ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『愛音を取り戻すため、キャッスルドランの皆に作戦を打ち明けた麗牙。でも、その作戦を燐子ちゃんと友希那ちゃんには伝えたくないみたい。それってやっぱり……』


第156話 麗しきあなたに駆け出して

 花女の校庭は今も部活動により活気が溢れる声で満ちていた。少し目を横に向ければ、そうでない生徒たちが帰宅していく様子も見られ、各個人の様々な生き方が一目で分かる。そんな放課後の校舎で、わたしはようやく目的の人物を見つけ出して声を投げかけていた。

 

「先生……あの、少しよろしいですか……?」

 

「……やはり来ると思ったよ。もちろんいいさ、白金さん」

 

 先月、新子先生の穴を埋める形で私たちの担任に赴任してきた名護啓介先生。麗牙さんやキバーラさんに聞くところによると、彼は異世界からやってきたイクサだそうだ。異世界というよりはこことよく似た並行世界(パラレルワールド)らしいけれど……。

 担任とは言うけれど、わたしは未だ彼とよく話をしたことはない。女子校には珍しい男性ということもあって緊張しているのもあるけど、それ以上に彼の学園での人気が、わたしと彼の接触を妨げていた。

 

 ──今日から赴任してきた……名護啓介だ。気軽に名護先生と呼びなさい。よろしく。

 

 名護先生は赴任当初から、その整った顔やスマートな身形、真面目で誠実な性格が生徒たちに受けに受け、瞬く間に学園の人気者になってしまった。妻子持ちで愛妻家であることを公言しているのもまた人気に拍車をかけていた。女子校に身を置きながら「間違い」を起こし得ないその言動は、あまりにも「理想的な落ち着いた大人」を体現し過ぎていた。更にその上でちょっとした遊び心まで持っているのだから、名護先生の存在はこの年代の女子生徒にとっては劇薬だったに違いない。

 新子先生がいなくなった傷を一瞬の内に埋めてしまうどころか、以前よりも活気に満ち溢れたこの学園のことを思うと嬉しくもあるけれど、それでも麗牙さんたちと深く関係している彼と接触できないのは中々に歯痒くもあった。

 

 とは言えわたしの近くにはキバーラさんがいたし、先生と話せないことで困ることはなかった。

 

 ……今日という日までは。

 

「用というのは、麗牙くんのことだね」

 

「はい……キバーラさんが向こうにいるので……先生なら何か知っているかと……」

 

 今のわたしの側にキバーラさんはいない。キバーラさんは今頃、羽丘女子学園にいる……性格には友希那さんの側にだけど……。

 

 愛音さんは当然いないし、ファンガイアであるアゲハさんも今は麗牙さんの城で何かの仕事に追われているそうだ。つまり今の羽丘には、万が一のことが起きた場合に対抗できる人がいない。戦力の空白を埋める形で、キバーラさんはわたしの元を離れて友希那さんの元へといった。花女には名護先生がいるからとの判断らしい。

 合理的で正しい判断だとはわたしも思うけれど、それとは別に納得し難い部分もあった。戦力がないなら他の護衛の人に任せればよかったのに、わたしの側にずっといてくれたキバーラさんがあっさり向こうに行ってしまったことがショックだった。

 

 しかも、よりによって友希那さんの元にだ……。

 

 そう思ってしまうのも、わたしの中で未だに友希那さんに対する怒りの感情が消えていなかったからだろう。わたしが彼の恋人であるのを知っていながら、彼と二人きりで曲作りを続けていた彼女に対するわたしの憤りは、そんな簡単に消散するものではないのだから。

 キバーラさんがいないことで友希那さんが傷付くのはとても嫌なことだが、それで少しだけ裏切られた気分になってしまうのはわたしの心が汚れているからなのだろうか。でも、もし万が一のことがあれば、キバーラさんは奥の手を使うのだろう。クイーンのために開発された第三のキバを……友希那さんの手に委ねて……麗牙さんのクイーンのための鎧を……友希那さんに……。

 そんなことはきっと無いと信じたいが、嫌な連想ゲームが繰り返されるばかりで、わたしはどんどん自分が悪い人間になっていってる気がしていた。

 

 閑話休題。

 

