ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『蘭を守ろうとする藍瑠。藍瑠を守ろうとする蘭。彼女たちの絆を引き裂こうとする怪物の前に、王の剣を片手に麗牙が現れた』


第37話 真実の目:Silent Shout

 輝きを放つ剣を握りしめて歩み寄る麗牙を、ライノは依然睨みつけたまま構えていた。自慢の堅牢な身体に傷を付けられて腸が煮えくり返るほどの激情が襲い掛かっていたが、裏を返せばそれが自分を傷付けることのできる存在であるという事実を前に慎重になり、無暗に駆け出すことを止めていた。

 しかし悦に浸ろうとしていた自分の独壇場に無粋にも割り込んできた、如何にも線の薄そうな男の顔を見て思い出す。それが昨日も自分の邪魔をした、あの赤毛の青年であったことを。

 

「あぁハハ……昨日の同胞か。どうやって私の結界に入り込んだか知らないけど、邪魔しないでもらおうか。それとも何か? 君もアイルちゃんの血筋が欲しいのかい? だから僕の邪魔をするんだろ?」

 

 一応は警戒をしながらもライノの口が減ることはない。目の前の存在が自分と同じファンガイアだとは分かるものの、自分に敵う相手などいるはずがないと心のどこかで信じていた。その驕りが、そしてこれまでの経験と事実が、ライノの自負心を強めていた。故にライノは、目の前の同胞が自分と同じように藍瑠の血を求めているのだと考えていた。しかし……。

 

「僕は彼女の血筋に興味はないです。血とか家とか関係なく、藍瑠さんは藍瑠さんですから。それに……」

 

 麗牙は静かに口を開く。薄く笑みを浮かべながらライノの価値観を否定した麗牙の顔から、やがて全ての感情が消え失せる。ライノを貫く眼光をより光らせて、麗牙は彼女たちの前に、否、ライノの前に現れた目的を告げた。

 

「僕は今日、貴方に……お前(・・)に用があって来たんだ」

 

「何……?」

 

 地獄の底から唸るような冷たい声色と共に、麗牙は手にした剣を地面に突き刺した。アスファルトを砕いて真っ直ぐ突き立つ剣と、麗牙の凍えるような恐ろしい声を前にして、蘭と藍瑠は息を飲む。昨日話した優男と本当に同一人物なのかと思えるほどの異様な空気を、彼と同じ異形である藍瑠だけではなく、ただの人間である蘭すらも感じていた。

 

伊佐野(いさの) 嵐士(あらし)。真名『地上を知らぬモノクロの尾羽』。お前のしてきたことは全部把握している。実家を勘当されかけたことにより自身の家族を全員殺害。藍瑠さんが旅先で出会った人たちの虐殺。お前はあまりにもファンガイアの掟に背きすぎた……もはや言い分も命乞いも求めない」

 

「な……何故、私の真名を……お、掟って……」

 

 麗牙は一歩、ライノへと足を踏み出す。その瞬間にライノの身体はビクリと跳ね上がった。目の前の存在が自分に近づくと感じた途端に、言いようもない怖気が身体中を駆け巡ったのだ。ファンガイアにとって掟は絶対。しかし今まで自分にそれを強要する者はいなかった……自分が殺した家族を除いてだ。しかし今、目の前に想像を絶する威圧感を放ちながら、掟を口にするその存在を前に、彼の頭は一つの結論に辿り着こうとしていた。まさかそんなはずはないと、必死に否定の材料を探しながら。

 

「っ(この剣……この紋章!)」

 

 そして藍瑠も見た。

 

 麗牙の突き刺した黄金が映える一振りの剣を。

 

 その鍔に描かれた、その紋章……王の証を。

 

「(この人……いや……この御方は……まさか……まさかっ!)」

 

 麗牙は自身の左手の甲に隠した紋章を浮き上がらせ、目の前の存在に示した。同時に手のひらにも浮かんでいた同じ紋章が、藍瑠の瞳にも映っていた。その紋章を目にした瞬間、麗牙を除く二人の異形の目が大きく見開かれ、もはや声を上げることすら出来なくなっていた。

 

 そして、麗牙は手の刻印──(キング)の証を掲げて、宣言した。

 

 

 

 

「お前に王の判決を言い渡す……『死』だ」

 

 

 

 

 手のひらの刻印もライノへと示し、麗牙は冷たく宣告した。

 

