ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

162 / 168
『ヨハネの黙示録って聞くと、何だか「怖い」とか「不気味」ってイメージが湧く人いるわよね。でも本当は黙示録って、ローマ帝国の迫害下で流刑にされたヨハネが書いた、言わば「ローマ帝国への皮肉とクリスチャンへの励まし」が詰まった作品だったのよ。「今は耐えて。いずれ神が勝つわ」ってね。そして、最後にはハッピーエンドになるの。みんなもきっと……大丈夫よね……!』


第159話 黙示録:明かされる聖櫃

 キャッスルドランの城内に、細いキャンドルの炎が頼りなく揺れている。本来静寂に支配されるはずの空間は、今や幾重にも重なる轟音と振動に支配されていた。

 

 意志を感じさせない、獣のような雄叫び。

 

 それに抗うような、心を宿した重厚な旋律。

 

 二つの音は溶け合うことなく、未だ不協和音として果てしなく反響し続けていた。

 

 そんな城の奥。一室の闇の中で、“彼”はなお眠り続けていた。

 

『……』

 

 長き眠りに沈む小さな躯体。

 

 それは闇のような黒と血のような赤で彩られた、一匹のキバット族であった。

 

『……』

 

 城全体が震え、壁が悲鳴を上げようとも、その閉じられた瞼は微かな瞬きすら許さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深い森の奥、苔むした巨大な岩の上に愛音は座っていた。

 

 木漏れ日が彼女の紅色の髪を斑に染め、柔らかな光を落としている。しかし、その瞳には一切の光がなく、ただ虚ろに虚空を映すだけだった。膝を抱え、身じろぎ一つせず、まるで時間が止まったかのように……。

 

『愛音! 頼むからいつものお前に戻ってくれよ!』

 

『そうですよ、愛音さん! そんな顔をしていたら、麗牙さんが浮かばれません!』

 

 キバットとタツロットが愛音の肩の上で羽を激しくばたつかせ、必死に声を張り上げた。二匹の小さな相棒は、まるで愛音の沈黙を振り払うかのように彼女の周りを何度も飛び回る。しかし、そんな彼らの言葉は愛音の心の底まで届かない。

 まるで厚い霧に包まれたように、すべてが遠かった。

 

「……いつもの私って、何……? 兄さんが浮かばれないって、何……? 勝手に、決めないで……」

 

 愛音の唇がわずかに動いた。声は小さく掠れていて、ほとんど独り言のようだった。それでも表情は変わらない。虚ろな瞳は、ただ一点を見つめたままだった。

 

 それでも二匹は諦めることはなかった。

 

『オレたちにだって信じられねぇよ。だって麗牙が……あの麗牙が、あんな風に……ッ!』

 

 キバットが歯を食いしばるように言った。

 

『悲しいのは私たちも同じです。でも、だからこそ強く生きないと。負けちゃダメですよ! 麗牙さんもそう仰っていたんでしょう?』

 

 タツロットが、いつもより真剣な声で続ける。

 

「……」

 

 愛音は答えなかった。彼女は決して兄の意思を無碍にしているわけではない。ただ、胸の奥で何度も繰り返される最期の言葉が、重すぎて動けなかった。

 

 ──負けないで……今は──

 

(兄さん……ごめん。私、もう……)

 

 兄のいない世界で、どうしようもない虚無感を抱えて生き続けること。その限界が静かに、しかし確実に近づいていた。

 

『キバットさん……』

 

『お前まで挫けんなよタッちゃん。オレたちがここで諦めたら、誰が愛音の面倒見んだよ……オレたちも頑張るんだよ』

 

 キバットはそう言いながらも、空を見上げてぼやいた。

 

『クッソ〜……こんな最悪な気分だってのに、真っ昼間から満月が綺麗だチクショー』

 

 

 

 

「…………え?」

 

 その何気ない一言に、愛音の肩がピクリと動いた。

 

 ゆっくりと顔を上げ、空を見上げる。そこには、確かに完全な円を描く、真っ白な満月が浮かんでいた。

 

 しかし——そんなことは、あり得ない。

 

 ここに来て何度も、兄を思い出すように空を見上げていた愛音は、月の満ち欠けを正確に把握していた。

 

 今日は、三日月が浮かぶ日だったはずだ。

 

『……って、なんで満月!?』

 

