ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『禁断の恋の果てに歪んだファンガイアを止めるべく、麗牙はキバに変身して彼女の地獄を終わらせる。そんなファンガイアの生き様を、そして麗牙の苦悩を、紗夜は自分の心に深く刻み付けるのであった』


第18話 血染めの薔薇に(いざな)われ

 紅さんと次狼さんの正体を知った翌日の放課後、私は晴れない想いを胸の中で燻らせながら一人帰路についていた。理由はもちろん、紅さんについてのことだ。

 昨日は彼に家まで送り届けられながら、彼や彼の周辺に関する知識を教えられていた。世界には人間を含めた十三もの魔族がいること。彼の一族であるファンガイアについてのこと。彼が変身した姿──キバのこと。そして、彼がファンガイアの王様であること。一つ一つが壮大すぎて頭の中で整理するのに時間はかかったが、その事実自体は自然と受け入れることができた。私が恋してしまった彼について受け入れるべき大事なことだったから、今更そこから目を背けることは出来ない。私はもっと彼に近付きたくて、彼の告げる言葉を一字一句逃さずに吸収しようとしていた。

 そして自宅に到着した時、彼の話は打ち切りとなってしまった。彼については大分聞いたつもりであったが、しかしこうして一日経過するとやはり足りないと感じてしまう。もっと彼のことが知りたい、もっと近寄りたい、そして私のことももっと知ってほしい。そんな想いが自分の中で燻り続けて、今も家に向かう自分の足音まで憂鬱そうな鈍い音を出してしまっていた。

 

「あれ? 紗夜じゃん。そっちも学校終わってたんだ」

 

「今井さん。湊さんも」

 

 立ち止まって、昨日満月が浮かび上がったあの高層ビルを見つめ、青き獣と化した彼の姿を空目した時だった。同じように学校が終わって帰宅途中であった今井さんに声をかけられ、ふと我に返る。湊さんと二人揃っての帰路の最中、偶然だったのか少し驚いたような顔で私を見つめていた。

 

「紗夜。一応聞くけど、もう大丈夫なの?」

 

「え? ……あ、はい。その件でしたらええ、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」

 

 一瞬湊さんに何を問われているのか分からず間抜けな声を出してしまうが、昨日の練習のことだと思い出してすぐさま答えた。あの時は自分の紅さんを想う気持ちに整理が付かなくて、混乱の果てに滅茶苦茶な演奏になっていた。しかし今ならハッキリと、彼のことが好きだと理解した今なら、私は迷いなくギターを奏でることが出来るはずだ。だからもう何も心配することはない、そう思って湊さんにも返した。

 

「でも紗夜さぁ、今なんか黄昏れてなかった? 本当に大丈夫なの?」

 

「今井さんには関係のないことです。一応昨日とはまた別の件ですのでお気になさらず」

 

 彼女の言う通り確かに黄昏れてしまっていたがそれは迷いからではなく、ある意味で迷いから覚めた故の悩みであった。誰も知り得ることのない彼の秘密を知って、より知りたいという知識欲、自分を知ってほしいという承認欲求、それらが入り乱れて朝から何度溜め息が出たか分からない。

 

「別件でも悩みがあるなら聞くよ? ウチら友達だしさ」

 

「そうね。自分で何とか出来そうにないのなら、私たちを頼るのも一つの手よ」

 

「うんうんっ。にしても友希那も随分丸くなったよねぇ」

 

「別に私は……ただ、何もしないで解決出来ずに、紗夜がRoseliaからいなくなるのは困るというだけよ」

 

 そっぽを向いてそう答える湊さんだけど、確かに今井さんの言う通り彼女も結成当初から比べると随分と丸くなったと思う。自分が言えた義理ではないかも知れないが、彼女から直々に自分たちを頼ってもいいと言われるのは少し嬉しく感じてしまう。

 しかしそれが恋の悩みだと湊さんが知れば、一体どんな反応が返ってくるのだろうか。困惑? 失望? 興味? それともいつも通り? まるで想像が付かず非常に答えが気になるが、流石に自分の抱いたこの気持ちを今は誰にも告げるつもりはない。初めて抱いたこの温かな気持ちを、今は大事に自分の中に閉じ込めておきたかったから。無闇に他人に明かして、安易に扱われるのが嫌だったから。少なくとも、彼にこの気持ちを直接伝えるまでは、私の小さくも誇らしい初恋を大事に守っていたかった。

