夫婦の後を追い、黒麓は病棟の廊下を静かに歩いていた。途中ですれ違う医師や看護師に軽く会釈をしながらその気配だけで追跡し、難なく目的の病室まで辿り着くことができていた。個室ではないため数人の名前のプレートが扉の隣に掲げられていたが、扉の向こう側の男が発する発言の内容から黒麓はすぐに対象の妻の名前を見つけることができた。
「(『りょう』……『
とは言えこのまま病室に突撃するのは悪手だと感じた黒麓は、しばらく廊下で待つことにしていた。接触するならばまずは片方ずつから聞くべきだと判断しての行動であった。また男が病室から出てくるのを待っている間、黒麓はドアの向こうの会話を耳を澄まして盗み聞きしていた。
「(……どうやら、本当に自分の妻を愛しているようだね)」
男が「涼」と呼ばれる女に投げかける言葉は、どれも心配の言葉ばかりであった。ちゃんと食事を食べているか、一人の夜は辛くはないか、病院に変なところはないか、自分に見せないで無理をしていないか……心配が過ぎるのではと黒麓は思うも、それが彼の愛情なのだと気付いていた。それは男の妻もまた同様であった。
『それを言うなら貴方だって、何か無茶なことしていないでしょうね』
『む、無茶って、別に涼が心配するような危ないことはないからさ』
『本当に? だって、今日もまた新しい怪我作ってるし……』
『た、体力のいる仕事だからね、あはは……ちょっと手が滑ってドジることくらいあるよ。ほら、俺って不器用だしさ』
男のことをよく見ているのか、女は彼の些細な変化も見逃すことなく指摘していた。「今日も」と言うことから、男が日常的に傷を作っているのだと黒麓も容易に想像できた。それを心配させまいと必死になって理由を作ろうとする男の顔も、同じように簡単に思い描くことができた。
『ともかく……手術のお金は必ず用意する。約束するから……ごめん、それまでもう少し頑張ってくれっ』
「(なるほど……そういうわけか)」
男から直接聞いたわけではないが、夫婦間で交わされた会話で大方の事情を掴んだ黒麓。しかし未だ推理の範疇を出ないため、それを確証するために男との接触が必要となっていた。
『じゃあ、俺行くよ。また明日、涼』
『うん。ありがとう、
そんな声が病室から聞こえたと同時に扉がスライドし、件の男が黒麓の前に姿を現した。短髪で活動しやすいラフな格好をした若々しい青年が廊下に出てきて、目が合った黒麓に会釈してその場を立ち去ろうとしていた。
「あの、ちょっといいかな?」
「はい? えっと、何か」
男のためにわざわざ待っていたのだ、それを逃す手はないとばかりに黒麓は彼に声をかけた。
「幾馬さん、でいいのかな? この部屋の女性の旦那さんってことで?」
「ええ、はい。そうですけれど……俺に用ですか?」
最初は不意を突かれて戸惑い気味だった男の様子も、目的が自分だと気付いた途端に目の色が変わり始めていた。わざわざ自分のようなファンガイアに声をかけるような人と言えば限られてくる。そういう場合は大抵いい話ではないことを彼は知っていたからだ。
「どこか落ち着ける場所で話でもしたいのだけど……いいかな? ファンガイアの王様を狙ってしまった君の話ね」
「……いいでしょう」
「そう怖い顔しないで。本当に話をするだけだからさ」
己の正体とその所業を知る存在が現れては警戒するなど言う方が無理な話ではあるが、黒麓は自分に敵意を持って睨み付ける男を笑顔で宥め、自分についてくるよう指示した。男も妻の病室の前で争うわけにはいかず、素直に黒麓の後について歩き始めた。
黒麓が向かった先は、病院の屋上に備え付けられている小さな庭園だった。近頃では珍しく屋上を開放している病院であり、外に出ることの出来ない患者にとっての憩いの場となるその場所には、今は黒麓と男の二人きりであった。
「話の前に挨拶かな。ボクの名は黒麓大地。ファンガイアじゃないけど、人間でもない。何の魔族かは……企業秘密ということで」
「そういう奴はよくいるよ。俺も……自分のこと隠し続けてきてるしな。
早々に挨拶を終えた黒麓は、男──幾馬の表情を短く観察する。人間である妻よりは長く生きているのだろうがその見た目は若々しく、ファンガイアとしてはまだ若い部類に入るのだろう。その若さに溢れる瞳にはどこか情熱が篭っているように見え、黒麓は幾馬を純情なファンガイアなのだと感じていた。それ故に、彼が麗牙を襲うということに対しても異様さを感じる黒麓だが、その理由については黒麓自身も薄々と勘付き始めていた。