 キバットも遅れて自分の言葉の矛盾に気づき、慌てて叫んだ。物知りな彼だからこそ、すぐに違和感を察知できた。真昼に満月が浮かぶなど、天文学的にもあり得ない異常事態だ。

 

『キバットさん。真昼に満月が出ると、何かマズイんですか?』

 

『い、いや……今はとにかく、あり得ないことが起きてるってことしか……』

 

「……」

 

 愛音の表情に、ようやく変化が訪れた。血の気が引いた顔に、焦燥と緊張が浮かぶ。それは、悪い意味での変化だったが——久しぶりに、彼女の心が動いた証でもあった。

 

「ぅ……!」

 

 その瞬間、愛音の脳裏に、黒い霧のような記憶が一気に蘇った。

 

 ロードに身体を乗っ取られていた時の、冷たい感触。

 

 彼の意志が愛音の体を操りながら、別の場所で何かをしていた感覚。

 

 麗牙が果てた、あの海の見える丘の地下深く。

 

 固く封印されていた巨大な棺。

 

 そこに手を触れ、力を注ぎ込み——

 

「──ああっ!?」

 

『愛音っ!?』

 

『愛音さん!?』

 

 突然叫び出した愛音に、二匹が慌てて飛びつく。

 

「あ、アイツ……ふざ、けんな……!」

 

 愛音の瞳に、久しぶりに感情の炎が灯った。

 

 それは深い悲しみを突き破った、激しい怒りだった。

 

「兄さんの覚悟を……侮辱して……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海の見える丘の地下深く。

 

 潮の香りが微かに混じる、冷たく重い暗闇の中。巨大な石棺──否、聖櫃(アーク)が軋むような低い音を立ててゆっくりと開いた。

 

「ォ……ォォォ……」

 

 聖櫃の蓋がずり落ち、誇りと古い魔力が渦を巻いて舞い上がった。

 

 不気味な声と共に中から現れたのは、漆黒の闇に覆われた巨躯。

 

 それこそ、ファンガイアのキングによって封印されたレジェンドルガ族の(ロード)──その本体であった。

 

「フ……ハハハハ……」

 

 愛音に宿っていたロードの魔皇力。それは儀式を経て目覚め、確かにロードとして復活を果たした。だがそれは、ロードが複製したもう一つの魂──かつて封印の間際にロードが放った最後の保険であり、悪あがきでしかなかった。

 

 愛音の身体を乗っ取ったロードの魂とは別に、太古に封印されたロード本体は未だ存在していたのだ。

 

 愛音の中で覚醒したロードは、その身体を利用して世界を観察し、準備を進めていた。自らの意志を細い糸のように伸ばし、そして辿り着いた封印の棺に直接触れ、本体の復活を促していたのだ。

 

 万が一、愛音の身体が滅びた時のための保険として……いや、寧ろ本体の復活の方が本命であった。

 

 そして今こそ、その長い策が結実する瞬間。

 

 ロードの体が赤黒い光に包まれる。

 

 空気が震え、地下全体が低く唸るような振動を帯びた。

 

 そして──

 

 

「ヘン……シン……」

 

 

 まるで地の底から這い上がってきたような、古代の威厳と憎悪が混じった響き。

 

 ロードの告げる言葉と共に、彼の周囲に禍々しい紋様が浮かび上がり、宙より黒い影が降り注ぐ。

 

 影はロードの体に吸い込まれるように装着され、その姿を別のものへと変化させた。

 

「ォォ……オオオオオオオオオオ゛オ゛オッ!!」

 

 巨大な二本の角と眼が一体化した仮面。

 

 (カテナ)で封じられた胸の装甲。

 

 手に握られた巨大な三叉の槍。

 

 その名は“アーク”。

 

 レジェンドルガ族が作り上げた究極の鎧。そしてロードが世界を支配するための姿。

 

 世界に蔓延る数多の生命の絶望が、今ここに蘇ったのだった。

 

「永き眠りであった……だがそれも、今日この時まで」

 

 久しく感じていなかった風が肌を撫で、地を踏む感触にアークは静かに歓喜する。僅かに悦に浸りながら、暗闇の中をゆっくりと見回した。

 

「そうであろう……我が同胞よ」

 

 アークが目覚めた棺の周りには、似たような小さな棺が幾つも横たわっていた。それはロードと同時に封印された、数多の同族の棺であった。いくつかの棺は既に開かれており、そこなら出でた一部の同族の働きが、今日の自分の覚醒を至らしめたのだとロードは確信する。

