『ヤマトタケルも熊襲兄弟を討つために女装して忍び込んだそうですね』
『周囲を欺くためにはどんな策をも厭わない。それを熟してこその英雄なのかもしれないな。つまりは頑張れ! 麗牙!』
時は昨日に遡る。愛音が花咲川から異形を逃してしまった後、手を拱いていた僕らの前に現れたこころちゃん。そして事情を聞いた彼女によって、僕たち兄妹はあれよと言う間に弦巻家へと招待されてしまっていた。それからしばらくしてハロハピの皆も集まり(その際に松原さんと奥沢さんからは同情の視線を送られたけど)、こころちゃんの溌剌とした声が部屋中に轟いたのである。
「麗牙を女の子にして学校に通わせましょう!」
「「おおーっ!!」」
「「え、ええぇぇぇ……」」
因みにこころちゃんの提案に乗り気で応える前者二人は瀬田さんとはぐみちゃん。引き気味に反応するのが松原さんと奥沢さんの二人だ。そして僕たち兄妹の抱く心境は後者と同じだろう。
「ね、ねぇこころ。一体何がどうなってそんな話になったの……」
「それなんだけど……」
ここから先はこころちゃんに代わって僕から説明させてもらった。花咲川の女生徒に化けた異形がいたが逃げられたこと。再び学園内に忍び込む可能性があること。羽丘の生徒にも化ける可能性があるため、羽丘に通う愛音たちは動かしたくないこと。その場合に花咲川でまともに対処できる存在がいないこと。そして、もし自分が花咲川に通えればという愛音の冗談をこころちゃんが聞いてしまったこと。
ここまで話すと、皆ある程度は把握してくれたようで、僕に白羽の矢が立った理由についても察してくれた。
「ああ、なるほど。敵を騙すにはまず味方から。つまりはそういうことなんだね麗牙」
「えっと……まあ合ってるような合ってないような……」
「でも確かに、もしうちの学校に怪物がいたとして、そこに紅さんがいないのは私も怖いかも……」
結果的には騙すことになるから間違えてはないのだろうが、瀬田さんの言い方には少し引っ掛かりを覚えてしまう。そもそも敵どころか花女の教師や生徒全員を騙し切れる保証もないのだから。
しかしレジェンドルガが侵入するかもと言われて、それをそのままにしておくことにもできない。そんな不安を隠さない松原さんの言葉には誰もが頷くしかないだろう。弦巻家に仕える黒服たちも注意は払ってくれているが、それでレジェンドルガを退けられるかと言われると正直厳しいと言わざるを得ない。それに僕にとっても「先生」という前例があるため、このままの花女内に決定的な対抗策がない状態は何とかしなければならないと感じていたのだ。
「いやそもそも、紅さんが女装するって時点で無理があるでしょ。喋ったら一発でアウトなんじゃ──」
「声に関しては一日あればまあ……」
「──ってできるんですか!?」
奥沢さんの懸念に関しては実際のところ問題はない。僕はこれでもファンガイアのキングだ。自分の声を女性の声の周波に変換するくらいの術式なら今からでも十分に作ることができる。というよりもファンガイアのキング以前に一音楽家なのだから、これくらいはできて当然だ(もちろん普段のバンド活動に一切用いることはないが)。だから発する声に関しては問題ない。それよりも僕が一番懸念していたことが……。
「それより手続きが鬼……いきなり明日からとか……無理ゲー」
愛音が語ってくれたように、仮に僕が女装していくとすれば転校生扱いになるのだろうが、その手続きが問題だ。存在しない偽の戸籍が必要になるし、何より時間が足りない。既に夕方の今からどれだけ急いでも僕が通うことができるのは明後日かその次の日だ。明日敵に侵入されても僕は何もできない。
「だからそもそも僕が花女に行くという前提がおかしいんだ。それだったら他にも案は──」
故に、僕は女装してまで花女に通うことはない。僕に仕えるファンガイアの中から信頼できる数人を花女に送る、或いは入学させる。今はそれが最も堅実な判断だと思うしかなかった。
正直、この時点で僕の中には花女に通うという選択はほとんど無いに等しかった。
それなのに……。
「あら、それならもう話は付いてあるわっ。麗牙は明日からあたしたちと同じ花咲川の生徒よ!」
「嘘でしょ!!!?」
しかし既に手を回し尽くしていたこころちゃんの発言によって盛大に叫び声を上げてしまった。え、嘘でしょ? もう? え、何? もう全部根回し終わったということ? 戸籍も? 学年も? この短時間で!?
