ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『麗牙を想う熱い気持ちがリサと紗夜の間で軋轢を生んでいた。バラバラになりかけたRoseliaをもう一度甦らせるため、友希那が立ち上がる。その一方で麗牙は、苦悩の中で音楽が聴こえなくなり……』


第54話 友を繋げる希望の奏

「リサ。入るわよ」

 

「……」

 

 ドアの向こうのリサの部屋からは一向に返事はない。少しだけ様子を見たけど彼女が部屋の中で動く気配がなく、私はドアノブを回してリサの部屋へと入っていく。傘の合間から侵入した雨で濡れた身体を拭くことなく、彼女はベッドの上で身体を小さく丸めて蹲っていた。私が勝手に部屋に入ったことなんてまるで気にしていない様子だ。

 

「リサ……少しだけ、話を聞いてくれるかしら」

 

「……」

 

 リサの耳元で優しく囁くと、彼女は少しだけ首を動かしてこちらへと視線を向けてくれた。いつもは太陽みたいに光り輝く彼女の目も涙のために赤く充血し、瞼も泣き腫らしている。しかしとりあえずは聞いてもらえるようだと安堵し、私は静かにリサに語りかけた。

 

「さっきはごめんなさい。『そんなこと』なんて言って」

 

 先ずは謝罪から。我慢ならないからと口先から出てきてしまった言葉で彼女を傷付けたことへの懺悔が無いことには始まらない。

 

「私は、いつだってRoseliaのことを真剣に考えている。私たちは今まで五人でRoseliaとして活動してきた……それは誇りだと今の私は感じていたわ。その誇りが、あなたたちの言う『恋』一つでいとも簡単に崩れそうになって……その光景があまりにも悔しくて仕方なかった。だからついあんなことを……。決してあなたの抱いた感情をくだらないと思っているわけではないことは分かってほしいの」

 

 彼女の初恋のことを見下しているのではないと理解してもらいたいが、リサの目の色は依然変わらない。もしかすると自分が思っている以上にリサのことを傷つけていたのかもしれないが、私もそこで止まるわけにはいかなかった。

 

「だけどリサ。それとは別に一つ言わせて欲しいの」

 

 彼女の心に寄り添うような優しい声色を捨て、いつもの練習で注意するときの声色を出して彼女に言葉を投げかける。

 

「あなたが誰を好きになってもいい。あなたが幸せを掴むことにも私は反対したりしないわ。私もリサの幸せを願っているから……だけど……」

 

 リサには幸せになってほしい。大切な幼馴染みであり、ここまで私たちを支え続けてきた努力家の彼女、そして誰かの幸せを願い続けてきた彼女には明るい未来が訪れてほしい。そう願うのは自然なことだった。

 

 しかし、だからこそ彼女には覚えていてほしいことがある。

 

 普段が献身的な彼女だからこそ、忘れてほしくない思いが……。

 

「もう少し……麗牙のことも考えてほしい」

 

「っ……」

 

 いつだって誰かのために献身的に行動してきたリサ。そんな彼女がようやく自分の幸せのためだけを考えて動こうとしていた。どこか自分のことを後回しにしていた節が見られたリサがそんな風に考えるようになったことには安心したが、同時に遣り切れない気持ちにもなってしまう。麗牙へ抱く想いから紗夜のことを責めたり自分を守ることに意識が集中し、同時に告白された現在の麗牙自身の状況にまで考えているようには思えず、今のリサはあまりにも考え方が自分本位に寄っていたと感じていたからだ。

 

「麗牙は今、すごく苦悩していると思う。多分だけど……彼は心に弱い部分を抱えている人なのだと思うから……」

 

 以前も麗牙を見て感じていたことだが、彼は人からの感情を馬鹿真面目に受け取ってしまう人だ。好意には純粋に喜び、悪意には静かに傷付く。感情豊かなのはアーティストとして大切なことなのかもしれないが、あまりにその傾向が強い麗牙を見て、私は彼がいつか壊れてしまうのではないかと心配していたほどだ。

