皆が付いてきたことで一層賑やかになった燐子さんのショッピングが終わり、今は皆ショッピングモール内にあるペットショップで動物たちを眺めながら思い思いに楽しんでいた。
因みに健吾さんはここにはいない。何やら別に用事があるようで、すぐに戻ってくると言われたのでこうして大人しく待っている。かく言う僕も、そんな彼女たちから少し離れて一人ベンチに腰を掛けて静かな時を過ごしていた。動物は好きだが、正直今は皆に混じってワイワイ騒ぐ気になれなかったのだ。というのも……。
「(恥ずかしい……)」
自分をこうして落ち着かせていると、先ほどの醜態が嫌でも思い出されてしまうものだ。打ち拉がれて歩道のど真ん中で崩れ落ち、ひまりちゃんに同情され、つぐみさんには慰められ、歳上としてのプライドもへったくれもない惨めな自分の姿が脳裏に再生される。ショーケースの中を観察する彼女たちを遠目で眺めながら、情けない醜態を晒した自身への羞恥に浸っていた時だった。
「麗牙さん……隣……いいですか?」
「? もちろんいいですよ」
「ありがとうございます……失礼します……」
そういえば燐子さんの姿が見えないなと思っていた矢先、僕の意識の外から彼女の穏やかで静かな声が響いてきた。何も許可を取る必要なんて無いのにと思いながらも、快くベンチの僕の隣に彼女を招き入れる。広い空間に静かに溶けるように消えていく声と共に、どこか遠慮がちに腰を下ろす燐子さん。緊張しているのか、少しだけ身体が硬くなっているように感じられるので、少しは話題を提供しなければという気にさせられてしまう。
「えっと……(何話そうか……)」
「……」
しかし、いざ話そうとすると何故だか言葉が出てこない。きっと話題は幾らでもあるはずなのにだ。ショッピングでいいものが見つかって良かったですねとか、みんなと同じように動物を見たりしないのかなど。話の切り口は決して少なくないにも関わらず、彼女に対して言葉を発しようとは思えなかったのだ。
「……」
「……」
互いに無言の時間が過ぎていくが、僕はそれが苦ではなく、むしろ心地良さすら感じていた。元々こうして一人で静かに佇むことは好きではあるが、誰かが側にいるというのに沈黙を保つことが心地良いと感じることは殆どなかった。それこそ、幼い頃に側にいたあの子を除いて……。
「……」
燐子さんはこの沈黙が苦ではないのだろうか? そう思いふと横に目を向ければ、燐子さんは僕の思っていたよりも側に寄り添っていた。僕がほんの少し意識すれば、肩と肩が当たるほどの近い距離を保っていた。それを意識した時、少しだけ彼女の顔を見るのが恥ずかしく感じてしまい、視線をペットショップを見回っているあこちゃんたちへと向けて平静を装う。
「(って、何を緊張してるんだ僕は……)っ、ご、ごめんなさい燐子さん、ずっと無言で。これじゃあなんだか気まずいですよね? あはは……」
今の感じている空間が心地良く、壊したくがないために沈黙していたが、それが燐子さんにとって苦であるかもしれないと思い至り彼女に謝罪する。決して彼女に対して抱いた恥ずかしさを誤魔化すためではない、と思いたい。
「え? あ、いえ……わたしも静かなのは好き……ですから……悪い気分ではなかったです……」
「え……そう、ですか?」
「はい……麗牙さんとこうして静かに佇むと……すごく落ち着きますから……」
僕と同じように静かな空間が好きだと共感する燐子さんに嬉しく思うも、それ以上に僕といることで落ち着くと言われて少し肩が跳ねてしまう。僕も、燐子さんの側なら何も話さなくても落ち着つくと感じていたから……。
「僕も……なんだかとても落ち着きます。燐子さんがいると」
「っ……そ、そう……ですか……」
「……」
「……」
二人してペットショップの方へと目をやり、やはり先ほどと同じように互いに無言の時間が過ぎていく。しかし僕も燐子さんも互いに語り合ったように、そこに流れる空気は決して気まずいものではなく、ただただ穏やかで優しい時間が流れていた。
「(似てる……のかな……)」
そして、ふと昔のことを思い出す。確か過去にもこんなことがあった気がする。そう、あの時の少女と過ごした心温まる日々のことだ。互いが互いのすることに口を出さず、静かに見守りながら、それでも共に居続けた心地良い時間。語ることがなくとも側にいるだけで心が温かくなる、そんな安らかな時間を与えてくれたあの少女との記憶が朧げに思い出されたのだ。
