彼女は怪物だった。
しかし、彼女の愛した相手は人間の男だった。
男もまた、怪物であった彼女を愛していた。
人間と怪物、決して相容れぬ存在であったはずの彼らは愛し合っていた。
愛し合ってしまったのだ。
それが禁忌であると知りながら。
これは今よりも少し前の時代の話。禁忌を犯した二人は追われる身となった。女性と同じ怪物の一族からも、男と同じ人間からも、双方から追われる身となる二人。それが覚悟の上であったとはいえ、追ってから逃れ続けるだけの日々は地獄以外の何物でもなかったはずだ。しかし彼らは満たされていた。側には自分の愛した存在がいる。たとえ毎日が地獄のように辛くとも、それだけで彼らは生きていけたのだから。
しかし、その日々は突然終わりを告げられる。
身を潜めていた彼らは遂に追ってに見つかってしまった。密告されたのだ、彼らを匿っていた集落に住まう一人の人間の女性によって。女性は怪物の夫に惹かれてしまっていた。夫婦の集落での暮らしが長引くにつれ、女性の男を想う気持ちは日に日に膨らみ、そして歪んでいったのだ。そして怪物が邪魔だと思うようになった女性はある日、集落の情報を外部に漏らしてしまった。怪物が死ねば男は自分を見てくれると安易な考えの元での行動だった。
しかし集落に先に辿り着いたのは、怪物の集団だった。怪物は密告した女性諸共集落の人間を皆殺しにし、最後に目的の夫婦へと手を伸ばしていた。
怪物の女性は抵抗したが多勢に無勢で、男を守りながらの戦闘に無理があったのか次第に追い込まれていってしまう。
そして追っての手から生み出された光弾がとどめとばかりに女性に放たれたその時だった。
男は妻の前に立ち、その身を盾にして庇ったのだ。
力なく倒れる男を、妻は呆然と眺めていた。目の前に映る光景が信じられず、受け入れられず、虚ろになる瞳。自分の心が折れないように常に支えてくれた大切な人、自分の生きる理由、自分の全てだった人。それが呆気なく消えていく現実を彼女は受け止めきれず、そして……遂に壊れてしまった。
彼女はその直後のことをよくは覚えていない。気づけば辺り一面にステンドグラスの破片のようなものが散らばる有り様であった。そこに彼女を残して生命はいない。怪物の集団も、集落の人間も、自分の愛した人も……。
そして彼女は思い知った。人間と怪物は結ばれてはいけなかったのだと。誰も幸せになれない、それが自分たちの在り方なのだと、女性はそう信じることしか出来なかった。そう信じなければ、彼女は自分を保てなかったから……。
それは過去に起きた惨劇の記憶。しかしその惨劇は、一人の怪物の生の在り方を大きく変えてしまったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ルガァ!」
「っぐ!?」
青い人狼に変身した次狼さんは軽い身のこなしで激しく動き回りながら、その鋭い爪を何度も繰り出して敵を傷付けていく。敵もその見た目の如く蛾のように跳躍しようとするも、悉く次狼さんの繰り出す爪や蹴りに阻まれて地面に身体を打ち付けられる。しかし敵もやられてばかりではない。いつの間にか手に握られていた短剣によって、次狼さんの爪を掻い潜り、何度もその刃を掠らせるまでに肉薄している。あまりの壮絶な戦いに手に汗が滲み、喉が渇いて仕方なかった。
だけどその戦い以上に私の心に突き刺さるのは、怪物の叫ぶ嘆きだった。
「あ゛ァ! 忌々しい! 忌々しい!! なんで普通にファンガイアと人間が愛し合ってるのよ今の世はァ!!」
