「友希那さん! こっちです!」
私を見つけた麗牙の嬉しそうな声がCiRCLE前に響く。大成功に終わった合同ライブから一夜明け、日曜日の朝。私は麗牙の家に行くため、彼との待ち合わせ場所にしていたこの場所へと到着していた。一度行ったことはあるとはいえ、あの時はヴァイオリンの音に導かれたままに歩いていたため、どのようにして辿り着いたか未だに分からない。そのためこうして彼に連れて行ってもらわなければならないが……正直、こんなに人が多い中で大声で手を振られても恥ずかしいだけだ。あれじゃあ恋人を待ってるように思われてもおかしくないじゃない……。私は周りの視線から逃げるように人混みの中を駆けていき、ようやく麗牙の元まで辿り着く。
「はぁ、あなたって心臓に毛でも……生えてなければボーカルなんてやってられないわよね」
「すごい言われよう……でも、やってるうちに確かにある程度は動じなくなったかも」
「苦労するわねあなたの仲間たち」
「よく言われます」
そもそも彼は王様だったことを思い出す。吸血鬼、もといファンガイアの王なら、きっと人前で声を上げることなど日常茶飯事なのだろうと、彼の与り知らぬところで勝手な予測を立てていた。
「時間が惜しいから麗牙、早速案内頼めるかしら」
「もちろんですよ」
歩き出した麗牙の数歩後を追う形で私も歩み始める。しかし時間が惜しいと言いながら今回は徒歩での移動にしたのは私の個人的な頼みのためだ。自分の家の前まであの赤いバイクで迎えに来られようものなら、家に帰ってからの質問責めが怖くなる。リサや家族に何と言われるだろうか。彼のバイクの後ろに乗ること自体は嫌じゃないし割と心地良かったが、それとこれとは別だ。あらぬ噂を立てられても困るし……って二人で出歩いている時点で無駄な心配だったわね。
「それで麗牙……曲を作ると言っても、やはり私とあなただけなの?」
そして今日私が麗牙の家に行くのは、彼との約束のためだ。彼の父の曲を完成させるために、共に曲作りをしてほしい。彼の真剣な願いを聞いたのが大分昔のことのように思えるが、実際はまだ五日ほどしか経っていない。あんな経験を……キバやファンガイア……空飛ぶ竜の城なんてものを知ってからまだ五日しか経っていない。時間とはなんてゆっくり流れるのだろうと、今ほど感じたことはなかった。ともあれ、今日は彼の家で時間の許す限りは音楽詰めの一日となる予定だ。故に、今日が本当に自分と麗牙だけなのかと気になり問いかけてしまう。
「曲を作るのは、ですけどね。まあ実際は──」
『オレ様もいるぜ~♪』
「っ……また出た……猫耳の蝙蝠の……えっと……ネコウモリ?」
『ワザと言ってんのか!? キバットバットⅢ世だ!! なんだネコウモリって、そんなダッサイ名前じゃないからな!』
私と麗牙の間に入り込むように、あの日見た金色の猫耳が舞い込んできた。印象のままに名付けた名前に怒られてしまうが、とは言えあの時はちゃんと名前を教えてもらえていなかったわけだし、間違えてしまったことには目を瞑ってもらいたいところでもある。
「まあ、そういうことです。今日はキバットもいるけど、僕がいるところには大体彼もいると思ってくれていいです」
「そういえば、あなたが変身する時に噛みついていたわね」
『そうっ。オレ様こそが、キバの鎧の装着の最終決定権を持つ、由緒正しきキバット家の嫡男だ。麗牙のことは赤子の時から知ってるから、知りたいことがあればオレ様に聞いてもいいんだぜ』
「あ、あんまり変なことは聞かないでくださいね?」
「分かってるわよ」