 

 そして、未だ目覚めない棺に向けて両腕を広げ──

 

 

「甦れ! 従順なる我が一族よ!!」

 

 

 ──アークの声が地下全体に反響した。

 

 それと同時に、周囲に並ぶ無数の石棺が次々と砕け散った。

 

「ゥゥ……」

「グゥ……」

「……ォォ……」

 

 封印されていた残りのレジェンドルガたちが、一斉に目覚める。

 

 獣のような咆哮を上げる様々な異形たち。狼型、蛇型、鳥型、植物型など、実に百をも超える大群が眠りから目覚め、地下の闇の中で蠢いていた。

 

「我が王……お目覚めを……!」

「ロードよ……慈悲に心からの感謝を」

「我ら再び、主のもとに……」

 

 レジェンドルガのうち、ある者は一斉に膝をつき、ロードに忠誠を捧げる。

 

「今こそ我らが一族、復讐の時!」

「ロード万歳!」

「「「「ロード万歳!!」」」

 

 またある者は檄を飛ばし、喝采が沸き起こっていた。

 

 そんな彼らを見据えるアークは、静かに右手を掲げる。

 

「行け、我が軍団よ。この世界に恐怖と絶望を刻み込め。この世界を、我らの音楽──生命の悲鳴で満たすのだ」

 

 咆哮と翼の音、爪が岩を削る音が、空間全体を震わせる。そしてアークの号令の元、レジェンドルガの大群が、地下通路を埋め尽くすように動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海は静かにざわめいていた。昼下がりの湾岸より、黒い影が群れをなしてゆっくりと前進していた。それはアークに指揮されたレジェンドルガの先遣隊。狼型の影が砂浜を踏み、蛇型が水面を滑り、鳥型が低く舞う。彼らは一斉に街の方角へ、じわじわと、まるで潮が満ちるように進み始めた。

 

 その魔の手は、郊外に隣接した住宅街に及んでいた。

 

 昼間の陽射しが明るく降り注ぐ中、近所の主婦が道を歩いていた。その時、路地の奥から赤い目がいくつも光り、ゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。

 

「え……何?」

 

 狼型の巨体が、ゆっくりと近づいてくる。爪がアスファルトを軽く削り、息が白く漏れていた。あまりにも非常識な光景であったが、本能が彼女の脚を動かしていた。

 

「ひっ!?」

 

「ゥガァァ!!」

 

 しかし狼型の異形──オルトロスレジェンドルガは、二つに分かれた頭部を女性に向け、地を蹴って駆け出した。

 

「いやっ──」

 

 常識が通用しない怪物を前に、人間の身体能力は無力であった。異形がほんの数歩駆けるだけで、その距離はほとんど無になる。異形が振るい被ったその爪は、駆け出したばかりの女性の首に狙いを定めていた。

 

 もはや逃げ場はない……避けようのない死が訪れようとしていた。

 

 その瞬間——

 

「失せろ」

 

「ヒギィャ──」

 

 ──低い声が響き、銀色の閃光が横から飛び込んだ。

 

 それと同時に、オルトロスは情けない悲鳴を上げて吹き飛ばされる。

 

「──え?」

 

 狼型の異形が自分に迫った瞬間、恐怖から目を閉じていた女性は、未だ自分の身に何も起きないことに疑問を感じる。何が起きたのか全く理解できなかった女性は、瞼を開けてその光景を目の当たりにした。

 

 そこにいたのはライオンのような威風堂々とした立ち住まいの異形。ラッパを吹く天使の彫像が両肩に備えられたファンガイア──ルークであった。

 

「ひっ、きゃああァァァァっ!!」

 

「フンッ」

 

 ルークの姿を見て恐れをなした女性は、自分が助けられたという自覚もないまま走り去っていった。ルークもそんな様子をまるで意に介さず、すぐに振り返り敵の姿を見据えていた。

 

「ぐ……貴様ァ……!」

 

 殴り飛ばされたオルトロスは、二つの口から地を垂らしながら血走った瞳をルークに向けて立ち上がる。依然としてやる気に満ちたオルトロスに向けて、ルークもまた戦闘体制に入ろうとする。

 

 だが、すぐに次の影が現れた。

 

「……っ!? チィッ!!」

 