 キング──それはファンガイアの頂点に君臨する絶対強者。力が掟のファンガイアの世において、彼は正に掟そのもの。キングの宣誓は絶対、即ち彼の死の宣告は一族における絶対事項である。ファンガイアの法の元で死刑が確定したライノの顔はみるみると青ざめてゆき、狼狽えた声を上げて後ずさりを始めていた。

 

「キ、キング!? ぅ……嘘だ……嘘だ嘘だっ! な、なんでキングがこんな……っ」

 

「血を重視する割に無知が過ぎる。それとも、こんなに若い僕がキングだって信じられない? なら……キバット!」

 

 ライノは必死に目の前の若造をキングでないという否定材料を探そうとするも、麗牙から放たれる圧倒的な強者の風格がそれを許してくれなかった。それどころか麗牙が呼び寄せた存在によって、少なくとも藍瑠は確実に彼が紛うことなきキングだと……自分たちの王だと認めざるを得ない状況へと変化していく。

 

『ガブッ!』

 

 麗牙の元に舞い降りたキバットが彼の出した左手に噛みついた瞬間、麗牙の身体にアクティブフォースが注入される。己の内に眠る莫大な魔皇力が目覚め、彼の身体を色鮮やかなステンドグラス調の模様が埋め尽くそうとしていた。そして鎖と共に現れた紅のベルトにキバットが逆さに止まると、麗牙は静かに告げた。

 

 

 

「……変身」

 

 

 

 内で燻る激情を漏らさないように、覚悟の言霊が紡がれる。

 

 白銀のオーラが麗牙の身体を覆い隠し、やがて弾け飛んだ時、そこには人としての麗牙の姿はなかった。

 

「何あれ……(紅く……綺麗な……)」

 

 麗牙がいた場所に顕現した美しい紅の鎧に、蘭は息を飲む。

 

「キバ……」

 

 藍瑠は初めて拝観する、気高く輝く王の鎧に感嘆していた。

 

 King of Vampire(キング オブ ヴァンパイア)──キバ。

 

 藍瑠たちファンガイアの秩序を、そして人間とファンガイアの絆を守護する戦士が降臨した。

 

「キバ……まさか……(嘘だそんな馬鹿な事あってたまるか! あれは……あれは偽物だァ!) ォア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙アアアアアア!!!」

 

 キングの刻印に死刑宣告、更にキバの鎧の登場によって恐怖の渦に閉じ込められ、ライノは冷静な判断力を失っていた。目の前の存在が偽りだと自分を信じ込ませ、血を吐くかのような壮絶な雄たけびと共にキバへと駆け出した。

 

「ふっ、ハァッ!!」

 

「っぐォオオオオオオオァツ!!?」

 

 しかしキバはその場から一歩も動くことはなかった。黒い暴走特急がキバを轢き殺そうとした瞬間、キバはライノの身体を掴んで背中から地面へ倒れ込んだのだ。同時に地面へと倒れ込みバランスが崩されるライノ。そしてキバは背中が地面に着いた瞬間にライノの巨大な身体に蹴りを入れ、ライノは叫び声を上げながら飛ばされていった。ライノの巨体があっさりと飛んでいく様に口を開けて固まる蘭と藍瑠。本来なら今のキバが純粋な力でライノに勝つのは不可能に近い。しかしライノ自身の猛烈な推進力が合わさった結果、巴投げの要領でキバはライノを大きく蹴り飛ばすことが出来たのだ。

 

 そして、キバには純粋な力だけでライノに勝つ手段も持ち合わせていた。

 

 大きく蹴り飛ばされて地面を転がるライノを眼下に、キバはベルトのホルダーから紫のフエッスルを取り出してキバットに吹かせた。

 

『ドッガハンマー!』

 

 キバットの声と共に、重厚な管楽器の咆哮が辺り一面に響き渡る。その瞬間、遥か彼方の上空から紫色の彫像がキバに舞い降りてきた。睨みつけるような恐ろしい顔を持つ鎖につながれた彫像は変形を始め、やがて巨大な拳を模した紫色の槌がキバの目の前に現れていた。

 

 キバが迷うことなく槌の柄を両手で掴んだ瞬間、更なる変化がキバに訪れる。

 

 槌を中心にキバの両腕と身体が鎖に包まれた。それが弾け飛んだ瞬間、キバの身体から紅が失せ、槌と同じ紫色の強固な鎧がその身を包み込むように現れていた。同時にキバのペルソナも紫色に変化し、紅色の戦士は紫色に──重厚な闇の色の戦士へと姿を変えていた。

