友希那を麗牙の家に残して、アタシたちは暗くなる道を四人で話しながら歩いていた。せっかく麗牙の家に来ることが出来たというのに、結局彼と話せず仕舞いでガッカリしているのはアタシだけではないはずだ。しかしそれにしても友希那も可愛いところあるじゃん。「きゃー」だって「きゃー」って。今日麗牙と話せなかったことの仕返しに明日も揶揄ってやろうと思う。
因みに帰り際の話と言っても、内容はバンドの話だったり音楽の話ばっかりで、日常会話の延長でしかないガールズトークだ。それはそれでいいんだけど、アタシには一つ、どうしても紗夜に確認したいことがあった。共に麗牙の家に向かって走り出した時からずっと口にしたくて、だけど中々タイミングが掴めなくて飲み込んできたことが。しかしこのままだともうすぐ紗夜の家に着いてしまい、聞きたいことも聞けなくなる。もし聞くとするなら、友希那もいない今しかチャンスはないのだから。
そしてアタシは唾を飲み込み、勇気と、確信を持って紗夜に聞いた。
「紗夜って……もう知ってるんだよね……麗牙のこと」
「っ……今井さん、やはりあなたも……」
深く説明しなくても紗夜には通じていたようだった。どこまで知っているかは分からないけど、少なくとも麗牙が人間ではないことは知っているんだと確信が持てた。そして多分、キバのことも。そうでなければあんな普通そうに見えない麗牙を見て、咄嗟に走り出そうとしたりしないから。
「あ〜そう言えば昨日次狼も言ってたっけ」
「羽畑さん? もしかしてあなた……」
「うん。私も麗牙と同じ、ファンガイアなんだ」
そう言う彼女の顔には、綺麗なステンドグラスのような模様が浮き上がる。紗夜は少しだけ目を見開いたけど、それ以上の大きな反応を見せることはなく、静かに息を飲んでその光景を受け止めていた。
「へぇ〜紗夜、逃げないんだぁ」
「ファンガイアが悪い人たちではないってことは分かっているつもりです」
「そっか……ありがと、紗夜」
色鮮やかな模様が消え、元の色白の肌に戻るアゲハの顔はどこか嬉しそうだった。かくいうアタシも彼女と同じで、紗夜がファンガイアである麗牙やアゲハを受け入れてくれて嬉しいと感じている。こんなにも優しい人たちが、見た目が違うってだけで嫌いになられるのは凄く嫌だったから。紗夜がそんな考えに至らなくて本当にほっとしている。
「それと、紅さん。お兄さんがファンガイアなら、やはりあなたも……」
「私は……ちょっと違う」
「え?」
「うん?」
愛音の肯定とは受け取れない発言に、アタシと紗夜の両方から間抜けな声が漏れてしまう。ちょっと違う? それは一体何を意味しているのか……その答えをアゲハが教えてくれた。
「愛音はね、ハーフなの。父親がファンガイアで母親が人間の、ハーフファンガイア」
「イェイ……」
アゲハの紹介に呼応して何故か少し得意げにピースサインして自己主張する愛音。しかしあまりにも突然の告白と、その事実の衝撃にアタシたちはさっきまでの賑やかさが嘘のように静かになっていた。
「ハーフ……」
「人間とファンガイアの……」
「人間とファンガイアでも……子どもは作れる……私がその証明……ドヤァ……」
愛音は相変わらず眠たそうに話しながら、少しだけ胸を張っていた。そう言えば、と彼女と麗牙が異母兄妹という話を思い出す。なるほど、麗牙は父親も母親もファンガイアの純粋なファンガイアだけど、母親が人間の愛音はハーフファンガイアとして生を受けたんだ。しかしそんな事実を知ってしまったアタシの胸中は穏やかではなかった。愛音の言う通り人間とファンガイアでも子どもが作れるということはつまり、愛し合うことができるということ。人とファンガイアも恋が出来るということ。つまり……。
「(麗牙も人間の女の子に恋をするかも知れないってことだよね……)」
アタシは心のどこかで思っていたんだろう。麗牙は人間が好きだと言っていたけど、それでも彼はファンガイアの王様だ。だからこのままファンガイアの女性を好きになって、結婚して子どもをつくるのだと、そんな諦めにも近い思いがあった。しかし麗牙のお父さんが……麗牙の前に王様をしていた人が、人間の女性と結ばれて愛音が産まれた。それは人とファンガイアの可能性における大きな希望のようにも思え、アタシの心はざわつくような感覚に襲われる。だって、アタシも……。