「じゃあ幾馬さん。それで早速本題に入るけど、どうしてファンガイアのキングを狙ったりしたんだい? ボクには君がそんな気性の人とはとても思えないんだが……何か恨みでもあるのかい?」
「恨みなんてまさかっ……むしろ今のキングには感謝しかない。ファンガイアと人間の共存を望んで、その政策も進めてくれて……俺と彼女の生きる世界を認めてくれたんだ。そんなキングを恨むなんて、俺にはできない」
屋上から見える景色を見据えながら語る幾馬の言葉に、黒麓は納得したように頷く。夫婦のやり取りを見ているうちから気付いていたが、やはり彼は麗牙に対して何の恨みも抱いていなかった。それどころか、かつては許されなかった自分たちの愛を許してくれた今の王に感謝すらしていたのだ。そんな幾馬が麗牙を襲うとすれば考えられる理由はただ一つだった。
「じゃあやはり……誰かに唆されたのかな?」
「ああ……」
麗牙の証言からも、幾馬が麗牙をキングと認識していなかったことは黒麓も把握していた。黒麓は敢えて「唆された」という言葉を使ったが、目の前の男がただ単に言葉だけで人を襲うような存在には見えなかった。故に黒麓は更なる予想を……ほぼ確信を得ているが、それに連なる話題を幾馬に話し始めた。
「奥さんの手術代……どれだけかかるんだい?」
「……」
「貴方の普段の仕事は? 収入は? それだけで賄えるのかな?」
「……」
黒麓の質問に、幾馬は景色に目を向けたまま答えることはなかった。遠目で見ただけであったが、幾馬の妻の容態は健康的な人間のそれに比べて著しく悪いことを、黒麓は彼女のライフエナジーから知覚していた。病室での二人の会話からも、幾馬が働いて手術代を稼ごうとしていることも当然知り得ている黒麓は、幾馬が何としてでも彼女の病を治そうとしているのがよく分かった。
だがお世辞にも身なりのいい服装とは言えない彼の姿から、裕福な暮らしでないことは容易に想像がつく。彼がまともに働いたところで、妻の入院費に当てるのが精一杯だろう。普通に、まともに働いたならば……。
「でも当てがある……そういうことだね」
「……だったらどうすると?」
当てがある……つまりは普通ではない金払いのいい仕事があるということ。問い詰める黒麓に向けて鋭い視線を浴びせる幾馬だが、黒麓はそんな男の様子も気に留めることなく言葉を紡いでいく。
「別にどうもしないさ。でもこれだけは確認させてくれないか。君は、人に知られたくない裏稼業に手を染めている。そうだろ?」
「……涼を守るためだ」
全てを見透かしたように話す黒麓に隠し事は出来ないと、幾馬は肯定の代わりとなる言葉を告げた。妻のために表沙汰にはできない仕事を、悪行を熟しているのだと口外に黒麓に伝えていた。麗牙を狙ったのも、誰かの依頼によるものだということは言われずとも黒麓は理解していた。
「それで彼女が喜ぶとは思えないけどね」
これまでにも似たような依頼はあったのだろう。盗みを犯したかもしれない、殺しもしたかもしれない。そんな手段で得た金で生きながらえたところで、果たして彼女は喜ぶのだろうか。恐らく幾馬は最後までその真実を話すことはなく、彼女がそれについて何かを思う余地はないのだろう。だからこそ今の発言は、幾馬自身がそれでいいのかと問いかける黒麓の問答でもあった。そんな悪事に手を染めてまで妻を救ってそれで満足なのか、と。
「それでもっ。この手が血に塗れたとしても、俺が最後にどんな無残な死に方をしたとしても……最悪、涼に愛想を尽かされたとしても……それでも……俺は涼に生きていて欲しいんだ……」
しかし幾馬は躊躇うことなくそう答えた。たとえ自分が地獄に堕ちようと、妻から罵られようとも、彼は愛する人に生きていて欲しかった。自分をまるで顧みない無償の愛とも、妻の気持ちも顧みないエゴに塗れた愛とも取れるその覚悟に、黒麓もまた胸の高まりを抑えずにはいられなかった。
「綺麗だね。君の妻を想う気持ちは、とても……」
「え?」
本気で自身の妻のことを想っている幾馬の姿が、黒麓の眼にはとても尊いものに映っていた。愛する者同士が奏でる心の音楽を好む彼は、今の幾馬の心が奏でていた音楽こそが正に尊き愛の音楽だと確信していたのだ。
