付けたくないと願う優しい少女の声が静かに辺りに溶けていった。
「これは私の身体……あなたのじゃない……だから出ていって……私の身体から出ていって!!」
花音の力強い叫びと共に、健吾に伸びた手が完全に下された。息を乱しながらもその身体は崩れ落ちず、しかし健吾に襲いかかることはなかった。更にその瞳には柔らかな光が灯り、風に揺れる前髪の隙間から真っ直ぐ健吾の目を見つめていた。
それは身体の支配権が花音の元に戻ってきたことを意味していた。
「花音ちゃん……お前……」
「ハァ、ハァ……え、へへ……ごめんね健吾くん。少し……寝坊しちゃったかな……」
「いや寝坊って……でも花音ちゃんなんで……どうやって今──」
「健吾くんっ」
「──は、はいっ」
何故花音が敵の呪縛から逃れられたのか分からず問いかけようとした健吾だったが、直後の花音の力強い呼びかけによって思わず畏った返事をして固まってしまった。珍しく目を吊り上げて健吾を見据えた花音だったが、そんな健吾の様子を見て一転、すべてを包み込むような優しい笑みを浮かべ、そして健吾に語りかけたのだ。
「私は自分の命も、健吾くんの命も……それと健吾くんのギターも諦めないよ。絶対に」
「っ!!」
その言葉に健吾は衝撃を受けた。自分が花音を助けるために自分の命を半ば諦めようとしていた時に、目の前の少女は自分たちを両方諦めまいとしていたのだ。それもバンドマンとしての自分まで諦めないと本気で思っていたのだと、花音の眼を見て健吾は感じていた。
「私は負けないから……だから健吾くんも負けないでっ」
「お、俺は……」
微笑みながら語る花音の瞳から揺るぎのない意志を垣間見た健吾は、彼女の心の強さに言葉が詰まっていた。自分と違って戦う力は無いはずなのに、相手を助けたいという一心だけで異形の支配から逃れたのだ。普段は弱気な花音ではあるが、人を想う心は誰にも負けない。その強さを目の当たりにし、健吾の諦めかけていた心に再び光が灯り始めた。
その時だった。
「きゃっ!? な、何っ!?」
「っ!? 花音ちゃん!!」
身体の自由を取り戻したと思われた花音であったが、直後その身体を覆うようにタロースの外殻が再び出現し、彼女の身体を包み込もうとしていた。異形の身体は瞬く間に花音の全身を覆い尽くし、最後に花音の顔を取り込もうとする。
「け、健吾くんっ……私はここにいるから……私は、健吾くんを信じているから──」
その言葉を最後に花音の顔は異形の鎧に覆われてしまった。しかし飲み込まれる直前の花音の顔は絶望に染まっておらず、その目には最後まで希望の光が消えなかった。彼女は信じていたのだ。健吾が自分を助けてくれることを。皆が揃って無事に帰れることを。
「……あ゛ァ最悪……コイツもう全然入り込めない……本当屈辱だ……アンタの身体乗っ取ったら真っ先にコイツから斬り刻んでやる」
「……花音ちゃん……少しだけ待っててくれよ」
『
「今から助けるから……!」
ナックルを掌に押し当て、健吾は静かに宣言する。
その目には迷いは無かった。
自分を助けようとしてくれた花音を助けるために。
自分自身をも諦めようとしない強い少女に応えるために。
健吾は……戦士はその言葉を叫んだ。
「この俺がな! 変身!!」
『
『
覚悟の叫びと共に健吾の身体はナックルから投影された光に包み込まれる。そして青空の如く澄み渡る戦士の鎧が彼の身体を覆い、イクサ──仮面ライダーライジングイクサが太陽の元に降臨した。
「目ェ覚めたで。花音ちゃんと千聖ちゃんのおかげでな」
「え……」
鎧の中に閉じ込められた花音と、そして自分の後ろで見守る千聖に向けてイクサは語りかける。今までの馬鹿な自分を鼻で軽く笑い飛ばし、ようやく導き出せた「答え」を届けていた。
「俺はもう俺の命を諦めやん。俺の命も、そして花音ちゃんの命も天秤にかけて、その上で両方守りきる。それが答えや!」
暗闇から抜け出し、再び青空の下に帰ってきた戦士は力強く叫んだ。大事なものを天秤にかけないことで逃げるのではない。大切なものが天秤にかかった上で、しかしどちらも溢さない覚悟で戦い抜く。それが彼の戦士として戦う確かな覚悟であった。
勝利したとして自分が犠牲になることで悲しむ人がいる。助けられた人の心に大きな傷を残すことになる。ならばそれは勝利などではない。命を、そして心を守るために、彼は自分を含めた全てを守り切ること。それが名護から与えられた問いに対する彼の答えであった。
「何が起きようとも、何を突きつけられても俺は逃げやんし、犠牲なんて選ばん。全てこの手で救い上げてみせる。それが俺の覚悟や!」
