ボーカルでヴァイオリニストな彼は   作:春巻(生)

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『静かな時の中で互いに寄り添い和やかな時間を過ごす麗牙と燐子。互いの真実に気づかないまま、二人の距離は次第に近づいていく。オレ様、そろそろ健吾の胃が心配だぜ〜』


第70話 音を抜き去る強襲

 四方一面を白色の壁に覆われた、清潔感に溢れる部屋の中で五体を固く固定された一人の女性がいた。仰向けのまま瞼を閉じ、未だ意識の戻らぬままである身体を拘束された女性。

 

 それは先日、イクサと交戦を繰り広げたレジェンドルガの力を得たあの人間であった。

 

 イクサに敗れた彼女は、現在は青空の会の施設にて厳重に隔離され、その意識が回復する時を期待されていた。復活したレジェンドルガ、その力をどのようにして人間が得るに至ったのか、その唯一の手がかりとして……。しかし当人の凶暴性故に、目覚めても暴れられないように固く縛り付けられているのだが。

 

「っ……ぅ……」

 

 そしてその瞼がようやく動き、彼女の網膜にに強烈な白い光が侵入してきた。それと同時に、彼女は直前までの記憶を思い出し、そして自身の現状も的確に把握していた。

 

「(私は……あのイクサに……クソッ! クソォッ! クソがァ!)」

 

 決して面には出さず、心の中で激しく憎悪の炎を燃やしていた。自分の快楽を邪魔して痛い目を見せたイクサに。自分にこんな恥辱を味あわせている青空の会に。彼女自身、声に出さないことが不思議に思うほどの激情であった。

 

「(何かないか……?)」

 

 この状況を切り抜けるために自分に出来ることはないか、彼女は部屋を一望する。そして、異常とも思える白い空間の中で数少ない異物を見つけた。拘束された無様な自分の姿を映し出すマジックミラーと、天井から自分を見つめる監視カメラのレンズである。

 

「……ふふっ」

 

 女性は不敵に微笑む。彼女はこの部屋がどれほどの強度を確保したものなのかは知らない。しかし魔族への対策を万全としている青空の会が作り上げた部屋であり、簡単に破壊できるものではないだろうと想像はできていた。今の自分に出来るのは、精々監視カメラを破壊するくらいだろう。

 

 たとえレジェンドルガの姿にならずとも、彼女の手に赤い火球を作り出すことなど造作なかった。それでも自身の拘束や部屋の壁を破壊するには恐らく及ばないが、彼女には一つの妙案が浮かんでいた。苦渋を啜りながら、その時(・・・)が来るのを彼女は待ち続けるのであった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 結局冷やかしとなってしまったペットショップでの楽しい時間もいつしか終わり、今はお手洗いを済ませて皆を待たせているメインホールまで戻ろうとしていた。しかしふと周りを見渡すと、放課後のためか意外と学生の姿が多く、中にはベンチで隣同士に座って寄り添っているカップルの姿もちらほらと見かけられる。そんな彼らを見ていると、自分がさっき見た光景を思い出してつい赤面してしまう。ものすごく和やかな雰囲気を醸し出しながら、互いに触れることなく、しかし寄り添うように座る紅さんと燐子さんの姿を。

 

「(付き合ってるのかな……)」

 

 正直なところそればかりが気になって、途中からは動物のことなんて頭に入らなくなっていた。燐子さんが男の人と一緒にいる姿なんて初めて見るし、紅さんも以前ウチの店に誘った時よりも明らかに落ち着いた顔で景色を眺めていた。今も見えているカップルのようにあからさまにイチャイチャしているわけではなかったけれど、二人の間に感じた空気はそれが只ならぬ関係だと思わせられて仕方なかった。

 

 ──『つぐ、これはなかなか強敵だよ?』

 

「っ! (もうっ、ひまりちゃんが変なこと言うから余計に意識しちゃうよ……)」

 

