「……ここまでは作れたんですけど」
「前にリサの家で弾いてくれたパートは?」
「ごめんなさい。正直なところどうやって弾いたかあまり覚えていないんです。あの時はただ感じるままに音を奏でていたから……」
友希那さんを二階の作業室へと通し、現状の確認として完成しているパートの演奏を披露する。しかし友希那さんが訊ねたように、以前にリサさんの家で奏でることが出来たあの奇跡の旋律を再び奏でることが出来なかった。あの時の曲はみんなの心が……生命が音楽と共に繋がり、そして生み出された奇跡の産物だと僕は今でも思っている。
「なら、リサたちも呼んだ方がよかったんじゃないの?」
「ううん、アレはあの時だけの音楽だから」
僕は友希那さんにアレを再現する必要はないと伝える。あのメロディは、あの日あの場所でリサさんにとって必要だった唯一無二の音楽だったからだ。そして今から作るのは彼女専用の曲であってはならない。父さんから継がれた生命の音楽を次に繋がるためのもの。誰の心にも響かせられる壮大な生命の輪を描きたかった。
「分かったわ。だけど、やはり歌詞くらいはあった方がいいんじゃないかしら」
「歌詞……」
「あなた、前に『唄って』と言ったのを忘れたの? まだ未完成だけど、この曲が素晴らしいということは私にも分かる。でも、今のままだけじゃやはり何かが足りない気がする。だからそれを掴むまでの間だけでも、前に歌ったような歌詞を入れるべきだと私は思うわ」
友希那さんの言葉に僕は少しだけ目を見開いた。父さんから継がれたこの曲には本来歌詞は無かった。なのに何故あの時に彼女たちに歌ってと頼んだのか、これもまたハッキリした理由は分かっていない。僕がヴァイオリニストである以前にボーカルであるためだろうか……以前の紗夜さんとのセッションでも彼女に歌わせていたけど、僕は曲に詞がある方が好きなのかもしれない。
でもどうやって歌詞を入れる? 今のまま歌詞を入れても単に演奏の上に言葉を付け足しただけの曲になってしまう。演奏だけの曲とボーカル有りきの曲ではそもそもの作りが違うのだから、普通にこのまま作詞を始めるわけにもいかない。何か詞を入れるために出来ることがあるはず……っ!
「……あ」
「そうだわ……」
その時、僕の頭に一つの考えが浮かび上がり、抜けるような声が口から漏れる。
「「バンド」」
友希那さんも同時にその答えに辿り着いたのか、僕たちの声が重なっていた。少し驚いて友希那さんを見ると、彼女もキョトンとした目で僕の方を見つめていた。
「……っはは」
「……ふふっ」
互いに目を合わせて、そして何故そこに気付かなかったのかと可笑しくなってつい笑い出してしまう。昨日の合同ライブを思い出し、確信したのだ。僕らの音楽は間違いなく繋がっていた。演奏している僕らだけでなく、会場に来てくれた観客たちも一体になっていた。父さんが遺した生命の輪を謳うこの音楽を、ヴァイオリンだけで奏でるには勿体ない。そう、昨日のように全ての生命が一体となれる空間において披露されるのが相応しいと、僕も友希那さんも感じていたのだ。
「なんで今まで気付かなかったのかな……でも多分、昨日のライブのお陰かも。ありがとうございます、友希那さん」
「礼なんて必要ないわ。私はただやりたかったから誘っただけだから。それよりも、その曲をバンドで演奏できるようにするなら相当アレンジを加える必要があるわよ?」
「結構骨ですね」
「私がいてよかったわね」
「助かります」
彼女のお陰で方針が決まった。父さんがヴァイオリンの曲として遺した旋律を、僕たちなりにボーカル付きの曲にアレンジする。バンドで披露できるように……恐らくロックテイストの曲になるだろうが、父さんなら許してくれるはずだ。
友希那さんがTETRA-FANGに興味を持ってくれなかったらこのスタートラインに立つことすら出来なかっただろう。曲作りも手伝ってくれると言ってくれたり、本当に彼女には感謝しかない。
「そうだ友希那さん。キーボードはそこにありますけど、他に何か要るものはありますか? ギターやベースなら用意できますけど」
「そうね。ならギターを貸してもらえるかしら」
「了解。少し待っててください」