次狼さんとの戦闘の最中語られた彼女の重苦しい過去。人間を愛してしまった怪物の悲恋。悲痛に叫ぶ怪物の言葉が悲しくて、私の心まで押し潰されそうになる。狂ったように吠える彼女に対して、私の中には恐怖よりも悲しみと哀れみを感じてしまうことすらあった。
「なんで私たちが許されなくてアイツらが許されるんだッ! あ゛あ゛ッ、なんて憎たらしい!」
「だから恋人ばかり襲っていたのか。人間とファンガイアの男女両方を」
「思い知らさないと気が済まないのよ! 所詮ファンガイアと人間が結ばれるなんて無理なんだってことをッ! 邪魔するなウルフェン族がァ!」
彼女が叫んだ瞬間、その身体から金色に輝く何かが噴出された。鱗粉のようにゆらりと繰り出されるそれは次狼さんの狙ったものでなく、後ろで様子を見守っていた私たちに襲いかかってきた。決して早くない速度だけど、逃げ場のない私たちにアレを避ける術はない。アレに当たってはいけないと私の本能が叫んでいても、私にはどうする事も出来なかった。
「紗夜さん、失礼しますっ」
「え? きゃっ!?」
しかし鱗粉が私たちに迫った瞬間、突然紅さんは私を抱えて──私の背中と膝下に手を回し、ちょうどお姫様を抱きかかえるような体勢で、彼はその場から跳躍した。突然のことすぎて何が起きたのか理解するのに時間がかかったけれど、次に彼が着地して浮遊感から解放された時、彼は私を抱き抱えたままどこかの家の屋根に立っているのだとようやく気付いた。自分の状況を理解した途端、先に訪れた感情は羞恥で、次に歓喜だった。目を開けて、すぐ目の前には凛々しく前を見据える彼の顔があり、その腕は自分を強く抱きしめている。あまりにも少女が夢見るような光景が過ぎて、一瞬それが空想なのではと疑ってしまう。しかしこれが現実なのだと理解した私はみるみる体温が上昇していき、動悸も起こり始める。今まで感じたことのない嬉しさと恥ずかしさから、こんなにも近くにいるのに彼を直視出来ないでいた。
「紗夜さん、捕まってて」
「っ、はいっ」
紅さんの声に私はすかさず手を伸ばして、彼の首に自分の腕を巻きつけた。彼から落ちないよう、離れないようしっかりと身体を押しつけるようにして彼に密着する。紅さんもまた私を落とさないように、抱きかかえる力を強くする。その感覚が心地良くて、現を抜かしてしまいそうであった。
「ハッ」
「ひゃ!?」
次の瞬間、更なる浮遊感が私を包み込んだ。先ほどと同じように彼が地を蹴り、跳躍したのだと感じたけれど今度はその時間が長く、いつまで経っても消えない浮遊感が怖くて一層彼に抱きつく力を強めてしまう。耳にはカツンカツンと幾度も何かを蹴るような音が聴こえては、風で髪が靡いていく。私はやはり目を開けるのが怖くて、目を閉じたまま彼だけを感じることで恐怖を紛らわせようとしていた。
「っと。紗夜さん、もう大丈夫ですよ」
「ぁ、え……?」
ようやく彼の身体から通じて地に足つく感覚が私にも訪れる。紅さんの言葉を信じて目を開け、その眼下の様子に軽く息を飲んだ。
「ここ、ビルの屋上……?」
他の建造物と比べて決して高くはないが、周りの景色の様子からして少なくとも五階建てくらいはあるビルの上に私たちは立っていた。そしてここに来るまで彼は階段なんて使っていない。さっき家の屋根に登ったように、私を抱えたままここに跳んできたということだ。それはつまり、彼が──
「紗夜さんの髪、結構さらさらしてるんですね」
「っ!? そ、それは……一応しっかり手入れも行って……!? って今はそんなことではなくて──」
「うん、そうだよね。僕のことでしょ」
「──っ……はい……」
一瞬話を逸らされたが、私の注意で彼は逃げずにその話題に踏み入ってくれた。とても悲しそうな顔を浮かべながら、私を傷つけないように丁寧に足から降ろしてくれる紅さん。私は少しだけ歩いて、でも彼から離れすぎない距離を保って彼と向き合った。