 私が紅さんに抱く気持ちは憧れ以外の何物でもない。うん、きっとそうだよ。そうに決まってる……はずなのに……さっきのひまりちゃんの思わせぶりな言葉の所為で私の心は揺れていた。確かに紅さんはとても身なりがいいと思う。色白で顔もしゅっとしていて、でも身体は細すぎることなくしっかりしているし、どこか少しいい匂いもする。本当に少女漫画の中から出てきたかのような王子様みたいに整った外見で、女の子ながら本当に同じ人間なのかと思ってしまう。

 

「(って、私まで何考えてるんだろう……)」

 

 現実に戻ろうとするも、最後にはさっきの燐子さんとのひと時が思い返されてしまう。燐子さんといるときの優しそうな、どこか心の枷が外れたような穏やかな紅さんの表情。それを思い出すと途端にモヤモヤした何かが胸の中に現れて、私のことを掻き乱そうとしていた。なんなんだろう……これ……。

 

「……っきゃ!?」

 

 自分の中に生まれた不快感に意識を傾けていた時、突然手を引かれる感覚につられて意識を現実に戻されてしまった。痛覚を感じた腕の先へと目をやると、そこには見覚えのない中年くらいのガタイの良い男性が私の方を睨みつけていた。

 

「っ、ぁ……」

 

 突然見知らぬ男の人に乱暴に手を引かれ、人目の少ない通路に手繰り寄せられた私はその状況に恐怖を感じて、しかし怯え過ぎて何も声を出すことが出来なかった。ドラマとかではこういう状況で事件に巻き込まれるなんてシーンは何度か見ていたしそういうことも現実にはあるのだろうと何となしに思っていたけど、まさか自分がそんな事になるとは思いもせず、ただただ突然のことで恐怖に怯えることしかできなかった。

 

「悪いな嬢ちゃん……今日の糧になってもらうな……」

 

「(え……)」

 

 糧? 男が何を言っているのか分からず混乱していたところで、その空気が一転する。

 

「くふ……」

 

 男の眼の色が玉虫色のように光ったと思うと、次の瞬間には男の顔を覆うようにしてステンドグラス状の模様が浮かび上がったのだ。

 

「ひッ……!?」

 

 何? 何なの? 何が起こってるの!? 突然襲われる見たことも聞いたこともない怪奇現象を前にして私の頭は混乱し、恐怖と疑問以外の感情は消え去っていた。男の人に乱暴されるかもという理屈からくる恐怖はあったけど、これはそんな類じゃなく、もっと別の……そう、生物として感じる本能的な恐怖だった。

 何かされる。何をされるの? その未知が更なる恐怖を引き起こし、私はただ濡れる瞳を閉じてこれから起きるであろう出来事から目を背け、震えることしかできなかった。

 

 だけど、その時だった。

 

 

 

「何のつもりですか」

 

 

 

 今度は聞き覚えのある声が私のすぐ隣から聞こえてきた。だけどそれは私の知る穏やかな声とは程遠い、凍るような冷たい声色。それと同時に私の腕から男の人の硬い手の感触が消え去り、私はようやく目を開けるに至った。

 

「く、紅……さん……」

 

 そこには、男の腕を握りしめて男を睨みつける紅さんの姿があった。紅色の髪で隠れて彼の眼は見えないけど、雰囲気から目の前の男の人を睨みつけていることだけは分かる。紅さんの姿を見たことで安心して、私はすぐに彼の後ろへと避難するように男から離れた。

 

「あ、お前──」

 

「何のつもりだと聞いてるんです」

 

「な、何だよおま……ぉ……あっ……ひ、ひゃあ……っ!?」

 

「?」

 

 紅さんの背中に隠れているから、彼が何をしているのかよく分からない。男の人を睨みつけて、その腕を掴んだまま左手(・・)を掲げているように見えるけれど、それ以上は分からない。だけど、私を襲おうとした男の人の顔色がみるみる青ざめていくのは分かった。ステンドグラスのように怪しげに彩られた肌はそこにはなく、ただ恐怖の色だけが浮かび上がっているように見えた。

 

「キっ、ひぃっ!? 」

 

 男は紅さんの手を振り払い、情けない声を上げながら覚束ない足取りで通路の奥へと逃げ出していった。紅さんの気迫に恐れをなして逃げ出した……ということなんだろうか?