 

「ありがとうございます。でもこれは私の問題ですので」

 

「分かった。紗夜が大丈夫って言うなら私は信じるわ」

 

 湊さんは深く追求することなく、私の意思を尊重してくれた。今井さんも同様に笑顔のまま何も言わずにいて、私は内心で感謝しながらようやく止まったままの足を踏み出そうとした。

 

 その時だった。私たちのすぐ横を、派手で巨大な紅いバイクが通り過ぎていった。日本ではあまり見かけないクルーザータイプのオートバイで、けたたましいエンジン音を吹かしながら猛スピードで公道を駆け抜けていく。バイクの大きさもさることながら、あんなにも真っ赤に機体を染め上げて、よほどの無頼者かと思えてしまう。顔は見えないが、どこかの制服のような姿だったところから学生だと思われる。一体どこの不良がこんな昼間からバイクで飛ばすのか……そう考えていたところで後ろから予想だにしない声が聞こえてきた。

 

「麗牙……?」

 

「え?」

 

「いや、だって今のバイク、麗牙も同じの乗ってたし……」

 

 今井さんの言葉に私と、そして湊さんが目を見開いて口を半開きにして固まってしまう。今のライダーが紅さん? あの大人しそうな彼が? 私と湊さんは同じように感じたことだろう。あまりにも普段の彼に見合わない豪胆な装いだが、それも昨日の彼の変身した姿(キバ)を見た後だと不思議とそこまで意外とは思わない。私の興味はむしろ、何故あのバイクのライダーが紅さんだと今井さんが知っているのか、ということに尽きる。

 

「(でも今のが紅さんだとしたら、もしかして……)」

 

 ただ、そんなことよりももっと気掛かりなことがあった。彼は学校に行く時も家から歩いて通うと語っていたし、少なくとも私たちと会う時も体一つで歩いてきた。だから彼が普段から乗らない機体に跨っているということはつまり、普通じゃないことが起こっているということ。彼のことを考えていて異様に冴えていた私は、すぐにその答えに辿り着けてしまった。彼にとって普通じゃないこと……それは彼にとって悲しいことで、彼を苦しませること。

 嫌な予感に襲われて、居ても立っても居られず私は二人に告げようとした。

 

「ごめんなさい、少し行くところがあるので私はこれで」

「ごめん友希那、紗夜。アタシ行ってくる」

 

「……二人ともなの?」

 

「え?」

 

「はい?」

 

 しかし私の告げる言葉は、まるで打ち合わせをしたかのように今井さんの言葉と綺麗に重なっていた。湊さんの言葉で同じことを言っているのだと理解した私は、驚愕と共に目を大きく見開いて今井さんの顔をじっと見つめてしまう。今井さんの方も自分の台詞が被るとは考えていなかったのか、目を何度も瞬かせて私の方を見つめてくる。互いに予想外の反応だったのか、物も言えず無言ののまま時間が過ぎていった。

 

「(いえ……今はそんなこと関係ないわっ)」

 

 今井さんが何を考えているかなんて分からないけれど、ここで時間を無駄にしていられるほど私は落ち着いてはいなかった。もし今のが紅さんで、彼が昨日のように震えて苦しんでいるのなら、私はこんなところで腕をこまねいている訳にはいかないのだ。先日の覚悟を思い出し、二人の視線を振り払うようにして私は先ほどの紅いバイクの去っていった方へと足を向けて、駆け出し始めた。

 

 しかしそれは、今井さんも同じであった。私たちは同時に同じ方角へ、同じように駆け足で向かい始めていた。それでも彼女に質問する余裕も答える余裕もなく、無言のまま彼の後を追うことしか考えていない私は、並走する今井さんの視線も無視してその足を走らせるだけであった。

 

「二人とも……一体どうしたの……?」

 