「そうなんですね……人間とファンガイアでも……そうなんだ……」
「紗夜?」
「っ、すいません。昨日のことを思い出して……」
しかし紗夜はアタシとはまた違った感慨にふけっていた。そして紗夜は短く語った。人とファンガイアが結ばれてはいけないと叫ぶ、過去の悲劇から狂ってしまったファンガイアの顛末を。かつては人間を愛したはずの心優しかったファンガイア。そんな悲しい人を斃さなければならない麗牙の心情が理解できてしまい、すぐにでも彼の震える身体を抱きしめてあげたくなる衝動に駆られる。
「紅さんは言っていました。人間とファンガイアは愛し合える。そんな世の中にするために戦っている、と」
彼のその言葉はきっと、自分の住まう世界のファンガイアや人間の自由を守るためだけじゃない。彼が多くの同族から反感を買っても人間との愛を守りたいと願ったのは……。
「だから……愛音さんが人間とファンガイアの子どもだと知って、すごく腑に落ちた気がしました。紅さんは人とファンガイアの愛を否定することはできない。だってそれって、自分の父と妹を否定してしまうことになるから……そうですよね?」
「うん……紗夜、正解……今度ご褒美あげる……」
アタシたちの目の前にいる愛音こそが、人間とファンガイアが愛し合った証。愛の証明とも言える存在。そう思うと、このふわふわしたスレンダーな彼女が、いつも以上に尊いものだと感じる。普段から尊すぎるくらい可愛いんだけどこの際気にしないでおこう。
「人間とファンガイアでも愛し合える……ふふ」
そんな紗夜の微笑みは風に流されていき、誰の耳にも止まることはなかった。
「まあそんな訳だし、麗牙は愛音にはとことん甘いんだよねぇ。今でも自分のより強い鎧を持たせるくらいだし」
「まったく……私には似合わないのに……」
「強い鎧?」
アゲハの口から、麗牙の妹萌え情報なんかよりも余程気になる単語が飛び出たことにアタシたちは首を傾げる。鎧ってキバのことだよね? それよりも強い鎧? そもそもまだ鎧があるのかという気持ちは二人とも抱いていたことだろう。
「兄さんのキバの鎧……本当なら私が使ってた……」
「え? 愛音がキバに?」
愛音の言葉に紗夜と揃って衝撃を受ける。というのも、麗牙
「一応先代キングの娘だしキバに変身する資格はあるんだよ。現に少し前までは愛音が使ってたしね。まあ、今はちょ〜っと訳あって弱体化してるから麗牙のもう一つの鎧と交換してるんだけど……」
「弱体化?」
「もう一つの鎧?」
またまた看過できない言葉が飛び出してきて反応してしまう。愛音がキバに変身できるのは分かったとして、そのキバが弱体化しているというのが分からない。あの紅色に染めた身体と敵を制圧する圧倒的な力……アタシが思わず見惚れてしまったあの姿でさえ弱体化しているという言葉が、到底信じられなかった。
それに「もう一つの鎧」と言う言葉。キバ以外にまだ鎧があるということなのか、それともキバの鎧が他にもあるということなのか。今は彼女たちの言葉を待つ他に答えを知る術はなかった。
「兄さんから借りたのは……う──」
愛音がその詳細を告げようとした時だった。
(♬〜♬〜♬〜)
「──っ!? ごめん……私行かなくちゃ」
「えっ?」
突然何かに反応したような素振りを見せたと思えば、私たちに短く告げて走り去っていってしまった。まるで何の予兆もなく起きた出来事のため、一瞬呆気にとられてしまう。
「え? 愛音!? えっ、ちょ、アゲハあれどういうこと?」
「あぁ〜もうなんでこんな時に……」
愛音の行動に心当たりがあるのか、アゲハは可愛らしく両手で頭を抱えながら愚痴を漏らす。だけど私は愛音が走り去る前の一瞬、彼女の今までにない真剣な表情をこの目に捉えていた。いつもの眠そうな愛音の眼とは違う、女王のように力強い眼差しがそこにあった。あの眼に似た眼をアタシは……いえ、アタシたちは知っている。麗牙が敵と対峙した時に向ける視線。そう、変身する時の覚悟の眼だった。
「ごめん二人とも、ここからは自分で帰……るのは危なそうだね。やっぱり着いてきてっ」
「え? いいの?」
「今二人を帰すのはヤバイと思ったの! いいから、追いかけるよ!」
