ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『ストーカーに追われ、皆に迷惑をかけまいと人知れず街を出ようと藍瑠。そんな彼女に麗牙は、蘭に言葉を残すように告げる。そしてストーカー男の本性の一部をアゲハから聞いた麗牙は、その胸に静かに覚悟を決めるのであった』


第36話 あたしの真実

「どうしたんだよ、改まって話って」

 

 月曜日の授業が全て終わった放課後、ギターケースを背負って一人校門を抜けたあたしを呼び止める声があった。それは昨日出会い、共にギターでセッションまでした藍瑠だった。彼女は可愛らしく灰色のポニーテールを揺らしながら「話がある」とだけあたしに言い、それについていく形でしばらく互いに無言で歩き続けた。しかしいつまで経っても止まることも喋ることもない状況に次第に落ち着かなくなり、藍瑠に何の用があるのか問い質していた。あたしの声でようやく立ち止まり、深く息をついてゆっくりとこちらに振り返る藍瑠。その顔は昨日のセッションで見た楽しげに笑う彼女ではなく、初めて見た時と同じ寂しそうな色を含んだ表情をしていた。一体何が藍瑠をそんなに悲しませるのだろうか。

 その答えを想像するよりも先に、藍瑠はあたしの目を見つめて、そしてポツリと口にした。

 

「ごめん……ホントはさ、お別れを言いたかったんだ」

 

「は?」

 

 お別れ? まさかもうここを旅立ってしまうというのか? 最初は彼女がいきなりそんなことを口にするとは思わず、思考が止まって何も考えることが出来なかった。いや待ってほしい、いくらなんでも急すぎる。何故そんなに急ぐ必要があるのか。そんな想いが遅れてやってきて、あたしはようやく次の言葉を出せた。

 

「ちょっと待って。いきなりそんなこと言われても……Afterglowのみんなにも紹介するって言ってしまってるし、みんなだって楽しみにしてるのに。もう少しこの街にいても……」

 

「ダメだよ。アイツが来た以上、みんなに迷惑はかけられない。だから私は行かないと。でも、蘭にはせめて……言葉を残していきかったから」

 

 アイツ……藍瑠のストーカーのことだろう。周りに迷惑をかけられないからと、彼女はまた一人旅立とうとしている。多分これまでずっとそうであったように、今もまた一人で大変なものを引き受けようとしている。自分に関わる問題なら当人が解決すべきなのかもしれない。だけどあたしは、寂しそうに別れの言葉を告げようとする彼女に納得がいかなかった。

 

「じゃあまだ言わないでよ、別れの言葉なんて」

 

「え?」

 

「したくもないことなんてする必要ないじゃん。旅してギターを弾いてきたように、藍瑠のやりたいことやればいいんだよ」

 

「私のやりたいことは……」

 

「分かるよ、何となくだけど。藍瑠、本当はまだ出たくないんでしょ? あたしと一緒にギター弾きたいんでしょ? だったら気が済むまでここにいればいいんだよっ」

 

 旅立つことが藍瑠の望むところではないことくらい直ぐに分かった。昨日のセッションで見た心から笑う彼女の笑顔と、今の悲しそうに薄らと笑う彼女の違いなんて口にするまでもない。だからあたしは迷わずに藍瑠に言うことができた。今まで追われるように旅してきた藍瑠に、ここに居ていいんだと。藍瑠の心の望むままにしていいんだと。あたしだって、せっかく出会った気の合う同志とまだまだ語り合いたいことがあったから……。

 

「でも私がいたら、また──」

 

「あんな変な男がなんだ! そんなの何回来たってあたしたちが守ってやるよっ」

 

「──っ……蘭……」

 

 彼女の嫌がるものがあるなら、あたしは彼女を守ってあげたい。

 彼女がこれ以上無理な旅をしないように。

 彼女がこれ以上寂しい気持ちにならないように。

 彼女がこれ以上泣いてしまわないように。

 

 あたしは、目の前の逞しくも繊細な少女を助けたいと願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「守れるかなぁ〜? 君に……」

 

「っ!」

 

 あたしたちの会話を引き裂く無粋な声に振り返ると、昨日のストーカー男がニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべながらこちらに歩いてきていた。あたしは藍瑠を守るように彼女と男の間に立ち、男の目を鋭く貫くように睨んだ。