部屋から飛び出して他の楽器を保管している部屋に向けて走り出した。ずっと停滞していた父さんの曲の製作にようやく光が差し込んだのだ。こんな嬉しいことはなく、僕は逸る気持ちを抑えきれずに見慣れた廊下を駆け抜けていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……少し休憩しましょうか」
「そうね……」
麗牙の父の曲をバンドで演奏するようにロックテイストのアレンジをすると決め、曲作りを始めてから早二時間。製作は早くも行き詰まっていた。理由はよくある互いの音楽性の違い……とまではいかないが、互いにその曲に抱いたイメージに若干のズレがあったからだ。曲の出始めの方こそ意見は一致したけれど、どの楽器のパートを重点に置くかで意見が分かれ、やれ八ビートにすべきだ十六ビートにすべきだ、この音は合う合わない、ここにストリングスを入れるべきだ入れないべきだ等、編曲だけでこの有様だ。そもそも誰が歌うことを前提にするか、ということすら決まっていない。これではいつまで経っても作詞に手が回る気配がなかった。リズムはある程度固まってきたりと全く進んでいないわけではないが、これ以上互いにヒートアップしてもいい音など思いつくはずがないので、麗牙の提案に則って休憩に入ることにした。
「しばらくゆっくりしててください。また呼びますので」
麗牙が去り、音を立てて扉が閉まっていく。同時に空腹を感じて時計に視線を向けると、時刻は今まさに正午に至ろうとしていた。
「(そう言えば曲作りのことばかり考えていて昼食をどうするか決めてなかったわね)」
弁当でも持って来ればよかったと俯いて少しだけ後悔した後に再び顔を上げ、私は今一度この部屋を見渡した。作業室とは言っていたが、その割には広く快適で、お洒落な雰囲気が全体的に広がっている。そこにある楽器らしい楽器といえば、先ほどまで私たちが編曲のために使っていたキーボードとギターに、普段彼が使っているヴァイオリン。そして……。
「ブラッディ・ローズ……」
私の記憶から消えることのない色鮮やかな旋律。心を包むような聖母の如く優しい調律。それらを全て表現してしまう、ある意味で魔性の楽器と言っても過言ではないその名器を前にして、私はまたも息を漏らしてしまう。だが、ブラッディ・ローズが保管されているケースのすぐ脇に見覚えのある写真を見つけて意識を現実へと戻す。
「確かこの人が……紅オトヤ……」
写真の中で麗牙に似た赤毛を靡かせて、ヴァイオリンを弾く男性。ネットにも写真が残っていたから私もその顔を知っていた。世界的ヴァイオリニストの紅オトヤであり、麗牙の父親でもある人だ。
彼は今も写真立ての中で生き生きとヴァイオリンを奏でる様子が映し出されており、それを麗牙の宝物であるブラッディ・ローズと共に飾っている辺り、彼の父に対する強い想いが垣間見える。
しかし写真は一枚だけではない。ブラッディ・ローズを挟んで反対側に、小さなアルバムの一頁を贅沢に使ったその真ん中に、見たことのない特徴的な写真が一枚だけ挟まれていた。
「……何なの、この写真」
全体的に靄がかかっているように見え、パッと見だとただの下手くそな写真に思えてしまう。しかしその写真をよく見ると、非常に味わい深い物だと分かった。写真の曇りは靄というよりは色鮮やかなオーロラと言った方が適切な幻想さを孕んでいた。そして何より、そこに写るヴァイオリンを奏でる麗牙……その後ろに、まるで見守るように共にヴァイオリンを奏でる紅オトヤの姿があったのだ。何故現代の麗牙と、既に亡くなって長い彼の父が同じ写真に写っているのか。普通なら怪奇現象だと思ってしまうところだろう。
しかしその写真にはどこか温かみがあった。私にはそれがただの心霊写真とは思えず、本当に麗牙の父が彼と共に写真に撮られたのだと、そういう風に感じていた。もしかすると本当に麗牙の父が彼に会いに来てくれたのではないか、そう思わせて然るべき想いが写真から伝わってきたのだ。だから、麗牙がこの写真を大事にブラッディ・ローズと共に飾っているのも理解できた。
「この部屋、まだまだいろいろありそうね」
そうして大事そうにガラスケースの中に保管されているヴァイオリンや写真から離れ、部屋の中を散策しようかと思った時、また一つ目を惹くものがすぐに見つかった。
「何なのかと思ったけど……MDね」
小さい頃こそよく見たが、今ではめっきり見なくなってしまった
