ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『そう言えばキバットさん。前回、麗牙さんが弓に関して微妙な顔されてましたが、何かあったですか?』

『えっ? そ、それはだなぁ……と、とにかく、麗牙の長い一日はまだまだ続くぜ!』

『……もしかしてキバットさんも何かありました?』


第147話 当たり前の感情

「次、行きましょうか……」

 

 弓道場を後にした僕たちは、それから体育館や道場、運動場などを巡り、各施設やそこで活動する部活の紹介を受けていた。もはや目的が部活紹介になっている時点でいろいろおかしいのだが、なんだかんだ僕自身楽しく感じているのであまり気にせずにここまで来てしまった。一応はレジェンドルガへの警戒は持ち合わせており油断はしていないが、何も憂うことなく楽しめたらという点では少し残念に思っている。まあ女装して忍び込んでいる時点で僕に平穏なんてあるはずないんだけどさ。

 

「もう大方見終わったよね? 燐子ちゃん」

 

「はい……でも、まだ案内していないところがあります……」

 

 そう言う燐子さんが向かうのは再び校舎であった。そして僕は何となく、彼女が敢えてそれを残していたのだと察して次の目的地が分かっていたのだ。

 

「最後はやっぱり……音楽室かなって……」

 

 校内を回り始めた時から合唱部らしき歌声が校舎内に響き渡っていたが、今ではもう何も聴こえてこない。あれから大分時間が過ぎ去り、校舎を夕陽が眩しく照らし出す今となっては残っている人も少なくなっていた。恐らく音楽室も同じで、今は誰も人はいないのだろう。だから彼女は音楽室を最後に残していたのだ。生徒たちが音楽を学ぶ場所、音楽を共有できる場所で共に過ごすために。

 

「あ、燐子先輩っ」

 

「市ヶ谷さん……?」

 

 しかしその時、校舎へ入ろうとする僕たちに──正確には燐子さんに向けて声がかけられた。振り返るとそこには亜麻色の髪の毛をツインテールにした少女が、若干息を切らして燐子さんを見つめていた。ここまで走ってきたのだろう少女は額に汗を溜めて、恥ずかしそうに要件を告げていた。

 

「あの、ごめんなさい。恥ずかしい話なんですけど……どうやら生徒会室にノート一冊置いてきてしまったみたいで……。そ、それで部屋に鍵がかかってたので職員室に行こうとしたら、丁度燐子先輩たちが見えたので」

 

「忘れ物……市ヶ谷さんがですか? 珍しいですね……」

 

「全くですよ……香澄のおっちょこちょいが感染(うつ)ったのかも」

 

 燐子さんの反応からも彼女が普段からしっかり者の少女なのだと言うことは分かった。どれだけしっかりしていても、ふとした時にミスをするのは誰にだってあるものだから、こういう日もあって普通だろう。しかしなんとも酷い言われようだと思う、その香澄という子は。

 

「うふふ……あ、鍵はわたしが持っていたままですね……ごめんなさい。今から一緒に行きましょう」

 

「ありがとうございます燐子先輩。それで……そちらの方は?」

 

 一旦の話が付いたところでようやく少女は見慣れない存在へと言及し始めた。予想はしており既に身構えていたため、僕は動揺することなく黒金麗華の名を紹介しようとする。

 

 その時だった。

 

「有咲ちゃんっ……ふぅ、やっと追い付いた」

 

 僕たちの目の前の少女を追い求めるように、もう一人の少女がこちらに駆け付けてきたのだ。どこかで見た気もしなくはないが、息を落ち着かせようとしている黒髪の少女に対して、若干困惑の色が見える亜麻色の少女は問いかけていた。

 

「って、りみ? どうしたんだよ。まさか後追って走ってきた?」

 

「う、うん……私もちょっと学校に用事思い出して。それでせっかくだから有咲ちゃんと一緒に……っ!?」

 

「?」

 

 黒髪の少女が顔を上げて話し始めた時、彼女の視線と僕の視線が交差する。その瞬間に僕は彼女のことを思い出したが、彼女の方は同時に石になったかのようにピシリと音を立てて固まってしまったのだ。僕の記憶が確かなら、彼女は今日の昼休みに僕とぶつかって階段から転けそうになっていた人だ。何とか怪我なく助け出すことができたけれど、今の少女の反応を見る限りかなり怖がられてしまったのかもしれない。しかしそれにしては彼女の心の音はどこか嬉しそうにも聴こえるけれど……。