燐子さんに似た、黒髪を持つ音楽好きの少女……。
「……っ」
しかし途端に、燐子さんにあの子の面影を見てしまい、心臓が僅かに早鳴った時だった。
「麗牙さん……」
「っ……な、なんですか?」
沈黙を守っていた燐子さんに突然話しかけられ、今まで思考していたことすべてが綺麗に消え去っていた。燐子さんの方へ振り向くと、すぐ目の前に彼女のくりっとした可愛らしい瞳があり、思わず吸い込まれそうになる。あの子と同じような綺麗な黒髪が揺れる様に僅かに鼓動が高鳴るのが感じられるが、燐子さんの話に集中しようと自分に言い聞かせて意識を保つ。
「すみません……わたし、ずっと気になっていたことがあるんです……」
「気になること?」
気になっていた割には随分とマイペースに聞き出すものだが、きっと問いかけるタイミングをずっと図っていたのだろう。申し訳なさそうに燐子さんは顔を伏せ、そして言いづらそうにポツポツと言葉を紡ぎ始めた。
「はい……麗牙さん……どうして今井さんと……氷川さんからの……その……えっと……」
「告白を断ったか?」
「……はい……どちらと付き合っても……その……とてもお似合いだと思っていたから……」
「(お似合い……)」
やはり気になってしまうものか、と仕方なく思うも、お似合いだと言われて少しだけ心に引っかかりを感じてしまう。と言うよりも、燐子さんにそう思われたこと自体に……なんだろう……今は少しだけ嫌な気持ちがしていた。腹の下が焼けるような、そんな気分だ。
「お似合いかどうかは分からないけど……でもやっぱり、僕の気持ちは恋じゃなかった。それに尽きるかな」
「恋じゃなかった……ですか……」
「うん。二人のことはとても好きだけど……そこに抱くのは恋じゃない。そう思ってしまったから……」
心の奥底にある本当の気持ち……二人のことを人生をかけてまでの相手とは思えなかった、悪く言えばそこまでして付き合いたい相手ではなかった……などとは燐子さんには言えない。言いたくない。彼女に軽蔑されるかもと考えるとそれだけで恐怖を感じてしまい、結局言葉を掻い摘んで簡単に説明するしかなかった。
「最初は恋なのかなって思った時もあったけど、違った。僕の恋は多分、子どもの時のアレっきりなんだと思うんです」
「子どもの時だけ……わたしも……同じです……」
「え? 燐子さんが?」
「『が』ってなんですか……わたしだって……ありました……子どもの頃の……一度きりですけど……」
あの大人しく清楚一直線な燐子さんにも恋愛の経験があるのだという事実に衝撃を覚え、つい失礼なことを口走ってしまう。まさか燐子さんに好きな人がいたなんて……。それと同時に腹の底が焼けるような感覚に襲われるも、とりあえずは無視して彼女の話に耳を傾けた。
「でも……わたし……失敗しちゃって……本当に最低な……」
「……」
燐子さんは何があったかは語ってはくれなかったが、初めての恋で大きな失敗をしてしまったということだけは教えてくれた。初恋の失敗か……僕もあるなぁ……本当に笑えない大失敗だけど……。
「あの時の失敗が怖くて……自分のことが許せなくて……それで、わたし……今でも恋は……できないです……」
昔を思い返しているのか、悲しそうな目を浮かべて身体を震わせる燐子さん。僕はそんな彼女の肩に優しく手を乗せ、そして短く言葉を投げかけた。
「また……自分に勝手なルール作ってる」
過去の失敗だけでなく、自分への悔恨から、燐子さんは自分が恋をできないものだと決めつけていた。いや、彼女の言い分からするに、自分は恋をしてはいけないのだと考えているのかもしれない。かつてのブルースカイの時と同じように……。
だからこそ、自分に理不尽なルールを課せている燐子さんの鎖をまた壊さなければならないと感じていた。だけどどうやって……? 過去の恋なんて、僕ですらまだ克服出来ていないというのに、どう彼女の鎖を壊せばいいのか……。そもそも、彼女の恋を知らなければ関係のない僕に何が出来ると言うのだろうか。その答えがすぐには思い至らず内心で四苦八苦している最中、燐子さんは僕の顔を見つめ、そして小さく呟いた。