「紗夜さんの考えてる通り、僕は彼女と同じで人間じゃない……ファンガイアと呼ばれる存在です」
「ファンガイア……」
「有り体に言えば吸血鬼です。でも僕は血なんて吸いませんけど」
そう悲しそうに笑う彼の瞳から、私は目を背けることが出来ない。
目を背けなくはなかった。
自分のことを人間じゃないと彼は告げ、その尋常ならざる身体能力を垣間見た今、私はそれを信じる他なかった。しかしそんな時だと言うのに、憂いの表情を浮かべる彼が魅力的に感じ、私は少しだけ見
しかし……。
──『もし麗牙が本当に怪物だったとして、紗夜は嫌いになれる?』
「(そんなこと……聞かれるまでもなかったのに……)」
しかし何よりも、私を助けてくれた彼を、怪物っていう理由だけで嫌いになることなんて私にはできなかった。今井さんにはハッキリとした答えは言えなかったけれど、今ならば言える。私は彼を嫌いにはなれない、拒絶できない、と。
「……じゃあ、今もあそこで戦っている次狼さんも?」
「いえ、彼はウルフェン族と言って……要は狼男です。この世界って、意外と怪物が多くいるんですよ」
「そうなんですか……」
私は依然、彼に対する姿勢を変えることなく質問を投げかける。彼が怪物だとか人じゃないだとか、そういうことがどうでも良くなるような気分だったから。私は紅さんに対して、そして次狼さんに対しても、既に恐れは無かった。
「次狼さん……大丈夫なんでしょうか」
「次狼は強いから心配はしてないんだけど……彼女、とても強いです。多分今まで多くの同族を食らってきた分、力もあるんでしょう」
ビルの下から見える激闘に静かに息を飲む。夕陽が沈んで街が闇に溶けていく中で、二人の激突の火花が引っ切り無しに飛び散っていた。いつもの街並みの中で見たこともない異形たちがぶつかり合う様は、自分の常識が全て覆されるようであった。
そして、そんな非常識の真っ只中に私の目の前の彼がいる。自分を人間じゃないと、悲しそうに語った彼が……。
「人と怪物って……恋をしてはいけないの?」
今も次狼さんと激しく戦闘を続ける蛾のファンガイアを見て、ふと私は彼に問い質してしまう。彼女が先ほど叫んだのは紛れもなく心からの嘆きだった。愛した人が人間だった、そのために皆が不幸になってしまった。だから彼女は自分で決めつけてしまったのだ。人間と怪物は結ばれるべきではないと。
それは今の私にも同じことが言えてしまった。私が抱くこの気持ちが今井さんの言う通り本当に恋ならば、私は彼女の言う通り禁忌を犯していることになる。人間が怪物に対して抱いてはいけない気持ち。私が抱いているものはいけないものなのかもしれないと、そんな不安が募っていた。
「そんなことはない」
しかし紅さんは間髪入れずに答えた。真っ直ぐと、自信を持って、それが当然であると言わんばかりにはっきりと。そんな彼の真っ直ぐな瞳に、私はまたも吸い込まれそうになる。
「人間とファンガイアは愛し合うことができる。僕はそう信じている」
確証なんてないのだろう。それでも彼の奥底にある強い信念が、燃えるような情熱が、私をも焦がすような勢いで燃え盛っていた。彼の身体の中に流れる愛を願う強さは、とても輝かしいもののように思えた。
「愛し合ってるのに結ばれないなんて、そんなの辛すぎるから……」
強き信念の中でようやく見せた弱々しい言葉を、彼は心から辛そうな顔をして漏らしていた。今も狂い戦う彼女の事を想っているのか、少しだけ目を伏せて悲しみに沈む紅さん。そんな彼に声をかけようとしたけれど、彼はすぐに顔をあげてその紅い眼で私を見つめた。