 

「いい加減帰りなよ。藍瑠はアンタのことなんかこれっぽっちも眼中にないから」

 

 この手の輩は恐らく言っても無駄なんだろうけど、少なくとも自分たちには抵抗する意思はあると示す必要があった。何も出来ない女の子だと舐められていたら、それこそ男の思うままにされてしまう。だからあたしは拒絶の意を込めて啖呵をきり、男を強く睨み続けていた。

 

「……あっはははっ」

 

 

 しかし、男は普通ではなかった。

 

 

 性格とか性根とかそんな問題じゃない。

 

 

 もっと根本的なところであたしとは違っていた。

 

 

 あたしとは済む世界が違う……まるで別次元の存在だった。

 

 

「あっはっはっは! 何を思い上がるのかなぁ人間風情が。私たちにとって眼中にないのは……君の方だよ!」

 

「ひっ!?」

 

 男が声を荒げた瞬間、その顔にステンドグラスのような鮮やかな模様が浮かび上がった。その異常さに叫び声を上げる前に、更なる変貌が男に訪れる。彼の細身の身体が瞬く間に肥大化し、全身を黒に染め、腕と脚が巨大な大樹のように変化し、全身にステンドグラスを張り巡らせたような怪物が現れていた。人のものではなくなった顔の鼻の上に一本の角があり、サイのようにも見える。そんな全く見たことも聞いたこともない怪物を前に恐怖と衝撃を抑えきれず、叫び声を上げてしまう。

 

「ひ……ぁ……(なに……なんなんだ、アレ……)」

 

 自分の常識にあってはならない異形を前にして、声すら出せずに怯えてしまう。目の前な存在から伝わる圧倒的な強者の風格……人間では決して敵わないという本能的な恐怖に突き動かされ、全身の震えが止まらなくなる。産まれたての仔鹿のように脚を震えさせながらじわじわと後退し、ついに尻から転けてしまった。立たなければと身体を起こそうとするも、思うように身体に力が入らない。恐怖の中、生命の危機だというのに、あたしの身体の生存本能は生きるのを諦めようとしているようだった。

 

「待って」

 

 もうダメかもしれない。そう感じた時、あたしの前に立つ小さな影があった。灰色のポニーテールが揺れて、その存在を思い出す。あたしが守ろうと背にした藍瑠が、あたしと怪物を隔てるように立ち塞がっていたのだ。

 

「蘭には手出しさせない」

 

 人智を超えた怪物を前にしているというのに、藍瑠は物怖じすることなく平然として立っていた。その姿もまた異様に思えて、彼女が遠くの世界の存在のように思えてしまう。遠くの世界……あの怪物のように? まさか藍瑠は……混乱するあたしを前に、藍瑠は振り向いて、優しく、悲しそうに告げた。

 

 

「貴女のことは……私が守るから」

 

 

 彼女があたしに告げた瞬間、彼女の身体にも変化が起きた。

 

 目の前の男のように藍瑠の身体の輪郭が変化していき、やがて人間の原型がなくなっていく。

 

 しかし男のサイのような巨大な黒い体躯ではなく、細い小柄の灰色がそこに現れていた。

 

 共通しているのは、全身に張り巡らされたステンドグラスのような模様。しかしそれ以外はまるで違っていた。

 

 ドレスのような薄いローブを腰回りから靡かせ、頭部からは少し突き出た口のようなものが下に向いて飛び出ている。

 

 まるでイルカのような異形が、さっきまで藍瑠が立っていた場所に出現していた。

 

「あい、る……?」

 

「ごめん蘭……私も……人間じゃないんだ」

 

 身体のステンドグラスに藍瑠の哀しそうな顔が浮かび上がる。突然のことで混乱し、情報が頭で処理しきれずに意識が飛びそうになっていたけど、藍瑠の泣きそうになる声を聞いて途端に意識を現実へと戻した。

 

「藍瑠は……」

 

「大丈夫だから……蘭のことは私が守る」

 

 とても強い決意の篭った言葉を残して、彼女は男が変化した黒い異形へと走り出していった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「ダァアァァァッ!」

 