 もう一つ、彼は好意から反転する「拒絶」を恐れている。「自分が怪物だったら」と僅かに怯えの色を滲ませて私に問うたことからも、それは間違いないだろう。私でも気付いているくらいだ、リサもそんな麗牙の弱さに気付いていてもおかしくないはずだ。

 そんな彼が、今はリサと紗夜の二人から想いを寄せられ答えを求められている。麗牙のことだ、告白に関しては純粋に嬉しいと感じているはずだ。しかしそのどちらか、或いは両者の好意を踏み躙らなければならない。好意を抱いているはずの彼女たちを拒絶しなければならない。それは麗牙にとってとても辛い決断となることだろう。

 彼のルックスのことだから、もしかすると以前にも誰かから告白などされているのかもしれないが、その度に苦悩しているのだろうか……。

 

 ともかく、麗牙は決して強いだけの人ではない。私たちと同じ、ちゃんと弱い部分を持った一人の青年だと言うことを今一度理解する必要があった。

 

「だから、麗牙がどんな選択をしても後腐れなんて残さないでほしいの。そうでないと、麗牙はきっと悲しんで自分のことを責めるだろうから……」

 

 麗牙が何かしらの答えを出した時、彼女たちの間で大きな感情の渦が巻き起こるだろう。歓喜か、悲しみか、妬みか、消沈か……波乱が起きる事は想像に難くない。しかし、それでもリサと紗夜にはこれ以上争って欲しくはなかった。麗牙の選択によって蟠りが残った場合、それに責任を感じた麗牙はより傷付いてしまう。リサや紗夜を救ってくれた優しい彼を、そんなことで戒めの鎖に繋ぎたくなかったから。

 

「……分かってる……分かってたよ……」

 

「リサ……?」

 

 私の願いに、リサの口が動いた。その震え声は私に返すようにも、また自分に言い聞かせるように言葉を噛み締めているようにも聞こえていた。

 

「麗牙の弱いところ……アタシだって知ってる……アタシだって……紗夜と喧嘩なんてしたくないよ……」

 

 弱々しく漏れるその言葉は間違いないリサの本心だった。

 

「アタシ、紗夜が麗牙のことを好きだって知ってたのに……自分のことを紗夜に何も言わなかった……紗夜の気持ちも無視して麗牙に告白して……悪いのはアタシなのに……っ」

 

 話す度に息が震え、赤く染まった瞳の端に再び涙が滲んでいた。先ほどスタジオで並べた言葉とは裏腹に、リサは自分に責任を感じていたのだ。紗夜の慕情を知りながら、彼女の言葉のように抜け駆けした自分のことをリサは責めていた。麗牙への想いの強さ故に隠れてしまっていた自身の心を、リサは今ようやく自覚できたのだ。

 

「紗夜に謝りたい……でも……麗牙のことを想うと我慢できないの……大好きな麗牙の側に誰かが立つと思うと耐えられなくて……紗夜にどうしても酷い言葉ばかりかけてしまって……アタシ、本当に最低だ……」

 

 今のリサは、いろんな感情が入り乱れて自分でも制御が出来なくなっていた。自分が悪いという自責の念と紗夜に謝りたいという良心、そこに麗牙が好きだという独占欲が重なり合い、混ざり合った感情がリサ自身を押し潰そうとしていた。

 

「ふふ」

 

 しかし、そんな彼女の様子を見て私は薄く笑みが溢れてしまっていた。何故ならば……。

 

「紗夜と同じこと言ってるわね」

 

「え……?」

 

 ここに来る前に紗夜から聞いた言葉と同じようなことをリサも言っていたからだ。流れる涙も止まり、点になった目で私を見つめるリサにここまでの経緯を話した。

 

 

 

 

 

 

 練習を切り上げた後、私はすぐに日菜に連絡を取って紗夜と話し合う時間を設けてもらった。失言の詫びと、そして彼女の本心を知るために。

 

 ──紗夜、さっきはごめんなさい。

 

 ──いえ……こちらこそ偉そうなことを言ってしまって……ごめんなさい。

 

