「はいっ、これ麗牙の分。いやぁ、いい思い出が作れたねぇ」
「はい、ありがとうございます」
頑張って笑顔を振りまいて麗牙に語りかけ、アタシは出来上がった写真を麗牙へと手渡した。本当にいい思い出をもらったのは自分の方なのにね。
しかし写真のプリントアウトの待ち時間の間で幾分か冷静になって、ようやくさっきまでの自分の行動を振り返ってアタシは内心発狂していた。
「(アタシのバカバカバカっ! なんであんなことやっちゃうんだよ〜! いきなり飛びついたり抱き付いたり、あんなの絶対麗牙を困らせるだけなのに〜! ぅぅ〜……)」
麗牙に気付かれないよう必死に笑顔を作りながら、数分前までの自分に殺されそうになるのを耐えていた。狭い空間で二人きりになったのがいけないのだろうか。ともかくこれ以上ここにいるのは危険だ。またおかしなことになってしまうかもしれない。
それに、今日は充分楽しんだし、そろそろ頃合いかもしれない。
「そろそろ出る? 雨、少しはマシになってるかもしれないし」
「確かに、僕も少し遊び疲れたかも」
「あははっ、麗牙から遊び疲れたなんて言葉が出るなんてね」
「はは、僕もちょっと驚いてます」
名残惜しいけど彼との楽しい時間もお開きだ。そう思いながら建物を出ようと歩き始めたところで、ふと麗牙の足が止まったのが目に入った。天井へと意識を向けて何事かと思ったけど、どうやら店内に流れる音楽に耳をすませていたようだ。そんなに好きな曲なのかな? 気になって麗牙に訊ねてみた。
「麗牙? どうしたの?」
「え? あぁ、ごめんなさい。丁度好きなグループの曲が流れてきたから」
「へぇ、麗牙の好きなグループって?」
初めて麗牙と会った日に音楽の趣味やロックバンドについて話し合った気がするけど、麗牙の「特にこれ」っていうグループはそう言えば聞いていなかったかもしれない。今流れている音楽もロックじゃないし、TETRA-FANGのそれとは似ても似つかない曲調だったから余計に気になってしまった。
「ブルースカイです。『Great Blue Sky』。様々な音楽家たちが、ただ素晴らしい音楽を奏でるためだけに一つになったグループです」
その曲を奏でるグループの名を、麗牙は今日一番の眩しい笑顔で語った。
さっきのように子どもみたいに燥いでいた弾けるだけの笑顔じゃなく、落ち着いて慈しむような、どこか扇情的な笑顔。
アタシと一緒にいる時よりも輝いていて、色んな想いを内包した魅力的な微笑み。
騒ぐことなく静かに語るけど、その表情から彼がとても興奮しているのが分かった。
「(初めて見る……こんな麗牙の顔……)」
そんな彼を見て胸の中に黒い雫が落ちていくのが感じられた。
胸の底に落ちた雫は溶け込み、黒い染みを広げていくようだった。
「……あ、あぁ〜。そういえばアタシも聴いたことあるよ。さっきも音ゲーで選んでたのってブルースカイのだよね?」
「はいっ! 結構幅広いジャンルの音楽家たちがいるので、その分楽曲も多様なんです。リサさんもきっと好きな曲が見つかると思いますよ」
アタシが少しだけ知っていたことにも本当に嬉しそうに反応する麗牙。ここまであからさまにテンションが違うと、アタシと遊んでいる時間は楽しくなかったのではないかと嫌でも考えてしまう。
だって、ここまで好きなことを嬉しそうに語る麗牙の顔、今まで見たことがなかったから……。
普段の笑顔とはまた違う、アタシが知らない彼の素顔。
それを知っているのがアタシだけだったらいいのに……。
そんなあり得そうにない独り善がりな希望を抱いてしまうのも、今の麗牙がアタシとは違う場所にいる気がしてならなかったからだ。
「へ、へぇ……知らなかったなぁ。麗牙ってブルースカイのファンだったんだ……」
「僕だけじゃないですよ。燐子さんもそうですし」
「え……?」
突然彼の口から告げられた、初めて聞く友達の趣味に口を半開きにして固まってしまう。
燐子の好きなものを知ったことにではない。