 そう溜め息を吐きつつも後ろからゆっくり歩いて私たちの後を追い始める湊さんがいたことなど、その時はまるで気づくこともなかった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 急に血相を変えて走って行ってしまったリサと紗夜に困惑しつつも、そのままにして置くわけにもいかず私は彼女らを追っていた。一体何をそこまで真剣になっているのかは理解しかねるが、私だってそこまで鈍感ではない。リサに関しては確定要素が薄いが、少なくとも紗夜に至っては先ほどのバイクに乗た人物が麗牙であるかもと耳にした途端に動き始めていた。だから紗夜はほぼ間違いなく、麗牙の後を追っているとみて間違いない。一体何が楽しくて麗牙のストーカーのようなことをしているのかは分からないけれど、彼女の真剣な表情を前にしてそれを馬鹿にする気は起きなかった。恐らく今の彼女の悩みに直結していることのようだし、それで彼女の気持ちが晴れるならば紗夜の気の済むままにさせてあげたかったというのもある。

 

「(変なことに巻き込まれていなければいいけれど……)」

 

 ただ懸念していることもある。それは紗夜の悩みによって麗牙に迷惑が被っていないかということ。或いは紗夜の悩み自体が、麗牙が紗夜に何か良からぬことをしている故のものだということ。前者ならば紗夜を抑えてあげないといけないし、後者なら彼との今後の付き合いを考えていかなければならない……彼の事を考えるとその線はかなり薄いけれど、念のためにだ。

 

「(リサも最近、何かと変わった気がするし……)」

 

 リサに関しても、紗夜ほどではないが最近いろいろと変化があるように感じていた。彼女が殺人鬼に襲われて心が壊れかけ、麗牙に救われてからだろうか。バンドの練習で演奏している間はともかく、授業中や休憩中などで上の空になっていることが増えていた。声をかければすぐに我に返る程度の軽いものだからそこまで気にしていなかったけれど、今にして考えると麗牙に関わりがあるのではと思ってしまう。

 それに、これはみんな気が付いているかも知れないが、彼女の身に振りかけている香水の匂いが変わっているのだ。以前は淡く優しい椿の香りであったが、今はほんのりと甘い薔薇の香り漂うものに変わっていた。タイミングとしては今週の頭のTETRA-FANGとの合同練習が終わった翌日からで、彼女に会った時にその身体から漂う香りの変化に少しだけ驚いたから覚えている。お洒落に関しては人一倍通じている彼女だが、椿の香水に関しては彼女自身気に入っており、そう簡単に変えるものではないと思っていたからだ。私はあまり香水には拘らないけれど、わざわざ香水を変えることの意味を知らない私ではない。私の知らないうちに、リサの中で変化が生じている……それだけは確かなことだと感じていた。

 

「ここは……(初めてくるけれど……どこかしら……)」

 

 どのみち二人が心配になっていたから、私はここまで追いかけてきたのだ。しかし、いつしか自身もあまり立ち寄ったことのない場所にまで足を踏み入れていて、二人の姿どころか自分がどこの地域にいるのかさえ分からないところまで迷い込んでいた。こんなことなら私も二人に走っていけばよかったと、すぐに追いつけると高を括っていた自分を反省していた。

 

 その時だった。

 

 ♪~~♬~~

 

「ヴァイオリン……麗牙っ」

 

 風と共に街並みを吹き抜けて、私の耳に流れてくる優しいヴァイオリンの音。その綺麗で穏やかな音色には聴き覚えが、いや、肌と心が覚えていた。リサを癒すために彼が弾き奏でてくれた美しく繊細な至高の音……彼の父が遺したというブラッディ・ローズの音色だと、私は確信していた。故に、その音が麗牙の出すものだという結論にも自然と至っていた。間違いなくこの音の先に麗牙はいる。あの優しい彼独特の音色を、聞き違えるはずがなかったから。それを感じた私は、つい目的の二人も忘れてその音に向かって足を踏み出していた。

 

 ♬~~|

 

「っ(終わってしまった……でも、まだ分かる……)」

 

 どこから流れてきたのか、いくら歩いてもその音の出所を見つけることはできず、遂には辿り着く前に演奏は終わってしまった。しかし私の足は自然と前ヘ進んでいた。音が消えても、その残り香とも言える残響が私の心に残っていたから、私はその道しるべを失うことなく進むことができた。不思議なことではあるはずだが、今の私には何故かそれが自然に受け入れられていた。理屈ではなく感覚でしかないことだが、私が今まで音楽と共に歩んできた人生がそうさせているのだと、今はそう説明することしかできない。もしかすると、同じように音楽に全てを捧げているとしか思えないほどの彼の演奏が私を導いたのかもしれない。そうでなければ……。

