ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『「シュレディンガーの猫」とは、量子力学の不思議さを皮肉った思考実験のことだ。50%の確率で毒ガスが蔓延する箱の中に猫を入れた場合、猫は観測されるまで「生きている」と「死んでいる」の両方が同時に存在していることになる』

『でもそんなこと、普通はありえませんよ?』

『そうだ。だからあくまでもこれは、「観測した瞬間に答えが決まる」っていう量子力学の不思議さを例えた話だ。実際にやったりするんじゃねーぞ』


第162話 時を越えて

 キャッスルドランのとある部屋の中で、私たちは壁にへたり込むように座り込んでいた。

 

「はぁ……はぁ……ホンマ……世話かけさせよって……」

 

 全身に軽い傷を負った健吾が、荒い息を整えながらも、城から降りていった麗牙に向けて悪態をつく。かく言う私も同じように傷だらけで、彼の隣でぐったりと壁にもたれかかっていた。

 

「アゲハ……生きとるか?」

 

「なんとかね……ホンット、あのバカキング……愛音に似て寝坊助なんだから……」

 

 こんなに疲弊したのはいつ以来だろう。あとで麗牙には散々文句を言ってやる。私も健吾も悪態ばかりで、この部屋を出て行った麗牙やRoseliaのみんなを心配する余裕なんて、まるでなかった。

 

 ……いや、心配する必要がないと言った方が正しいのかもしれない。

 

 そう、麗牙がこの部屋を出ていくまでに、それはもういろんなことが起きたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麗牙が命を落としたその時、私は彼をこの目で観測できるほどの距離にいた。彼の命が尽きた刹那に、すぐに飛んでいけるように──ずっと、ずっと準備していた。

 

 しかし今までの人生で、これほどまでに胸を抉られる苦痛はなかった。

 

 麗牙が傷付いていく度に、心臓が引き裂かれるような痛みに襲われる。彼の腕が、眼が奪われていく様に、涙を抑えられなく。彼の胸が貫かれ、その命を散らした時、世界から色彩が失われたとすら感じた。全てが終わった時、涙で前が見えなくなっていた。全身を襲う虚脱感で、その場に崩れ落ちそうだった。

 

 それでも……私は彼から託された役割を果たさなければならなかった。麗牙が死んだ後、最も重要になるのは私の動きなのだから。

 

 

 作戦の第三段階は、麗牙のかけらとライフエナジーを、私が過去の時代に持っていくことだった。

 

 

 麗牙の死の直後、慟哭と共に愛音は飛び去っていってしまった。

 本当なら私も追いかけたかった。でも、それ以上に麗牙の身体を失うわけにはいかなかった。

 麗牙が散らした身体のかけらを、私は即座に術を使ってかき集めた。死した彼の魂とも言えるライフエナジーは、空を駆けるキャッスルドランが辛うじて捕まえてくれた。けれど、それでも完全じゃない。彼のライフエナジーのほとんどは、今も()()にあったのだ……。

 

 ザンバットソード──麗牙のライフエナジーを吸い上げた魔剣こそが、今回の作戦の要……になるはずだった。

 

 本来ならもっと順調に愛音の中のロードを引き剥がし、麗牙自身がザンバットソードで自害するという筋書きだった。しかし実際は、愛音の身体を奪ったロードがキバに変身し、その身体でザンバットソードを使用したのだ。

 だが結果として、麗牙のライフエナジーを吸収したザンバットソード自体は回収できたため、これで麗牙に頼まれたものは全て準備できた。

 

「ア、ゲハ……さん……」

 

「っ……燐子……」

 

 全ての準備が整った時、力のない声が私を呼んだ。そこには、私と同じように涙で顔を濡らした燐子と友希那が立っていた。

 

「安心して……麗牙は……きっ、と……っ」

 

 蘇る──そう言おうとして、言葉が喉に詰まる。麗牙は大丈夫と、彼女たちを安心させる言葉を出そうとしたのに、どうしても喉の奥でつっかえてしまう。代わりに、別の言葉が私の口から勝手に漏れてしまっていた。

 

「ごめん……ごめんね……私…… 私が……っ」

 

 私がしっかり麗牙を説得できていれば、彼はこんな策を取らなかったかもしれない。

 より吟味して、別の方法を探してくれたかもしれない。

 私がもっと賢ければ、そもそも愛音をロードに奪われずに済んだかもしれない。

 思い返せば返すほど、後悔と罪悪感が雪崩のように押し寄せてきて、言葉にせずにはいられなかった。

 