 黒と灰、二つの異形がぶつかり合う。藍瑠は自分の細胞からレイピアのような細身の剣を生成し、黒い異形──ライノセラスファンガイアへと突き付けた。しかしライノは剣先を避けようとはせず、自慢の巨大な拳で迎え撃つ。力が交差する瞬間、キン、と高い音を立てるだけで、ライノの拳には傷一つ付いていなかった。しかし藍瑠はそれを気にする素振りも見せず、攻撃の手を緩めることはなくライノへ向けて何度も剣を振りかざしていた。

 

「(ダメだ……藍瑠の攻撃が全く効いてない……)」

 

 異形同士の戦いを藍瑠の後ろで見守っていた蘭は、藍瑠が不利なことを悟っていた。蘭は知る由もないが、藍瑠──ドルフィンファンガイアはアクアクラスに属する存在であり、その真価が発揮されるのは水中となる。力も速さも元より弱い彼女が格上と戦うには、水辺で戦うことが必須条件であった。それに対してビーストクラスに属するライノセラスファンガイアは、ファンガイア族の中でもトップクラスの力を誇る正に怪物中の怪物である。生半可な力や速さ、小手先の技など、持ち前のパワーと防御力で無に帰してしまう。

 故に相性的に不利な藍瑠が押されてしまうのは必然的なことであった。

 

「くっははははっ! 痒い痒い。どうしたんだいアイルちゃん。そんな程度じゃ、君の素晴らしいご先祖も泣いてしまうよ?」

 

「っ!? お前っ、私の家のことまでっ」

 

「あぁ知ってるよ。この国で貴石(たかいし)家といえば、昔から続くファンガイアでも高名な血統だからね。まさかその家の君が家出なんてするなんて。はははっ」

 

「笑うなァ!」

 

 ライノの笑い声を振り払うように剣を振りつつも、藍瑠は自分から血の気が引いていくのが分かった。今まで誰にも自分の苗字を名乗らなかったのは、全て家の人間に迷惑をかけないためだった。しかし目の前の男は自分の生まれの苗字を知っていた。自分の実家のことも。それの意味するところを考え、最悪の予想をしてしまった。

 

「お、お前……家族に手を出したんじゃないよな……っ」

 

「ははははっ、まさか。私の妻となる人の大事なご家族だ。ああ、でも挨拶ぐらいはした方がよかったかな?」

 

「ふざけんなっ!」

 

 引いていった血の気が一気に寄せてきた藍瑠は、ライノに飛び掛かって拳で殴りかかった。だがライノは軽々とその拳を掴み、絶えない笑みを藍瑠に見せ続けていた。

 

「いい加減私のものになりなよ。私も君と同じ、古くから続く誇り高き血を受け継ぐ者だ。そんな気高き私の子を産んでくれるのは、それは同じく由緒正しき血が流れる君しかいない」

 

「マジでキモいんだけァぐっ!? うァッ……っ!」

 

 ライノが藍瑠の拳を受け止めた手を握りしめた途端、藍瑠から苦悶の声が漏れ出した。人ならざる身であり人間とは一線を画す力を持つ藍瑠ではあったが、目の前の存在はそんな異形すらも圧倒する暴力を秘めていた。振り解こうにもライノの破壊的な握力を前にそれは叶わず、更なる圧力による激痛から膝をついてしまう。

 

「でもダメだなぁ。由緒正しい血統の末裔が、人間なんかと仲良くしちゃ。私の跡継ぎを産む君はそんな低俗であってはならないのにっ」

 

「ぃァアっ!? く、アンタに低俗とか言われたくないな……っぎぃッ!?」

 

 見下すべき人間と戯れる藍瑠を戒めながらも、ライノは愉しむように腕に力を入れる。藍瑠が欲しいという言葉が真実とは思えないほどに、彼は藍瑠の苦しむ姿に満悦していた。

 

「その上ギターなんて人間の作った戯れにのめり込むなんて……このままこの手を握りしめて、二度と弾けなくしてもいいかもね」

 

「がァ!? ァァアアッ!? や、やめ……んァッ!?」

 

「ああ、いいっ。私のための素晴らしい悲鳴だ……君のギターよりよほど気持ちがいい」

 

 本気で藍瑠の手を砕こうと己の手に力を込めるライノ。必死にもがこうと喘ぐ藍瑠の悲鳴が嗜虐心が高ぶらせていたその時だった。

 

「止めろ!」

 

「……ぁあ?」

 