 

「ああ、この際だから自己紹介します。黒金麗華です。彩さんと同じクラスなので、よろしくお願いします」

 

「あ、先輩でしたか。失礼しました、市ヶ谷有咲です。それでこちらは……ってりみ?」

 

「……」

 

「おーい、りみー。聞こえてるかー?」

 

「っ? う、うん、聞こえとるよ……」

 

 先ほどまで有咲ちゃんと話していた時の平静はどこへ行ったのやら。心ここに在らずといった様子の少女は、浮ついたような目で、夢見心地な音楽を奏でながら僕のことを見上げていたのだ。瞳は静かに輝きながら揺れ動き、頬を赤らめさせるその状態を僕は知らないわけではないが、とりあえず今は無視して彼女の名前を尋ねていた。

 

「あの、名前を聞いても?」

 

「あっ、ご、ごめんなさいっ。うち……私、牛込(うしごめ) りみです。えっと、その……お昼はありがとうございました!」

 

「いやいや、いいよ礼なんて。こっちの不注意でもあるからさ。えっと……りみちゃん? あの後、本当に大丈夫だった?」

 

「はいっ。麗華さんのおかげでこの通り無傷ですっ」

 

 アゲハやあこちゃん並に小さな少女──りみちゃんは、嬉しそうに、そして大げさに感謝の気持ちを僕に表していた。本当にあの時は急いでいた僕の過失だと思うのだが、こうも熱心にヒーロー扱いされるとなんだが居心地が悪くなる。

 そして、そんな僕らの事情を知らない少女たちからは疑問の視線が突き刺さっていた。

 

「えっと、二人は昼に何かあったんですか?」

 

「まぁ、ちょっとね」

 

「へぇ……何があったんですか……麗華さん……?」

 

 有咲ちゃんの疑問に軽くはぐらかそうとすると、今度は燐子さんも同様に疑問を口にし、説明の要求と共に強い視線を僕に投げかけていた。妙にゆっくりな口調で、わざわざ「麗華さん」と強調して来るの様が僕に圧を感じさせる。

 なんか……いつにも増して怖いです燐子さん……。

 

「階段でぶつかっちゃったんだよね、二人とも。それで階段で転けそうになっていたりみちゃんを、間一髪で黒金さんが助けたんだよ」

 

 その時、近くでその現場を目撃していた彩さんが当時の状況を簡潔に分かりやすく伝えてくれた。恐らく彼女は燐子さんの視線に気付いてはいないが、ナイスなタイミングで事情を説明してくれた彼女に対して内心サムズアップを贈る。

 

「そうだったんですか……二人とも無事でよかった……」

 

 恐らく二重の意味で安心しているのだろう、燐子さんは安堵の息を吐きながら胸を撫で下ろしていた。僕はそれよりも燐子さんの音楽から棘が消えてくれて本当によかったよ……。

 

「そう言えば、燐子先輩たちはここで何をしていたんですか?」

 

「今は麗華さんに校内を案内していて……これから音楽室に行くところです……」

 

 しかし燐子さんが、有咲ちゃんたちに今の自分たちの目的とこれからの予定を伝えた時であった。

 

「あ、あのっ!」

 

 突然何かを思い切ったような声を上げたりみちゃんに皆の視線が注がれる。りみちゃんはわなわなと小さく震える手を握り締め、燐子さんや僕に向けて揺れる視線を送り続けていた。

 

 そして──

 

 

「私も、ご一緒してもいいですか?」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ここが音楽室です……」

 

 麗牙さんとの花咲川の巡回も大詰めとなり、わたしたちはその最後となる音楽室を訪れていた。麗牙さんを案内するなら、最後は音楽室だと決めていたのだ。今の時間ならばこの部屋を使う人たちもいない。誰も邪魔されない空間で、あわよくば彼の音楽に耳を傾ける時間を作ることができる。そんな仄かな企みを抱いていたけれど、それも新たな同行者の出現によって儚く消え去るかもしれなかった。

 

「へぇ、広いですね……城南よりも大きいかも」

 

「城南って、城南大附属のことですか? もしかして麗華さんの前の学校って……」

 

「ああっ、いやいや。とある機会で入らせてもらったことがあるだけだよっ」

 