 私のせいで、麗牙を死なせることになってしまった。

 私のせいで、燐子たちを悲しませることになってしまった。

 そんな強い責任感に押し潰されそうになり、謝罪の言葉として涙と共に溢れてしまったのだ。

 

 なのに──

 

「大丈夫……麗牙さんは……きっと戻ってきます……わたしは、麗牙さんを信じてますから……」

 

「えっ……?」

 

 ──私は燐子に慰められていた。

 

 彼女たちは既に知っていたのだ。麗牙が今日、死ぬ覚悟でいたことを。そして、必ず復活して再び私たちの前に現れることを。

 麗牙が消える様を目の当たりにしたから、彼女たちも涙に濡れていた。それでも、希望を捨てずに、ただひたすら麗牙を信じ続けていたのだ。

 

「アゲハ……麗牙とまた会えるのなら、私たちはなんでもするわ。だからあなたも……絶対に挫けてはダメよ」

 

「友希那……」

 

 ああ、二人はなんて強いんだろうか。悲しくて苦しくて、今にも叫び出したいはずなのに、それでも彼女たちは打ち拉がれることはない。本当に麗牙が蘇るなんて確証もないのに、彼女たちは麗牙のことを一途に信じ続けている。

 そんな二人の強さが羨ましく思う。二人の想いの強さに嫉妬しそうになる。

 

 でもだからこそ──私は応えなければいけない。

 

 二人の想いのためにも。そして、こんな私を信じて後を託してくれた麗牙のためにも。

 

 私は自身の役目を果たす。

 

 

 

 

 そして私は、麗牙の身体のかけらとライフエナジー、最後にザンバットソードを棺桶に納め、時の扉の先へと足を踏み入れたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お初にお目にかかります。今時代のキング──紅オトヤ様。私は十七年後の未来から来た、チェックメイトフォーのビショップの称号を持つ者──羽畑アゲハと申します」

 

 十七年前のキャッスルドラン城内。通された王の間で、私は過去のキングである紅オトヤと二人きりで対面していた。私の後ろには、麗牙であったものが入っている大きな棺桶が重々しく鎮座していた。

 

「……」

 

 キングの視線が私を──そして棺を鋭く射抜く。当然だろう。未来の自分の息子の変わり果てた姿を、こんな形で見せられたのだから。彼をむざむざこんな姿にさせたのも、私のせいだと思っているのかもしれない。

 

 だからと言って、引き下がれるはずがなかった。私は、私の大切な人を救うためにここまでやって来たのだから。

 

「お願いしますキング──オトヤ様。どうか……どうか我らがキングを……麗牙様をお救いください!!」

 

 私は叫び、最大限の敬意を込めてキングに平伏した。既に麗牙が彼の説得に成功したとは言え、私の態度一つで全てが水の泡になる可能性だってあるのだ。万が一にも、キングに無礼があってはならない。事は慎重に運ばねばならなかった。

 

 だと言うのに、そんな私の理性と裏腹に、心は正直な言の葉を紡いでいた。

 

「麗牙様は、私たちの世界にどうしても必要な王なのです。 人のために悩み、傷付き、導いてくれる。優しさに満ちた王なのです。そんな彼だからこそ、私は仕えたいと……支えたいと思ったのです! 彼のまわりには、彼のことが好きな人たちで溢れています!!」

 

 本来言うつもりではない言葉すら、どんどん口から出ていく。麗牙を想うたびに、一糸纏わぬ本音が滲み出てくる。

 

「私はビショップです。王が変われば次の王に仕えるのが定め……しかしっ、私は彼以外の王に仕える気はありません! 私は、彼のいない世界で生きていたくなどありません!!」

 

 私はきっとビショップとして失格なのだろう。それでも私は、麗牙のビショップだ。他の誰のものでもない。紅麗牙のために生きる、それが羽畑アゲハだ。他のキングの元に仕えるくらいなら死んだ方がマシだと、今なら言い切ることができた。

 

「足りないライフエナジーなら私どもがご用意いたします。必要なら、私のこの命……いくらでも麗牙様に……麗牙に捧げるから……お願いします……どうか……!」

 

 王の前だと言うのに、溢れる涙を抑えきれない。

 

 自分が何を言っているのかも、半分くらい理解していないかもしれない。

 

 それでも、私は自分の魂の叫びをかき消す事はできなかった。

 

 

「どうか麗牙に……麗牙にまた会わせてくださいっ!!」

 