 自己嫌悪が繰り返されることだけは避けなければと、わたしはこれまで麗牙さんのことだけを考えるようにしてきた。麗牙さんが気を失ったあの時から彼の携帯は壊れている。だからわたしは彼が何をしているのか、どこにいるのかすらも分からない。どうにかして彼の事情を知りたかったわたしは、藁にもすがる思いで名護先生に辿り着いていた。

 

「麗牙さんは……麗牙さんは今どこに……何をしているんですか……?」

 

 彼が一命を取り留めたことは、キバーラさんに最後に会った時の彼女の口から知り得ることはできた。しかし、いくら聞いても彼が今何をしているのかまでは教えてくれなかった。それはキバーラさんだけでなく、アゲハさんも同様に教えてくれはしなかった。果たしてそこまでして隠すようなことがあるのだろうか? わたしは彼の恋人で、彼に将来を共にいることを誓ってもらったというのに。みんなして一体何をわたしに隠すことがあるのだろうか。不安と同じくらい、皆に対する不満がわたしの心を包み込んでいた。

 だから今のわたしにとっては、名護先生だけが麗牙さんに繋がる頼みの綱となっていた。

 

「彼は無事、ということは分かっているようだな」

 

「はい……でもみんな……何も教えてくれなくて……それで、名護先生なら知っていると思ったので……」

 

「確証でもあるのか?」

 

「そうでないと……キバーラさんはわたしから離れたりしませんから……」

 

 半分は願望みたいな推測だけど、それで間違いはないという思いもあった。あの麗牙さんが何も知らされていない名護先生をたった一人でここに置いておくとは思えなかった。きっと先生は麗牙さんから何かを教えられた上で、一人この学園の戦力となることを選んだのだと半ば確信していた。

 

「先生は……事情を知った上で一人でここにいる……そうですよね?」

 

「なるほど、なかなか聡明なんだな君は。ああ、その通りだ。俺は麗牙くんの動向を知っている」

 

「っ、教えてください! 彼は何をして……いえ、何をしようとしているんですか!?」

 

 先生の返答にわたしは喰らいつくように問いかけた。麗牙さんはわたしに内緒で何かをしようとしている。それははっきりと確信していたのだから。

 

「わたしに教えられないことなんですか!? 生涯を誓ってくれたわたしにも言えないことって何なんですか!?」

 

 いつものように落ち着いて話すことなんてできなかった。心の奥から溢れる想いがわたしの声に熱を灯す。それは激情となってわたしの口からどんどん放たれていく。しかし、いつもと違う自分がいると感じる間もないほど、わたしは無我夢中だった。

 

「まずは落ち着くんだ白金さん。彼が敢えて話していないなら、そうすべき理由があるからだ。だから今は──」

 

「分かっています! 麗牙さんが優しい人だってこと、わたしが一番知ってます! 聞けばわたしが悲しむかもしれないことも、何となく分かってます!」

 

「──なら何故……」

 

「それでもわたしはっ……わたしは……麗牙さんの側にいたいです……どんなことが起きてもわたしは……麗牙さんの近くにいたいです……」

 

 それが一糸纏わぬわたしの本音だった。何があったとしても、わたしは彼の側を離れたくなかった。たとえその結果、自分が悲しむことになっても、麗牙さんの近くにいたかった。彼の姿が見えないまま彼の身に何かが起きた時、きっとわたしは彼の側にいなかったことを後悔してしまう。それに……。

 

「それにわたしはまだ……麗牙さんと仲直り……できてないですから……」

 

 些細なことから始まってしまった喧嘩すら、わたしたちはまだ終えられていない。わたしがあと一言「許します」と言うだけで終わる簡単な喧嘩なのに、それを告げることすらできていない。わたしはただ一言、彼にそれを言いたいだけなのに……!