着いていきたい、と言ってもダメなのだろうと思っていたところでアゲハから着いてくるよう言われる。てっきり追い返されるものと思っただけに、その衝撃も大きかった。紗夜が走り始めるまで自分が固まっていたことに気付かなかったほどだ。
ともかく、アタシたちは愛音を追って闇に沈んだ街中を駆け出した。
「……」
私たちが帰ろうとした行き先で、人間ではない存在が何かを待ち伏せていたことなど、同じ異形であるアゲハ以外は気がつくはずもなかった……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ぐゔ……っ」
暗い空き工場の元で一人の男が力なく倒れ伏す。呻き声と共にその身体からは次第に色彩が消えていき、やがてその声が消えた時、男の色彩も全て消え去り、その場には衣服だけが残されていた。
「まだだ……まだ足りない……キングを討つにはまだ……」
倒れる男の足元には立つ影があった。それは人の身体を持つものではなく、紛うことなき異形。全身をステンドグラス調の細胞に覆われた、青い海老のような姿をした異形──ファンガイア。たった今、人間の男性からライフエナジーを吸い上げた異形は、その結果に満足することはなくその場を後にしようとする。
「待った……」
「っ! 誰だ……」
その行為に待ったをかけた人物に、異形は眼を凝らしてその姿を見ようとする。そして、その人物が柔らかな赤色の毛を腰まで伸ばした細身の少女であることが分かった。しかし異形は彼女のことを知っていた。元より彼は、現代のキングを討つために人間のライフエナジーを日夜収集していたのだ。故に麗牙の周辺の情報に関してこの男が無知であるはずがなかった……。
「き、貴様……紅愛音……ハーフの……」
その存在がキングの妹であることは既に調べが付いていた。彼女の出現により、異形の皮膚に表れた男の顔に恐怖の感情が見えていた。しかし男の異様に怯える様はキングの妹という彼女の立場のためではない。彼はハーフファンガイアという存在そのものに恐怖していたのだ。ハーフファンガイアの中には時折、異質な力を有した特異個体が産まれると伝えられる。忌むべき存在として語られるそれは既にファンガイアの中でも伝説上の存在であったが、愛音はその現代における唯一の体現者であった。そのため現時点でキングに次ぐ脅威として彼女を捉えていた異形は、彼女の登場に戦慄していたのだ。
「え、エンペラーバットの──」
「あなた……兄さんを斃すつもりなの……」
「──っ」
異形は最早隠すことは出来ないと観念し、次の一手を考える。このまま逃げるか、それとも強襲するか。しかし僅かの思考も与えられないまま、愛音は先に一手を打った。
「じゃあ……見逃すわけにはいかない……『サガーク』!」
闇に沈んだ街の一角で『運命の鎧』が顕現したことなど、愛音と、そして哀れにも志半ばで力尽きた異形以外は誰も知ることはなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「(……音がやんだ……?)」
麗牙にしがみ付きながら鳴り止まない嘆きの音に耐えていた私の耳から、突如として音は消え失せた。同時に麗牙もバイクの速度を落として停止させた。
「麗牙。音が消えたのだけど……いえ、そもそも何があったの? あなたにもあの音が聞こえたのでしょう?」
ヴァイオリンの音に苦しむ私に対して思わせぶりな発言したり、今も音の終演と同時にバイクを停めたりと、彼も私と同じ音が聞こえていると考えるのは自然なことだった。
「麗牙、教えて。今の音は……いいえ、あなたは何者なの?」
彼に強くしがみ付いた腕を放さず、彼を逃さないように問いかける。
「あなたは特別な何かを持っている、それは分かるわ。でもそれが何なのかは分からない」
私にはない特別な……いえ、恐らく世界中探しても見当たらないであろう特別な才や能力を持った紅麗牙という人物。それが単なるヴァイオリニストで終わるわけがない。彼には間違いなく何かがある……私の想像を超えた何かが……そう私の心が訴えてならなかった。
だから私は、遂に彼にあの非常識の存在について訊ねた。
「さっき、あなたの家で聞こえたわ。あなたと……金色の猫耳の何かが話していたの」