 

 深く平伏の姿勢を晒し、私はキングに想いの全てを打ち明けた。

 

 麗牙を助けたい。

 

 麗牙に会いたい。

 

 もはや役目や使命などは忘れ、ただただそれしか頭になかった。

 

 

「……バカだな」

 

「っ……」

 

 だが、キングの静かな呟きが部屋中に嫌に響いた。その言葉に心臓が掴まれたような、強い危機感に襲われる。体温が一気に下がるような気がした。余計なことまで話しすぎたかと、一瞬後悔が過ぎる。

 

 しかし、後悔はしていない。ここまで来て、今更自分の気持ちに蓋をすることなんてできなかった。今も私の後ろには、私を信じて散っていった麗牙がいるのだから。命よりも大切な人が眠っているのだから。

 

 私は何が起きようとも、ここから逃げることなんてできなかった。たとえこの場で彼に殺されても……麗牙が生き返るならそれでよかったから……。

 

 だけど──

 

 

「はぁ〜……自分の魂まで捧げたら、お前が麗牙に会えなくなるだろう。バカだなぁお前は。そんなことしたら、俺が麗牙に怒られてしまうだろうが」

 

 

 先ほどまでの張り詰めた空気はどこに行ったのか、どこか柔らかい口調でキングは私に語りかけていた。そんな彼の言葉に希望を見出した私は、パッと顔を上げて彼の顔を見つめる。

 

「じゃ、じゃあ……!」

 

「俺は初めから麗牙の味方だ。当然、嬢ちゃんもな」

 

 彼の温かな言葉が、私の心に沁み込んでいくようであった。優しく包み込むような笑顔を浮かべるキングを見て、間違いなくこの方は麗牙の父だと今ようやく心で理解できた。

 

 もはや私の頬を伝うのは悲観の涙ではない。今や希望に満ちた安堵の涙であった。

 

 よかった……私は役目を果たすことができそうだ。麗牙の復活が遂に現実になろうとしている。心の中に溢れる希望を抱きつつ、キングに感謝の意を贈ろうとした。

 

 しかし──

 

 

「しかしだ。こーんないい女を嫁にしないとは、我が息子ながら情けない。ビショップがどうとか言わずに抱いてやればいいものを。あーもったいない」

 

 

 ──ん? 今、なんて言った?

 

 明らかに私の想定外の言葉が彼の口から飛び出したことで、流れていたはずの涙がピタッと止まってしまう。

 麗牙からはキングのことを「優しくて自由な人」だと聞いていたけれどこれは──。

 

「……え? あ、あの……」

 

「むっ、さてはナイスバディな大人の女が好みだな? ははーんなるほど、そいつが麗牙の彼女か? なんて羨ましいやつめ。流石は俺の息子だハハハッ」

 

「あのー……オトヤ様ー?」

 

 ──これはいくらなんでも自由が過ぎないだろうか?

 

 彼の表情は依然として柔らかいままだが、思考まで柔らかくなっているとは思いもしなかった。しかも麗牙の彼女がナイスバディという点では大正解なところが余計にいやらしい。彼に対して最初に抱いていた、偉大なキングという印象が音を立てて崩れていくようであった。

 

「(絶対に燐子に会わせられないわこの人……)それで、キング……」

 

「ああ、分かってる。話の続きだな、悪かった。だが、嬢ちゃんも涙も止んだようで何よりだ」

 

「えっ、それは……」

 

 揶揄うような、安心させるような、そんなどちらとも取れる笑みを浮かべて彼は言う。もしかして、私の涙を止めるためにわざと道化を演じていたのだろうか? とすれば私は、ここに来てまでキングに気を遣わせてしまったことになる。なんとも情けなくて滑稽な話だ。

 自分が恥ずかしくなってしまうが、しかし、そんなどこか麗牙にも似た雰囲気を醸し出す彼のことが、今は少しだけ好きになりつつあった。

 

「麗牙から聞いている通り、長い時間をかけて大量のライフエナジーをあいつに与える。だがあいつ、俺たちの作った人工ライフエナジーにほとんど手を出していないそうだな」

 

「そ、それは……大変申し訳ございませんっ」

 

 先代キングたちが、ファンガイアと人間が共存できる世界を実現するために、努力の末に開発した人工ライフエナジー。今のこの世界において、なくてはならない重要な代物だ。一部のファンガイアに現れる攻撃衝動もこれ一つで抑えられるため、誕生より長年重宝され続けてきた。

 