 無数の蛇が地面を這い、毒牙を剥いてルークに迫った。それは多頭の蛇を持つ異形──メデューサレジェンドルガによるものであった。ルークは素早く身を躱して難を逃れるが、その間にも更に多くのレジェンドルガが彼の元に集結しつつあった。

 

「何人来ようが、貴様らを残らず打ち倒す! それが……麗牙の願いだ!!」

 

 キングのため、そして友のため。あとを託されたルークは、一切の迷いなく目の前の敵を討ち滅ぼさんとしていた。

 

 その覚悟と共にルークが一人で駆け出そうとした、その時だった。

 

「助太刀しよう」

 

 男の声と共に、ルークの隣に立つ影があった。

 

「……何者だ?」

 

「なに、ただの教師さ」

 

 その声の主は、麗牙たちの担任であり、彼と同じファンガイアである籐郷であった。

 

「ただの教師が何の用だ?」

 

「教え子が、俺を信じて頼りにしてくれているんだ。応えなければ嘘だろう」

 

「勝手にしろ」

 

 優しく微笑む籐郷に向けて、ルークは短く吐き捨てる。二人の間にそれ以上の言葉は要らなかった。その身に纏う強者の風格、その身に宿る清廉な魂を、互いに感じていたからだ。

 同じなのは魂だけでない。戦う理由、そして想い……それらは言葉を介さずとも通じ合っていたのだから。

 

「だが死ぬなよ。目覚めが悪くなる」

 

「互いにな」

 

 彼らの視線はすでに敵に向けられていた。籐郷は静かに息を吐き、両手を軽く握りしめる。

 

「ふぅ……行くぞ!」

 

 籐郷の顔を色鮮やかな模様が覆った瞬間、彼はルークと共に駆け出した。その身体はいつしかステンドグラス状の異形に変化する。

 強烈な脚力で飛び跳ね、敵を蹴りつける籐郷の姿は、まるで飛蝗のようであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フン……まだ足りぬか……」

 

 レジェンドルガの先遣隊のはるか後方で、アークは三叉の槍──アークトライデントを地面に突き立て、彼らの戦いを静かに見下ろしていた。しかし、たった二人に自身の軍勢が手こずっているのを見るや否や、更なる指揮を繰り出そうとしていた。

 

「所詮ファンガイア。物量で押し潰せ」

 

 だがそれは策と呼べる高度な指揮ではない。更なる戦力を投入し、物量で押し潰す、そんな単純な指令であった。しかしそれが可能な程の手駒が、彼の手元には揃っていたのだ。

 

 しかしそれが実行されようとした瞬間、空が黄金に輝いた。

 

「む……」

 

「キィィィィイイイイ‼︎」

 

 真昼の青空を切り裂き、一筋の光が降下してくる。その空を背後にして、飛翔態となったキバが巨大な蝙蝠の翼を広げ、大空に雄叫びを響かせていた。

 

「ゥガァァッ!?」

「グォァァッ!?」

「ギャァァァァ⁉︎」

 

 口から光弾や熱線を放ちながらキバはレジェンドルガの軍勢に襲いかかる。エンペラーバットの持つ凄まじい魔皇力から放たれる攻撃は、レジェンドルガとて耐えられるものでなく、直撃を喰らった何体かは爆炎に包まれて塵に還っていた。

 

 やがてキバは、彼らの進路を塞ぐようにして大地に降り立った。紅いマントが風に揺れ、仮面の紅い眼が静かに敵を見据える。しかしその胸に宿る炎は激しく燃え上がっており、まるで消える気配はなかった。

 

「キバ……紅愛音だな」

 

「お前は、絶対に倒す! 絶対にッ! お前だけはァッ!!」

 

 エンペラーフォームの姿に戻ったキバの──愛音の激情を帯びた叫びが空に響き渡る。その叫びは戦場全体を震わせ、レジェンドルガの群れさえ一瞬動きを止めてしまう。それほどの怒りが、愛音の心を燃えたぎらせていた。ロードへの怒りだけが、今の彼女の身体を動かしていた。

 

 そんなキバを、アークは静かに睨みつけていた。

 

「……面白い」

 

「っ! ハァアアアアアッ!!」

 

 キバは雄叫びを上げて駆け出した。

 

 その命果てるまで、彼女が止まることはない。

 

 彼女の怒りが、兄の遺した覚悟が、その身体を突き動かしていたのだから。

 

 キバとアーク。今ここに、二人の戦いの火蓋が切って落とされた。




感想や評価、お待ちしております。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。