 うっかり自分の母校について牛込さんに漏らしかけて、即座に慌ててリカバリーする麗牙さん。そう、今は最初のメンバーの他に牛込さんと、なし崩し的に同行することになった市ヶ谷さんが共に音楽室にいた。一緒に回りたいという牛込さんの要望は本来なら断るべきところなのだけれど、あと一部屋だけでもと言う彼女のお願いを断ることはできず、結局こうして共にいる。

 

「あ、あの……もしかして麗華さんって、音楽に明るかったりするんですか?」

 

「えっと、まぁ……それなりにかな」

 

「わ、私も音楽をっ……バンドをやってるんですっ。ベースですっ」

 

 同じ音楽に携わる者同士であることが嬉しいのか、牛込さんは輝かしい目で麗牙さん……黒金麗華さんを見つめていた。そんな黒金麗華を見る牛込さんの目は、わたしも最初は牛込さんが瀬田さんを見る目に近いものだと思っていた。しかしそれは言わば憧れの眼差しだ。それだけの理由で彼女は着いていこうとはしないと思う。

 ならばどうしてそこまでするのかと、以前までの自分なら疑問に思ったことだろう。でも今ならば彼女の気持ちはよく分かる。何故なら彼女の視線から感じる想いはそれ以上のもの……わたしが麗牙さんに向けるそれに近しかったからだ。

 

「へぇ、りみちゃんベーシストなんだ」

 

「は、はいっ。あ、Poppin'Party(ポッピンパーティ)っていうグループで活動していて……有咲ちゃんもキーボードで参加してるんです」

 

「Poppin'Party……君たちが……」

 

「知ってるんですか!?」

 

「え? う、うん、まぁ……燐子さんや彩さんからも聞いた話だったし。名前だけは知っていたよ」

 

「っ……わ、私、嬉しいですっ」

 

「……」

 

 意外にもまだポピパのライブを見たことがなければそのメンバーを見たこともない麗牙さん。かねがね噂に聞いていたグループとようやく巡り逢えたことで麗牙さんは演技をすることも忘れて感慨に浸っているようにも見えていた。幸いにもそんな彼の様子にも牛込さんは気付く気配はない。何故なら彼女の瞳に映るのは演技を忘れかけた麗牙さんでなく、彼女の愛しの麗華さんだから……。

 

 ──面白くない。

 

 しかし例え相手が麗牙さんでなくとも、情愛に満ちたその視線が黒金麗華に注がれることに対して、わたしは内心穏やかではいられなかった。

 

 願わくば、ここで麗牙さんの正体を明かして彼女をがっかりさせたい。彼に対して幻滅してほしい。わたしの恋人だと明かしたい。既に身も心も彼に捧げているのだと教えたい。チャンスは無いと思い知らせて、二度と彼に期待を抱かないでほしい。

 

 そんな醜いことばかりを考え始めていたことや、他人に対して敵意を抱いたことにも、この時は気付くことはなかった。

 

「黒金さんは何か楽器とかやっているんですか?」

 

「えぇっと……う〜ん、そうだなぁ……」

 

 いつしか麗牙さんは市ヶ谷さんからの問いに考え込むように腕を抱え、答えを捻り出そうとしていた。本当はヴァイオリンと答えたくて仕方がないのだろう。しかし今この場でそれを披露してしまえば、きっと聡明な市ヶ谷さんならば答えに辿り着いてしまう……天才高校生ヴァイオリニストの紅麗牙の存在に。それを危惧している故に彼は別の答えを探そうとしていた。

 

「えっと……ギター……とか?」

 

 苦し紛れに出したようにしか聞こえない答えを発しながら、彼は音楽室に立てかけられたアコースティックギターに手を伸ばす。わたしは麗牙さんがヴァイオリン以外の楽器を扱っているところをまだ見たことがない。氷川さんが言うには彼はベースを弾けるらしいけれど、もしそうならばその腕を見てみたいと思い、牛込さんだけでなくわたしも彼に期待の眼差しを向けるようになっていた。

 

「えっと、じゃあ……」

 

 ♪〜

 

 軽くチューニングを済ませると、彼は早速ギターを弾き始めた。どこか聞いたことのあるような前奏だと思っていると、黒金麗華の口から力強い女性の歌声が響き渡った。

 

「〜♪」

 

「(この曲……っ)」

 