 

「……」

 

 しかしその時、紅さんは男の後を追おうと一歩踏み出し、私から離れていこうとする。自分でも気が付かなかったけど、私は今まで彼の後ろに隠れて、その大きな背中にしがみ付いていたみたいだ。そして紅さんが離れて私の身体から彼の体温が消えた途端、またさっきの恐怖が襲いかかってきてしまった。

 

「ま、待って!」

 

「っ、つぐみさん?」

 

 咄嗟に彼の腕を掴んで身体に引き寄せてしまう。そうすると紅さんは立ち止まってくれて、私の元に再び温もりが戻ってきた。

 

「……あ、っと……逃げられた……」

 

 やはり紅さんは男を追おうとしていたようで、意識を私から通路の奥へと向けるも既にそこには誰もいなかった。私の所為で逃してしまったことを悪いとは思いつつも、再び得られた安堵を手放したくなくて、私は柄にもなくわがままを言ってしまっていた。

 

「ごめんなさい……私、まだちょっと怖くて……」

 

「うん、分かった。しばらくこのままでいいから」

 

「はい……ぁ、ありがとう、ございます。助けてくれて」

 

「いえ、それよりもつぐみさんに大事がなくて本当に良かった」

 

 私の知る穏やかな声に顔を向けると、そこには紅さんの柔和な笑みが広がっていた。初めて会った時のように、困っている人のために迷いなく助けてくれる、そんな優しくて強い紅さんの輝けるような笑顔だった。そんな彼を前にして、私はまたも心に高鳴りを感じてしまう。

 

「さ、戻りましょう。みんな待ってるから」

 

「は、はい……」

 

 紅さんの言葉でみんなを待たせていることを思い出し、私たちは玄関ホールへと歩き出す。だけど私はやっぱりさっきのこともあって怖いし、そしてこのまま温もりを感じていたくて、少し恥ずかしいけれど紅さんの袖をぐいと掴んでくっつくようにして歩いていた。紅さんも私のわがままに文句一つ言わず、私のされるがまま足並みを揃えて歩いてくれた。

 

「あれ? あれれれ? つぐ、どうしちゃったの?」

 

 当然、そんな状態で戻れば怪しまれることは必至だ。ひまりちゃんは頬を赤らめて、困惑はしてるけどどこか楽しそうに私たちへと詰め寄ってくる。そうだよね、だって今の私たちの状況、誰がどう見ても恋人同士にしか見えないもん。それが嫌でない自分がいることは決して口には出さないけれど。

 

「さっき、変な人に絡まれて……」

 

「えっ!? 変な人にって、つ、つぐ大丈夫だったの!?」

 

 楽しげに浮かべていた笑いも消え失せ、ひまりちゃんは途端に顔中の筋肉を強張らせたような硬い表情になっていた。こんな時だってひまりちゃんは表情豊かで、自分のことを心配してくれているのについ微笑ましく感じてしまう。それもこれも、紅さんのおかげで今を無事にいられるからなんだけど。

 

「うん。そこをね、紅さんに助けてもらっちゃって……」

 

「そ、そうなんだ〜……よかった〜……麗牙さん、つぐを助けてくれて本っ当にありがとう!」

 

「えっと、どういたしまして。て言っても、僕が話しかけたら相手が勝手に逃げていったんだけどね」

 

 紅さんは謙遜してそう言うけれど、私には相手が勝手に逃げていったようには見えなかった。明らかに紅さんに突っかかろうとして、でも途中で何かに怯えて逃げ出した。紅さんの気迫に負けたと考えるのが自然なんだけど、何故紅さんがあそこまで強気でいられたのか、今更ながら私は疑問に思えていた。

 

 紅さんも、あの男の人の顔に浮かんだステンドグラス状の模様を見ているはずなのに……。

 

「で、でも助けてくれたのは変わりないから……私じゃ怖くて……」

 