 しかし、麗牙はこれに手をつけようとはしない。私が度々麗牙に言って聞かせようとしても、人間と同じ食生活を続けたがる麗牙は中々摂取してくれなかった。キングである彼は、他のファンガイアよりも更に多くのライフエナジーが必要なはずなのに……。

 

「何故お前が謝る。別に構わないさ、誰にだって好き嫌いはあるからな。あ、因みに俺は糸蒟蒻が嫌いだ。アレは好きになれん」

 

 気さくに微笑んで自分の嫌いなものを公言するキング。私を元気づけようとしてくれているのだろうが、事はそんなに単純なことではないため、私の顔に笑みが浮かぶことはなかった。

 

「でも、やっぱり麗牙にはもっとライフエナジーが必要なんです。今のままだと、たとえ復活しても麗牙の身体が……」

 

 普通の食事では、ライフエナジーに比べてエネルギー効率も満足感も劣ってしまう。胃の許容量にだって限界はあるはずなのだから、一日に採れるエネルギー量も決まっている。

 麗牙が復活を果たしても、今のままではいずれ限界が来て倒れてしまうかもしれない。ここに来ても、麗牙のエネルギー問題はどうしても付き纏ってしまうのだ。私はそれが気がかりだった。

 

「ふっ、そこでだ……」

 

「?」

 

 そんな私の心配を見透かしてなのか、キングは思わせぶりに薄く笑みを浮かべる。

 

「喜べ! この千年に一度の類稀なる才能を持った紅オトヤのライフエナジー、息子のために投資してやる」

 

 そして、発表会で劇を披露する子どものような笑顔で、彼はそう告げたのだった。

 

「ほ、本気ですか!?」

 

「ああ、もちろんだとも。この俺の素晴らしい力を与えるんだ。ちょっとやそっとじゃ消える事はないだろう」

 

 自分のライフエナジーを他者に与えるなんてとんでもないことだ。それは言わば、自分の魂の一部を授けるようなものだ。なのにこのキングは、それをまるで何とも思わないかのように、自分の息子に与えようとしている。彼の桁違いのライフエナジー量故なのか分からないが、あまりに型破りな発想に、私は思わず浮き足立ってしまった。

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

「ふっ、いい笑顔だな」

 

 つい浮かべてしまった私の笑顔に、キングもまた破顔する。

 

「いい仲間を持ったな。麗牙は」

 

 私の安堵の表情に勝るとも劣らない、キングの柔らかい表情が目に焼き付いた。

 

 初めからそのつもりだったのかは分からないが、彼が麗牙のために誠心誠意をもって助けてくれるということは理解できた。

 

 きっと彼は信頼できる。

 

 彼なら麗牙を、私たちのキングを蘇らせてくれる。

 

 もはや願望ではなく、確信だった。

 

 私は、未来に帰るまでに彼に何度も感謝の言葉を伝え続けたのだった。

 

 

 

 

 本当に幸運なことだった。キング自らライフエナジーを麗牙に与えるなんて、夢にも思わなかったから。

 

 

 ……まさか、麗牙も既に同じことをしていたなんて、この時はまだ知る由もなかったけれど。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 アゲハが過去より帰還して早八日。その日はちょうど、麗牙の誕生日であった。

 

 その記念すべき日にキャッスルドランに集った私たちRoseliaを、健吾とアゲハ、そして次狼さん──TETRA-FANG結成時のメンバーが出迎えていた。

 

「よく来たな。覚悟は済ませたか?」

 

 次狼さんの静かな問い。答えの決まっていた私は、芯の通った声で答える。

 

「前にも言ったわ。麗牙とまた会えるなら、何だってやるって」

 

 他のメンバーもその言葉に異論はなく、静かに頷く。当たり前だ。ここに至るまでの彼女たちは皆、重い覚悟を背負って今日までの日々を過ごしてきたのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 麗牙の死の翌日、貸し切られたマル・ダムールの店内にて、RoseliaとTETRA-FANG間で情報共有が行われていた。

 

 当然、伝えられたのは麗牙が考案した作戦の内容であり、その結果、麗牙が命を落としたこともその場にいる全員が知ることとなった。

 

『そんな……うそ……』

 

『く、れない……さん……が』

 

『う、うそ、だよね……ね? りんりん……?』

 

 初めて知らされた麗牙の死に、燐子を除く皆の声が震えていた。

 

『嘘じゃないよ……麗牙さんはあの時……砕け散って……』

 