 ずっと見守ることしか出来なかった蘭が、ライノに向けて叫んでいた。目の前にいるのが怪物だとかそんな意識は彼女になく、ただ苦しんでいる存在を助けたいと思う彼女の純真な心がそうさせていたのだ。

 

「止めろって言ってるんだ。この変態」

 

「は? 人間如きが私に話しかけていいと思ってるのか? いいから死んでろ」

 

「っ!?」

 

「蘭!!」

 

 ライノはまるで意に介さずと言った様子で吸命牙を召喚し、雑に蘭へ突き立てようとした。しかしライノが吸命牙を召喚した僅かな隙を突いて藍瑠はその腕から脱出し、蘭に迫る吸命牙に生成したレイピアを投げ付けた。間一髪、蘭の首元に刺さると思われた二本の牙は、藍瑠の剣と共に蘭の背後で砕け散った。

 

「藍瑠……」

 

「っ……お前……蘭を殺そうと……」

 

 ライノから距離を取り、震える右手を抑えながら藍瑠は敵を睨みつけていた。痛みで震えているのではなく、蘭を殺されかけた怒り、そして失いかけた恐怖が彼女の身体を震わせていたのだ。

 一度は不覚を取ったが、これならまだやれると彼女の身体は叫んでいた。ライノにも弱点はあるはず、そこを自慢のレイピアで思い切り貫いてやると、自身に発破をかけようとしていた。

 

 だが、ライノの無情な言葉がそれを粉々に打ち砕いた。

 

 

 

 

「別に今更だよ。君の知り合いだって、みんな死んでるんだから」

 

 

 

 

「え……?」

 

 蘭と藍瑠の声が同時に溢れた。藍瑠の握ったはずの拳から力が抜けていく。力が抜けているはずなのに、身体中が震えていく。藍瑠は目の前の異形が言った言葉を、何度も自分の中で反芻させ、しかし否定せずにはいられなかった。

 

「な……に、言って……私の知り合いなんて……」

 

「何言ってるのさ、君が旅してる間に出会った、君の血統に取るに足らない矮小な人間どものことだよ。君に人間の知り合いなんて必要ない、居てはならない。君は華麗で気高きファンガイアなのだから。だから私の子を産む母となる君の人生に汚点が残らないように、私がこの手でね」

 

「ぁ……うそ……だっ……みんな……わたしなんかのために……」

 

 目の前が真っ暗になった藍瑠は、力無くその場に崩れ落ちてしまった。彼女が旅先で出会った人間はもちろん蘭だけではない。同じ音楽を趣向とする人とこそ知り合うことはなかったが、それでも彼女はこれまで多くの温かい人と触れ合ってきた。旅をする自分を心配して数日間泊めてくれた老夫婦。音楽は分からないが「とにかくカッコいい」と言ってくれて宝物の小さな化石をくれた少年。何故か息が合って数日間過ごし、「仲直りできるといいね」と言ってくれた年上のお姉さん。友達とまではいかないが、みんな優しくて温かく、しかし自分が何も言葉を残さずに置いていってしまった人たち。例え彼らから覚えてもらえなくても自分さえ覚えていればそれでいい、それだけでこれからも旅が続けられると、藍瑠はそれだけを糧に矛盾した旅を続けて来られた。

 

「どうせ君の帰る場所は一つ、私の元だけだ。ならそれ以外どうだっていい。人間なら尚更さ。君だってそんな奴ら、どうせ会うつもりも無かったんだろう? ならよかったじゃないか。余計なことを考える手間が省けて」

 

「……」

 

 ライノの言葉はほとんど藍瑠の耳には入ってこなかった。今、彼女の心には後悔ばかりが広がっていたからだ。何故この男の行動を読めなかったのか。そして、どうしてみんなにちゃんと言葉を残していかなかったのか。二度と会えなくなるのなら、せめて言葉だけでも残していけばよかった。変な強がりなんてやめて、もっといっぱい喋ればよかったと。

 

「なんで……どうしてわたしは……」

 

 失ってようやく身に沁みた言葉の重み。最早手遅れなのだろうが、それでも彼女は後悔の中に打ちひしがれるしかなかった。力無く地に座り込む自分に、ライノが近づいていたことなど気付くことはなかった。

 

「もっと壊れてもいいんだよ? アイルちゃん。私は君の心なんて求めていないから。私は、君に流れる血さえあれば……他は要らないからッ!」

 

