「一言多いよ」
人気の無い木々に囲まれた静かな空間の中、三体の人影が腰を低く構えたまま向かい合っていた。両腕に巻かれた鎖を鳴らしながら構えをとるレイ、そして穢れなき白色から青空の如き身体へと変化したライジングイクサが、禍々しい爪を見せて鋭く二人の戦士を睨むハルピュイアを睨み返していた。しかし、その戦場に立つのは彼ら三人だけではない。この場には、彼らの目には見えない更なる異形が潜んでいたのだ。
「ハァァッ!」
「ゥギァ!?」
しかし地を蹴る僅かな音を聞き逃さず、イクサは振り向きざまに手にしたイクサライザーの引き金を引いた。銃口から放たれた弾丸は空を切ることはなく、何もない空中で破裂して火花を散らしていた。それと同時に火花が現れた空間が湾曲し、やがてステンドグラス状の細胞が張り巡らされた異形が姿を現していた。
「なるほどな。やっぱりこの手のファンガイアを眷属化させてたわけか」
姿を見せた元カメレオンファンガイアは今や全身に羽毛を生やし、完全にハルピュイアの眷属と化していた。そしてカメレオンレジェンドルガとなった異形を見て、イクサとレイは同時にある結論に辿り着く。
「つまり今もボクたちを囲んでいる見えない彼らが、さっきまで観覧車を止めていたというわけだ」
「えらい力業というか人使いの荒さというか……」
正確には観覧車そのものでなく、観覧車を動かすためのタイヤを止めていたのだが、彼らにとっては大した問題ではない。ハルピュイアの窮地のためにその役目を終えてここに集まったからには、彼らのするべきことは一つ、即ちただ倒すことのみであったのだから。
「しかし一体一体見つけていくのではキリがないな。ならば……フッ!」
「ッ、チィィ!」
「うおっ!? 危ねっ!!」
「ギャァアッ!?」
レイが地面に拳を打ち付けた途端、彼を中心として地面が凍結を始める。翼を射抜かれ未だ回復していないハルピュイアは飛翔することが出来ず、その脚力を持って跳び上がり、イクサも同様に地を蹴って凍結から逃れた。そしてレイの繰り出した氷結界から逃れられなかった者たちが、一斉に氷のオブジェとなって出現したのだ。目に見えない彼らを覆うようにして象られた氷の彫像が、その存在を確かに証明していた。
「ったく、俺まで凍らせる気かいな」
「でも、これで戦いやすくなっただろ?」
レイの言葉通り、辺り一面が氷の世界になった代わりに眷属化されたファンガイアは動きを止め、残る動く敵がハルピュイア一体のみになったのだ。集中すべき的が一つになったことで彼らにとって再び有利な戦場が、そして異形からすれば絶望的な状況が形成された。
「まあええわ。このまま一気にケリつけるで」
そして、並び立つ二人の戦士は悪態をつく異形へと立ち向かっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「僕が……燐子さんを好き……?」
つぐみさんが僕に告げた言葉が未だに上手く飲み込むことができず、混乱したまま頭で同じ言葉を彼女におうむ返しすることしかできなかった。
「これは、私の気のせいとかじゃないです。今の紅さんを見てたら嫌でも分かりますから。紅さんは……燐子さんのことが好きなんだなって……」
苦しそうにそう断言するつぐみさんには悪いけれど、その言葉をそのまま受け止めることはできなかった。嘘を言っているわけじゃないことくらいは分かるけど、僕自身がこの気持ちを恋だと思うことに対して遠慮していたのだ。
「本当にそうなのかな……」
燐子さんのことを考えると心が安らぐし、彼女の笑った顔もずっと見ていたいと思っているのは確かだ。だけど、それでもなお自分の気持ちが恋だと自信が持てないのは……。
「つぐみさん。僕がリサさんのことをフったって話は知ってますよね」
「はい」
「でも本当は……最初は僕の方が、リサさんのことが好きなんじゃないかって思ったんです」