『そ、そんな……っ』

 

『ゆ、友希那……うそ、だよね? だって、あの麗牙だよ? 麗牙がそんな……簡単に死ぬなんてっ……』

 

『私だって夢だと思いたいわ。でも現実よ。私の目の前で麗牙の身体は……』

 

『ぁ……うそ……うそよ……』

 

 リサたちの瞳から光が消えていく。皆力なく項垂れて、今にも椅子から転げ落ちそうな様子だった。

 

『なぜ……なぜ二人はそんなに落ち着いていられるんですか? 白金さんあなたは……紅さんが……恋人が死んだというのに……どうしてっ!?』

 

 紗夜が憤る気持ちも分かる。かつて自分が恋焦がれ、今でも尊敬している男が帰らぬ人となったのだ。それを目の当たりにした彼の恋人が、こうして冷静を装っているのが信じられないのだろう。

 

 そう、装っているだけだ。私も燐子も、決して心穏やかでいるわけではない。もし時間が許してくれるなら、私だって泣きたかった。叫びたかった。麗牙のことをずっと想っていたかった。

 

 だけど、悲観に暮れる暇なんてなかった。そして絶望する暇もなかった。何故なら、私たちにはまだするべきことがあるからだ。

 

『紗夜、落ち着いて。話はまだ終わっていないわ』

 

『はい……まだ何も……終わっていません』

 

『? 終わってない……紅さんが、ということですか?』

 

 死んだというのに終わっていない。その言葉の意味が分からず、紗夜だけでなくリサとあこも不安げに私たちを見つめる。

 

 そんな彼女たちの疑問に答えたのは、麗牙の親友である健吾であった。

 

『一週間後の五月十八日。麗牙の十八の誕生日に、あいつは蘇る』

 

 健吾の言葉に、皆一様に固まった。きっと言葉の意味が理解できずに、頭が真っ白になっているのだろう。私もキバーラから説明を受けた時、同じような反応をしたのだから。

 

『よ、蘇るって、どういうこと?』

 

 そこから先はアゲハが説明をしてくれた。麗牙が画策したであろうファンガイア復活のメカニズムと、その実行方法を。作戦は順調に進み、今も麗牙の身体は十七年前から現在まで、時を越えて城の中で眠り続けているのだと。

 

『ほ、本当に吸血鬼みたい……』

 

『言葉の意味は分かるんだけど……ごめん、まだ少し混乱してるかも……』

 

『それに時間を超えるって、そんなことが……』

 

 とは言え、やはり皆もそう簡単に受け入れられるものではなかった。いくら人間じゃないとはいえ、死んで生き返るなんていうのはあまりにも現実離れした話だと、そう思わざるを得ない。

 それでも、それで麗牙が戻ってくる可能性があるならと、皆精一杯現実を飲み込もうとしていた。

 

『でも、だとしたらあこたちって、ただ待つことしかできない……よね?』

 

『はい。一週間後に紅さんが生き返るとして、私たちにできることがあるとはとても……』

 

 冷静に考えれば二人と同じ考えになるのも無理はない。死んだ麗牙がこのまま蘇るなら、それをわざわざ私たちに伝える必要はないのだから。さっきのリサたちのように、いたずらに悲しませるだけだ。そうなることを理解していたからこそ、麗牙は私と燐子にも作戦の全貌を伝えようとしなかったのだろう。

 

 しかし、麗牙の考案した作戦には一つ、大きな不安要素があった……。

 

『それは、復活したばかりの麗牙の記憶が保証できないからだ』

 

 重々しい声色で次狼さんが答えた。

 

『記憶の保証って、どういうことですか?』

 

『俺の勘だが……記憶を失っているだけならまだいいところ。場合によっては、自我が失われている可能性があるということだ』

 

『そ、それって失敗してるじゃないですか!?』

 

 先ほどもアゲハから語られたファンガイア復活の儀における失敗例。それが自我の失われたゾンビと化したファンガイアのことである。それを先に聞いていたから、次狼の挙げた可能性が麗牙の蘇生の失敗に当たるのではと、あこはそう言ってるのだろう。

 

『それはない。あのオトヤがこんな時にヘマをするわけがない』

 

 しかし次狼さんは自信をもって答えた。紅オトヤ──麗牙の父に対してどれほどの信頼があるのか分からないが、まるで揺らがないその瞳が、紅オトヤの行動についての確信を物語っていた。

 