「今日襲われたのは彩なのよね。だから麗牙は彩と同じクラスよっ。名前はさっき愛音が言った『
「ちょいちょいちょい!! 待って!! な、何が起きてるの!?」
いつになく取り乱してしまっているが仕方のないことだ。この件についてはほんの一時間前にこころちゃんに話したばかりのはずだ。それが僕の預かり知らぬところでとんとん拍子に事が運んでいき、もう既に僕の転校が決まっていると言うではないか。冗談は冗談のまま終わると思い込んでいただけに衝撃は凄まじく、僕は目を回ながらも何とか現実を飲み込もうと努力していた。
因みにさっきこころちゃんが言った名前は、ここに来るまでの間で愛音が適当にそれっぽい名前を口遊んだだけの名だ。「黒金だから燐子と対になるでしょ」などと愛音が僕にふざけて言っていた名前を、彼女はばっちり聞いていたようだ。
「あっ、来たわ」
「え?」
こころちゃんの声につられて彼女の視線の先に目を向けると、部屋の扉からずらずらと黒服の人たちが現れ、机や荷物を携えて僕らの前に運んできた。そして運んできた机の上にそれらを一通り並び終えると、黒服の一人がこころちゃんと僕に向けて大真面目な態度で説明してくれたのだった。
「お待たせいたしました。こちら紅麗牙様改め、黒金麗華様の通学に必要なものとなります。どうぞご確認ください」
いや待ってない、と言いかけた言葉を何とか飲み込み、机の上に並べられたそれらを僕は確認する。明らかに僕の身長に合わせたサイズと思しき花咲川女子学園の制服に、規定の鞄と靴。そして三年生向けで燐子さんたちが使っているのと恐らく同じ教科書や参考書、更にはノートや筆記用具の類まで用意されている。要は完全なる「花女なりきりセット(本物)」がここに揃っていたのである。
「あれ? ねぇこころん。学生証がないよ?」
「そうね、変ね? ねぇ、麗牙の学生証はどうしたの?」
「はい。それはこちらに……」
いや写真も撮っていないのに学生証なんて作れないだろう。そんな僕のツッコミが入る前に、黒服は大事に持っていたであろう小箱を取り出し、僕らの前にその中に置かれた小さなカードを見せつけた。それは正しく花咲川女子学園の学生証。誰がどう見ても本物と疑う余地のない完璧な学生証であった。
しかしただ一つ……その写真に写る顔は僕の顔というよりは……。
「いやこれ愛音の顔ォ!」
「先程、紅愛音様より拝借しました写真を私どもの方で加工し、花咲川女子学園の学生服の姿で掲載しています」
「嘘でしょ愛音!?」
僕の知らない間に一枚噛んでいた妹に信じられないという視線を向ける。ここに来るまで偶に携帯を触っていたが、まさか自分の写真を送っていたとは……。
「でもきっと……女の兄さんには遠く及ばない……こんなつまらない女の顔で許してほしい……」
「そこじゃない……」
愛音は僕のこと本当に何だと思っているのだろうか。正直ツッコミ疲れた今の状態で聞ける気はしない。いつの間にかあっち側に寝返っていた妹を内心恨みながら学生証をまじまじと見つめ、しかし最後の力を振り絞って叫ばせてもらった。
「って、なんでもう僕が花女に通うこと確定してるの!? なんかみんなもいつの間にかその気で話してるしっ!」
「紅さん……これがハロハピなんですよ」
「兄さん……いや、姉さん……ファイト……」
え、何それ怖……ハロハピ怖……。奥沢さんが語る事実を前にして、もはやそのような感想しか浮かんでこなかった。
因みに愛音はと言うと、そんな僕の狼狽える様をずっと携帯のカメラで撮影していたらしい。後で満足気に携帯を握り締めながら「ありがとう……これで一週間は……いける」と礼を言われたが、精神が疲弊しきっていた僕は何も返す言葉が出てこなかった。
それが昨日の出来事であった。