 

「紅……ここね……」

 

 何の迷いもなく、彼の家の前に辿り着くことなどできなかっただろうから。

 

「湊さん?」

 

「アレ? 友希那、私たちより後ろにいたんじゃ……?」

 

「紗夜……リサも……」

 

 そして、二人よりも先に彼の家を見つけることもできなかっただろうから。

 

 私は走り疲れて息をあげ、へとへとになって歩く二人に対して目の前の家──というより広い屋敷の門の立てかけられた表札へと意識を向けさせる。二人はそこに「紅」と彫られた表札を目の当たりにし、短く息を飲む。そして説明を求むような顔を隠そうともせず私に問いかけてきた。

 

「紅さんの……どうして湊さんが先にここへ?」

 

「音よ。彼のヴァイオリンの音。それに引き寄せられるようにして、私はここに辿り着いた」

 

「ヴァイオリン? 紗夜、聞こえた?」

 

「いえ、私は全く」

 

「そうなの……?」

 

 ここに辿り着くまでは確かに響いていたはずのヴァイオリンの音だが、二人には届いていないという。そんなはずはないと思うのだけど……何せ音が聞こえ始めてからここに辿り着くまで随分歩いたけれど、消えるまで間ずっと聞こえていたほどには大きな音だったはずだ。少なくとも、私のすぐ後にここに辿り着いた二人にも聞こえてしかるべきなのに……。

 

「(いや待って……そもそも何故私のところまで聴こえてきたの……?)」

 

 よくよく考えてみれば、あのヴァイオリンの音は微かなものではなく、はっきりと私の耳に届いていた。しかもその音に誘われて歩いている間、その音の大きさが変わることはなかった。普通は音源に近づけば近づくほど、その音は大きくなるはずなのに……。ずっと同じ音量で響き続ける音に、疑問を持たなかったことに対して今更ながら違和感を抱いていた、その時だった。

 

「あれ? みんなどうしてここに?」

 

 屋敷の門の前で屯する私たちの背後から、更に声が掛けられた。三人して振り返ると、そこには私と同じ羽丘女子学園の制服を着た二人の女子生徒が意外そうな顔をしてこちらを眺めていた。

 

「アゲハ? 紅さんも……」

 

「うんっ、こんにちは。友希那にリサに紗夜っ」

 

「こんちゃ……」

 

 そこにいたのは先日も合同練習で会ったばかりのアゲハと、そして直接会うのは一週間ぶりになる紅さん──麗牙の妹だった。いつものように明るく挨拶するアゲハとは対照的に、紅さんは相変わらず眠たそうにしている。そんな時、私の背後から紗夜の声をかけたそうな空気が流れていることに気付く。そういえば、紗夜は麗牙の妹と会うのは初めてだったわね。

 

「あの、羽畑さん。そちらの方は……」

 

「あそっか。紗夜は初めて会うんだっけ。ほら、愛音。挨拶挨拶っ」

 

「紅愛音……紅麗牙の妹してます。異母兄妹なので……そこんとこよろしく……」

 

「異母? ……っ、失礼しました。氷川紗夜です。花咲川女子学園の二年生です。よろしくお願いします」

 

「よろ……」

 

「……失礼ですが、本当に紅さんの妹……なんですよね?」

 

「異母兄妹……ここ重要……」

 

「そ、そう……ですか……」

 

 紅さんの独特の雰囲気には流石の紗夜も対応しきれずに戸惑っているようであった。実際私もまだあの空気に慣れたわけではないので紗夜の気持ちはよく分かる。それにしても、以前もそうだったが異母兄妹という点を妙に強調してくるが、何かこだわりがあるのだろうか……? 私たちのそんな疑問を他所に、紅さんは私たちに向けて逆に質問を繰り出してきた。

 

「そう……でも、よく辿り着いたね……」

 

「ま、アタシたちよりも友希那の方が先に着いてたんだけどね~」

 

「私はヴァイオリンの音が聴こえてきたから偶々ここに……」

 

「え……ブラッディ・ローズの…………まさかね

 