「また……壊してくれるんですか……?」
「っ」
まるで、僕が鎖を壊してくれることを期待しているような、そんな彼女の色気のある声に驚いて黙り込んでしまう。彼女の瞳は扇情的に揺れ、助けを求める以前に、それを超えた何かを待ち望んでいるようにも感じられたのだ。そして無意識に言ったのか、燐子さん自身も自分の発言に赤面し、顔を伏せて表情を綺麗な黒髪で隠してしまった。
「……」
「……」
気が付けば、先ほどと同じような沈黙に逆戻りだ。ただし、今度は心地良い静かな空間ではなく、少し気まずい重々しい空間なのだが……。僕も何とか平常心を保とうとするも、先ほどの燐子さんの揺れる瞳が頭から離れず、彼女に顔を向けるのが憚られてしまっていた。
「ご、ごめんなさい……わたし……変なこと……言ってしまって……」
「い、いえ……変だなんてこれっぽっちも……」
「嘘……ですよね……」
「いえ本当に……ちょっと驚いただけですから」
「……」
「……」
互いに目を合わせることも出来ないまま、ただただショッピングモール内に響く賑やかな声だけが耳に残る。何も話せないまま、それでも離れることは出来なくて、僕たちは近いのに遠い距離感をずっと保ち続けていた。
燐子さんは一体何を望んで「壊してくれる」と聞いたのか……それについて深く考えようとすると、どうしても一つの答えに辿り着いてしまい、途端に恥ずかしくなって思考を止めてしまうのだ。あまりにも自意識過剰で、胸が苦しくなるような、あくまで僕の想像の域を出ない。しかし、それにどこか期待している自分がいることが不思議でならなかった。
恋ができないと言う燐子さんの鎖を壊す……つまりは、僕が……。
「あの、麗牙さん……」
「はは、今日は燐子さんに先に話されてばかりですね」
「え? あ、その……ごめんなさい。迷惑……でしたか……」
「まさかっ、そんなことないですよ。以前にも増して燐子さんから話しかけられて、僕嬉しく思っていますから」
思えばここまで燐子さんの方から話しかけてくれることなんてあまり無かったように思う。彼女が夢中になるNFOの話の時は例外だとして、そうでもない時に彼女が積極的に話す姿ははあまり記憶にはない。しかしそのことにも驚き以上に嬉しさが勝り、頬が緩んでいくのが感じられた。
「それで、どうしましたか?」
「はい……わたし……ピアノのコンクールに出ようと思うんです……」
「コンクール?」
それはまた急な話だと首を傾げていると、燐子さんは静かに語ってくれた。今度燐子さんが出る予定のコンクールは、幼き頃の彼女も出たことがある思い出深いものだという。ただしその思い出は、彼女とって思い出すのも憚られる苦々しい記憶でしかなかないのだが。初めて見るような大勢の観客の前で緊張し、満足にピアノを弾くことが出来なかった幼き燐子さんはそれ以来、人前で演奏することはめっきりなくなったのだと言う。確かに幼い頃に大きな舞台で失敗した経験は相当なトラウマになるだろう。幼き燐子さんがどれだけ傷付いたのかは容易に想像できる。
しかし、燐子さんにとっての苦悩はそれだけではなかった。
「きっとピアノが弾けなかっただけなら……まだ立ち直れたかもしれません……けど……あの子のこともあって……ブルースカイからも逃げて……本当に失敗ばかりだったから……わたし……」
よりによって彼女にとっての不幸が重なった時期での失敗であったことが、幼き燐子さんの心により大きな傷を残してしまったようだ。友達を傷つけて、好きな音楽にも耳を閉ざして……もしかするとさっきの初恋の失敗も含まれているのかもしれないが、そんな中で彼女にとって最後に残されたピアノでさえ、満足に弾くことが出来なくなった。それは果たしてどれほどの苦痛だったのだろうか、流石の僕でもそこまでは想像のしようがない。自分の好きなことで失敗し続け、自らそれらを遠ざけてしまう、そして作り出された彼女の鎖は長きに渡って彼女自身の身体を痛々しく縛り付けていたのだろう。
「でも……出ようと思ったんですよね」
「はい……もう、逃げたくないんです……あの子にも、ブルースカイにも……昔の自分にも」