「だから何だ。それでお前にこの女を助けられるのかァァ!」
イクサの叫ぶ覚悟を馬鹿らしいと言わんばかりの怒号を上げてタロースは迫る。憑依は敵わくなったが、依然として花音を人質として捉えている自分にイクサが攻撃できるとは思っていなかったのだ。もし攻撃しようものなら先の戦闘のようにその部分だけ外装を外して花音だけを傷付けさせることもできる。むしろそれで死んでくれた方がタロースとしても動きやすくなり、故に異形はイクサの初手の一撃から花音の身体を晒すつもりであった。
「オオオオォォォッ!!」
「(やっぱりただの馬鹿だ!)ほら好きなだけやってしまえ!」
イクサが銃口を異形の顔面に向けて引き金を引こうとした瞬間、その外装は側面へ逸れ、花音の素顔が晒されていた。そのまま弾丸が放たれれば最後、頭部を撃ち抜かれた少女はその命を終えてしまうだろう。
しかしイクサライザーの銃口から今まさに発射されようという極限の状況の中で、花音の顔には絶望という感情は欠片も見当たらなかった。緊張の面持ちのまま真っ直ぐイクサの仮面を見つめ、薄らと笑みを浮かべて頷いていたのだ。目の前の少年はきっと自分を助けてくれる……そのことを花音は全く疑っていなかったのだから。
『
『ェ?』
「ふんッ!!」
弾丸が放たれると確信したタロースであったが、イクサライザーから発せられる無機質な電子音声によって思考が一瞬止まってしまう。次の瞬間、イクサライザーの銃口からは弾丸の代わりにエネルギー状の何かが放射状に発射された。蜘蛛の糸のように広がっていくそれは花音の顔を貫くことはなく、その目の前で広がり異形の身体に纏わり付いたのだ。
『ッグ、グゥォッ!? なんだッ……コレはァ!?』
花音の口ではなく外装自身が困惑と焦燥の声を上げていた。発射された電子の網は花音の身体を傷付けることなく、タロースの身体のみを拘束していたのだ。逃れるために暴れる異形であったが、イクサライザーから放出され続ける強力な磁場によって一切の身動きを取ることができなかった。
「お前はもう花音ちゃんに取り憑くことはできやん。やったら後はその外装さえ取り除けばそれで終いや!」
タロースが花音に憑依しているならば、外装を破壊したり花音のみを引き摺り出したところで意味はない。しかし敵の呪縛から逃れた今の花音ならば、外装さえ剥がせば助けることができる。それを確信したイクサは銃口から繋がったままのレーザーネットを引っ張り、タロースの意識が宿った外装を花音から引き剥がそうとしていた。
レーザーネットで捕縛された外装は花音の身体表層を滑り、じわじわと花音から離れていく。しかしそれをそのまま大人しく見ているだけの異形ではなかった。
『チッ、させるかァァッ!!』
「ぅぐッ!?」
電子の網の隙間から僅かに逃れたタロースの外装が変形し、無数の刺となってイクサに襲い掛かった。身体から離れた刺は元に戻ることはないが、網を放出するイクサライザーをその手から叩き落とすためにタロースは必死にイクサの手元を狙っていた。
「ッ、ぐぅゥゥ!(絶対放さへんで……花音ちゃん)」
それでもイクサは決して武器を手放すことはなかった。自身の手首や指に襲い掛かる凶器は致命傷になる可能性は低いが、いつかは自身の腱を切断しかねない。最悪二度とギターを握れなくなるかもしれないことはイクサの仮面の奥で健吾自身も分かっていた。承知の上で、彼は花音を救う手を放そうとはしなかったのだ。目の前の少女を救うには今しかない。今自分がこうすることが確実な勝利の道だと確信したからこそ、彼は自ら傷を負う覚悟でこの方法を選択していた。
だが、それで彼が自身の音楽を諦めたかと言えばそうではない。この程度で自分の音楽は奪えない。己の正義は崩されない。イクサはやられたりしない。その強い信念が今の彼を支えていた。何者にも負けない強靭な覚悟が、彼の身体を強く動かしていたのだ。
「っ! 今や千聖ちゃん!」
「花音っ!!」
『な、あッ!?』
イクサが声を上げたその時、既に解放された花音の右手を千聖が掴み取っていた。その瞬間、千聖は力の限りその手を引き寄せ、遂に花音をタロースの外装から引き摺り出したのだ。
『しまっ──』
そして、花音が自分の手の内から離れたことに動揺してイクサから目を離した時だ。イクサは即座にイクサライザーのボタンを操作し、銃口をタロースに向けたまま新たに引き金を引いた。
『
「ハァァ!」
「──なァ、ア゙ア゙ァア゙ァァ──」