「ァア゛アッ!!」

 

「藍瑠!!」

 

 ライノは元より藍瑠という個人を見てはいなかった。彼が見ていたのは最初から彼女の中に流れる血統のみ。家柄よりも血を優先するファンガイアの、否、ライノの価値観からすれば、藍瑠の周りにいる有象無象はただ邪魔でしかなかった。血だけが欲しい故に、彼には藍瑠の気持ちなど考える必要はなかった。それどころか、自分を拒む藍瑠の心を壊すことさえこの男は考えていたのである。

 そしてライノの大樹の如く巨大な黒腕が藍瑠の華奢な身体を吹き飛ばした。強烈な一撃によって地面へ何度も身体を打ち付けて転がっていく藍瑠は、やがて蘭の目の前で止まり、その姿を人のものへと変えていた。

 

「藍瑠! ねぇ! 藍瑠!!」

 

「……っ……ら、ん……」

 

 後ろに結んだポニーテールは解け、白い肌を傷だらけにし、後悔と絶望から瞳から光の消えた、変わり果てた藍瑠の姿がそこにあった。そのあまりの痛々しさに蘭は息を飲み、しかし藍瑠に叫びかけることをやめることはなかった。

 

「藍瑠! しっかりして!」

 

「らん……わたし……ホントダメだよな……何やってもこうだよ……っ」

 

「! 藍瑠……」

 

 藍瑠の目から涙が溢れるのを見て、蘭は胸が張り裂けそうな思いに駆られていた。目の前の少女はこれまで自分の想像を超えるほどの努力をしてきたに違いない。しかし、その旅の果てに全てが無に帰し、後悔と慚愧に囚われる少女を見て悲痛になれないほど彼女は達観してはいない。

 

「藍瑠は……ダメじゃないよ」

 

「蘭……?」

 

 藍瑠にそれだけ言葉を残し、立ち上がった蘭はなんと倒れ臥す藍瑠とライノの間に立ち塞がった。先ほど藍瑠が自分にそうしてくれたように、圧倒的強者へと蘭は自分の身体を晒していたのだ。

 

「何だ人間。まだ分からないのか? お前と我々とでは住む世界が違う。人間とファンガイアの友情なんて全て偽り。真実とは、誇り高き血を持つ私たちの中にだけある」

 

「ぐだぐだぐだぐだ鬱陶しいよこの三下!」

 

「何?」

 

 目の前に立つのが怪物だろうと関係なく、蘭は吠える。藍瑠の涙を見て、蘭の中では悲しみよりも怒りが湧き上がっていた。何故藍瑠が悲しまなければいけないのか。何故藍瑠が報われない展開になるのか。納得がいかないと、蘭はライノに吼えたてる。ライノがほざく人間とファンガイアの住む世界のことすら蘭には理解しかねるが、一つだけ確かだと言えることがあった。

 

「住む世界が違う? 偽りだ真実だ? はんっ、知らないよそんなの。関係ないね! 藍瑠が何だってあたしには関係ない! 例え藍瑠が怪物だとしても、あたしは藍瑠の友達だ! それだけは真実だ!」

 

「蘭……」

 

 知り合ったのはほんの一日前。共通点は互いにギターが好きなこと。それだけの仲のはずだったが、蘭ははっきりと感じていた。自分のことを真剣に守ろうとしてくれた藍瑠と、そんな彼女を本気で助けたいと思う自分は、もう既に友達であるのだと。

 

 故に蘭は自分よりも遥かに強い異形に高々と叫ぶ。

 自分たちの関係が偽りでなく真実だと証明するために。

 自分と会えた彼女の旅が無駄じゃないと証明するために。

 彼女がまた、立ち上がれるために。

 

「家とか血とか、そんな目でしか見れないアンタとは違う! あたし美竹蘭は、藍瑠っていう、優しくて強がりのさすらいのギタリストの友達だ!」

 

 黒い異形に対して一歩も引くことなく蘭は強く宣言した。自分が守りたいと思うこの少女は、怪物でもお嬢様でもなくただのギターが好きな一人の女の子なのだと。そして、自分の友なのだと。

 

「時間の無駄だ。死──」

 

「させない」

 

「藍瑠っ」

 