『麗牙の魂は間違いなく、あの部屋で眠っている。自我がないとしても、その奥底に絶対にいるはずだ。だから俺たちは……お前たちは、その麗牙の魂を呼び覚ますんだ』

 

『呼び覚ます……ねぇ、もしかして……』

 

 ──麗牙の魂を呼び覚ます。

 

 その言葉で誰もが思い付いていた。

 

 麗牙の奥底に眠る魂を揺さぶる、その方法を。

 

 それならきっと、闇の中に沈んでいても彼を見つけることができる。

 

 何故なら、彼はこの世で何よりも()()が大好きだから。

 

 彼は命をかけて、()()を守り続けてきたのだから。

 

『ああ。麗牙の魂を起こす。その手段が……』

 

 

 

 

 

 

 

 

『私たちの音楽よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

「覚悟なんて、とうに済ませているわ」

 

 そうして私たちは一週間、彼の心を呼び覚ますための準備をずっと進めてきた。自分たちの音楽を仕上げることに、命をかけてきた。

 

 麗牙にまた会えるなら……。

 

 麗牙の音楽をまた聴けるなら……。

 

 麗牙と共にまた音楽を奏でられるなら……。

 

 皆の想いは同じだった。

 

 覚悟はできていた。

 

「よし、こっちだ。麗牙の眠る部屋は」

 

 そして彼に連れられて来られたのは、以前にもRoseliaの練習で使わせてもらった部屋の近くであった。同じように時の流れが違う部屋の中で、彼は十七年間も眠り続けている。あの時も彼はここにいたのかと思うと、実に不思議な感覚がするものだ。

 

「こ、この部屋……」

 

「燐子?」

 

 その部屋の前に辿り着いた時、燐子が息を呑むのが聞こえてきた。

 

「前に麗牙さんに聞かされた……開かずの部屋……じゃあ、やっぱりこの中に……」

 

 彼女は以前もこの部屋の前に来たことがあったようだ。その時は何の部屋かも分からなかったし、麗牙本人も知らなかったらしい。そう思うとやはり変に思えてくる。その時にはすぐ近くに麗牙が二人いたことになるのだから……。

 

「あれ? ん、んん?」

 

「どうしたのあこ?」

 

 ここまで話を聞いていたあこだが、何か引っかかることがあるのか、突然頭を抱え出して唸っていた。

 

「え、ええと。なんかおかしくない? だって、りんりんが前来た時には、麗牙さんがここにいたってことだよね? でも、麗牙さんが過去にいかなければこの部屋には麗牙さんはいないんでしょ? じゃあ、麗牙さんは最初からこの部屋に入ることが決まってたってことなんじゃ……?」

 

「そ、そう言えば……」

 

 あこの指摘で皆が一様に目を見開く。少し考えれば分かったことなのに、どうしてそれを失念していたのか。

 それと同時に、皆の中で恐ろしい予想が生まれていた。未来は既に決まって、麗牙が死ぬことも決まっていた。そんな残酷な現実を誰もが考えていた。しかし……。

 

「そうであって、そうでない」

 

「どういうこと?」

 

「誰もこの部屋の中を見たことがないんだ。だから、その時に部屋にいたのが麗牙だとも限らない、ということだ」

 

「????」

 

 次狼さんは否定してくれたが、彼の言ってる内容がいまいち理解できない。今は麗牙がここにいるのに、見たことがないから、前にここにいたのは麗牙じゃないかもしれない? 頭の中で整理してみても分からず、ただただ首を傾げるしかできなかった。

 

「ま、アレだ。開けてみるまで何がいるか分からん、ということだ。今だってこの扉を開けるまで、麗牙がここにいるかどうかは誰にも分からない。いないというのもあるかもな」

 

「なんだか……シュレディンガーの猫みたいですね……」

 

「猫?」

 

「あ、例えなので気にせず……でも次狼さんは……知っていたんですか? この部屋に麗牙さんがいることを……十七年前から」

 

 全く理解できない言葉が並ぶ中で、猫という言葉に反応してしまうが、軽くスルーされてしまう。ショックを受ける間もなく、しかし燐子の質問に皆の興味が注がれていた。彼は紅オトヤの代からこの城に仕えている身なのだから、彼から直接この部屋の話を聞いているはずだと。

 しかし、皆の予想に反して彼は首を横に振った。

 

「いや。俺はオトヤから『麗牙への誕生日プレゼントを封印している』としか言われていない。だがもしかすると、あの時に麗牙が作戦を言うまでは、本当にプレゼントが入っていたのかもな」

 