そして今、僕は花咲川女子学園の三年B組の教室にいる。既に昼休みに入っているが、今日は朝から教室に入った時からずっと視線を集めていた。転校生ともなればそれは当然のことなのだろうが、僕の場合は何と言うのだろうか……単なる物珍しさの視線というよりも、それより更に踏み込んだ「観察の視線」がいくつも突き刺さってくるのだ。ここまでの推し量るような、そして吟味するような視線を単なる転校生に差し向けるだろうか。「何者なのか」とまるで探りを入れるような視線と音楽を浴び続け、不安になった僕は隣の席に座る彩さんに小声で話しかけていた。
「どうしよう、なんか今もすごく見られてる……やっぱり不自然だったかな。男だってもうバレてるかも……」
「え? えっと……違うと思うよ……少なくとも見られてる理由は……」
「じゃあどうして?」
ここまで度を超えた注目を浴びるのも、僕が女子としては大きすぎるためだと考えていた。今の僕の格好は、花女の制服を身に纏い、頭には長髪のウィッグを、胸にはパッドを入れ、脚には黒タイツを履いて上からは短パンを履くという、いろんな意味で防御体制を整えた格好だ。しかし、一七六センチの女子なんてそう何人もいるわけない。それにできる限りは女の子らしい仕草を取ろうとしているが、中々普段の癖や態度を直ぐに端正できるはずもなく、恐らくこの数時間でいくつかボロを出しているかもしれない。故に、変に男らしい女子生徒だと疑念を抱かれているかもしれないと僕は思っていた。
しかし彩さんは僕が視線を集める理由さそうでないと指摘する。それなら一体何が理由なのか。女子の考えは女子が一番よく分かるはずだと、彼女の語る答えに耳を傾けていた。
「だって……──もん……」
「え?」
掠れるような小さな声で話すため、彩さんの言葉は聞き取れなかった。言いづらいことなのか分からないが、僕としてはその理由を知りたいため彩さんに再び言うよう催促する。すると……。
「だって……綺麗すぎるもん! 今の紅さんっ! なんでっ? なんで女装してそんなに美人な大人の女性になっちゃうの? なんかすっごくズルい! 私だって女の子なのに〜!! なんで男の子の紅さんが──」
「彩さんっ! しぃー!」
「あ、ごめんなさい……今は黒金さんだったっけ」
危ない……幸いにも今の発言は周りには聞こえていなかったようだ。しかし今の彩さんの言葉が真実だとすれば、僕は綺麗だから注目を浴びているということになる。そりゃあ確かにこころちゃんからは最高級のウィッグや化粧品ももらったし、出かける前には愛音やアゲハから徹底的に力を込めたメイクを施された。やれることは存分にやった上で、彼女たちからも「何処に出しても恥ずかしくない女の子」という評価を受けたが、何分身内の解答故に確信は持てなかったのだ。
しかし一友人である彩さんが、それも現役アイドルである彼女がここまでハッキリと言うのなら、それはもう間違い無いのだろう。花咲川に転校してきて約三時間。ようやく女の子としてやっていける自信がつきかけていたのだった。
「僕……もしかして普通に綺麗な女の子としてやっていける?」
「全然やっていけるよっ! むしろ隣に立たれると私が目立たなくなっちゃう……ぅぅ……」
「そ、それはごめんなさい……でも、今回はそういうわけにはいかないから」
そもそもの目的……レジェンドルガの脅威から彩さんと燐子さんを守る。或いは学園内を捜索し、撃破する。それが僕がこんな傷と羞恥を背負ってまで花女に来た理由だ。それだけは絶対に忘れてはならない。
「うん、分かってるよ。でもまずは昼食を取らないとだね。紅さん、お弁当って持ってるの?」
「うん。普段は学食だけど、今日は次狼が作ってくれて……一度会ってるよね。愛音の前のベース担当のことだよ」
「へぇ〜……意外だなぁ」
今も愛音とアゲハの分の弁当を作っているらしい次狼。僕の分を作らなくなって久しいが、その分久方の彼の弁当は少し楽しみになっていたりする。ただ、女装した僕を見た時の「見ず知らずの女だったら食ってしまいそうだ」という発言だけは多分今後一生僕の脳裏から消えてはくれないだろう。正直、ほんの一瞬だけ縁を切ろうかと思ったし……。