 だけどそのステンドグラス状の模様については私は話すことはなかった。あんな奇妙な現象を話したところできっと信じてくれやしないだろうし、もしかしたらアレは私だけが見た幻覚で、だから紅さんにも見えていなかったのかも知れないし。

 今はただ、私が怖がっていたところを紅さんに助けられた。それだけで充分だった。

 

「それでそれで? どうしてそんなに顔が赤いのかなぁ〜?」

 

「もう、ひまりちゃん……」

 

 安心したのか、ひまりちゃんはまた笑顔を浮かべて私に突っかかってくる。恋バナをしたい年頃なのは分かるけど、流石にそろそろしつこく感じてきたりしていた。そもそも、私が紅さんに抱いてるのはそんなんじゃ……そんなんじゃ……ない……のかな……。

 

「(なんか、分かんなくなってきちゃった……)」

 

 自分の気持ちなのによく理解できず、さっきの男の人に絡まれる直前に抱いていたモヤモヤが再び生まれていた。私は紅さんには憧れているだけ……そのつもりなんだけど……。

 

「……」

 

 ちらりと、掴んだ袖を伝って紅さんの顔を見上げると。それだけで安心感に包まれる気がして、その時だけは胸の中のモヤモヤがどうでもよくなっていた。分からない気持ちもまたいつか分かればいい、そう思えるようにもなっていた。

 

 それでも一つ分かっているのは、さっきから一切笑わずこっちを見つめる燐子さんを視界に入れるのが怖いから、早く帰りたいという自分の気持ちだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 帰り道の途中で先に燐子さんと別れ、今は僕とあこちゃん、ひまりちゃんとつぐみさんの四人の帰路を歩いていた。健吾さんは、先ほど僕がショッピングモール内で出くわしたファンガイアの捜索に当たってもらっているためここにはいない。逃げられはしたけど、もしあんな風に日常的に人を襲っているのなら見過ごすわけにはいかない。僕は今も少し怯えているつぐみさんから離れるわけにもいかないため、申し訳なく思いながらも健吾さんに頼むしかなかった。ただ、心なしか健吾さんがどこか乗り気だったのは気のせいだろうか?

 

「それでつぐ、本当に紅さんのこと、何とも思ってないの?」

 

 ふと、僕とあこちゃんの前方で話す二人の声が耳に届く。割と距離が開いているから、多分僕の隣を歩くあこちゃんには聴こえていないんだろうけど……。

 

「何ともって、流石にそんなことはないよ。紅さんはやっぱりすごい人だし、憧れちゃうなって──」

 

「だからそれだよっ。つぐ、憧れじゃなくてもう惚れちゃってるんじゃないの? ほら、もう二回も助けてもらったんだしさっ」

 

「そ、そそそっそんなことないよぉ! もう、ひまりちゃんは……」

 

「なんか楽しそうですね。つぐちん元気になってよかったですね! 麗牙さん!」

 

「そ、そうだね(二人とも……すっごく聴こえてます)」

 

 ファンガイアとして生を受け、生まれつき五感が優れていることもあり、僕には二人の会話が筒抜けだった。あこちゃんには聴こえていないあたり一応は内緒話のつもりではあるのだろうけど、もう少し声のトーンを落としてもとは思う。

 

 それにしても、つぐみさんが僕に、か……。

 

 ──『つぐみのこと泣かせたら許しませんよ』

 

 いつしか言われた美竹さんの忠告にちょっとだけ現実味を感じてしまい、空に向けて苦笑する。つぐみさんの言葉通り、そんなことでなければ僕としても気が楽なんだけどね。最近二人の少女を泣かせてしまったばかりなんだし。

 

 いや、今この話はやめておこう。今はそれよりも大事なことが山積みなのだから。

 

「でも麗牙さん、つぐちんを襲おうってしてたの、ファンガイアなんだよね? つぐちん、大丈夫かな……」

 

「忘れてくれるのが一番なんだけど、そうはいかないよね」

 