「君のしていることを正当化するのは難しいけど、愛する者を想う気持ちをボクは応援したいと思っているよ」
「そ、それは……どうも」
「だからこそ、君はまだ生きていないと。キングに許してもらえるようにボクからも言っておくよ。彼とは知り合いなんでね」
「そう──えっ?」
相槌を打って聞き流そうとするも、予想外の黒麓の発言に幾馬は目を丸くして固まってしまう。それを見て黒麓も愉快そうに口角を上げて笑みを浮かべていた。
「あははは、今の反応はよかったよ」
「いやそれよりも、キングに許してもらえるようにって……」
「心配する必要ないさ。彼はとても優しい人だから。君の事情を知れば、きっと親身になって話を聞いてくれる。そうでなければ、人間とファンガイアの共存なんて目指そうとは思わないよ。彼も人間のことは大好きだからね」
黒麓のその言葉と心に嘘はなかった。彼が知る紅麗牙という人物は、愛する者を守ろうとする幾馬のような人を放ってはおけない王様なのだから。ともすれば王様には向いていない優しい性格ではあるものの、異種属の共存という難しい理想を掲げて進み続ける麗牙の様を黒麓は高く評価していた。
「もし君が再び裏稼業に手をつけるようなことがなければ、彼も君の味方になってくれるさ」
「……もし、手をつけたなら?」
「悪いが、そうならないように努めてくれとしか今は言えないな。君もまだ妻と死に別れなんて嫌だろう?」
「……」
口外にまた汚れ仕事をした場合は命の保証はできないと伝える黒麓に、幾馬は静かに息をつく。いくら優しいとはいえ、相手はキバの鎧を持つファンガイアのキングである。命を狙われれば最期、その結末は闇の中にしかない。
しかしもし逆に味方になってくれるなら? 妻の病を治す手助けをしてくれるのでは? そんな期待を一瞬だけ抱き、しかしすぐに首を横に振ってしまう。自分のような一介のファンガイアのために王が同情して援助をするなど、はっきり言って現実的ではない。きっとよくて自分を許してくれるだけで、その後の妻の容態も結局は自分の手に委ねられてしまうのだと思い込んでいた。
「さて、大分話も聞けたし、ボクはこの辺で失礼するよ」
「俺のこと、キングに話すのか?」
「嫌なら今からでも無理矢理止めてみればいいさ」
「……やめておくよ。涼が好きなこの庭園を荒らしたくはない」
屋上の庭園を見やりながら静かに語る幾馬に、黒麓は黙って頷き返して後を去った。最後に一人屋上に残された幾馬は庭園から目を離さず、妻のことを考え続けていた。
「(それでも、俺は……)」
幾馬の中には既に誰にも曲げられない覚悟が宿っていた。既に自分は悪に染まった身。愛する者のために自分はその道を選んだのだから。たとえ己の命が消えようとも、変えられることのない強い信念が燃え盛っていたのだから……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いや病院でライブってどうなんだそれ……」
「でも先生も看護師さんも言ってたし、本当にあったみたいだよ」
黒麓さんを待っている間、特にすることもないため中庭のベンチで腰を掛けながら静かな時間を過ごしていた時、僕を不審に思ったのか寂しく思ったのか一人の女性が話しかけてきた。
『貴方、ファンガイア?』
わざわざ一人で座っている中で話しかけてくるなんてなかなかお節介な人だと思ったが、その女性は僕が人間でないことを知って話しかけてきたのだ。振り返ってその人の顔を見てみると、先ほどちらりと見えた入院中の少年と話していた女性であったと思い出した。そして彼女自身もファンガイア──僕と同族であるため、一人静かに病院のベンチで座る僕が気になって声をかけてきたらしい。
僕としては一人静かに過ごしているだけでよかったのだが、せっかくこういう特殊な場所で同族に会えたのだから、会話を交えることにしたのだ。
『貴方は、人間のことをどう思っているの?』
しかし開口一番に彼女から聞かれたのはそんな質問だった。同じファンガイアとして、僕の人間を見る目が気になっていたのだろう。昔ながらの価値観を捨てられず、人間を餌だとしか認識していないの輩かもしれないと危惧していたのだろう。何せここは病院だ。無防備な人間が大勢いる。そこに出入りする同族のことを気になるのは至極当然のことだと思う。