「ぷっ」
「っ、な、何がおかしいのよっ」
こちらは真面目な話をしていると言うのに、ある意味で一番大事な部分で彼に笑われてしまった。何かおかしな事を言ったのかと、見当違いなことを言ったのかと心配になってしまう。
「猫耳って……く、っふふ、うん……そ、そう……だね……ぷふっ」
私の猫耳という発言が彼の笑いのツボに入ってしまったのか、麗牙は車体に頭を突っ伏したまま声を抑えつつ細やかに震えていた。しかしその笑いの中で彼は確かに肯定の言葉を言った。ともかく、これで彼があの異質な存在と繋がりがあると言うことが確かだと分かった。
「麗牙、一応真面目な話のつもりなのだけど」
「ご、ごめんって……だって猫耳ってさ……ふふっ……そんな風に思ったことなくて、言われてみれば確かにそうだなって……っ」
「じゃあ、やっぱり知ってるのね」
「はぁ……うん、知ってるよ。でも何から話そうかな……」
私の尋問のためか笑い疲れてかは分からないけど、観念して話す気になってくれた麗牙。しかし彼の纏う雰囲気はヘルメット越しでも分かるほど困っているようにも見えた。何を言ってくれるのかと期待する私の想いに応えるように麗牙は頭を上げて、そしてヘルメットを被ったまま、見えない表情で私に問いかけてきた。
「じゃあさ、もし友希那さんが今抱きついてる人が人間じゃなかったら、どうする?」
「は……?」
予想の斜め上をいく彼の質問に間抜けな声を上げてしまう。目の前の人、つまり麗牙が人間じゃないとしたら? 正直なところ欲しかった答えではなく、何だかはぐらかされた気分になり、彼の身体を締め付けている腕の力を更に強く込める。
「麗牙、真面目に言ってるの?」
「痛たたっ!? 真面目真面目っ! 大真面目な話だっていだだだっ!」
真面目な話だとすればあまりに現実離れが過ぎるし、冗談にしても面白くなさすぎる。確かに常人離れしていると常々思っていたが、私もそこまでの発想には至っていない。仮に彼が怪物だとして、こんなに優しくて感情豊かな音楽家の怪物なんているわけがない。
「と、とにかく腕を弛めてください……ちゃんと話して──」
しかし、もし本当に人間じゃないとしたら……目の前にいる彼は何なのか……。そんな思いが頭によぎった時だった……。
『ギィィィィィィィィィィィ』
「──なっ!?」
「えっ……な、何なの……あれ?」
辺り一面に金属同士が擦り合うような高い雑音が鳴り響いたと思えば、上空に人魂のように光が集まっていた。巨大な一つの光になったそれはやがて形を変えていき、人工物のような規則性のあるオブジェに姿を変えていた。ステンドグラスで形作られた全身と天使のような羽。からくり仕掛けのように自在に動く長い腕。巨大な体躯の中心には男性の顔の彫刻が埋め込まれた、何とも形容しがたいグロテスクな物体が夜空に浮かんでいた。
「サバト……」
「えっ? 麗牙今なんて──」
こんなに異常な光景なんて今まで見たことも聞いたこともない。世界の常識すら覆すその存在を前に、私は自分という存在すら根底から揺らぐような気分であった。しかし麗牙はそんな異常を前にしても、驚きをわずかに抑えて何かを呟く。彼の明らかに何かを知る素ぶりに私が訊ねようとした時だった。
『ラァァァァァァァァァ』
「きゃっ!?」
悲鳴か歌声が分からないような気味の悪い声を上げて、オブジェの躯体から光弾が発射された。光弾は私たちのすぐ後ろの道路に着弾し、大きな音とともに火柱が上がっていた。その光景に恐れおののき、一度弛めた腕をまた強くして麗牙にしがみついてしまう。そして同時に確信してしまったのだ。あの物体は間違いなく私たちを狙っているのだと。
『ジァァァァァァァァァ』
「っ、友希那さんこのまましっかり掴まっててくださいっ!」
「言われなくても!」
空の物体から光弾の第二波が発射される寸前、麗牙の叫びに反応して私は彼にしがみつく。同時に彼の紅いバイクが爆音を響かせて、その場から駆け出した。それと同時に私たちが先程まで停まっていた場所は光に包まれ、爆炎で背中が少し熱くなった。
『キァアァァァァァァ』
それからはオブジェの金切り声と共に光弾がいくつも生み出された。それは全て私たちを追うように発射され、しかしその度に麗牙はハンドルをきっては直撃を避けていた。