だけど、彼女は今再びその鎖を解き放とうとしている。自分を変えるため、過去のトラウマと向き合う時が来たのだと、怯えながらも微かな光を作り出す燐子さんの瞳を見て僕は感じていた。
「前に進むのは……まだ怖いです。でも、このままじゃいられない、いたくない……もう後悔はしたくないんです……」
「そう思うようになったのって、やっぱり……Roseliaを始めたから?」
今までは何かにつけて言い訳し、変わることを諦めていた燐子さん。しかし、どこか遠巻きに眺めていた世界の中でRoseliaとの出会いが彼女を変えたのだろう。常に前を見て恐れずに進み続ける友希那さんを思うと、自然とそう感じられた。燐子さんも僕の予想に笑顔で頷き、しかし更に言葉を付け加える。
「はい……それと、麗牙さんも」
「僕?」
「麗牙さんのおかげで……わたし、また青空の音楽と出会えました……もう戻らないって諦めていたものを……取り戻せたんです。それで思ったんです……わたしはまだ……失っていないんだって……っ」
そう語る燐子さんの瞳の光は更に強くなり、確かな輝きへと変化していた。それは黄金に輝く正に希望の光だった。自分が諦めていたものはまだ手に届く、取り戻せる機会がまだ自分にある、それに気付いてしまえば希望が生まれるのも当然だろう。
「だから……ありがとうございます、麗牙さん。わたしの鎖を壊してくれて……わたしに……希望を与えてくれて……」
「……まだ全部じゃないでしょ。お礼ならその後でいいから」
「ふふ……はい、そうですね」
彼女にお礼を言われることはこれほど照れ臭いことだっただろうかと、熱を帯びてきた顔を彼女から逸らして言葉を付け加える。確かに、ブルースカイの音楽を聴けないという彼女の鎖を一つは壊すことができた。だけど彼女に繋がれた鎖はまだあるのだ。まずはコンクールを成功させて、それから……。
──『また……壊してくれるんですか……?』
「(って、なんで今思い出すかな……)」
恋を出来ないという彼女の鎖を壊す……という会話とその時の燐子さんの顔を思い出してしまい、また黙り込んでしまう。突然そんなことを言い出す燐子さんもどうかと思うけど、一々反応してしまう僕自身もどうかしているのかもしれない。とりあえず話題を戻さなければ……。
「えっと……因みに、そのコンクールっていつなんですか?」
「二ヶ月後……ブルースカイのライブの少し後です」
「……大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……です……」
なかなか際どいタイミングで申し込んだものだと苦笑しながらも、どれもこれも燐子さんが前に踏み出すための大事なイベントだと僕は知っている。故に一つ足りとも外せるわけがないのだと、これからの彼女が進む道を応援することを固く心に決めていた。
「僕は観に行きますよ。必ず」
「っ……嬉しいです……とても……。麗牙さん……ありがとうございます……」
言葉の通り実に嬉しそうに頬を緩めて、燐子さんは顔を上げて僕の目を見つめる。僕もまた、そんな燐子さんの嬉しそうな顔をまじまじと見つめていた。吸い込まれるような綺麗な瞳も、傷一つない白い肌も、細かく流れる黒髪も、全てを間近に感じて妙に緊張してしまい、彼女に悟られぬよう静かに唾を飲み込む。今まであまり意識しないようにしていたけど、本当に綺麗な顔をしているんだ燐子さんは。ずっと観ているとそこに孕む魔力に飲み込まれそうで、見ていたいと願う心を振り払って視線を燐子さんから逸らし、僕らは再び客で賑わうペットショップへと視線を戻した。
「……」
「……」
何度目かになるか分からない沈静した空気が僕らを包み込む。
しかし今度は心地の良い、僕の好きな……いや、僕たちの好きな静寂であった。
この心安らぐ平和な時間も、薬局の袋を片手に戻ってきた健吾さんに話しかけられるまで続いた。
「いやホンマなんで気付かんのおたくら……あいてて……」
訳の分からないことを言いつつ健吾さんは妙に汗をかきながらお腹を抑えていたが、とりあえず彼が大事にならないように祈ることとしよう。
プロフィール二人目。今回は愛音。
誕生日:12月29日
身長:168cm
所属:羽丘女子学園高等部1年A組
好きな食べ物:焼き魚(特に秋刀魚)
嫌いな食べ物:ハッカ等の目の覚めるもの
趣味:昼寝、クラシック音楽