『僕たちと同じです。人間もファンガイアも何も変わりない。同じように考えて、同じように生きている。安易に区別すべきものじゃないんだと思います』
だけど人間をどう思うなんて、そんなの既に決まっている。僕は人間と共に生きていきたいとずっと思い続けているし、その思いは昔も今も変わらない。いつの日か、ファンガイアと人間が何の差別もなく手を取り合える世界を僕は夢見ているのだから。
『ふふ、貴方ってそんなにはっきり物事を言うのね』
『気に入らなかったですか?』
『ううん。むしろ共感してる。そう考えられる人がいるのって、やっぱり嬉しいもん』
僕より少しだけ歳が上なのか人間の女子大生くらいの若々しい見た目の女性は、子どものようにニカっと明るい笑みを浮かべていた。嘘も偽りも、混じり気のないその笑顔は、彼女の中から僕への不信感が消えてたことを伝えているようであった。
それから僕は彼女に、彼女自身やこの病院について訊ねていた。彼女──
そんなことだから病院で働く人たちとも顔なじみとなり、いろんな話を聞いているのだという。今ちょうど話題にしている、病院でライブがあったという話もそうだ。数ヶ月前にこの病院でバンドのライブが行われたという話を聞いて、その発想に驚いているところで今に至る。
「その発想は思い浮かばないですね……っていうか音響が病室の患者の身体に響かないか心配してしまいます」
「確かにね。でもさ、見てた人たち、とっても楽しそうだったって先生も言っていたよ。みんな音楽に笑顔と元気をもらったようだって」
「音楽で、笑顔……」
やっていることは実際めちゃくちゃだけど、そんな行動でも誰かの元気になれるのならそれはとても素晴らしいことなのだろう。音楽は人と人とを繋ぐ。そして人の心にも光を差し込ませる大きな力となる。そのバンドは、ある意味でそれを体現させたと言えるのかもしれない。音楽で病院の人を笑顔にさせたというその存在に、僕も少しだけ興味が湧いてきていた。
「それ、なんていうバンドですか?」
「え? あ、えーっと何だったかな……確か『ハロー』……なんとか、だったんだけど……ごめんっ、クマがいること以外ちょっと思い出せないや」
「ク、クマって……」
病院でバンドだけでもアレなのに、より意味不明な情報のために頭が混乱してしまう。ちょうど僕が追っているの男もある意味では熊ということもあり、変な共通点に苦笑してしまいそうだった。
まあ、それだけ特徴のあるバンドなら検索すればすぐに出てくるだろう。今は仕方ないが、この一件が終わればそのバンドについても少し調べてみようかなと思う。
「あ、楠和田さん。僕さっき、ファンガイアと人間の夫婦を見たんですけど、あの人たちについて何か知っていますか?」
「幾馬さんのことかな? 確かあの子が入院するよりずっと前からいるって聞いてるよ。あの旦那さん、毎日奥さんの見舞いに来てるんだって」
「人間の奥さんのこと、本当に大事なんですね」
「うん。なんか見ていて羨ましいくらいだよ。私も結婚するなら、あれくらい相手から想われたいなぁって……」
楠和田さんは頬に手を当てて夢見るように呟く。建前ではなく本当にそう思っているのだと感じ、僕は率直な疑問を彼女に投げかけていた。
「相手から強く想われたいって、やっぱり憧れるものなんですか?」
「そりゃもちろん! 紅くん、恋したことないの?」
「えっ!? え、あっ、それは……」
「それは現在進行形でしてると見た。当たりでしょ?」
「えっと、はい……」
しかし突然の質問の返しに上手く反応できず、楠和田さんに呆気なく僕の恋心を見抜かれてしまった。まだアゲハとつぐみさんにしか知られていない僕の気持ちに気付かれ、これが歳の功かと少し歳上の彼女に内心参っていた。
「今なにか失礼なこと思われた気がするけど……まあいっか。その子って、どんな子か聞いていい?」
「……貴女ならいいかな。その……人間の女の子なんです。でも向こうは、僕のことファンガイアなんて知らなくて……」
楠和田さんのことが信用に足る人物だと既に理解していた僕は、静かに燐子さんのことを話した。僕がようやく出会えた、心から好きになれる女の子。誰にも譲りたくない、僕だけのものにしたい、そんな独占欲すらそそられてしまう可憐な少女の姿を脳裏に思い描いていた。
