固く縛り上げられて身動きが取れなくてなったアゲハに、瞼と口を縫い合わされた奇妙な仮面が迫る。
仮面がアゲハの小さな顔に取り付こうとした、その時だった。
「ウォオオオオォォッ!!」
雨と共に空から雷が、否、岩のような巨体が雄叫びと共に降りかかった。巨体が振るう得物により仮面が打ち砕かれ、そしてアゲハを縛り上げる布も引き裂かれた。
「っ!? 何……?」
途絶えた布を引き寄せて、マミーレジェンドルガ──マミーは前方を見据えて乱入者を視界に捉えようとする。その場にいたのは全身を城壁のように硬そうな皮膚に覆われた、獣のようなファンガイア──ルークであった。巨大な棍棒を片手に構えて自身を睨むその姿は、普通の生物であれば生を諦めるほどの強烈な威圧感であったであろう。それでも突如として現れたもう一人のチェックメイトフォーにもマミーは特に狼狽えることなく、再び構えを取ろうとしていた。
しかしその時、マミーは気付く。自分の視界に映る雨に打たれる影が、ルークただ一人であることに。
「ハァァァァアッ!!」
「なっ? ッグオッ!?」
マミーの認識外の虚空から突如として、青白い燐と共に異形の姿へと変化したビショップが現れた。実体化と共に彼女は自身の剣を振るい、マミーの腕へと一撃を加えることに成功する。予想外の強襲によって傷を負って後ずさるマミーだが、すぐさま地を蹴って二人のファンガイアから距離を取った。
即座にビショップとルークが並び立ち、いつでも攻撃に対応できるようそれぞれの武器を構える。それを見たマミーは諦めにも似たような溜め息を吐いていた。
「っ……ふぅ……流石にチェックメイトフォー二人が相手では分が悪いか……」
ビショップの鋭い一撃が相当のものであったのか、マミーの腕には生々しい傷跡が残されていた。だがそれを気にする素振りを見せないまま、彼は短く言葉を残すと雨の中に溶けていくように姿を消していった。
「待っ!? くっ……ルーク、追えるっ?」
「お前が無理なら無理だ。俺も何も感じん」
「……あああああっ! もうっ!」
完全に逃げられたことを悟ったアゲハは変身を解き、煮え切らない思いを吐き出すように叫んだ。油断していたところを捕えられ、ルークが来なければ今頃は敵の操り人形となっていたことだろう。手痛い一撃を与えたものの、アゲハは抱いた屈辱を拭い去れずにいた。しかし今は自分の感情に左右される局面ではないと、自身の役割を思い出したアゲハは冷静さを取り戻し、落ち着いた口調でルークへと礼を告げた。
「不意を突かれた。けど……ありがとうルーク。助かった」
マミーに拘束されていた時からルークの接近を感じていたため、身動きが取れないながらも彼女は絶望していなかった。ギリギリではあったものの、同僚を信用してこれほど安心したことは今まで無かっただろう。
「間一髪だったな。しかし何者だアイツは? お前に不意打ちをかけられる奴が存在したとは……」
「レジェンドルガ……アイツはその名前に肯定していたわ」
「何だと……」
アゲハの報告にルークの顔が強張る。彼自身その名を伝説上でしか耳にしたことがないが、残された伝説のどれもが恐ろしい能力を秘めた怪物であることは承知していた。尤も、今しがた逃げたマミーのように、チェックメイトフォーが相手では劣る部分もあるだろう。しかし、多くの魔族にとってその存在は正に災害としか言いようがなく、すぐにでも対策を打たなければならないとルークもアゲハも感じていた。
「ともかくドランに。早く麗牙と合流してこのことを──」
事は一刻を争う。そうアゲハがルークに物言おうとした時だった。
『ギィィィィィィィィィ』
「なっ!?」
「サバト……?」
遙か彼方の空に集う虚ろな光。それらが一つの巨大な灯りとなった時、雨の空の下にグロテスクなオブジェが姿を現した。質量も持たず、魂だけのまま虚ろに彷徨う悲しき亡霊──サバト。質量が無いながらもその巨体から発せられる力は凄まじく、並みのファンガイアでは手も足も出ない脅威であった。その上……。
「しかも二体とは……」
「こんな時に……っ(いや、寧ろこんな時だから……?)」
一体でさえまともに対峙するとは無謀とも言える怪物が二体、雨空の下に召喚されていた。金属同士が擦れ合う、悲鳴のような声を上げてサバトはゆらりと上空を飛び交い始め、そして揃って同じ方角に向けて進み始めた。