 それはわたしと麗牙さんがよく知るブルースカイの楽曲だった。随分と古い歌だけど、わたしたちにとっては知っているのが当たり前の歌だし、一緒に行ったライブでもこの曲が披露されていたから、わたしたちの記憶にも新しい楽曲だった。

 

 ♪〜♫〜

 

 まるで今の黄昏時を歌うようなしっとりした伴奏に、黒金麗華のしっかりしたコーラスが乗せられて非常に心地よい調律が音楽室を満たしていた。ずっとこの場に浸っていたいような幸福感がわたしの心を包み込み、これまでのことを全部忘れてしまいそうなほど夢見心地な時間。彼の生み出す音楽の世界に、わたしは今日もまた心を満たされていた。

 

 ♪〜||

 

「こんな感じかな」

 

「……」

 

 麗牙さんの歌が終わっても、誰もすぐに声を上げることはできなかった。それはそうだろう。即興であんな素晴らしいギターソロを聴かされて、それで音楽の世界に身を置いているわたしたちが心動かされない訳がない。誰もが彼の音楽に圧倒され、終わっても尚余韻に浸っていたかったのだ。

 そんな中、最初に声を上げたのは市ヶ谷さんだった。

 

「……今のって、ブルースカイの曲ですか?」

 

「え……」

 

「! 有咲ちゃん分かるのっ?」

 

 まさか今の曲をブルースカイのものだと言い当てるとは思わず、わたしは一瞬呆気に取られてしまう。けど麗牙さんはすぐに飛びつき、若干興奮気味に市ヶ谷さんに身体を近づかせていた。子どものように目を輝かせて……そう、まるで初めてわたしと会ってブルースカイのことを語った時のように……。

 

「えっと、はい。前に何かで聴いたことあったので」

 

「そうか〜やっぱそれでも耳に残るものなんだこの曲。知ってる人がいてとても嬉しいよっ」

 

「は、はぁ……」

 

 嬉しそうに語る麗牙さんの勢いに押されたのか、市ヶ谷さんは引き気味に反応するしかないようであった。彼女がこの曲を知っていたことは驚いたしわたしも嬉しく思うけれど、しかしどうしても面白くないと感じてしまう自分がいる。

 

「……燐子ちゃん?」

 

 彼にあんな風に嬉しそうに近寄られる市ヶ谷さんを見ると心が苦しくなる。二人の間に入って遠ざけたくなる。わたしの恋人にそれ以上そんな顔をさせないでほしい。わたしに向ける笑顔を盗らないでほしい。

 麗牙さんも麗牙さんだ。わたしを悲しませないと誓ったのなら、せめてわたしの前で親しそうに女の子に近寄らないでほしい。それ以上、他の子と話して嬉しそうにされるのは耐えられない……。

 

 あなたはわたしの恋人……もっと言えば婚約者なのに……。

 

「燐子ちゃんっ」

 

「っ……な、何でしょうか丸山さん……」

 

「いや、なんか雰囲気がすごく暗いなぁって……て言うか目が笑っていない? 静かに怒ってる時の千聖ちゃんそっくりで……それで大丈夫かなって?」

 

「ぇ……」

 

 その時、丸山さんが声をかけてくれたことで、自分が黒い感情に支配されていることに気が付いた。今、自分は何を考えていたのか? 麗牙さんが市ヶ谷さんと話すのを見て嫌な気分になった? いや、それだけじゃない。彼女に対して敵意を抱き、更には麗牙さんにまで苛立ちを募らせていた。そのことを自覚して、わたしは自分という人間が分からなくなってしまう。どうして友達や恋人に向けてそんな嫌な気持ちを抱けるのだろう。わたしはいつからこんな酷いことを思う人間になったのだろう。

 

「大丈夫です……少し疲れが出ただけです」

 

「そう? 本当に大丈夫?」

 

「はい……ご心配をおかけしました……(でも……)」

 

 わたしと麗牙さんのことで彼女に余計な心配を掛けさせたくなかったため、なんともない風体を装って誤魔化した。きっとこの感情はいけないもので、彼女に話しても迷惑なだけだという気持ちが働いていたのだろう。その気持ちに気づかせてくれただけでも彼女には感謝しなければならない。

 しかしいくら自覚したとは言え、その気持ちをすぐに抑えることも難しかった。麗牙さんは未だ市ヶ谷さんたちと談笑している。それがとても気に入らなかった。わたしがこんなに重苦しい気分になっていることを、彼にいち早く気付いてほしかったのに……。