「えっ?」
これは僕以外ではキバットやTETRA-FANGの皆しか知らない(はずの)真実。彼ら以外には初めて話すが、僕は元々リサさんのことが好きかもしれないと思ってしまっていたのだ。
「リサさんといると楽しいし、彼女の笑顔を見ていると元気が出る。それは今でも変わりません。僕は最初、その気持ちが恋だと思っていたんです。彼女といて楽しくなる気持ちが恋なんだって。でも……違ったんです。土壇場で違うことに気付いて……僕は結局リサさんのことを泣かせてしまった……」
「そうだったんですね……」
僕がリサさんに対して抱いていたのは親愛以外の何物でもなかった。その件もあり、僕は自分の抱く気持ちが恋なのかどうかを判断するのに慎重に、悪く言えば臆病になっていたのかもしれない。だから僕が燐子さんに対して抱くこの言い知れぬ想いも、恋なのかどうかを判断することができずにいた。いや、どちらかと言えば……。
「燐子さんは……一緒にいるととても落ち着きます。ずっと彼女の笑顔を見たいとも思っています。でも、やっぱりそれはリサさんや紗夜さんに感じていたものと同じなんです。だからこれも、ただの親愛かもしれないって……」
笑っていて欲しい、側で一緒に笑い合っていたい。リサさんたちに抱いていたのと同じ気持ちでしかないのだと、僕の中で結論が出ようとしていた。しかしそれに待ったをかけるように、つぐみさんは僕に問い質してきた。
「紅さん。紅さんは、リサ先輩の幸せを願っていますか?」
「え? は、はい。当たり前です」
「このまま誰かと結婚して、幸せな家庭を築いて、子どもも作って……そんなありふれた幸せが訪れることを願えますか?」
「はい」
当然即答するが、今更何を当たり前のことを聞くのだろうと思ってしまう。僕は心の底から彼女の幸せを願っている。僕じゃない誰かと結ばれて幸せに一生を過ごすのなら、彼女に対してそれ以上に何を望めばいいのか分からなくなってしまうくらいには。
「じゃあ、もし燐子さんだったら?」
しかし、そのつぐみさんの言葉を聞いた途端、思わず息が詰まるような感覚に襲われてしまった。
「燐子さんに他に好きな人ができて、その人と幸せになりたいって言われて……紅さんは受け入れられるんですか?」
「……」
その質問に、僕は何も答えることができなかった。
何故?
僕は彼女には幸せになってほしいはずなのに。
何故彼女の幸せを受け入れられないんだ。
何故こんなにも苦しい気持ちになるんだ。
何故、その顔も見えない相手のことをこの上なく憎らしく思えてくるのか。
何故こんなにも泣きたい気持ちにさせられるんだ。
何も分からなくて、苦しくて、悲しくて……ただただ頭を抱えてしまう。
「……今、すごく嫌な気持ちになりました……」
ようやく口から絞り出せた言葉は、ある意味で僕の本心であった。
燐子さんが誰かと付き合うと考えただけで、それ以上は考えたくないと脳が拒否反応を起こす。彼女が僕でない誰かに笑いかけるのを想像するだけで胸が張り裂けそうになる。その相手をこの手で殺してやりたいとさえ思ってしまう。そんな自分に気付いて自己嫌悪し、余計に嫌な気持ちにさせられてしまう。
「なんで……」
自分の中に生まれた醜い感情が信じられず、手が震えてしまう。しかし思えば今までにもそういう場面はあったのだ。黒麓さんに燐子さんについて触れられた時や、異形に連れ去られそうになった時の尋常でないほどの怒りなど。僕は、燐子さんが関わる場面ではいつも以上に感情的になっていたのだ。
「それって……やっぱり、好きってことじゃないですか……」
そんな僕に、つぐみさんはどこか悲しそうに呟く。
そして僕は、以前キバットに言われた言葉を思い出した。今と同じように自分の抱く気持ちが恋なのか悩んだあの日の会話の記憶が、鮮明に思い出されていた。