 今リサに話したことと同じ、自分の発言によって彼女の初恋を傷付けたことに謝罪する。幾分か頭が冷えていたのか、紗夜は申し訳なさげに頭を下げて謝り返してくれた。しかし彼女が纏わせている重々しい空気は先ほどと変わりなく、沈んだ表情が崩れることはない。

 

 ──紗夜は……麗牙のことが好きだったのね。

 

 紗夜とは未だ面と向かってそのことを話せていなかった私は、彼女の胸に抱く想いを知りたくて問いかける。紗夜は静かに昔話を聞かせるようにその胸の内を語り明かしてくれた。

 

 ──生まれて初めてでした……こんなに一人の男性のことを好きになるなんて……胸を焦がすほどの熱い想いを誰かに抱くなんて……。辛いけど幸せで……どこか夢を見ているような気分になれたんです。

 

 紗夜の語る恋というものも、残念ながら私には今ひとつ理解が出来ていない。辛いけど幸せで夢見心地な思いとは一体どのようなものなのか。恋とはそれほどまで矛盾に溢れた世界なのかと考えてしまう。

 

 ──この気持ちは私にとって代え難い宝物のように感じていました。誰にも汚されたくない……誰にも譲りたくない私だけの大切な気持ち……。

 

 しかし、その気持ちは突如として踏み躙られることとなった。偶然にもリサが麗牙に想いを告げる瞬間を目の当たりにしてしまい、紗夜の心は激しく揺れてしまった。リサも麗牙に想いを寄せていたことだけでも充分に動揺すべき衝撃であったのに、麗牙にその気持ちを伝える瞬間が紗夜には信じられないものに見えていた。ともすれば目を背けたくなるような悍ましいもののようにも感じていたという。

 

 ──怖かったんです……怖くて、怖くて……そして悲しくて仕方がなかったんですっ。紅さんが誰かの隣にいると考えるだけでも怖かったのに、よりによって今井さんが……私の恋に気付かせてくれた今井さんが彼と結ばれるなんて思うと……遣り切れない思いでいっぱいなんです!

 

 それもまた初めて聞く話であった。紗夜が恋を抱いたきっかけ、いや、自身の恋に自覚したのはリサのおかげだったのだ。なるほど、ある意味で彼女にとって恩人であるリサが、自分を差し置いて麗牙と恋人になろうとしていた。それは紗夜としては看過できない事情であったのだろう。

 そして紗夜もまた追い詰められてしまった。今行動しなければ麗牙がリサにとられてしまう、自分の尊い初恋が何も始まる前に終わってしまう、そんな焦燥にかられる紗夜を想像するのは難くなかった。そして麗牙の前に現れた紗夜は溢れる感情を抑えきれず、自身でも制御が効かないまま、そして……麗牙にキスをしてしまった。その後すぐに正気を取り戻した紗夜は自分のしでかしたことに頭が付いていけず、混乱の中で麗牙の答えを聞く間もなく泣きながら逃げ出してしまった。

 

 ──本当に……私は何をしているんでしょうか……。

 

 全てを思い返して重く項垂れる紗夜。ただただ感情の動くままに行動してしまい、その場を荒らして逃げ帰ってきてしまった自分を彼女は恥じていた。

 

 ──今でも怖いんです……紅さんが今井さんのことを選ぶと思うと。彼に口付けしてしまったことは本当に今でも信じられないですし自分が恥ずかしくなります。でもっ、それでも今井さんに彼を取られてしまうのが嫌で……。

 

 自分を情けなく感じ、行動を恥じていても、紗夜は麗牙が好きで諦めることは論外であった。自分が初めて抱いた恋という感情、それだけは誰にも譲りたくなかった。リサであってもそうだが、例え日菜が相手であっても考えは同じだと紗夜は言う。

 麗牙を想う気持ちは決してリサに負けていない紗夜。故に、仲間であり友であるはずのリサにすら紗夜は敵意を向けてしまっていた。

 

 ──ですが……本当は今井さんのことを……嫌いにはなりたくないです……。

 