「未確定だった情報が……その時に確定したということですね」

 

「なんだかよく分からなくなってきたわね……」

 

 こういう頭を使うことは、はっきり言って苦手だ。何となしに理解してそうなリサにあとで聞くとしよう。

 結局、麗牙はいるのかいないのか。それさえ分かればこちらはどうでもいい。私は早く麗牙に会いたくて仕方がなかったのだから。

 そしてそれは、私たちよりも麗牙との付き合いの長い彼らも同じだった。

 

「なぁ、もうええか?」

 

「過去のキングの結界。今ならもう簡単に破れるよ」

 

 ここまでずっと静かに無言を貫いていた健吾とアゲハが、痺れを切らしたかのようにこちらに質してくる。彼らは私たちよりも前に麗牙の作戦を知り、彼が死ぬことを分かりながらも彼の言葉を信じて耐えてきたのだ。その苦しみはきっと、私たちの比ではないだろう。故に、無駄口を叩く時間すら惜しいと感じていたのだ。

 

「悪かったわ。ともかく、入れば全て分かるのよね」

 

「そういうこと。あ、来たみたい」

 

 アゲハの向く方へ目をやると、そちらからガシャガシャと音を立てながら近付いてくる二つの影があった。そこにいたのはセーラー服の少年と、燕尾服の男。その両脇や背中には、私たちがライブで使うための楽器や機材が抱えられていた。そう、彼らがたった二人で必要な残りの機材を運んできたのだ。ドラムセットや巨大なスピーカーだけでなく、こちら側で用意しているはずのアンプやエフェクターまで(恐らく予備としてだろうけど)。こんなことは常識的に、そして物理的に不可能だとは思うが、それも彼らが人間でない魔族故なのだろう。

 

「お待たせ、お姉ちゃんたち。これだけあれば大丈夫かな?」

 

「よく分からないから……全部持ってきた……」

 

「あ、ありがとう。これで充分よ」

 

「ありがとうラモン、力」

 

 あまりに大量の機材を前に軽く引いてしまうが、ともかくこれで本当に全ての準備が整った。あとはこの扉の先へ進み、麗牙と対面するだけ──

 

「……」

 

 ──そう思っていたが、私はふと立ち止まってアゲハたちの方を確認する。この作戦を聞いた時から、あることが気になっていたからだ。

 

「友希那?」

 

「……私は、麗牙に会えるならこれでもいいわ。でも、あなたたちは本当によかったの? 過去を変えても」

 

 もしも過去へ飛んでいけるなら、私なら何をしただろうか。やはり、父の音楽の道が閉ざされるのを防ごうとするのだろうか。そこまで考えて、しかしそれはダメだと思い直した。

 何故なら、みんなと会えないからだ。

 私がRoseliaを作ったのは、父の挫折があったからこそだ。もし父の過去を変えてしまえば、私はRoseliaのみんなと出会うことはなくなる。麗牙たちと出会うこともなくなってしまう。私は、そんなのは嫌だった。辛く苦しい過去でも、それらは確かに今の私を形作っている要素なのだから。

 だからこそ私は、アゲハたちが過去を変えることに躊躇いはないのかと、それが気になっていた。

 

 しかし、アゲハは首を横に振り、薄く微笑んでいた。

 

「過去なんて変えてないよ。私たちは、未来を変えるんだから」

 

「未来……」

 

「せやで。麗牙もアゲハも、麗牙の親父も、過去が変わるようなことは何もしとらん。それも全部、今から先の未来を変えるためや。俺たちの生きる世界の、先の世界をな」

 

 アゲハの言葉を継いで、健吾が最後まで語ってくれた。そして健吾は更に付け加える。「今を生きる自分たちが変えていいのは、今と未来だけだ」と。そうか、彼らは初めから過去を変えるなんてことは考えてなかったのだ。みんなはずっと未来を見ていた。過去を振り返ってもそれを取り消そうとはせず、これからのことを常に考えていたのだ。

 

「ま、全部麗牙の言ってたことなんやけど」

 

「ふっ……やはりすごいわね。麗牙は」

 

 だから彼らの目には、希望の光がずっと消えることがなかったのだ。悲しみや苦しみに打ち拉がれても、その先にある未来を見据えていた。麗牙が打ち立てた未来が、彼らの光となっていた。

 彼の存在が、言葉が、そして音楽が。みんなの進むべき未来を照らしていた。私もいつか、彼のようにみんなを照らせたらと、そう思わずにはいられなかった。

 