──『その人のためなら命をかけてもいいという気高い感情。一方で、誰にも譲りたくない、自分だけを見てほしいという醜く自己中心的な感情。その両方があって矛盾しない感情こそが恋だろう』
正しく今の僕の気持ちがそうだ。
燐子さんを守りたいという熱い想いはもちろんある。
だけど彼女を守るのは僕でありたい。誰にもその役目を譲りたくない。ずっと僕にその笑顔を見せて欲しい。
そんな自己中心的な想いも同じく僕の心にも存在し、矛盾することなく今の僕を成立させている。
──もしかして僕は……本当に燐子さんのことが……。
「でも……例えそうだとしても、何かきっかけがあるわけじゃ……」
人を好きになるにはそれ相応の理由があると僕は思っている。確かに燐子さんのことはとても好ましく思っているし、側にいたいという気持ちも持っている。だけどそのきっかけは? 何故そう思ったのか? その具体的な始まりを僕は説明できなかった。
これがリサさんや紗夜さんならまだ説明できるのに。僕を受け入れてくれたことや、怪物である僕をものともしない献身的な態度が、僕がリサさんに強く好意を寄せるきっかけになったのは間違いない。こんな僕をただ僕として見続けると言ってくれた紗夜さんにも同様だ。
しかし燐子さんとの間に劇的な何かがあっただろうか。それが不明確な現時点では、僕は何故彼女のことが好きなのか説明することすらできないのだろう。
「人が誰かを好きになるのに、きっかけってそんなに大事ですか?」
しかし、つぐみさんの一声によって僕は目を丸めて固まってしまう。
「え……?」
「何かを始めるのにきっかけは大事かもしれません。でも今持っている気持ちの理由付けとしてのきっかけなんて、わざわざ考える必要があるんですか? 私はそうは思えません」
「理由付け……」
「一度好きになっちゃったなら……始まりなんて関係ないですよ。だって……今好きなものは好きで仕方ないんですからっ」
迫るような勢いで、そして自分に言い聞かせるようにつぐみさんは強く言い放った。そんな彼女に、僕は呆気にとられていた。だって、そんなこと考えたこともなかったから。
好きになるのに始まりなんて関係ない。
一度好きになった気持ちは、もうどうにも戻らないのだから。
「今好きなものは……好きで、仕方ない……」
彼女の言葉を僕は今一度繰り返して呟く。
──そうだ……その通りじゃないか……。
他の誰かに感じたものとは違う、燐子さんに向けた感情はもはや変えようもない。それを消すことも、何かにつけて理由を付けようとすることも、とても無意味なことのように思えていた。
彼女の笑顔を見ていたい。側にいたい。誰にもとられたくない。
今はそれさえあれば、他に理由は要らなかったのだから……。
「僕は……」
胸の鼓動が徐々に早まっていく。徐ろに胸に手を当て、自身の心が鳴らす音楽に耳を澄ませていた。
胸の内の炎が燃え上がるようなこの熱い音楽が……きっと……。
──『麗牙さん』
僕の名を呼ぶ彼女の声が何度もこだまする。
僕の頭から彼女の笑顔が離れることがなく、いつまでも脳裏に焼き付いていた。
僕は……いつの間にか燐子さんのことが好きになってしまっていたのだ。
これが真に人に恋する気持ちなのだと、理解してしまった。
「紅さん……」
でもその気持ちは……僕の隣に座る小さな少女の胸にも同様に秘められていたものだった。
「つぐみさん……」
甘えるように僕の身体に寄り添い、頭を傾けるつぐみさん。彼女の心から奏でられる熱くて切ない音楽が途端に大きくなる。今の僕が燐子さんに抱くのと同じ、その胸を焦がすような苦しい想いに身を包まれている。
今はそれだけで、彼女の気持ちが解ってしまったのだから。
彼女も今の僕と同じ、そしてあの時のリサさんや紗夜さんと同じで……。
「ありがとうございます、つぐみさん。やっと分かりました……僕は、燐子さんのことが好きなんです」