イクサライザーの持つ機能の一つ──ブリザードモードが発動し、銃口から噴出された氷結ガスが異形の身体を包み込む。空気をも凍らせるほどの極寒のガスを浴びた異形はたちまち氷付き、解放された花音が振り返ればそこには既に氷のオブジェが完成していた。
「これで俺のライブは終いや」
イクサそう呟き、イクサライザーから取り出したフエッスルを自身のベルトに読み込ませる。イクサの装甲から流れていくエネルギーが銃口に集まり、輝くばかりのそれをイクサは静かに氷の塊へと向ける。そして──
「ハァァァッ!!」
──ファイナルライジングブラストが放たれ、タロースは氷共々莫大なエネルギー波の中で完全に消滅したのだった。
「……ゴーストならゴーストのままでおればよかったんや」
ゴースト族は本来イクサ単体でどうにかできる種族ではない。精々が宿主ごと破滅させるのが関の山である。しかし先の敵はゴースト族に在らず、その身をレジェンドルガに変化させたもの。故にタロースという自動人形の肉体が仇となったのだ。
「ふぅ……」
もはやここに敵はいない。それを確認したイクサは変身を解除し、光の粒子と共に健吾が姿を現していた。息を整え、助け出した花音の元へと歩み寄ろうとする。花音も健吾が無事なことを確認して安堵し、自らも近付こうとするが、それよりも先に健吾の前に立つ人影があった。
「……千聖ちゃ──」
それは千聖であった。しかし健吾が彼女の名を呼ぼうとしたその直後──
パシンッ!
──辺りに渇いた音が鳴り響いた。
それと同時に健吾の頬には鋭い痛みが走っていた。一瞬何が起きたのか分からない健吾と花音であったが、千聖の振り抜かれた手を見てようやく悟ったのだ。彼女が健吾の頬を叩いたことに……。
「バカよ……あなた……本当にバカよ……!」
「千聖ちゃん……」
その瞳に涙を溜めているのを見た健吾は一瞬言葉が詰まってしまっていた。
「遅いのよ……気付くのが……っ、どれだけ……みんなどれだけ心配したと思ってるの!! ……っぐ……っ!」
「……ごめんな。千聖ちゃん」
自分を犠牲にしてでも花音を助け出そうとした時、必死で止めてくれたのが千聖だった。そんな彼女の願いを無碍にしようとしたこと。答えにたどり着くことに時間をかけてしまったこと。尽く裏切るような形でしか答えられなかった自分を恥じると同時に、健吾は深く彼女に詫びていた。健吾は僅かに膝を屈め、涙声を抑えて俯く千聖の顔を下から覗き込み、優しく声をかける。
「本当にごめん……それとありがとうな。大事なこと思い出させようとしてくれて」
「……っ……ぇ、ええ……私もありがとう、健吾くん。花音を助けてくれて……」
「あ、あのっ、私からもありがとう、健吾くんっ」
千聖の告げる感謝に置いていかれまいと、花音も慌てて健吾に頭を下げる。しかし実際に彼女に頭を下げられるようなことはしていないと健吾は感じていた。彼女の行動が無ければ恐らく自分は今頃生きてはいない。一度ならず二度までも彼は花音の強い意志によって命を救われたのだ。自分に覚悟を抱かせてくれた強い少女に対し、健吾は心からの尊敬を抱いていた。
「ううん。むしろ今日も俺が花音ちゃんに助けられてもたわ。ありがとう、花音ちゃん。強い子やでホンマ」
「ふえぇ? わ、私そんなんじゃ……ただ健吾くんのこと助けたいって、傷付けたくなくて、力になりたくて、それでえっと、えぇっとぉ〜……ふえぇ〜……」
顔が赤く染まりもはやまともに言葉を発せない程まで狼狽る花音。先ほどまでの威勢の良さはどうしたのかと笑いそうになる健吾であったが、自分に近付いてくる人影──名護の存在に気付き、すぐに振り返ると改まった態度で彼に向き合った。
「師匠……」
「……六十五点」
「え?」
「気付くまでに時間をかけ過ぎた。自分を犠牲にしようとした。そして彼女を酷く不安にさせた。戦士として目も向けられない有様だった」
「ぅ、それは……」
名護からの厳しい批評に健吾は反論できず、甘んじて受け入れるしかなかった。彼の言葉は真実であり、現に自分はそのことで千聖を泣かせてしまったのだ。戦士どころか男としても情けない自分の姿を見せたことを健吾は深く恥じていた。
しかし名護はそんな彼に対して優しい目を向けていた。他者を批判する者の視線ではなく、世話の焼ける子どもを見る親のような温かい視線であった。
「だが、君は答えを見つけ出した。他の誰でもなく、自分が納得する答えをな。そうだろう?」
「っ、はい!」
「ふ……いい覚悟を見せてもらった。だから六十五点……ギリギリ及第点といったところだな。改めて修行を付け直してやる。覚悟するんだな」