 しかし、ぽつりと紗夜の口から溢れたその言葉も間違いなく彼女の本音であった。自分の恋を大事に思うがあまり、どうしてもリサに強い言葉を投げかけてしまう。そんな自分が嫌になると紗夜は語った。

 

 ──裏切られたと、勝手に思っていたのは自分なんです。今井さんも私のように紅さんが好きで、それでいて想いを伝えようと決心できた……私よりずっと勇気ある行動を彼女はしたんです。今井さんの抱いた決心に勝手に口出しして……それを塗り潰すように口付けまでしてしまって……私は……本当に最低な人間です……。

 

 紗夜もまた自分を責めていた。麗牙に振り向いてもらいたい一心で、リサの想いを踏みにじる行為をしてしまったのだと紗夜は強く反省していた。人が人を好きになるのに許可や共有なんて必要ない。それぞれが思いのままに好意を抱き、好きに行動すべきなのだと、紗夜はそれが自然の事と思い直していた。だからこそ、リサの告白を勝手に裏切られたと感じた自身の身勝手さに紗夜は辟易としていた。

 それでもなお、リサに強く当たってしまうのは麗牙を譲りたくないという頑なな想いのため。紗夜もリサと同様に様々な感情に揉み潰されて動けなくなっていた。しかし、紗夜がリサに謝りたいという気持ちを持っていることが確認できただけでも充分であった。

 恋ゆえに何も見えずにいた紗夜もまた、自身の心の奥底に眠る本心に気付けたのだ。

 

 ──なら最後に一つ、聞いてほしい。

 

 だから私は紗夜に、リサと同じ言葉を告げていた。

 

 ──麗牙がどんな選択をしたとしても、後腐れなんて残さないでほしい。じゃないと彼は必ず自分を責めて、すごく傷付くことになると思うわ。紗夜だって、麗牙にそんな思いさせたくないんでしょ?

 

 ──……当然です。

 

 麗牙に弱さがあることを紗夜は知っていた。だからこそ彼のことを支えたいと願っていたのだから。そんな彼女が、麗牙を苦しませることを望むはずがなかった。

 

 

 

 

 

 

「……そうなんだ……紗夜が……」

 

 紗夜の想いを知ったリサは自身の胸に手を当て、辛そうな表情を浮かべて紗夜の名を呟く。

 

「裏切られたと勝手に思った、って違うよ……アタシ、本当に裏切っちゃったのに……」

 

 リサも紗夜も、どちらも自分を責めてるのにどうして素直になれないのだろうか。それが恋する少女の特性なのだとすれば些か面倒が過ぎるが、こうして誰かが手を差し伸べてあげなければならないほど弱くなってしまうのは二人を見ても明らかなことだった。しかしそれならそれで手を差し伸べればいい。もはや手放しで彼女らをそのままにしておけるほど私は……Roseliaは上っ面だけの絆ではない。麗牙を譲れず自分を責め合う二人がもう一度一つになれるために、私は今一度リサの背中を押す。

 

「リサ。大変なことだと思うけれど……麗牙から答えをもらう前に、紗夜と話はできる?」

 

 先ほどのCiRCLEでの二人なら会わせることは決してしなかっただろう。しかし、自分の感情に向き合って矛盾を自覚している今の彼女たちなら、会って話をすることができる。二人がもう一度同じ音楽を奏でられるために……麗牙が苦しまないために……。

 

「うん……アタシも、紗夜には先に謝りたいから……」

 

 紗夜にも先ほど同じことを訊ねたが、やはりリサと同じ答えを出した。二人の気持ちは最初から同じだったのだ。麗牙を想う熱い気持ち、麗牙を譲りたくないという想い、互いに自分が悪いという罪悪感、相手に謝りたいと願う心も、彼女たちは鏡合わせのように持ち合わせていた。

 

 ここまで同じ思いを抱いていながら、どうしてすれ違ってしまうのか。

 

 恋とは……本当に面倒で解らないものだと、リサと紗夜の二人を見て思わざるを得ない。

 

「(いや……三人ね)」

 

 私は心の中で自身の考えに訂正を加える。実はもう一つ……これは決してリサには言えないけれど、紗夜は私にあることを話してくれた。

 