 

「わたしはもう二度と……麗牙さんから目を逸らしたくない……彼から逃げるわけにはいかないんです……!」

 

 あの日あの時、麗牙さんから目を背けて彼を傷付けてしまった光景は、未だにわたしの脳裏から離れてくれない。大好きだった彼の心を引き裂いたわたし自身の言葉の刃は、同時にわたしの心をも引き裂き、今も心を蝕み続けている。

 そんな想いはもう二度としたくない。彼にまつわることで二度と後悔はしたくない。わたしはそんな強い想いを先生に向けてぶつけていた。

 

「お願いします……先生……!」

 

「麗牙くんからは絶対に君にだけは話すなと言われていたが……」

 

「……」

 

「……しかし俺はそうは思わない。君にこそ話すべきだと俺は思う」

 

「っ、先生……!」

 

「きっと(めぐみ)も……俺の妻もそう思うだろう」

 

 わたしの想いは先生に届いた。嬉しくて跳ねそうになるが、そんな場合ではないことを思い出して自制する。先生の言葉を全て信じるなら、麗牙さんはわたしにだけは話したくないことを、わたしのために隠している。きっと、わたしの心を守るために……。

 嫌な予感が拭いたくても拭いきれず、心臓の鼓動が早くなる。それでもわたしは彼がしようとしていることを知らなければならない。彼の選択から逃げないためにも。

 

「だから、気をしっかり持って聞いてくれ。彼がこの後何をするかを──」

 

 先生が真相を語りはじめようとした時だった。

 

 ♪〜♪〜

 

「──すまない白金さん……ああ俺だ……そうか始まってしまったか──」

 

「先生……?」

 

 鳴り響いた携帯を取り出した先生はすぐさま着信に応じた。誰と会話しているのか分からないが、今まで見た中で一番深刻そうな表情を浮かべる彼を前に、わたしは胸騒ぎが止まらなくなっていた。

 

「──ああ、くれぐれも用心するように、綾野くん」

 

「先生……あの、もしかして……」

 

 電話の相手は綾野さんだったようだ。短めの通話を切った先生に向けて、わたしは当たってほしくない予想を投げかける。そして案の定、先生はわたしに告げたのだった。

 

 

「麗牙くんたちが(ロード)を見つけたようだ」

 

 

 その報告にわたしは短く息を呑む。愛音さんの身体を得て復活したレジェンドルガのロードを、麗牙さんたちはずっと探していた。それはわたしも何となく分かっていたから驚きはしなかったけれど、それが意味するところを考えて心臓が締め付けられる感覚がしていた。このままでは麗牙さんは、自分の妹と戦うことになってしまうのだから。そして、そんな中でも麗牙さんは愛音さんを取り戻したいはずだ。きっと何か策があるのは間違いない。

 

 でも一体どうやって?

 あくまで人間でしかないわたしには想像の付かない方法でもあるのだろうか?

 麗牙さんがわたしを遠ざけるのはそのため?

 それとも兄妹の争いを見せないため?

 わたしは?

 わたしはどうすればいいの?

 

 答えを絞り出せずに何も言えないまま、じわじわと時は進んでいく。しかし、そんなわたしの心を読んだかのように先生は問い質してきた。

 

「どうする? 麗牙くんの願った通りに何も知らずにここにいるか、それとも麗牙くんの願いを踏み躙ってでも彼の側に行くか」

 

 それはある意味で究極の選択だった。彼の意思を尊重するか、踏み躙るか。彼の願いよりわたし自身の願いを優先するのか。

 だけど、先生に言われてわたしは自分の進むべき道がはっきりした。そもそも自問するまでもなかった。

 先生に尋ねた時点でわたしの既に心は決まっていたのだから。

 

「お願いします先生……わたしを……愛する人の元へ連れていってください……!」

 

 これはもしかすると麗牙さんへの裏切りになってしまうのかもしれない。ともすれば、彼に失望されてしまうのかもしれない。それはとても恐ろしく感じるけど、それよりも今この瞬間の麗牙さんから目を逸らしてしまう方が余程恐ろしいことのように感じていた。だからわたしは先生に向けて固い決意を叫んでいた。

 

「本当にいいんだね?」

 

「はい……それに、彼に大事なことを内緒にされたのは……これで二度目なので……」

 

「それは確かに、文句の一つや二つは言った方がいい」

 

 友希那さんの件に続いて二度目の内緒ごとなのだから、わたしだってもっと強引に行動したっていいはずだ。先生の言う通り、わたしのことを除け者にしたことはちゃんと怒らないと。

 そしたら彼はきっとわたしに謝るだろう。優しい麗牙さんのことだから、そうしてくれるだろうという自信はある。そして今度はわたしが彼のことを許して、早くこんな喧嘩を終わらせるんだ。

 

「行こう。俺が君を彼の元まで連れていく」

 