 ファンガイアの特徴であるステンドグラス状の模様をバッチリ見てしまった訳だし、つぐみさんがこちら側の事情を知るのも時間の問題なのかも知れない。Afterglowならば既に美竹さんが事情を知っているし、そう拗れることはないと思いたいところだ。そう思っていたところで前方の二人の女子トークがまたもヒートアップしてこちらの耳まで届いてきていた。

 

「じゃあさ、私が麗牙さんといい感じになったりしてみてもいいのかな〜?」

 

「そ、それはっ!」

 

「つぐは分かりやす過ぎるよ。まあ私も人に言えないけどさ。よし、じゃあ突撃〜!」

 

「あ、こっちに来た」

 

「あ、あはは……(いや、まだ平和な方か)」

 

 いろいろも不安なところもあるけど、レジェンドルガ復活の問題に追われている現状としては彼女たちとの賑やかな一幕は充分平和なものに感じる。騒がしい空気はあまり僕の好みと言えるものじゃないけど、それでも平和を感じる時間であるならばそれはとても素晴らしいものなのだろう。

 

 出来ることなら、この平和なひと時がずっと続けばいいのに……。そう思った瞬間だった。

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 

 

 僕の背筋に電流が走るような痛い感覚が襲いかかった。

 

 肌を突き刺すような冷たい空気が押し寄せる。

 

 言い知れない怖気が僕の心臓を激しく叩く。

 

 警鐘を鳴らすように、僕の本能が訴えていた。

 

 何か……何かが僕に向かってきているのだと。

 

 

「(……来るっ!)」

 

 

 何も見えないし、周囲に気配も感じない。しかし、何かがこちらに迫っていることだけは確信できた。

 

「あこちゃん!」

 

「きゃっ!?」

 

 咄嗟にあこちゃんを突き飛ばし、僕から離れさせる。尻餅を突かせてしまって申し訳ないが緊急時なのだから後で謝らせてもらう。

 

 だが問題は僕だ。分かる。もうすぐそこまで来ていると。あと一秒の余裕も無くこの身に何かが襲来すると。

 

 変身は間に合わない。ファンガイアの姿を取るのも同様だ。

 

 そう、目で追うのが困難なほどの速度で何かが僕に迫っていたのだ。

 

 そして、遂にその時が訪れた。

 

 

「っ!(ザンバット!)」

 

 

 手に魔皇力を集中させ、僕は王の証である黄金の剣を召喚した。

 

「ハァッ!!」

 

 そして剣の召喚と同時に本能に身を任せてそれを振り抜いた瞬間、ソレは刃と衝突する形でその姿を僕たちの前に現した。

 

「フンッグッ!?」

 

「っ!?」

 

 ジェット機の如く音よりも先に迫ってきたソレと、激しく火花を散らす刃。僕は全力で剣を振り抜き、現れた影を振り払うことに成功した。王の剣──ザンバットソードとの衝突で進路を変えられたソレは軽く飛ばされて地を滑り、ようやく僕らの前にその姿を顕にする。当然、突然目の前に現れた異形にあこちゃんたちは声を上げて驚愕していた。

 

「えっ、ファ、ファンガイア!?」

 

「いや違う、もっと恐ろしいものだ。あこちゃん、二人をこの場から離れさせて!」

 

「う、うん! 分かった!」

 

 ようやく僕にも認識できた目の前の異形はファンガイアではなかった。全身を岩のような暗い色に染め、各部位に紅葉のような装飾を催し、頭部に翼のようなものが生えている。現存するどの魔族に当て嵌まらない異形の中の異形──レジェンドルガだった。

 

「ひーちゃん! つぐちん! こっちに!」

 

「え? えっ、えっ!? あ、あこちゃん!? あ、ああっ、アレって何!? そそそれより、麗牙さんは!?」

 

「なに……何!? か、かい、ぶつ……!? く、紅さんはどうするの!?」

 

「いいから! 早く!」

 