「! ……は、はい! ありがとうございます師匠!」
それだけ言い残して名護は、覚悟を新たにした健吾に背を向けて立ち去っていった。離れていくのに一向に小さく感じられないその大きな背中に向けて、健吾はいつまでも頭を下げて全身で感謝の意を表していた。
「……」
「花音?」
そんな健吾の様子を花音はじっと眺めていた。無言で彼を見つめ続ける花音の様子が気になる千聖は声をかけたが、その時、花音はふと千聖に呟いたのである。
「……私、負けないよ。千聖ちゃんには」
「は……?」
突然の宣戦布告にポカンと口を開けて固まってしまう千聖。一体何に対して「負けない」と言ったのか理解できず、その意味を飲み込めないまま花音に尋ねようとする。
「え、ちょ、ちょっと花音? 今のってどういう……」
「えへへ……ううん、なんでもっ」
「か、花音……?」
やけにスッキリしたような面持ちの花音と、そんな親友の心情がいまいち理解できずに首を傾げる千聖。対照的な心情であったが、実は互いに同じ想いを抱いていることに気付いているのは花音だけであった。
「……」
花音の視線の先には今も一人の少年が。初めて会った時からずっと自分のことを助けようとしてくれた、文字通りヒーローである少年だけが彼女の目に映っていた。
この胸の内に抱いた温かな想いは、今は自分の中だけに留めておこう。同じ気持ちを抱いているのに気付いていない親友を横目に、花音は綻んだ顔を直すことなく健吾を見つめていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ライブハウス「LiFE」の外では既に人の気配は少なくなっており、先までの騒音が嘘のように静かさを放っていた。ライブが終わってからしばらく経った後の寂しい会場後には、どことなく感傷的で、しかし味わい深い妙な雰囲気が漂っているものだ。
結論から言おう。今夜の僕たちTETRA-FANGのライブは成功のうちに終わった。愛音が正式に加入してから最初のライブということもあったが、何よりも健吾さんが無茶を通しながらも最後までミスすることなくやり遂げたことが一番大きな要因であった。
ライブが始まる前、僕たちの前に帰ってきた健吾さんは深く頭を下げると、「再びTETRA-FANGとしてギターを弾かせてくれ」と謝罪と共に頼み込んできたのだ。もちろん僕はそれをすんなりと受け入れた。彼の目が、そして彼の心の音楽が、そこに迷いがないことを証明していたからだ。というより、今更僕たちの中で健吾さんを信用していない人はいない。誰もが彼が自分を取り戻して帰ってくることを信じていたからだ。
当然僕も感情的になって辛く当たったことについては謝罪したが、健吾さんは「こればかりは自分が悪い」の一点張りで終ぞや謝罪を受け取ってもらえなかった。
そして僕たちの音楽は一矢乱れぬ最高のグルーヴ感を保ったまま最後まで終えることができたのだ。先ほども帰り際の友希那さんから称賛の言葉を貰えたし、ともあれ、何もかも万事解決と言った方がいいのだろう。先生に接触した骸骨のレジェンドルガや、ゴースト族がレジェンドルガ化した件についての話し合いはまだこれからだが、今日のところはこれで一段落ついたと見ていいだろう。
しかし何か忘れているような気がする。レジェンドルガの件や健吾の件、名護さんの件や今回のライブのことで何かを後回しにしていた気がするが、はてなんであっただろうか……。
「(あ、手紙……)」
「Hey」
それを思い出しかけた時、僕を呼ぶ声が聞こえた。
幼い少女のような声。
しかし「自分」をしっかりと持った力強い声だった。
「久しぶりね」
振り向いたそこに佇んでいたのは一人の少女であった。
学生服を見に纏い、猫耳のような特徴的なヘッドホンかけた小柄な少女。
そしてどこか睨むような、挑戦的な眼差しを僕に向ける彼女の面影には覚えがあった。
「忘れたとは言わせないわ。紅麗牙」
かつて父さんの紹介で出会ったヴァイオリニスト──
そんな彼女の一人娘であり、僅かの間だけど交流のあった少女。
あの時とは明らかに違う尖った音楽を奏でているが、それで彼女のことを間違えるはずはなかった。
「ちゆちゃん……」
「『チュチュ』よ……今はそう呼びなさい。紅麗牙」
幼い頃に出会った数少ない人間との再会を前に、僕の音楽は揺れ動く。しかし彼女の音楽は僕とは対照的に攻撃的で、そしてどこか物悲しげに聴こえていたのだった。
名護さんが語った過去はファイナルステージでの話です。