「『This love never ends』……この愛は終わらない……紅オトヤ」
その時、私の中で好奇心が他の感情を置き去りにしてしまう。ちょうど目の前にMDを再生することのできるプレーヤーがあったことも原因だろう、私は機材にディスクを差し込んでいた。悪いとは感じながらも、麗牙の父……そしてお父さんにも関係がありそうな彼の曲を一度聴いてみたくて、再生ボタンに指を伸ばしてしまう。そして……。
「っ? これ……ロック?」
聴こえてきた男性ボーカルの声に驚いてしまう。聴いたことのない歌声だが、恐らくこれが紅オトヤの歌声なのだろうと何故か感じてしまっていた。麗牙の父親については世界的ヴァイオリニストということしか聞いていないが、まさかこんなあからさまなJ-POPを歌うなどとはまるで想像していなかった。
耳を澄まして聴く彼の歌は、正に愛の詩だった。愛する者に自分の輝きを見せつけるように歌う姿。全体的に熱く叫ぶような曲調だが、どこか愛する人に囁くようにも聴こえる繊細さ。ただただ純粋に、情熱的に愛を叫ぶ歌だった。それはまるで、紅オトヤという人物の人となりを表しているかのように……。燃え上がるような恋なんて今の私には理解し得ないのだろうけど、でも少しだけ身体が熱くなる気がしていた。それほどまでに、彼の謳う「愛」が心に響いていたのかもしれない。
「……調べても出てこないわね」
予想を超えるほどの愛の詩に圧倒され、曲が終わってもしばらくじっとしていた私は思い立ったように携帯からそのタイトルを検索する。しかしどこにも今の曲に当たる結果は見つからなかった。紅オトヤという世界的ヴァイオリニストが関わっている楽曲ならば記録に残っていてもおかしくはないが、ネット上には影も形もない。だから私は一つの仮説を立てた。この曲は彼が作り上げたものの、未発表のままここで眠りについているのだと。
「他のディスクには何が……」
今の曲が誰にも知られていないという若干の口惜しさを抱きながら、列に並んでいる他のMDにも手を伸ばしてプレーヤーに入れて再生させてみる。しかし今度はどれもがヴァイオリンのみで奏でられた曲であり、案の定ディスクに書かれていたタイトルの殆どが検索にも出てきた。やはり知られないままになっているのは、私が最初に手に取った愛の詩だけなのだろう。
その理由を麗牙は知っているのだろうか? お父さんにこの曲を聴かせたらどんな反応をするのだろうか? そんな疑問が解けることを期待して、後のことが楽しみになって来た時、今度は離れた机の上に散らばる用紙が目に映った。
「これは……」
さっきまでの曲作りの合間では誰も座ることのなかった席の前に立ち、その用紙のうち一枚を手に持つ。「仮題:黒薔薇」と書かれた文字が斜線で消され、隣に「Rainy Rose」と書かれた、彼手製の歌詞カードだった。それは昨日の合同ライブで麗牙と燐子の二人で奏でたあのバラードのことだとすぐに分かった。ただ、昨日は披露されなかった曲の二番に値する部分の歌詞が一部訂正されており、昨日のライブの後に彼が書き直したのかもと想像できる。
私は更にもう一枚の用紙を手に取り、そこに書かれた仮題を読み上げた。
「超新星……」
とても迫力のあるイメージを抱かせる言葉だが、これは一体何を謳っているのだろうか。その輝かしい響きのするタイトルが、夜や闇をイメージするキバに合うとは思えない。制作途中の歌詞を読めば少しは謎が解けるだろうか、そう思って読み進めようとした時だった。
「(あふれ出す感──)」
「はいストップ。ここから先は企業秘密です」
「──っ、麗牙……そうね、悪かったわ」
突然横から割り込んできた麗牙に歌詞カードを取り上げられ、続きが分からなくなってしまう。しかし彼の言う通り、まだ未発表の曲を他人に見られるのは気分のいいものではないはずだ。自分が恥知らずな行動をとっていたことを思い出して彼に謝罪する。
しかし、やはり気になることは気になるので、彼に問い質してしまう。
「ごめんなさい麗牙。さっき、あなたの父の曲を勝手に聴いたのだけど……この曲は何なの?」
「それは……父さんが歌った数少ない曲の一つですけど、収録後に完成を待たずして……」
「……ごめんなさい。辛いことを聞いて」
「いえ、でも本当は僕も分からないんです。ここまで完成させておいて、どうしてお蔵入りにしたのかって。だけどこればかりは誰が関係者なのかさっぱり分からなくて……」