 あこちゃんに引っ張られる形でその場を後にするひまりちゃんとつぐみさんだが、僕はその様子を見ている余裕はない。今でも召喚したザンバットソードの切っ先をレジェンドルガに向けて、臨戦体勢に入っているところなのだから。

 一応は今の衝突でザンバットの一撃を叩き込んだはずなのだが、思っていたよりもその身体にはダメージらしきものは見られなかった。高速……いや、音に近い速度で動く上に、並みの攻撃では傷付けることすら困難な堅牢な身体を持つ敵を前にし、内心で戦慄する。

 

「……あの女……いいかもな」

 

「何?」

 

 その時、レジェンドルガが僕の後ろで逃げていくあこちゃんたちを一瞥し、そんなことを呟いた。いいかも、とは何の意味で言っているのだろうか。嫌な予感が胸の内で広がり、コイツはこの場で斃すべきだと僕の本能も訴えていた。

 

「……また会おう」

 

「なっ!? 待っ、キバット!」

 

 しかし次の瞬間、レジェンドルガは先ほどのように凄まじいスピードと共に走り去っていき、僕は変身も間に合わないままあのとんでもない怪物を逃してしまった。

 

『速っ!? 麗牙っ、アイツめちゃくちゃはえーぞ!?』

 

 キバットの言う通り、ガルルフォームはおろかこれまで見たどのファンガイアよりも速く、ともすればマシンキバーでさえも捉えきれない程の速度で走り去るレジェンドルガ。風と轟音を撒き散らして文字通り嵐の如く去っていく新たな敵に脅威を感じずにはいられなかった。

 

「おーい! 麗牙ぁー!」

 

「っ、健吾さん!?」

 

 その時、健吾さんの叫ぶ声が聞こえてきた。何か焦っているようにも見えるが、こちらに走ってくる健吾さんへと僕も駆け付け、先ほどのレジェンドルガについてのことを彼に伝えようとした。

 

「ハァ、ハァ……や、やられたわ、麗牙……」

 

「え? やられたって、何がですか……?」

 

 しかし開口一番、健吾さんは不穏な言葉を告げたためにこちらの報告が遅れてしまう。

 

 急いで駆けつけたのか健吾さんは荒くなった息を整え、そしてとんでもないことを僕に伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの女……青空の会から逃げよったわ……」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 暗闇に落ちた街中の、誰もいない暗い路地をを一つの影が駆け抜けていた。

 

「ハァ、ハァ……ふぅ……くふっ、あっははははッ!」

 

 もはや追手の心配はないだろうと立ち止まり、一息ついてから笑いが込み上げてきた影は、青空の会に捕らえられていたレジェンドルガの力を得た女性であった。

 

 

 

 

 

 

 彼女が青空の会の隔離室から逃げ出すのは容易であった。自身を死なせないために点滴やらその他の設備を交換や点検するため、定期的にその扉が開かれて職員が出入りするタイミングがある。無論そこには護衛もいたが、人の姿のままでもレジェンドルガの力を発揮できる彼女にはさほど問題ではなかった。

 扉が開き、そこに立つ女性職員の顔と声を彼女が覚えた瞬間だった。彼女は手から生み出した火球を、扉の前に立つ人影と監視カメラに向けて放ったのだ。直後、部屋は爆炎に包まれて施設内に警報が鳴り響く。

 

『ど、どうした!』

 

 爆発からしばらくした後、開きっぱなしの扉から様子を見に来た別の職員が部屋に入ってきた。重たい煙が徐々に晴れていき、部屋の中央にある光景が明らかになって職員は目を丸くする。

 

『た、助けて……アイツに……逃げられ……』

 

『な!? 待ってろ』

 

 そこには、先に部屋に入り爆発に巻き込まれた女性職員が拘束されていた。どうやって抜け出したのかと駆け付けた職員は思うも、すぐさま女性を救助すべく駆け寄った。凶暴な性格だと聞いていたが、まさかわざわざ職員を自分と同じ拘束にかけるとは……そう考えながらも、職員が女性の拘束を外した時だった。

 

『……ありがとう。本当に』

 

『へ──』

 