「はいっ(お願い……無事でいて……麗牙さん……!)」

 

 それで全て元通りになる。麗牙さんの温かな音楽を近くに感じる日々が戻ってくる。

 

 先生の背中を追いながら、わたしはひたすらそれを信じていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「いい加減に教えて、キバーラ。麗牙は何をしようとしているの?」

 

 私は何度目かになる質問をキバーラに投げかける。

 今日の朝のことだ。空から私の元に舞い降りた彼女の姿を見て、私は思わず声を漏らしてしまった。「何故燐子の元にいるあなたがここに?」と。そしてキバーラは言った。愛音とアゲハが羽丘にいない以上、万が一が起きた時のためにキバーラが私の側にいるのだと。それが麗牙の指示なのだと。花女には名護と言う新しい先生がいるから問題ないとは言うけど……よく知らない私は不安に感じていたりする。

 ともあれ、麗牙が息災であることはキバーラを経由して知ることができた。彼女が私を守ってくれることも理解できた。しかし、それ以上のことは何一つとして知ることはかなわなかった。キバーラは麗牙に関する情報を何一つとして私に話してくれなかったのだ。

 そもそも自分の元にキバーラが来たこと自体が異常なことだと感じていた故に、私は麗牙がただ無事なだけでないことを推測していた。

 

『何度言ってもダメよ。これはキングの命なんだから』

 

「どうして麗牙があなたの口を封じる必要があるのよ。そんなに私に知られたくないことなの?」

 

 キングの命令、即ち麗牙の指図というのならば、尚更自分が除け者にされていることに納得がいかなかった。キバのこともファンガイアのことも、彼にまつわることは多くのことを知ってしまっている私に、今更秘密にすることがあるのかと思ってしまう。そこまでして知られるわけにはいかない秘密など、もはや彼にはないと思っていたからだ。

 いや、もしかすると、それは秘密が無いと私が勝手に信じているだけなのかもしれない。私の前に曝け出してくれた彼の音楽に、まだ隠し事があると私自身が思いたくなかったから……。

 

『はぁ……ええ、そうよ。友希那ちゃんには知られたくないと思ってる。誰よりも、あなたと燐子ちゃんにはね。それだけはハッキリ言えるわ。ねぇお願いだから、これで納得してちょうだい』

 

「余計に納得できないわ!」

 

 私には特に知られたくない、なんて言われて納得できるわけがない。

 それに燐子と同じように扱われている点についても非常に複雑な気分である。恋人たる燐子と同じくらい想われているという意味ではとても喜ばしく感じる一方で、彼の才能を閉じ込めかねない彼女と同列に思われているのは遺憾にも思う。そう考えてしまうのも、あれから時間が経った今でも燐子に対する苛立ちが消えていなかったからだろう。燐子は麗牙の才能を真に理解していないのではないかと、そんな疑念すら浮かんでしまうほどに、私は彼女に対して憤懣(ふんまん)を感じていたのだから。

 

『麗牙はあなたのこと、本当に大事に想っているわ。それこそ恋人である燐子ちゃんに負けていないくらいね。それを聞いても嬉しくはならないの?』

 

「っ……それは……」

 

 嬉しくならないはずがない。彼に大事に想われていることに喜びを感じないはずはない。

 でも、そこには必ず燐子の影がある。「他の人より」と言われても、その上には燐子がいる。どうしても勝てない壁がそこにあるのだから。

 そのことがとても苦しくて、悔しくて、今でも胸が焼けるような痛みを生み出していた。

 

「……もういいっ。自分で聞き出すわ」

 

『えっ? ちょっと友希那ちゃん!?』

 

 胸の痛みに我慢できなくなった私は、キバーラの前から去るようにして歩き出した。麗牙から羽丘の、ひいては私の護衛を任されたキバーラは当然私の後を追って飛んでくる。だけど私は彼女を待つことなくひたすら無心に歩を進ませ続け、羽丘の校門を抜けていた。

 

『聞き出すって、どこへ行くつもりなの!?』

 

「知らないわ」

 

『どうして友希那ちゃんがそこまでするのよ!?』

 

「分からないわっ」

 

 じっと抑えられない衝動にまるで私自身が操られているようだった。でもその行動は間違いなく自分の意思であり、止めようという気はまるで起きてこなかった。私の心は……私の音楽は……ただただ麗牙の元へと私を送り出そうとしていた。