アゲハたちではなく、異形の視界に映るより遠くの目標へと目掛けて……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
麗牙と一緒にゲームセンターに入ってどれほど遊んだだろうか。今月もまだ半分を超えていないというのにそれなりにお金を使ってしまい、後になって少しだけ反省していたりもする。だけど、そんなことも気にならないくらい麗牙との時間が楽しくて仕方がなかった。どんなことにも彼は笑ってくれるし、何をしていてもアタシのことを見てくれる。始めて好きになった男の子が、今はアタシのことだけを見て笑ってくれている。アタシと同じ時間を過ごしている。麗牙が側にいるだけで、アタシは充分と言えるほど満たされて……。
「(ううん……もっと……もっと麗牙と……一緒にいたい)ねぇ麗牙。次アレやろうよ」
少し前のアタシなら満足していたかもしれない。しかし熱い慕情が募っていく今の自分では、もう一緒に遊ぶだけでは満たされなくなっていた。
もっと彼の側にいたい。もっと彼の笑顔が見たい。もっと彼を感じたい。もっと彼に触れていたい。
アタシの身体は、もはやアタシ自身ではどうしようもないほど熱く燃え盛っていた。
「え? アレって……何?」
「何って、プリクラだよ? え、もしかしてこれも知らない?」
「えっ、これが? い、いえ、見たことはありますよ、もっと小さいのは。でも、こんなに派手で大きなものって見たことなくて……」
あー、本当にゲーセンって来ないんだね麗牙。ご無沙汰だったアタシでさえこのくらいのプリクラは何度も撮ってたし、今でもある程度やり方は覚えている。麗牙は物珍しそうに巨大なプリクラがいくつも設置されている空間を見つめている。アタシは火照る身体、熱が迸る腕を麗牙に伸ばして、さっきみたいにその手を握り、彼に先導して歩き始めた。
「行こっ。一緒に撮ろうよ。ねっ?」
わざわざ手を握る必要はない。アタシの後ろに付いてきてもらえば済む話だった。だけど彼に触れたくて触れたくて堪らなくて、彼の白い手を求めて強く掴んでしまう。麗牙のことを強く感じたいし、彼にも痛いほどアタシを感じてほしい。独り善がりな願いだけど、今のアタシはそうせずにはいられなかった。
麗牙はそんな横暴なアタシの態度に何も言わずに引っ張られてくれる。彼の優しさなのか、一種の諦めなのか、それとも同じことを望んでいるのか分からないけど、今はそれに甘えさせてもらおうと思う。
そんなことを考えているうちにもアタシは一つのプリクラに目を付け、麗牙と共に撮影ボックスへと入っていった。
「へぇ……結構広いんですね……」
「もうボックスじゃなくてスタジオだよね。でももっと広いのもあるよ。十人くらいで撮っても入るくらいのもあるし」
「……それ普通の写真でも良くないですか?」
「よくない! プリクラだからいいところがあるんじゃん♪ だから、アタシたちもやろっか」
無粋なことをいう麗牙にプリクラの良さを教えなければ、とアタシは必要な硬貨を投入して起動させる。麗牙はまだよく分からないだろうし、設定はアタシが決めていくことにした。全体の雰囲気、背景に明るさ、そして目の大きさなど。
「目の大きさ……あ、なんか聞いたことあるかも。すごく大きく加工できるとか……」
「どうする? 目一杯大きくしちゃう?」
「いやいや、違和感無いようにしないと後で誰だか分からないですって」
「ふ〜ん。じゃ、少し控えめにっと」
そうして、ささっと前準備を終わらせて撮影に入る。撮影は四回行うらしく、その後で写真を選んで加工するか、また別の写真を追加で購入することも出来るようだ。せっかくなんだしここは全部違うポーズで写って持って帰りたいよね☆
「じゃあまずは、ピース……ほら麗牙もっ。ピース☆」
「え、ぴ……ピース……っ?」
「えいっ」
シャッターが切られる瞬間、アタシは軽く麗牙の胸元に飛び込んでいた。少しよろけながらもアタシを支えた麗牙は何か言いたげにこちらを見下ろすが、アタシはプリクラの画面を指差して今しがたの写真の様子を共に確認した。画面には、ピースをしたまま驚いた顔でアタシを見下ろして体制を崩しかける麗牙と、その胸に笑顔で飛び込みながらこちらにピースを向けているアタシの様子が写されていた。