 

 十三魔族が一つ、フランケン族の若き青年──ドッガ。

 

 彼の力をその身に宿したこの姿こそ、キバの剛腕戦士形態(ドッガフォーム)

 

 大地を震わせ、空を割り、破壊の音色を奏でる紫電の鉄槌の奏者である。

 

「……」

 

 変身を完了させたキバは、手にした鉄槌を地面に当てて引きずりながらゆっくりと前進を始めた。バチバチと鉄槌と地面が擦れる度に火花が飛び散り、黙したままじりじりと迫りくる様は、宛ら首狩りの斧を引きずる死刑執行人のようであった。

 

「ッ!? だからなんだァァァァァ!!」

 

 姿を変えたキバを視認したライノは一瞬狼狽えるも、すぐさま恐怖を振り払うように駆け出す。叫びと共に黒い巨体がキバに迫り、その大樹の如き巨腕を相手の顔面へと繰り出した。

 

「……」

 

「なっ!?」

 

 しかしキバはその腕を左手だけで何なくと受け止めた。ライノの顔がまたも驚愕に包まれる。藍瑠のファンガイア体を簡単に吹き飛ばす程の威力がある拳を、ライノは今までよりも力を込めて振るったにも関わらず、目の前の紫の鎧は一歩たりとも動くことなくそれを掴み取ったのだ。しかしライノが反応するのも束の間、キバは掴んだ腕を振り払い、槌を握らないその左手で何度もライノの身体へと拳を叩きつけた。

 

「フンッ! フンッ! ゥガァ!」

 

「ガア゙ッ!? ゴア゙ッ!? ギャア゙ァッ!?」

 

 キバの低い唸り声と共に、重く激しい一撃が何度もライノの堅牢な身体を叩く。一撃一撃が爆弾のように破壊的で、己の自慢の防御力すら無に帰すほどの圧倒的な暴力がライノを更なる混乱に陥れる。初めてこの身体に感じた激痛、初めて抱いた恐怖、初めて至る絶望。地に倒れ伏すライノの理性が尽きるのは、もはや時間の問題であった。

 

「ッぐ……ゥオ゙オ゙オ゙オオオオオッ!!」

 

 それでもライノが立ち上がるのは、もはや本能がそうさせているとしか言えなかった。自身が生き延びるためには目の前の存在を消すしかない。そう本能が訴えていたからこそ、ライノは壊れたようにキバへと駆け出す。

 

 

「……」

 

 しかしキバの──麗牙のやることに変わりはない。一度宣言した言葉は絶対であり、執行されなければならない。相手がどのように狂おうとも、麗牙は──キングは罪人を許すことは決してない。

 

「ゥガァッ!!」

 

「ッグフッ! ……グァッ……ッ」

 

 再び自身の前まで突進してきたライノに、キバは手にした紫の槌──魔鉄槌ドッガハンマーを突き出した。しかし槌がライノを吹き飛ばすことはなく、ライノは腸に押し込まれたドッガハンマーを掴んでいた。互いに一歩も引かない状況になると思われた時、キバが真っ先に動き出す。

 

「フンッ、ガァ!」

 

「グフォアア゙ア゙ッ!?」

 

 槌を掴まれたままキバはドッガハンマーを持ち上げ、そのまま背負い投げのようにハンマーを振り回し、ライノを地面へと叩きつけたのだ。激しく衝突音が轟き、アスファルトが砕けてパラパラと舞い散る。しかしキバは止まらない。地面に叩きつけたライノへ向かって、ドッガハンマーを何度も叩きつけたのだ。

 

「フンッ! フンッ! ゥガァッ!」

 

 激しく何度も振り下ろされる鉄槌。身体に叩きつけられるたびにライノの悲鳴がこだますが、どうあがこうとも彼に脱出する術はなかった。純粋な力だけが取り柄であったライノは、その力においては正に怪物であった。しかし今彼の目の前にいるのは純粋な力を上回る、本物の怪物であるのだ。力だけに頼る者はいつかより大きな力に飲み込まれる。その言葉の意味をライノはこれまで理解することがなかったのだ。

 

「フンガァ!」

 

「ガァァァァッ!? ァァ……ッ」

 