「そんな世界にするためにも、僕は戦わなくちゃいけないんだ」
「っ」
だけど強く、紅に燃える瞳が私を貫く。
それを見た時、私ははっきりと感じてしまった。
彼の心から流れてくる、強くて温かな音楽を。
そして思い出してしまった。
私が彼に惹かれたのは、彼の見てくれや才能になんかじゃない。
──『紗夜さんの音は、紗夜さんにしか出せません』
──『心の底から音楽を楽しんでいるあなたの音が聴きたいんです』
私を励ましてくれた彼の言葉。私を包んでくれた彼の心の音楽。私を救い出してくれた彼の心。
私は怪物の彼に惚れたわけでも、人間の彼に惚れたわけでもない。
私は、紅麗牙という存在そのものが好きになっていたのだと。
「紅さんっ」
「はい」
自覚してしまった。理解してしまった。自分の心に生まれたモヤモヤした気持ちの正体を知ってしまった。それと同時に強く感じる想いがあった。『このまま彼を放したくない』という独りよがりにも思える醜い気持ち。しかし、きっとこのままだと彼は私から放れてしまうかもしれないと、そう感じてしまった。それだけは嫌だったから……。やっと分かってしまったのだから……紅さんを好きだという、自分の本当の気持ちに。だから私は……。
「私は、あなたが怪物かどうかなんてどうでもいいと思っています」
「えっ?」
私の視線は彼の眼を捉えて離さない。私の言葉で少し揺れ動いた彼の眼を私から逸らさせないように、彼を見つめ続ける。それが図らずとも、自分の友達と同じ行為であったことに気付かずにいたけれど。
「だって、『僕は僕として』これまでやってきたのですよね? ですから私も、あなたをあなたとして……人間とか怪物ではなくて紅さんとして、これからも見続けていこうと思います」
かつて彼が自分で言っていた言葉を引用させてもらう。彼が音を奏でる時、彼が心に留めている言葉だ。その強い自己肯定力には心を動かされたけれど、だからこそ私も同じように、自分の音を自分だけのものとして奏でたいと今でも思っていた。そして彼の音は、人間でも怪物でもない彼自身の音、彼だけの音楽。私はそんな彼の音楽が好きになってしまったのだから、彼を人間だとか怪物だとか、そんな目で見ることは出来なかった。彼は彼でしかないのだと、そう思うことにしたのだから。
「紗夜さん……」
「私は、紅さんが何者であっても今の関係を止めるつもりはありませんから」
故に私は告げる。彼の正体を知ったところで私たちの関係は変わらないと。今までと同じ、音楽で繋がった仲間として、これからも付き合っていきたかったから。
ただ、更に進んだ関係になりたいなどと言える勇気は流石に出せなかったが……。
「ありがとう紗夜さん。紗夜さんにそう言ってもらえるなら、僕も……心置き無く戦えます」
「あの人を……止めるんですか?」
「ああなってしまった彼女を止めることなんて、僕には出来ない……僕に出来るのは精々、彼女の地獄を終わらせることだけです……」
「紅さん……」
紅さんの顔が深い哀しみに覆われる。自分の正体を告げた時よりも辛そうで、泣きそうになりながら身体が震えだす紅さん。そんな彼を見ていられずに、私は思わず彼に近づいてその腕に手を伸ばしていた。私が触れた途端、彼の身体に生まれていた僅かな震えが収まり、柔らかな息が聞こえてきた。
「大丈夫です。いつものことですから。でも……一つだけ聞いてもらってもいいですか?」
「ええ、私に出来ることなら」
彼の望みならば出来る限りは応えてあげたい。そう頷いた私から離れて、彼はビルの屋上の端へと歩を進めていく。あと数歩踏み出せば落下するというところで立ち止まり、そして私に振り返って──