どこか愛らしい見た目通り、陽気でおしゃべりな印象を抱かせる存在だが、こんな小さな彼が麗牙をキバに変身させているのだと思うとやはり不思議な気持ちになる。この小さな体のどこにそんな力を隠しているのだろうか。それに麗牙を赤ん坊のころから知っているとなると、彼らは相当古い付き合い……恐らくTETRA-FANGのメンバーよりも深い付き合いなのだろう。せっかく彼が──キバットがこう言ってくれているわけだし、偶には麗牙のことを尋ねてみようかと考えていた。
『しっかし友希那、前はよく麗牙の家に辿り着いたな。行こうとして行けるもんじゃないぜアレ』
「え、そうなの?」
キバットにナチュラルに呼び捨てされたことは気にならず、その言葉の意味を知りたくて彼と麗牙の顔を見つめる。
「はい。友希那さんにも言いましたよね、僕はファンガイアのキングだって。でもキングと言うことと、一部の同族から不満を買っていることでよく命とか狙われるんです。だから、僕の好きなあの家の周りにはちょっとした結界などを何重にも張って、悪意のある者、僕を探る者の侵入を拒んでいるんです」
「麗牙が、命を……」
ごく普通に流すように彼は口走るが、その言葉に衝撃を受けてしまう。よくよく考えれば王様という役職には命の危機が付き物だと分かるはずだが、それがまさか目の前の青年もそうであるという考えにどうしても至っていなかったから。何故なら私がよく知る紅麗牙は、天才ヴァイオリニストとして、そしてTETRA-FANGのボーカルとして活躍する、才能のある音楽家だったから。今も私の隣で、何てことないように曲作りを楽しみにしている音楽の好きな一男子高校生だったから。そんな彼が王様という立場であり、そして命を狙われる立場であることなど、この時までは考えることさえなかった。知り合いが……同じステージで同じ音楽を奏でた仲間が命を狙われている。その事実が恐ろしくて、彼にかける声が震えてしまう。
「ら、麗牙は……怖くはないの……?」
「……慣れてしまいました」
「……」
『だ~いじょうぶだって。その時のためのオレ様なわけだし』
そんな私の不安を拭い去るように、キバットが陽気な言葉と共に私の周りを跳ねるように飛び回る。パタパタと動かす小さな翼が可愛らしくて、お陰で少しだけ心が和らぐのが感じられた。だけど、命を狙われることに「慣れた」と言ってしまう麗牙のことが心配になってしまう。そんなのはきっと、慣れてはいけないことのはずなのに……。
「僕のことが気に食わない人がいるのは仕方ありません。僕自身は『来るなら来い』くらいの気でいるんですけど、でもあの家はどうしても守りたいから……」
「今から行く家って、生家じゃないのよね?」
「はい。僕の父さんが建てた屋敷なんです。あの家で僕の父さんと母さんが……ブラッディ・ローズを完成させたんです」
「っ……ブラッディ・ローズ……(あのヴァイオリンを……)」
リサの家で一度だけ見たあの血のように鮮やかな名器を思い出す。私が麗牙の家に辿り着くことができたのも、あの血染めの薔薇の音が私を導いてくれたからだ。
「僕が張った結界を抜けてくるなんて、僕が許した人以外は普通はできません。たとえファンガイアだとしても。だから友希那さんの言う通り、本当にブラッディ・ローズが友希那さんを連れてきたんだと僕は思っています」
「じゃあ、どうしてリサと紗夜もあなたの家まで来れたの?」
「そこですよね。普通はそんなことできないはずなんですけど……」
『だけど強いて言うなら……ついで、じゃねぇかな』
「ついで……? 二人が?」