 それは、麗牙がリサのことを好きだと言ったこと。

 

 紗夜はその言葉を聞いてしまい、半ば我を忘れた故にあのような行動に出てしまったようだ。そう、紗夜が告白する以前から既に決着は付いていた。行動を起こす前に全ては終わっていたのだと、それを突き付けられることが一体どれ程の絶望なのか私には分からない。ただ、紗夜が深い闇に落ちていく情景だけは容易に想像できてしまう。

 

 しかし問題はここからだった。麗牙はリサが好き。そう言ったにも関わらず、麗牙はリサの告白に対して答えが出せなかったという。好きならばその場で答えを返せるはずではないのか? 即座に自分もリサのことが好きだと言えることが出来れば、紗夜は間違いなく傷つくことになるが、リサの心は今よりは幾分か楽になっていたはずだ(紗夜への負い目を今以上に抱いていたかも知れないが)。決着がついている以上、悪い状態がそれ以上酷くなるとは私には思えなかった。無論、恋を知らない私の安易な考えだから実際はどうだか分からないが……。

 

 答えを出せないということ。それは麗牙も迷いを抱いているということに他ならない。だから最初にリサに言ったのだ、彼が「苦悩している」と。本当にリサのことが好きなのか、それ以上に好きな人がいるのか分からないが、彼は未だ自分がどうすべきなのか見えていない。

 

 その上で紗夜からもキスをされ、告白をされた。麗牙自身、気持ちの整理が出来ていない可能性が高い。

 

 だから今も、いくら私が電話をかけても出てくれないのだろう……。

 

「私はそろそろ行くわ」

 

「うん……ありがとう友希那……アタシ、もう一度紗夜と話してみる」

 

 リサが紗夜と会うことを決断してくれたのを見て安堵したのも束の間、私はリサに励ましの言葉を残して彼女の部屋を立ち去った。落ち着いた声で私に返事をしてくれるリサから、後は彼女たちに任せても大丈夫そうだと確信していたからこそ、私は次の目標に向けて歩き出すことが出来た。

 

「(さて、次は噂の色男の番ね)」

 

 雨空の元へ飛び出し、鈍色に染まる空を見上げながら現在絶賛音信不通の赤毛の青年を思い浮かべ、私は冬の雨で冷えていくアスファルトを踏みしめ歩いていく。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 あれから何度頭の中で未来を予想しただろうか。リサさんを選んだ未来。紗夜さんを選んだ未来。どちらも選ばなかった未来。どの道を選んでも、彼女たちの心や音楽に傷がついてしまう未来しか訪れなかった。

 

「(リサさんも紗夜さんも……どちらも大切な人なのに……)」

 

 両方を選べたら楽になれるのだろう。しかしそんなことを望んでいる者は誰一人としていない。僕自身が望んでいないし、きっと彼女たちも納得しないし、周りの目で彼女たちに余計な心労を抱えさせることになる。だから僕はそれ以外の選択肢を選ぶしかなかった。

 

「どうして……僕はリサさんに何も言えなかったんだ……」

 

 あの時リサさんに答えを返せなかった理由は未だ分からなかった。リサさんに何か至る点でもあったか、いやそんなものあるはずがない。リサさんはファンガイアである僕のことを受け入れてくれた優しい女の子だ。僕の身体を気遣ってライフエナジーを吸ってもいいんなんて言い出してしまうくらいには僕のことを信じてくれたリサさんに、悪い部分なんてあるはずがない。僕は、僕のことを受け入れてくれた彼女のことが好きなのだと……好きであるはずだと思っていた。

 しかし結果として僕はリサさんに「好きです」と言うことはなかった。僕の中の何が押しとどめたのか、いくら考えても答えは出てこない。僕は彼女をどうしたいのか……。

 

「紗夜さんにも……僕はなんて言えばいいんだ……」

 