 ライノは冷たい眼を蘭に向け、始末しようとしたところで蘭の背後から力のある声が届いた。いつの間にか立ち上がっていた藍瑠は、しかし脚をふらつかせたまま蘭の隣まで歩き、彼女の盾になるように震える腕を広げる。蘭の心からの叫びを聞いた藍瑠の瞳には、光が蘇っていた。

 

「私、ずっと怖くて逃げてた。友達なんて作ってもすぐに別れて寂しくなるから、それなら作らない方がいいって……でも違う、みんな私のこと、友達だって思ってくれてたんだよな」

 

 もはや立つことすら辛い身であったが、倒れているわけにはいかないと藍瑠は蘭の隣に立ち、覚悟を決めていた。

 旅の中で別れ、ライノに命を奪われた人たちの顔を思い出す。皆が自分に優しくしてくれたし、共に大事な時間を過ごしてくれた。皆、自分が気付けていなかっただけで既に友達だったのだろう。最後まで友達と言い合えることなく永遠の別れとなってしまった人たちを想い、藍瑠の心は揺れ動く。しかしまだ全てではない。彼女にはまだ、失いたくないものがあったから。

 

「やっと分かった……蘭は、私の友達なんだって。旅の中でようやくできた友達。だから絶対に守る。守りたい。私に蘭を守らせてほしい!」

 

 藍瑠は最後にライノにではなく、蘭に向けて懇願するように叫んだ。もう力はほとんど残っていないが、力の続く限りは目の前の友達を諦めたくなかった。勝ち目などかけらに等しいくらいしか残されていないが、それでも藍瑠は蘭の命だけでも守りたいと願っていた。

 

「藍瑠……」

 

「ハァ、なるほど。じゃあその人間が死ねば、君の心も死ぬのかな?」

 

「っ……」

 

 蘭と藍瑠の叫びもライノに響くことはなく、無常にも二人の心を引き裂くべく歩み始めた。

 

 豪腕を振り回しながらゆっくりと歩み寄る黒い異形を、ただ強く睨みつける二人。

 

 人間である蘭には元より戦う力もなく、藍瑠も先のライノの一撃により既に全身が悲鳴をあげており、ファンガイアの力を振るって戦うことは不可能に近かった。

 

 あと数歩、それだけで簡単に全てが終わるという状況の中でも、しかし彼女たちの瞳から光は消えることはなかった。

 

 そんなことなど関係ないと、もうすぐ目的を得られると、ライノの身体のステンドグラスに下卑た微笑みが浮かび上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッグオァ!!?」

 

 

 ライノの黒い巨体に突然、光り輝く何がが回転しながら飛んできた。

 

 それを食らった瞬間、今まで一度も後退することなかったライノの身体が大きく吹き飛ばされる。

 

「っ!?」

 

 吹き飛ばされ、地面を転がっていくライノ

 

 蘭と藍瑠はその突然の事態に何も理解することが出来なかった。

 

 しかし起きていること自体を瞳に映すことはできた。

 

 突然ライノを強襲した回転する物体は目標に当たった瞬間に跳ね返り、今も宙をくるくると回転している。

 

 まるで主人の元へと帰ろうと、そんな意思を持ったかのように。

 

「ふ」

 

 やがて、ソレを掴み取る者が現れ、ライノを吹き飛ばした物体の正体も明らかになる。

 

 それは剣であった。

 

 刀身を宝石のようにキラキラと輝かせ、剣先も黄金に輝く、ある種の芸術品を思わせる荘厳な造り。

 

 鍔の部分はシンプルに刀身と持ち手を遮るだけの一見地味なもの。しかし眼を凝らして見れば、そこにある紋章が刻まれていることが分かる。

 

 蝙蝠のような闇を象徴する証──キバの紋章を。

 

 そして二人は、その輝く剣を──ザンバットソードを掴んだ人物を目にして驚き、その名を呟いた。

 

 

 

 

「くれ、ない……さん?」

 

 

 

 

 王の剣を片手に、麗牙は黒い異形を紅い瞳で射抜く。

 

 

 王による裁きの鉄槌が、すぐそこまで迫っていた。




次回、紫の(いかづち)が鳴り響き、破壊の鉄槌が顕現する。
「第37話 真実の目:Silent Shout」

――真実の目に見つめられた時、偽りだけが動けない。
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