 

「自分でも分からないのよ。麗牙のことを考えると身体が勝手に動くの。麗牙の顔を思い浮かべるとじっとしていられない。麗牙の身にもしものことがあると思うと居ても立っても居られないのよ!」

 

『友希那ちゃん……』

 

 脳裏に浮かぶのは、私の心を揺れ動かす彼の音楽。

 

 彼に直接触れて感じた、彼の優しい体温。

 

 共に過ごす中で身に染みた、彼の音楽への情熱。

 

 そんな繊細で彩り豊かな麗しい音楽が、今も私の心を包み込んでいた。

 

 私の心を包んで放してくれなかった。

 

「麗牙が優しい人なのは分かってるわ。私たちを遠ざけるのも、きっとその優しさのため。でもだからって、独りよがりすぎるのよ麗牙の優しさは、いつも!」

 

 麗牙が私に何も言えないのは、その結果で恐らく私が傷付くかもしれないから。そんな彼の優しさ故なのだと、これまでの麗牙を見ていた私には確信できていた。しかし彼の優しさは、ともすれば甘さでもある。私との曲作りを燐子に言えなかったのも彼の優しさであり甘さ。隠し通せないと見るや素直に明かしてしまう、そんな浅はかな優しさも彼の甘さ。思い返せば彼の優しさはいつだって甘く、独りよがりであった。

 

「でも、私はそんな彼の独りよがりな優しさも愛おしいと思っている。甘い考えの彼を失いたくないと思っている!」

 

 それは以前の自分なら絶対に言わない発言であった。優しさ以前に甘さなんて音楽には不要だと切り捨てていた過去の自分が今の自分を見れば、きっと信じられないと思うだろう。

 それほどまでに私は変わってしまった。みんなの優しさが必要だと思ってしまった。麗牙の甘さが欲しいと思ってしまった。

 

「だって私は……!」

 

 今の私はもう彼のことが──。

 

 

 ♬〜♬〜

 

 

 いつしか……いえ、きっと歩き始めた時から……私の耳にはあの血染めの薔薇(ブラッディ・ローズ)の旋律が鳴り響いていた。あの薔薇の音は私を招いてくれているのだと、頭よりも身体が反応していたのだ。本能とも言えるその行動は、やがて私を彼の屋敷へと導いてくれたのだった。

 

『友希那ちゃん。あなたそこまで麗牙のことを……』

 

 私が望んだからか、それとも薔薇の音が私を招いたのかは分からない。それでもあの音楽は、そして私の心の音楽は、間違いなく私を麗牙の家に辿り着かせてくれた。一番彼を感じる場所へと案内してくれた。

 でも、きっとここに麗牙はいない。彼の乗る深紅のバイクが置かれているが、彼がいないことは感じ取っていた。それでもここに来れば、あの薔薇の音楽が何かを教えてくれるような気がしたのだ。たとえ彼がいなくとも、今はそれだけでも良かった。麗牙を感じられるなら、場所はどこでもよかったのだから。

 

「キバーラ、あなたの言った通りよ。この気持ちは簡単に捨てられるものじゃなかったわ」

 

『友希那ちゃん……』

 

「何も考えないようにしていても、どうしても追い求めてしまう。耳を塞いでも、心の音楽は塞ぎようがない。認めるしかないけど、やっぱり私は……」

 

 しかしその先はハッキリ言わず、心の中に閉じ込めておく。それを言う相手は彼女ではないからだ。いつかは告げなければいけないその言葉。伝えるとすれば、それは麗牙と、そして……。

 

『……ごめん麗牙。ごめん燐子ちゃん……っ、行きましょう、友希那ちゃん』

 

「え?」

 

 何故か小さく麗牙と燐子に謝罪したキバーラは、さっきまでの固い様子から一変し、柔らかく落ち着いた口調で私に語りかけてきた。そしてキバーラは麗牙のバイクの元まで飛んでいくと、ガソリンタンクがあるらしきボディの上に止まった。

 

 ──ブオゥン‼︎

 

「っ!?」

 