燐子が麗牙と同じものを好み、同じ景色を見ているということに……。
──また……燐子……。
……最悪だ。思い出したくなかったのに、数日前に見た光景が思い出されてしまう。
最初にそれを見たのは合同ライブの前日、放課後にファーストフード店の前を通りかかった時だった。ふと店内へと目をやった時、制服姿で向かい合って座る麗牙と燐子の姿を偶然見つけてしまった。イヤホンを二人で分け合い、心地良さげに笑い合っている姿を目の当たりにし、アタシは胸の奥で心臓が縮まるような痛みに襲われていた。
だけど二人の世界に入っていく勇気を振るうことも出来ず、その場から逃げるようにして先にCiRCLEへと走り出してしまった。その後に仲良く二人して到着した麗牙たちに対して何の動揺も見せなかったのは、アタシにしてはよく出来過ぎていたと思う。
その翌日、サプライズとして二人で演奏することを知り、そのために二人で色々と模索していたのだと納得して一度は安心してしまった。しかしもう心を惑わされることもないと思っていた数日後、今度は麗牙と燐子がネットカフェへと入っていく姿を見てしまい、再び胸の奥が握りしめられるような思いに駆られてしまった。
いつの間に二人はそんなに仲良くなったんだろう。一体どこで趣味が合致することになったのだろう。今の麗牙の笑顔を、燐子は何度も見てるのだろうか。
──ズルい……。
──羨ましい……。
──妬ましい……。
せっかく考えないようにしていたのに、一度意識してしまうとどんどんと燐子を妬む気持ちが強くなってしまう。考えれば考えるほど胸が苦しくなる。彼女にそんな気持ちを抱く自分が嫌になる。彼からも逃げ出したくなる。
「……リサさん?」
アタシの心がどんどん濁っていくのに、果たして麗牙は気付いているのだろうか。もしかすると気付いているのかもしれない。きっと今のアタシの心の音楽は、鈍く、痛々しく、沈んでいくようなものに聴こえているんだろう。
「麗牙ってさ……好きな人っているの?」
胸の内から何かに迫られるように、ついに閉じ込めていた言葉が飛び出してしまった。自分は何を言ってるのかと思うも既に手遅れで、それどころか一度流れ出した感情が止まらずに次々と言葉として出てきてしまう。
「どうしたんですか急に?」
「ううん。でもなんかさ、そんな気がしたんだ。麗牙ってさ、今好きな人とかいるんじゃない?」
「え〜っと……それは……」
恥ずかしげにアタシから視線を逸らして頬をかく麗牙。その仕草が可愛らしくて許したくなるけど、今はどうしても麗牙に聞かねければならなかった。麗牙の焦る態度からして、それが恋愛的な意味での「好き」だとちゃんと彼は理解している。その答えが知りたくて、アタシは彼の気持ちも考えず迫ってしまう。
「いるかいないかだよ? それって言えないこと?」
「そうじゃ……ないですけど……」
分かりやすいよ麗牙……。いないなら「いない」って言えばいいのに、言い淀むのは「いる」って言ってるようなものだよ。いつものようにハッキリと言ってよ。「僕には好きな人がいます」って。
「好きだと、思う人は……多分、いると思います」
だけど、返ってきたのは予想に反して非常に曖昧な答えだった。
「ふふっ、何それ。なんで曖昧なの?」
麗牙らしからぬ微妙な回答に少しだけ可笑しくなる。だけどあまり望んだ解答じゃなく、少しだけ責めるような視線を彼に送ってしまう。
「この気持ちが恋なのか、僕も分からないから……もしかするとただの親愛なんじゃないかって、そう思うんです」
自分の気持ちが恋かどうか分からないって……麗牙の言うことがアタシにはよく分からない。少なくともアタシは今の自分が抱くこの気持ちが恋だって言い切れる自信がある。こんなに愛しくて切なくて、苦しくって、これを恋って言わなければ他に何を恋と呼べばいいのか分からない。
麗牙がそこまで悩む感情があるなら、そこに抱く気持ちは恋なんだと思う。本人でもないアタシがどうと言えたことではないけど、だから、アタシはその先の話を彼に聞いてしまう。