 

 こんなことを思うのって、やっぱりいけないことなのかな……。

 

『燐子ちゃん』

 

「っ(キバーラさん?)」

 

『ちょっとお話ししない? 部屋から出てさ』

 

 その時、制服のポケットの中に隠れていたキバーラさんが小声でわたしに話しかけてきた。何事かと思えば、この場から離れてわたしに話したいことがあるようだ。しかし、それはわたしにとっても願ってもないことだった。普段から共にいることが当たり前になったキバーラさんにはこの想いについて明かしたかったし、何よりこの場所にいるのが今はとても辛かったからだ。そしてわたしは皆にお手洗いに行くとだけ伝えて音楽室を後にし、屋上へと続く階段を上がっていった。

 屋上には誰もおらず、それを確認したキバーラさんはわたしのポケットから勢いよく飛び出し、文字通り気持ち良さそうに羽を伸ばしていた。そしてそのままパタパタと小さな翼をはためかせて、わたしと向かい合っていた。

 

『さっきね、燐子ちゃんの心が歪んだのが伝わってきたわ』

 

「え……分かるんですか?」

 

『少しだけどね、燐子ちゃんの魔皇力が歪になっているのが感じられたから』

 

「わたしの……?」

 

 キバーラさんが言うには、魔皇力はその持ち主の感情の変化によって何らかの兆しが表れるそうだ。嬉しい、楽しいといった正の感情を抱いている時は透き通った真っ直ぐな性質の魔皇力に。憎い、妬ましいといった負の感情を抱く時は淀んで歪んだ性質の魔皇力に。魔皇力の扱いに長けるキバット族は、そんな魔皇力の変化に敏感であり、そのため魔皇力を持つ相手の感情の変化にも同じく察知することができるようなのだ。

 そんなことはもっと早く言ってほしいとは思うも、自分の歪な感情を悟ったキバーラさん相手に文句を言う気分にはなれなかった。

 

『それで、燐子ちゃんは何を感じたの? 大体予想は付くけど、まぁお姉さんに話してみなさいって』

 

「……わたしは……」

 

 そしてわたしは、先の音楽室で感じたことを正直にキバーラさんに打ち明けた。麗牙さんを見つめる牛込さんの視線が嫌だということ。市ヶ谷さんに話しかける麗牙さんを見たくないということ。彼女たちから麗牙さんを引き離したくなる想いに駆られ、音楽の道を共にするはずの彼女たちに敵意を抱いてしまっていたこと。そして、大好きな麗牙さんに対して不満を抱いてしまったこと。

 

「これは……いけない気持ちなのかなって……」

 

 こんなことは初めてで、わたしはどうしたらいいのか分からなくなってしまっていた。仲のいい友人の二人に対してそんな感情を抱いたことが怖くて、でも止められない。胸が痛くて苦しくて、治まるどころかどんどん辛くなっていく。だからこの気持ちはきっといけないものだと……麗牙さんが愛した人間が抱いちゃいけない感情なんだと思っていた。麗牙さんの隣にいる人が抱いちゃいけない気持ちなんだと、しかしそれから逃れられない自分が恐ろしくなっていた。

 

『燐子ちゃん。その気持ちはね……その気持ちを抱くのはね、間違いじゃないわ』

 

「え……?」

 

 だから、キバーラさんがそう口にしたことが意外で驚いてしまった。間違いじゃない? こんなに辛くなる気持ちが? 誰かを嫌になって、敵意を向けたくなるような気持ちが? キバーラさんの言葉の真意が分からず、わたしは黙って彼女の口から語られる言葉を待つしかなかった。

 

『簡単に言えば嫉妬ね。愛する人を誰にも渡したくないという女の嫉妬。それは誰でも抱く当たり前のものなの』

 

「嫉妬……」

 

『ふふ、前にリサちゃんと紗夜ちゃんが麗牙のことで喧嘩した時があったでしょ。私は当事者じゃないし後から聞いただけだけど、あれも彼女たちの中で湧き上がった嫉妬の炎が引き起こしたことよ』

 