キバットの言葉に少しだけカチンときてしまう。メインが私で、二人がまるでおまけみたいな認識で捉えられていることに苛立ってしまったからだ。二人だって歴とした一個人であり、そしてRoseliaという他人に誇れる存在だ。今の私はキバットの言葉を簡単に看過できるほど、Roseliaのことを軽く見ることはできなかった。
しかしそんな私の苛立ちを感じたのか、麗牙はすぐに言葉を紡いでいく。
「ごめんなさい、今のはキバットの言い方が悪いです。多分ですけど、僕の結界が友希那さんたち三人を『同一体』だと認識したんだと思います。だから友希那さんが結界を抜けた直後に二人も抜け出せた……だよねキバット?」
『おう。ま、そういうとこだな』
「同一体?」
「三人を同じ存在だと……『Roselia』という一つの存在として認識した……僕はそう考えています」
「っ……私たち……Roselia……」
彼の言葉で生まれていた怒りの感情が泡のように消えていく。そして心の底から別の感情が沸き上がっていた。私たちがRoseliaとして一つの存在であると言ってくれたことが嬉しく、誇らしいという思いがつい表情にまで表れてしまっていた。
「友希那さん?」
「麗牙、一つだけ聞いていいかしら? 紗夜のことだけど、私があなたと出会う少し前、彼女の心の中で何かが大きく変わり進歩した……それはあなたのお陰なの?」
まるで繋がりのない話のように捉えられそうだが、これは今のRoseliaが存在するために重要なことであった。
日菜との関係に悩んでいた紗夜は、ある日ついにその張り詰めた糸に限界が訪れ、一時はまともに演奏が出来なくなるまで追い詰められたことがあった。私も彼女に言葉を投げかけ、戻ってくることを信じていたが、半分賭けみたいなところもあって正直不安が無かったとは言い切れなかった。しかし私たちの元に帰ってきた紗夜は、以前までの彼女とは何かが違っていた。日菜との音楽とも向き合い、自分の音とも向き合う。そんな決意を新たにした、強い意志を持った少女が私たちの目の前にいたのだ。
当初は日菜との間で互いに込み入った話ができたのだと思っていたが、どうやらそれだけではないようだと後で知る。それが彼、紅麗牙の存在だった。紗夜と彼が最初に知り合った時期は、詳細までは分からないが恐らく彼女が悩んでいた時期と重なる。紗夜の麗牙を見る目が信頼に満ちているのも、彼女が麗牙に背中を押してもらったからなのだろうと半ば確信を抱いていた。
「僕は紗夜さんに何かできたとは思ってません。ただ、紗夜さんの心の音が酷く哀しんでいたから、彼女の本当の音が聴きたいって言っただけです。いつか紗夜さんだけの音を聴かせてほしいって」
「……やっぱりあなた、心臓に毛が生えてるわね」
「ええっ?」
『うんうん。自分では気づいてないけど麗牙、あの時のお前すっごく恥ずかしいこと言ってたぜ』
「そんなにっ?」
自分の発言が他人にどう捉えられるかあまり理解できていないのか、彼は途端に慌てふためく。「貴女だけの音を聴かせてほしい」なんて、まるで恋人に囁くような言葉じゃない。そんな彼に頭を抱えたくなるが、その言葉が紗夜の背中を押したのも事実なのだろう。そして彼女は成長し、強くなれた。
だから……。
「(私たちが変われたのも、もしかするとあなたのお陰……なのかもね)」
私は初めてTETRA-FANGのライブを見に行く以前のことを思い出す。実は麗牙と出会う直前まで、私たちRoseliaは崩壊寸前の危機に陥っていたのだ。「本来の
──こんなの、Roseliaじゃないっ!!!!