それでも、僕は彼女に敢えて告げる。つぐみさんのおかげでようやく自覚できた燐子さんへの想いを。
それがたとえ、彼女の心をズタズタに引き裂いてしまうものであったとしても……。
「うん……じゃあ……私が告白しても……ちゃんと、フってくれますよね……?」
そう訊ねるつぐみさんの顔と彼女の奏でる音はとても痛々しくて、しかし非常に綺麗に感じた。
今にも泣きたいはずなのに、何故そこまでの綺麗な笑顔を見せることができるのか、それは今の僕には分からない。
「……はい」
だから揺れる彼女の瞳から逃げないように近くで見つめ返し、僕もまた応える。
「よかった……じゃあ、言いますね……」
彼女の心にある決意から逃げないためにも。
「紅さん……私──」
そして──
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
激しい音が鳴り響く戦場にて、戦士たちの戦いも正に終わりを迎えようとしていた。
「ゥラァッ」
「ぐっ!?」
飛翔したハルピュイアの脚にイクサの振りかぶったファンガイアバスターのフックが絡まり、異形は驚愕の声を上げる。ハルピュイアは翼を羽ばたかせてイクサごと空へと持ち上げて離脱しようとするが、それよりも早くイクサは駆け出して得物のリールを木に巻き付けた。
身動きが取れなくなり、リールを切る方が早いとハルピュイアは爪を振りかぶったが、その判断は遅すぎた。
「今や!」
「ふっ!」
レイの腕から放たれるブリザードミストが木を、そしてイクサの手から離れたファンガイアバスターを覆い尽くす。木はたちまち凍結し、そこに巻かれたファンガイアバスターと伸びたリールが徐々に氷に覆われていったのだ。
「なっ!? ガァッ、バ、バカなっ──」
空へ伸びていく氷の柱はハルピュイアに届き、その身体を一瞬のうちに凍結させた。上空に生まれた物言わぬ氷のオブジェを見据えながらイクサはバックルにライザーフエッスルを装填し、ナックルを押し込んで最後の一撃を起動させた。
「ハァァァァァァァァッ!!」
イクサが引き金を引くとともに銃口に溜められた莫大なエネルギーが一気に放たれる。
ファイナルライジングブラストが凍結した異形を飲み込み、爆発と共にその姿を跡形も無く吹き飛ばしたのだった。
「ふぅ……なんとか終わったな」
「ああ。操られていたファンガイアたちもじきに目を覚ますだろう」
戦士たちの鎧が粒子となって消えていき、二人の青年が姿を現す。戦いを終えて変身を解除した健吾と黒麓の元へ、近づいてくる二つの声があった。
「おーい!」
「や、やっと辿り着いた……」
レジェンドルガの元へ駆け付けていった二人を追っていたリサとひまりが、二人して疲れたような顔色を見せて彼らの元に辿り着いていた。しかし「やっと辿り着いた」というひまりの言葉に健吾は違和感を覚えていた。ここは人気がないとは言えまだ遊園地の敷地内であり、観覧車からもそこまで離れてはいない。なのに何故戦いの間も彼女たちが自分たちに追いつかなかったのかと疑問を抱いていた。しかしすぐに隣にいる存在──レジェンドルガである黒麓を思い出し、彼に疑惑の目を向ける。
「もしかしてアンタ、戦ってる間に何かやってた?」
「まあ、ちょっとした結界をね。僕だって魔皇力を持つ魔族なんだし、こういうこともできるさ」
「なるほどな。道理で誰も来んかったわけや(麗牙やアゲハと同じことしとった、ってことか)」
自分の知る人と同様に結界を張り、無関係な人を巻き込まないようにしていたのだと健吾は理解した。黒麓が戦闘中にかけた魔術のためにリサとひまりは戦場に辿り着くことが出来ず、戦闘が終わると同時に結界を解いたために彼女たちは健吾たちの元に駆けつけるに至ったのだ。
「って、もう終わっちゃった?」
「せやな。観覧車も動いとるし、これで一応は解決かな」
つぐみのデートに思わぬ邪魔が入ってしまったが、これで何も憂うことはないと息をつき、軽く安心していた時だった。