「……行くわよ。みんな」

 

 思い残すことはない。

 

 あとは、麗牙に会うだけだ。

 

 私の言葉が、作戦の最終段階の始まりの合図となった。

 

 

 麗牙の作戦の最終段階──それは、麗牙の身体と魂が完全に復活することだ。

 

 

「よし……入るよ! 麗牙!!」

 

 アゲハが扉に手を翳した瞬間、鎖が砕けるような音と共に光が発散した。

 

 それと同時に、扉は音を立て、ゆっくりと開いていく。

 

 そして、開かずの部屋の全貌が明らかになった。

 

「こ、れは……?」

 

 部屋の様子を目の当たりにした健吾の声が、辺り一面に響き渡る。

 

 ペルシャ柄のような紅い絨毯が広大な部屋一面に広がり、天井には巨大なシャンデリアが吊るされていた。窓は全て模様の違うステンドグラスで占められており、陽の光に当てられて妖艶な輝きを放っている。

 

 そんな部屋の中央には、荘厳な装飾を施された棺桶が一つだけ鎮座していた。

 

 しかし、中でも特に異質だったのは、中央の棺に向かい、部屋の四方八方から不思議に光る淡い球体が引き寄せられていたことだ。

 

 光を放つ球体はゆっくりと棺に吸い込まれていき、その度に棺は僅かに揺れている。

 

 この光景は何を意味しているのか。その仮説を、次狼さんは語ってくれた。

 

「なるほど、これまで麗牙や愛音が倒してきたファンガイアのライフエナジーは、ずっとキャッスルドランに食われていた。そいつらが復活しないようにな。だが……そのライフエナジーの一部はこの部屋に供給されていたようだな」

 

「へぇ〜。ねぇ、知ってた?」

 

「いや……俺も……知らない……」

 

 次狼さんや機材を運ぶ二人も、恐らくは知らされていなかった城の秘密。この竜の城がファンガイアの魂たるライフエナジーを食べる瞬間は見たことがあったけど、そういうからくりがあったのかと感心する。もしかすると、言葉を喋らないキャッスルドランだけは知っていたのかもしれない。麗牙が、自分の身体の中で今日まで眠り続けているのを……。

 

「観察してるところ悪いけど、早いとこライブの準備した方がええで」

 

「ええ。急ぐわ」

 

 健吾に急かされ、私たちは即座にセッティングを始めた。ドラムを組み立て、スピーカーを並べ、アンプのケーブルを繋ぐ──順調に進めるが、まだ半分も終わっていない。

 

 なのに……。

 

 

 ──ガタッ

 

 

「っ!?」

 

 棺桶が大きく揺れる音がした。

 

 揺れは瞬く間に激しくなり、重い蓋が軋みを上げてゆっくり開いていく。

 

 その様子に、みんなの手が止まってしまっていた。そこにいるのは麗牙だと、みんなが期待していた。

 

「ら、らい──」

 

 棺の中から、ゆっくりと起き上がってきたのは──

 

 

「グ……ゥゥゥ……」

 

 

「──が……?」

 

 ──紅い魔人。

 

 麗牙の本当の姿である、蝙蝠のような紅い異形。

 

 しかし、その姿は私の知るそれとは少し違っていた。

 

 頭部の捲られていた翼は大きく広げられ、まるで満月を背負ったような不気味な月輪が浮かんでいた。全身から溢れ出す赤黒いエネルギーが空気を震わせている。目にはかつての優しさも知性も一切なく、ただ飢えた獣のような色のない光だけが宿っていた。

 

「ルォォオオア゙ア゙ア゙アアアアアアアア!!」

 

「麗牙……っ」

 

 復活した蝙蝠の魔人(バットファンガイア・リボーン)のけたたましい咆哮が部屋全体を震わせ、今まさに私たちに牙を剥こうとしていた……。




次回、ボーカルでヴァイオリニストな彼は

「グゥオオオオオオオオオオ!!」

Roseliaに迫る、荒れ狂う麗牙。

彼の心に、Roseliaの音楽が響き渡る。

── 今度は私が音楽であなたを救う。

── あなたはあなたです。

── そんな暗闇の底から早く抜け出して。

── 仮面ライダーなんだよね

── 約束、もう二度と破らせはしません。

祈りの果て、青薔薇の音楽が開く未来は。

そして──

「あれが白雪の……!」

「第163話 スノーホワイト/Re:birth day」

Wake Up! 運命の鎖を解き放て!
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