「紗夜さん、見ててください。僕の変身」
「……はい」
──今までで一番、力強い彼の言葉を聞いた。
説明を求めるなんて野暮なことはしない。彼女の地獄を終わらせるために、彼もその姿を変えて戦いにいく、そのくらいの事は私にも理解できたから……。
私も覚悟を決めていた。彼がどんな姿になっても、彼は彼だと。今更彼がどんな醜い姿の化け物になったとしても、私は彼を拒絶する気はなかったから……。
そして、彼の元に金色の何かが飛来した。ソレを右手で掴んだ紅さんは、自身の左手にソレの顔を押し当てて、なんと噛みつかせた。同時に彼の顔にも先の彼女と似たような、だけど綺麗に形の整ったステンドグラス調の模様が浮かび上がる。そして右手に掴んだソレを私に見せつけるように突き出して、最後のスイッチとなる言葉を告げた。
「変身」
右手に持った蝙蝠のような何かを、いつの間にか彼の腰回りに現れていた紅色のベルトに止まらせた瞬間、彼の姿が変貌──いえ、変身した。
全身を真っ赤に染めた身体。
身体中を縦横無尽に駆け巡る浮き出た血管。
肩や右脚に鎖を巻かれた姿。
紅く鋭い爪と巨大な黄色い眼。
そんな一人の異形が私の前に現れた。
「じゃあ……行ってきます」
しかしそれは間違いなく彼であった。私が好きになった紅麗牙その人だと、彼の声、そして彼の心から聴こえてくる音楽が私に確信を持たせていた。
「はい」
だから私も、迷う事なく彼に応える。赤い姿の戦士を恐れる事はない。そこに彼がいるという安心感が私を落ち着かせてくれたから。
彼は踵を返して、すっかり暗くなった夜の街を眼下に据える。そしてベルトの左側のホルダーから青色の笛のようなものを取り出して、颯爽とビルから飛び降りた。
「っ……(紅さん、負けないでください)」
一人になったビルの屋上で、私は彼の無事と、そして悲しく狂う彼女に救いがあることを祈っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ビルから飛び降りたキバは、降下しながら空中でキバットに咥えさせた青い笛を吹かせる。
『ガルルセイバー!』
次の瞬間、モスと死闘を繰り広げていたガルルの身体が光り輝き、やがて小さなオブジェへと変化する。片手で持ち上げられるほど小さく変化した彼は引き寄せられるかのようにキバの元へと飛来し、キバがオブジェを掴んだ瞬間、更なる変化がキバの身体を包み込んだ。
キバが左手に掴んだオブジェは禍々しい青い剣へと変化し、そこから伸びるようにキバの左腕と身体が鎖で包まれる。鎖が砕かれた時、そこにあったのは麗牙の瞳のような紅色ではなく、深海の如く深い青であった。同時にキバのペルソナにも変化が表れ、その巨大な瞳は黄色から青へと変化する。
「ふっ」
キバが地に降り立った時、紗夜とモスはその姿に息を飲む。
そこに居たのは深淵の底に潜むかの如く青き姿。
仮面と鎧を真っ青に染めたキバの鎧は優雅に佇む事はなく、片手と片膝を地につけ、重心を非常に低く構えたまま唸り声をたてていた。
キバがガルルの力をその身に宿したこの姿こそ、キバの
獲物を確実に仕留める野生が滾る、最速の姿であった。
「その鎧……まさか──」
「グルルルゥゥ……ガアッ!!」
「ッアアッ!?」
キバは獣のように吠え、地を蹴る。突発的な急加速にモスは一切反応できずに、キバの持つ剣の一太刀を食らった。派手に吹き飛ばされるモスに対して、キバは攻撃の手を止めることはなかった。モスが地に着くか否やというところでキバはモスに走って追いつき、その頭部を力強く握りしめて、思い切り地面に叩きつけた。
「グラァッ!」
「ガハッ──」