 最後にキバは上からの叩きつける攻撃ではなく、下から掬い上げるようにドッガハンマーを振り抜いた。槌の紫の拳をその身に食らい、地面をこすりながら大きく吹き飛ばされるライノ。しかし脆弱なファンガイアであれば一撃ですら致命傷になり得るドッガハンマーの攻撃を連続で食らいながらも、ライノの意識は未だに途絶えていなかった。

 

「……ァ……ガ……ッ」

 

 だがライノに戦うだけの力はもう残されていなかった。息も絶え絶えに、立つことすら困難なほどまで弱り切ったライノを前に、キバと、そしてキバットは裁きの終わりを感じていた。

 

『麗牙。ここまでだ』

 

「ンゥ……ッ」

 

 キバットの言葉に反応し、キバはドッガハンマーの持ち手をキバットに噛ませた。

 

『ドッガバイト!』

 

 キバットの牙からドッガハンマーに魔皇力(アクティブフォース)が流し込まれる。

 

 キバが左手を胸の前に掲げた瞬間、紅の濃霧が辺りを包み込み、世界が夜に支配された。

 

「なっ、何っ!? なんで急に夜にっ!?」

 

「これがキバ……夜の支配者……」

 

 夜に包まれた世界の中でキバの周りには闇の如く黒い霧が充満し、紫色の(いかづち)が轟音を立てて光り輝いていた。

 

 そしてキバの背後に浮かぶのは、朧月。

 

 紫電が走り、おぼろげに光を発する月夜の中で、キバの紫色の眼光が激しく光り輝いた。

 

「フンッ」

 

 ドッガハンマーの柄を目の前の地面に突き刺し、キバは槌に備えられたグリップを引き抜く。すると槌となっていた紫の拳──サンダーフィンガーがゆっくりと展開を開始し、やがて巨大な怪物の手が完全に開いた。

 

 

 その瞬間、「真実の目」がライノを捉えた。

 

 

「グ……ゥオ──」

 

 雷の指に狙われたが最期、罪人は自分の運命を呪うことしかできない。ドッガハンマーの掌に埋め込まれた瞳──トゥルーアイ。その真実の目を見たものは、如何なるものも抗うことを許されないのだ。他人を偽りと称していたライノ。その身体は今まさに真実によって活動を止めようとしていた。

 

「──」

 

 トゥルーアイから流れ出す魔皇力によって完全に体の自由を奪われたライノは、全身がステンドグラスのように色鮮やかなガラス状の身体となって固まってしまった。

 

「フゥッ」

 

 キバが拳を握りしめたドッガハンマーを構えた瞬間、拳から紫色の幻影──ファントムハンドが生み出されていた。

 

 紫電の力を閉じ込めた圧倒的な暴力の影。

 

 キバはその巨大なエネルギーを纏った魔鉄槌を振り回し、狙いをライノへと定めた。

 

 そして……。

 

 

 

 

「ゥゥウガアアアアアアアアァァァッ!!」

 

 

 

 

 ドッガ・サンダースラップ──紫電を纏いし破壊の鉄槌がライノの身体を粉々に砕いた。

 

 静かな叫びと共に闇の中で輝きながら辺りに散っていくライノだったものの欠片。

 

 自身を満たすためだけに多くの生命を踏みにじってきた異形は、無残にも紫の闇の中で叩き潰されたのであった。

 

「……」

 

 キバはゆっくりと魔鉄槌をえぐり抜いた地面から引き抜き、汚れを振り払うように得物を構え直す。

 やがて空から闇が消えて太陽が蘇ると共にキバの変身が解除され、その場に二人の影が現れた。一人はキバに変身していた紅麗牙。もう一人は先ほどまで魔鉄槌としてキバに力を貸し、キバと意識を同調させていたドッガ──またの名を力。燕尾服を纏った人間の姿でその場に現れたフランケン族の男は、頭を垂れて麗牙に跪いていた。

 それは主人を敬う従者がするのと全く同じ仕草だと、その様子を最後まで見ていた蘭と藍瑠は感じずにはいられなかった。

 

「……」

 

 静寂が支配する中、無言で蘭たちの元へと、いや地に突き刺したザンバットソードの元へと麗牙は歩み寄る。真っ直ぐ倒れることなく輝きを発し続ける剣の柄を掴んだ麗牙は、ゆっくりと剣を引き抜いた。主人の手の元に戻った剣は一層と眩しく輝き、まるで剣が彼との再会を喜んでいるかのように蘭は感じていた。

 

「キング!」

 