「それってさ……アタシも知ってる人……?」
麗牙が好きだと感じている人……それは誰なのか。麗牙が質問に肯定すれば、大分人数は絞られてしまう。麗牙とアタシが両方知っている人なんて、それほど多くはないはずだから。
「……」
麗牙は何も答えない。
知らない人なら知らないと言えばいいだけの話なのに、それが出来ない。
つまり……。
「知ってる人なんだ……そっか……」
「……はい」
アタシの確認に、彼は小さく呟き頷いた。
そして、またしてもさっきのブルースカイを語る麗牙の顔を思い出してしまう。そして、その顔を知っていたであろう燐子の顔も……。
「(ちょっと……夢見すぎたなぁ……)」
二人の顔を思い浮かべて、鋭い爪で胸が引き裂かれるような痛みを覚えていた。
いっそのこと本当に引き裂かれて血でも流してほしいくらいだった。
そうでもしなければ、この息苦しさからも逃れられる気がしなかったから。
「……ごめん、変なこと聞いちゃった。あっ、アタシ先に行くねっ」
「え?」
痛い目を見ることでようやく麗牙の望みを考えることができたからだろうか。これ以上二人きりでいたら麗牙に迷惑をかけるかもしれないと思ったアタシは、彼から足早に彼から離れようとした。麗牙が望んでいるのはアタシじゃない。それを感じたアタシがずっとここにいるのもおかしな話だ。だからアタシは、自分の心を殺してでも彼から去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。まだ雨降ってますよ。送っていきますから──」
「大丈夫。ほら、ちょっと雨も弱まってるし、最悪コンビニで傘買ってくから」
「でもリサさんが一人で帰ることも──」
「麗牙もわざわざ二人で帰ることないんだよ?」
「それは……リサさんが心配だから」
何度もアタシのことを心配する彼の優しい声が胸に響き渡る。嬉しい反面、その優しさが今は辛くて仕方なかった。
「どうしたんですか。今日のリサさん少し変ですって」
「変……うん、そうだよね。今日のアタシ、変だよね……」
「既に風邪とか引いてませんか? ともかく、今のリサさんを一人で帰せません」
「いいよ、そこまで気にしなくても……(やめて……そんな優しい言葉かけないで……やめてよ……)」
何度もアタシを心配する彼の声が辛くて泣きそうになり、涙を見せたくなくて余計に彼から離れようとしてしまう。本当は離れたくないくせに……。
「アタシは大丈夫だからさ、麗牙」
「っ、そうは思えません。だって今のリサさんの音は──」
「やめて……勝手にアタシの心の音なんて聴かないでっ」
「──っ……」
今は誰にも知られたくなかったアタシの気持ち。熱を帯びて湿っていて、ドロドロとしてた嫌な心。麗牙がアタシの音に何を感じたかなんて言われなくても分かるけど、それをそのままに感じて欲しくはなかった。だって、アタシの心はアタシだけのものだから……。
だから、アタシの心の音を感じた麗牙につい声を荒だててしまう。
「ごめん……また今度、ね」
アタシの言葉に呆然と固まってしまった麗牙から逃げるように、アタシは雨空の下へと駆け出していった。
──ホント、最低だアタシ……。
感情のままに麗牙を振り回したアタシを責めるように、冷たい雨が肌に突き刺さっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいま……」
教会でアゲハさんと話した後、特に何事もなく雨の中家まで帰っていたわたしは、真っ直ぐ自室に向かって着替えると、ピアノの前でもパソコンの前でもなく、そのままベッドの上に座り込んだ。今は少しだけ、先ほどのアゲハさんとの会話を思い返していたかったから。彼女にピアノのコンクールのことを話したことはよかったと思う。あんなにも応援してくれるのは少し驚いたけれど、お陰で少しだけ勇気を貰えたし、何が何でもやらなければという気にさせてくれたから。