「……?」

 

 紅さんは何かを呟いたようだけど、小さすぎて私たちの誰も聞き取ることはできなかった。そのまま彼女は私たちの間をかいくぐり、屋敷の門の扉に手をかけた。そしてその細い腕で鉄格子の門を開き、屋敷の敷地内へと足を踏み入れていった。

 

「入っていい……パパの使ってた屋敷で……私の家でもあるから……」

 

「ホントに!? じゃあ、お邪魔しま〜すっ」

 

「……今井さんのああいうところ、偶に羨ましいと思います」

 

「それは私も思うことがあるわ」

 

 紅さんの誘いに何の躊躇いもなく屋敷の敷地内へ入っていくリサに、紗夜と私の意見が合致する。ただ、せっかく誘ってくれたのだから断るのも勿体無いと私は感じていた。今日は練習も休みにしているのだし、彼とまた音楽について語れることを期待していた部分もあったのだろう。

 

「ここまで来て帰るのもなんだか悔しい気もするし、とりあえず行くわ」

 

「そうですね。では、お邪魔します」

 

 そうして私たちもリサの後に続いて門の向こう側へと足を踏み入れた。屋敷の入り口まではほんの数メートル先だが、その歩みの途中で先ほど見かけた紅いバイクが停められているのが目に入った。リサの言う通り、あの派手なバイクは麗牙ので間違いなかったようだ。しかし、初めてTETRA-FANGのライブを生で見た時の麗牙のパンクな衣装のことを考えれば、バイクもこのくらい派手であったとしても不思議ではないだろう。やはり彼は見た目以上に勝気な人物なのでは、という予想に拍車がかかる。

 

「兄さん……入るよ……」

 

「お、お邪魔しまーす……」

 

 合鍵を持っていたのだろうか、屋敷の扉の鍵を開けて中に入る紅さんに続いて、私たちも扉を潜り抜ける。乗り気で紅さんの後に続いたリサも、屋敷に入る時だけはどこか緊張気味に声が震えていた。

 

「お邪魔します。さっきまでのテンションはどこにいったのよリサ」

 

「え〜だってさぁ、一人暮らしの男の人の家ってやっぱり緊張するじゃんか。ねぇ? あはは……」

 

「お、お邪魔します……ここが紅さんの……」

 

「みんなそんなに緊張しなくても大丈夫だって」

 

 リサも紗夜も緊張した趣を隠しきれない様子で靴を脱ぎ、玄関へと上り込む。そんなぎこちない二人の様子を傍目で見ていたためか、私の方はむしろ冷静になることが出来た。

 

「とりあえずリビングに行こっか」

 

 アゲハと紅さんに付いていき、陽に照らされて仄かに灯る屋敷の中を進んでいく。少し歩いて電気の灯ったままの大きな屋敷に見合わぬ狭めのリビングに至ったが、そこに麗牙の姿は見当たらない。しかし椅子には学生鞄らしきものが立てかけられており、つい先程までそこに誰かがいたと思わせる生活感が残されていた。

 

「電気が付けっ放しね……麗牙はどこなの?」

 

「多分……家のどこか……みんなで探そー……」

 

「そんな人の家を勝手に散策するなんて……」

 

「私が許す……一応私の家でもある……」

 

「よーし、じゃあみんなで麗牙のこと探そっか☆」

 

 この家のどこかに麗牙がいるのは確実だと、そんな紅さんの言葉から始まってしまった麗牙捜索隊は、リビングを中心として四方八方へと散らばっていく。正直あまり乗り気にはなれなかった私も、渋々と一階の廊下へと歩き出していた。

 

「(それにしても麗牙……今はこんな広い屋敷に一人で住んでいるのね)」

 

 彼が実家から離れて一人暮らしをしているとは以前にも聞いていたが、まさかここまで大きな家だとは思わなかった。外観は綺麗なままであったが、こんな大きな建物を一人で維持させるためには相当労力がかかるはずだ。それにこんなに広い屋敷に一人というのは……少し寂しいような気もする。今日みたいに彼の妹やアゲハが来ることもあるようだけど、家族がいるのにわざわざその元を離れて夜を一人で過ごすというのは一体どういう気分なのだろうか……。TETRA-FANGという素晴らしいバンド仲間に囲まれている彼には似合わない、孤独のようなものを勝手に感じていた時だった。