「っ? 藍瑠!?」

 

 その時、彼女の隣で静かにしていた藍瑠が突然叫び出し、麗牙の方へと足を踏み出した。力が即座に二人の間に割って入ろうとするが、麗牙はそれを手で制する。そして麗牙の目前で藍瑠は地面に両手を膝を付かせて、非常に綺麗な平伏の姿を晒していた。

 

「知らぬこととは言えキングへのこれまでの数々のご無礼、なんとお詫びを申し上げればよいか!」

 

「あ、藍瑠……?」

 

 蘭は藍瑠の平伏する姿に困惑するばかりであったが、彼女の生まれを考えれば仕方のないことでもあった。彼女の家は古くから続く由緒正しきファンガイアの家系。それと同時に忠節を尽くすことを大事とした家訓を持つ家でもあった。故に幼き頃より目上の者への礼節を弁えるよう教えられ育ってきた藍瑠は、自分たち一族の長であるキング──紅麗牙に対するこれまでの不忠な態度を恥じていたのだ。

 

「(やっぱりこうなっちゃうよね……)」

 

 麗牙は彼女の行動は予測済みでありながらも、朝まで普通に接していた彼女の身の変わりように内心苦笑していた。今までもこういった同胞を数々見てきた麗牙には、これもまたも見慣れた光景ではあったが。

 

「顔を上げてください。今の僕は、ただの紅麗牙です」

 

「いえ! いいえ! 勿体無き御言葉です。私の名は貴石藍瑠。真名は──」

 

「藍瑠さん!」

 

「──っ、申し訳ございません……過ぎた言葉にございました」

 

「そうじゃないよ。ほら、立ってください」

 

「ぇ、あっ……」

 

 限界まで下げた頭をより深く下げようと力を入れようとする藍瑠の肩を持ち、麗牙は彼女に顔を上げさせた。顔を上げた藍瑠の震える瞳に写っていたのは、先ほどまでの恐ろしく強大な力を感じさせた強者の顔ではなく、全てを包み込むように穏やかで柔和な笑みだった。その笑顔に安堵したのか藍瑠の身体から緊張が抜けていき、すんなりと立ち上がることが出来た。

 

「さっきも言ったでしょ、藍瑠さんは藍瑠さんだって。同じように僕も僕です。キングじゃなくて、ただの紅麗牙。今はそう思ってて欲しいです」

 

「でも……貴方は、私たちの王で──」

 

「王様だってみんなのように楽しく音楽だってやりますよ。昨日は言えなかったけど、僕は今バンドを組んでるんだ。TETRA-FANGっていって、そこでボーカルをやってる」

 

「バンド……?」

 

 初めて耳にする自分たちの王の意外な戯れに目を丸くする藍瑠。しかしそれが戯れではないことを蘭は知っており、藍瑠もまた彼の言葉によって知ることとなる。

 

「そこにいる時、僕はキングじゃなくてRAIGAでいられる。藍瑠さんと同じですよ。ギターを弾く時、貴女は貴女でいられたんでしょ? 与えられた地位じゃない、自分だけのアイデンティティ。それがどれほど大事か、貴女はよく知ってるはずです」

 

「はい……」

 

「だから、せめて今はキングじゃなく、紅麗牙として見てください。僕らが愛する音楽の前で、上も下も決めたくないですから。じゃあ、僕はここで」

 

 麗牙は踵を返して立ち去ろうとした。彼の顔が赤毛に隠されたその時、二人の会話を聞くだけだった蘭がようやく麗牙に言葉を投げかけることが出来た。

 

「あの、紅さん……貴方は何者なの?」

 

 今のやり取りを聞いていれば自ずと分かる答え。しかし蘭は敢えて彼に問いたかったのだ。藍瑠がひれ伏す貴方は一体どういう人なのか。貴方は何故助けてくれるのか。何が目的なのか。それを一言にしてまとめた時、蘭の口からは「何者なのか」という言葉が出てきていた。紅麗牙としてではない、もう一つの顔を知りたかったのだ。

 その質問に麗牙は少しだけ黙り込み、やがて半分だけ色白の顔を見せて蘭に答えた。

 

「僕は、怖い王様ですよ。悪い怪物を殺すことしかできない、酷い王様」

 

「……(嘘だ)」

 