キバは何度もモスを地面に叩きつける。脳みそが強く揺さぶられ一瞬意識が飛びそうになるモスだが、直ぐに意識を右手に持つ剣に集中させ、キバに繰り出そうとする。しかしキバは素早く身体を翻して剣撃を避け、大きく脚を回してモスを蹴り飛ばした。
「ゥガアッ!」
荒々しく、獣のように吠えながら戦場を駆ける姿は狼そのもの。しかしそこにいるのは間違いなくキバで、紅麗牙である。彼がこの姿に変わりガルルをその身に宿している時も、あくまでも意識は麗牙のものなのだ。ガルルと精神を同調させることにより、意識がウルフェン族本来の荒々しさに引っ張られ、戦闘スタイル自体も獣のように変わる。使い方を誤れば意識をガルルに乗っ取られかねないそれは、彼らの信頼関係の元でのみ成立する形態であり、故に麗牙はこの姿に変わることに何ら躊躇いは無かった。
「ぐぐ……ッシャア!」
「っ、フッ!」
モスは戦局が最悪だと見越したのか撤退を図った。しかしそれをみすみす逃すキバではない。ビルの谷間を猛スピードで飛ぶように駆け回るモスの跡を追い、キバもまたビルからビルへと、その壁を蹴りながら疾走する。モスの黄昏のような身体とキバの青い身体が、まるで閃光のように闇に落ちた街の中で激しく煌めいていた。その一つ一つの輝きを見逃さまいと、紗夜は目を凝らして彼らの動向を見つめていた。
「ガアッ!」
「フンッ!」
二つの剣が空中でぶつかり合い、火花を散らす。あまりの速度の中でいるためか、街の中であるにも関わらず、ぶつかり合う二つの異形の姿を見る者はいなかった。
「っア゛ッ!? ……クッ」
しかしモスは次第に追い詰められていた。これまでのガルルとの戦闘に加え、キバから最初に食らったダメージ、そして逃走中の度重なる剣撃によって、冷静な判断力を失っていた。そのため、キバによって逃走ルートを変えられて、自ずと最も高いビルの上まで追い詰められていたことに気付けずにいた。
「ゥガァァァーッ!」
「ゥガハッ!?」
辺りに遮る物の無い高層ビルの屋上までモスを追い詰めたキバは、ダメージで揺れるその身体に鋭い蹴りを入れ込んだ。激しい衝撃の前にモスはなす術なくビルの屋上から落ちていく。
「っ(あれは……)」
そしてモスがビルから落ちていく姿は紗夜からも見えた。あの高さから落ちれば、たとえ怪物でも助かることはない。これで勝負は着いたのか……。紗夜がそう思った瞬間、モスが身体を翻して剣を持ち上げ、自分の方を見ていることに気付いた。
「なっ!?」
「まだ……ッ、死ねるかァ!」
あれほどの攻撃を受けてなお、まだ彼女には意識があったのだ。その憎しみの矛先に嘆きをぶつけるまで、彼女は止まれない。自分たちが報われなかったこの世界に……自分たちが掴めなかった幸せを掴む者たちに、自分という悲劇を思い知らせるまでは。彼女は自分が打ち果てても、紗夜の命を奪いにくる覚悟であった。
しかし一つだけ、紗夜とモスは勘違いをしていた。
キバの攻撃は今ので終わりでは無い。
キングによる制裁は、次がフィナーレであった。
『ガルルバイト!』
剣の刃をバックルに止まるキバットに噛ませた瞬間、空が暗雲に包まれる。
紗夜は見た。ビルの屋上に立つキバの背後に浮かび上がる、巨大な満月を。
モスは見た。キバのマスクの口が開き、剣の柄を咥えて自分を捉えているのを。
「ハッ」
キバは光り輝く満月をバックにビルから飛び降りた。
その狙いは今も落下して、尚且つ紗夜を狙う異形ただ一人。
一度狙った相手を、青い瞳は決して逃さない。
牙をむいて立ち構える狼の影を見た者には、終わりが告げられる。
そして急加速して上空からモスに接近したキバは、大きく身体を翻しながら口元に咥えた剣を振り抜いた!