「へぇ、それはよかったですね」
「っ!? ……ら、麗牙……?」
彼らの元に、今も遊園地でデートをしていると思われる麗牙とつぐみが現れたのだ。名目上は用事があるために抜け出した四人が、揃いも揃って園内にいること対して何か理由を考える余裕などなかった。
「つ、つぐ? い、いやぁ〜、ぐ、偶然? なんかここに来ちゃって? みたいな感じでさ、あ、あはは……」
「せ、せやな。ホンマ偶然やなぁ(や、やっべぇ……)」
焦りを感じているのは健吾だけではなく、ひまりもリサも同様に額に汗を滲ませていた。先ほども慌てていたとはいえ健吾は麗牙に電話かけてしまっており、もはや誤魔化し切れるレベルを優に超えているたのだから。
「もういいよ。みんな」
「えっ?」
しかし万事休すかと健吾が感じたその時、つぐみの嫌に穏やかな声が辺りに沈んでいった。
「私のデートは……もう、終わったから……」
つぐみが静かに告げると、辺りは静寂に包まれた。
彼女の寂しそうな笑顔と、苦々しく唇を噛みしめる麗牙の顔を目の当たりにして、二人の間に何が起きたのかを誰もが察していた。そして、それをわざわざ口にするような者もこの場にはいなかった。
「ぅぅ……つぐ……」
「もう。そんなに悲しそうな顔しないでよ、ひまりちゃん」
「だ、だってぇ……」
「私は今までと何にも変わんないよ。今まで通りみんなとも、紅さんとも……これからもずっと友達のままなんだから」
うちに秘める心情は察するまでもなかったが、つぐみはあくまでも笑顔を見せ続ける。そんなつぐみの態度が悲しくて、ひまりの目には薄らと涙が滲んでいた。本当に泣きたいのはつぐみ自身だと痛いほど分かっているが、それでもひまりはつぐみのために涙を流さずにはいられなかった。
「ねぇつぐみ。アタシ、余計なことしちゃったかな……」
「そんなことないですよ。私、今日ここに来てよかったって思っています。リサ先輩の言った通り、後悔せずに済みましたから。ありがとうございます、リサ先輩」
少女の恋の終わりのきっかけを自分が早めてしまったのかとリサは思いこみかけたが、つぐみの心からの感謝がそれを思い留まらせてくれた。つぐみの顔には悲しみこそあれど後悔の色は無いと、自ずと感じ取ることができたからだ。
「つぐみ……」
「つぐぅぅっ!」
恋敗れ、それでも涙を流さない少女を彼女たちは抱き寄せていた。驚いてジタバタするつぐみを離さないように強く、しかし温もりを感じさせる優しい抱擁であった。
「……」
彼女たちから離れた場所で、麗牙はその様子を黙って見つめ続けていた。
「『なんで泣かないのか』とは思ってないよね、紅くん」
「はい。今なら……分かります」
「お前……ホンマお前は……っ、はぁ……」
リサと紗夜に続いて、と親友の恋愛事情を見つめ返して健吾は溜め息をつく。麗牙は誰かと結ばれることはない、彼の中に未だ恋の感情は無いのだと、健吾は目の前の真面目な青年に対して小言の一つでも言いたくなっていた。しかし、それは少し前までの彼のことだと健吾は知らない。
「僕、つぐみさんのおかげで大事なことに気付けました」
「え?」
麗牙はつぐみに対して、二つの想いがあった。こんな結末を見せてしまって申し訳ないと言う懺悔。そして、自分の本当の気持ちに気付かせてくれたことに対する感謝。その想いは既に言葉として彼女に伝えてある今、麗牙がつぐみに対してかける言葉はなかった。
「僕は……いえ、なんでもありません」
「?」
自分の中に抱いた温かで切ない気持ち。
それを麗牙は親友にすら漏らすことなく、自分の胸の中に大事に仕舞い込んだ。
こうして普通の一人の少女の恋の終わりは、普通でない一人の青年の恋を目覚めさせた。
青年が一人の少女に想いを抱いたことも、少女が夜に枕を涙で濡らしたことも、この場にいる誰もが知ることはなかった。