 蘭は何も言わなかったが、頭の中で彼の言葉を否定した。ライノを圧倒するその姿に確かに怖さを感じたが、それ以上に藍瑠のために本気で怒ってくれる人だということも感じていたからだ。それに、彼が変身を解いた直後に一瞬だけ見えた憂いの表情が蘭の瞼の裏から消えなかった。ライノを討つ彼の中に怒りと悲しみがあったことまでは気付いてはいないが、傷付けた相手に対してそんな顔が出来る麗牙を、蘭はどうしても酷い王様だと思うことが出来なかった。今のように藍瑠に優しく立たせてくれた彼を、怖いとは思えなかった。

 

「じゃあ僕は行きます。藍瑠さん。旅立つなら美竹さんにちゃんと、言葉を残してください。美竹さんもちゃんと聞いておいてくださいね」

 

「はい……紅さん……ありがとう……ございます……」

 

「分かった……」

 

 二人にそう言葉を残して麗牙は力を引き連れて去っていく。藍瑠は小さくなっていく麗牙の背中に向けてずっと頭を下げ、キングではなく最初に紹介された彼の名で感謝を告げていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 翌朝。太陽が昇り始め、街の闇が少しずつ溶けていく中で、あたしは藍瑠と二人向かい合っていた。

 

「もう行ってしまうんだ」

 

「うん……もう家に帰ろうかなって」

 

 昨日は両親を説得し、藍瑠はあたしの家で一晩を過ごした。思っていたより会話は無かったけど、きっと互いに別れが近付いてる予感がして話す内容が思い付かなかったのかもしれない。しかし、こうして本当に別れが訪れると案外言葉は出てくるものだったりする。そのための用意もしてあるしね。

 

「帰って、今度こそちゃんと家族に伝えるんだ。私のギターは生き方そのものだって。私の一部なんだって」

 

「うん、頑張れ藍瑠。親に分かってもらえること、祈ってるから」

 

「ありがとう、蘭」

 

 両親に反発したまま家を出た藍瑠は、今度は自分の言葉をしっかり伝えることを選んだ。上手くいってほしい。彼女の家がどのようなものか分からないから下手なことは言えないけど、彼女が報われてほしいという気持ちだけは伝えたかった。

 

「ようやく藍瑠の旅が終わるんだ」

 

「うん……そう……」

 

 二人して寂しげに呟く。互いにいつかは来ることを願っていた旅の終わり。しかしそれはあたしたちの別れと同義であった。

 

「……」

 

「……」

 

 互いに何も言えず、静寂が朝焼けと共に広がっていく。後ろで括らずに下ろしたままの藍瑠の長い灰色の髪が風に靡いていた。憂いを感じさせる藍瑠の表情も相まってから、とても官能的だと感じてしまう。

 

「でも、また会いに来るよ」

 

「え?」

 

 沈黙が長く続くと思われた時、藍瑠は言った。

 

「蘭……私の友達。貴女がいるこの町に、私はいつか帰ってくる。約束するから……だから……」

 

 藍瑠は俯き、言葉を震わせていた。目元を前髪で隠し、赤くなる眼を隠すような仕草に、あたしは彼女の言いたいことが分かった。分からなければいけなかった。

 

「忘れないよ」

 

「っ……蘭……」

 

「藍瑠が戻ってきても、戻らなくても、あたしは藍瑠のことを忘れない。約束するから、だから藍瑠もさ……あたしのこと……少しは覚えていてほしいな、って」

 

 藍瑠の旅の中で、彼女のことを覚えている人達は既にこの世にいない。だから最後に残った自分だけは彼女を……彼女の旅を覚えていたかった。それが彼女の本当の望みだと、当の前に感じていたから。

 

「ぅん……うんっ! 私も忘れない! 絶対に蘭のこと忘れないから!」

 

「っちょ? い、いきなりボディランゲージはレベル高すぎない……?」

 

 彼女に突然抱きつかれるのはこれで二度目だが、案外と彼女は言葉よりも身体の方が相手に想いを伝えやすいのかもしれない。だって今の藍瑠、身体が凄く震えてるし、痛いくらいにあたしの抱き締めてるから。だから、彼女の言葉以上に、その内に秘める想いの強さが分かり、あたしまで嬉しくなってしまう。

 

「(あ、そうだ)藍瑠、もう少しこのままでいてくれない?」

 

「え? う、うん……?」

 

 あたしは藍瑠に抱き着いたままにするよう頼むと、ポケットからソレを取り出した。彼女に渡そうと用意していたソレ。使うなら今しかないと踏み、ソレを片手にあたしは藍瑠のサラサラした髪の毛を束ね始めた。