 麗牙さんの間で今井さんと氷川さんが険悪な雰囲気になったことは今でも記憶に残っている。当時は何が何だか理解できなかったけれど、今となってはそんな二人の心境もよく理解できてしまう。互いに麗牙さんのことが好きで好きでたまらなくて、相手に渡したくない一心で普段では考えられないような敵意を見せていた。相手が誰であろうとも好きな人は譲れない。そんな独占欲に近い想いが二人の心を燃やしていたのだ。氷川さんは今井さんが麗牙さんに告白したことで心の炎が燃え上がり、今井さんは氷川さんが麗牙さんにキスをしたことで敵意が発露した。

 

「……そうだ……氷川さん……麗牙さんとキスしてたんだ……」

 

『り、燐子ちゃんっ? 今はちょっと落ち着いてっ、ねっ?』

 

「はい……」

 

 初恋の相手のファーストキスの相手が自分でないことを思い出して、わたしの心はまた一段と重くなる。もう決着のついた氷川さんに向けて恨み節を投げたくなったのも、キバーラさんの言う嫉妬心が生んだことなのだろうか。わたしの中の魔皇力がまた歪んだことで彼女に注意され、とりあえずは心を落ち着かせようとするも、相変わらず心のモヤモヤは消えてはくれなかった。

 

『ふぅ……本当に誰かを恨んだり嫌ったりしたことが無かったのね燐子ちゃんは』

 

「だめ、ですか……?」

 

『悪くないわ。それだけあなたが優しい女の子だってことだもの。私は好きよ』

 

「ありがとう……ございます」

 

 彼女の言う通り、わたしは誰かを本格的に恨んだり嫌ったりということは今までなかった。そういう気持ちを抱いてもいいことはないと、いろんなところで見て聞いて育ってきたことも理由だろう。故に、わたしは人が当たり前に抱くはずのその感情に慣れていないだけだとキバーラさんは指摘した。

 

『うんうん。それに正直、燐子ちゃんもそういう気持ちになるんだって安心したわ。やっぱり恋って言ったら嫉妬を抱くのが相場なんだからっ』

 

「そういうもの……でしょうか?」

 

『そうに決まってるじゃない! ほら、少女漫画とかでよく見ない? 主人公の好きな男に他の女が詰め寄ってやきもきする場面とか。逆に主人公がその男といい感じになってる所に都合悪く他の女が割り込んでくる場面なんて特によ』

 

「なんだかとても具体的……と言うかそれ、わたしじゃないですよね……? でも確かに……それはそうかも……」

 

 キバーラさんの例える話も何となく読んだ覚えがあるが、それも恋をした故の独占欲が働いたものなんだ。恋愛に関わる漫画やドラマの登場人物たちは時折理解出来ない行動を起こす時があるけれど、それも今なら納得してしまう。彼らは皆、恋に溺れているのだと。恋をして、不安になって、愛しの人に振り向いて欲しくて、そのために何だってしてしまう。相手を攻撃することすら有り得てしまう。そんな歪な均衡を成立させてしまうのが恋であり、今のわたしの状態であった。流石に自分を少女漫画の主人公だとは思わないけれど。

 

『誰だって好きな人には自分だけを見てほしいものなの。それが当たり前。だから燐子ちゃんが気に病む必要はないわ。恋をして、嫉妬して、彼に怒って、甘えて、それでもっと好きになる。そこが恋の素敵なところなんだって、私は思うわ」

 

「……ありがとうございます……キバーラさん」

 

『ふふ、どういたしまして。でも大事なのは、その気持ちをどう使うか。それだけは忘れないで、燐子ちゃん』

 

「はい……っ」

 

 自分の抱く気持ちは、恋する人なら誰でも抱く普遍的なもの。それが分かっただけでも十分気が楽になれた。嫉妬心を抱くのは彼に恋している以上を仕方のないことなんだ。ならば後は抱いた人次第だ。その気持ちに振り回されて破滅するのか、上手く利用して幸せを手にするのか。わたしは今、麗牙さんを愛する上で試されているのかもしれない。

 そして言いたいことを全て言えて満足そうなキバーラさんは、屋上に誰かが来る気配を感じたのか再びわたしのポケットの中に入り込んだ。

 

『……それに麗牙だって何も考えず他の子と話してたわけじゃないわよ』

 

「え……?」

 

 しかし最後にキバーラさんは何かを言ったようだけど、丁度吹いた風によってかき消されて上手く聞き取ることが出来なかった

 

 それと同時に屋上の扉が開き、わたしの前に現れたのは……。

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