そして、もしコンクールで昔の自分を超えられたら……あの日の悔恨を克服できるなら……。
「またあの子に……会いたい……」
幼い頃にわたしが傷付けてしまった、怪物に変身した男の子。わたしの初恋の男の子。今はどこにいるのか、どうしているのか分からないけど、一つだけ感じていることがあった。
あの子は、今も音楽を聴いていると。
ようやくそれを感じることができたのも、麗牙さんのお陰でわたしの青空を取り戻すことが出来たから。わたしが愛した青空の音楽を、再び聴くことが出来るようになったから。
わたしはパソコンに繋がれたヘッドホンではなく、鞄に詰めたイヤホンを端末に繋いで、一つの曲を再生した。それはもちろん、麗牙さんも、そしてあの子も好きと言っていたブルースカイの楽曲。外で降りしきる雨も気にならなくなるほど、透き通った青空が心に広がっていく、わたしの好きな音楽。それに耳を澄ませているとどんな時でも落ち着くし、楽しい気持ちになれる。
そして一つだけ思い出したことがある。わたしにブルースカイの音楽を思い出させてくれたあの日、そして彼をNFOに誘った日の帰り道。ブルースカイの話になると決まって麗牙さんは笑顔を浮かべるのだけど、その笑顔に感じていた引っかかりに対してようやく気付いたことがあった。
「(ブルースカイを語っていた時の……麗牙さんの顔……あの子に似ていたんだ……)」
くしゃっと糸が解けたように力を抜いて、でも有りっ丈の想いがこもった温かい微笑み。見ているこちらも温かくなるそんな笑顔を、あの子も浮かべていたのだと思い出すことができた。
だからなのかも知れない。麗牙さんの側にいるとすごく落ち着くのは。あの子の隣にいた時と同じ、心から落ち着ける優しい時間を、麗牙さんの側にいるとまた感じられたのは。
やっぱり、二人は似ていると思う。
もしかして、麗牙さんがあの子だったりして……?
……そんなわけないよね。いくらなんでも性格が違いすぎる。どんどん人前に出ていく麗牙さんの行動を思い返しても、引っ込み思案なあの子とは別人である可能性の方が高い。それに、もし本当に麗牙さんがあの子だったとしたら……わたしは今更どんな顔をして彼と接すればいいか分からない……最悪、また逃げ出してしまうかもしれないから……。
──『麗牙のこととか気になったりしてないの?』
「(どうなんだろう……わたしは……どう思ってるのかな……)」
アゲハさんにあんなことを言われて彼のことを気になり始めたからかもしれないけれど、麗牙さんのことを思うと、胸の内がピリッと焼けるような気持ちになる。少しだけこそばゆくて、でも嫌な感じはしない甘い気持ち。みんなに相談したら恋って言われるのかな? 小説にも似たような表現は幾らでもあったし……。
「(でも……わたしは……)」
それでも、今のわたしに恋はできない、いや、したくない。一度自分の気持ちを裏切ったわたしにそんな資格があるのか分からないし、それ以上に恋をして再び自分の気持ちを裏切ってしまうのではないかと思うと怖くて仕方がなかったから。
だからわたしは恋をしない。
少なくとも、あの子に会って……謝って……自分のことを許せるようになるまでは……。
♫〜〜♬〜〜
ベッドから立ち上がり、ピアノの席に座って鍵盤を開く。鍵盤カバーを外して、白鍵の上にゆっくりと指を下ろしていく。一度走り出した音楽は止まらず、流れるようにわたしは心に響く音楽を奏でていく。
──Rainy Rose
雨の日だからだろうか。それとも彼のことを考えていたからだろうか。今この時、ふとわたしの心に流れてきたのはこの曲だった。悲しく雨のように降る黒い薔薇……その悲しくも美しい旋律が、今のわたしのノスタルジックな思いに共鳴していた。そのメロディに乗せて、わたしも過去の思い出を蘇らせていた。
きっと彼も、この曲を作るときに昔を思い返していたんだろう。
今のわたしが、あの子を思い出しているように。
──I'll remember her……
彼は……誰のことを覚えていると唄ったのだろう……。