「そうだったの」
アーティストの遺作が死後に出回ることは珍しくない。しかしこの曲がこのままになっているということは意図があるはずだ。問題はこの曲の製作に携わった関係者がどこにいるのか、何故そうしたのかが分からないという点なのだが。
「なら、もう一つ質問。あの写真は何なの? 誰が撮ったの?」
今はこれ以上この曲について踏み込むのは宜しくないと感じ、今度は麗牙に例の写真について問い質す。彼はガラスケースを開けてアルバムを取り出し、あのオーロラのかかったような不思議な写真を見つめていた。
「この写真も今は僕の宝物です。父さんが写っているのも、
「あの人?」
「ただの
不思議な旅人もいるものだと、彼と同じように写真を見つめて思う。写真の中で麗牙と同じようにヴァイオリンを奏でる紅オトヤ。髪の色以外はあまり似てる気がしない気もするが、こうして全く同じように楽器を構えるのを見るとやはり二人は親子なのだと感じてしまう。
「麗牙……私、もう少しあなたの父について知りたいのだけど」
「はい、いいですけど……先にお昼にしませんか? 用意もできてるので」
「え?」
時間を忘れて彼の父親の音楽を聴き入っていたのか、気付けば麗牙が部屋を出て三十分近く経過していた。彼に誘われて一階へと降り、促されるまま机に向かう。私の向かいの椅子との間を陣取るようにキバットも机の上で何かを待っているが、用意できているということはもしかしてそういう意味なのだろうか? それから間もなくして麗牙が何かを持ってきて私たちの目の前に並べてくれた。これは……。
「オムライス?」
「はい……あの、もしかして食べれないとかじゃないですよね?」
「いえ、そうじゃないわ。大丈夫よ、ありがとう。でも少し意外ね、麗牙も料理するなんて」
『一応これでも一人暮らし始めてんだぜ? 料理くらいできなきゃな』
「そ、それもそうね……」
キバットに指摘されるまで忘れていたが彼は一人暮らしだった(キバットが居る時点で一人なのかは甚だ疑問だが)。ならば料理の一つや二つくらい出来なければやってはいけないのだろう……と自分のことを振り返って少しだけダメージを負う。料理……うう……またリサの呆れる顔が目に浮かぶようだわ……。
「因みに、どうしてオムライスなの?」
「え? それはまあ、僕の一番の得意料理ですし……それに、父さんの好物だったいうのもあります」
「オムライスが?」
「はい、オムライスが」
麗牙の父──紅オトヤもまた麗牙と同じでファンガイアだったと聞く。そして同時に彼の先代の王様でもあり、一族を統べていた人物だとも。あの竜の城の奥で玉座に座る光景も想像していたが、そんな人物の好物がまさか普通の家庭料理だとは想像もつかない。意外と庶民的な人物だったのだろうか? そう思うと案外接しやすい人物だったのかも知れないと、目の前のその人の息子を見て一層思えていた。
「麗牙もオムライスは好きなの?」
「はい。ただ僕の場合は父さんのことよりも、これが母さんから教わった唯一の料理って言うのが大きいかも」
「そう……麗牙の母親って?」
「それは〜……あ〜ははっ、話すと長くなるのでまた今度でいいですか?」
「……分かったわ」
彼の少しだけ弱ったような表情を見て、今すぐ踏み込むべき領域ではないと即座に判断できた。彼の様子からして恐らく存命中なのだろうけど、やはり彼の出生の都合上、その人間(?)関係は複雑になりがちなのだろう。流石にはぐらかされてばかりだと信用されてないようで良い気分ではないのだけれど、そこは仕方ないと諦めるしかない。本当に信用されてなかったとしても、彼の信用を勝ち取ればいいまでのことだから。
『オイオイお二人さん、お喋りもいいけど早く食べようぜ。冷めちまうじゃねぇか』
「そうだね。じゃ、いただきますっ」
『オレ様もいっただきまーす!』
「いただきます」
しんみりした空気を払うように麗牙とキバットは明るく振る舞い、黄色く輝くそれにスプーンを立てていく。キバットサイズのスプーンや皿がある事も驚きだが、それを見事に扱う彼の器用さにも驚かされる。私もそれに遅れる事なく玉子のベールにスプーンを立て、立ち上がる湯気と共に彼の料理を口に運んだ。
「……美味しい」