「すっごくいい笑顔ですねリサさん」
「ふふっ、照れるなぁ……あ、次また来るよ」
確認画面はほんの一瞬だけ、すぐさま次の撮影に入る。さ〜て、次はどうしようかなぁ。
「(よしっ)麗牙、跳ぼう!」
「えっ? 跳ぶって──」
「せぇーのっ!」
「──っ!」
アタシたちが同時にジャンプした瞬間、シャッターが下された。跳ねている間でも笑顔を崩さないよう、意識は脚よりも上半身の方に集中させる。しかしアタシはもちろん画面に映るように控えめに跳んだんだけど、今の麗牙の滞空時間が妙に長かったのが気になってしまった。っていうか今さっきドンって天井から聞こえたもん。何があったのかは大体想像がつくけど、念のため画面に映る今の写真を見てみると……。
「ぷっ、あっははははっ! 麗牙跳びすぎ! 顔完全に隠れてるもん! あはははっ」
「だ、だって急に跳ぶなんていうから……あ痛たた……」
「もうっ、そんなにぶつかるまで跳ばなくてもいいじゃん……ふっ、あはははっ」
決して低くはない空間ではあるけど、突然のことで加減が分からなかったのか、麗牙は天井に頭をぶつけてしまったようだ。それが可笑しくて、写真から顔がはみ出ていることも含めて笑ってしまう。
「わ、笑いすぎじゃないですか? いや、リサさんが楽しいならいいんですけど」
「ご、ごめんごめんっ。ふふっ。だってアタシ、麗牙と一緒にいると本当に楽しくて……」
「えっ?」
麗牙がアタシの言葉に反応を示した瞬間、カメラの方からパシャリというシャッター音が聞こえ、二人して同時に固まってしまう。あ〜……今の出来事に夢中で三枚目の撮影すっかり忘れてたなぁ〜……。少し後悔するも、画面に映る写真を見てその思いも露へと消える。それは二人して向かい合って笑い合ってるだけの変哲のない写真。だけど、その有り触れた光景も今ではとても美しいものだとアタシは感じていたから、この写真も大事に手元に置いておきたいと思えていた。
「次が最後ですね……どうします?」
「どうしよっか……」
短いながらも充実した時間もそろそろ終わりが近づいていた。しかしいざ最後の撮影となってしまうとどんなポーズをとろうか迷ってしまう。最後……どうせならもっと記憶に残るような形で終わりたいな……。
「麗牙、ちょっとだけゴメンね」
「え──」
シャッターのカウントダウンが近付いてくる中で一つ腹を決めたアタシは、静かに麗牙の元に寄り添い、彼の温かい腕に抱きついた。
「リ、リサさん?」
「ゴメンね急に。嫌なら引き剥がしていいから……」
さっきからずっとだけど、ここまで大胆に抱き付いてしまい、身体中の血液が沸騰しそうな思いだ。顔が赤く染まっていくのが自分でも分かるほど顔が熱くなり、そんな自分を麗牙に見られたくなくて彼の胸に顔を埋めてしまう。
「それは……したくない、かな……」
「っ……(そ、それって……どういう意味でっ?)」
嫌なら引き剥がしてと自分で言ったものの、いざ言われたらと考えるだけで泣きそうになる。我ながら面倒臭い人間だと思っていたところで、麗牙がそう呟いたのが聞こえた。したくない……アタシを引き剥がしたくない……そう捉えられる彼の言葉に心が浮きだってしまうのを感じた。
麗牙がそうしたいから、このままで居たいということなのだろうか。それとも、アタシが悲しむから拒絶したくないということなのだろうか。多分、冷静に考えれば後者の方なのだろうけど、麗牙と……意中の男の子と二人きりという状況がアタシの判断力を鈍らせていたのかも知れない。ただただこの甘い空間に浸かっていたかったアタシは、麗牙の気持ちも分からないまま彼の体温を身体で感じ続けていた。
「なんだか、初めてリサさんの前で変身した時のことを思い出しますね」
「あはっ、実はアタシもちょっと思ってたんだ」
あの日、命を狙われて心が壊れかけたアタシを救い出してくれた麗牙。思えばあの時から少しずつ彼に惹かれていったのかもしれない。そして再びアタシの命に危機が迫り、またも暗闇の中に囚われそうになった時、麗牙はアタシを怖がらせまいと優しく抱き寄せてくれた。ちょうどこんな風に……って、ええっ!?