『ディィィィィィィィ』
「っ、ふっ」
あまりにも壮絶なチェイスのためにろくに目を開けていられなかったが、目を開けるたびに彼は何度も迫る光弾を冷静にハンドル捌き一つで躱していく。そんな光景が続いていたからか、少なくとも彼にはライダーとしての才能もあるのではと、非常時であるにも関わらず考えてしまっていた。
『ギィィィィィィィ』
「ひっ(お願い早くどこか行って……)」
何度も執念深く私たちを追うオブジェに何度願ったか分からない。今は麗牙が上手く避けているけど、いつかアレに追いつかれるのでは? 通った後の道のように燃やされるのでは? そんな恐怖が私を放して逃さなかった。祈るしかできない私は、今はハンドルを握る麗牙を信じることしか出来なかった。
『キィィィィィィィ』
「(っ、何故みんな気付いていないの?)」
麗牙がバイクを走らせる道の先に人はいない。恐らく彼が他の人を巻き込まないためにそういうルートを選んでいるのだろう。しかし私たちの上空にいるこの異質な存在は遠くからでも見えるはずなのに、過ぎ行く人や車が止まる気配は一切ない。まるで、この異常な光景が見えていないかのように……。
「……っ!? 麗牙!? 前っ! 前見て!!」
いつの間にか私たちを乗せたバイクは私たちの街を離れ、どんどんと高所へと上っていく。前方には何も見えないが、私はこの道を知っていた。この先には広い川が広がっており、橋が架かっているわけではないため、走り続けるならこの先で曲がらなければならない。それにも関わらずバイクは曲がる様子も見せずに、そのまま川へ向かって一直線に走っていたのだ。それに気付いた私は、引いていたはずの血の気が更に引くような思いであった。このままではバイクごと川の中へ転落してしまう。しかも今走っている場所は割と高所になっているため、下に落ちた瞬間に間違いなく自分たちは潰れてしまう。下手すれば川まで届かず地面に激突するかもしれない。まさか麗牙は光弾を避けるのに必死で前が見えていないのではないか、またはこの先に橋がないことを知らないのではないか……そんな焦りから私は何度となく麗牙に危機を知らせようとヘルメットで彼の背中を叩き続けていた。
しかしバイクの走る轟音の中で私の叫びが届くはずもなく、それどころか麗牙はバイクの速度を更に上げたのだ。何キロ出ているかなんて分からないが、明らかに車の出せる限界以上の速度で空へ向かってバイクを飛ばす麗牙。そして──
「ふっ」
「きゃっ!?」
紅のバイクが私たちを乗せて宙を舞った。その時だった。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「へ……?」
私たちを追うオブジェとは違う、獣の咆哮のような声が夜空一面に轟いた。
そして私は見た。
バイクの前方に見える川の中から、巨大な城が浮上するのを。
巨大な水しぶきをあげて、西洋風の王城のような建造物が水面から現れるのを、私の目は捉えていた。
同時にその城から、紫色のドラゴンの頭や手足、そして翼が生えているのもこの目でハッキリと見えていた。
「な……なんなのアレ……」
城と竜が一つになったような物体は、ある意味で先のオブジェにも負けないほどの異常な光景である。恐怖も忘れるほどの困惑が頭の中を埋め尽くしていたためか、自分たちが未だバイクと共に宙にいることすら忘れてしまうほどだった。しかし竜の城は私たちにどんどんと近づいてくる。竜の巨大な眼と牙が近づいてくる光景を前に私は思わず目を瞑ってしまう。
「ふんっ!」
「っ!」
次の瞬間、私の乗るバイクに衝撃が走り、次に黒板を引っ掻くような嫌な高音が耳に響き渡った。高温が止んだ直後にバイクから鳴るエンジンの音も途絶えるが、未だ怖くて私は麗牙の腰にしがみついたまま目を開けることができなかった。
「友希那さんっ。大丈夫ですか! 友希那さん!」
「っ……麗牙……あれ、ここは……?」
麗牙に腕を掴まれて揺さぶられ、ようやく目を開けることができた。気が付けばバイクは止まっており、麗牙がヘルメットを外していたため自分も外して当たりの様子を確認する。
「ガオァァァァァァァァァァァァァ!!」
「っ……今のって、さっきの竜……? もしかしてここって……」