 

「え、ちょっと蘭っ!?」

 

「動かないで。髪抜けるよ」

 

 意外と長く、その上サラサラしすぎて手の内からするりと抜けていく藍瑠の髪を束ねるのに少しだけ苦戦するも、あたしは根気よく彼女の髪を何度もソレ──ヘアゴムに通していく。

 

「よしできたっ」

 

 額に汗を掻きながらもようやく彼女の後ろ髪を纏め上げ、出会った時のようなポニーテールを再現することが出来た。何が起きたのか分からないようなぽかんとした表情を浮かべる藍瑠に、あたしは携帯のカメラをインにしてその様子を見せた。昨日切れてしまったゴムの代わりとなるソレを付けたことで、彼女の後頭部には可愛らしいポニーテールが蘇っていた。うん、やっぱり藍瑠はこれが一番いいかも。

 

「これ……蘭が?」

 

「うん……まぁ……そんなに良くないかも知れないけど、これでも一応はちゃんと選んだからさ……」

 

「この色……蘭のメッシュと同じ色だ……」

 

「え?」

 

 無意識的にこの色がいいと感じて手にした高めのヘアゴムだったけど、まさかそんな風に捉えられるとは思いもせず変な声を上げてしまう。赤いヘアゴムを嬉しそうに何度も触る藍瑠。その時の彼女の顔を見て、あたしはいつの間にか頬が緩んでいた。

 

「すごく……嬉しいっ」

 

 その時に見せた彼女の顔は、今まで見たことないほど幸せに満ちたものであったから。キラキラと輝く彼女の笑顔を見て、自分の行動が間違ったなかったことに安堵し、同時にこちらまで幸せな気持ちになっていた。

 

「蘭がいつも一緒にいるみたいだ」

 

「そんな大袈裟な」

 

「ううん、大袈裟じゃない。蘭の想いも一緒だから」

 

 すごくいい笑顔で恥ずかしいことを言ってくれるな、と熱くなる顔に手を仰ぎながら視線を反らす。しかし藍瑠は手を頭から下げる、いつしか幸せそうな顔は神妙なものに変化していた。

 

「私も蘭に上げなくちゃ」

 

「いいよ。あたしがやりたくてやったんだから」

 

「ううん。私、蘭にはどうしても受け取ってほしいんだ……私の、名前を」

 

「名前?」

 

 藍瑠の言葉の意味が分からずに眉を顰めてしまう。名前を上げるって、どういう意味なんだろうか。真剣な顔を崩さないまま、しかし優しく藍瑠は説明してくれた。

 

「ファンガイアにはね、戸籍上で親から与えられる名前の他に、生まれ持って魂に刻まれる『真名』っていうのがあるんだ。真名はファンガイアにとって神聖なもので、本当は家族や一生を過ごす伴侶、または自分が命を捧げるような相手にしか教えちゃいけないんだ。名前は時にその人を縛り付ける強力な呪術になるから」

 

 名前がその人を縛り付けることになるというのは聞いたことがある。言霊? だっけ? そんな感じのやつかな。しかし、それなら尚のこと彼女がそれを私に告げようとするのは不味いのではないのか。そう問いただすと、藍瑠は迷わず答えてくれた。

 

「蘭だから。ううん、蘭じゃないと教えられない。蘭には知っていてほしいんだ、私の本当の名前を」

 

「……分かった」

 

 真名の重みを知りつつも尚、藍瑠の願いがそれだと言うならばあたしは受け入れるしかない。あたしの頷きに笑顔で返してくれた藍瑠は瞳を閉じ、軽く深呼吸してあたしに告げた。

 

 

「私の真名は……『人魚が夢見る友情』」

 

 

 彼女がその名を告げた途端、風が彼女のポニーテールを掻き上げ、登りゆく陽の光によってキラキラと輝いていた。その様はそう、絵本や映画で見た人魚姫のようだと、あたしには感じていた。同時に理解もする。真名に刻まれた人魚……それは紛れもなく藍瑠自身のことを指しているのだと。

 

「名は体を表す、だね」

 

「うん……もう、叶っちゃった」

 

 嬉しそうに眼から涙を見せる藍瑠。朝日に照らされ、人魚の涙が宝石のように光り輝いていた。あたしの知る人魚姫とは違い、彼女が夢見たそれは既に叶っていた。だからこそ、彼女が見せる涙はどこまでも温かいのだろう。

 

「蘭……私、もう行くね……」

 

「うん……」

 

 そう告げる彼女の言葉にも、顔にも、既に寂しさは見受けられなかった。初めて会った時とは違う、満たされた彼女の心が私にも伝わってきていた。

 

 そして彼女は踵を返し、私に背を向けて歩き出そうとして──

 

 

「ぁ、ごめんもう一つ。キング……じゃない、紅さんのこと、あまり困らせるようなことはしないでよ?」

 

 

 ──もう一度振り返って注意喚起を促してきた。え、それ今言う?