「ら、麗牙っ!?」
麗牙の腕を抱きしめるアタシの身体を更に包むように、彼の大きな身体がアタシの全身に感じた。こちらから抱きつく形ではなく、あの時のように彼から抱き寄せてくれていた。予想外の展開に声が裏返って狼狽えてしまう。嬉しいはずなのにその気持ちを上手く表せずに、彼の口から不安そうな声が出てしまっていた。
「あ、ダメ……でした?」
「そ、そんなことないから! こ、このまま! ほら、も、もうすぐ撮られるから、カメラ見てっ」
夢でも見てるのだろうか。そんな思いすら抱いてしまうほど現実味を感じなかった。あの時は抱き寄せられて感じたのは安心感だったけど、今は全然違う。満足感、幸福感、恍惚感……ダメだ、どの言葉も今の満ち溢れるような想いを言葉にすることができないっ。
言いようのないほど心地いいの中で、目を潤ませながら麗牙と共にカメラへと目をやる。直後、カメラのシャッター音が鳴り、全ての撮影が終了した。
「ぁ……」
それを察した麗牙はゆっくりとアタシから離れていき、途端に寂しさと肌寒さが襲ってくる。このままずっと麗牙の腕を掴んでいたかったけど、これ以上は彼にも迷惑がかかるし、鬱陶しがられるかもしれない。だからアタシは名残惜しげに彼を解放し、友達としてあるべき距離感へと戻っていた。
「……この後さ、写真に色々描いたり加工したりするんだけど、麗牙も見てく?」
「はい。是非とも」
本当に彼は初めて見るものには楽しそうに食らいついてくる。決して世間知らずではないんだけど、アタシにも麗牙に色々と教えられることがあると思うと嬉しいし、側でどんどんと新しいことを経験していく彼のことを愛らしく感じてすらいた。
「(アタシ、やっぱり麗牙のことが大好きっ)」
写真を弄るためにペンを動かすアタシの動きを見逃さまいと、真剣に見つめる彼が愛おしくてしっかり正したはずの頬がまた緩んでしまう。一枚一枚、遊び心を忘れずに落書きしていくけど、彼の視線を感じていたためか身が引き締まる思いでもあったけど。因みにデフォで色白加工していたお陰か、赤面した自分の写真を麗牙に見られずに済んだのはちょっとした幸運だったかな。
「ふふっ」
画面に映るどの写真も、アタシと彼の二人きり。
他に誰もいない空間にいる自分たちを見てると、少しだけ優越感が生まれてしまう。
彼の仲間であるTETRA-FANGに対しても。
アタシと同じで麗牙に好意を向ける紗夜にも。
そして……燐子にも……。
「……」
なんとなくだけど、アタシには一つ感じることがあった。
ここ最近、麗牙を見ていて感じた素朴な疑問……。
「(麗牙って多分……好きな人……いるよね)」
その言葉を言いたくて、でも怖くて、アタシはまた言葉を飲み込んだ。
「……」
二人の時間が長くなるほど、終わりが辛くなる。
このままずっと雨宿りしていれば、もう少し麗牙と一緒にいられるのかな……。
外では雨が弱まり始め、建物を叩く音も小さくなっていたけど、ゲームの音にかき消されてアタシは全く気付くことがなかった。
アゲハたちの場面の方が少しだけ時間が進んでます。