 リサさんと同じように僕のことを好きだと言ってくれた紗夜さんも、ファンガイアである僕のことを受け入れてくれた人だ。ファンガイアだとか人間だとかじゃなく、「僕を僕として」見てくれると宣言してくれた紗夜さんの真剣な表情は今でも忘れることはない。それほどまでに、僕は彼女にも入れ込んでしまっていた。

 そんな彼女を、僕は大きく傷付けてしまった。「リサさんが好き」だと彼女に告げたことで、彼女の優しい心に牙を突き立ててしまった。彼女の心に酷い音楽を奏でさせてしまった。僕はどうすれば紗夜さんの心をこれ以上壊さずにいられるのか……。

 

 大切な二人の音楽を守りたい。だけどその願いは決して叶うことはない。何故なら、僕がどのような選択を取ろうとも彼女たちの心を傷付けることに変わりはないから……。

 

 そして、今の僕は人の心に流れる音楽を聴きとることが出来なくなっていたから……。

 

 いや、聴こえなくなったのではない。僕自身が耳を塞いでしまったのだ。僕自身が本気で守りたいと思った二人の音楽を自分の手で壊す……そんな未来を見たくなくて、そして音楽を聴きたくなくて、僕は必死に耳に残る壊れかけた彼女たちの音楽を消し去ってしまった。

 その結果、僕の耳に心の音楽は聴こえなくなっていた。どうやって聴いていたのか、それどころか本当に今まで聴こえていたのかという疑問すら沸き上がってしまうほどに、その聴き方を忘れてしまっていた。

 

「……」

 

 味気のない環境音だけが僕の耳を通り過ぎていく。だが心の音が聴こえなくなったとしても、僕が考えることに変わりない。どうすれば最善の未来を築けるのか、どうすれば二人を悲しませずに済ませられるのか、それを考えることで精一杯だったからだ。自分の事は二の次だった。しかしいくら彼女たちの事ばかりを考えていても答えは見つからない。心の音を失ってすら、行きつく答えが見当たらない。

 

「僕は……一体どうすればいいんだ……っ」

 

 頭を抱えて蹲る。少しだけ意識を暗闇の中に沈めた後、ちらりと棚に飾られたブラッディ・ローズを見上げた。父さんの魂が込められた名器に向けて、懇願するような視線を向けてしまう。

 

「教えてよ父さん。僕は……どうすればいいんだ。何が正解なんだ……」

 

 二人に幸せな未来があるのかが分からず、既にいないはずの父に向けて弱音を吐いてしまう。

 

 自分を情けないと思う余裕なんて無かった。

 

 それほどまでに追い込まれていたからだ。

 

 僕のことはどうだっていいから、どうか二人の音楽だけでも傷付けない方法があるならば教えてほしい。

 

 僕に前に進む力を貸してほしい。

 

 そんな都合のいい願い事ばかりを、今も鳴ることのない血染めの薔薇に縋ってしまう。

 

 しかし答えなんて返ってくるはずがなく、僕は再び蹲って暗闇の中へと意識を沈めていく。

 

 自分以外に誰もいない暗闇の中へと堕ちていき、全てが無に帰っていくような心地がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──自分の心の声に従えばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!? ……とう……さん?」

 

 

 意識が完全に暗闇に取り込まれようとしたその時、僕以外の声が聴こえた。

 

 

 優しく、力強く、包み込んでくれるような声。

 

 

 その温かな声に、僕は望んでいる人の声を聴いてしまっていた。

 

 

 誰よりも強くて優しかった、父さんの声を……。

 

 

 その声につられるように僕は顔を上げる。

 

 

 そこに、僕の望む人の立ち姿があることを信じて……。

 

 

「えっ……」

 

 

 しかし、僕の目に映ったのはブラッディ・ローズの隣に立つ写真に写ったあの人の姿ではなかった。

 

 

 力強く立つ姿は同じだった。

 

 

 そこに纏う強かな空気もそっくり。

 

 

 しかしその人は父さんではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんて顔してるのよ」

 

 

「ゆ……きな……さん……?」

 

 

 力強く真っ直ぐ僕の前に立ち、どこか威厳のあるような眼差しを僕に向けた友希那さんの姿がそこにあった。

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