 

「最後にそれっ!? いや、多分困らせることはないと思うけど……あたしも助けられたし。っていうか藍瑠、最後にそれ言う?」

 

「あ〜ごめん、なんか言うタイミングが全然無くて……っ……ぷっ、あっははっ」

 

「ふふっ、なんか全然最後じゃ無いみたい」

 

 せっかくいい空気で締まりかけていたのに、急に話が変わるもんだから可笑しくなってしまい、いつしか互いに笑い合っていた。これからお別れだと言うのに、そんな気をさせない今の空気がすごく心地よかった。

 

「最後じゃないよ。だってまた会いに来るから」

 

「そうだったね。あたし待ってるから。今度はちゃんと、Afterglowのみんなのこと紹介するよ」

 

「うん、私も楽しみにしてる……よしっ! 行くぞっ!」

 

 今度こそ最後、そう言わんばかりに藍瑠は朝日に向かって駆け出した。そして立ち止まり、あたしに振り返って今日一番の大声で叫んだ。

 

「またなぁー! らぁぁぁーーん!! ありがとぉぉぉーーっ!!」

 

 元気よく、太陽のように眩しい笑顔と共に大きく手を振って叫ぶ藍瑠。

 

「うん、またっ! あたしも! 会えてよかった!」

 

 そんな藍瑠には負けるけど、あたしも今の精一杯の気持ちを言葉にして彼女に叫んだ。

 

「いつか……きっと……っ」

 

 藍瑠が最後に小さくそう呟いたのが聞こえ、その直後、藍瑠は一気に町の外に向かって走り出していった。どんどんと小さくなっていく藍瑠の影をあたしは最後まで見届けて、やがて藍瑠の小さな影は朝焼けの光の中に消えていった。

 もういくら見渡しても、藍瑠の姿は無い。しかし不思議と寂しさは感じなかった。

 

「藍瑠と会うまで、あたしももっと練習しとかないと」

 

 彼女が来ることを疑いもせず、あたしは自分の家に向かって歩き出す。次に彼女と会った時に、ギターの腕であっと驚かせてやる。そんな楽しみが増えたことを胸に、家に向かって弾む足を止めることはできなかった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 遠くビル上、キャッスルドランの屋上からそんな彼女たちの別れの様子を麗牙は見守っていた。無粋とは思われようが、彼女たちの別れに後悔が残らないかが心配だったのだ。しかし杞憂だったようだと、麗牙は彼女たちを信じきれなかった自分を恥じていた。

 

 藍瑠はきっと両親の元に帰るだろう。自分が忘れていた言葉を伝えるために。

 

 藍瑠はきっとこの町に帰ってくるだろう。旅立つ前に彼女が残した言葉、その気持ちに嘘はないのだから。蘭との約束を藍瑠は絶対に裏切らないから。

 

 そう信じる麗牙の元に、一人の影が近づいてきた。

 

 麗牙はその存在から流れ出す懐かしい音に、心を落ち着かせていた。

 

 

 

 

「キング……いや、麗牙。ただいま」

 

 

 

 

 旅人はいつか帰る。

 

 

 残してきた者がいる限り。

 

 

 約束がある限り必ず。

 

 

 

 

「おかえり、ルーク……ううん、大ちゃん」

 

 

 

 

 麗牙が見送った旅人の一人は、彼の元へと戻ってきた。

 

 今日、二人の旅人の長い旅路が終わったのだった。




EDテーマ:Message

今回の話に登場したファンガイア
・ドルフィンファンガイア/貴石藍瑠
真名『人魚の夢見る友情』

・ライノセラスファンガイア/伊佐野嵐士
真名『地上を知らぬモノクロの尾羽』


次回、帰ってきた男は新しい「ゲーム」にハマっているようで……?
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