口に含んだ瞬間、口の中全体に甘みが広がり、次の瞬間には身体が温かく包まれるような感覚が湧き上がりつい頬が緩んでいた。決して食べ慣れない料理ではないが、トロッと溶けるような玉子の膜とチキンライスの組み合わせはこんなに幸せな味がしただろうかと不思議に感じてしまう。
「これ、本当に麗牙が作ったの?」
「もちろん」
「……料理の才能もあるんじゃないかしらあなた」
「あはは、どうかな。それは言い過ぎですって」
また謙遜を、と内心で呟きながらもスプーンを運ぶ手は止めない。だって本当に美味しいのだから仕方がない。もしかして彼の父が好きなオムライスは普通のそれじゃなくて、麗牙の母親が作ったオムライスのことなのでは? 今も私の頬を緩めさせる上品な味、それを教えたと言う彼の母親のことも考え始めていた。
『なぁ友希那。美味しいオムライスを作るコツって知ってるか?』
「コツ?」
未だ口の中で蕩ける甘い料理を嗜んでいると、突然キバットが問いかけてきた。美味しいオムライスを作るコツ? この料理のように、だろうか。ならば麗牙や彼の母親もそうしているのだろうかと思い、少しばかり気になってキバットに耳を寄せていた。こんな美味しいオムライスを作る方法があるのなら、聞いておいて損はないだろう。実際に作る作らないはさて置いて、だけど。
そして僅かにニヤリと笑みを浮かべたキバットは、囁くように私たちに告げた。
『それはな……最後に「愛情」を加えるんだ』
「「っ……ゲホッ、えほッ」」
キバットの言葉と共に食事が喉に痞え、大きく咳き込んでしまった。前を見ると麗牙も同じように咳き込んでおり、キバットの答えが彼の想像と違っていたことの証明になっていた。
『そーんなむせ返るようなことじゃねぇだろ? ほら言うだろ? 料理は愛情!』
確かに「料理は愛情」とはよく言う言葉だが、何も今ここでいう必要はあっただろうか。愛情……その意味をしっかりと理解できるまでには未だ至っていないけど、どれだけ重くて大事な言葉かは分かっているつもりだ。親愛、友愛、隣人愛……そして私もまだ知らない、恋愛。知らない故に滅多に使わないその言葉をここで言われるとは思わず、気恥ずかしさを感じてしまっていた。せっかく料理の温かみに包まれていたのに途端に熱さに見舞われて台無しだ……何故身体が熱くなってるかは分からないけど。
「ま、まあ父さんなら絶対に言ってそうかな」
「そう言えば……さっきのあなたの父の歌でも『愛』について謳っていたわね。そういう情熱的な感じの人だったのかしら」
「僕も全部を知るわけじゃないけど、それで間違いないと思います」
同じように顔を赤らめて手で押さえていた麗牙も復活し、私の質問に胸を張って答えてくれた。今日この家で知れた紅オトヤについてのこと。彼は愛に生きた人……そんな印象を抱かせたが、麗牙の言葉を信じるならそれで間違いないのだろう。
「(愛……か)」
しかしやはり分からない。確かに自分はいろんな人から愛情を受けていたのかもしれない。だけどそれが具体的にどういうものなのか、どんな感情を抱くものなのか。単に人に好意を向けることを愛と呼ぶのか。人を思い遣るだけのことも愛と言えるのか。意味を調べてもあまりに不明瞭で曖昧な定義故に、私は未だ掴めていない。
私は未だ、「愛おしい」という言葉の意味を知らないでいた。
「『愛』って何なのかしらね」
「そうですね……僕もまだ勉強中です」
「そうなのね……少しホッとしたわ」
「えっ? どうして?」
「さあ? 何故かしら」
あなたに置いていかれていないことが分かったからよ、などとは決して口に出さず、意地悪く笑って彼のオムライスを口に運ぶ。
「(美味しい)」
いつか分かる時が来るのだろうかと、心のどこかで期待していた。何故だか見えない未来に不安は感じず、いつかは知るのだろうという確かな予感だけが私の中で生きていたから。
少なくとも、紅オトヤの曲を完成させるには愛を理解する必要があるのだろう。あれほど愛を熱く謳う人なのだから、きっと曲にもその想いが秘められているはずだ。
「(今度、リサに料理でも教わってみようかしら)」
愛を知る方法は分からないけど、偶には音楽以外のことにも目を向けてみようかと思えるようになっていた。
彼と同じようにオムライスくらい作れるようになれば、その意味に近づけるような気がしていたから……。