「ガルアアァァァァァァァァッ!!」
「ィギャァァァァァァッ!!」
──ガルル・ハウリングスラッシュ──冷たく輝く狼の牙によって、剣ごと異形の身体が斬り裂かれた。
空中で悲鳴とともに地面へと落下していくモス。一方キバは、ビルから飛び降りてそのまま紗夜の隣へと着地していた。
「紅さんっ」
紗夜の声に振り返ったキバが変身を解除すると、その中から麗牙の姿が現れた。同時にその隣には、麗牙に向けて首を垂れて跪く次狼の姿も出現する。その姿は主人に使える従者そのもののようだと紗夜は感じていた。
紗夜は麗牙に一歩歩み寄り、変身を解いてから悲しそうな表情を浮かべる彼に声をかけた。
「紅さん……その、あの人は……」
「一緒に行きましょう」
「え……きゃっ!」
紗夜の質問に答える前に、麗牙は先ほどと同じように紗夜を抱き上げて、ビルから飛び降りた。二度目とは言え、突然意中の男性に抱き寄せられるのは心臓に悪く、その上ビルの上から飛び降りれば悲鳴を上げても仕方のないことであろう。麗牙は危なげなく地面に着地すると、少し放心気味の紗夜を支えながら立たせる。
「せ、せめて何か言って欲しかったです……」
「ごめんなさい……でも、ともかくこっちに……」
紗夜を連れてモスが落ちていった方角に向けて麗牙は進む。場所はそれほど遠くまで離れてなおらず、彼女は誰の目にも付かない裏路地で、既に怪物の姿ではない色白の美女の姿を晒した状態で壁に背を預けていた。麗牙は女性の傍まで近寄り、膝を付けてその倒れそうな肩を支えた。
「貴方……キングだったのね……」
「……はい」
もはや抵抗する力も残っていないのか、女性は息も絶え絶えに麗牙を見て呟く。その色白の身体にはじわりとステンドグラス調も模様が現れ始め、ひび割れるような音を出しながら女性の肌を覆いつくそうとしていた。
「その子のこと……大切にしてるのね……」
「はい」
女性は紗夜を一瞥し、羨ましそうな笑みを浮かべて麗牙に問う。麗牙もまた、それを否定することなくまっすぐ答えた。そんな麗牙の姿を見て紗夜は頬を赤らめ、女性はどこか満足そうに、そして切なげに笑っていた。残された僅かな力を振り絞って、その手を麗牙の頬へと当て、そして……。
「ぁぁ……私も……貴方の時代に生まれたかった……」
最期にそう言い残して、彼女は砕け散った。
ステンドグラスのように色とりどりの破片が散らばる。
女性であったものは、月明かりに照らされて煌びやかに光り輝いていた。
「……っ」
麗牙はその手に残された破片を握りしめて、悔しそうに奥歯を噛みしめていた。自分にできることはこれしかないと分かっていても、時代のせいで狂った人を……元は人間を愛した優しいファンガイアを手にかけなければならないことが、麗牙にとっては酷く辛いことであった。彼女をこんな形でしか止められなかった自分の無力さが、悔しくて仕方がなかった。
「紅さん……」
そんな麗牙の哀しみを感じた紗夜は、彼に寄り添わずにはいられなかった。彼と同じようにしゃがみ込み、その手を麗牙の肩に添えて彼に寄り添う。今はそれしか自分に出来ないと感じていたからだ。悲しみに暮れる愛しの人を助けてあげたい、震える麗牙の傍で紗夜はいつしかそう思うようになっていた。
「あの女、最期まで二人を恋人同士だと思って逝ったな」
彼らの背後から次狼の声が届く。それは誰に向けたかは定かではない、独り言のような言葉であった。
「だが、その方が彼女にとっては救いだっただろうな」
次狼の言葉は夜空に溶けていく。
それは彼女の手向けになったのかは誰にも分からない。
「彼女の名前……何だったんだろうね……」
愛の果てに狂った悲しき怪物の終曲は、彼らの心に深く刻まれていた。
13話以降で登場したファンガイア
・オクトパスファンガイア
真名『串刺された満月と笑う貴婦人』
・モスファンガイア
真名『湖畔で踊る少女の鼻歌』