「へぇ〜人間の子ね。うん、月並みな言葉しか言えないけどさ、その恋が上手くいくこと応援してるよ」
「あ、ありがとうございます……?」
しかし予想外にも楠和田さんはそれ以上踏み込んでくることはなく、それだけで話題を終えてくれた。僕に気を遣ってくれたのだろうか。僕としては助かるが、何やら思っていたよりも淡白に終わってしまったのが心につっかえてしまい、彼女に対して話題を投げかけていた。
「楠和田さんは、人間のことが好きなんですね」
「まあね。小さい頃からずっと人間と共に過ごしてきたのもあるんだと思うけど。だからこそね……あー、なんか思い出してきたら腹立ってきた」
「? 何か?」
彼女も僕に負けず劣らず人間のことが好きなのだと、そう思っての声かけのつもりだったのに、それまで終始笑顔だった彼女の顔に初めて変化が訪れた。怒りのような失望のような、悲しみのようにも感じられる表情がそこに表れていた。
「私、この前付き合ってた彼氏のことフったんだよ。なんでか分かる?」
「いえ、全く」
突然そんなことを言われても分かるわけがないと即答する。多分、彼女自身話したくて仕方がないのだろう。そして楠和田さんは重くため息をついて、その経緯を簡単に教えてくれた。
「彼もファンガイアなんだけどさ、人間のこと餌として見て……いや、それ以下のように思ってて、それ知っちゃったんだよね。典型的な前時代のファンガイアみたいな価値観のヤツでさ。もう百年の恋も冷めるっていうか」
「そ、そうですか……」
百年の恋も冷めるとはよく言ったものだ。しかし実際に自分と全く逆の価値観を持つ相手が現れた時、果たしてその人は相手を許容することができるだろうか。少なくとも僕は、人間を餌や奴隷だと決めつけるファンガイアや他の魔族を許容することはできない。個人の意思を尊重したい気持ちはあるが、それではいつまで経っても僕の理想の世界は訪れない。故に僕は心を鬼にして、そういう輩を支配していかなければならないのだ。
「私はダメだったけど、紅くんはさ……ちゃんと自分のことを許容してくれる相手と一緒になりなさいよ。その子がそんな子であれば、何も心配はいらないんだけどね」
楠和田さんの抱く心配は僕も感じてはいる。燐子さんは僕のことを受け入れてくれるのだろうか。そもそも、僕は自分の正体を燐子さんに明かすことができるのだろうか。僕が好きになった最初の女の子との思い出を振り返ると、それができないのではとつい思ってしまう。そんな僕の不安を感じ取ったのか、楠和田さんは当初より低くなった声を明るくして僕に語りかけた。
「あー、大分話がズレちゃったね。あの夫婦のことだけどさ……幾馬さんの旦那は自分がファンガイアだって伝えてないけど、多分彼女はもう気付いていると思うよ」
「まあ、僕ら見た目はなかなか老けないからね」
「うん。それでも幾馬さんは旦那さんを受け入れている。自分とは違う存在だと気付いても、それでも旦那さんを愛している。それってさ、やっぱりすっごく素晴らしいことだと思うんだよね」
「はい。見ていてとても……心が温まる。綺麗な愛の音が聴こえました」
願わくば、僕の恋も彼らのように綺麗な音楽を奏でるものになってほしい。互いを思い遣る異種族の夫婦を目の当たりにして、そう思わずにはいられなかった。やはりあの男の人にはやはり何か事情があるのだろう。黒麓さんからの報告を受けるのが今ではより待ち遠しく感じていた。
「僕も、あんな風に好きな人と添い遂げられるようになりたいですね」
「なれるよ、きっと。紅くんが好きな人なんて、絶対優しい人に決まってるでしょ。なら大丈夫だよ」
「そ、そうですか?」
「うん、なんとなくだけど分かるよ私。もし紅くんが自分のこと話せなかったとしても、きっと時間がどうにかしてくれる。私はそう思うよ。って、根拠はないんだけどね。えへへ」
「いえ、嬉しいですよ。そう言ってくれて」
そんな根拠のない彼女の言葉に、今の僕は勇気付けられていた。いつか、燐子さんに僕のことを打ち明けられる日が来る。それは確かだと感じていたが、そんな日が来ることに対して今は少しだけ恐怖が消えていた。
いつか打ち明けよう。僕のことを。
彼女に僕を見てもらうためにも。
怖いと感じていたその時も、今は少しだけ楽しみになっていた。
クマのいるバンド……一体何ハピなんだ……?