さっきと同じ竜の雄たけびと同時に、巨大な一対の翼が私の視界に映り込んだ。ここはまさか……あの竜の背中なの? 麗牙の運転するバイクはあの川を越えて、この竜の城の屋上に着地したというのだろうか……。
『イジャァァァァァァ』
そう思ったのも束の間、先ほどのオブジェはまだ健在であることを思い出す。オブジェは私たちの立つ竜よりも更に上からこちらを見下ろしており、竜も首を持ち上げてオブジェを睨みつけていた。そしてこの異様な空間においてずっと困惑し、何も知らないのは私だけだった。全てを知るのは目の前にいる、紅麗牙ただ一人だから……。
「麗牙……アレって一体何なの? この竜も一体……」
「……さっきも言ったよね。僕が人間じゃなかったらどうするって。あれ、本当にそのままの意味ですから」
「っ、麗牙……あなたは……」
ここまで非現実的な出来事が立て続けに起これば、彼の話を冗談と切り捨てることはできなかった。この世界には自分の常識では測れない存在がいる、それは真実だと認めなければならない。ならば同じように、人間の見た目をした怪物がいてもおかしくないと、そう考えざるを得ない。
だけど私は彼に何を言えばいいのか……それが分からなかった。怪物だからどうしろと? 人間じゃないから音楽の才能があるのか? どうして人間の自分たちを助けてくれるの? いいえ違うわ。そんな言葉じゃない。今の切なそうな顔をする麗牙にかけるべき言葉は、そんな心無いものであってはいけない。そう心が叫ぶも、今の彼に適切な言葉が思い浮かばない。そして私が掛ける言葉が見つからないまま、彼はバイクから立ち上がろうとしていた。
「友希那さんはあそこから城の中へ。僕は──」
「待って……麗牙は、これから何をするの……?」
私から離れていく麗牙の腕を反射的に掴んで止めてしまう。これから何をするかは分からないけれど、それでも彼が危険なことをやろうとしているということは何故だか感じていた。例え人間じゃなくても、同じバンド仲間として認めてしまった彼が危険な目に遭うのをみすみす見逃せなかったから……。
「──ちょっと、戦うんですよ。友希那さんの見た、金色の猫耳と一緒にね」
しかし彼は優しく告げて、私の腕にもう片方の手を乗せて笑う。そんな彼の姿に私は止めることは不可能なのだと感じ、彼の腕を掴む手の力を緩めてしまう。彼はゆっくり私から離れ、私もようやくバイクから降りて久しぶりに足の裏に地の感覚が蘇る。そして彼は息をつき──
「ねこ──じゃなかった……キバット!」
夜空に向かって叫んだ。瞬間、金色の光が彼の元に舞い降りる。二枚の翼をパタパタと羽ばたかせるそれは、私が先ほど彼の家で見た金色の猫耳に違いなかった。
『へいへいへ~い。猫耳のキバット様ですよ~だ』
「はいはい拗ねないの。とにかく行くよっ」
『はぁ~……それじゃ、キバって行くぜ! ガブッ!』
麗牙がその手を天に差し伸べてた瞬間、金色の猫耳が噛みついた。猫耳の牙からミシミシと音を立てながら麗牙の右手を伝い、彼の身体に何かが注入されているように私は見えた。それはやがて彼の顔にも迫り、まるでステンドグラスのような綺麗な模様が彼の色白の顔を色鮮やかに覆った。
そして──
「変身」
麗牙はその言葉を告げた。
しかしその時、私は昔のことを思い出していた。
昔、まだ私が幼かったころ、お父さんが聞かせてくれたおとぎ話のことを。
──むかしむかし、世界には人間を食べてしまう恐ろしい吸血鬼がいました。
よくあるおとぎ話のように語ってくれたそれは、しかし私以外の誰も知らない、お父さんオリジナルのおとぎ話だった。
──友希那も、こわ~い吸血鬼に会ったらな、すぐに逃げるんだぞ。
だけど、それは本当におとぎ話なのかと思う時もあった、お父さんの語るそれは誰も知らなかったし、それに幼心に妙にリアリティを感じるものだったから。
──しかし、そんな悪い吸血鬼を倒してくれる、正義のヒーローがいました。
そしてお父さんの語るおとぎ話には、必ずと言っていいほどあるヒーローが登場した。
身体を紅色に、ある時は金色に、またある時は漆黒に染めた、蝙蝠のヒーロー。
──そのヒーローの名は……。
「キバ……」
麗牙の変身した紅の姿を目の当たりにした時、私の口から自然とその名が流れ出た。