 すると、急にマシン全体が音を立てて揺れ始め、ヘッドライトから眩い光が放たれたのだ。乗り手もいないのにいつでも発信できるぞと言わんばかりにマフラーは揺れ、まるで心臓の音のようにエンジンは激しく唸っていた。

 

「な、何っ……?」

 

『このバイクには馬型モンスターの脳が埋め込まれているの。指令を出してあげれば、自動的に走行もしてくれるわ。そして、この子はきっと麗牙の場所を把握しているはずよ』

 

「っ、キバーラ……」

 

『ごめんなさい友希那ちゃん。私が、ううん、私たちが間違っていた。やっぱり友希那ちゃんは麗牙から遠ざけちゃダメよ。何が起きても友希那ちゃんには麗牙の選択を見守ってもらうべきだって……そう思ったから』

 

 彼女は今、主人の言いつけを破ろうとしている。私に麗牙の居場所を教えようとしてくれている。彼らの間の決定を私のために覆してくれることに若干の申し訳なさを感じつつも、ようやく掴めた彼の足取りを前に、落ち着きかけていた胸の鼓動が再び高鳴り始めていた。

 そしてキバーラはどこからか取り出したヘルメットを私に投げ付けた。慌ててそれをキャッチしようとして、危うく落としそうになるが何とか胸の中に収めることに成功する。以前は麗牙と共に乗ったこのバイクだが、今度は私一人で乗れということなのだろうか。

 

『ハンドルを握るだけでいいわ。あとはこのマシンキバーが連れて行ってくれる。この子だって、今までずっと麗牙と共に戦ってきたもの。麗牙の気持ちだって、それに今のあなたの気持ちだって分かっているはずよ』

 

「私の気持ちを? どうして?」

 

『う〜ん……道具は持ち主に似るってやつかしら。麗牙と同じように、この子もあなたの心の音楽を聴いていたのかもしれないわね。だからこそ、あなたを彼の元にきっと連れて行ってくれる』

 

 道具と言いつつ、まるでバイクに意思があるかのようにキバーラは話す。大事に使い続けた道具には持ち主の魂が宿る、なんてことは偶に聞くけれどそれと同じなのだろうか。それこそ彼の両親が作り上げたブラッディ・ローズのように、このバイクも私を導いてくれるということなのだろうか。

 そう思ってバイクのハンドルに触れると、私に応えるかのように真紅の鉄馬はエンジンが嘶かせる。そこで私も確信する。キバと共に戦い続けたこのマシンもまた、彼の仲間なのだと。彼と同じように私の音楽を聴いているのだと。そして、キバーラの判断に同意して私を麗牙の元まで送り届けてくれるのだと。

 

「分かったわ。ありがとう、キバーラ」

 

 ならば私に迷うことはなかった。投げ渡されたヘルメットを被り、マシンに跨る。バイザーを締め、両手でハンドルを握りしめた。

 

『当然私も行くけど……友希那ちゃん、覚悟はしておいてね』

 

「ええ……分かってるわ」

 

 今この瞬間にも、麗牙の身には何かが起きていると私は直感していた。そうでなければ、ブラッディ・ローズは私をここに連れてきたりはしないからだ。そのため私の胸の内には今も嫌な予感が巣食っており、消えてはくれなかった。でも、そんな事は些細なことであった。私は彼の選択を見逃したりはしないし、彼の音楽を聴き逃したりはしない。だから覚悟なんてとうにできていた。

 

 そして私は、真紅の鉄馬(マシンキバー)に願いを込めて告げる。

 

「お願い……私を麗牙のところまで連れていって……!」

 

 ──ブロォォォォォゥン‼︎

 

 私の言葉に応えた真紅のバイクは、けたたましい爆音を上げて走り出した。私自身はクラッチもペダルも何も操作していないにも関わらず、自らの意思で走行するこの機体はギアを変えながらどんどん速度を上げていく。それに振り落とされないよう、私も必死にハンドルにしがみついていた。

 

「(麗牙……無事でいて……)」

 

 そんな祈りを込めながら、私は過ぎ去りゆく景色の先をずっと見つめ続けていた。そこに麗牙がいるのだから。そこに私が尊敬できる音楽家がいるのだから。私の心はひたすら彼を求めていた。

 

 彼から目を背けないために。

 

 彼の音楽を聴き漏らさないために。

 

 そして、またいつものように彼の音楽を聴くために……。

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