「そっか。私もお弁当なんだ。でも……どこで食べようか」
「そうだね……」
流石にこれだけの好奇の目の中でゆっくりと昼食を取れるわけがない。どこか人気の無い場所を探してそこで食べるしかない。そう考えたところで、一つ名案が浮かんだのだ。
「生徒会室ならどうかな。僕の(女装の)事情を知ってる燐子さんや紗夜さんがいるだろうし」
「じゃあ私も今日はそこで食べようかな」
異論は出なかったため、僕たちは花女の生徒会室へ向かうことになった。今日はこの校舎に来てから未だ燐子さんとは会っていない。本当はこの姿を見られたくはないのだが、この際背に腹は変えられない。守る対象としては燐子さんもそうなのだから、彼女の側にいることは正しいことなのだと、心の中で自分を説得させて足を生徒会室に向けて進めさせる。
「ぅ……やっぱ視線がキツい」
「私はむしろ羨ましい……」
廊下を歩いている時でもやはり僕に向けられる視線は途切れることはなかった。そんな僕の様子を羨ましがる彩さんの心理はよく分からないが、恐らくそこにはアイドル特有の何かがあるのだろう。
しかし、ライブやヴァイオリンのコンサートの時に向けられるものとはまた違った好奇の視線には些か慣れそうにない。ともかく今は我慢を決めて燐子さんがいると思われる生徒会へと向けて進むだけだ。
「え、ちょっと待ってよ〜」
ごめん彩さん。僕はやはりこの視線にはできるだけ晒されたくない。そのため、無意識に歩幅を大きくなり、次第に早足になっていたのだ。
しかしその時だった。
「きゃっ!?」
「ぅわっ!?」
階段に差し掛かろうとした時、ちょうど階段を上りきった人影が目の前に現れ、運悪く僕たちはぶつかってしまったのだ。しかも向こうはかなり背が低く、僕は何ともなかったが体格差のために彼女はバランスを崩して背中から階段に倒れようとしていた。
「え? あ、わっ!? わあ!?」
周りに掴めるものもなく、背中に傾いていく身体をどうしようもなくて慌てふためく黒髪の少女。このままでは間違いなく大怪我を負おうという場面で、しかし僕が動けないはずがなかった。
「っ!」
「っ……え……?」
人並外れた瞬発力を発揮して彼女の元まで駆け寄り、その身体を支えることでことなきを得る。支えるというよりもお姫様のように抱き抱えると言った方が表現に近いだろう。半ば倒れる覚悟をしていた少女も、自分が助かったことを一瞬自覚できず、狸に化かされたような顔で目を何度も瞬かせていた。
「わ、私……?」
「ごめんね。怪我はない?」
「っ!? ぇ……ぁ、うん……大丈夫ゃ……です……」
恐らく下級生なのだろう。何か理由があってこの階に登ってきたが運悪く僕とぶつかってしまったというところだ。僕の顔を認識した途端にトマトのように顔が赤くなってしまっていたが、恥ずかしがり屋なのだろうか。とりあえず怪我がないようでホッと息をついたところで彩さんが駆けつけてきた。
「だ、大丈夫っ!?」
「うん、何とかどっちも。本当にどこも何ともない?」
「……は、はい……」
「よかった……じゃあ、もう行くね。本当にごめんっ」
ただでさえ目立っているのにこんな出来事が起こればより注目を集めることは必至だ。そのため少女には悪いが、彼女の無事を確認した僕はすぐにその場を後にするのだった。
「あ、くれ──黒金さん! ……本当に大丈夫? りみちゃん。もし何かあったら言ってね」
「え、うん……あ、あの……お礼……」
後ろからそんな声が聞こえてきたが、礼なんて言われる立場ではない。一応は手を挙げて彼女に応えつつ、僕たちは目的の生徒会へ足を早めていた。
「りみ……どうしたの?」
「くろがね……さん……」
「……?」
僕たちが去った後でも、その消えた背中をじっと見つめ続ける少女がいたことまでは知る由もなかったけれど……。