 

『──は先に──てなー』

 

「う──そろそろ──よ」

 

 明らかに男性のものと思しき話し声が二つほど、私の歩く廊下まで響いてきた。低めの陽気な声は知らないが、もう一つの高めの落ち着いたような声は間違いなく麗牙のものだった。この先の扉の向こうにいるのだろうか、靴はなかったが他に来客がいたのだろうか、と疑問が頭を回り始める前に、目の前の扉が開いた。

 

 そしてそこから、目を疑うような異物が私の視界に混入してきた。

 

 

『はぁ〜いい湯だった〜……ババンババンバンバン、っと〜』

 

 

「……」

 

 そこには異様にオヤジ臭い空気を醸し出しながら、パタパタと宙で羽ばたく金色の蝙蝠のようなものが一匹。それは私の存在にまるで気付くこともなくその小さな翼で器用に扉を閉め、開いた窓から優雅に外へと飛んでいってしまった。私はあまりの驚きで声を上げることも出来ず、ただ目を見開いてその場で石像のように固まり続けるしかなかった。それからしばらくしてようやく我に返り、今の光景を振り返っていた。

 

「(……猫耳の……蝙蝠……?)」

 

 一瞬幻覚かと思ったけれど、あれは間違いなく猫耳だったと私の心は強く告げていた。蝙蝠かは分からないけど、金色で一頭身で猫耳だったことは確かだ。あんな見事な猫耳を幻覚で見てしまうはずがない。喋る蝙蝠なんて信じられないが、猫耳だけは信じられた私は、とりあえずは今の光景が現実だと思うことが出来た。

 

「……と、ともかく麗牙ね」

 

 先程の猫耳が気になって仕方ないが、まずは麗牙を見つけなければ話にならない。彼ならあの猫耳について何か知ってるかもしれないという期待もあって、私はすぐに先程猫耳が出てきた扉のドアノブに手をかけた。先の話し声から、この先に麗牙がいると私は確信していた。

 

 そして扉を押そうとした、その時だった。

 

「っ──えっ、きゃっ!?」

 

「ぅえ!?」

 

 押そうとした扉が同時に開き、私はドアノブに握った手もろとも扉の向こう側へと引きずり込まれた。部屋の中に放り出された私は床に倒れることはなく、温かな壁に頭から突っ込んでしまう。しかしその壁は全く固くはなく、頭からぶつかったというのに全く痛みは感じなかった。

 

「ゆ、友希那……さん?」

 

 しかし同時に麗牙の声が私の頭上から聞こえてくる。

 

 はて? 何故壁の上から麗牙の声が……?

 

 何故私が持たれている壁は肌色なのか?

 

 何故脈の音が聞こえてくるのか?

 

「……」

 

 そして私は恐る恐る顔を上へと上げていった。

 

「あ、あの……?」

 

 そこには探していた人の困惑した顔があった。

 

 そもそも、私が身体を預けていたのは壁ではなかった。

 

 それは紛うことなき素肌だった。

 

 日に当たっていないような白い肌と、細いのに逞しく筋肉が付いている男性の胸板。

 

 僅かに薔薇のいい香りが漂う、少し蒸れた身体──上半身裸の麗牙の胸の中に、私は突っ込んでいた。

 

「ひ……」

 

 あまりにも突然で、そして見慣れない男性の裸体。

 

 それをこんな間近で……というより密着して、冷静でいられるはずがなかった。

 

「だ、だいじょ──」

 

「きゃあああああぁぁぁぁーーっ!!?」

 

「──ぶぉァッ!?」

 

 気付けば私は悲鳴を上げて、麗牙を思い切り押し倒してしまった。ここまで情けない悲鳴を上げたのは果たして何年ぶりであろうか。できれば今の悲鳴を他の人には聞かれたくないが、それは無理な話だろう。ドタドタと駆け足で近づいてくる音がこの脱衣所にまで響いてきたから。

 

「……はぁ……はぁ……もう、最悪……」

 

 未だバクバクと破裂しそうになる胸を抑えながら、私は未だ起き上がることなくぐったりとしたままの麗牙を脇見しつつ、これからのことを考えて気を重くしていた。


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