あこの悲痛な叫びが今でも脳裏に呼び起されることがある。何が悪いのか、どうすればRoseliaの演奏を取り戻せるのか分からず、意固地に、がむしゃらに、ただただ練習だけを続けた結果だった。しかし惨めだと、愚かだと感じる余裕はなかった。私自身も分からないまま必死に暗闇を走り続けるしか出来なかった。だって私は、それしか知らなかったから……。そして私は、本来ならそのまま迷走を続けて惨めに散りゆくはずだったのだろう。
しかしそうならなかった。
暗闇に沈もうとする私を紗夜が救い上げてくれたのだ。彼女は私に言った。今の自分は、かつての日菜に対抗する自分ではない「Roseliaの氷川紗夜」。そうであるように、私ももはや父の影を追うだけの湊友希那でないのだと。なら私は何なのか……その答えはすぐに出た。いや分かっていたのだ。私は既に「Roseliaの湊友希那」であったのだと。
ようやく分かった答え……私たちは個人の集まりではなく「Roselia」という一つの薔薇なのだと、ようやく思い知ることが出来た。その答えに全員が至った時、Roseliaというグループは再び一つになることが出来たのだ。一度バラバラになるまで気付けないほどまで私は、いえ、私たちは自分だけの音を磨いてしまっていた。目標だけを見つめ、Roseliaそのものを誰も見ていなかった。しかしこれからは違う。「私たちはRoselia」だという意識を全員が抱いて音楽を引き奏でていく。それがこれからの私たちの新たな音楽なのだと、ようやくRoseliaは再スタートすることが出来た。
「……ありがとう」
私は麗牙に小さく礼を言う。私に必要な答えを気づかせてくれたのは紗夜。しかし彼女にその強さを与えたのは他でもない麗牙だ。だから、私は彼にも救われたことになるのだろう。
「はい」
彼は紗夜のことで礼を言われていると思っているのだろう。私が感謝していることなど夢にも思わないでしょうし、Roseliaを助けるきっかけになっているのだって知らない。多分知るのは私と紗夜だけ。彼に知ってほしいとも思わないし、知ったところで困惑するだけだ。だからこのまま私は彼には何も言わず、ただ彼に薄く笑いかけるだけだった。
やがて、私たちの目の前に大きな屋敷が姿を見せる。以前も見た、麗牙が暮らす家であった。
「『Roselia』という一つの存在……か」
彼の言葉を思い出してまた呟く。私たちが揃ってここに辿り着けた理由が本当にその言葉の通りなら、今の私たちは間違いなく「Roselia」になれているのだろう。だからこそ、先ほどの麗牙の言葉が嬉しくてまた微笑みが生まれてしまう。
「さあ、どうぞ中へ」
「ええ。お邪魔するわ」
キィィと音を立てて大きな鉄格子の門を開け、麗牙は私をその敷地内へと招き入れる。一度来たことがあるのだから大して思うところはないけれど、やはり改めて考えると少しだけ緊張してしまう。異種族の王様に招かれるということもあるが、何より異性の一人暮らしの家に招かれるなんて以前の私なら絶対にあり得なかっただろう。しかしそれを越えてでもここに来ることを望んだのは、彼の天才的な音楽性に惹かれたこと、そしてリサを救ってくれた彼の人間性への信頼のため。
そしてもう一つ……彼に尋ねたいことがあったからだ。
先日、お父さんにTETRA-FANGについて話した時だった。ボーカルのRAIGA──「紅麗牙」の名を伝えた時、お父さんは少しだけ目を見開いたような反応をしたのだ。そして私に訊ねてきた。
──紅……友希那、もしかしてその子の父親の名前って……。
もちろんその名前も麗牙から聞いていたし、私も少しだけ調べていたからすぐに答えることが出来た。麗牙と同じで天才ヴァイオリニストと呼ばれていた人で、ネットでもすぐに見つけられたから当然お父さんも知っている人だと思っていた。しかし、その名を聞いた時のお父さんは反応は少し予想外で、今まであまり見ない挙動をしていた。
――っ……そうか……そうなんだな……。
息を飲み、しかしすぐに落ち着いてほっとしたような、どこか懐かしむように目を細めていた。あまり見たことのない父の珍しい姿。昔の有名人の名を聞いたような顔には見えず、むしろ友人の名を聞いたような穏やかなその表情が気になって仕方なかった。お父さんはその後何も言ってくれなかったが、そこに何かがあることは間違いないと私は踏んでいた。
だから今日、私は麗牙に尋ねることにしたのだ。
彼の父親──紅オトヤについてのことを……。