 直後、激しい轟音と共に職員の身体が消し飛んだ。

 

『ふぅ〜』

 

 拘束から解放された女性は気持ち良さ気に身体を伸ばして床に足を下ろすと、その顔を今しがた蒸発させた職員のものに変化させた。そう、初めから怪物は逃げてなどいなかった。自身の顔を変える能力を駆使し、判断力の落ちた人間に解放させるつもりであったのだ。どんな仕組みであったのか今となっては知る由もないが、異形の力を得た彼女すら抜け出すことの出来なかった忌々しい拘束もこれで消え失せた。

 

 こうして、一人の怪物が再び自由を手にしてしまったのである。

 

 

 

 

 

 

「ふふっ、くふふ……さて……まずあのイクサ……殺すか……」

 

 自身に屈辱を味合わせた金髪の顔を思い出し、彼女の顔は激しく歪んでいた。もはや彼女の中にはファンガイアへの憎しみ以上にイクサ……否、健吾への復讐心しか存在しなかった。

 

 ──どう殺してやろうか。不意打ちで両手足を奪った後に、目の前であの女どもを拷問でもしようか。その上でゆっくりと痛ぶって……いやそんなものでは足りない。もっと……もっと屈辱的で絶望的な背徳的な……痛みが救いに思えてくるほどのものを見せてやらなければ。あのムカつく正義を捻じ曲げるほどの地獄を見せねば……。

 

 そう彼女がこれからの地獄絵図に想像を張り巡らせていた時だった。

 

「……?」

 

 彼女の肌に僅かばかりの寒気が襲いかかる。

 

 単に外気の温度のためではない。

 

 何かがおかしい。

 

 理解は出来なかったが、本能が彼女に語りかけていたのだ。

 

 危険が迫っていると。

 

「……」

 

 やけに静かな夜の世界が自身を包み込んでいる。

 

 風ひとつ吹かない無音の空間。

 

 何もあるはずがないと自分に言い聞かせても、身体の方は震えが止まってくれなかった。

 

 やはり何かがあるのだろうか……そう思った時だった。

 

 

「え?」

 

 

 静かな夜の世界に、一陣の風が吹いた

 

 久しぶりに風を感じたその瞬間、彼女の全身をとてつもない怖気が走った。

 

 何かが来ると、ここまでくれば彼女も予感せざるを得なかった。

 

 

 

 

 しかし、その予感はあまりにも遅すぎた。

 

 

 

 

 そして……

 

 

 

 

 

 

 

「へぶゥァ──」

 

 

 

 

 

 

 

 声を出す間も無く、彼女の身体は()に連れ去られた。

 

 

 次の瞬間、ビルの壁に何かが叩きつけられる轟音が響いた。

 

 

 やがて、雲の切れ間から差し込んだ月明かりがその惨状を晒し出す。

 

 

 壁一面に塗り飛ばされた赤。

 

 

 否、鮮血。

 

 

 そしてその中心に添えられた、割れた風船のようにひしゃげた肉塊。

 

 

「……」

 

 

 まるで高層ビルから落ちたかのように全身が潰れ、原型を留めない変わり果てた女性だったものがそこにあった。

 

 破裂した身体から吹き出す赤い噴水や飛び出す臓物も、大抵な人ならば吐き気を催す光景ではあったが、その光景を作り出した張本人はそんな壊れた身体を見て短く素っ気なく呟いた。

 

 

「こいつも、ロードではなかったか……」

 

 

 音よりも速く襲来し、女性を壁に叩きつけた影──ガーゴイルレジェンドルガは、もはや彼女に興味はないと言わんばかりにその場を後にした。

 

 

 風が舞った後に残されたのは、赤色に染められた静かで凄惨な空間であった。




プロフィール第3弾
今回は健吾。

綾野(あやの) 健吾(けんご)
バンド:TETRA-FANG
パート:ギター
誕生日:2月4日
身長:175cm
所属:城南大学付属高校2年B組
好きなもの:トンカツ
嫌いなもの:茄子
趣味:ギター

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